退屈しないように シニアの暮らし

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さて何をしようか

法頂“美しく終わる”より その3

2011-08-25 07:32:01 | 韓で遊ぶ
古典に人間学を学ぶ


今年の夏は、かつてない気候の変化を肌で実感することができた。以前には見られなかった嶺東の山間地方にも酷暑注意報が何回か発令された。地球人の過消費によるところの地球温暖化にその原因があるのは明らかなのに、国ごとの経済発展を理由に改善をしようとしないのは、まるで制動装置が故障した車が坂道を疾走するようなものだ。
 このような渦中にも季節の移ろいに従って花は咲いて散る。このごろの山中は、山紫陽花が盛りだ。日向より日陰を好む山紫陽花は大きな木の陰の下で、まるで濃い藍色の星の群れが降りて息をしているようだ。目がはっとするように鮮烈だ。一人で見るのがもったいない。  
 春秋戦国時代の末期、ある若者が国々を巡り先人たちの門をたたきながら軍事学と兵法、政治学を学んだ。そんなある日、橋の縁に沿って歩いていると、ぼろぼろの服を着た老人が近づいてきてわざと靴を橋の下に落としてしまった。
 「そこの、若いの、降りて行ってちょっと靴を拾ってきてくれ」
若者は、むっとしたが、相手が老人だったので、ぐっとこらえて橋の下に降りて行き靴を拾って来た。
 ところが、老人はさらに、その靴をはかせてくれと言った。若者は、ことの次いでと何も言わず腰をかがめて丁寧に靴を履かせてやった。
すると、老人が言った。
「お前はなかなか見所があるやつだ。5日後の明け方ごろ、ここに来なさい」
老人はこの言葉を残して忽然といなくなった。
5日後の明け方若者は橋に行ってみると、老人はすでに来ていた。
「年寄りと約束した者が、なぜこのように遅れてくるのだ。5日後にまた来い」
老人はこのように怒鳴って行ってしまった。5日後、今度は鳥が鳴く声を聞いてすぐに行ったが、老人はすでに来て待っていた。
「また、遅かったな。5日後にまた来い」
また、5日後に若者はまだ日が変わらないうちに、暗闇を手探りしながら橋に行った。すると、老人が現れ、本を一冊差し出した。
「これを読みなさい。この本を熟読したならば、お前は王の軍師になることができる。10年後には、優れた軍師になって世の中に名を馳せることになる。」
この言葉を残して老人はどこかへ消えた。若者がその本を見ると、태공망(강대공)が書いた육도삼략(六韜三略;中国の兵書の名)という兵書だった。若者はその本をすべて暗記するほどに繰り返して読んだ。
 このときの若者が、後日、漢を起こした유방の軍師となり、それを成功に導いた장량(張良)である。
本の中にはこれのように、ただの一冊で人の人生を決定的にするような影響を与える本がある。
昔の人たちは古典から人間学を学び、自身を治め高める勉強をした。しかし、最近の人たちは薄っぺらな知識や情報の罠にかかり、古典に対する嗜好があまりにも不足している。自分なりに確固たる人生観や倫理観がないために、目の前の小さな利害関係にひっかかってことごとく倒れてしまう。
人類の精神文化の遺産である良質の本を通して世の中を見る目が開かれて人生の均衡を維持することができる。
何の足しにもならないテレビ番組や、新聞記事で頭をいっぱいにすることは、栄養のない食べ物を体にぎゅうぎゅうと詰め込むことのように、精神の害となる。
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法頂“美しく終わる”より その2

