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雨宮処凛がゆく! 第565回:『貧困パンデミック 寝ている「公助」を叩き起こす』から見えるコロナ禍の一年半。

2021年08月07日 | 本と雑誌

マガジン9 2021年8月4日

https://maga9.jp/210804-2/

自分ちの猫が可愛すぎて、講演の際に使うパワーポイントの最後のページに愛猫の写真を仕込んでおき、さりげなくみんなに自慢する人がいる。

 1990年代から貧困問題に取り組む、「つくろい東京ファンド」代表理事の稲葉剛氏だ。

 そんな稲葉氏がこのたび、『貧困パンデミック 寝ている「公助」を叩き起こす』を出版した。

 タイトル通り、コロナ禍での困窮者支援の実情のみならず、国や東京都、各自治体などへ「公助」が本来の役割を果たすよう、さまざまな働きかけをしてきた記録である。そしてそれは、これまでなかなか変わらなかったシステムを変えることに成功してきた記録でもある。

 たとえば扶養照会。

 この連載でも散々書いてきたが、生活保護を申請すると家族に連絡がいく。それが嫌で申請をためらう人が多いのだが、それでは最後のセーフティネットが機能しているとは言えない。稲葉氏らは困窮者を対象とした相談会を訪れる人々にアンケートをとるなど地道な作業を繰り返し、また厚労省に署名を提出するなどしてきた。その結果、今年3月に新しい通知が出され、4月からは運用が変わったのである。本人が扶養照会を拒んだ場合、その理由について「特に丁寧な聞き取りを行い」、照会しなくていい場合にあたるかどうかを検討するという方針が追加されたのだ。また、扶養照会をするのは扶養が期待できる場合に限るということも明確になった。

 本音を言えばもう一歩進んで、本人がOKしていて扶養が期待される場合のみ照会するとしてほしいところだが、それでも大きな前進である。

 それ以外にも様々なことが変わった。

 本書には、稲葉氏がこの一年半を振り返る記述がある。そこで触れられるのは、自治体への抗議・申し入れに参加し、責任者が謝罪したケースは一年半で5回にのぼるということだ。

 1回目はコロナ禍以前の2019年10月。台風19号が関東を直撃した日、台東区の自主避難所で路上生活者が入所を拒否された件。稲葉さんは地元のホームレス支援団体とともに台東区に抗議。区長は謝罪コメントを発表。

 2回目はコロナ禍が始まった20年6月。緊急事態宣言でネットカフェも休業となり、住まいがない人たちにホテルが提供されていたのだが、新宿区では5月末、その人たちの宿泊延長を打ち切り、87人をチェックアウトさせてしまったのだ。その中には、行くあてがなく路上生活になってしまった人もいた。この件では私も稲葉氏らとともに新宿区に申し入れ。新宿区長は謝罪コメントを発表した。

 20年10月には、足立区に申し入れ。住まいがなく生活保護申請していた日本国籍のアフリカ出身の男性の保護をわずか4日で廃止し、路上生活に追い込んだ件に対してである。これについても稲葉氏らは抗議。紆余曲折あったものの副区長が直接、本人に謝罪。生活保護も無事再開された。

 4回目は20年10月、杉並区の福祉事務所。私も同席していたのだが、コロナ禍でホームレス状態となって生活保護申請をした人に対し、杉並区ではなかなかアパート転宅させないという事態が発生していた。その件で申し入れに行ったのだが、その場で福祉事務所長の差別的な発言があり、支援者らの指摘を受けて謝罪した。

 そうして5回目は、21年3月。横浜市神奈川区に生活保護申請に訪れた女性に対して悪質な水際作戦が行われたことを受けて。住まいがない20代の女性が生活保護を利用しアパートに入って生活したいと訴えたのだが、対応した職員は制度に関する虚偽の説明を繰り返し、彼女が持参した申請書すら受け取ろうとしなかったのだ。

 この件でも稲葉氏らは抗議・申し入れ。担当部長はその場で本人に謝罪した。

 このように、現場に足を運び、時に自治体の姿勢を問い、「公助」のあり方を変えてきた稲葉氏だが、もっとも変わったのは、支援を受けた人たちの人生だろう。もし、稲葉氏らと出会っていなかったら、最悪、命を落としていたのかもしれないのだ。

 そんな稲葉氏が代表理事をつとめる「つくろい東京ファンド」では、14年から個室シェルターを開設し、住まいを失った人々への緊急支援をしている。住まいも所持金も失い、携帯も止まっている人も少なくない。そんな人たちが、生活を再建する手助けを続けてきたのだ。

 本書には、「つくろい東京ファンド」がコロナ禍の昨年4月から今年3月までの間、直接サポートした人(個室シェルター提供や生活保護申請同行など)が92世帯94人にのぼることが紹介されている。

 属性は以下の通り。

94人中、男性は82人(87.2%)、女性は12人(12.8%)。

住まいのある人は7人、路上生活やネットカフェ生活など、住まいのない状態の人は87人。

年齢は17歳から71歳までと幅広く、平均年齢は43.2歳。30代以下が全体の約4割を占めている(10代5.3%、20代17.0%、30代18.1%)。

94人中、団体のスタッフが同行して生活保護を申請した人は79人(84.0%)、残り15人(16.0%)は従来からの仕事を続ける等、生活保護以外の方法で生計を立てている。

住まいがない状態の87人のうち、59人は団体で運営している個室シェルターに入居し、24人は東京都が生活困窮者向けに刈り上げているビジネスホテルに入居した。残りの4人は公的な施設等に入所した。

87人中、現在もシェルター等に入居中の人は18人。すでに退所した69人のうち、自分名義のアパートに移った人は53人、グループホームやシェアハウスに入居した人は3人、住み込みの仕事に就職した人は2人、他施設など3人、行方不明8人となっている。

相談時に住まいのあった7人については、全員、その後も従来の住まいを維持できている

 改めて驚かされるのは、平均年齢が43.2歳であること。そして30代以下が全体の約4割を占めることだ。

 例えば08〜09年にかけての年越し派遣村の場合、20代、30代はほとんどいなかった。あの時の平均年齢はわからないが、少なくとも40代では絶対になかった。平均年齢を出したら、おそらく60代くらいではなかっただろうか。

 それが今や、住まいを失うほどの困窮者における若年化が、すごいスピードで進んでいる。女性も増えている。そのことだけをとっても、この国の底が抜けたのだと突きつけられる。日本社会は今や、女性や若者を守る余力すら失ってしまったようなのだ。

 本書に書かれているのは、厳しい現実である。が、この国でどうやったら「経済的理由で死なずに済むか」のノウハウも詰め込まれている。少しずつだけど、社会を変える具体的な方法も書かれている。

 感染者が爆発的に増えてもオリンピックが続けられるこの国で、あらためて「公助」を問う一冊。

 ちなみに最後のページに愛猫・サヴァと梅の写真が仕込まれているかと思ったら、「いつも私を支えてくれる」存在として名前が紹介されているだけで、写真はなかったのだった。ちょっと期待してたのに。


 江部乙の最高気温34.5℃。少し早めに切り上げて帰って来たが、こちらのほうが暑かった。36.1℃だという。狂ってるぜ!来年は40℃超えの「熱波」が襲うのだろうか?明日は昼から☂マーク。確実にお願いしたい。


もうすぐ「絶滅する」というファッション誌 休刊ラッシュで失われる大切な「役割」とは

2021年07月05日 | 本と雑誌

何度も「投稿ボタン」を押してもアップできません。

少しづつ、ちぎってアップしてみます。

米澤泉 | 甲南女子大学教授

 YAHOO!ニュース(個人)6/29(火) 

今後はファッション誌を読むという習慣もなくなっていくのか。

休刊ラッシュが続くファッション誌

 集英社の女子中高生向けファッション誌『セブンティーン』が2021年10月号をもって月刊誌を終了することを発表した。1968年創刊の『セブンティーン』は半世紀以上にわたって女子中高生に支持されてきた老舗雑誌である。

 当初は『マーガレット』の妹誌としてスタートしただけに、マンガも掲載される総合週刊誌であった。しかし、88年にリニューアルし、ファッション誌『セブンティーン』に生まれ変わってからは専属モデルとなり、表紙を飾ることが人気女優への近道となっていった。過去の専属モデルには吉川ひなの、長谷川京子、木村カエラ、北川景子、水原希子、桐谷美玲などの名が並ぶ。

 かつての『オリーブ』のようにリセエンヌでもなく、『キューティ』のように個性的でもない。『non・no』の女子中高生版、「普通の女の子」をターゲットにしてきたからこそ、今まで続いてきたとも言える。しかし、その『セブンティーン』も今後は年に3~4回発行するにとどめ、デジタルに移行するという。

 また、同時に集英社は働くアラフォー世代向けのファッション誌『Marisol』も今秋以降、月刊誌を終了すると発表した。休刊になった『メイプル』の後継誌として2007年に創刊されて以来、川原亜矢子、SHIHOなどをカバーモデルに起用し、近年はエビちゃんこと蛯原友里も表紙を飾っていた。

 人気モデルを抱えていても、休刊せざるをえないファッション誌。コロナ禍の影響もあり、昨年からはファッション誌の休刊ラッシュが続いている。『JJ』『ミセス』『アンドガール』『グリッター』『Domani』『セブンティーン』『Marisol』・・・老舗雑誌も、一時代を築いた雑誌も、若者雑誌もマダム雑誌もどんどん消えていく。

 直接的なきっかけはコロナ禍だろうが、2010年代に入ってからファッション誌の売上げは低下していった。比較的好調だと言われる雑誌でも10万部に届かない。最盛期は100万部近くの発行部数を誇っていた雑誌ですら近年はこの有様だ。このまま紙の雑誌はデジタルに取って代わられるのか。もう私たちは紙の雑誌を必要としていないのだろうか。

紙のファッション誌が果たしてきた役割

 美しいグラビア写真で伝えられる最新の流行。現在の私たちが思い浮かべるファッション誌の原型を築いたのは1970年に創刊された『an・an』である。現在の『an・an』はジャニーズ、占い、健康などエンタメやライフスタイルを扱う週刊誌というイメージが強いが創刊時の『an・an』は『ELLE JAPON』でもあり、最新のモードを届けるファッション誌だった。翌年に創刊された『non-no』、75年に創刊された『JJ』とともに長年にわたって日本のファッションをつくってきた。

 洋裁からプレタポルテへ。70年代はおしゃれな既製服が次々と登場し、デザイナーやブランドが重視され始めた時代である。女性たちはどこに行けば、どんなブランドの服が、いくらで買えるのか、という情報を求めていた。もちろん、どうすればおしゃれに見えるのか、という服の着こなしを教えるのがファッション誌の重要な役割だった。モ○ルは憧れの存在となり、服の着こなしを指南してくれるスタイリストもスター化された。

 こうしてファッション誌は女性たちの欲望に火をつけていった。『CanCam』『ViVi』『Ray』『with』『MORE』「○○」『CLASSY.』・・・80年代には各出版社から続々とライバル誌や姉妹誌が創刊された。86年に男女雇用機会均等法が施行され、働く女性が増加した90年代になると、『Oggi』などキャリア女性ためのファッション誌も充実していく一方で、専業主婦に向けた『VERY』も創刊される。80年代には各出版社から続々とライバル誌や姉妹誌が創刊された。86年に男女雇用機会均等法が施行され、働く女性が増加した90年代になると、『Oggi』などキャリア女性ためのファッション誌も充実していく一方で、専業主婦に向けた『VERY』も創刊される。

 キャリアかマダム(専業主婦)か、オフィスで働くための服か、ママ友とランチに行くための服か。あなたはどちらの服を選ぶのか、どちらの生き方を選択するのか。ファッション誌の役割は単に欲望を喚起するだけではない。欲望喚起装置であると同時に服を通して生き方を導く、生き方の教科書にもなっていった。

 出版社も意識的にファッションと生き方を結びつけた。女の幸せは結婚と位置づけ、コンサバティブ(保守的)なファッションを提案し続けたのが光文社だ。『JJ』『CLASSY.』『VERY』『STORY』『HERS』と20代から50代までの「女の花道」を示していった。

 一方、キャリア女性のライフコースを描いてみせたのが、小学館だ。『CanCam』『AneCan』(2016年休刊)こそ、キャリア志向ではないものの、『Oggi』『Domani』『Precious』とこちらは20代から40代までの働く女性向けファッション誌を用意した。

 集英社は『セブンティーン』『non・no』『MORE』『BAILA』『LEE』『Marisol』『eclat』と10代から50代までの幅広い年代をカバーするだけでなく、キャリア向けの『BAILA』や『Marisol』、主婦向けの『LEE』というように、どちらの生き方にも対応するラインナップを取り揃えて対応した。

 2000年代になると『Sweet』『InRed』などキャリアでもマダムでもない、「大人女子」を掲げた宝島社のファッション誌が台頭するようになり、あらゆる生き方に対応するファッション誌が出揃うことになった。

デジタル化で失われる生き方の教科書

 だが、休刊が相次ぐことでせっかく出版社が築きあげてきたライフコースが途切れてしまう。かつては、大学入学とともに『JJ』の読者になってくれれば、あとは『CLASSY.』『VERY』『STORY』とそのまま読者はついてきてくれた。読者の側から言えば、いくつになっても次のステージが用意されていた。ある意味、安心して年をとることができたのである。

 しかし、もはや光文社の看板雑誌だった『JJ』はない。集英社の『non・no』はめでたく50歳を迎えたが、『セブンティーン』も『Marisol』もなくなってしまう。小学館の『Oggi』はあっても『Domani』はない。私たちに今日(オッジ)はあっても明日(ドマーニ)はないのだ。スマホでファッション情報を得ることが当たり前になり、もちろん若い世代は雑誌を読む習慣などないのだから、仕方のないことではあるが。

 紙の月刊誌を終了してもデジタル版は継続する、そちらに力を注ぐと各出版社は言う。確かに、モノのカタログ、情報誌としてのファッション誌の役割はデジタル版でも継続されるだろう。むしろ、デジタルの方が欲しいものがすぐに買えて、手軽な欲望をいっそう喚起するかもしれない。

 しかし、生き方の教科書としてのファッション誌の役割はどうなってしまうのだろうか。読者に寄り添い、年齢を重ねても新たなステージで常に水先案内人として読者を導いてきたファッション誌の役割は。30歳、40歳、50歳、節目の年齢を迎える度に立ち止まり、結婚、出産、育児と仕事の両立とさまざまな問題に思い悩む女性たちの背中をファッション誌は押してきた。「大丈夫、あなたの生き方は間違っていない。これからも頑張って」と。

 人生に必要なことはすべてファッション誌で学んだアラフィフ世代の私としては、生き方の教科書がなくなってしまうことに一抹の不安を感じるが、もはや杞憂なのだろうか。人生に必要なことはすべてスマホの中にあるのだろうか。あるいは、生き方の教科書などいらないほど、私たちの人生は自由になったのだろうか。

 

米澤泉  甲南女子大学教授

1970年京都生まれ、京都在住。同志社大学文学部卒業。大阪大学大学院言語文化研究科博士後期課程単位取得満期退学。甲南女子大学人間科学部文化社会学科教授。専門は女子学(ファッション文化論、化粧文化論など)。扱うテーマは、コスメ、ブランド、雑誌からライフスタイル全般まで幅広い。著書は『おしゃれ嫌いー私たちがユニクロを選ぶ本当の理由』『「くらし」の時代』『「女子」の誕生』『コスメの時代』『私に萌える女たち』『筋肉女子』など多数。


  かって、書店に勤めたことがあり、「雑誌」を担当したこともあるので懐かしく読んだ。私が担当していた頃は「創刊ラッシュ」の時代であった。「anan」「MORE」などの宣伝誌〈表紙だけが印刷されたもの)がまだどこかにあるはずだ。

 待望の雨だったが、肩透かしだった。今日の総雨量は2mmほどだ。無いよりはマシカ!これから夜と明日も雨マークになっているが期待しないほうがいいかも?

