禅的哲学

禅的哲学は哲学であって禅ではない。禅的視座から哲学をしてみようという試みである。禅を真剣に極めんとする人には無用である。

経過は順調だが‥‥

2024-03-24 20:22:39 | 闘病日記
(今回は病気の話です。多分面白くないと思います。腎臓が丈夫な方にはこの記事をスルーすることをお勧めします。)

 先週14日が今年2回目の受診日でした。尿中蛋白はほぼ正常値となり、血中アルブミンも少しずつ改善して正常値まであと一息です。なので毎日のステロイド投与量も 2.5mg 減らしてもらって 12.5mg となりました。

 
 検査結果から見ればすべては順調に推移しているのですが、気にかかることが2点あります。その一つはステロイドのの副作用です。上記の表を見てもらえばわかりますが、ステロイドの摂取量はだんだん少なくなっていますが、副作用の方はむしろ顕著になっているという実感があります。ネフローゼ症候群というのは、タンパクが尿から漏れ出すので血中アルブミン濃度が薄くなる、そうすると浸透圧の関係で血液中の水分が血管外に漏れ出してそれが浮腫みになるという、そういう病気です。なので血中アルブミンが増えてくれば浮腫みも改善されるはずなのですが、私の場合は足の甲やほっぺたなど特定の部分が腫れて来てむしろひどくなっているような気がするのです。
 
 ステロイド剤はあらゆる炎症に効くと言われる薬ですが、それだけに副作用も多くそれを抑えるためにいろんな薬を合わせて併用します。ところがそれぞれの薬にも副作用があるわけで、その時々の体調によってさまざまな症状が出ます。塩分が滞留して急に体重が増えたり、逆に急に体重が減りだしたり、やたら内出血しやすくなったり、手が急に硬直したり、今まで経験しなかったようなことが次々と起こります。中には、毎年冬になると悩まされていた乾燥肌の悩みがなくなったというような好ましい副作用や、とにかく御飯が美味すぎて食べだすと止まらないというような悩ましい副作用もあります。というような具合で、最近は少し薬の副作用に翻弄されているような感があります。

 もう一つの懸念は、このステロイドと何時決別できるのか?  ということです。受信日の検査結果が良好であればステロイドの服用量を減らしてもらえるのですが、今回は 2.5mg の減量です。受診は8週間に一度ですので毎回 2.5mg 減らしていっても、12.5mg がゼロになるにはあと5回はかかります。しかも、ステロイドの摂取量が少なくなればなるほどその減量幅も小さくしなければならないらしいので、順調にいってあと1年以上はかかります。

 もう少しこの副作用と付き合っていくしかなさそうです。
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塩分の摂取コントロールはとても重要

