退屈しないように シニアの暮らし

ブログ巡り、パン作り、テニス、犬と遊ぶ、リコーダー、韓国、温泉、俳句、麻雀、木工、家庭菜園、散歩
さて何をしようか

幸福な世界 2

2015-03-31 06:31:52 | 韓で遊ぶ


取り替えられた封筒

蒸し暑かった去年の夏の日のことです。
その日は徳寿宮で友達と約束がありました。時間にあわせて家を出たのですが、思ったよりも早く到着しました。
それで、ファーストフード店に入って簡単に小腹を満たしました。
少し後で友達に会い、真夜中に家に帰りましたが、ふと何か手元が寂しいことに気がつきました。手に持っていたはずの書類の封筒がないのです。
「どこでなくしてしまったのだろう。まったく。どこに置いて来たんだ。」
重要な書類なのであせる気持ちで、来た道を辿ってみました。
友達と一緒に飲んだ飲み屋はもちろん、地下鉄の紛失センターにも行ってみましたが無駄足でした。
最後に私の考えがたどり着いたところは、ファーストフード店。そしていざ走って行った時には、すでに閉まった後でした。私は店の門にメモを挟んで家に帰りました。
次の日、あせる気持ちで連絡を待っていた私に、ファーストフード店の女性店員から電話が来ました。
電話を受けるなり私はその店に走って行きました。
店員は、私に何かを差し出しました。ですがそれは私のなくした封筒ではありませんでした。
「あの、私のではないようですが。」
「これだと思いますよ。確認してください。」
ためらいながら内容物を取り出して見ると店員の言う通りでした。
「このように見つけてくださって、ありがとうございます。ですがなぜ封筒が違っているのでしょうか。」
すると女性店員は笑いながら言いました。
「実は、昨日の夜、ゴミ箱を片付けていて見つけたのです。食べ物の汁がついて汚れていたので新しい封筒に入れました。」
私は女性店員の小さな親切に頭が下がりました。
物を見つけてくれたこともありがたいのに、しなくてもいいのにそうしてくれた彼女の心根がひどくありがたかったということです。
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幸福な世界 2

2015-03-30 06:54:21 | 韓で遊ぶ


友のいない席

男が一人、杯を傾けていました。
波止場の古い居酒屋、彼は誰もいない前の席に杯をひとつ置いて、酒を注ぎました。
「さあ、一杯飲めよ。飲め、、、よ。」
見ていられない店のおばさんは彼に近づいていきました。
「金さん、もうやめなさいよ。忘れなさい。いつまでこうしているの。ん。」
男は首をうなだれて寂しく笑うだけでした。
「ふふふ、、、、。」
男が満たして置いた杯には、男が振るい捨てることのできない痛い事情がにじんでいたのでした。
10年前、男には兄弟よりも近い友がいました。
同じ町内で生まれ育ち、共に魚を獲る船で仕事をする漁師になった二人は、喜びも悲しみもいつも一緒でした。
海との戦いも、激しい波も二人ならば怖いものはありませんでした。
「かかった、かかった。」
「ははは、大漁だ。大漁だ。ははは。」
魚を捕まえる時には一緒に櫓を漕いで海に出て行き、網も一緒に投げて、そしてまた一緒に櫓を漕いで家に帰って来ました。
一日中海と戦った後、魚の入った袋を持っての帰り道で、居酒屋に立ち寄り辛いスープで酒を一杯飲むのが二人の楽しみでした。
「さあ、飲もうや、一杯だけ。」
「そうだな。一杯だけ。」
波止場で仲のいい二人を知らない人はいませんでした。皆が仲のよい二人をうらやましく思い、ほほえましく見ていました。
「何で、あんなにもいいかね。」
肩を組んで家に向かう二人に皆が一言ずつ声をかける程でした。
そんなある日、急に吹き付けた暴風が二人の船を飲み込みました。
二人は必死に暴風と戦いました。
「しっかりつかめ。しっかりつかむんだ。」
「うああ。」
男は九死に一生を得て救い出されましたが、暴風は船と共に命よりも大事な友を連れて行ってしまいました。
その後10年の歳月が流れました。ですが死んだ友の席を何かで埋めることのできない男は、今日も空いた杯を満たして友を呼ぶのです。
「さあ、一杯やれよ。」
杯の中に友の面影がにじんでいるのです。
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幸福な世界 2

