退屈しないように シニアの暮らし

ブログ巡り、パン作り、テニス、犬と遊ぶ、リコーダー、韓国、温泉、俳句、麻雀、木工、家庭菜園、散歩
さて何をしようか

いい考えより

2013-01-31 16:32:54 | 韓で遊ぶ
困難なときに光を放つ友情
イバンイム 歴史著述家
李恒福と李徳馨は知らなくて鷺城(オソン)と漢陰(ハヌム)を知らない人はいないだろう。この二人は悪童として有名だったが、実はオソンがハヌムよりも5歳年上で、二人は大人になってから出会った。そして、8人兄弟の末っ子で党派に関係なく多くの人と交わり議論するのが好きだった李恒福に比べて一人息子の李徳馨はいつもまじめな模範生であり、怒ると過激になった。このように二人は似ている点よりも違う点のほうが多かった。それでも二人の友情は困難な時により光を放った。
壬辰倭乱が終わって光海君が即位した後、領議長だった李徳馨は王に諫言したと言う理由で追われた。光海君がその地位に李恒福をすえようとすると、これを拒絶しこのように言った。「私はすなわち、話をしない李徳馨です。李徳馨はすなわち、話をした私です。」
戦争の終わった後、光海君の時代には党派の争いと粛清が繰り返され、光海君の兄の臨海君に続いて弟の永昌大君を殺せという世論が沸き立った。ここに反対すれば逆賊としの殺伐とした状況にも、二人は会って互いの意見を尋ねた。
「だんだん、怒りが増してきているがパクサ(李恒福の号)君はどうするのだ。」
「もし、君が永昌大君を殺そうとするならば、違う意見を示すしかない。死ぬ、生きるはそれも運命だ。」
当時、李徳馨は領議長であり、好むと好まざるに関わらず、永昌大君の問題を決定しなければならなかった。李恒福は友の立場を理解し関係を絶つ覚悟もしていた。しかし、李徳馨は笑いながら、答えた。
「私の意志だ。」
結局二人は、永昌大君の処刑に反対した、世論の猛烈な非難を受けて官職から追われ島流しとなった。先にこの世を去ったのは李徳馨だ。自分よりも若い友のために李恒福は墓を立て、5年後自分も島流しの地ポッチャンでこの世を去った。
死んだ後も世論は激しかった。光海君がこの二人の官職を回復させるように命令すると、当時の官吏たちは特別な徳もなく、朝廷の罪人なので、「幸運にも」天が殺してしまったことだと攻撃した。しかし、壬辰倭乱以後、オソンとハヌムの身の危険を顧みず王の間違いを諫言したことをもって、それぞれ文忠、文翼という号が下された。しかし、号よりもオソンとハヌムという友達の代名詞がその人たちに与えられた最も大きな大事な勲章だ。


오성과 한음

(어려울 때 빛나는 우정)

이항복과 이덕형은 몰라도

오성과 한음을 모르는 사람은 없을 것이다

이들은 악동으로 유명하지만 사실 오성이 한음보다

다섯 살 연상으로 두 사람은 어른이 되어서야 만났다

그리고 8형제 중 막내로 당파에 관계없이 많은 사람과

어울리며 농담하기를 좋아한 이항복에 비해 외동아들 이덕형은

매사에 진지한 모범생이었고 화가 나면 과격해 지는 성격이었다

이렇게 둘은 비슷한 점보다 다른 점이 많았다

그럼에도 이들의 우정은 어렵고 힘든 시기에 더 빛났다

임진왜란이 끝나고 광해군이 즉위한 뒤

영의정이었던 이덕형이 왕에게 간언했다는 이유로 쫓겨났다

광해군이 그 자리에 이항복을 앉히려 하자

이를 거절하면서 이항복은 이렇게 말했다

“나는 곧 말하지 않은 이덕형이요 이덕형은 곧 말한 나입니다”

전쟁이 끝난 뒤 광해군 시대에는 당파 싸움과 숙청이 거듭됐고

광해군의 형 임해군에 이어 동생 영창대군을 죽이라는 여론이 들끓었다

여기에 반대하면 역적으로 몰릴 살벌한

상황에서 두 사람은 단둘이 만나 서로의 의견을 물었다

“장차 화가 미칠텐데

백사 (白沙 이항복의 호) 그대는 어떻게 할 것인가”