紫陽花がようやく開き始めた。

ジャコウアオイ

ポチポチ花が咲いてきたジャガイモ。雨不足のためか生育が良くない。

さてさて、困った。何度「投稿ボタン」を押してもアップできない。不適切な「言葉」があるらしいが、それが何なのかわからん。

ようやくわかりました。雑誌名でした。「○○」としたところです。


「ホームレス農園」 野菜と人を育てる農業で命をつなぐ

2020年10月27日 | 本と雑誌

 今朝、ラジオ体操の後の「三宅民夫のマイアサ」で「ホームレス農園」の小島希世子社長へのインタビューがあった。わたしがやりたかったことで興味を持ったので調べてみました。


えと菜園・小島希世子社長インタビュー

顧客リピート率9割の「ホームレス農園」 野菜と人を育てる農業で命をつなぐ

https://wotopi.jp/archives/33829

今一生 2016/01/27

神奈川県藤沢市に、「ホームレス農園」と呼ばれているユニークな農園がある。

株式会社えと菜園の女性社長・小島希世子(おじま・きよこ)さんが、「ホームレスを農家に」を合言葉に貧困問題と農業の人出不足を同時解決しようとしている場所だ。

小島さんは、熊本県生まれ。牛と暮らしている近所の農家を見て育ったが、実家は農家ではなかった。農家に憧れていた彼女は、産直の会社で働いた後、熊本県で無肥料・農薬不使用栽培・オーガニック栽培に取り組む農家と契約。2006年に熊本産の農産品を売るオンラインショップ(現・えと菜園)を運営し始め、その利益を元手に2009年に法人化した。

えと菜園より

オンラインショップでは、オーガニック小麦を使用し、防腐剤・牛乳・卵・バターは使わないで作ったベーグル、オーガニック雑穀、化学添加物が無添加のハム・ベーコンなど安全性にこだわり抜いたものが並び、「お客さんのリピート率は9割」という。

それらや自身で栽培した野菜は藤沢に設けた直売所「くまもと湘南館」でも販売し、スーパーにも卸しているが、農協には卸していない。食卓と生産現場との距離があまりに遠くなってしまった今日、自分たちがどんな場所で誰がどのように食べ物を作っているかを伝え、生産者と消費者をダイレクトにつなげたいという思いがあるからだ。

「私たちの農家直送の通販や直売所以外では、お客さんが歩いて来られる範囲のスーパーにしか、うちの商品は置いてないんです。生産者と消費者を近づけることにこだわり、絆を育てたいので。よのなかには製品にするまで捨てられる野菜があるけど、うちでは『規格外』も関係なしに無駄なくお客さんに選んでもらいます。根っこも葉っぱもついたままの姿を見てほしいので、なるべく落とさずに出荷してます。二股に育った人参でも売れますし、スーパーの方も理解してくれています」(小島さん)

消費者と生産者を近づける意味でも、消費者が生産現場の実情を知ったり、自分の手で野菜を作れる機会が必要になる。そこで、えと菜園では湘南藤沢と横浜片倉の2箇所で「体験農園コトモファーム」を運営している。

小島さん自身も野菜をそこで作っているが、毎週日曜は一般市民向けに野菜作り体験教室を開催。収穫まで技術指導をするが、「肥料や農薬を一切使わず、土と水と空気と太陽だけ」で作物を育てているという。

横浜の小さな市民農園を借りて始めた家庭菜園塾を始めた2008年当初、小島さんは平日に畑の世話をしてくれる人員の不足に悩んでいた。そこで、ホームレス支援団体に声をかけると、働く意欲が高く体力もある人材が路上にたくさん埋もれていることを知らされた。

小島さん自身が書いた本『ホームレス農園 命をつなぐ「農」を作る! 若き女性起業家の挑戦』(河出書房新社)に、こう書かれている。

「ホームレスにはもともと工事現場などで働いていた経験を持つ人が多く、肉体労働向きの体をしている人が多い。体の使い方が上手で、農作業も難なくこなす。また、畑の草や小径木を刈る刈払機など機械の使い方にも詳しくて、即戦力になる」(小島さん)

こうしてホームレスと一緒に農作業を経験した小島さんは、人出不足の農業に働きたくても職がない人をつなげられるという思いを強くした。そして、2013年にNPO法人 農スクールを創設し、生活保護の受給者や障がい者、ニートなどに就労・就農の機会を作り出す試みを始めた。

「農業したい方でも、『パートから』という人もいるので、それぞれの意向に合った農家につないでいます。農家にはムラ社会的なところが残っていて、人材派遣会社からの紹介には抵抗を感じている方も多いのですが、私の紹介なら受け入れてくれます」(小島さん)

農スクールでは、3ヶ月を1ターンとして約1年間の農作業に週1回携わる。1回のプログラムには6~12名ほど参加するが、これまでに60名ほどが参加した。そのうち20名が就職し、農業にも5名が働けるようになった。就労支援としては短期間でかなり良い成果を出しているが、農作業にある固有の魅力がその一因のようだ。

「畑って開放感もあるし、居心地いいんです。半年も一緒にいれば、お互いに性格がわかってきます。最初は農作業が終わるとすぐに帰っていたのが、だんだん話すようになる。最後はみんなで育てた野菜を使ってバーベキューをやるんですが、みんな楽しそう。笑うようになるし、全然しゃべらなかった子が穴掘りを『すごいね』とほめたら自ら質問するようにもなりました。化ける人は化けるんです。20~30代の離職者も来るんですが、ホームレスと話してるうちに『自分だけが世界で一番苦しい人と思ってた。でも、自分より苦しい状況の人が頑張っていることを知って、俺もまだ頑張れる』と思えたとか。

高学歴の子も畑に来るんですが、ホームレスがこう言ったんです。『東大生が俺に野菜作りについて聞いてくるんですよ。東大生も分からないことは分からないんだって思った』って(笑)。農業に職歴や学歴は関係ありませんからね。それと、何人かに言われたのは、『小島さんを見てると適当でいいんだなと安心する』って。確かに私は段取りが悪かったり、天気が良いからと予定を平気で変更しますから(笑)」(小島さん)

自分が世話しないと美味しくなれない野菜が、目の前にある。働く意味がそこにある。農業がもつこのシンプルな魅力に気づくことは、きっと誰にでもできることなのだ。

*     ⋆     *

ホームレス農園―命をつなぐ「農」を作る! 若き女性起業家の挑戦

https://kuramaetrack.com/2015/11/17/post-9345/

2015.11.17

「格差」や「貧困」など労働や生活における悪い話題が絶えない。しかしその話題に風穴を開けるがごとく「ホームレスをファーマーに!」のもとで貧困問題を農業でもって解決していこうとする方が存在している。本書はそれを行っている団体がどのような形で設立し、活動していったのか、そのことについて取り上げている。

第1章「藤沢市にはホームレスが輝く農園がある」

どのような団体なのかというと「農スクール」という所にあり、本部は神奈川県藤沢市の田園地帯にある。著者も団体の長の仕事をしながら毎日農作業に勤しんでいる。またそこにはホームレスの方はもちろんのこと、ニートなど現代社会にて働くことが難しい、あるいはできない方々に対して農業を通じて職業支援を行っている。またなぜそういう方々に対して就農を支援しているのか、その理由についても統計とともに取り上げている。

第2章「私が「農」を始めたワケ」

元々著者も農村の出身だったのだが、著者は農家ではなかった。両親共々教師だったという。そのこともあって農家への思いが募ってきたが、他にもある映像がきっかけで思いが強くなった。しかし本当に農業に携わるまで紆余曲折があった。

第3章「農業界とホームレスをつなげる」

また、ホームレスに対する接し方にもショックを受けたことにより、「農業」と「ホームレス」をどのように結びつけるのかを考え続けた。そうして小さな市民農園を借りて塾をスタートした。その中でホームレスを雇うことにしたのだが、周囲の反対意見も相次いだ。しかしその反対意見を押しのけつつ、ホームレスを支援するボランティア団体と掛け合ってホームレスを雇うことができた。またその中で、あまりにも厳し過ぎるホームレスの現状を知ることとなった。

第4章「生活保護のほうが“マシ”?農業研修に新たな壁」

しかも厳しい現実を突きつけられたのはホームレスだけではない。現場でも生活保護受給者を雇うことになったのだが、本章のタイトルにある「壁」に遭遇することとなったという。またニートの現状にしても「働きたくない」というよりも「働き方が分からない」というほど、内面的な事情があったという。

第5章「就農第1号誕生!そして見えてきた次の課題」

元ホームレスが農業研修を通じて、ついに農家への道を歩むこととなった。その中でもう一つの課題があった。そもそも今ある日本の「農家」としての現状がある。もっと言うと新しく農家になる人と従来の農家との大きな「溝」が浮き彫りとなったことにある。本章の所を見るに当たり、農業衰退の本質が映し出しているような気がしてならなかった。

第6章「「ホームレス農園」は今、さらなるステージへ」

ホームレス(・ニート・生活保護受給者)から農業研修へ、そして農家へのプロセスは現在著者が運営している「農スクール」で行われている。もちろん農家を育成するだけではなく、新たな農家を育てるための講師として活動する、農スクールの中で収穫した農作物を販売するなどの仕組みを本章にて紹介している。

農業にしても労働にしても、日本には様々な問題を抱えている。それを打開すべく著者は「農スクール」を設立し、農業・労働双方の観点から支援を行い、新しい農家を育成している。日本が抱えている問題をこれで解決するかどうかと聞かれると一筋縄ではないか無いのだが、解決する一つの「解」が本書にて出ていると言える。


わたしなら「こもりびと農園」かな?
「ボッチ老人」や「家出少年少女」の緊急避難所、ウツの社会復帰などいろんなことができる「居場所」を作りたかった。
でも、もう体力無いなぁ・・・
こもりびと出身の若い力を貸してくれる人がいたらなぁ・・・

以前紹介したキノコ、どうやらヤナギタケのようです。

というわけで今晩のおかずに食べました。


「戦争は女の顔を~」漫画でヒット 「ゲン」「火垂る」に続く定番に

2020年06月11日 | 本と雑誌

   「東京新聞」2020年6月11日 


 ノーベル文学賞作家による硬派な戦争ノンフィクション作品が漫画化され、十万部を超える異例の大ヒットとなっている。『戦争は女の顔をしていない』(KADOKAWA)。ベラルーシ出身のスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチさん=写真=による同名の原作は、旧ソ連の元女性兵士から聞き取った記録だ。出版関係者も驚く爆発的な売れ行きで、新たな「戦争物」のジャンルが生まれつつあるようだ。 (出田阿生) 
 
 「原作を難しく感じる人に、入り口をつくれたらと思った。戦争漫画やアニメの定番は『はだしのゲン』や『火垂るの墓』。その次を出したかった」。フリー漫画編集者の荻野謙太郎さんはこう語る。昨春、ウェブの漫画サイト「コミックウォーカー」で配信を開始。今年一月に第一巻が出版されるとたちまち店頭から本が消えた。 
 着想を得たのは二〇一六年公開のアニメ「この世界の片隅に」(こうの史代原作・片渕須直監督)のヒット。戦時下の広島で暮らす女性が主人公で、戦記物とは違う「日常の延長線上」の戦争を描く。 
 アレクシエーヴィチさんも「女のものがたり」を通じて戦争の実相を浮かび上がらせる。第二次世界大戦で、ソ連では百万人超の女性が従軍。だが戦後は「人殺し」などと白眼視され、口を閉ざしてきた。一九八四年に発表された原作には飛行士や狙撃兵など五百人以上の言葉が並ぶ。冒頭には「これまで戦争について知っていることはすべて『男の言葉』で語られ」「女たちの戦争は知られないまま」だとある。 

    いずれも「戦争は女の顔をしていない」(KADOKAWA)第1巻より (C)keito koume2019 Based on WAR’S UNWOMANLY FACE by Svetlana Alexievich (C)2013 by Svetlana Alexievich


 エピソードは荻野さんと作画担当の漫画家小梅けいとさんの二人で厳選。ソ連やロシアの軍隊や習俗に詳しい漫画家速水螺旋人(らせんじん)さんが監修を担当し、わずかな文字から情景を描きおこすための助言をした。こんな場面も漫画で再現される。 
 「私たちが通った後には 赤いしみが砂に残った」 
 毎日三十キロの行軍。負傷兵の脱脂綿も欠乏する中、生理用品の支給はない。乾いた血は刃物のように皮膚を切り裂く。川岸に着くと敵機の爆撃が始まり、男たちは必死で物陰に隠れるが、女性兵士はわれ先に体を洗おうと川に飛び込む。「数人の女の子たちはそのまま水の中で死んでしまった」 
 さらに別の女性は、射撃手をしながら最も恐ろしかったのは「死」ではなく、「男物のパンツ」をはかされたことだと語る。小梅さんは「普通の人々から、人間の尊厳をいったん剥奪して『兵士』にするのだと感じた」という。 
 短い証言はわずか二行ほど。速水さんは「言葉の断片から、生身のリアルが伝わってくる」と語る。たとえば元狙撃兵の、「あまりに子どもで、戦争中に十センチも背が伸びたほどよ」という言葉もそうだ。 
 同書には「反戦を訴えた本だ」という感想もあれば、「戦争賛美だ」という声も寄せられているという。荻野さんは「この作品はどちらでもない。新しい視点で、戦争の実像に近づいてもらえたらと思います」と語る。今もウェブサイトで連載を続けており、第二巻の刊行も予定している。 


 


新型コロナでも“はずれくじ”。ロスジェネが“人生を取り戻す”ためにできることとは?