2015-03-29 05:52:00 | 韓で遊ぶ


彼女の指定席

姉は大規模アパート団地に住んでいます。
入り口から歩いて10分ぐらいのところにある姉の家。その周辺に地下鉄が通り、駅の近いところの住民には、悩みの種がひとつ生じました。出勤時間になると、隣のアパートの住民たちが入り口まで車で来て、どこでもかまわず止めて置いて行ってしまうために、アパートの住民たちの間に声高に争いが起こるようになりました。
「対策を立てなければならない。対策を立てましょう。」
駐車スペースを奪われた住民たちは、我慢できずに棟別に駐車禁止の警告状を作り、取締まり班を決めて巡回取締りまでしましたが、無断駐車に関する争いが絶えることはありませんでした。
「お前たちは、何の権利でこんなものを貼り付けるんだ。」
「こいつ、どこだと思っているんだ。」
ほんの何分か歩くことが面倒で、車を他人のアパートの前に駐車する人たちも問題ですが、同じ団地の人同士であまりにもせちがなく薄情な感じがしました。
何日か前に姉の家に遊びに行き駐車スペースを探していた私は、何回か回って玄関のすぐ前のロイヤルボックスが空いているのを見つけました。
「わ、、一番いい場所だわ。」
何か拾い物をしたような気持ちで早く車を止めようとしたら、ベランダから見ていた姉があたふたと走って下りてきました。
「ちょっと、ここはだめ。ここは持ち主がいるの。」
「何ですって。持ち主がいる。ここだけ誰かが買ったの。」
「何も言わないで早く車を動かしなさい。」
その場に名前が書いてあるわけでもないのに、姉はいきなり車を移動しろと叱りました。やっと空いた場所を見つけて車を止めてブツブツ言いながら戻ってきた私は、その空間に車が一台悠々と入って行くのを見ることになりました。
「お、あの車、何よ。」
納得がいかないでいた私は、その姿を見て怒りがこみ上げてきました。車からは一人の子供の母親が降りていました。
「さあ、降りなきゃ。」
実は、毎日、脳性まひの息子を登下校させる3階のおばさんのために、隣人たちがいつからか、玄関に一番近いところを、彼女の指定席にして明けておくようになったということでした。
車から降りた子供の母親が、姉にうれしそうに挨拶をしました。
姉もうれしそうに挨拶をしました。
「ここは、あのおばさんの指定席なの。」
「あ、私はまた、、、前もって言ってくれないと。」
駐車スペースのために争って中傷して、、、戦争を繰り広げている都市で、本当にまれに見る情ではないですか。
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幸福な世界 2

2015-03-27 06:06:09 | 韓で遊ぶ



天使のタオル

ある放送局であったことです。
多くの人が出入りする放送局のトイレのタオルかけに、いつもきれいな新しいタオルがかけられていました。
人々は、掃除担当者が本当にまめな人なのだと思いました。ですが古いタオルは掃除担当者が出勤する前とか帰った後、誰もいない時にも水気のなくなった新しいタオルに替えられていたのでした。
一体どんな職員がこんなにも美しい天使の手を持っているのだろうか。誰よりも気になったのは掃除担当者たちでした。
「今日も新しいタオルなのか。」
掃除をするおじさんが言いました。
「そうだ、、一体誰だろう。」
天使のタオルは建物全体内の話題になり、何人かの人たちは、自らも天使になり汚れたタオルを人知れずに洗っておく善行を行ったりもしました。
そんなある日の明け方、本当の元祖天使が明らかになりました。おばさんがトイレに入って行くと一人の男性が新しいタオルをかけていたのでした。
その人は慌てて言いました。
「お。これは、、、」
おばさんがすぐさま聞きました。
「おお、、、おじさんが、、天使なの。そうでしょ。見つけたわ、見つけた。」
その人は頭を掻きながら笑っていました。
「これは尻尾を捕まえられたか。」
その放送局の音響効果の担当である彼は、ある日急に有名になったテレビタレントの父親でした。
大衆のスターになった息子の、その光を放つ成功をありがたく思った彼が、人知れずその恩に報いる方法を考えた末、目の前の小さなことから実践しようとしたことでした。自慢するはどころか、自分の行動がばれるのを心配したおじさんは慌てて言いました。
「おばさん、どうか、内緒ですよ。シー。」
おばさんも一緒に「シー」と言って微笑みました。
タオル1枚。大したことではないがそれは成功した息子の父親が、世の中に示した本当の感謝の気持ちでした。
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幸福な世界 2

