禅的哲学

禅的哲学は哲学であって禅ではない。禅的視座から哲学をしてみようという試みである。禅を真剣に極めんとする人には無用である。

アベ政治を許さない

2015-07-16 12:32:53 | 政治・社会

私は昔からアベさんを評価していない。首相になる以前から、番組内容が気に入らないと、NHKの関係者を呼びつけて叱責したりしていた。権力主義的なのだ。

今までに政治家としての能力があると感じさせられたことはない。「私のアベノミクス」などと言っているが、金融を緩めなおかつ年金資金までつぎ込んで株価を押し上げているだけのことだ。株価が上がれば年金の運用利回りも表面上は上がるが、なんのことはないこれを自作自演というのだ。必要なときに株から資金を引き揚げようとすれば株価は大暴落するのは目に見えている。要するに自分の任期中だけごまかせればよいと考えているとしか思えない。

その他にも、労働者派遣法の改正、ホワイトカラーエグゼンプション、法人税の軽減、等々ことごとく大資本や金持ちに有利な政策を打ち出している。結局官僚の敷いた筋書きに乗っているだけの無能な政治家なのだと思う。安倍政権下で所得格差と官僚の天下りは一層進むだろう。結果として、トヨタや大銀行の内部留保はつみあがっていくだろうが、その分国債の発行残高も増える。国家財政はますます窮地に陥るだろう。要するに何一つ政治家としての能力を示せていない。

上記に揚げたのはいずれも重要な事柄だが、今回の安保関連法案に比べればまだまだ小さな問題と言ってもいいかもしれない。いよいよ日本は立憲主義国ではなくなる瀬戸際である。このところ国会では、延々と幼稚なすれ違い論議が展開されている。こんな恥ずかしい言葉のやり取りができるのは、よほど頭が悪いか図々しいかのどちらかだろう。(たぶん両方だと思う。)

そんな彼の内閣がいまだに50パーセントの高い支持率を得ているのは私にとって謎でしかない。 中国や韓国に対して強気のところを見せているからか? しかし、国会で議論する前にアメリカに法案の成立を約束する首相ってありですか?

先日、安倍首相の口から「新国立の見直しはむずかしい」との発表があったが、ここにきて国民の反発の強さに危機感を覚えたのだろう、昨日(7/15)「計画を見直している」と急に言い出した。ほとんどの国民が見直すべきだと考えているのだから、最高責任者として見直しを命じることが当然と言える。もし、「見直しの検討」が検討だけに終わったら、アベさんは正真正銘の無能政治家だろう。

やむに已まれず議事堂前に行ってまいりました。
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「アイデンティティ」がわからない

2015-07-15 14:45:07 | 哲学

 会社員の方なら大抵はIDカードと言うものを会社から持たされているだろうが、このIDカードというのは他人が私を私であると識別(identify)するためのものである。しかし、心理学や哲学で、「アイデンティティ」と言う時は自分に対する自己認識を問題にしているらしい。

三省堂辞書サイトによると、

「学術用語としてのアイデンティティーの定義は、哲学分野では、『ものがそれ自身に対して同じであって、一個のものとして存在すること』です。心理学・社会学・人間学などでは、『人が朱鷺や場面を超えて一個の人格として存在し、自己を自己として確信する自我の統一を持っていること』と説明され、『本質的自己規定』をさします。」

となっているが、ここで一つの素朴な疑問がわいてくる。

私には「自己を自己として確信できない」という状態がいかなるものかが想像できないのだ。「私が私でない。」という言い方をする時があるが、それはたいてい比喩的な表現であって、まともな表現としてはそもそも文法的に間違っている。私の体や考え方は毎日変化している。子供の頃の私と現在の私ではまるで別人である。しかし私が私以外であったことはないのである。たとえ記憶をすべて喪失したとしても、私は「私は私である。」と言うだろう。

そんなわけで私は、「アイデンティティの危機」などという言葉を耳にすると、深刻な統合失調症のような印象を受けてしまうし、やたらと「おれの日本人としてのアイデンティティがさぁ‥‥」などと連発する昨今の風潮には少なからず反発を感じるのである。

「日本人としてのアイデンティティ」をもった集団がいるとしても、はたして肝心の「日本人」が何であるかということは必ずしも明瞭ではない。各個人によって「日本人」の意味が違うことは十分考えられるのである。 

 民族意識の高い青年がいたと仮定しよう。常々日本人であることを誇りに思い、小さいころから朝鮮学校の生徒とはよくいざこざを起こしたりしていた。口癖は「ケッ、チョウセンがっ」である。そんな彼が海外旅行のためのパスポート申請で戸籍謄本を取り寄せたとき、自分の父親が元在日韓国人で日本に帰化していたことが分かってしまった。もともとの姓は「金」で通称が「金本」だったが、帰化の時点で「兼本」とし同時に在日社会とも絶縁していたので、その青年は自分が生粋の日本人であると思い込んでいたのだ。

このような状況の時、その青年は「アイデンティティの危機」に陥るのだろうか?

