里の家ファーム

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古賀茂明 「教育エクソダス」(大量国外脱出)が始まった

2021年11月30日 | 教育・学校

政官財の罪と罰

AERAdot 2021/11/30

 先週号では、日本が「犯罪大国」になるという米国人投資家ジム・ロジャーズ氏の懸念について書いたが、今週は、「私がもし10歳の日本人なら、直ちに日本を去るだろう」という彼の言葉の意味を深掘りしてみたい。

 この言葉は、日本の将来に希望がないから、早めに見切りをつけた方が良いという意味に理解されている。しかし、彼が「10歳」という年齢を挙げたのには、もう少し別な意味があるようだ。

 日本の将来が暗いことは、多くの人に理解され始めた。しかし、日本を捨てて海外に移住することまで考える人は少ないだろう。ましてや、それを実行に移す人は極めて少数のはずだ。

 特に、日本人は英語力が弱い。日本を訪れた外国人が、日本がG7の一角を占める国なのに、英語を話せる人が少ないことに驚き、さらに、多くの人が6年間英語を学んでいると聞いて二度びっくりという話は、今や日本を揶揄するときの鉄板ネタとなった感がある。

 少子化で若者が減少しているが、それでも、日本には優秀な若者がたくさんいる。英語力が高ければ、日本に見切りをつけて海外に出る若者が増えて、「若年人材空洞化」などという言葉ができていたかもしれないが、文部科学省のダメ教育のおかげで、国際的に見れば能力が極めて低い経団連のダメ経営者がいる企業でも、人材が集まる。 

 国際競争で出遅れ、給料も安く、休みも少なく、残業が多く、パワハラ・セクハラ当たり前の企業でも、英語ができない若者は他に選択肢がないから仕方なくそういう企業に就職する。

 経団連企業は、よく日本の学生の英語力のなさを嘆いているが、実は、そのおかげで途上国並みの劣悪な条件で労働者を集め、労働ダンピングで世界市場で競争することができるのだ。彼らは、文科省のダメ教育に感謝すべきだろう。

 そこで、「10歳」という年齢の意味だ。そこには、これからの人生を決める最も大事な時期に、日本で教育を受けるのは良くないという含意がある。日本より、アメリカや欧州、場合によっては中国の教育を受けた方がいいに決まっているから、10歳で国を出ろと言っているのだ。現に、ジム本人は、子供の教育のために、アメリカを出てシンガポールに移住したと明かしている。

 2021年版「EF EPI 英語能力指数」では日本の英語力は世界112か国中78位と驚くべき低さ。マダガスカルのすぐ下で、香港、韓国、中国よりはるかに劣る。THE世界大学ランキング2021でも、東大が世界36位に過ぎない。東大の上を行く大学が二つある中国でさえ、富裕層では、子供を小さい頃から米国などに留学させて教育するのが当たり前になっていることは、日本人にとっても参考になる。

 現に、かなり前から、日本企業の米国駐在員などの間では、本人が帰国しても子供は米国に残して教育を受けさせるという例は多かった。しかし、最近は、子供の教育のために、親が日本企業を退社して米国で職探しをする例も増えている。

 日本経済の将来に見切りをつけて海外へ脱出する人が増えるのは誰もが予想することだ。だが、もう一つ、子供の教育のために家族ごと日本を捨てる人が増える、教育エクソダス(大量国外脱出)の時代も既に始まっているのかもしれない。

※週刊朝日  2021年12月10日号より


日本にいるとダメになる?
日本はもう「復活」しない?
ということのようだ。
折角のチャンスも逃してしまった。
これからどの様になるのか・・・・

立憲の代表が決まった。
想像外であった。

園内にて。

先日の大雪で、かなりの枝が折れている。沼もオーバーフロー。


防衛費補正予算 膨張に歯止めかけねば

2021年11月29日 | 社会・経済

「東京新聞」社説 2021年11月29日 

 政府が二十六日に閣議決定した二〇二一年度補正予算案で、防衛費は七千七百三十八億円と過去最大となった。補正としては異例の規模だ。第二次安倍内閣以降、増額が続く防衛費を、補正でさらに積み増せば、膨張に歯止めがかけられなくなる。再考を求めたい。