2024-02-20 15:44:07 | 闘病日記
 1月20日の記事にて、一次性ネフローゼ症候群については緩解したとのことをすでにお伝えしてありますが、まだまだ完治にはほど遠いのが実情です。2カ月ごとに経過観察しながら、ぶり返しがなければ徐々にステロイドの摂取量を減らしていく、というプロセスが順調にいってあと一年は続く見込みです。
 どんな病気でもそうだと思いますが、腎臓病で特に問題になるのは食事制限です。私の場合特に留意するように言われているのが、一日に塩分とタンパク質の摂取量をそれぞれ6gと50g」以下に抑える事です。平均的な日本人の一日の食塩摂取量は約10gほどであると言われています。私はアジの開きにさらに醤油をかけて食べていた口ですので、おそらく1日に15~20gぐらいの塩分をとっていたのではないかと思っています。漫然とした食生活を送っていると、とても1日に6グラム以下に抑えることは不可能です。
 まず第一に外食を止めました。外食で食べるものはかなり塩分が高めです。例えば、ココイチのビーフカレーを私は大好きなのですが、一皿で3.2gもの食塩が含まれています。町中華のはんちゃんラーメンなんていうのは論外です。というわけで、この10か月間というものただの一度も外食したことはありません。
 もちろん自宅で食べる食事にも気を配らなくてはなりません。若い頃から妻に塩分を控えるように口酸っぱく言われていました。それでも私は赤いきつねのスープを全部飲み干していました。今となっては後悔しきりですが、ここまで来て一念発起しました。口にするものはすべてその成分表示に目を通します。塩分含有量が分からないものは原則として口に入れません。調味料はすべて減塩のものにしました。パンも山崎パンの減塩食パンに、うどんは無塩のものに代えました。一日3食のうち2食は1.5g未満を目途にしています。おそらく現在の私の一日の食塩摂取量は5g以下のはずです。
 減塩パンも無塩うどんも最初のうちは違和感あり過ぎでしたが、慣れるとその味わい方が分かってきます。減塩の調味料について言うと、実はあまり意味がないような気がしています。普通の醤油に代えて減塩醤油を使ったとしても、塩味というのは結局塩の量に比例するからです。50%の減塩醤油を使うなら、初めからふつうの醤油の使用量を半分に減らせば同じことなので、その方がコスト的には安くつくと思います。重要なことはむしろ調味料を薄めないで少量使用することだと思います。したがって汁物はできる限り避けます。みそ汁やラーメンは一切食べません。麺類はつけ麺で、それもつけ汁はごく少量つけるだけです。

 若い頃から塩分摂り過ぎていると妻から散々うるさく言われても、決して改めることのなかった私ですが、さすがに今回は心を入れ替えて摂生に努めています。いざ覚悟を決めれば、意外と苦にならないものです。それに薄味になれてくると、食べ物の微妙な味わいに敏感になります。特に淡白な米の味わい深さがはっきり分かるようになってきます。おかげで米のご飯が大好きになって、食事の楽しみがむしろ増えました。

 というようなわけで、腎臓病でない方にも減塩は是非お勧めしたいと思います。塩分による腎臓へのダメージはどんどん積算されていき回復することはありません。年とってもラーメンを食べたい人は、今のうちからきちんと対応する必要があります。

お年玉年賀はがきの2等賞で郵便局からもらったお菓子の詰め合わせ。塩分の含有量はどれもほとんどがゼロ。

※「闘病日記」というカテゴリーを新たに作りました。
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寛解しました

2024-01-20 15:24:52 | 闘病日記
 昨年の9月28日の記事(==>「難病に罹ってしまいました」)で、腎臓病に罹ってしまったことをご報告しましたが、1月18日の受診で主治医の先生から「蛋白/クレアチニン比が 0.3 を下回りました。寛解です。」と告げられました。あっさり「寛解」と言われたので拍子抜けしてしまいました。

  検査日         9/18        10/19   11/16   12/14     1/18
蛋白/クレアチニン比     3.09     1.30            0.74           0.67          0.26
  アルブミン                   2.3              2.9              3.5             3.6           3.7
 
 蛋白/クレアチニン比の正常値は 0.15 以下だが、0.3 を下回れば一応ネフローゼ症状を脱したと見做すらしい。ただ、血中アルブミン濃度(正常値は4.1以上)がまだ低いままなので、寛解と言うほどに回復したという実感は持てないでいる。主治医の先生によれば、この症例にしてはほぼ理想的な回復ぶりらしい。とは言ってもまだまだ先は長い。今後は2か月ごとに、ぶり返しがないことを確認しながらステロイドの摂取量を減らしていくことになるのだが、ステロイドの減量幅はより緩やかにしなければならないので、順調にいってもあと1年以上は見込んでおかなければならないということらしい。

 なにはともあれ、ネフローゼ症状の寛解は私個人にとっては今年最初の吉兆である。できうることなら、パレスチナやウクライナそれから能登の方々にも同様の幸運がおとずれるようなよき一年であってほしい。

