禅的哲学

禅的哲学は哲学であって禅ではない。禅的視座から哲学をしてみようという試みである。禅を真剣に極めんとする人には無用である。

疑似問題について

2021-12-24 21:49:08 | 哲学
 前回記事では疑似問題というものをとり上げた。問題としての体裁は整っているが、実はそれには回答がない。なにを問うているかが分からないのである。なぜそのような問題が生じるのか? おそらくそれは私たちが言葉で考えるからだろう。私が幼稚園の頃、次のような歌を教わった。

 〽朝はどこから来るかしら あの山越えて谷越えて 光の国から来るかしら
 〽いえいえそうではありません それは明るい家庭から 
 〽朝が来る来る 朝が来る おはよう おはよう

 一体朝はどこから来るのか? 幼い私は結構一生懸命考えた。今から思えば、考えたというより不思議がっていただけと表現した方が良いだろう。どう考えても、朝がどこから来るかを考えるのは不可能だ。「朝はどこから来るのか?」という問いは言葉としては成立していても、実は何を問うているのかがよく分からない。それが何を問うているかが分からなければ考えようがない。

 「朝はどこから来るのか?」という問題は子供だましみたいなものだが、「死んだらどこへ行くのか?」というのはどうだろうか? 「死んだら灰になるだけ」というのも一つの答え方だと思うが、これを実存的、つまり自分自身の死についての問題と解釈すると深遠な形而上の様相を帯びた問題に見えてくる。しかし、やはりそれは疑似問題に違いない。生きている人間は誰も死んだことがないのだから、死がなんであるかは全く分からない以上何について問われているのかが分かるはずがないのである。「なぜ私は私なのか?」というのも同様である。私が私でなかったことなどないからである。「私がクレオパトラだったらと想像出来る」などといっても駄目である。私がクレオパトラであったとしても、クレオパトラになった私はやはり私であることに変わりがないのだから‥。私が私でないことはありえないのである。私が私以外ではありえない限り「なぜ私は私なのか?」と問うことは意味をなさないのである。 
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実存の不安と無記

2021-12-23 12:13:42 | 哲学
 実存とは「現実存在」のことである。端的に言えば、私が今現実にここにこうしていることである。
  
        それがどうして不安なのか?
 
 不安など感じたこともないという人もいるかもしれない。そうであれば、それはそれで素晴らしいことでありなにも問題は無いが、大抵の人はこの大宇宙にただ一人取り残されているような感覚に襲われたことがあるのではないかと想像している。他人の心の内は分からないので、それはあくまで私の想像でしかないが、‥‥。

 とにかく私は子供の頃はとても怖がり屋であった。毎晩眠る前に恐ろしい妄想にとらわれるのが常であった。障子を開けるとその外には何もなく、私はこの部屋とともに一人だけこの世界に取り残されているのではないだろうか? 天井を眺めていると、木目がぐにゃりと渦を巻き、そこから鬼が出て来て私を地獄へ引きずり込むのではないか?
嘘をついたり、邪なことを考えたりしたりすると地獄に落ちる、そして舌を抜かれたり、針の山を歩かされたりするというような話を聞いた。おばあちゃんが「哲はええ子やからそんな心配せぇでもええんやで」と言ってくれたが、嘘や邪なことについては身に覚えがあり過ぎた私は心配しない訳にはいかなかったのである。

 こどもの頃は経験がない、だからこの世界の安定性に対する信頼が持てないのである。この「世界の安定性」というのは、例えば、歩いている時に常に足の下に大地があると信じられるというようなことである。大人になれば子どもの頃のような荒唐無稽な妄想はあまりしなくなる。それはいわゆる慣れというものだろう。歩いている時に、次の一歩を降ろす位置に大地がないかも知れないと心配する人はあまりいない。盤石の大地はこれまでの自分の信頼を裏切ることがなかったからである。そんなわけで、私達は毎日を概ね無難に過ごしている。

 では、なにも心配することなど無いのではないのか? 宇宙のことを英語では「cosmos」と言う。語源はギリシャ語の kosmos で、秩序を意味する言葉である。この宇宙がその語義通りであれば、科学以外の「信仰」など必要ない。われわれはひたすら科学的因果関係だけを問題にしておればよい、というかそれ以外の道はないのである。