2015-03-27 06:06:09 | 韓で遊ぶ


おばあさんと老眼鏡

私はメガネ店で仕事をしています。
私が仕事をするメガネ店の前の通りには、地べたに店を広げて魚を売るおばあさんがいました。
ボタン雪が降る日も、おばあさんは寒い風が吹く通りで一日中、魚を売っていました。
その日の夕方ごろ、おばあさんがメガネ店の戸を押して入って来ました。
「いらしゃ、、、ん。」
瞬間、メガネ店の中は魚の生臭い匂いでいっぱいになり、私は自分でも知らずに鼻を塞ぎました。
「おばあさん、うちは、、、魚、要りませんけど、、、。」
「魚を売りに来たんじゃないよ、じいさんの老眼鏡をひとつくれや。」
憶測でおばあさんをすぐに追い出そうとした私は、ただ申し訳なく思いました。私の行動が恥ずかしくてすまなくて、すぐにおじいさんの年を聞いて老眼鏡を差し出しました。
凍えてひび割れた手でメガネを受け取ったおばあさんのしわのよった顔に明るい笑みが広がりました。その素朴な姿がどんなに素敵だったか。
私はソファに座って楽に休むように言って、暖めた疲労回復剤を1本差し上げました。凍えた手でも暖めて行ければと、ストーブの火をできるだけ大きくした後、老眼鏡をきれいに磨いてかわいい箱に入れ包装しました。
その少しの間にコクリコクリしていたおばあさんは、ソファの端に頭をもたれたまま寝てしまい、私はおばあさんの疲れた眠りを妨げないように息を殺しました。
そうやって1時間ぐらい過ぎたでしょうか。
「あれまあ、これは。わしが眠ってしまったわい。」
目が覚めたおばあさんが腰の内側から、くちゃくちゃになったお金を取り出し、いくらかと聞きました。
「この老眼鏡の値段、いくらだい。」
「おばあさん、さっきお金いただきましたよ。」
「えっ、わしが、いつ。」
おばあさんは、しきりにそんなはずは無いと言って、持っていたお金をよく数えていましたが、私は老眼鏡代の何千ウォンかを稼ぐために、昼も食べないで魚を売っていたおばあさんから、どうしてもお金を受け取ることができませんでした。
「これ、塩してあるから、おいしいよ。」
おばあさんは、まるで私の心を読んだかのように、しきりに「ありがとう、ありがとう」と言いながら、残った塩さばを2匹差し出しました。私が遠慮しても、しきりに差し出し、さばを置いて店を出て行きました。
ガラス越しに見ていたら、老眼鏡を抱いて家に帰るおばあさんの足取りが、少し速くなったようでした。
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幸福な世界2

2015-03-26 05:54:56 | 韓で遊ぶ


お母さん あなたは、、、

21才。
あなたは、曲がりくねった険しい峠を12回も越えて、一度も見たことがない金さんの家の長男に嫁に来ました。

26才。
雪が世の中を白く覆った冬の日、嫁に来てから5年目にして子供を生んで、やっとあなたは嫁ぎ先の人たちに嫁として認められました。

32才。
子供が食あたりを起こしました。
あなたは火のように熱い子供を背負って、町の病院まで夜の道を20里走りました。

40才。
その年の冬はとても寒かった。
あなたは子供が学校から帰ってくる頃になると、子供の外套を着て村の入り口まで迎えに出ていました。
そしてずっと待っていてあなたの体温で暖かくなった外套を帰ってきた子供に暖かく着せてやりました。

52才。
冷たく青い空の下、赤い唐辛子を広げて干した秋の日。
子供が結婚する女性を連れてきました。
あなたは濃い化粧が気に入らなかったけれど、子供が好きなのだから、ただいいと言いました。

60才。
集配人が自転車に乗って来ました。還暦ということで子供たちが久しぶりにお金を送ってくれました。
あなたはそのお金で子供たちの補薬を準備しました。
ですが、忙しくて来ることができないと言う子供たちの電話には、気丈に寂しいと言う気配を見せず電話を切ったのでした。

65才。
子供夫婦が忙しくて正月に来ることができないと言いました。
町内の人たちと一緒に饅頭を作りながら、生涯ではじめての嘘をつきました。
息子が来たけれど忙しくてすぐに帰って行ったと、、、
その日の晩、あなたは部屋の中に一人座って子供たちの写真を取り出して見ました。

ひたすら ひとつ
子供がちゃんとできることだけを夢見て生涯生きて、もう白髪の髪に深いしわの残ったあなた。
わたしたちはそんなあなたを母と呼びます。
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幸福な世界 2