“만약 자네가 영창대군을 죽이지 않고

쫓아낸다면 따르겠지만 여론대로 죽이려고 한다면

다른 의견을 제시할 수밖에. 주고 사는 것도 팔자지”

당시 이덕형은 영의정이었고

좋건 싫건 간에 영창대군의 문제를 결정해야만 했다

이항복은 친구의 처지를 이해했고 갈라설 각오도 했으리라

하지만 이덕형이 웃으면서 대답했다 “내 뜻일세”

결국 이들은 영창대군의 처형을 반대했고

여론의 맹렬한 비난을 받고 벼슬자리에서 쫓겨나 귀양까지 보내졌다

먼저 세상을 떠난 사람은 이덕형이다

어린 친구를 위해 이항복은 손수 묘지를 썼고

5년 뒤 자신도 유배지 북청에서 세상을 떠났다

죽은 뒤에도 세상은 매서웠다

광해군이 이들의 관작을 회복하라는 명령을 내리자

당시 관리들은 특별한 덕도 없고 조정의 죄인인데

다행스럽게 하늘이 죽여 버린 것이라며 맹렬히 반대했다

하지만 인조반정 이후 오성과 한음은

몸의 위태로움을 아끼지 않고 왕의 잘못됨을 간언했다 하여

각각 문충 (文忠) 문익 (文翼)이라는 시호가 내려졌다

하지만 어떤 시호보다 오성과 한음이라는

친구의 대명사가 그들에게 주어진 가장 소중한 훈장일 것이다
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チャングムの不思議

2013-01-31 14:28:00 | 韓で遊ぶ
「いい考え」2009、2、15「困難な時に光る友情」を訳して見て
歴史作家の書いた文章をよんだ。豊臣秀吉が朝鮮を攻めた頃の話
15代光海君の頃、
朝鮮王朝の系譜を見ないと人間関係がわからないので
ネットで調べて見るたついで、
今、大長今を見ているのでその頃の系譜に目が行った。

いずれにしても、今、チャングムをまた、また、見ているのだが
いろいろな困難に立つ向かっていくチャングム
料理人になったり
医者になってその道を究める
その後で子供を生んで育てて、と、母としても生きて
いったい年はいくつなのだろうか?いくつからいくつまでの話なのか不思議だった。(他の人は思わないのだろうか?)
チャングムが10歳のときに革命が起きて燕山君から中宋に王様が代わった。
その時チャングムが革命を起こすことを知らせるために酒を持っていくのだが、その時10歳として
その王様が38年間在位したことがわかった
王様が死んだときにチャングムはミンさんと逃げていくのだが、つまりその時48歳と言うことになる
その後、ミンさんと結婚して子供を生むのだが、早くても子供を49歳で生んだことになる。あの当時で49歳で初産とは、、、

チャングム自身が優れて医者だからできたのだろうか、、?
なんて思った。

お城に戻ったときは、子供をつれていったけど、チャングムの子供が10歳ぐらいだとするとチャングムは59歳と言うことになる。どう見てもそう見えなかった。

そんなことを思いながら過ごしているこの頃
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法頂 無所有

2013-01-17 19:46:52 | 韓で遊ぶ
ただいま校正作業中
友達から原作の本を借りて見たら、ネットで流れているのと、違う
微妙に言い回しが違い、誤字があり、、
私の入力間違いがあり、、
人間を年限と入れてしまう傾向があるようだ、、
自分で読んでいてちょっと恥ずかしい、、、、、
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今日の翻訳

