marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(421回目)いろいろな質問が湧いてくるがエバは自立した女性第一号なのか 〔創世記第3-4章〕

2017-08-24 21:46:59 | 日記
 ずっと小難しい書き方が続いているのをお許しを!
 旧約聖書の数ページにしかわたらないのだが第3章、第4章がやはりこの地上の人類のすべてのドラマが始まっていることをいろいろを思わされてしまう。
◆神の約束が反故され、神とかたちばかりの人となって、作られた誕生と成長のシステムを埋め込まれたのはいいいが、いずれ誕生したその時に神の霊を吹き込まれるが、その後、それは枯渇して息絶え、土に帰るということになる。
◆一応、プロテスタント・キリスト教では「罪」のことを「的外れ」と言われる。神の思いからの的外れなのであると。そこで、僕は、その「罪の根」は「神の霊からの断絶が生じていること」と定義した。神のかたちに創造したと言われるから、神の霊の余韻はあるが、肉としての人は、歳を重ね神の霊が枯渇していき人は地上の生涯を終えるのであると。無論、「罪を犯す」という行為にはいろいろの他の人への、あるいは、共同体の維持につまり隣人への自由へのすべての妨害を生じさせること、その他、細々とした禁止事項が含まれるがそれは、第一の神の霊の真っ当な受信を受けていないという事から生じる肉に対する自己規制なのであるということが言える。
◆この真っ当な霊とは聖霊ということになるのだが、新約聖書はヨハネ伝から読み始めてきて、初めの物語に、教師ニコデモとイエスの会話があり、それは地上で生じていること、つまり「霊のこと」なのであった。そして、イエスはニコデモに対して、イスラエルの教師でありながらこのようなことも分からないのかと叱責を受ける。地上のことを話しても分からなければ天上のことを話してどうしてわかり得ようかと・・・。つまり、その霊のために、人が罪を起こして、悪魔から誘惑、横やりが入り、神を思考する対象として考え始め、このときから人は神とその地位を同等に置こうとするあらぬ願望が湧くようになったといえるだろう。本来であれば神の霊にくるまり、対象としてまったくその中に有り、識別判断もなく生きていた人が、神を思考の出来る対象とし、同等に思考する神と同等のそのもに変わり始め神の断絶、そして横(アダム)との断絶も生じたということになったのである。従って、綾小路きみまろではないが、夫婦が努力が必要な時期が来るのである。その自覚は、天への帰還の自覚が始まるときの人生の曲がり角に・・・。
◆その罪を犯したが故に神と同等の立場に立とうとした人のきっかけが女の言う「蛇がだましたので食べてしまいました」(3:13)の言い訳であったわけであるから、そもそもの罪の始まりは、以降の人は命(エバ)が生じたと同時にその要因を誰でもが宿しているということになる。
◆それでも、神からの罰としての肉体の酷使、あるいは苦しみとなるとの神からのおおせとなったのであった。いずれ死んで土に帰るのだと。神と対等の位置に付こうとした女は地上で始めての女性自立第一号となった。
 「わたしは主によって男子を得た。」(4:1)と、この地上における肉における喜びの自己肯定、しかし、ここには「罪の自覚」などまったく見当たらないのだ。しかし、その悪のエッセンスは、次の世代にバトン・タッチする毎に永久に抜け出せないこととなったのである。
・・・ Ω