 補正予算案には、通常当初予算に盛り込む主要装備品の新規購入が計上された。哨戒機や輸送機、ミサイル、機雷・魚雷の取得などで計二千八百十八億円に上る。

 防衛省は中国や北朝鮮の軍備増強を踏まえ、南西諸島防衛やミサイル対処能力の強化を急ぐ必要があると説明する。

 しかし財政法は補正予算について、当初予算編成後に生じた理由で「特に緊要となった経費」などに限ると規定する。中朝の軍備増強は最近、突然始まったことではない。補正予算による主要装備品購入がなぜ緊要か、防衛省は合理的な説明ができるのだろうか。

 補正予算と、過去最大を更新した当初予算と合わせた二一年度防衛費の総額は六兆一千百六十億円。国内総生産(GDP)比約1・09%に当たり、歴代内閣が目安としてきた1%を超える。

 防衛政策は、安全保障環境の変化に応じて柔軟に対応する必要があるとしても、防衛費の急拡大は日本に軍事大国化の意思ありとの誤解を周辺国に与え、逆に軍拡競争を加速する「安全保障のジレンマ」に陥りかねない。

 防衛費増額の背景に、同盟国に軍事費をGDP比2%以上に増額するよう求める米国への過剰な配慮があるのなら見過ごせない。

 政府は、二一年度補正予算と二二年度当初予算を一体の「防衛力強化加速パッケージ」と位置付ける。補正予算による主要装備品の新規購入は、二二年度概算要求に盛り込んだ調達計画を前倒ししたものでもある。

 当初予算案なら通常、衆参両院で約二カ月間審議されるが、補正予算案の場合、衆参合わせても数日間にすぎない。本来、時間をかけて慎重に審議すべき防衛装備の調達案件を、審議時間が限られる補正予算案に計上する手法自体が適切とは、とても言えない。

 主要装備品の新規購入を二一年度補正で先取りしたのなら、二二年度当初予算案から大幅に減額しなければつじつまが合わない。厳しい財政状況の下、防衛費の歯止めなき膨張は許されない。


好き放題です。
今しなければならないこと、なんですね。

今しなければならないこと。
窓の雪囲い。
今日ようやく終わりました。
先日の大雪で軒下に入るのは危険だったのです。


介護料を月6.8万円爆上げの鬼畜!マイナンバーカード普及に1兆8,000億円

2021年11月28日 | 生活

コロナ禍で困窮のさなか介護料を月6.8万円爆上げの鬼畜! 安倍・菅政権の弱者切り捨て棄民政策を岸田政権も続行

リテラ2021.11.26

 

コロナ禍で困窮のさなか介護料を月6.8万円爆上げの鬼畜! 安倍・菅政権の弱者切り捨て

 岸田文雄首相が打ち出した、過去最大の55兆7000億円にものぼる過去最大の経済対策。しかし、コロナで打撃を受けている生活に困窮する人をフォローできるような内容にはまったくなっていない上、あれだけ衆院選で訴えていた介護や看護、保育の現場で働く人たちへの賃金引き上げも、蓋を開けてみれば保育士や介護職員が月額9000円、看護師は月額4000円という“雀の涙”にすぎない結果に。これでは格差の是正どころか格差はどんどん広がるばかりだ。

 しかも、ここにきて、安倍・菅政権の「自助」政策の実施によって大きな悲鳴があがっている。というのも、今年8月から介護保険制度が見直され、介護施設の利用者の負担額が目玉が飛び出すほど爆上がりをしているのだ。

 今月24日にも中国新聞デジタルが「特養の月額利用料2万2千円も上がった…「あまりに負担重い」なぜ今?」という記事を配信し、話題となったが、爆上がりしているのは特別養護老人ホームなどの介護保険施設での食費や居住費(部屋代)だ。