2013-01-16 15:05:27 | 韓で遊ぶ
この本から、P38

私のパパ、私の先生
ソヒテ/指揮者<ベートベンウイルス>芸術監督

私には父が二人いる。一人は私をこの世に生んでくれた父。それから、私を音楽家であるソヒテでいられるようにしてくれた私のパパ(私は先生をパパと呼んだ)ピクス スラベルトである。スラベルトは世界的なテナー、プルラシド ドミンゴと共に、1日の夕方に2箇所のオペラ劇場で2回のオペラを公演してギネスブックに登録された立派な声楽家だ。
ある日私がレッスンを受けようと行った時だった。先生はいきなり、散歩に行こうと言った。そしてピエンナの外郭にあるベートーベン、シューベルト、ブラームスのような音楽家たちが眠っている中央公共墓地へ車を走らせているではないか。車から降りて先生は私の手を握り墓石の間の道に沿って何も言わないでゆっくり歩いた。そうして先生と私は来た道に沿って家に帰って行った。
私はその理由が気になった。家に着くなり先生はリハルト シュトラウスの歌曲「慰霊祭」をピアノで弾き、曲に対する説明をしてくれた。内容はこうだ。おばあさん先立たれたおじいさんが慰霊祭の日、おばあさんの墓を訪ねて行った。ゆっくりとしかし懇切で切ないおじいさんの足取り、、、そんな足取りの速さでプロローグが始まり、ゆっくりとしたプロローグが終わるっておばあさんの墓に着いたおじいさんが、愛おしい昔の記憶を思い出しながらおばあさんに話をする。
「5月のあの日のように私にもう一度手を握らせてくれ。誰にも知られないように握れるように。5月のあの日のように私の胸においで。あなたをもう一度抱きしめられるように。」
しかし、何の返答のないおばあさんの墓。しみるような恋しいおばあさんの手の代わりに墓石をなでるおじいさんはさびしげにゆっくりとした足取りで帰って行く。その後で流れるエピローグもまた、おじいさんの足取りを連想させるようにゆっくりと流れて曲は終わる。
先生はただ曲を説明するために私に多くに時間を割いてくれた。体験を通して私に音楽を表現する方法を教えてくれた。そのおかげで、ただまねるように、技能的な範疇を抜け出せなかった私が音楽を全心で感じ受け入れられるようになった。留学生に過ぎなかった私に音楽をどうやって理解させるか苦労した先生。私の心の中に育った先生に対する尊敬と愛をどうやって表現することができようか。
「パパ!冷たい冬の風が吹くこの頃、あの公園を歩いていますか?」


나의 파파, 나의 선생님

서희태 / 지휘자, <베토벤 바이러스> 예술감독

내게는 아버지가 두 분 계신다. 나를 이 세상에 낳아 주신 아버지. 그리고 나를 음악인 서희태로 있게 해 주신 나의 파파(나는 선생님을 파파라고 불렀다), 비쿠스 슬라베르트다. 슬라베르트는 세계적인 테너 플라시도 도밍고와 함께 하루 저녁에 두 곳의 오페라극장에서 두 개의 오페라를 공연하여 기네스북에 오른 훌륭한 성악가다.

어느 날 선생님께 레슨을 받으러 갔을 때다. 선생님께서는 난데없이 함께 산책을 가자고 하셨다. 그러고는 중앙공동묘지로 차를 몰고 가시는 게 아닌가. 차에서 내린 선생님은 내 손을 잡고 비석 사이로 난 길을 따라 별 말씀 없이 천천히 걸으셨다. 잠시 뒤 음악가들의 무덤 앞에 도착해서는 벤치에 앉아 조용히 그곳 공기를 마시기만 하셨다. 그렇게 선생님과 나는 왔던 길을 따라 집으로 돌아왔다.

나는 그 이유가 궁금했다. 집에 도착하자 선생님께서는 리하르트 슈트라우스의 가곡 <위령제>를 피아노로 치며 곡에 대해 설명해 주셨다. 내용은 이렇다. 할머니를 먼저 하늘나라로 떠나보낸 할아버지가 위령제 날 할머니의 무덤을 찾아갔다. 천천히 그러나 간절하고 애틋한 할아버지의 걸음... 그 걸음의 속도로 전주가 시작되고, 느린 전주가 끝나면 할머니의 무덤에 도착한 할아버지가 사랑스럽던 옛 추억을 기억하며 할머니에게 말한다.

“5월의 그날처럼 내게 다시 한 번 당신의 손을 주오. 남몰래 붙잡을 수 있도록. 5월의 그날처럼 내 가슴에 오시오, 당신을 다시 안을 수 있도록.”

그러나 아무런 대답 없는 할머니의 무덤. 사무치게 그리운 할머니의 손 대신 묘비를 쓰다듬다 할아버지는 쓸쓸히 느린 걸음으로 돌아간다. 그 뒤로 흐르는 후주 또한 할아버지의 걸음을 연상하듯 느리게 흐르다 곡은 끝난다.

선생님은 단지 이 곡을 설명하기 위해 나에게 많은 시간을 내주셨고, 체험을 통해 내게 음악을 표현하는 방법을 가르쳐 주셨다. 그 덕분에 그저 흉내 내듯 기능적인 범주를 벗어나지 못하던 내가 음악을 온 마음으로 느끼며 받아들일 수 있게 되었다. 유학생에 불과했던 내게 이 음악을 어떻게 알려 줄까 고민하셨을 선생님. 내 마음속에 자라던 그런 선생님에 대한 존경과 사랑을 어떻게 감히 표현할 수 있을까.