2011-08-24 07:24:49 | 韓で遊ぶ
老いの美しさ

ずっと続くのではないかと思えた夏の暑さも処暑を境に峠を超えるという循環の法則、この宇宙の秩序が続く限り地球は息づく。言い換えると、同じようにすべてのものには時があるということだ。
秋風が吹いてくると空が高くなり水が澄んで、お茶の味も新鮮だ。昨日の朝、秋に似合う茶器に変えた。前の修行の終わった日、보원요の智軒様が新しく作って持ってきた湯飲みに初秋の香りを吟味して、久しぶりに山中の閑寂を味わい楽しんだ。
 いくら優れた芸術作品でも、作家はその作品の中に半分の魂しか吹き込むことができないということだ。残りの半分は、その作品を所有した者、すなわち作品を慈しみ愛し活用する者によって完成するのだ。色合いの美しいその湯飲みは보원요風で最近のものではあるが、大きさも程よく、持った感じもよく、なかなかいい感じだ。糸ぞこもたっぷりあって見ても触っても楽しくなる。この湯のみは、これから私のまなざしと、私の手で触れられることにより歳月とともに完璧な器になっていくのだ。
 最近계로록(戎老録1)、老いにおいて気をつけなければならないことを読んでいて、私自身の人生を振り返っているところだ。振り返って見ると、自分では意識できないまま同じ言葉を繰り返してきた。同じ言葉を繰り返すということは、過ぎた時間の沼に閉じ込められ抜け出せずにいるということだ。これはまた、老衰の現象ではないか。
 これと同じ現象は新しいことに対する関心と探求の能力が欠如してきたという証だといえる。私たちは、自身の夢と理想を捨てる時老いるのだ。歳月は私たちの顔にしわを刻むが、私たちが物事に対する興味を失ったとき霊魂にしわが刻まれるのだ。誰でも、探求する努力をしなくなると人生が錆付くのだ。これは心に刻んでおくべきことだ。
 老後に対する不安はよくあることであるが、これはまだ次のことであり、今すぐのことではない。世の中を知らない節操のない話かも知れないが、今、この瞬間を自分の分をわきまえ、ちゃんと生きて行ったならば老後に対する不安のようなものに臆することはないのだ。すべての生きているものは、その瞬間は過去でも未来でもない純粋な時間だ。いつどこでも、今、この瞬間を生きていかなければならない。
 考えて見ると、私がこの世を生きてくる間、この地球の資源をたくさん消費し、知っている、知らないにかかわらず、それ分だけ地球環境を汚染してきたようだ。今日のこの恐ろしい気候の変化は地球環境を壊し、かき乱してきた私たちの所業のせいだ。これを克服するために地球人はそれぞれの暮らしの現状で、できる限りこの地球を汚すようなことを慎まなければならない。
 そうしようとすれば何よりもまず、簡素な単純な生き方をしなければならない。それほど必要でもない多くの物に囲まれて抜け出せずにいる私たちの暮らしを、一つ一つ点検し振り返って見なければならない。1年過ぎても手付かずに使わない物があったら、それは自分には必要ないと言うことで、惜しみなく新しい持ち主に回してやるべきだ。
 金持ちの家とは、物を人よりも多く持って暮らしている人ではない。不必要なものを持たないで、心が物に縛られることなく、生きている人たちこそ本当の意味での金持ちだと言える。
 一晩中輝く星の輝きのようにはっきりした意識で、その日その日の暮らしを一つ一つ振り返り、自己中心に考える行動しないで、世の中の目で自分を見るというこのような事を通して老いを美しく迎えることができる。
 老いの美しさはすべてのことを淡々と受け入れ、人に譲歩できる寛大さにあるということを忘れてはならない。
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法頂 “美しく終わる”より  その1

2011-08-23 08:07:13 | 韓で遊ぶ
“秋に本を出して”


11月の森はまばらだ
紅葉した葉が落ち
枝と幹がポツリポツリと
自らの姿を露にする
庭に冷たい影が落ちる頃が
外は少し寂しく見えるが
内は、中心が包まれる穏やかで暖かい季節だ
秋の空のように透明で
のんびりとしていて静かで落ち着いた山の中が
どの時よりも山の中らしい
森は安息と治癒の場所だ
この透明感とのんびり感と静かさが安息と治癒をもたらすのだ




ここに集めた文章は、山の中に一人で暮らしながら世の中と繋がるために「맑고 향기롭게(マルコ ヒャンギロブゲ : 美しく香り高く)」の消息欄に一ヶ月に1編づつ、その時の思いと暮らしの一端を載せたものだ。人生は所有でなく瞬間瞬間の「あること」だ。永遠なものは無い。すべてが一時だけ。その一時を、最善を尽くして最大限に生きていかなければならない。人生は驚くべき神秘である。美しさである。その瞬間瞬間が美しい終わりであり新しい始まりであらなければならない。

※「美しい締めくくり」として訳本が出てるらしいのですが見ていません。「美しく終わる」のほうが私的にはぴったりします
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