 今年7月までは、住民税非課税世帯で、預貯金などの資産が単身で1000万円以下、夫婦で2000万円以下ならば食費や居住費を補助する「補足給付」が受けられた。だが、8月からはこの「補足給付」の要件が厳しくなり、年金などの収入に応じて、資産が単身で500万円〜650万円、夫婦で1500万円〜1650万円に厳格化。対象から外れると食費・居住費は全額自己負担となるため、「補助額の大きかった低収入の人ほど負担増額が膨れ上がり、最大月6万9000円に上る」という(しんぶん赤旗9月15日付)。

 住民税非課税世帯に対し、預貯金が単身650万円をわずかにも超えただけで補助の対象外にし、年間にして約83万円もの負担増を強いる──。これだけでも衝撃的だが、さらに問題となっているのは、「補足給付」の対象者でも負担が増している、ということだ。

 たとえば、収入が年120万円超〜155万円以下の場合、特養などの施設での食費は1日650円だったが、8月からは1360円に。7月までは月約2万円だったのが月4万1000円と倍以上に跳ね上がったのだ。これは年間にして約24万円も負担が増す計算になる。さらに、こうした食費の負担増はショートステイを利用した場合でも同様だ。

安倍政権がコロナ前に決めた弱者切り捨て政策をコロナ下に強行する岸田政権

 厚労省によると、今回の見直しによって約27万人もの人たちの負担が増えたというが、当然ながら、これほど負担が大きくなると、施設を退所せざるを得ない人や入所できないという人が出てくるのは必至だ。

 低所得かつ預貯金も心もとない高齢者やその家族に対し、さらに鞭をふるう政府──。しかも問題にすべきは、このような生活が苦しい人たちに負担を強いる制度の見直しを、なぜ消費増税やコロナによって困窮する人が増加している状況のなかで実行したのか、という点だ。

 この「補足給付」の要件見直しは、コロナ前の2019年の年末、つまり安倍政権時代に厚労省の社会保障審議会介護保険部会で了承され、菅政権時の今年3月31日に政令として公布されたものだ。つまり、法改正ではないため国会審議はおこなわれていないのだが、国会では野党議員がこの「補足給付」の見直しを問題視し、たびたび追及をおこなっていた。

 たとえば、昨年1月23日に参院本会議でおこなわれた安倍首相の施政方針演説に対する代表質問では、立憲民主党の福山哲郎・参院議員が「消費税率が引き上げられ、生活がさらに苦しくなるなか、一層の支援が必要な低所得者にとっては負担増になります。これでは何のための消費増税だったのかという声が上がっても仕方がありません」と言及したが、対する安倍首相は「在宅で介護を受ける方との公平性の観点から御自身で負担していただく」「年金収入の水準いかんによっては助成額に大きな差異が生ずる場合もある」などと正当化。実態は生活困窮世帯をさらに苦しめる施策であるにもかかわらず、あたかも公平性を担保するためであるかのように語っていた。

 さらに、「補足給付」の問題を繰り返し取り上げてきた日本共産党の倉林明子・参院議員は、今年6月1日の参院厚労委員会で「コロナの影響による収入減で支える家族の援助も限界」「本人の年金だけでは払えない」「退所に追い込まれる人が出てくる」「いまだ見直しがあるということを知らない利用者・家族も少なくない」と指摘。だが、当時の田村憲久厚労相は「制度を持続していかなきゃならぬわけでございまして、負担能力に応じて御負担をいただきたいというのが今回の決定」と押し通した。

安倍・菅政権による弱者切り捨て棄民政策を岸田政権も続行!