“파파! 차가운 겨울바람이 부는 노늘, 그 공원을 걷고 계시나요?”
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法頂 無所有から

2013-01-15 20:49:39 | 韓で遊ぶ
やっと終わりました。
もともとの本です。ネットで流れていたのを訳したので間違いもあったりして、混乱しましたが、これから本を読見直して照らし合わせて見ようと思っています
そしてもう一度読み直してから、自家製の「無所有」を製本します月ちゃん、いる?いるなら月ちゃんの分も製本するわ
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法頂 無所有より

2013-01-14 12:02:39 | 韓で遊ぶ
36 仏教の平和観

親善競技
休戦ラインを間において事実上戦争状態に置かれている私たちの現実を振り返る時、不安の影はこの片隅、あの片隅に隠れている。政治を生業としている世界のベビー級チャンピョンたちが、地球が狭いというように四方に奔走し、走り回っていることも、ひとえに世界平和を維持するための、あがきと見ることができる。しかし、このような努力にもかかわらず、この地球上には、ただの一日も争いのない日はない。
人間がよい生活をするために準備した機械文明が、思想の類なく月まで到達するような今日。人間の大地からは戦争に基づく殺戮の血なまぐささが日ごとに強くなっているのを見ると、社会構造はどこか間違っているようだ。
人々は幼い頃からたびたび、取り扱う、だけでなく、戦争遊びも兼ねている。おもちゃ屋にはきれいな人形と共に銃と剣も売っているのだ。だから、かわいい小さな手が殺戮する延長に慣れていくように大人が自ら教えているのだ。運動競技の種目の中の拳闘とレスリングと言うのがある。この二つの競技はどんな競技よりも観衆を狂わせる。それが国と国の間の競技であるときは、リングの上で打って打たれる選手だけでなく観衆も共に戦っているのだ。「踏め!殺せ!」という歓声と共に時には石が飛び、酒瓶が投げられる。こんなことを指してそれでも親善競技だという。
人間だけで相対して血を求めて打って打たれる、このような行為が競技種目として脚光を浴びている限り、人間の村で争いがなくなる日は遠い。戦争と言うものは何だろうか。正にこんな競技の拡大版ではないか。今日、戦争は機械文明の発達と共にその様相がだんだん凄絶になっている。非戦闘員まで戦争の渦にまきこまれてしまう。第2次大戦以来、婦女子までも大量殺戮の犠牲になっているからだ。
このような状況の下で、宗教人が過去のように不動姿勢で青山白雲を眺め、超然としていたら、そんな宗教は話にならない。人々が突き当たっている問題は、すなわち宗教の課題だからだ。だから平和に対する念願と努力は、今日の宗教が問題にしなければならない重要な課題の中の一つであるのだ。

仏教と平和思想
仏陀釈迦の教えは、平和が何であるかを見せてくれる、その一つの事実だけを持って、人類の歴史に不滅の足跡を残したということができる。仏教が社会的な実践倫理の基礎にしていることは他でもない慈悲だ。人々を愛し、喜びを与えることを慈と言い、人々を哀れに思い苦しみをなくしてやることを悲と言う。だから慈悲は人間の心性の昇華だということができる。初期の仏教には、母親が子供を愛するように、そんな心を持って、すべての隣人を愛しなさいと強調した。
「母親が自分の一人息子を命をかけて守るように、すべての生きているものに対して限りない慈悲心を起こさなければならない。」(スッタニパイタ149)
この上ない慈悲には、遠い近いとか、敵と同士が別々にありえない。
「私たちは万人の友。すべての人の同情者。慈悲を与える心を育ていつも非暴力を楽しみなさい」(チャンロ648)
「だから敵にも慈悲を施しなさい。慈悲で重ねて満たしなさい。これがすべての仏様の教えです。」(弥蘭陀王問経)
人間の存在において基本的な構造は世の中にあると言う事実だ。ところが、世の中にあると言うものは共にあると言うことを意味する。一人で生きることはできない。互いに、互いに支えあって関係を成して生きているのだ。だから、あちらの不幸が自分に無縁ではない。「これがあるからあれがあって、あれがなければこれもない。」と言う言葉は縁起の公理であるが、それはまた、すべての存在の実像であるのだ。
初期の教団では国家権力に向かって戦争を放棄するように、いろいろな努力をしていた。「恨みは恨みにより解決することはできない。恨みを休止することによりそれは解かれると言った。ピムビサラ王が隣の国のパッチ族を攻撃しようとブルトーに意見を聞いた時、プルトーはいろいろとあちら側の状況を聞いた後で、無益な戦争を引きとめながらこのように言った。
「政治とは、殺さず、害を与えないで、勝たないで、敵に勝つようにもしないで、悲しくさせないで、法によって治めなければならない」(相応部経典第1巻)
そして避けられない時にも、真正面に戦うよりも権智により和平しなさいと言った。