2020年04月20日 | 本と雑誌

 

非正規雇用に“ネット難民”...。パンデミックのもとで苦境に追いやられているのは、またもロスジェネ世代だ。

 ハフポスト 2020年04月20日  Suzumi Sakakibara 
 

人生は、やり直せるものなのだろうか? 年齢は巻き戻せるわけでもないのにーー。
氷河期世代、ロスジェネを思う時、いつもこの言葉が浮かんでくる。
 
新型コロナウイルスの影響で、社員は認められるテレワークが非正規雇用の人は認められなかったり、ネットカフェの営業自粛要請でいわゆる“ネット難民”が行き場を失ったり……。
 
そんな暗いニュースが世間を賑わせているが、非正規雇用の人たちもネット難民も、少なくない数が“ロスジェネ世代”だと言われている。
どうしてこれほどまでにロスジェネ世代は、苦境に追いやられるのかーー。
 
「失われた世代」「就職氷河期世代」「貧乏くじ世代」「非正規第一世代」「自己責任呪縛世代」……、などさまざまな呼ばれ方をしているロスジェネ。
彼らをめぐり4人の専門家と語り合った『ロスジェネのすべて 格差、貧困、「戦争論」』を上梓した作家で、活動家の雨宮処凛さんに話を聞いた。
 
ロスジェネの約400万人が現在でも非正規、フリーター、無職
――雨宮さんは「氷河期世代」ではなく、「ロスジェネ世代」という言葉を使いますよね?そこには、どんな意味を込めているんですか?

 就職氷河期を入り口にして、正規雇用や安定した収入、結婚・出産、子育ての機会を奪われた、失った=ロストですよね。氷河期をきっかけに、人生のさまざまなものが奪われたという意味を込めて、私は氷河期よりも、ロスジェネを使うことが多いです。
 
――長らくロスジェネというテーマを追いかけている理由は?

 私は1975年生まれ。ロストジェネレーションの中でも上の方の世代です。本にも書きましたが、美大受験を諦めて、世の中に出た時には頑張っても報われないどころか、就職すらできない世の中になっていました。その結果、19歳から25歳までフリーターをしていた経験があります。バイトは何度もクビになり、「自分はいらない人間なのだ」と手首を切り、薬を大量に飲むなんてしたことも……。
 私は団塊ジュニアでもあります。中高生のころから、第3次ベビーブームの担い手として「少子高齢化が進んでいるけれど、あなたたちはボリュームゾーン(人口が多い)だから、この層が出産すれば、日本の少子高齢化は解決する」というような期待をされているのを感じていました。
 でも、バブルが崩壊し、経済的な停滞がはじまって20年以上経ち、私自身45歳になって、自分の周りの同世代を見てみると、高校、大学を卒業してから、ずっと経済的に不安定、ひいては人生そのものが不安定な人たちがすごく多い。1700万人のロスジェネのうち約400万人が現在でも非正規、フリーター、無職なのですが、そんな状況ではなかなか、安心して結婚も出産もできません。
 30代、40代になっても正規の雇用につけず、結婚・出産をしていない人がこれだけ多い世代というのは戦後日本ではこれまで存在しなかった。
だから2019年になって政府は、「人生再設計第一世代」と私たちを名付け、「大変だから、支援しなくちゃいけないね」となった。でも正直、40代になってからそんなことを言われても、もう手遅れだし、「え?今更ですか?」と強く思いましたよね。
 支援のひとつとして兵庫県の宝塚市で、氷河期世代限定で人事採用が行われたわけですが、3人の採用枠に1800人も応募が殺到しました。結局4人が採用されましたが、月収20万円代の仕事に北海道から沖縄まで、1800人が応募をするくらい、ロスジェネの人たちにとっては、この機会がラストチャンスに思えたというわけです。
 
――やはりそこは「正規雇用である」ということがポイントなわけですよね?

 そうですね。それほど高収入でなくても、クビにならない、毎月安定したお給料がもらえる……。それを求めて応募者が殺到するなんて、どれだけ大変な思いをしてきた人が多いのか。でもそれがリアル。
 しかも、同じロスジェネ世代の中でも、1700万人のロスジェネのうち約400万人が非正規やフリーターということは、正規雇用の人たちの方が多いわけです。マンションを買い、子供が2人くらいいて、共稼ぎで世帯年収も高い「勝ち組ロスジェネ」の人たちから見れば、同世代で今も非正規という人たちは、すごく甘えているように見えてしまうんですよね。だから時に同世代からも非難されたりする。
けれど、そうではなくて「構造の問題」と知ってほしい。非正規雇用の人が悪いんじゃないって。
 そして親世代は親世代で、「隣の○○さんや同級生の△△ちゃんはきちんと正社員で働いているじゃないか。結婚もして、二世帯住宅も建てている」と言ったりするんですよ。まわりと比較されるキツさもあるんです、ロスジェネには。
 そんないろいろな事情があって、私はずっと、このロスジェネ問題にこだわってきました。
 
「夢」という言葉で社会に搾取されていた
 
――私自身もロスジェネなので、政府がいろいろと言っているけれど、「じゃあ、本当にやり直せるの?私たち?」という話を友人たちとよくするんですよ。
 で、その結果、どういう結論になるんですか?
 
――「いや、やり直せないよね。どこで折り合いをつけていくか」という話になりますね。ある人は、これまでずっと非正規で、あまりにお金がなくて国民年金を払えていない時期がある。だから同年代の正規雇用で働いていた人と同じくらい年金をもらえるというのなら、やり直せないけれど、なんとなく折り合いがついたって感じるかもしれないと言っていました。

 その年金の話、いいですね。ロスジェネ補償金みたいなもの、欲しいですものね。あなたたちは、ひどい目に遭いましたね、って。人生において20代、30代はライフイベントもたくさんあり、大体の人はその時期に就職したり仕事を覚えたり結婚したり出産したりローンを組んで家を買ったりする。でも、それをすべてできなかった40代が今、多くいる。
 
――自分が女性だからでしょうか、本のなかで関西学院大学社会学部准教授の貴戸理恵さんとの妊娠、出産のお話、とても興味深かったです。

 政府の中でも雇用の話は出てくるけれど、出産の話はなかなか出てきませんからね。
ロスジェネ女性の出産については10年くらい前から、実はよく聞いていたんです。自分たちの出産のタイムリミットについてですね。でも、とてもデリケートな問題だから、本や記事に出すのが難しい部分もあって。不用意に話を出すと傷つく人がいるというので、触れてこなかったんですけれど。
 今回、貴戸さんの知人の話で出てきていますが、ロスジェネ女性で20代の頃、中絶という選択を選んだ人も多くいるわけです。私の周りでも、妊娠したけれどフリーター同士のカップルで、とても子どもを育てるなんてできないと中絶をした人がいます。そういう人たちがその後、安定雇用を得て、20年たった今不妊治療をしているという話も出ましたが、なかなか授かれないこともある。
「少子化」とこれほど騒ぐなら、なぜ、ロスジェネが20代だった頃、安定雇用につけるような支援がなかったのか。なぜ、フリーター同士のカップルが妊娠したりするとバッシングするような空気があれほどあったのか、いろんなことが納得いきません。
 
一一あの時代、「やりたいことを実現するためにフリーター」「あなたらしく働くために派遣」というような働き方を推奨する、まるでそれが自由の象徴のような風潮を社会的に煽っていた部分もあると思うんです。「たしかに今は不景気で、やりたいことはできないけれど、そういう夢の実現の仕方があるんだ」と希望を持たされてしまったという印象が個人的にはあるのですが。

 すごく、ありましたね。やりたいことを実現するための選択肢が増えることはいいことだと思うんですけど、「やりたいことは別にあるんだ」と思うことで、今の自分のフリーター生活を肯定するような部分はあったと思いますね。社会もそれを利用していたわけでしょう? 「いまは仮の姿だから、権利主張はしないでね」とうまく使われてしまったなという気はします。「夢」という言葉で搾取されていたというか。
 今思うと、どこかに正規雇用されて普通に働いていたら、そんな自分探しなんてしなくていいのに、一生懸命に自分探しをして、傷ついたり、彷徨ったりした世代ですよね、ロスジェネは。
資格地獄に陥っている人もいました。とにかく非正規から抜け出すため、履歴書に書ける資格をとろうって。
私の弟もロスジェネで、就職氷河期だったのでフリーターになり、ブラック企業に入って、そこから税理士の資格を10年くらいかけてとったんですね。弟の場合、資格をとれたからよかったけれど、とれた人の後ろにはたくさんのとれなかった人たちの存在があるわけです。ロスジェネの中には、ものすごく時間と資金と労力をつかって、今でも資格を目指している人がいると思います。
 
――そこまでに費やしたお金や労力が、仮に40代をすぎて実ったとして、どれくらい戻ってくるのかと考えると……。

取り戻すのは難しいですよね。そして結局、資格を取れなかったら、自分で選んだのだから自己責任だろうと言われてしまうんですよね。ロスジェネの人は、そういうのを繰り返してきている。
 
現実問題としてロスジェネ全員を正規化するのは難しい
 
――年を重ねるごとに、ロスジェネが人生をやり直す、取り戻すのは、どんどん難しくなっていくのが現実です。これから私たちはどうなっていくんでしょう。

 35〜45歳で親と同居している未婚のロスジェネは300万人います。実家を出られないのはかなりの部分が低賃金ゆえだと思うのですが、今後、この層は「親の介護問題」に直面するでしょう。
 仮に実家を出ていたとしても、ロスジェネ非正規は介護要員として呼び戻される確率が高い。私は実家が北海道なんですが、親に何かあった場合、地元に呼び戻される確率が一番高いのは「非正規の単身女性」だと思います。
順番としては、①非正規独身女性、②非正規独身男性。私には弟が二人いますが、二人とも仕事と家庭があり、子どもも小さいので、そうなると介護要員にはカウントされない。
でも、介護で仕事をやめてはいけないというのは鉄則ですね。やめてしまったら、親の年金で食べていくしかなくなり、親が死んだらアウト、となりますから。
 今のところ、ロスジェネが使える制度は、困窮した時の生活保護くらいしかないですが、親の介護に使える制度は多くありますから、知っておくことが大切です。
 
――政府は400万人いる、ロスジェネの非正規雇用の人のうち30万人の正社員化を3年で実現すると言っていますが。

 30万人は少ないですよね。あと370万人はどうするんだって話になりますからね。
でも、現実問題として全員を正規化するのは難しいので、非正規でも自立した生活を送れて、実家を出られる、望んだら結婚、子育てできるような仕組みが必要です。そのためには最低賃金の大幅引き上げや教育費の自己負担を減らすことなどが重要ですが、なかなか実現にはほど遠い。
 そしてロスジェネに限らずですけど、家賃問題が一番大きいんです。神奈川県がロスジェネ世代も公営住宅を入居できるよう、入居条件を緩和すると発表しました。これは、すごくいい政策だと思いました。
貧困問題で最も重要なのが住宅です。家さえあれば、ホームレスにならず、失業しても仕事が見つかりやすい。また、家賃がなくなるとか、半分になれば、例えば10万円しか収入がなくても、使えるお金が増える。それだけで全然違うと思います。家賃がない、家賃が補助される制度ができればロスジェネの生活はだいぶ楽になるのではないでしょうか。
 
――若い世代はどこか諦めているような部分を感じるんですけど、私たちの世代はどうも諦められないというか、奇跡的に何か起きるんじゃないかと思ってしまっている気がするんですよね。

 ロスジェネより下の世代は、「生まれた時から右肩下がり」の日本を生きていますよね。そんな下の世代に「ロスジェネの人たちは、どうして怒っているんですか? 自分たちは日本のいい時をそもそも知らないから、怒りもわいてこない」と言われたことがあります。私はまだ、少し上のバブル世代を見ていたので、怒りがある。彼らが企業から大歓迎されて社会に出ていった光景を知っているので、自分たちの番になって突然はしごを外されたことに対する理不尽な思いがある。でも、若い世代はそういう経験もないので剥奪感もなかったりする。
 
40歳のひとは65歳まであと25年も時間がある
 
――今回この『ロスジェネのすべて 格差 貧困、「戦争論」』を読んで、ロスジェネ対策として、雇用だけではなく、新しい制度など具体的なものを作ってほしいなと改めて感じました。

 ロスジェネ自ら要求することが大事ですよね。さきほど話に出た「年金」はすごく大事な要求ですね。そういうことを具体的に、「月にいくらだったら私たちは生活できる」と訴えていくことも重要だと思います。
また、老後はシェアハウスで生き延びたいと考えるロスジェネは多いですが、家賃がいくらで、食費は、光熱費は……と具体的な額を出して、そこにこれくらいの支援がほしいと要求することもできますよね。
いま40歳のひとは65歳まであと25年も時間があるので、25年訴え続ければ、獲得できる可能性はゼロじゃない。
 
――25年も時間がある! なるほど。

 なぜ65歳かというと、今のところ、65歳になると生活保護を受けやすくなるという実態があるからです。だから、いかに65歳まで生き延びるかがひとつの目標ですね。
でも、ロスジェネが65歳になる頃には、生活保護利用者が増えることを見越して、生活保護を受けるための条件が厳しくなっているかもしれない。実際、第二次安倍政権以降、生活保護費の引き下げが続いています。私はそれに反対の声を上げているのですが、それはロスジェネ対策のためでもあるんです。自分たちが少しでも安心して老後を迎えられるような制度を、守っていくことが重要だと思うので。
 なので、ロスジェネ同士で要求をすり合わせて、1テーマでもいいから、たとえば、非正規で国民年金を払えない時期があっても「年金20万」くらいもらえるようにしてほしいと訴えるとかも有効ですね。あるいは、ロスジェネが一斉に生活保護をうけたときにかかるお金を試算して、政府に現実をつきつけて、「だからこそ、今もっと有効な支援を」と訴えるとか。
今、「勝ち組ロスジェネ」でも、コロナ禍の中、本当にこの先どうなるかわかりません。生き延びるために、ロスジェネの声を政治に突きつけていくことが大事だと思います。それは必ず、下の世代を助けることにもつながると思います。
 


『ロスジェネのすべて―格差、貧困、「戦争論」』
雨宮処凛著


 強風が吹き荒れています。隣の農家のビニールトンネルもスッ飛んでいました。小さな雨がポツポツと降ってきました。これから本格的な雨となる予報で、明日、明後日と雨、ここ1週間晴れマークがありません。

オカワカメ(雲南百薬)。2鉢を室内で越冬させ、春にその枝を挿し木したものです。
非常に簡単に増やすことができます。


室内で桜の枝を活けておいたのが咲き始めました。白くてあまり目立ちませんが。

 

 


雨宮処凛がゆく! 第510回:『ロスジェネのすべて 格差、貧困、「戦争論」』出版!!