2015-03-25 06:32:22 | 韓で遊ぶ


色を塗る絵本

結婚して7年間住んだ家を引越しする日のことでした。 
私は納戸に置いてあった荷物を整理していて、子供の頃の日記帳とかノートを見つけました。
「あらまあ、これがまだあったのね。」
本当に久しぶりに懐かしさに浸りながら幼い頃の痕跡をたどっていた私は、しわになった何枚かの絵から目を離すことができませんでした。その上に、今はなくなった母の姿が重なって浮かんだからです。
母は私たち兄妹を一人で育てました。
貧しさと偏見、そのすべての波風をかき分けて生きていかなければならなかった母は、苦しい生活のために、幼い子供たちを置いて工場に仕事に行くことがいつも気がかりでした。
幼かったけれど、東の空が明ける前、明けの仕事に行く母の後姿を見ると心の片隅が痛みました。
7歳の時だったか。母のいない時間を一人で過ごさなければならなかった私は、大家さんの子供が持って遊んでいた塗り絵の本がとても欲しいと思いました。
キャンディや、魔法使いサリーのような絵に色を塗るきらきらしたきれいな本。
ですが幼い心にも苦労している母に、どうしても買ってくれとは言えず、我慢してつばを飲んでいました。私たち兄妹は母が帰ってくる時間になると門の外に出て母を待ちました。
「お母さんだ。お母さん。」
「ただいま。」
母は待っていた私たちを抱きしめてくれました。
ですが、ある日の夕方、工場から帰ってきた母が黄色い紙の綴りを一束出しました。
「お。これは何だ。」
でこぼこに綴じられたその紙の綴りの裏には、お姫様と王子様の絵や花模様のようなものが描いてありました。
母が事務室で使って捨てられた裏紙を集めて、昼の時間に合間を見て描いてくれたのです。
私は母が集めてきた紙のその下手で変な絵に一生懸命色を塗りました。
しわになって破れていて、でこぼこしていて、ややもするとクレヨンが折れたりもしましたが、その母の手製の塗り絵の本は、私の幼い頃の心の痛みを慰めてくれました。
新しい家に引越しをした私は、その塗り絵を額に入れて納戸ではなく寝室に並べて掛けました。
その下手な絵の中には私が絶対に超えることのできない母の愛が描かれているからです。
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幸福な世界 2

2015-03-24 06:57:48 | 韓で遊ぶ



母の薬袋

私は兄弟の多い家の子共です。
兄弟が多く騒がしい家で育った私は、いつも静かな家で一人で暮らす自由を夢見て来ました。
だから、職場が家から少し遠いと言う理由で、母の心配と引き止めるのを振り切って安アパートに引越しすることになった日、私は世の中のものをすべて手に入れた様に幸せでした。黙っていてもニヤニヤと笑いが出ました。
休日となると遅くまで朝寝坊しても、ラーメンで食事を済ませても干渉する人がいない毎日でした。生まれて初めて私は自由を満喫することができました。
ですが、そんな私の生活は一ヶ月も経たないうちに揺らぎ始めました。
天性の怠け者ゆえ、ごちゃごちゃのめちゃくちゃ、洗い物は山のようになるし、洗濯物が部屋の中じゅう埋め尽くしました。何よりも仕事から帰ってきた時、灯りの消えた部屋の中に一人入っていくのがとても情けなく、泣きたい気分でした。
ですが、意地をはって家を出てきたので、また帰っていくのも自尊心が許しませんでした。
そんなある日、ひどい風邪をひいてしまいました。全身が痛くて高熱に悪寒まで、私は体が辛くて身体を動かすこともできない状況でしたが、水を一杯汲んでくれる人もいませんでした。悲しくて涙が流れました。
「コンコン、コンコン。」
その日、部屋の外でドアをたたく音がかすかに聞こえましたが、私は答えることもできないまま、うんうん唸って寝ていました。
「あ、、頭が痛い。」
次の日の朝、やっと起きて部屋の戸を開けた私は、戸の前においてある袋をひとつ見つけました。袋の中には曲がりくねって書かれた母の手紙と一緒に風邪薬が入っていました。
「まだ帰って来ていないようなので薬だけ置いて行く。大変だったらいつでも家に帰って来なさい。」
「母さん、、、」
涙が浮かびました。そして私は、その日すぐに荷物をまとめました。そして騒がしいけれど、家族がいる家、小言が多くてもできの悪い息子をとても愛してくれる母の胸に帰って行きました。
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幸福な世界 2