何が平和の敵か
何日か前に映画「ソルジャーブルー」を見て戦争の意味が何であるかを重ねて確認することができた。一つの心に芽生えた憎悪に火がつきはじめた時、その火の力は食い止めることができず燃え上がってしまう。どのような戦争だと言っても本質的な勝利はありえない。すべてが敗者であるだけだ。愚かな憎悪心とつまらない貪欲に自ら乗って「是」となってしまったのだ。世界の動きというのは外形的な現象だけで成り立つことはない。縁起の論理を借りなくても、世界の方向は根源的に各個人の同情と直結されている。だから、その世界の中に生きている個人の思考方式とか行動は、すなわちその世界を形成するものなのだ。
特に影響力を持った世界的な政治家の動作はそれほどに大きい反応を招くのだ。彼らが世界平和のために努力していることは、映画「ソルジャーブルー」を、当事国であるアメリカで作り出したと言うことぐらい幸いなことだ。しかし、根本的な努力は彼らの心から貪欲と憤怒と無知を洗い流してしまうことだ。利己的で自己中心的な固定観念から抜け出し、共に生きている隣人に、施しと慈悲と知恵を与えることでなければならない。国際間に、経済的に均等な分配がなくては、どのような平和もない。過去、平和を壊した原因を思い起こして見る時、絶対多数の意志からではなく、少数の支配階層の行動様式が決定的な役目をした。特に、核兵器が登場した現代戦の結果はどちらの側にも勝利と言うものはありえないようになった。人間に知恵が切実に要求されている理由が正にここにあるのだ。
だから、平和の敵は愚かで融通が利かなくなりやすい人間の心にあるのだ。また、平和を成すことも知恵があって寛大な人間の心にかかっているのだ。だから、平和と言うのは戦争がない状態と言うよりは人間の心性から流出される慈悲の具現である。私たちは噛み付き、むしり取り、戦うために生まれたのではないのだ。互いに支えあって愛するために出会ったのだ。(大学ブリョンボ1971,6,30)
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法頂 無所有より

2013-01-13 10:27:27 | 韓で遊ぶ
35 私の愛誦詩

奥深い山奥は
木霊老人が
岩に座って
私のように、しらみを取って
一人で暮らしているそうだ

チョンマ ユチウォンの「深山」と言う詩だ。詩が何であるかを私はよく知らない。だが、読む度に私の生活の領域に弾力を与る、こんな言語の結晶を私は好きにならずにいられない。いつの頃からか、晩年をどう回向するかを考えた。くちばしが青いくせに今から晩年のことだと、たしなめられるかも知れないが、瞬間から永遠を生きようとすることが生命現象ではないか。ある想像はそれ自体だけでも現在をより豊かに培ってくれることができる。「深山」は私に想像の翼をくれ、9万里の長天を飛ばせてくれる。
しなければならないことをちょいとやってしまって、世間的な仮面をパッと脱ぎ捨てて、私のやり方で生きたい。どこにも気にかかることもなく気軽に、本当に真の姿で暮らしたい。いつか下手な筆字で「深山」を書いて頭のところに貼っておいたら、ある友が、それを見て、なぜよりによって貧乏くさく、しらみを取るのかというのだ。
そんな境地ですることは果たして何であろうか。勿論、仏家では小さな、1匹の虫と言えど殺生を禁じている。私たちとしては何でもないことが、あちら側では一つしかない命が終わることだから。
閑話休題、お腹がすいたら枝の端の果実をとって食べて、疲れたら岩の下の草に寝る。今さらながら、これ以上学び慣れることもない。時には岩の隙間から湧き出る泉を汲んで茶を煎じる。炉の傍に鹿のつがいが寝ている。興がわいたら歌を朗誦しようか。朗々としている歌の声が聞えたら、鶴が降りてきてゆらりと踊りを踊る。
人跡が及ばない深山には鏡が要らない。周りのすべてが私の顔であり、姿だから。暦も必要ない。時間の外に生きているから。一人だから何物も私を汚し縛ることができない。一人でいることは純粋な自分がいると言うこと。自由は一人でいることを意味する。あぁ、何物も山の神のように、あるがままに過ごしたい。(女性東亜1972,11)
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法頂 無所有より