2020年02月16日 | 本と雑誌

マガジン9 2020年2月12日 

  https://maga9.jp/200212-1/

 『ロスジェネのすべて 格差、貧困、「戦争論」』というタイトルの本を完成させた。
 私が4人のロスジェネと対談した本で、2月20日、あけび書房から出版される。
 対談した4人とは、倉橋耕平さん(1982年生まれ)、貴戸理恵さん(78年生まれ)、木下光生さん(73年生まれ)、松本哉さん(74年生まれ)。見事に全員ロスジェネだ。
 我らロスジェネの苦境については散々書いてきたのでこちらを読んでほしいが、1章の倉橋耕平さんとの対談では、「ロスジェネと『戦争論』」という問題に踏み込んだ。
 言わずと知れた小林よしのり氏の漫画『戦争論』だ。98年にこの漫画が出版された時、私は23歳。すでに右翼団体に入っていた。そんな『戦争論』はロスジェネ世代に多く読まれ、また多くの同世代にとっては「初めての政治体験」ですらあり、「バイブル」と崇める者も出た。あれから、20年以上。
 今、歴史修正主義が猛威を振るう中、20代で『戦争論』を読んだ同世代の少なくない層は、『戦争論』的歴史観を修正する機会をまったく持たないまま、40代になっている。これがこの社会に与えるインパクトってものすごく大きいのでは……。そんなことを考えていた2年ほど前に読んだのが、倉橋耕平さんの『歴史修正主義とサブカルチャー 90年代保守言説のメディア文化』だった。
 私はこれを読んで、一言で言うとブッたまげた。読みながら、何度も「え!」「うそ!」「そうだった!」と大声を出すほどに。私が90年代後半に右翼団体に入っていたのは多くの人が知るところだが、なぜ、あの時、よりにもよって右翼団体に入ったのか、その理由がこの本を読んでものすごくよくわかったのだ。この本を読むまで、自分自身、熟考の果てに入ったと思っていた。が、その背景には「仕組まれた右傾化」ともいうべき大きな時代状況と、それとがっしり手を組んだメディアの存在があったのだ。で、私はそういうものを、もう全身に、無批判に浴びまくっていた。
 ということで、対談では、「新しい歴史教科書をつくる会」や「日本会議」の誕生のみならず、歴史修正主義という言葉の登場、はたまた村山談話や河野談話が出た背景の状況を、冷戦構造の崩壊まで遡っておさらいしてもらっている。
 とにかくこれがやりたかった。頭のいい人は「なんでそんなことを今さら」と思うかもしれない。が、当時の世界情勢や東アジア情勢などをうっすらとでも理解することが、歴史修正主義にひっかからない唯一の方法だと今、切実に思うのだ。この国にはびこる、あまりにもトンチンカンな言説に対抗するにはできるだけわかりやすい言葉でそれらを語ってもらうことが必要だと考えた。それは倉橋さんの膨大な知識と、それを噛み砕いて説明してもらったことで成功していると思う。今一度、「なぜ今のような状況が作られたのか」を確認したい人にもぜひ読んでもらいたい。
 2章では、貴戸理恵さんと「ロスジェネ女性、私たちの身に起きたこと」というテーマで語っている。彼女と対談したいと思ったのは、貴戸さんが書いた以下の文章を読んだからだ。
 「いちばん働きたかったとき、働くことから遠ざけられた。いちばん結婚したかったとき、異性とつがうことに向けて一歩を踏み出すにはあまりにも傷つき疲れていた。いちばん子どもを産むことに適していたとき、妊娠したら生活が破綻すると怯えた」
 「現代思想」19年2月号に彼女が寄せた「生きづらい女性と非モテ男性をつなぐ」の一部だ。
 20代の頃、私の周りでは望まない妊娠をして中絶した、という話はいくらでもあった。貴戸さんの周りでもそんな話はあったそうだ。その同じ人が今、40代になって不妊治療をしているという現実が私たちの周りにはある。お金もかかるし身体にも大きな負担がある不妊治療。だけど、20代でフリーター同士のカップルが「妊娠したから結婚したい」なんて言ったら、親はどれだけ激怒しただろう。世間はどれほど呆れ果て、ひどい言葉を浴びせただろう。
 好きで不安定雇用なわけじゃないのに、不景気と就職氷河期はロスジェネのせいじゃないのに、私たちは怒られすぎてきた。「結婚」「妊娠」という、祝ってもらえそうな出来事でさえ、怒られて責められて再起不能なほどに傷つけられることだと思い込んでいた。「結婚したい」なんて言ったら、「バカなこと言ってるんじゃない!」と怒鳴られると思ってたし、妊娠なんかしたら立ち直れないほどひどいことを言われるんだと思い込んでいた。だからこそ、絶対に妊娠なんかしちゃいけないと、「妊娠したら人生アウト」と思っていた。とにかく自立して自分が生きる金を稼ぎ続けないと、親も世間も「穀潰し」「お前に生きる価値などない」というメッセージを送ってくる。
 そして「失われた20年」の中、なんとか仕事にしがみついて生きてきて、40代になった今、結婚も出産もしていないと言うと、時に「義務を果たしていない」というような視線を向けられ、政治家のそんな発言に傷つけられる。
 いろんなことに、納得いかない。「私たちの頃は、貧乏だって子どもを産んだ」と親世代に言われても、親世代の話を聞いていると「貧乏だったり職が不安定だったりしたのに結婚し、子どもを産むこと」について上の世代や世間から「人格否定」まではされていない気がする。だけどロスジェネは同じことを望むと「人間失格」くらいのレッテルを貼られてきたし、親や世間はそういうレッテルをさんざん貼ってきたではないか。それなのに「少子化」の責任まで負わせるなんて、あんまりじゃないのか。
 そんな遣る瀬無さについて、存分に語った。また、「ロスジェネ子なし」の私と「ロスジェネ既婚子あり」の貴戸さんそれぞれの生きづらさについても語っている。
 3章では、この連載の「『自己責任』とか言う人に、これからは『江戸時代の村人と同じだね☆』と言い返そうと思います。の巻」で書いた木下光生さんと対談した。『貧困と自己責任の近世日本史』著者であり、江戸時代の自己責任論について研究している人である。今でいう生活保護を受けた江戸時代の村人が、「羽織、雪踏」などの正装を禁じられたり、「物見遊山をするな」「大酒を飲むな」などの行動規制を課せられたり、髪結床の前にわざわざ「この家族が施しを受けてます」みたいな貼り紙を貼られたりという底意地の悪さ全開エピソードは、完全に21世紀の生活保護バッシングと重なる。人類は、200年前からちっとも成長していないようである。そんな興味深い研究をしている木下さんに、江戸時代のひどいエピソードについてたくさん聞いたのだから面白くないわけがない。
 そうして4章でラストを飾るのは、おなじみ高円寺でリサイクルショップをしている貧乏の達人「素人の乱」の松本哉さんだ。「貧乏だけど世界中に友達がいるロスジェネ」という章タイトル通り、松本さんの「世界中の貧乏人とつながってバカなことばっかりやってる日々」について存分に語ってもらった。これを読むと、確実に「真面目に働こう」「ちゃんと生きよう」という気が一瞬にして失せる。それだけではない。松本さんは、なんとかしようとあがくロスジェネに「もう手遅れ」と開き直りを呼びかける。
 「20代後半とか30代に差し掛かる頃に、将来について悩むのはいいんですけどね。30過ぎて将来を悩んでも、もう手遅れなんですよ」
 年収200万円の「貧乏の達人」に言われると説得力があるではないか。この対談を読むと、貯金ゼロでも友だちがいたりゆるいコミュニティがあったりすれば生きられるという実践の数々に、悩むことがバカバカしくなってくる。
 ということで、歴史修正主義から女の生きづらさと江戸時代を経由し、最終的には高円寺に辿り着く一冊。むっちゃ力作なので、ぜひ読んでほしい。


今日のお仕事

今日は寒さも戻ってきたので、沼の上へ。
不調だったチエンソーも、プラグを変えて順調。
今日のお散歩は、曇って風が冷たい。
それで昨日の写真をアップ。


昼を過ぎても、獣の足跡しかない道。

 

 


雨宮処凛「なぜ、弱者を叩く社会になったのか?」相模原事件から考えた、不寛容な時代

2019年10月15日 | 本と雑誌

相模原市の障害者施設で45人を殺傷した植松聖被告。社会は彼に怒りをぶつけたのか。

  ハフポス2019年10月15日 

命の選別――。

映画や小説といったフィクションの世界ではない。

この日本で、リアルにそんな言葉を聞くことになるとは思ってもいなかった。

2016年7月に相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者ら45人が殺傷された(うち19人が死亡)「相模原事件」によって、この「命の選別」という問題が色濃くなり、恐ろしくなったことをよく覚えている。

先日の台風19号の際にも、ホームレスの人たちが避難所への入所を断られ、この言葉がまた話題になっている。

2020年1月に始まる相模原事件の植松聖被告の裁判を前に、6人の専門家と対話を重ね『この国の不寛容の果てに 相模原事件と私たちの時代』を出版した雨宮処凛さんにその思いを聞いた。

インターネットなどを通じて、ばらまかれる悪意

――雨宮さんは、ハフポストで掲載しているブログで何度もこの相模原事件について言及をしています。そして、今回は書籍を出版。この事件にとてもこだわりがあるように感じられますが、これほどまでにこの事件が雨宮さんの関心を引き寄せる理由はどこにあるのでしょうか。

そう言われてみると、確かに関心が強いかもしれませんね。

本の中でも言及していますが、例えば2008年に起きた秋葉原通り魔事件の加藤智大は、誤解を恐れずに言えば“わかりやすい”と思うんです。加藤自身がネットの掲示板で犯行に至るまでの思いを書き込んでいたり、動機や本人が身を置いていた環境など「人となり」がつかみやすかった。

でも相模原事件の植松被告は、違います。一見ごく普通の若者ですし、悩みや心の叫びのようなものは聞こえてきません。「死刑になりたかった」「誰でも良かった」という自暴自棄になったうえでの事件とも異なります。だから、この事件、そして植松被告には、なんとも言えない不可解さのようなものを感じていると言えるでしょう。

また今回被害に遭われたのが障害のある方たちということで、遺族も名前や顔を出しにくいという状況のなか、社会の中で忘れ去られるスピードがとても早かったとも感じていました。世の中での忘却のされ方も植松被告の望んだ通りにというか、生産性がない人間を抹殺することができる=殺しても忘れられるという図式になってしまっている気がしてなりません。更に言えば、そういった植松被告に社会がそれほど怒っていない印象すら受けるのです。

 ――今回6人の方と対話をして、雨宮さんの抱えていた植松被告への不可解さは解消されましたか?

本の中で、植松被告と何度か面会をしている、福岡のRKB毎日放送の記者で、現在は東京報道制作部長をしていらっしゃる神戸金史さんとお話ししました。その中で、植松被告はあの事件を起こしたことで「自分は役に立つ側の人間になった」と感じていること、「障害児を育てることに苦しんでいる母親を救いたい」という思いがあったということを聞き、びっくりしました。恐ろしいことにあの事件は彼にとって、「善意」に基づいていることになる訳です。

そして、批評家で元障害者ヘルパーの杉田俊介さんと「べてるの家」の理事・向谷地生良さんが同じ出来事を指摘していたことも驚きでした。その指摘とは、相模原事件が起きたのと同じ年の3月に、マイクロソフトが開発したAI(人工知能)の実験で、インターネットにAIを接続したら勝手に学習して、ユダヤ人のホロコーストを否定したり、ヒトラーを礼賛するような発言をするようになったというニュース。

つまり、植松被告もインターネットなどを通じて世の中に散らばる悪意をフィルタリングすることなく「学習」して、彼自身がその悪意を体現してしまったというか、植松被告がAIやBOTのようなものと近いのではないかとも考えられる指摘です。この視点はこの本を作るまで私の中になかったものなので、とても衝撃でした。

無意識で「選別が始まっているんだな」と感じる

――私はこの本の中で、この相模原事件は入り口でしかないというような指摘があったことに、とても恐怖を感じました。

相模原事件から2ヶ月後、アナウンサーの長谷川豊氏が「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ! 無理だと泣くならそのまま殺せ!」とブログに書いて起きた大炎上や杉田水脈議員の「生産性発言」などもそうですが、植松被告と同じように、本気で「日本には財源ないから、障害者や高齢者のような役に立たない人の面倒見るなんて無理だよね」という話を善意からしてしまう人が出てくるようになってきていると感じます。「日本はもうある程度パイが限られているから、命の選別をしなくてはいけない」という空気感も相模原事件を機に強まっているのではないでしょうか。

貧困問題にずっと取り組んできた私は、ずっと「人の命を財源の中で語るな」ということを訴えてきました。ですが、2012年の第二次安倍内閣以降、この言葉がどんどん通用しなくなり、鼻で笑われるようになっている感覚がありますね。

――本来であれば財源の有無など国の政策によって生じている問題に関しては、国や政治家に怒りや批判が向くべきものだと思いますが、それが障害者、高齢者、生活保護を受けている人に向かうのが不思議でなりません。しかも、そういった「弱者」とされる人が、他の誰かから見ると「恵まれている」人とされ、敵とみなされる空気感も感じます。

障害者も病気の人も、あるいは生活保護を受けている人なども、好き好んでそうなっているのではないのに、その人自身が悪いかのように言われることってありますよね。

2000年代になって、「公務員バッシング」が起きたのを覚えていますか。公務員は安定した職業で、いい給料をもらっている特権階級だと非難されるようになったわけですが、日本全体の景気が良くて給料の良かったバブルの頃は、誰も公務員が特権階級だなんて思いもしなかったはずです。

格差が広がり、貧困が進んでいくと、こんなことが起きるんだなと公務員バッシングを見て感じていたところ、その後、2010年ごろから「自分はフルタイムで働いているのに、給料は生活保護以下」と生活保護バッシングが起き始めます。低賃金に怒るのではなく、生活保護を利用している人を非難する。鬱で休職した職場の同僚をディスったり、その人が遊んでいないかFacebookを監視したりしているような動きが出てきたのもこの頃だと思います。

それがますます進んで、障害者が「特権」になりつつある。今の世の中、生きづらさを抱えている人やうつなどの精神疾患を患っている人も多いけれど、病名がつかないと、どれほど辛くても、社会福祉などの支援は何も受けられません。でも障害者は障害年金もあるし、様々なフォローがあるから特権だという声すら、最近では聞こえてくる。末期の末期としか言いようがありません。

――そういった空気感の中で、植松被告のような人、相模原事件のような事件は増えていくとお感じになりますか。

相模原事件のようなことが起きて「命の選別」を匂わせるような空気が出てくると、無意識でみんなが「選別が始まっているんだな」と感じるようになるでしょう。そうすると自分は生産性があることを殊更に強調しようとして、そのために人を叩いたり蹴落としたりする人や、勝手に人の価値を決める「選別ポリス」も出てくるでしょうね。そして、生きられる資格がある人の枠がどんどん狭まっていく。植松被告は、その第1発目のヨーイドンをしたわけですよね。だから、相模原事件に似た事件は増えていく可能性はあると思います。

一方で、地味なことですが最近ものすごく怖いと思うのは、駅のホームなどで女性だけを狙ってわざとぶつかってくる男性や、赤ちゃんの抱っこひもの背中についているバックルをはずす人などが話題になっていることです。抱っこ紐を外されて赤ちゃんが落ちたら、命を落とすでしょう。わざとぶつかる男も、状況によってはぶつかられた人は死に直結します。そういう殺意が日常にあって、その殺意の存在をみんなが知っている。そんな異常な社会で生きているということによほど自覚的にならないと、自分もいつ加害側になるかわからないと思います。

来年の1月から始まる裁判で注目していること

――来年の1月から植松被告の裁判が始まります。どんなことに注目していますか?

