marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(415回目)脱線:「憎む」とか「捨てろ」とか、この言葉がキリスト教を遠ざけている理由でもある様に思うが・・・

2017-08-16 01:00:00 | 日記
 前回から続けてお読みください。宗教における恐ろしさといえば、若い頭脳が洗脳されて日本の国ばかりで無く、お隣の国や戦後にに宣教師を送ってくれた今はどうにかなったと思われる米国に於いても事欠かず家族を泣かせる言葉は、まずはここにありやと思われます。無論、イエスの言葉を分かりきってしまったようになってしまう事は、まずはあり得ないことですが(第一、僕らはその時代にその場所に生きていなかった訳ですから)盲信(よく分からず他力にて盲目的に信じる)という言葉もあるくらいですから要注意なのです。・・・
◆聖書は、旧約、新約の重要な神との「契約」の「約」という言葉(文字)があるわけで、これは一方的に了解するというのではなく、お互いが自分の言葉で納得し、了解し、約束をすることですから、この地上に、たった一人しか現存しない自分の言葉で納得、了解するために聖霊のサポートを受けながら、無論、試練、困難、目的不明の危機も多々受けながらの人生行路を精進していく旅でもある訳だ。さて
問題は次の箇所、イエスの言葉です。先の新共同訳(ルカ18:28-30)が新改訳では・・・、
 すると、ペテロが言った。「ご覧ください。私たちは自分の家を捨てて従って参りました。」 イエスは彼らに言われた。「まことにあなた方に告げます。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子供を捨てた者で、誰一人として、この世にあってその行く倍かを受けない者はなく、後の世で永遠の命を受けに者はありません。」
◎同じ記事が他の福音書にありますので、読んでみます。〔以下 新改訳で〕
◆(マルコ10:29-31)<イエスの言葉31節が突いている>
 ペテロがイエスにこう言い始めた。「ご覧ください。私たちは、何もかも捨てて、あなたに従って参りました。」イエスは言われた。「まことにあなたがたに告げます。わたしのためにまた、福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、その百倍を受けない者はありません。今、この時代には、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害の中で受け、後の世では永遠の命を受けます。しかし、先の者があとになり、あとの者が先になることが多いのです。」
◆(マタイ19:27-30)<少し長い、マタイはユダヤ人向けに福音書を書いたことがここからも分かるなぁ>
 そのとき、ペテロは、イエスに答えて言った。「ご覧ください。私たちは何もかも捨てて、あなたに従って参りました。私たちには何がいただけるでしょうか。」そこで、イエスは彼らに言われた。「まことにあなた方に告げます。世が改まって人の子がその栄光の座につくとき、私に従ってきたあなたがも12の座について、イスラエルの12の部族を裁くのです。また、わたしの名のために家、兄弟、姉妹、父、母、子、あるいは畑を捨てた者はすべて、その幾倍も受け、また永遠の命を受け継ぎます。ただ、先の者があとになり、あとの者が先になることが多いのです。」
◆並べて読むといろいろ考えさせる、なぜ、「妻」という文字が、ルカにしかないのか少し気になるところだが、ペテロは奥さん同伴だったのにね。(ルカ4:38)以下、今回の言いたいことで重要なこと。
◆結論を述べます。まず、第一に「憎む」(訳では「捨てる」)などという日本語では非常にきつい意味が、ユダヤ人の語り手のヘブライ語の意味のニュアンスは「より少なく」「2番目に」なるという意味であるということです。(ヘブル語サネー<SNA>)これは、旧約においても見られます。ヘブル語には、形而上学的なファジーな言葉の使われ方をすることが無いように思われてしまうことも読みにくい理由かもしれない。
このイエスの真意は「神の国とその義とをまず第一に求めなさい(求め続けなさい)<マタイ6:33>」なのです。 ・・・ 続く