お年玉付き年賀はがきで2等が当たった。しかも実はこれが2回目で、私は年賀はがきのくじ運がかなり強いらしい。
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自分のだめさ加減を思い知らされる

2023-11-05 05:17:38 | 闘病日記
 9月28日の「難病に罹ってしまいました」という記事で、腎臓病はわたしに向いてるというようないかにも達観しているような趣旨のことを述べた。なにしろ普段から、空だ無だの一見偉そうなことを述べている私のことであるから、「さすがに御坊哲は悟っているんだろう」くらいに思った人もいるかもしれない。としたらそれは飛んだ見当違いなので、ここで読者の皆さんの誤解は解いておきたい。私はどちらかと言えばダメダメの落ちこぼれ老人で、ヒマにあかせて言いたいことをブログでぶちまけているだけ、という感じに受け止めてもらえば私も気が楽である。

 腎臓病が私に向いているというのはある程度本当のことである。常に体はだるいが、なんの気負いもなくだらだらと過ごしていれば別に苦しくとも何ともない。平地をただゆっくりと自分のペースで歩くにはなんの支障もない、ただ少しでも急がねばならないということになると急に動悸が激しくなり息切れもする。何かについてヤル気を出さねばならない状況になると、ちょっとしんどいだけのはずの病状が頑丈なワイヤーロープのように一変して全身を羽交い絞めにしてくるのである。生きているうちに何かを成し遂げなくてはならないというような使命感を持って生きているような人にとっては、腎臓病に罹るということはもしかしたら死ぬより辛いことかもしれない。

 そんなわけで、私のテキトーな性格はある程度は腎臓病向きとは言えるかもしれない。が、しかし病気は病気である、健康状態よりはいろいろ不都合があって当たり前である。肉体的しんどさは私にとって大したことはないのだが、この病気のお陰で私の精神面の弱さがもろに露呈されてしまう事態が起こってしまったのだ。というのは、この病気は体を動かすことだけがしんどいのではなく、頭を働かせることもしんどいのである。だから病気の調子が悪い時は人と会話するのもおっくうになる。会話と言っても入院中は看護師との事務的なやり取りやその場の他愛もない軽口程度なので何ということはないのだが、家に帰ってくると妻と二人きりである。妻は矢継ぎ早に私に問いただしに来る。私の今の状態や考えを知りたがっている訳で、あまりなおざりな生返事で済ますわけにはいかない。しかし、それがしんどいのだ。そのうちだんだん腹が立ってきた。いきなり私の口から怒声が飛び出してきたのである。「うるさいっ!もうええっ。黙ってやんかい。」という自分でもびっくりするくらいの大きな声で叫んでいたのである。(本当にこの時までは自分がこれほど気が短いとは知らなかったのである。)後悔先に立たず、その場ですぐ「ごめん」と言うべきであったが、彼女の顔を見れば涙目ながら相当怒っている。それも当然なのであるが、その顔を見ると素直に謝れなくなってしまった。近しい者への対抗意識というか甘えもあって素直になれなかった。

 74歳にもなって未熟なままの情けない老人のお粗末なお話しでした。お笑いください。
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日本の看護師のモラルの高さ

2023-10-07 07:00:47 | 闘病日記
 入院している患者は大抵不安を抱えているものである。それに、相部屋になっても隣の患者との会話というものもほとんどない。患者と言葉を交わす相手は看護師しかいないのである。患者が看護師に多少甘えたくなるのもある程度やむを得ないと思う。孤独に耐えかねた患者はできるだけ看護師を自分の所に引き留めようとして、やってくる看護師ごとに毎回同じ話をしたりしている。そのくせ、最後には「お忙しいところを引き留めてすみませんねぇ」と殊勝な言い訳したりするのは可愛い方である。