彼の国籍はもともと日本人だし、日常的に日本語を話し、日本文化の中で育ってきた。そんな彼が「日本人としてアイデンティティの危機」を感じたのだとしたら、もともと彼が持っていた「日本人」の概念に大した意味はなかったのではないかと私は考える。彼は何も変わっていない、以前と違うのは彼の父親が帰化人だという情報を知ったというだけのことである。彼にとって「日本人」というのは単なる記号以上のものではなかったということではないのだろうか。同時に、こんなものをわざわざ「アイデンティティの危機」などと表現することもないような気がする。数学の試験で80点とって「おれは数学ができる。」と己惚れていたのが、実は平均点が95点だと知ってがっかりした、というのと大して違わないのではないだろうか。

心理学のことはよく知らないので、「アイデンティティ」という言葉の意義の有効性について断定的なことは言えないが、この言葉を心理学以外で安易に多用することには抵抗を感じるのである。

※ 禅において『本質的自己規定』というなら、それは一無位の真人ということに他ならない。それはあらゆる属性とは無縁のものであり、喪失もまたありえないものである。禅的見地からしても「アイデンティティ」の危機や喪失はあり得ない。

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時間はあるか?

2015-07-14 10:22:21 | 哲学

時間については昔からずいぶん議論されてきた。しかし、いまだに決着がつかないのは、「これが時間だ。」と指示する対象がないからだろう。純粋で単一な概念として抽出できないからには、「時間」は多義的な概念であると見るべきである。そのことが、ウィトゲンシュタインの言う「一般的なるものへの我々の渇望」(前回記事を参照)と激しく衝突するのである。

再び「青色本」からウィトゲンシュタインの言葉を引用してみよう。(この記事は前回記事の続きである。)

 一般名辞の意味を明確にするためにはそのすべての適用を通じて共通する要素を見つけねばならぬという考えが哲学にかせをはめてきたのである。その考えは何の成果もあげなかっただけではなく、その考えのために哲学者は[一般名辞の]具体的適用例を、[問題に]関わりがないとして見捨ててしまった。ただその適用事例だけが、一般名辞の用法を理解するうえで哲学者を助けえたものであるのに。 (p.48)

我々が、「時間」という言葉を研究するにはその言葉を使用している[具体的]ケースを枚挙すべきだと言っているのだ。「時間」の意味は実際に言葉を使用しているその適用の中にしかない、というプラグマティックな見方は明らかに禅的視座に通じるものがある。

では、禅者なら「時間」についてどのような見解を示すだろう?

残念ながら禅僧は哲学者ではないので、「時間」という概念を学問的に追及するなどと言うことには関心がない。しかし、公案を通して「時間」に対する態度をうかがうことはできる。このブログでも過去に取り上げたことのある無門関第二十八則「久響龍潭」を再び参照することにする。

<< 徳山は金剛経の学者で、南の方に金剛経の教えを広めようとしてやってきた。そこに茶店があったので、団子(原文では点心)でも食べようと思って立ち寄った。以下はその店のお婆さんと徳山のやり取りである

婆   「あんたの荷物は一体なんじゃ?」
徳山 「金剛経とわしの書いた注釈書じゃ。」
婆  「では聞くがのう、金剛経には『過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得』と書かれているがあんたはどの心で団子を味わうのかのう?」 
徳山 「‥‥‥」

これには徳山も黙ってしまった。 >>

過去はもう過ぎ去っている。現在は幅のない瞬間で、文字通り「間もなく」過去になってしまう。未来はまだやってこない。それぞれの心などとらえようもない。どの心で団子を味わうのかと問われても、徳山には答えようがなかった。

禅者にとってはこれはひっかけ問題のようなものである。禅的視座から見れば、過去や未来などと言うものはどこにも無い、過去は記憶にすぎず未来は想像にすぎない。「過去」も「未来」も現在想起しているものでしかないのである。「過去・現在・未来」というのは物理学が計算のために導入した仮想空間つまり便法に過ぎない。禅では「只今即今」と言う。禅者には今しかないのである。