 消費増税やコロナによる生活への打撃はまったく無視。ようするに、安倍政権も菅政権も、この「補足給付」見直しによって窮地に立たされる人が続出することをさんざん指摘されても、コロナで生活困窮者が増加して事態が深刻化しても、まったく意に介そうともしなかったのだ。

 だが、それも当然なのかもしれない。そもそも介護施設での食費や居住費は、2000年の介護保険制度スタート時には保険給付の対象だった。それを小泉純一郎政権の2005年に保険給付から外して全額自己負担にし、その際、低所得者の負担軽減のために「補足給付」という制度が導入された。ところが、2014年に安倍首相が「補足給付」に手を付けて、資産要件を追加。また、配偶者が課税世帯だと補助を打ち切るとしたのだ。

 安倍政権は2017年の介護保険法改正をはじめとして利用者に負担増を強いてきたが、この「補足給付」も2度にわたって改悪し、低所得者を狙い撃ちにしたのである。つづく「自助」を掲げた菅政権がこれを踏襲したのは、言うまでもない。

 しかも、こうした介護保険制度の見直しによる負担増の流れは、岸田首相に代わったからといって止まることはない。実際、岸田首相が設置した「新しい資本主義実現会議」では、さっそく経団連の十倉雅和会長が「社会保障制度の見直し」を提言。そして、その経団連は、今年10月11日に公表した提言において、「介護保険の2割負担の対象者拡大」「介護のケアプラン作成に利用者負担を導入」などを政府に求めているのだ。

 それでなくても、つい最近も介護保険料の滞納によって預貯金などが差し押さえられた65歳以上の人が過去最多の2万1578人(2019年度)となったと発表されたばかりだが、安倍政権を継承する岸田首相や、同じく社会保障の縮減を訴える維新が党勢拡大をはかるなか、どんどん弱者は切り捨てられていくことになるだろう。

(編集部)

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看護師ら収入引上げの7倍…1.8兆円投入のマイナポイント事業に「配分間違い」の声

女性自身 2021/11/28 

「今回の新しい経済対策は、新型コロナ対策に万全を期し、コロナ禍で厳しい影響を受けた方々に寄り添って万全の支援を行うとともに、成長戦略と分配戦略により、新しい資本主義を起動していくものです」

11月19日、第14回経済財政諮問会議でこう述べたのは岸田文雄首相(64)。岸田政権が発足して1カ月あまりが経ち、「コロナ克服・新時代開拓のための経済対策」が打ち出された。

しかし“新しい資本主義”を目指すための「成長・分配戦略」に、“的外れ”と国民の間で批判が相次いでいる。なかでも懐疑的な声が上がっているのが、マイナンバーカード保有者を対象に最大2万円分のポイントを付与するマイナポイント事業。これは成長戦略の一環として策定され、「DXの推進」を目的とされている。

この最大2万円分のマイナポイントは、次の3段階に分けて付与される。

1.マイナンバーカードの新規取得者に最大5,000円相当のポイント(既にカード取得者のうち、現行マイナポイントの未申込者を含む)

2.健康保険証としての利用登録者に7,500円相当のポイント

3.公金受取口座の登録者に7,500円相当のポイント

さらに1.に関しては、ある条件をクリアする必要がある。

「この“最大5,000円相当のポイント”は、自動的には付与されません。カード保有者が特定のキャッシュレス決済サービスをマイナンバーカードに登録し、その決済サービスの利用額もしくはチャージ額の25%分がポイントとして付与される仕組みです。つまり上限分のポイントを得るには、決済サービスで2万円相当の利用もしくはチャージをする必要があるのです」(全国紙記者)

■マイナポイント事業予算は、介護士ら収入引上げの7倍

このような段階付与かつ煩雑な手続きで、全国民にマイナンバーカードは浸透するだろうか。総務省の公式サイトによれば、カード交付枚数は全国で49,552,693枚(11月1日時点)。全人口1億2600万人以上に対して、40%にも満たない状況だ。

そんななか財務省は26日、21年度の補正予算を発表。分配戦略の「看護、介護、保育、幼児教育などの現場で働く方々の収入の引上げ」は2,600億円に留まった一方で、マイナポイント事業には1兆8,134億円もの費用を計上したのだ。収入引き上げの約7倍もの税金を投入するほど、マイナポイント事業は重要事項なのか。