先ほどもお話しした通り、植松被告は思想も背景も見えない。もしかしたら何かに影響を受けているのかもしれないけれど、それが何かもわからないし、人間性が見えません。裁判を通じて、不可解な彼という「人間」が見えてくるのか気になるところですね。

そして、もう一つ植松被告が裁判で何を語り、それをどこまでマスコミが報道するかも大きな問題だと私は考えています。相模原事件の直後、耳を塞ぎたくなるような植松被告の言葉、例えば「生きる価値がない」というようなものがたくさんマスコミで流れました。それを耳にした当事者はどれほど辛かったことか……。植松被告が法廷で話す言葉は、人をボコボコに殴りつける暴力のような言葉になる可能性があります。マスコミの方にはそういったことも考えて報道して欲しいと思っています。

――『この国の不寛容の果てに 相模原事件と私たちの時代』を読んでいて、私は「相模原事件」を扱った本というだけではない、もう少し大きなテーマのようなものを感じたのですが。

確かにおっしゃる通りです。

最近だと国連気候行動サミットでスピーチをしたグレタ・トゥーンベリさんをネット上で批判する人を多く見かけました。なぜ、彼女を口汚く罵る人が多くいるのか。なぜ、精神的に追い詰められて休職するひとを笑い者にしたり、休職している人のFacebookを監視したりする人が現れたのか。女性にわざとぶつかる男、抱っこ紐のバックルを外す人はどうして出てきたのか。そういったことを考えていくうえで、私たち一人ひとりが、この10年、20年くらいで自分がどれだけ殺伐として冷酷になったのかを考える必要があると思うんです。その背景には「環境ハラスメント」というか、社会から受けた抑圧のようなもの、例えば常に競争を煽られ、それに負けたら死ぬというような恐怖もそのひとつだと思いますが、そういうものの蓄積があるのではないかということを考え直してもらいたいのです。

世界や日本で起きている出来事に対する自分の感じ方、考え方、そして苛立った時にしている行動が、日本の社会によって作られているんじゃないかということを、この本を読んでもう一度見つめ直していただけたらと思っています。

 

 


 数日前から左足に強いしびれが出て、とても痛い。連休も終わったので、ようやく「整体」へ行ってきた。あと何回か通うことになるだろう。


雨宮処凛がゆく!第494回:命の選別は「仕方ない」のか? 〜『この国の不寛容の果てに 相模原事件と私たちの時代』。の巻

2019年09月05日 | 本と雑誌

  201994日 マガジン9https://maga9.jp/190904/

   “今、この国を表す言葉をひとつ挙げてみよ”。

 そう問われたら、あなたはどんな言葉を挙げるだろうか。

 私が迷わず挙げるのは、「不寛容」という言葉だ。ゼロトレランスとも呼ばれるその言葉は、今のこの国の窮屈さ、息苦しさ、生きづらさなどなどを象徴しているように思う。

 そんな「不寛容」さは、あらゆるところで幅を利かせている。

 収まる気配のない生活保護バッシングや貧困バッシング。在日外国人へのヘイトや嫌韓、嫌中という言葉。ワイドショーで堂々と韓国ヘイトや女性差別を繰り広げる高齢男性。「たらたら飲んで食べて、何もしない人の金(医療費)をなんで私が払うんだ」という麻生大臣の発言や、過労死も過労自殺も病気になるのも「自己責任」という空気。「生産性」ばかりを求め、どれほど金銭的利益を生み出したかで人間の価値が測られるような社会のあり方。自分と異なる意見を持つ人への強烈な批判。選挙中、野次を飛ばしただけの人を排除した警察。有名人のスキャンダルや不倫などに対するバッシングの嵐。安田純平さんが帰国した際にメディアをまたもや賑わした「自己責任」という言葉。そして「少子高齢化」社会で財源不足という言葉のもと、「命の選別」が正当化されてしまうような空気。

 2007年、世界各国で、貧困問題への意識調査が行われた(The Pew Global Attitudes Project)。そこで「自力で生きていけないようなとても貧しい人たちの面倒をみるのは、国や政府の責任である。この考えについてどう思うか?」という質問に対して、「そう思わない」と答えた人が突出して多いのが日本だった。実に38%の人が「助けるべきとは思わない」と回答したのだ。

 他国を見ていくと、ドイツでは「そう思わない」と答えたのはわずか7%、イギリスでは8%、中国では9%、そして「自己責任社会」と言われがちなアメリカでさえ28%だったという。

 この調査がなされたのは12年前。今、同じ調査をしたら、もっと多くの人が「国や政府は助けるべきとは思わない」と答えるのではないだろうか。そんな予感がするのは私だけではないはずだ。

 07年頃、フリーターや非正規労働の問題を論じていた私たちは、よく「椅子取りゲーム」の話をした。現在の労働市場は、全員には決して行き渡らない正社員の椅子を奪い合う椅子取りゲームの状態である。どんなに頑張っても、どんなに「自己責任」と言われようとも、非正規雇用率3割の状況では、10人中、3人は必ず正社員の椅子に座れない。だから少ないパイを奪い合うのではなく、「椅子を増やせ」「10人に対して10の椅子を用意しろ」と主張すべきではないか、と。

 しかし、10人中、4人は必ず「正社員の椅子」から漏れるという非正規雇用率4割の今、もう誰も椅子取りゲームの話はしていない。

気がつけば、「均等待遇」「働き方改革」「非正規という言葉をなくす」といった名目で、「もう全員の椅子をなくして、みんな地べたでいいのでは?」と国が率先して椅子を片付けようとしている状況だ。その上「椅子に座っているなんて贅沢だ」などと言う人まで出てきて、その椅子が「AIに置き換えられる」「椅子に座るのは移民になる」なんて噂も飛び交っている。しかも椅子を乗せた床はどんどん沈み、浸水し始めているような状況。それがこの国の多くの人たちの心象風景ではないだろうか。

 過酷なサバイバルに勝ち抜かないと、生き残れない。誰かを蹴落とし続けないと、リアルに死ぬ。そんな危機感はこの20年くらい、どんどん強まっている。毎日、毎分、毎秒、人生も、近い未来も人質にされている。みんなが崖っぷちで、「手を離したら死ぬ」と思い込まされている。そんな中、人に優しくなれるはずなんてないし、余裕が持てるはずもない。

 そんなふうに「寛容さ」が枯渇したこの国で、3年前の夏、障害者19人が殺される相模原事件が起きた。

 「障害者470人を抹殺できる」と、それが「世界経済と日本のため」だと衆院議長に宛てた手紙に書いた植松被告は、今も獄中で「日本の借金問題」についてさかんに言及している。

「日本は社会保障を充実させていって100兆円もの借金を抱えることになりました。あなた自身はそれをどう思いますか?」

 「僕の言うことを非難する人は、現実を見てないなと思います。勉強すればするほど問題だと思いました。僕の考え、どこか間違っていますか?」

 「日本の借金だってこれ以上もう無理ですよ。これで大地震でも起きたら無茶苦茶になりますよ」

 借金はいけない。人に迷惑をかけることもいけない。国の将来を憂い、危機感を持っている。それらの思いをすべて凝縮し、危機感と正義感をもって彼が実行したこと。それは障害者の大量殺人だった。

 この飛躍は、どう考えても異常である。

 しかし、「彼のしたことは決して許されない」としつつも、その主張について「否定できない」と語る人が一定数いることも知っている。このまま「生産性がない/低い」とされる人々を生かし続けると社会は大変なことになるから、「命の選別は、ある程度仕方ないよね」というような空気。言い訳として必ずつくのが「財源不足」という言葉だ。生活保護バッシングや公務員バッシングはするのに、タックスヘイブンの問題には決して怒ったりしないこの国の善良な人々がまとうマイルドな優生思想は、じわじわとこの国を侵食している。

 そんな相模原事件をめぐるあれこれについて、6人と対談した本を9月中旬に出版する。タイトルは『この国の不寛容の果てに 相模原事件と私たちの時代』(大月書店)。事件について、優生思想について、財源論について、私たちが抱える剥奪感について、対話について、神戸金史さん、熊谷晋一郎さん、岩永直子さん、杉田俊介さん、森川すいめいさん、向谷地生良さんと語り合った。

RKB毎日放送の記者である神戸さんは、事件後、重度の自閉症の長男について、「障害を持つ息子へ」という文章を書いた人だ。ある朝、目が覚めたら息子に障害がなかったことに気づき、安堵する。そんな夢を何度も見てきたという告白から始まる神戸さんの文章は事件後に書かれて瞬く間に拡散され、多くのメディアで報じられた。そんな神戸さんは、植松被告と面会を重ねている。「いつまで息子を生かしておくのですか」。植松被告が神戸さんにぶつけた言葉である。二人の間で、どんな言葉が交わされているのか。

 熊谷晋一郎さんは、脳性まひの当事者であり、医師であり、また東大先端研で当事者研究をする人である。事件が起きてから、車椅子で通勤中に「知らない人に突然殴られるんじゃないか」という恐怖を感じたと率直に語る熊谷さんと、「社会モデル上、新たに障害者になった層」などについて語った。

   BuzzFeed Japanの記者である岩永直子さんとは、終末期医療、尊厳死などについて語りつつ、「ファクト」を重視した冷静な議論の大切さについて話し合った。

 批評家で介助者でもある杉田俊介さんとの対談は驚くほど多岐に渡った。また、精神科医の森川すいめい氏とはオープンダイアローグなど対話について語り、そうして本書の最終章では「生きづらさ界のラスボス」が登場。べてるの家の向谷地生良氏である。向谷地氏とは、無差別殺人を匂わす青年と向谷地氏の交流、その青年の変化などについてが語られた。

 自分で言うのもなんだが、今だからこそ読まなければならないテーマが詰まりまくった一冊になったと思っている。何より、私と対談してくれた人々が素晴らしい。

 「生産性」「自己責任」「迷惑」「一人で死ね」という不寛容な言葉が溢れる今だからこそ、ぜひ手にとってほしい。そして、一緒に考えてほしいと思っている

 『この国の不寛容の果てに 相模原事件と私たちの時代』(大月書店)

 ※2019年9月16日発売予定


「子育ては親の仕事」という呪縛

2019年07月31日 | 本と雑誌

ハフポストあの人のことば2019年07月30日 

   毛谷村真木

「子育ては親の仕事」という呪縛から自由になろう。内田樹さんが監修、聞き手を堀埜浩二さんが務めるnoteのインタビュー連載『困難な子育て』が書籍化された。

現在、この国の「子育て」を難しくしている問題の多くは、「子育ては親の仕事」という呪縛によるものではないか━━。

 その1つの問いをきっかけに、では、親だけでなく「みんなで育てる」ためにはどうすればいい? 子育てにかかわるみんなが「育てながら学ぶ」ためには? …など、実際に子育て真っ最中の方々に話を聞いたnoteの連載「困難な子育て」。この度、1冊の本にまとめられました。

インタビューに登場するのは大学教授や建築家、会社員など、職業こそ様々ですが、みなさん、思想家・内田樹さんが主宰する道場「凱風館」で「合気道を学んでいる(もしくは、学んでいた)」方々です。

 本にもその内容が詳細に収められる、凱風館で開催された「困難な子育て」のインタビューを受けた皆さんが登壇したフォーラムにお邪魔し、この連載の監修を務める内田樹さんに、ご自身の子育てについて、その楽しさ難しさについて、そして「子育ては本当に困難なのか」話を聞きました。

周りにいる大人がみんな違うことを言うなかで子どもは葛藤し、自立する

 兵庫県神戸市にある「凱風館」は、思想家・内田樹さんの自宅兼合気道の道場でありながら、子どものための能楽教室やマルシェといったイベントの拠点になるなど、いま地域のコミュニティとしてその機能に注目が集まっています。

 道場を通して人と人が繋がり、ゆるく連携し、子育てもシェアするという、凱風館の“場”としてのユニークな機能は、「孤育て」「保活」といった言葉に表れる、子育てがままならない今の社会にとって何か大きなヒントがあるのではないか。

 本書『困難な子育て』は一貫して、子育てが難しい今の状況を悲観することなく、だからこそ「子育てを楽しもう」という気分をつくりながら、この国の「子育てのかたち」と「その営みの本質」に迫ります。

そのコミュニティづくりの中心であり、同書の監修を務める内田樹さんに、話を聞きました。

 

━━「みんなで子育て」を目指す時に大切になってくるのが、子どもの「集団として生きる力」です。それは、どんな「力」ですか?