禅では不立文字と言う。ここで言う「文字」は概念のことである。概念を用いずに「考える」のが禅である。『過去、現在、未来』と言う概念を排除して団子に臨むなら、「過去、現在、未来のどの心で団子を味わうか?」などと言うのはたわけた愚問でしかない。

徳山は黙って団子を口に放り込めばよかったのである。そして、一言「うまいっ!」と叫べば婆さんも喜んだに違いない。団子はひたすら食べるためにあるものだからである。ここには「時間」にまつわるなんの不明瞭さも混乱もない。

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西洋哲学の東洋への接近

2015-07-13 09:32:44 | 哲学

西洋思想は必然の王国であると言った人がいる。すべてのことに理由があるとして、「それはなぜか?」とその背後にある「真実」を解き明かさずにはいられないのである。

英語で "The Search for Truth"(真理の探究)というのは、個々の事象から一般法則を抽象することとほぼ同義である。例として、ニュートンの万有引力について考えてみよう。

ニュートンはリンゴが落ちるのを見て万有引力の法則を思いついたと言われている。それが事実かどうかは分からないが、とにかくいろんなものが落ちるということがその要因であったことは間違いない。ニュートン以前には誰も万有引力があるとは思っていなかったのだが、ニュートンの炯眼はいろんな事象の背後に万有引力という「力」を想定すればあらゆる事柄を合理的に説明できることを見出したのである。

一旦万有引力の法則を納得して受け入れると、今まで見えなかった万有引力が誰にも「見える」ようになってくる。今ではほとんどの人が万有引力の存在を実感しているわけだ。しかし、厳密な意味において決して「万有引力」が見えているわけではない。ニュートン以前に誰も引力の存在を知らなかったのは、我々は決して「力」そのものを見ることはないからである。どのような力もそれは「想定」でしかない。つまり仮説である。

実際は、「リンゴが落ちる」という事実だけがある。その事実から「万有引力」があると想定している。しかし、科学的因果関係というものは、常に「原因⇒結果」という図式にすべてを押し込めようとする。次に引用するのは、ものごとを科学的因果関係の枠内で考えようとする哲学者に対するウィトゲンシュタインの警句である。

≪ 一般的なるものへの我々の渇望には今一つ大きな源がある。我々が科学の方法に呪縛されていること。自然現象の説明を,できる限り少数の基礎的自然法則に帰着させるという方法,また数学での,異なる主題群を一つの一般化で統一する方法のことである。哲学者の目の前にはいつも科学の方法がぶらさがっていて、問題を科学と同じやり方で問かつ答えようとする誘惑に抗し難いのである。この傾向こそ形而上学の真の源であり、哲学者を全き闇へと導くのである。 ≫ (ちくま文芸文庫「青色本」大森荘蔵訳 p.45)

禅仏教では「あるがまま」という言葉がよく言われる。見たまま聞いたままをそのまま受け止めよという意味である。「柳は緑花は紅」ともいう。悟りは神秘の中にあるのではなく、あたりまえの世界を当たり前に受け止めるところにあるのである。真理は見えている世界の背後にあるのではなく、現前している世界そのものが真理であると受け止めるのである。「現前」が究極の真理であることを見究めることこそが禅的視座である。

決して禅仏教が科学を軽んじているわけではない。あくまで哲学的な真理観について語っているのである。科学では、「万有引力があるから、リンゴが落ちる。」と言うが、哲学的には「リンゴが落ちるのを見て、科学者は万有引力があると言う。」ということである。あらゆる仮定を排除する禅者にとっては「リンゴが落ちた」という事実があるだけだ。

言い換えるならば、「リンゴが落ちる」と言うことと「万有引力がある」と言うことは、同じ事実を別の言葉で表現しただけと言っても良い。言葉の置き換えは究極的な解決にはならない、次は「なぜ万有引力があるのか?」という問いになる。その問いに答るために「重力子」というものを想定する、というふうに要素還元は無限に続くのである。だが実際のところは、「リンゴが落ちる」という事実があるだけなのである。先に揚げたウィトゲンシュタインの警句は明らかに禅に一脈通じるものがある。これを持って、西洋哲学が東洋に接近しているというのは言い過ぎだろうか。

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本日(7/13)の夕景

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