2015-03-23 06:52:56 | 韓で遊ぶ


ゴム手袋

ある暇な週末でした。
妻がうるさく言うのに勝てず大型割引店に買い物に行くと、いつも私はある物に視線が留まります。それは値段の高い家電製品でも自動車用品でもない赤いゴム手袋です。
「ちょっと、お前これ見て、、、」
「また、ゴム手袋。もういい加減にしてよ。」
妻は、ゴム手袋を見ただけでも首を横に振りますが、私はできることならば陳列台の山のようになっているゴム手袋を全部買いたいと思う気持ちを抑えることができません。
幼い頃、水にさっと薄氷がはる初冬から母の手は赤黒く変わり始めました。そして冬が厳しくなるにつれて亀の甲羅のようにぱくりと割れるのでした。
その頃、我が家は八百屋をやっていたのですが、冬の商売で一番売れるのはもやしと豆腐でした。
もやしと豆腐を凍らないように保管するには、モヤシは古い服で何回か巻けばいいのですが、豆腐は大きな桶に水をいっぱいに入れて、その中にいれておかなければなりませんでした。そうすれば上がカチンと凍っても下は凍らず、豆腐を長く置いて売ることができるからです。母は一日に数十回、氷を割って素手で豆腐を取り出さなければなりませんでした。
「う、、、冷たい、冷た。」
ぱっくり割れた傷の中に氷水がしみて痛かった母。その時ゴム手袋があったら、母の手は妻の手のようにきれいだったろうに、、、。
30年過ぎた今も、ゴム手袋を見ると胸が痛くて、できの悪い息子は妻に隠れて赤いゴム手袋をひとつショッピングカートに入れてしまいます。
「あなたったら、、また、、。」
この頃になると妻もこれ以上は言ってもしょうがない、というように言います。
「あなた、こうしていたらゴム手袋屋ができるわ。」
ゴム手袋は、私には貧しい頃の母の愛なのです。
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幸福な世界 2

2015-03-22 06:50:29 | 韓で遊ぶ


白菜と蒸し餅

ある高級住宅街で、一人のおばあさんが門を開けて出てきました。
「行ってらっしゃい。お義母さん。」
老人大学へ行くときれいな服装で家を出たおばあさんを嫁が見送っていました。一日も欠かすことのない日課、嫁はいつものように義母について門の前まで出てきました。
ですが、門の前の嫁が見えない所まで来ると、おばあさんの足取りは速くなりました。おばあさんが毎日行くところは、老人大学ではなかったのでした。おばあさんは急斜面にある貧民街の古びた八百屋に入って行き、服を着替えて預けておいたリヤカーに白菜をいっぱい積みました。
そして、白菜のリヤカーを引いて、この路地、あの路地と進み始めました。
「白菜を買って、白菜。新鮮な白菜だよ。」
おばあさんは大きな声で客を呼び集めました。
「一株まけてやるから買って行ってよ。奥さん。」
嫁に隠れてやっているおばあさんの白菜移動販売は、日が暮れるまで続きました。そして暗くなって白菜が10株ぐらい残った頃、大きな道から野菜を売るトラック一台が上ってきました。
「おばあさん、今日はここで会ったね。残った白菜、私に下さい。売ってあげるから。」
「いつも、、、すまないね、、、ほほほ」
「寒いのに、こんなきつい商売やめたら、おばあさん。」
おばあさんが苦労するのが切なく思っていたトラック行商の青年が、白菜を移す手を止めて言いました。
そうすると、いつもただにっこり笑うだけのおばあさんが、その日は重い口を開きました。
「私が何で白菜の商いをするかわかるかい。それは、、、その日が家の息子の6歳の誕生日だった。」
おばあさんは回想に浸りました。
「母さん、本当に餅を買ってくれるんでしょ。本当に。」
「もちろんだ。これをみんな売って必ず買ってやるから。」
若い白菜売りの母親の言葉に息子はうれしそうに笑いました。
「はは、、、うれしいな。」
誕生日に蒸し餅を買ってくれとせがむ息子をなだめながら商売に出たのですが、その日に限ってお客がひっきりなしに多かったのでした。リヤカーにいっぱいに積んだ白菜はすぐに空になりました。ですが、そうやって忙しく売りつくして我に返った時に息子は行方が分からなり消えてしまっていました。
「あれ、あの子どこへ行ったのかしら、、サンウ、サンウ。」
おばあさんはそうやって息子一人を失ったのでした。
誕生日の日、食べたかった餅を食べさせることもできず、手を離してしまった息子。その息子がどこからで白菜を買ってと叫ぶ母の声を聞いたなら、今にも素足で走ってくるようで、おばあさんは金持ちになった今も白菜の商いをやめることができないということでした。
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