 中には、居丈高に若い看護師に説教しだす人もいたりする。入院してきたばかりの患者に、担当看護士が「明日の朝いちばんに採血を行います。」と告げた。そしてその翌朝のこと、その看護師は予告通り採血に来て処理し終えたのだが、その患者は「あのね、普通世間一般の常識ではね、『朝一番』と言うのは‥‥」と言い始めた。いったいこの人は何を言おうとしているのだろう? 私にはなにがなんだかさっぱり分からなかった。が、その内どうやら「朝一番と言ったのに、来るのが遅い」と言いたかったらしいと分かった。他の患者の所へは担当の看護師が30分前程からきているのに、自分の所へはなかなか来なかったということを言いたかったらしい。私はある程度この人の気持ちは理解できる。いったん入院すると、患者がコミュニケーションできる相手はほぼ看護師しかいないからである。おそらくこの人は目が覚めてからずっと看護師が自分の所へ来てくれるのを今か今かと待ち構えていたのであろう。早朝の採血は食事前に終わっていればよいのであるから、2,30分早かろうが遅かろうが何の差しさわりもない。患者が文句言う筋合いはないのである。ただこのおじさんは自分の気持ちとして「もっと早く来てほしかった」という不満を「普通世間一般では『朝一番』と言えば‥‥」というお説教の形でぶつけているだけの話なのだ。
 
 普段はどうでもよいことと見過ごしているようなことでも、いざ自分の身に少しでも不都合と思えば、それはとても切実な問題と思うようになるのが人間である。ある日夜遅く入院してきた人がいた。なんでもその人はシャワーを使いたかったらしいのだが、その時はもう浴室の使用時間を過ぎていた。それで、熱いおしぼりで体を拭きたかったのだが、その病院では患者に対しておしぼりの提供はしていない。出入りの業者とパジャマやタオルのレンタル契約すれば、自由におしぼりを使えると説明されると。「なぜパジャマのレンタル契約をしなければ、おしぼりを使えないのか? その根拠を教えて欲しい。」などと言い出す。根拠も何も、病院には洗面所に行けば温水がでる蛇口があるので、そこでタオルを絞ってそれで体を拭けばいいだけのことである。一番の問題は、そこに来る看護師ごとに同じことを繰り返し訴えることである。看護師は病院の経営上の問題にノータッチであるなどということは全く考えないらしい。それほど病院の運営に不合理を感じるのならば、自分で直接事務長に掛け合うしかないと思うのだが、「いったいこの病院の情報共有はどうなっているんだ。」などと看護師に文句言っている。

 看護師は決して正面から反論したりはしない。常にやんわりと受け流している。せいぜい遠回しに「わたしたちはそういう問題には関われないんですよ。」という程度である。看護師はみな若いが、患者と論争しないという教育を受けているのだろう。看護の専門家であるという矜持を持ちながら坦々と業務をこなしている。本当に大したものだと思う。

 私は普段は毎朝規則正しく便通があり便秘で悩んだ記憶はあまりない。ところが、入院して生活が変化すると途端にひどい便秘になってしまった。毎朝あったはずの便通が三日も四日もないととても不安になる。それで、排便を促すための座薬をもらうことにした。看護師が私にその薬を手渡す時に、「ご自分で出来ますか? 手伝いましょうか?」と私に訊ねる。私は内心で、おいおい俺はそこまで耄碌していないぜ、俺をからかっているのか?と思って、その看護師の顔をあらためて見るといたって平然としている。よくよく考えてみれば、私のいる部屋でも日常的にオムツ交換が行われているのだった。私をからかっているなどという考えが頭をかすめたのも、まだ少女の面影が残る若い看護師に対して私の方に侮りからくる偏見があったからだろう。彼女は単にプロフェナルな親切心から言ってくれていることに気がついた。

 私は日頃から日本の政治や官僚に対して文句ばっかり言っているが、現場で働いてこの日本社会を支えている人々には称賛と感謝しかない。済生会横浜市南部病院のスタッフの皆さん、本当にお世話になりました。ありがとうございました。 
 
この窓を1カ月間眺めていました。
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