 「集団として生きる力」というのは、集団の中のどこが自分のいるべき場所で、その中でどんな働きを自分は果たすべきかを知る力のことです。

 凱風館の場合、何もない空間ですけれど、小さい子どもたちをこの空間に放り出すと、大喜びして駆け回ります。でも、そうやって遊びながら「集団として生きる作法」を学習しているんです。みんなと呼吸を合わせて一緒に笑う、人の動線を塞がない…そういうことが集団行動の基本になります。

 武道では「座を見る」という言い方をしますが、これは与えられた空間における自分のいるべき位置を知ることです。頭で考えることではなく、皮膚で感じることです。

 いるべきではないところにいると、身体的なノイズが聴こえるはずなんです。そのノイズが消えるように位置を移動する。

 武道ではこれを「触覚的に空間認知する」というふうに言ったりしますが、「いるべきところ」と「いるべきではないところ」の識別はときには死活的に重要なことですけれど、頭で考えてもわからない。身体感覚を研ぎ澄ますしかない。

 凱風館には少年部があり、4歳から合気道を習うことができます。入ったばかりの頃は、「はい、座って」と言っても、どこにいればいいか分からない。ダマになったり、列を崩してバラバラになったりするんですけれど、2年3年と稽古をしてゆくと、その時の人数に応じて、列を作ったり、一人一人の間の間隔を調整したりできるようになります。俯瞰的に、自分自身を含む風景を見下ろすことができるようになっている。

 これは合気道の技がどうこうという以上に、大切なことだと思います。適切な空間認知ができるようになった。自分と自分の仲間たちが「どこで、何をしているか」を俯瞰で見下ろすことができるというのは、とても大切な社会的能力です。

 というよりも、それができないと社会生活は始まらない。個人としての能力がどれだけ高くても、集団の中で自分がいるべき場所、果たすべき役割がわからない人は他者とコラボレーションすることができないからです。

 ですから、小さい頃から、集団の中に身をおいて、子ども同士身体を触れ合いながら、転げ回って遊ぶことはとても大事なんです。

━━いまの時代、一人っ子の家庭も多く、「集団として生きる力」を子どもが体得する場が少ない気がします。また、親離れ、子離れが難しいとも指摘されますが、子どもの自立には何が必要でしょうか。

 子どもができるだけたくさんの大人と関わりを持ち、できるだけ多様な考え方やふるまい方に触れるようにすることだと思います。

 母親も父親も、学校の先生や、周りにいる大人たちがそれぞれ違うことを言っている中で子どもは葛藤し、葛藤を通じて自立する。周りの大人たちが同一の価値観である環境が子どもの成長には最も有害です。

「可愛い子には旅をさせろ」と言いますが、その通りだと思います。思春期になったら、家という閉じられた文化圏から外へ送り出して、いろいろな経験をさせることが子どもの自立の道です。

━━子育てが難しい社会である一方で、その経験の有無でもまた分断が生まれつつあるように感じています

 子育てしたからといって、いきなり人間的に大きく成長できるわけではありません。それは世の中を見渡しても分かります。幼児的な親はいくらでもいますから。経験から何を引き出すかは一人一人違います。同じ経験をしても、それで成長する人もいるし、しない人もいる。

ただ、子育てには驚くべき発見があるのは確かで、それらは本を読んだり、人から話を聞いて知ることとはレベルの違うリアリティーがあります。

 

自分の子どもが生まれる時も「うまく愛せないんだろう」と思っていた

━━自身の子育てを通して、どのような発見をされましたか。

 僕の場合は、ずっと、子どもが苦手でした(笑)。よその子どもを見てもとくに「かわいい」とも思わなかったし、子どもの方も僕にはなつかなかった。

だから、自分の子どもが生まれる時も「うまく愛せないんだろう」と思ってました。

でも、妻や家族の手前、「愛してるふり」「可愛いと感じてるふり」をしなきゃいけない。妻はそういうのをすぐに見破る人だから、「本当はこの子のこと、愛してないんでしょ!」とずっと言われ続けるんだろうな…と思ってました。

案の定、生まれた瞬間に看護婦さんに「抱いてあげてください」と言われて困り果てました。抱きたくなんかないので。いま、手が滑ってこのタイルの床の上に赤ちゃんを落としたら、どれくらい怒られるだろうと思うと怖くてしようがない。だから、3秒くらい抱いて、すぐに看護婦さんに戻しました。

でも、不思議なもので、生まれて3週間くらい経ったころかな、ある日溢れるような愛情がこみ上げてきて、「なんて可愛いんだ!」と。明らかに内分泌系の異常が起きたんです。「この子のためだったら死んでもいい!」と思えた。

 心理学者の岸田秀さんは「人間は本能が壊れた動物だ」と言われてますけれど、「壊れている」だけで、本能が「なくなった」わけじゃない。それは自分の中に制御不能の「父性愛」が噴き出したときに実感しました。

 たしかに、親は時として自分を犠牲にしても子どもを守らなきゃいけない。DNAを次世代に伝えなきゃいけない。それはたしかに生物としては合理的なふるまいなんです。子どものためになら死んでもいいというような「異常な」感情が発動して、僕はそれに支配された。子どもに対する愛なんて、親が自己決定できるものじゃないということを、その時知りました。

 自分の意志で子どもに対する愛情はコントロールできないということは、実際に子どもを持ってみないと分からないです。

 僕の場合は、その後離婚して、父子家庭で娘を育てることになりました。2人でしばらく生活するうちに、父子家庭ではなく、母子家庭になるしかないということに気がついた。

 

幼い子どもと二人で暮らす場合、「父の仕事」って、ほとんどないんです。「母の仕事」しかない。だから、父親をやめて、母親になることに決めたんです。

娘との12年間のふたり暮らし。あれは「母子家庭」だった

━━性別と役割は切り離して考えるという前提はありますが、「父の仕事」「母の仕事」はどういう意味で、具体的にはどんな変化があったのですか?

 三食、栄養バランスのよいご飯を作って子どもに食べさせる。洗濯して、アイロンをかけて、清潔な服を着せて、天気のいい日はお布団を干して、暖かい布団に寝かせて…という子どもの基本的な生理的欲求を満たすことが、僕がここで言っている「母の仕事」なんですけれど、それを丁寧にやっていたら、もう一日が終わっちゃうんです。「父の仕事」の出番がない。

僕が作ったご飯を子どもがぱくぱく食べているのを見ると、それだけで安堵して、「勉強しろ」とか「宿題やったのか」とか、そんなよけいなこと言う気にもならない。生きてくれていれば、それでいい。

一般的に父親というのは子どもに対して「生きていれば、それでいい」では済まないんです。何か余計なことを期待する。子どもを社会化することを自分の義務だと思ったりする。

でも、母親は違います。子どもの生存のための基本的な欲求を満たすのが主務なわけですけれど、母親をやっていると、それだけで一日分のエネルギーは使い果たしてしまいます。それ以上のことなんかする余力がない。

母親は子どもの衣食住の基本欲求を満たすことができればいい。夜寝る時に子どもが生きていれば、もう「100点ゲット」なわけです。勉強ができようができまいが、友だちがいようがいまいが、そんなことはとりあえず副次的なことに過ぎない。

父子家庭になって、母親としての仕事をするようになって、初めて母親の満足を経験しました。これは父親の仕事を果たすことの満足感とは比べ物にならないと思いました。

結局、父子家庭は12年間続きましたが、僕はあれは「母子家庭」だったと思っています。

━━「子育ては困難、か」というテーマでその難しさだけでなく、楽しさや、ご自身の子育てについてもお話をお伺いしましたが、最後にもう1つだけ…、子育てに終わりはありますか?

親子が一緒に暮らす時間は驚くほど短いです。うちの娘には、18歳になったら家を出るように早くから言っておきました。あとは自立してやってくれ、と。どこでどういうふうに暮らそうと、それは君の自由だよ、と。

 娘は大学に行かずに、東京でバンドやったり、古着屋やったり、ぶらぶらしていたんですけれど、30歳過ぎてから「フランス語がやりたい」のでアテネ・フランセの授業料を出してくれと言ってきました。もちろん、ほいほい出しました。

別に娘だからというわけじゃなくて、僕の家に出入りする若い人たちを支援するのと、それほど違うわけじゃない。若い人の市民的成熟を支援するのは年長者の義務ですから、娘が知性的に成長したいと言って来たら、全力で支援します。僕は若い人には優しいんです(笑)。

 

『困難な子育て』(堀埜浩二/取材・文・構成、監修/内田樹、ブリコルール・パブリッシング)

著者であり、インタビューの聞き手を務める堀埜浩二さんの「結婚や子育てに対する“安心感”を凱風館が提供している」という発見と、「“社会で子どもを育てる”ための場が全国に同時多発的に生まれている」という考察から始まったnoteのインタビュー連載が書籍化。 インタビューを受けた方々と、内田樹さんが、少子化時代の今の日本における「子育てのかたち」について語り合ったフォーラムの内容も収録する。 「余裕がないからできた、集まり、つながり合える『場』」「我が子と自分と、ダブルで生きる人生としての『子育て』」など、新たな地域コミュニティである凱風館の子育てのかたちを紹介。成功も失敗もないはずだけど、どこかうまくいかない、本当にこれでいいの? など、子育てにおけるモヤモヤを抱えている人にとってヒントとなる言葉が詰まった1冊です。

 


暑い日が続きます。
日中もどんよりとした天気でムシムシします。
夜は気温の変化が一番感じられます。
いつもの夏ですと、寝るときに窓を開けて寝ることはほとんどありません。
なのに、今年は開けて寝ても何でもない。
最低気温が20℃以下が普通なのですが、今年は何と24℃もあるのです。

北海道まで亜熱帯の風が吹いているのです。そして、寒帯圏が小さくなっているようです。

蜘蛛の巣にかかった小鳥

 何とも不思議な光景でした。

蜘蛛の巣の真ん中に翼を広げ、逆さまになって貼り付いているのは、蝶ではなく小鳥でした。

蜘蛛の糸が羽をくっつけ、飛ぶことができません。
羽を一枚一枚、糸を取り除きましたがまだ飛べず、草の下に潜り込んでいます。
これで明日まで様子を見てみます。
蜘蛛の糸、すごいですねぇ。

 


藻谷浩介氏が語る、世界の中の日本とその未来とは?

2019年04月25日 | 本と雑誌

世界一の富裕国・ルクセンブルクには、なぜ高級車も高層マンションもないのか

  文春オンライン4/25(木)

 

   「超高齢化社会・少子化の日本はこれからどうやって食べていったらいいのだろう」「これから地方都市は次々と崩壊する?」――漠然とした将来への不安を抱える日本社会に対して、ルクセンブルクがモデルケースとしてヒントになるという。最新刊『 世界まちかど地政学NEXT 』を上梓した地域エコノミストの藻谷浩介氏が語る、世界の中の日本とその未来とは?


国民ひとりあたりのGDPが日本の2.6倍もあるルクセンブルク

 ――ルクセンブルクというと、ドイツ、フランス、ベルギーに囲まれた小国で、日本人からすると馴染みの薄い地域です。なぜこの国に注目しているのでしょうか?

藻谷 ルクセンブルク大公国は、佐賀県程度の広さで人口は60万人ほどの極小国ですが、国民ひとりあたりのGDP(国内総生産)は10万ドル超、つまり日本の2.6倍以上もある世界一の富裕国です。今から30年ほど前、私がまだ大学生の頃に訪れたときは鉄鋼業の国でした。普通なら、イギリスのバーミンガムのように鉄鋼中心の都市は凋落の一途をたどるはずが、いつの間にかルクセンブルクは金融で浮上した。いまや、ロンドンやフランクフルトに次ぐ、一大金融センターになっているんですね。

 ――なぜそんなことが可能になったんでしょうか。

 藻谷 不思議ですよね。どこかの本に理由が書かれているのかもしれませんが、私は本の前に「現地を読む」という主義です。その場を自分で訪れて、「何があるか」、そしてそれ以上に「本来あるはずなのにないものは何か」を観察するのです。

ルクセンブルクの中心地になかったもの

藻谷 私は名探偵ホームズや怪盗ルパンのシリーズを多年愛読しているのですが、ホームズもルパンも、同じ方法で推理をします。警察が「現場に何があったか、何が落ちていたか」からシナリオを組み立てては失敗するのに対し、ホームズやルパンは、「そういうシナリオなら、他にあれも落ちているはずなのに、現場には見当たらない。なぜあるはずのものがないのか。とすれば本当のシナリオは何か」と考えるわけです。

 ということでルクセンブルクの中心を歩いてみたのですが、まず高層マンションがありません。富める都市はNYにしろシンガポールにしろ、あるいはお台場でも、街の中心に超高層マンションが林立して、その上でワインを飲みながら我々のような下々の者を見下ろしている人たちがいるものですが(笑)、ここはヨーロッパの古き良き田舎町という風情でスノッブ感ゼロ。美味しそうなレストランは少ないし、賑やかなお店は全然なくて、空き店舗が目立つほどです。しかも、都市の繁栄には必須のはずの交通のアクセスもすごく悪い。行きは近くのブリュッセルからは電車でも車でも3時間もかかり、帰りはLCCが飛んでないからこのご時世に正味2時間のフライト片道6万円もかかりました。そんな中でなぜ金融ハブとして成り立っているのだろうと。不思議ですよね。

 ――いわゆる富裕都市にあるものが「ない」わけですね。

藻谷 小奇麗な街を歩きながら、高級外車を見ないことにも気づきました。「俺は金持ちだぜ」って見せつけるような、“華麗なるギャツビー”や成金らしき人の姿もほとんどいない。表向きには、ごく普通の静かで上品な地域にしか見えないんです。居住者の45%は外国人で、特にポルトガル人の労働者が多いそうなのですが、単純労働者が作業しているのを見ないし、ホームレスも寝ていない。そうやって「不在」のものを洗い出していくと、「格差を最小化する」ことで金融業と社会秩序を成り立たせてきたこの国特有の知恵が見えてきます。

ルクセンブルクが世界一の富裕国になった仕組み

 ルクセンブルクの稼ぎ手は「放牧された金融業」です。金融という暴れ馬を、野放にしつつコントロールして、その「上がり」を取っている。小さな独立国なので、EUの規制の範囲内とはいえ、ロンドンやフランクフルトがなれないオフショア市場になれる、つまり規制を緩めて怪しい資金も含め大量のお金を呼び込んでいるのです。いわばドル圏のケイマン諸島みたいなポジション取りをユーロでやっている。スイスにもちょっと似ていますが、スイスは独自通貨なので、ユーロ圏のルクセンブルクの方がEUから資金を集めやすいという強みもあります。

 ちなみに日本もルクセンブルクに対し、2017年ですと6000億円ほどの第一次所得黒字(金利配当を得たことによる黒字)です。リスクの高いオフショア市場で大儲けしているルクセンブルクに、日本企業も投資してそれだけのおこぼれを得ているわけです。とはいえ、金融関係者は国民の1割もいません。彼らだけが葉巻をふかして外車にのって、高層マンションを建てまくればどうなるか? 目に見える格差が拡大して、社会秩序が崩壊しますよね。小国ほど互いの格差が見えやすいので、とくに配慮が必要です。

 ――格差を最小化する仕組みを意識的につくってきたということでしょうか。

 藻谷 その通りです。帰国してから調べてみたら、格差の大小を示すジニ係数が小さい。移民層もそれなりの水準の所得を得ているんですね。移民が非常に多いのに貧困が表に見えない地域として代表的なのが、シンガポールとカナダとルクセンブルクでしょう。端的にいうと、シンガポールは他宗教排斥や人種差別の言論を封じることで、カナダは福祉国家として移民にも平等に教育機会を与えることで、そしてルクセンブルクは富裕層が富を見せつけない配慮によって、不満が生じにくくしています。それは最良のテロ対策にもなっていることは言うまでもありません。

  そんなルクセンブルク人は、歴史の経緯の中でフランス化したドイツ人です。日常語はドイツの方言、食べ物もドイツ料理ですが、たとえば法律用語はフランス語。文弱なフランスにも野暮なドイツにもなりきれないという国民意識は、第一次大戦を経て強まり、先の大戦でナチスに蹂躙されてからさらに高まった。でもフランスとドイツが喧嘩をするたびに、どちらかに侵略されてきた歴史があり、単独で安全保障は無理。ではどうしたかというと、ベルギーやオランダと手を結んで、EU形成の中核になるんですね。EUの中にフランスとドイツを収め仲良くさせることで、自国の独立を守り抜いたのです。

大国の狭間にあるルクセンブルクと極東の島国日本

 ――大国の狭間にあるという地政学的な位置を踏まえ、対応した戦略をとってきたわけですね。極東の島国日本にも参考になる部分が多そうです。

 藻谷 そうなんです。小国といえど学ぶべき点がいくつもあります。第一に、製造業中心の堅実な国柄だったのに金融でも稼ぐ国へと変化したことです。得意分野を一つに決めつけないという姿勢は、日本の各県にも参考にしてもらいたい。