 しかし、いくら科学が進歩しても、哲学的には巨大な問題が取り残されたままになることが分かっている。科学というのは経験から法則を帰納していくだけの作業に過ぎない。そもそもの宇宙の秩序の根拠がなんであるかということは射程の外である。早い話、万有引力の法則が正しいと言ってもそれは単に過去の実績であるに過ぎない。これからも未来永劫に万有引力の法則が有効であるという論理的根拠・保証はどこにもない。「なぜ世界はこのようであるのか?」、「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?」 、「なぜ私は私なのか?」などという根源的な問いはなにひとつ解決される見込みはないのである。よくよく考えてみれば、幼い頃に恐怖した妄想の類が実際に起きうる論理的可能性が、依然として否定されてはいないことに気が付くのである。この世界がこのようであること、あるいは私が私であること、その事の必然的根拠が見いだせない。この私の存在は偶然性のさなかにさらされている。その事にあらためて気がつく、それが実存の不安である。

 私たちの理性はあらゆることの論理的根拠を求める。ないはずのものを求めているのであるから、実はこれは理性の暴走である。「なぜ世界はこのようであるのか?」、「なぜ私は私なのか?」、これらのことには理由などない。世界がこのようであること、私は私であるということ、現実はここから始まっているのである。答えのない問題は実は理性が作り出した疑似問題である。釈尊は疑似問題に対しては何も答えられなかった。そのことを無記と言う。仏教における重要な概念である。

 
明け方の月と富士 (横浜市港南区)
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思いを言葉にする。思いが言葉に引きずられてはならない。

2021-12-09 10:25:57 | 雑感
 先日(12/7)のNHKの「プロフェッショナル/仕事の流儀」という番組を見たら、俳句の夏井いつき先生が次のようなことを仰っていた。

≪ 自分の為に俳句を書くんだから、俳句の為に自分の思いをゆがめるのは違うと思う。頭で空想で作ってると、かっこいい言葉みつけたから、じゃ本当はこっち表現したかったんだけど、でも かっこいい言葉見つかったから、いやいいやそっちでもとかって、最初の思いを捨てて言葉のほうに酔ってしまう。心が無かったら言葉さがしてもしょうがないから‥‥‥ ≫
 
 身につまされる言葉である。このようなことは俳句に限らず、ブログを書く場合にも心掛けておかなければならないことである。私たちは言葉で考えるからである。哲学の場合はなかなか自分の思いにフィットする言葉がなかなか出てこない場合がままある。そんな時、「かっこいい言葉」と言うほどのものではないが、何となくおさまりの良い気の利いた言い回しに逃げたくなる。いったん言葉にするとなんとなく分かったつもりになるが、実は分かっていない、思考が言葉に引きずられているのである。結局、出来上がった文章は初めに思い描いていたものとは着地点が全然違うものになる。
 要するにわかってないのである。虚心坦懐に自分の内面を振り返ってみる必要がある。「心がなかったら言葉さがしてもしょうがない」のである。まずは心を見定めなくてはならないのだろう。
 
今朝(12/9) 午前7時の富士山   昨日の降雪で雪線が大分下に下りてきた。
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お詫びと愚痴

2021-12-07 09:47:52 | お知らせ
 前回記事の最後に続編として「経験あって個人ある」 という記事を書くという予告をしていましたが、既に2年前に全く同じタイトルで同じ趣旨のことを記事にしていることが分かりました。わざわざ当記事を読んで下さった方にはおわび申し上げます。その上で、なお興味がある方は下記の記事を読んでいただければ幸いです。
   
 
 人間は歳を取ると繰り言が多くなると言われます。私も70歳を超えて知的能力が衰えていることを、はっきりと目に見える形で如実に知らされました。記事の題名まで予告したのですから、本来なら過去記事に新たな知見を付け加えて新たな記事として発表すべきところですが、全然新しいアイデアが浮かんでこない。どうやら私の思考はこの二年間というもの堂々巡りを繰り返していただけのようです。 
 
 本来なら読者の方々の貴重な時間を奪うこのブログを止めてしまうべきなのかもしれませんが、ひょっとしたらまだまだ新しい視点が見つかるかもしれないという思いも捨てきれないのです。できれば、もう少しお付き合いを願います。

≪鎌倉・獅子舞谷の紅葉  獅子舞谷は不思議な場所です。訪れるたびに印象が違う。小さな谷で光の当たり具合で、時には幻想的、時にはただ薄暗いだけの湿っぽい場所に見えたりもします。
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