「マイナポイント事業の予算は、総務省が全人口の約75%にあたる9,500万人が申請すると見込んで積算したといいます。そもそも今回の事業を主導したのは公明党。衆院選での公約は3万円分のポイントを謳っていましたが、蓋を開けてみれば2万円分に減額されました。

またスマホやパソコンを使ったカード申請、ポイント付与の登録は高齢者にとってハードルが高い。さらに申し込んだカードは、自ら市区町村窓口に取りに行かなければなりません。仕事の都合上、そのためだけに休めないという人もいるでしょう。政府は“馬の鼻先に人参”のようなやり方で国民にカードを作らせようとしていますが、本当に1兆8,000億円もの費用対効果が見込めるのか訝しむ声が上がっています」(前出・全国紙記者)

10日に開催された「全世代型社会保障構築会議」の初会合では、看護師や介護士らの給料増額を最優先課題として「前倒しで引き上げを実施致します」と語っていた岸田首相。だが、マイナポイント事業との予算配分の不均衡さに対して批判の声が上がっている。

《口座や保険証の情報も登録して最大2万だろ 情報漏洩した時のリスク考えたら2万じゃ安すぎるよな》

《必要な人に給付金が届かないなか、マイナンバーカード普及に1兆8,000億円も税金を使うとは…》

口ではどんなに素敵なことを言ってても、予算案をみれば何を大切にし、何を軽んじるかがわかる》

《マジに桁違いの配分間違いだと思う》


良い天気になった。
畑の雪は40cm。

今日の散歩道。

 


グレタさんは「過激」?脱炭素は「欧州の押し付け」?

2021年11月27日 | 自然・農業・環境問題

ジャーナリストが解説―問われる日本のメディア

志葉玲フリージャーナリスト(環境、人権、戦争と平和)

YAHOO!ニュース(個人)11/26(金) 

グレタ・トゥーンベリさん(写真:ロイター/アフロ)

 先月末から始まり、現地時間で今月13日に閉幕した、地球温暖化対策の国際会議COP26。不十分な内容ではあるが、全世界が破局的な温暖化の被害を未然に防ぐため、より前向きなかたちで合意したとも言える。だが、日本のニュースサイトに配信される、一部の新聞や雑誌の記事は、この期に及んでなお、一部の政党や業界に忖度し、環境活動家グレタ・トゥーンベリさんや温暖化対策に熱心な欧州諸国を揶揄する、極めて質の低いものだった。ジャーナリズムの役割として、権力を監視し、社会をより良い方向へと導くというものがある。日本政府の詭弁を擁護し、もはやフェイクとも言える様な周回遅れのロジックを拡散するようなメディアに存在意義はあるのだろうか。

脱石炭は最優先課題に

 COP26での合意として、主に「世界平均気温の上昇を1.5度に抑える」「石炭火力発電を段階的に削減する」というものがある。1.5度以上の世界平均気温の上昇は、破局的な影響を世界全体にもたらす。それを防ぐには2030年までに、世界全体で温室効果ガス排出を45%削減する事が必要で、先進国はさらなる削減努力が求められる。COP26以前の各国の温室効果ガス排出削減目標では、2030年の時点で削減どころか13.7%の排出増となるとされていたから、2030年に向けての削減目標を練り直さないといけないということだ。そのためには、石油や石炭、天然ガスといった化石燃料に依存した経済を変えなくてはならず、とりわけCO2排出が多い石炭火力発電からの脱却は最優先課題というわけだ。

グレタさんは過激か?