 第二に、非常に強い独立意識がありながら、自国中心主義をやめたこと。EU統合の核となり独仏を和解させることで、自国の安全と国外マーケットを確保した。じつは、周りの国が平和なほど国の経済が潤う構造は日本も同じです。われわれは何も武器を売って儲ける国じゃないのだから、たとえば中国やインドが戦争をしても何の得にもならないんです。数字は正直で、アジアが安定するほど日本の国際収支は改善します。2017年の日本の経常収支黒字は20兆円を超え、バブル期の倍以上なのです。一番のお得意様はアメリカで、日本が13兆円の黒字でしたが、2番目の中国(香港含む)からも、5兆3000億円も儲けさせて頂いた。3位の韓国からも2兆7000億円の黒字を稼いでいます。

 ――なんと、韓国がトップ3のお客様に入っているんですね。

 藻谷 だから、もう少し大事にしたほうがいいんですよ(笑)。ちなみに台湾からは2兆円ぐらい、シンガポールからは1兆5000億円ぐらい稼いでいますが、黒字の稼ぎ手はハイテク部品や機械、金融、観光なので、もしアジアが紛争地帯になれば、こうした黒字は吹っ飛んでしまう。2018年の訪日外国人数は3000万人を超えましたが、4人に1人が中国人で、4人に1人が韓国人です。要するに半分は中国と韓国ですので、彼らの景気がいいほど日本も儲かります。とにかく周りが繁栄したほうが自分も儲かるというのが、日本とルクセンブルクの共通点です。自力では安全保障のできないルクセンブルクが独自の立場を保ちつつ周辺国の関係を平和へと仕向け、その中で世界1の豊かさを享受していることに、日本はもっと学ぶべきでしょう。

  ちなみにシンガポールはまさにルクセンブルクの真似をしていて、ASEANをつくり、その中心に入って、マレーシアとインドネシアを仲良くさせることで安全と経済的繁栄をつくり出しています。もっというと、インドネシアとマレーシアの富裕層にどんどん自国内に不動産投資をさせて家を買わせることによって、シンガポールが攻撃対象にならない構造をつくっているんですね。ルクセンブルクもヨーロッパ中の人が投資しているから、当然攻撃なんてされません。小国ほど国際関係における地政学的な勘が強く、国内格差にも十分に配慮して産業振興を進めているんですね。

 ――新著の中で、21世紀の地政学は、軍事力などのハードパワーではなく、経済力・文化力・民族意識などのソフトパワーのほうが大きな役割を果たすという指摘は新鮮でした。

ルクセンブルクになくて日本にはあるもの

藻谷 21世紀において、軍事力による物理的な占領って意味がありません。たとえばヒトラーみたいなのがもう一度出てきて、ルクセンブルクやシンガポールを占領しても何も得るものはない。そこにあるお金は逃げていくだけで、投資は呼び込めない。大戦後のヨーロッパが植民地を次々と手放したのは全然儲からなくて意味がなかったからです。そんなことより経済的に進出して投資だけしたほうが、住民の面倒みなくて済むので楽ですよ。

 日本は自前で安全保障ができないから主権国家じゃない、アメリカの植民地みたいな国だ、という声もありますが、「植民地」というわりには、アメリカから年間13兆円も黒字を稼いでいて、ずいぶん儲かっているわけです。つまり経済力のようなソフトパワーが、21世紀の国際社会ではとても重要です。中韓台星(星はシンガポール)の4国からだけで年に12兆円近くも黒字を稼いでいる日本が、そんな数字も確かめずに、自分の側から排外主義的なスタンスをとるようでは、「ソフトパワーの地政学」の時代に生き残れません。

 これまで世界105カ国をめぐってきて改めて思うのは、いま日本人の自己認識と世界から見たときの日本が激しくズレてきているということ。日本は「これから食べていけなくなる危機」にはないし、世界の中で「誇りを失っている国」でもない。世界中の観光客が日本に来たら、大喜びです。ニューヨークでいいホテルに泊まったって、日本のおもてなしやサービスに比べたら極めて劣るのが現実です。夜、東京の街を歩いたって、暗めの街路でも、落ち着いて静かで安全ですから。

 最後にひとつ。ルクセンブルクにはなくて日本にあるものはコンテンツ発信力です。ルクセンブルクは地形的にはちょっと金沢に似たところのある城塞都市で、中心街の規模も似ていますが、ルクセンブルクに兼六園や武家屋敷や茶屋街はありません。加賀料理もないし、「金沢21世紀美術館」もない。ルクセンブルク人が金沢を見たら「なんと多くの独自の文化コンテンツを持っている街だ」と思うでしょう。そもそも日本全体に、30個、40個のルクセンブルクがあってもおかしくない。そんなポテンシャルを日本の各地方都市は秘めてもいます。

 いま、日本のソフトパワーの等身大の実力はどれほどのものか、地政学を踏まえてどんな振る舞いをすることが日本の繁栄を呼び込むのか、本書が日本の自画像を認識し直すきっかけになれば嬉しく思います。

 

藻谷浩介(もたに・こうすけ)

1964年山口県生まれ。地域エコノミスト。㈱日本政策投資銀行参事役を経て、現在、㈱日本総合研究所調査部主席研究員。東京大学法学部卒業。米コロンビア大学経営大学院卒業。著書に『実測!ニッポンの地域力』『デフレの正体』『世界まちかど地政学』、共著に『里山資本主義』(NHK広島取材班)、『経済成長なき幸福国家論』(平田オリザ氏)、対談集『完本 しなやかな日本列島のつくりかた』などがある。

 「文春オンライン」編集部


6番花。北こぶし

納屋の屋根に上って撮影。今年は花数が極端に多い。

 


『パワハラ不当解雇』 & 万歩計

2019年01月05日 | 本と雑誌

 

 12月17日に紹介した『パワハラ不当解雇』(高橋秀直著)、裁判はまだ続いています。
こちらに「タンポポ保育園」の闘いの模様を紹介しています。
興味のある方はぜひ訪問してください。それだけでも当事者たちには励みになります。

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  • ________________________________________
  • たんぽぽ保育園の名称が「たまちこども園」になりました。
  • たんぽぽ保育園の歴史が消されたことに、元保育士・職員、卒園児の親の怒りが広まっています。

 昨年、携帯の機種変更してから「万歩計」機能を使うようになった。
とにかく、最近は歩くことが少なくなった。サラリーマン時代は通勤に片道20分、さらに仕事は立ちっぱなし、階段を4段上がり、3段上がりなど日常の動作。それが、脱サラして極端になくなった。
農作業で圃場を右往左往しても、かなりしんどい作業をしても歩数はそれほど進まない。
昔は、(と言ってもつい最近のこと、たぶん万歩計を意識してからのことだと思う)動作に無駄がないよう、一つの動作で2つ3つの作業をこなせるように動いたものだ。ところが、最近ときたら歩数を上げるために無駄な動きが多くなった。これが「高齢化」という現実か・・・


「新潮45」を休刊に・・・

2018年09月26日 | 本と雑誌

「新潮45」休刊声明の嘘! 杉田水脈擁護、LGBT差別は「編集部」でなく「取締役」がGOを出していた

リテラ2018.09.26.

 

   昨日夕方、新潮社が「新潮45」を休刊にすると発表した。これはもちろん、同誌10月号に掲載された、右派論客らによる杉田水脈衆院議員擁護特集「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」をめぐって下された決定だ。周知のように、この特集のなかで、安倍首相のブレーンである自称文芸評論家・小川榮太郎が、「LGBTを認めるなら、痴漢の触る権利も保障せよ」というとんでもない差別的文章を掲載し、これについて、各方面から厳しい批判が寄せられていた。

 

 それは、同社と縁の深い作家や書店も例外ではなかった。『俺俺』など何作も同社から出版し新潮新人賞の選考委員を務めたこともある星野智幸は〈社員や書き手や読者が恥ずかしい、関わりたくない、と思わせるような差別の宣伝媒体を、会社として野放しにするべきではない〉と指摘し、「新潮」に掲載された「日蝕」で芥川賞を受賞し、多数の著書を同社から出している平野啓一郎も〈どうしてあんな低劣な差別に荷担するのか〉と批判。そのほかにも複数の作家や翻訳家らから「新潮社の仕事はしない」という表明が相次ぐ事態となっており、同社の書籍の取り扱いを拒否する書店も出ていた。

 そんななか、21日に佐藤隆信社長が声明文を出し、昨日とうとう休刊発表となったわけだ。しかし、これは、新潮社がグロテスクな差別を掲載した自社の責任に向き合った結果ではない。

 実際、新潮社がLGBT差別についてまったく反省していなかったことは、これまでの動きを見れば明らかだ。今回、新潮社は「新潮45」休刊の発表に際して、こんな談話を発表している。

 〈ここ数年、部数低迷に直面し、試行錯誤の過程において編集上の無理が生じ、企画の厳密な吟味や十分な原稿チェックがおろそかになっていたことは否めません。その結果、「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現」(9月21日の社長声明)を掲載してしまいました。このような事態を招いたことについてお詫び致します。

  会社として十分な編集体制を整備しないまま「新潮45」の刊行を続けてきたことに対して、深い反省の思いを込めて、このたび休刊を決断しました。〉

 

 また、昨日夜の新潮社の広報担当役員の会見でも、該当号が役員らに配布されたのは発売当日朝だったと説明した。

 ようするに、編集部のずさんな体制、不備が招いたものだとすべての責任を編集部に押し付けたわけだが、実際はそうではない。10月号の杉田水脈擁護特集は、編集部レベルの判断でなく、担当取締役がお墨付きを与え、原稿もチェックしていたのだ。新潮社社員がこう証言する。

 「実は、『新潮45』の若杉良作編集長は、もともとオカルト雑誌『ムー』の編集者で、右派思想の持ち主でもなんでもない。押しが強いわけでもなく、上の命令に従順に従うタイプ。最近のネトウヨ路線も、売れ行き不振の挽回策として、担当取締役の酒井逸史氏から命じられていた感じだった。酒井取締役は元『週刊新潮』の編集長でイケイケタイプですからね。10月号の擁護特集も酒井取締役が事前にGOを出している。会社は役員が読んだのは発売当日になってからという意味のことを言っていたが、そんなわけがない。少なくとも酒井取締役は事前にゲラも読んでいると思いますよ。それどころか、『ここで反論すれば売れる』と企画そのものを焚きつけた可能性もある」

  取締役の関与を証言しているのは、この社員だけではない。昨日の『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日)でも、「新潮社の現役社員」の話として、「編集長、編集部のトップよりもさらに上の担当役員レベルのGOサインがあった」という情報を紹介していた。

   いずれにしても、10月号のグロテスクな差別記事は、「編集部の不備」でもなんでもなく、取締役レベルで決定した確信犯的企画だったということらしい。

新潮社の社長声明はたんに「作家への対応」にすぎなかった

 しかも、「新潮45」10月号が発売され、批判が高まった直後も、上層部はまだ強硬姿勢を崩していなかった。たとえば、新潮社のSNS公式カウントのひとつ「新潮社出版部文芸」が、「新潮45」や新潮社を批判するツイートを次々とリツイートしたことが話題になったが、実は新潮社上層部は当初、これを削除させようとしていた。

  先日、AbemaTV『AbemaPrime』の取材に匿名で応じた新潮社の編集者がこう証言していた。

「朝いちばんに役員が編集部に来て『ツイートをやめさせろ』と言ったのですが、誰がツイートしているのかわからないので、できなかった」

 新潮社は「新潮社出版部文芸」のツイートについて、〈各部署、社員の個人の意見表明に関して言論統制のようなことは従来より一切行っておりません〉などと表明していたが、真っ赤な嘘だったというわけだ。

 では、強硬姿勢を示していた新潮社上層部がなぜ一転して、社長の声明発表、さらには「新潮45」の休刊という対応をとったのか。別の新潮社社員が語る。

 「新潮社の社長が声明を出したのも、休刊の決断をしたのも、作家の執筆拒否の動きが広がるのを恐れたため。それが一番の理由です」

 たしかに、弱者には強く出る新潮社だが、売れっ子作家にはとことん弱い。たとえば、有名なのが、百田尚樹の『カエルの楽園』をめぐるトラブルだ。同社から出版された『カエルの楽園』は、中韓に対するヘイトを織り交ぜながら憲法9条を腐した“寓話”作品だが、百田氏は明らかに村上春樹氏をモデルにしたキャラクターを登場させ揶揄している。ところが、その村上氏のキャラについて、新潮社が百田氏に「(村上氏だとばれないよう)名前を変えてくれ」と求めてきたのである(過去記事参照https://lite-ra.com/2016/05/post-2259.html)。つまり、新潮社は、作中の中韓のヘイト表現はスルーする一方、村上春樹という看板作家を刺激することだけを問題視していたというわけだ。

 今回の対応もこうした同社の体質の延長線上に出てきたものだ。前述した19日の『AbemaPrime』でも「多くの作家がコメントしているので、上の人たちは作家対応をどうするか協議しているようだ」という新潮社社員の証言があったが、騒動直後から作家対策に奔走。社長の声明は『とくダネ!』(フジテレビ)や『5時に夢中!』(MXテレビ)などにも出演している同社の名物編集者・中瀬ゆかり氏らが主導するかたちで、まさに作家対策として行われたのだという。

「最近、中瀬さんは文芸担当取締役に昇進したんですが、社長に『このままだと作家に逃げられてしまう』と声明を出すことを進言したらしい。実際、21日の社長声明については文芸編集者にのみ事前に通達されました。完全に作家対策だったんですよ」(前出・新潮社社員)

 もっとも、これは逆効果になった。なにしろ、その声明というのが〈常識を逸脱した偏見や認識不足に満ちた表現〉があったとしながら、誰に対する、どのような問題があったと考えているのかは一切示さず、謝罪もなし。その上、〈今後とも、差別的な表現には十分に配慮する〉などと、いま現在も差別的表現に配慮しているかのように言い張るという、ひどいシロモノだったからだ。

すべてが「ショーバイ」でしかなかったことを露呈した「新潮45」の騒動

 いずれにしても、佐藤社長が中途半端な声明を出したことで、さらに批判は拡大。それで、今度は一気に休刊という事態に発展していった。

 「休刊については、佐藤社長のツルの一声だったらしい。『新潮45』は部数低迷でいつ休刊になってもおかしくなかった。印刷部数で約1万6千部、実売は1万部を切っていた。おそらく年間数億円の赤字を出していたはずです。そんなところにこの問題が起きて、そのせいで、作家からの批判が殺到した。このままだと、もっと大きな動きになるかもしれない。だったら、いい機会だからすぐに休刊にしてしまおう、ということになったんでしょう」(前出・新潮社社員)