2013-01-12 09:19:45 | 韓で遊ぶ
34 騒音紀行

今日、私たちの日々は一言で表現すると騒音だ。週刊誌、ラジオ、テレビなどのマスメディアは、現代人に画一的な俗物になれと盛んに煽ぎたてる。それだけでなく、私たちの口からも、言語に仮装した騒音が疲れることを知らずにポンポン打ち出てくる。無責任な言葉が勝手に氾濫しているのだ。
だから、私たちは本当の自分の言葉を持つことができずにいる。すべてが市場や戦場で通用するほどの生臭く殺伐とした言葉だけだ。盲目的で凡俗な追従はあっても自分の信念がないためだろうか。こうして現代人たちは互いが似ていく。動作だけでなく、思考までも凡俗に同化している。治める側から見ると本当に便利なことだ。適当な絵の具を溶いて置けば、どっと染まっていってもがく群れを見て快哉するのだ。
だから騒音に埋もれ、もがいている私たちは、接触の少なさからではなく、むしろその多さから人間的な虚脱に陥るのだ。季節が変わっても根を下ろすことができないまま、終わりのない彷徨をする。灰色の騒音に埋もれ生命の木の枝も萎れているのだ。
そんな大地に秋が来て乾いた風の音がざわめいた。耳元ではなくわき腹をかすめていくその音を聞いて、ふと、旅にでたいという、眠っていた病気がそっと首をもたげた。
その日のうちに出た。ソラボル。そうだ。新羅に行こう。仏国寺の復元工事現場をいつの頃からか見たいと思っていた。東大門高速バスターミナルから慶州行きに乗った。「元気でいろ。私は行くよ!騒音都市よ」第3漢江橋を抜けるなり、天井のスピーカーから音楽が流れてきた。旅の道に似合う音楽は、仲のよい旅の友だといえる。乾いた風の音のような役目をしてくれる。何気なく窓の外に向けた視線の焦点を合わせてくれたりするから、旅の疲れを洗うもいう。
しかし、しかし、それが、ずっと天井から降りてきて広がり続けていたら、それは仲のいい友ではなく耐えられない苦痛であった。その音楽と言うのも、皆同じようなハエの糞がべたべたくっついたような曲調のものだけ。北朝鮮から来た人でなくても、南朝鮮の曲調と歌詞はなぜあのようにあわれっぽく病的なのかと思う。まさに、自由大韓のその自由と言う光を、あのように脚色しなければならないのかと思った。誰がこんな音楽を聞いてじっと目を閉じていることができるのか。
絶えられず案内嬢に少し止めるように言ったが、それこそ馬耳東風だった。重ねて、要求すると「他の人たちがいいと思っているのに、何を言うのですか」と言いながらにらみつけた。横の席を見ると曲に合わせて足でリズムを取っている人もいた。私は我慢するしかなかった。修行者と言う、取るに足りない体面のために。
私の払ったお金で車が走っているのに、その場に私の意志は全く入り込めなかった。久しぶりに騒音の日常から清らかに静かに翼を広げて旅人になったのに、騒音は「カーステレオ」と言う機械装置を通して始終私を追跡してきているのだ。あぁ、騒音が文明だというならば私は未練なく静寂の未開の地に行く。
川沿いにいろいろに張られたスレートの屋根、山の裾野や小川とはどう見ても調和が取れていない、そのスレートの粗雑な覆いを見てふとこんな思いがした。大韓民国の流行歌をあるがままにそっくり吐き捨てて走っているこの高速バスが4輪の走る車両ではなく、ひとつの国家だったら?それは恐怖であり戦慄だった。車を運転していく運転手と車掌格である政府は国民の食性にはかまうことなく、自分たちの好きな曲だけを勢いよくまわしまくるのだ。自分たちの常識で客の良識を計るのだ。客の出す料金(税金)で走っていながら客の意志は全くわからないままなのだ。時にはとんちんかんな半裸体踊りを見せようと自分たちだけで相談してウォカーヒルのようなところに連れて行くかも知れない。つまらない想像だろうか。ソウルから慶州まで例の騒音のせいで私は旅の楽しみを、その身軽な翼を失ってしまったのだ。
1300ウォンの騒音で旅人の心身は共にふらふらした。ソラボルはどこへ行ったのか消えて、観光都市慶州が冷たく額にぶつかった。外部の騒音で自分の内心の声を聞けないことは、明らかに現代人の悲劇だ。たとえ行動半径が他の国にまで拡大されたとしても求心を失った行動はひとつの衝動に過ぎない。しかし、問題は騒音にあまりにも中毒になってしまってために、聴覚がほとんどマヒ状態だということだ。老若男女を問わず、騒音の櫃の前から離れることを知らない日常人たち。それが元で、馬鹿になって行くかもしれない賢い文明人たち。自分の言語と思考を奪われた日常の私たちは傲慢に流れる騒音の波に便乗してどこかへ知らないうちに流れて行っているのだ。今日、私たちがやり取りする対話もひとつの騒音である場合が多い。なぜなら、その騒音を媒介にして新しい騒音を準備しているから。
しかし、人間の言葉が騒音ならば、それによって光があせたならば、人間が悲しくなる。そんな人間の言葉はどこから出てこなければならないのか。それは沈黙からでてこなければならないのだ。沈黙を背景にしない言葉は騒音と変わりない。人間は沈黙の中でだけ事物を深く洞察することができ、また、自分の存在を自覚する。この時、やっと自分の言葉を持つようになり言葉に責任を感じる。
だから、透明な人同士は言葉がなくても楽しい。声を口の外に出さないだけ無数の言葉が沈黙の中に行き来する。言葉の多い隣人は疲労を同伴する。そんな隣人は貧弱な自分の有様を唇で覆おうとしているのだ。
そんな言葉は騒音から出てきて騒音に消えて行く。そして言葉数の少ない人の言葉は重さを持って私の霊魂の中に入ってくる。そして長い間留まる。だから、人間の言葉は沈黙から出てこなければならない。大祖、言葉がある以前に深い沈黙があったのだ。現代は本当に疲れる騒音の時代だ。カミュのメルソが今日に生きていたならば、もはや光のせいでなく騒音のせいで銃を撃つかもしれない。(現代文学1972,12)
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法頂 無所有から