 だが、日本の新聞や雑誌の報道では、科学的な根拠や事実に基づく論議ではなく、日本の政府や業界の立場を擁護するための、感情的かつ事実としても誤っている発信が少なからずある。環境活動家のグレタ・トウーンベリさんの主張を「過激」だと揶揄するものは、その最たるものだろう。だが、「科学の警鐘に耳を貸せ」というグレタさんの主張は果たして、「過激」なのか?私達は既に温暖化による気候のバランスの崩壊を目の当たりにしている。日本でも「数十年に一度」というレベルの豪雨が毎年のように発生し、その度に多大な被害を被っている。今後、温暖化を放置すれば、世界人口の3分の1以上の人々が、酷暑から現在住んでいる地域からの移動を余儀なくされるとの研究もある。今でさえ、イラクなど中東では気温50度を超えるような酷暑が増えているので、大いに有り得る予測だ。そうなれば、土地や食料、水を奪い合う戦争も起きるだろう。

 恐ろしいことに、温暖化が一定以上進めば、温暖化がさらなる温暖化を招くという悪循環になることも指摘されている。例えば、「巨大な鏡」として、太陽光線を反射し、その熱を逃がす役割を果たしている北極圏の海氷が失われたら、その分の熱が地球の大気圏内にこもり、温暖化が加速する。しかも北極圏の地下や海底には、膨大な量のメタンガスが蓄積されている。このCO2の25倍の温室効果を持つメタンガスが大量に噴出すれば、温暖化がさらに加速する。温暖化進行の悪循環が暴走状態になれば、もはや人類が温暖化を食い止めることは極めて難しくなり、最悪の場合は大気中の酸素の約7割を供給する植物プランクトンが活動を停止するとの予測も報告されている。つまり、人類は「酸欠」で滅亡するかもしれないというわけだ。「私達の未来を燃やすな」というグレタさんや彼女を支持する若者達の主張は、過激でも何でもなく当然の主張だろう。むしろ、人類や地球環境の将来を犠牲にしてまで、しかも再生可能エネルギーのコストや安定性での目覚ましい進歩を無視して、石炭に固執する方が、よほど過激で情緒的、そして非現実的なのである。

「欧州VS途上国」という誤った構図

 だからこそ、COP26議長国イギリスを始め、多くの国々が石炭火力発電からの脱却を訴えたのだ。ところが、日本の一部の新聞や雑誌等は、温暖化対策を進めようとする欧州諸国のルサンチマン(恨み、妬み)に終始した主張を繰り返す。例えば「欧州はゲームのルールを自らに有利な方向に誘導しようとしている」「温暖化対策で欧州諸国は、途上国と先進国の分断を招いている」「アンモニア混焼など石炭火力発電からのCO2排出削減を進めようとする日本の主張は国際社会で受け入れるべきだ」といったものだ。だが、COP26では、石炭火力発電の段階的廃止や新規の石炭火力発電への支援を終了し、よりクリーンな発電を推進していくとする共同声明に46カ国が賛同。欧州だけではなく、アジアやアフリカ、中東等の途上国もこれに加わっている。その中には、日本の政府系金融機関や商社、電力会社等が石炭火力発電を輸出しようとしてきたインドネシアやベトナムも含まれているのだ。

 つまり、日本の一部の新聞や雑誌等が主張するような「先進国VS途上国」という構図ではなく、「脱石炭を進めようとする国VS石炭に固執する国」というかたちなのだ。しかも、脱石炭を進める国には、ドイツのように石炭産出国も含まれる。同国ではそれまでの計画を前倒しして、2030年には石炭火力発電を廃止するとしている。一方、日本政府や電力大手は、燃焼時にCO2を排出しないアンモニアを石炭に混ぜて燃やすことで、石炭火力発電の延命を目論んでいる。だが、アンモニア混焼は、現状では、最大でも20%程度の比率でしか混ぜられない。高効率型の石炭火力発電であってもLNG(液化天然ガス)による火力発電の約2倍のCO2を排出することを考えれば、全く不十分だ。今後、混ぜるアンモニアの割合を増やすことも技術的にはあり得るが、そもそもアンモニアの生産過程で排出されるCO2もバカにならない。化石燃料ではなく、太陽光や風力等の再生可能エネルギーによる電力で生産を行う「グリーン・アンモニア」を活用するという考え方もあるが、それならば、素直に再生可能エネルギーそのものを活用した方が合理的だ。