 そう考えると、今回の新潮社の対応は最初から最後まで、「ただのショーバイ」でしかなかったということだろう。雑誌を売るために、安易にネトウヨ、ヘイト路線に飛びついてLGBT差別の扇情的な記事を載せ、それに対して抗議が広がり、作家から執筆拒否をちらつかされたとたん、慌てて雑誌を休刊にしてしまう。「新潮45」の休刊決定をめぐっては、「言論の自由を奪う結果になった」という声が出ているが、そもそも、新潮社の側に「言論」という意識などあったのか。新潮社OBもこうため息をつく。

新潮社は昔から『週刊新潮』などで、差別的、人権を侵害する問題記事を連発していましたが、それでもメディアとしての最低限の矜持があった。でも、いまは、たんにショーバイでやってるだけ。だから、やっていいことと悪いことの区別がつかないし、抗議を受けると、すぐに万歳してしまう。醜悪としか言いようがない」

 実際、新潮社は大きな抗議運動に広がり、作家が声を上げたLGBT差別については対応したが、一方で、中韓や在日、社会的弱者を攻撃するヘイト本や雑誌記事はいまも出版し続けている。

 しかし、これは他の出版社も同様だ。中小出版社だけではなく、小学館や文藝春秋などもヘイト本やヘイト記事を多数出しているし、講談社も、ケント・ギルバートによる中韓ヘイトに満ちた『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』を出版。ベストセラーになったことで、社員を表彰までしている。

 そして、これらの出版社の動機はすべて「ショーバイ」でしかない。出版不況で本が売れないなどという理由で、安易に売れ筋のヘイト本に群がり、その結果、差別や排外主義を蔓延させているのだ。

 

「新潮45」の問題をきっかけに、こうした出版社の姿勢そのものが見直されるべきではないのか。

 

(編集部)


新潮45:杉田氏擁護特集で社長コメント「常識逸脱した」

2018年09月21日 | 本と雑誌

  毎日新聞 2018/09/21 17:32

   杉田水脈衆院議員の性的少数者への差別的な論文を掲載し、最新号で擁護する特集を組んだ月刊誌「新潮45」について、発行元の新潮社は21日、佐藤隆信社長名で「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現が見受けられた」「今後とも差別的な表現には十分配慮する所存です」などとしたコメントを発表した。全文は以下の通り。

 弊社は出版に携わるものとして、言論の自由、表現の自由、意見の多様性、編集権の独立の重要性などを十分に認識し、尊重してまいりました。

 しかし、今回の「新潮45」の特別企画「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」のある部分に関しては、それらを鑑みても、あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現が見受けられました。

佐藤隆信社長名で出された「新潮45」の特別企画に関する新潮社のコメント © 毎日新聞 佐藤隆信社長名で出された「新潮45」の特別企画に関する新潮社のコメント

 差別やマイノリティの問題は文学でも大きなテーマです。文芸出版社である新潮社122年の歴史はそれらとともに育まれてきたといっても過言ではありません。

 弊社は今後とも、差別的な表現には十分に配慮する所存です。

 株式会社 新潮社

 代表取締役社長 佐藤隆信

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新潮社の本、書棚から撤去する書店も。「新潮45」の寄稿に怒りの声

 

「あまりに酷い言葉の暴力」「怒りを感じた」

ハフポスト 安藤健二  2018年09月21日

「新潮45」10月号が掲載したLGBT批判の特集記事の内容に反発して、出版元の新潮社の本を書棚から撤去する書店も現れた。

この特集記事には、文芸評論家・小川榮太郎氏は「LGBT様が論壇の大通りを歩いている風景は私には死ぬほどショックだ」などと書いたことに関して、LGBT当事者らから反発する声が挙がっていた。

なぜ新潮社の本を書棚から撤去したのか。書店の主張を調べた。

■「あまりに酷い言葉の暴力が展開されている」(本屋プラグ)

和歌山市の書店「本屋プラグ」は9月19日、雑誌を含む、新潮社の新刊本の一切の販売を停止。書棚に並んでいる本も全て撤去することを公式サイトで明かした。約20坪の敷地に新刊と古本が混在している小規模な書店だという。

運営スタッフ2人の連名で以下のように訴えている。

『新潮45』において、「LGBTはふざけた概念」として性的マイノリティの方々への侮辱的で、あまりに酷い言葉の暴力が展開されていることは、とうてい看過できません。強い憤りと抗議の声をあげるための決定です。

 

■「怒りを感じた」(東京都文京区の書店)

東京都文京区にある書店。約6坪の敷地に新刊と古本が混在しているが、公式Twitterで19日に「新潮社の新刊については当面仕入れを見合わせる事にしました」と投稿した。

店主の男性は21日、ハフポスト日本版の取材に対して「新潮45の内容を知って、怒りを感じた。今は新潮社の本を置きたくない」と話した。新刊本の棚から、新潮社の本を撤去したという。

 


“こどもの本”総選挙

2018年05月07日 | 本と雑誌

「ざんねんないきもの事典」好き こどもの本総選挙トップ

  東京新聞 2018年5月6日

   いま子どもたちが一番好きな本は? 全国の小学生の投票による「小学生がえらぶ!“こどもの本”総選挙」の結果発表会が五日、東京都内で開かれ、昨年ベストセラーとなった児童書「ざんねんないきもの事典」(高橋書店)が一位に輝いた。全都道府県の小学生約十三万人が投票したという。

 子どもたちに本を身近に感じてもらおうと、出版社のポプラ社(東京都)が企画。昨年十一月~今年二月、小学校や書店を通じ「一番好きな本」への投票を呼び掛け、計約十二万八千人が参加した。

 動物の進化をユーモラスに紹介した「ざんねんないきもの事典」は、四位に入った続編と合わせ、累計発行部数は約百八十三万部に達している。

 監修した動物学者の今泉忠明さんは「残念な面があっても何とかやっている生き物がいることに、共感が集まったのでは」と語った。

 発表会では、投票した子どもの代表が、トップ10に入った作品の著者らに賞状を授与。ヨシタケシンスケさんの絵本「りゆうがあります」を選んだ神奈川県の小学三年、西城風花さんは「『自分もそうだ』と思うことが、たくさん書いてある。絵が面白い」と話した。

 発表会に参加した芥川賞作家でお笑いタレントの又吉直樹さんは「総選挙をきっかけに、自分が選んだ作品以外の本も読んでみようと思ってほしい」と呼び掛けた。


 GW明け、良い天気に恵まれ、江部乙の桜も満開となった。写真を数枚撮ったところで画面が真っ暗になってうんともすんとも動かない。てなわけで、満開の桜のお披露目は無し。しばらくは写真無しです。
 それにしても寒い。最高気温が12℃だそうで、しばらくこんな寒い日が続きそうです。


漫画版「君たちはどう生きるか」

2017年11月16日 | 本と雑誌

漫画版「君たちはどう生きるか」大ヒット ハウツー本じゃ足りない

      毎日新聞2017年11月10日

 

 

書店でも目を引く表紙

 1937年に出版されてから「自分の人生の一冊」にしている人が、実は多いのかもしれない。吉野源三郎著の「君たちはどう生きるか」。80年たった今夏、初めて漫画版が出版されると、あっという間に部数を伸ばした。なぜ再び、多くの人の心をつかんだのだろうか。【田村彰子】

 

漠然とした不安、80年前も今も

 大きな瞳の少年が学生服を着て、視線を真っすぐに向けている。「君たち--」の漫画版の表紙。書店ではビジネス関連本などと並んで平積みされ、ひときわ目立つ。マガジンハウスが8月24日に発売して以降、53万部の大ヒットとなっている。同社が同時発売した単行本(新装版)も部数を14万部に伸ばした。最新のオリコンの週間ランキングでは、漫画版が本の総合部門でトップに立つ。

 「ここまで売れるとは正直思いませんでした。読者からは『今の時代にも色あせない作品だ』などの反響が寄せられています」。そう話すのはマガジンハウスの執行役員で、企画・編集を担当した鉄尾周一さん(58)だ。

 3~4年後に完成するとみられる宮崎駿監督の新作長編アニメの題名もずばり「君たちはどう生きるか」。映画は、この本の影響を受けた主人公の物語になると言われている。

 

漫画のワンシーン

 原作者の吉野(1899~1981年)は児童文学者で岩波書店の雑誌「世界」の初代編集長として知られる。一体、どんな物語なのだろうか。

 「君たち--」は、世界中が戦争一色に染まっていく中、作家の山本有三が「次世代の少年少女のために」と編んだ「日本少国民文庫」(全16巻)の最終巻に収められた。出版された年は日中戦争に突入した時期と重なる。ドイツではヒトラーが、イタリアではムソリーニが政権を取り、ファシズムの嵐が吹き荒れた。

 こんな時代を背景に、15歳の主人公の少年は、旧制中学に通っている。父を亡くし、母と2人暮らしだ。

 近くに住む叔父が、ちょくちょく家に来ては相談に乗ってくれる。叔父はこの少年を「コペル君」と呼ぶ。地動説を唱えたコペルニクスにちなんだあだ名だ。学校を舞台に貧困やいじめ、暴力なども描かれ、本当の勇気とは何か、人間とはどういう存在かを問う。

 コペル君ら下級生をいじめる上級生の姿を、侵略の道を歩む当時の日本と重ねて読む人も多いかもしれない。実際、この本は、軍国主義に抵抗する目を養ってほしいとの目的で書かれたと解説されることもある。吉野は戦後、岩波文庫版などにこう間接的に記している。

 <当時、軍国主義の勃興とともに、すでに言論や出版の自由はいちじるしく制限され(中略)山本先生のような自由主義の立場におられた作家でも、一九三五年には、もう自由な執筆が困難となっておられました。その中で先生は、少年少女に訴える余地はまだ残っているし、せめてこの人々だけは、時勢の悪い影響から守りたい、と思い立たれました>

 

漫画のワンシーン

 戦前から一貫して反戦・平和主義者だった吉野。児童書の形を取ったこの本は、検閲をくぐり抜けて出版された。戦後は文庫本となって読み継がれ、国語の教科書にも採用された。

 80年の時を超えて、漫画化された名著はどう読まれているのか。小学校の頃にこの本を読んだ脳科学者、茂木健一郎さんはこうみる。

 「刊行当時は戦争に向かい、日本がこれからどうなっていくのか不安を抱える時期だったから、今と重なるところがある。北朝鮮との緊張が高まり、中国の台頭で世界の中の日本の立ち位置も変化している。AI(人工知能)が発達し、生き方や働き方も変わっていくかもしれない。先を見通せない時代だから根本に立ち返り、どう生きるか確かめたいという気持ちが、社会に強くあるのではないか」

 漫画版が出版された当初、これほどヒットするとは思わなかったという。「すぐに役立つ本」「競争社会で成功する方法」などノウハウ的なアプローチの本がもてはやされる昨今、そうした世界とは、無縁な内容だからだ。「グローバル化が進む現代では、功利主義的な身の処し方が正解とされている。でも、実際はそれではどうしても対処できないことが起こることを私たちも肌でわかっている。脳科学者として、若者の相談に乗っているが、みんな漠然とした不安や悩みを抱えている。そういう時代こそ、生きる指針が必要。お手軽な処方箋の本だけではどうにもならないと思っている人は自分で考えるきっかけとして、この本の存在価値を見いだすのではないだろうか」と茂木さん。

 吉野に関する研究もある京都大教授(メディア史)の佐藤卓己さんの見方はこうだ。

 「吉野は戦前の格差社会の中で、自主的に考える個人によってこそ社会革命が可能だと考えて、この本を書いたはずです。一方、現代も格差が拡大し、子どもの貧困も問題となっており、同じような課題は存在しています。しかし、社会構造がより複雑化している今日の方が、どう生きるかははるかに難しい。コペル君の時代の方が単純だから、より多くの人がこの本を読んで共感できるのでしょう」

 

原作者の吉野源三郎=1966年撮影

 佐藤さん自身は中学時代、読もうとしても読めなかったという。「説教臭い」と感じたからだ。また、優等生として描かれているコペル君にもなじめなかった。しかし、研究者として戦中・戦後の世論に向き合ううち、「君たち--」には普遍的なものが書かれていると気付いた。

 「戦前も国家に強制されたというより国民が自主的に戦争に協力した側面は大きい。『自主的に考える』とはどういうことか。その問いがこの本にはある。漫画化の試みはおもしろい。岩波文庫で買ったまま挫折した読者が、再び挑戦するよい機会だと思います」

助言者も成長「説教臭くない」

 マガジンハウスの鉄尾さんによると、祖父母が孫にプレゼントするためだったり、若者がタイトルにひかれて自ら購入したり、幅広い世代に読まれているという。どんなきっかけで漫画化されたのか。

 「だいぶ前ですが、30代の男性社員の机の上に、岩波文庫版が置いてあって、若い人がこんな本を読むのかと驚きました。僕は大学生だった40年近く前、父親に『読め』と言われて反発した。漫画にしたら読んでもらえるのでは、と思い立ったのは5年前のことです」と鉄尾さん。

 知人の編集者のすすめで、まだ無名だった漫画家、羽賀翔一さんに依頼した。

 初めて原作に接した31歳の羽賀さんは、時代を超えてこの物語に共感したという。「僕もコペル君と同じ母子家庭で育ちました。いじめられっ子を救えなかったこともあった。僕の中にある『コペル君的な記憶』を重ね合わせて描きました」。原作と同様、時代背景はなるべく描かないようにした。そして、原作ではメンター(人生の助言者)として存在する叔父さんを、漫画版ではメンターでありながら共に成長していくコペル君のバディー(相棒)だと強調した。「吉野さんは、戦争という大きな流れにのみ込まれていく人々を意識したのかもしれません。でも、何か大きなものに流されてしまうというのは、戦争という特殊な時代だからではなく、いつの時代にもあると思う。きっと誰もがコペル君と同じような経験をして、より成長しようと思って生きています」

 共に成長していく2人の姿は大きな共感を呼んだ。前出の茂木さんは「新しい漫画の形を見せられた」と話す。「漫画化することによって、啓蒙(けいもう)的な原作は、共感できるものへと変わった。今の時代、若い人たちは少しでも『教えてやる』といった啓蒙的要素を感じると、クモの子を散らすように逃げてしまう。原作のメッセージを維持しつつ、この本に触れたことのない層へ届き、その良さが再認識されたことはすばらしいことです」

 名著が新しい形で再び輝き、今を生きる人たちの手に渡る。80年前のメッセージは私たちに確かに響いている。


「コペル君」命名の由来

 主人公の少年は東京・銀座のデパートの屋上から、下の通りを眺め「ほんとうに人間って分子なのかも……」と気づく。<目をこらしても見えないような遠くにいる人たちだって 世の中という大きな流れをつくっている一部なんだ>。そう叔父さんに語ると、大発見をしたコペルニクスにちなんで「コペル君」と名付けられる。

「死にたい」と悩むコペル君

 仲間が上級生からいじめられたら、結束して立ち向かおうと約束しておきながら、コペル君はいざという時にその約束を破ってしまう。そのことを悔い、死にたいとまで思って寝込むコペル君。叔父さんは手書きのノートを渡し「誤りから何を学ぶのか」を教えるのだが……