2013-01-11 15:24:30 | 韓で遊ぶ
33真理はひとつであるが ― キリスト教と仏教

その3

一株の木
すべての誤解はそれぞれが自分の家にだけ閉じ込められているところからくるものだ。硬く閉じられた扉を開いて、会って話をすると互いが兄弟であることを心の中から感じるようになる。近頃、宗教人同士の集まりが活発になってきてからは、従来の偏見に縛られた理解以前の状態が多く解消されている。
だから何よりも会って話をする事実が重要だ。会わないで話をすることはできない。また、話を通してやっと私たちは会うようになるのだ。会うということは一種の開眼だということができる。なぜならば、話の力で誤解の霧が晴れ、認識の野原が開かれるからだ。今まで見えなかった領域が見え、聞こえなかった多くの音が聞こえるのだ。そして私たちはそれぞれに、悲しく震えている島ではなく、同じ大地に結ばれている不可分の存在であることを認識させられるだろう。
(リグベーダ)にこんな句節が出てくる。
「ひとつの真理を持って賢者たちはいろいろな話をする」
いろいろな宗教を前にして考えた時、吟味するに値する言葉だ。事実、真理はひとつなのに、その表現を違えているだけだ。私は時々聖書を読みながら感じることであるが、仏教の大蔵経を読んでいるような錯覚を起こすことがある。少しも見慣れないとか、異質な感じがしない。また、キリスト教徒が空っぽの心で大蔵教を読んだときも同じだろう。問題は誤った固定観念のせいで、「空っぽの心」の状態に至ることができないところから、理解されないでいるだけだ。
マハトマガンジーの表現を借りると、宗教というのは枝が生い茂ったひとつの株の木と同じだ。枝と見るとその数が多いけれども、幹を見るとただひとつだけだ。同じヒマラヤを見て東側から見るとこうだし、西側から見るとああだと言うだけのことだ。
だから、宗教はひとつに至る個別的な道だ。同じ目的に至る道ならば、それぞれの道を行くからといって少しも間違いになることではない。事実、宗教は人間の数くらい多いと言うこともできる。なぜならば、人々はそれぞれに特有の思考と趣味と行動様式を持っているからだ。
このような眼目でキリスト教と仏教を見る時、毛の先ほども異質感が生じることはないようだ。キリスト教や仏教が発生したその時代と社会的な背景で見て、宗教的である形態は違っていたとしても、その本質にあるものは同質のものだ。宗教は人間がより賢く慈悲深く暮らすためにあるひとつの「道」だからだ。問題は私たちがどれぐらい互いに愛しているかによって理解の濃度が違ってくるのだ。本当の理解は愛から始まるもので「今まで神を見たものはいない。しかし私たちが互いに愛したならば、神は私たちの中にいて、また、神の愛が私たちの中に完成されるのだ。」(ヨハンの7番目の手紙4章12節)(キリスト教思想1971,7)


長かったので3回に分けました
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法頂 無所有から

2013-01-08 08:54:02 | 韓で遊ぶ
33真理はひとつであるが ― キリスト教と仏教

その2

間違った固定観念
大概の場合、ある宗教を通して宗教生活をする人々は、宗教を持っていない一般人に対して対人関係において寛大だと思う。しかし、その対人関係が異教徒に向かった時、突然変異を起こすことが時々ある。寛大だった雅量は急にしぼみ、ハリネズミのようにとげを逆立てるのだ。
私は、時々こんな扱いを受ける。何かを買うために扉を開いて入っていった時、店の主人は正確な発音で「私はイエスを信じています」と言う。物をいただこうと来た托鉢と誤認して言った言葉だ。気にしないで、物を選んでお金を払って出てきながら振り返って見ると複雑な表情だ。あるいは、キリスト教徒だけで山寺に遊びに来て賛美歌でも歌ったら、気を使って制止する山の僧もまた、いないではない。
これと同じようなほろ苦い現象はどこにその根を下ろしているのだろうか。自分が信じている宗教的な信念からと言うよりも、異教徒ならば無条件に敵対視しようとする排他的な感情に理由があるようだ。
自分が信じている宗教だけが唯一のもので、それ以外のほかの宗教は一考の価値さえないと言う迷信で錯覚している盲目からのものだ。このように独善的で排他的な選人意識が、まるで自分の信心を厚くすることであるように思っているから、自らの視野を塞ぐことになるのだ。よって、そのような浅はかな見識が、読んだ経典とか、聖書の解釈、または非常に危険なことになるのだ。言葉とか文章の後ろにある意志を忘れて、ひとつの比喩に過ぎない表面的な言語に執着しているのだ。多くの宗教が存在している限り、どんな宗教であろうとそれなりの独自的な象徴を必要とする。
しかし、その象徴が盲目的な崇拝物になっていたり、あるいは他の宗教に対して優越を証明する道具として使われたら、それは無意味である。すべての誤解は、理解の前の状態だ。よって、正しい批判は正しい認識を通してだけ降りてくることができる。ところが、間違った固定観念に縛られた一部の宗教人たちは性急にも、認識を経由せず批判からしようとする。勿論、認識がない批判と言うものは、健全な批判精神であることはできないが、私たちの真心で自分の宗教の本質を知ることになったら自ずと他の宗教の本質もわかるようになるのだ。
以前の、キリスト教徒と仏教徒の間に望ましい対話の道が通じなかった原因を探したら、相互間の独善的な我執による誤解にあったのだ。出生間的である愛は偏愛ではなく、普遍的なものだ。普遍的な愛は異教徒を含むすべての隣人に及ぶものなのだ。
筆者が楽しく読んだ(ヨハンの1番目の手紙)にはこんな句節がある。
「神を愛していると言っていながらも、自分の兄弟を憎む人はうそつきだ。目に見える自分の兄弟を愛さない人が、どうして目に見えない神を愛することができるだろうか。」
「神」を「釈迦」に置き換えたら、いかさま仏教徒たちに該当する適切な言葉だ。時々こんな考えをすることがある。今日、もしイエスと釈迦が同じ席にいたならば、どうなるだろうか。誤った固定観念に縛られ、いがみ合う、いかさま信者たちとは次元が違うだろう。断言できないが、その人たちは、意気がよく通じて、わざわざ口を開いて挨拶をしなくても、互いに穏やかな微笑みだけで相対するだろう。彼らの視野は永遠に至っているからだ。彼らの心はひとつも縛られているものがないからだ。
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