米中でも再エネが激増

 「温室効果ガスを最も排出しているのは米中。日本の努力がもっと認められるべきだ」というような主張もよく見かける。確かに、米中両国が対策を行うことは極めて重要だ。だが、一方で日本のメディアでは、米中両国こそが、世界で最も太陽光や風力などの再生可能エネルギーを普及させていることを、あまり報じない。IRENA(国際再生可能エネルギー機関)によれば、昨年だけでも、中国は、風力72ギガワット、太陽光49ギガワット と、合計136ギガワットの再生可能エネルギーを導入。米国も太陽光15ギガワット、風力約14ギガワットと、合計29ギガワットの再エネ設備を新設し、2019 年比で80 パーセント近くの増加を示しているという。単純な発電容量で言えば、1ギガワットは、原発1基分に相当する。米中にさらなる温暖化対策を求めるにしても、日本がいつまでも石炭火力発電に固執している限り、全く説得力がない。

 メディアは事実を歪めてまで、一部の政党や企業の利益のための発信を行うべきではないし、そのような発信は、日本にとっても世界にとっても害悪だ。Google及びYouTubeは温暖化を否定するコンテンツへの広告掲載を取りやめる措置を開始したが、日本のポータルサイトも、同様の措置を含め、温暖化に関するフェイクニュースを掲載することの是非を検討すべきなのだろう。

(了)

志葉玲

フリージャーナリスト(環境、人権、戦争と平和)

パレスチナやイラクなどの紛争地での現地取材、脱原発・自然エネルギー取材の他、入管による在日外国人への人権侵害、米軍基地問題や貧困・格差etcも取材、幅広く活動するジャーナリスト。週刊誌や新聞、通信社などに寄稿、テレビ局に映像を提供。著書に『13歳からの環境問題』(かもがわ出版)、『たたかう!ジャーナリスト宣言』(社会批評社)、共編著に『原発依存国家』(扶桑社新書)、『イラク戦争を検証するための20の論点』(合同ブックレット)など。イラク戦争の検証を求めるネットワークの事務局長。


すでに「異常気象」の中で暮らしていることは百も承知のはず。そして多くの命も失われているというのに、このミスマッチはなぜ?
今回の選挙で自公が「支持」されたことと、多くの国民が困窮しているにもかかわらず。
この「ミスマッチ」なにか共通しているように思うのだが・・・・・。


愛知の中3刺○ 気付きたかった心の闇

2021年11月26日 | 事件

「東京新聞」社説 2021年11月26日 

 衝撃的な事件だ。愛知県弥富市の市立中学校で二十四日朝、三年生の少年が同級生の男子生徒を廊下に呼び出し、持ってきた包丁で刺殺した。
 殺人容疑で送検された少年と被害生徒は同じ小学校出身で、中学も二年時は同じクラスだった。刃渡り二十センチの包丁はネットで購入したといい、刺し傷は肝臓を貫通するほどの深さだった。
 少年は被害生徒との間にトラブルがあったという趣旨の話をしているとされるが、学校側はいじめなどは把握していないという。少年は犯行後、素直に教員に従い、容疑事実も認めるなど、計画的で冷静な犯意もうかがえる。
 少年の心に深い闇を生んでしまった理由はなんだろう。「節度を持った優しい子だったのに」と親族は涙した。十四歳の心の異変に周りの大人が気づけていたら…。同じく十四歳で突如奪われた命を思えば言葉もない。
 市教委は第三者委を設置し、原因を究明するという。生徒はもちろん教員らの動揺の大きさも計り知れない。再発防止のためにも真相の解明は必須だが、聞き取りなどは丁寧に進めてほしい。
 同様の殺傷事件は、二〇〇四年に長崎県佐世保市の小学校で六年女児がネットなどでのやりとりから殺意を抱き、同級生をカッターナイフで刺殺した例や、一九年に愛媛県西条市の中学校で二年男子が人間関係のトラブルから同級生を果物ナイフで刺した例などがある。だからといって、子どもを加害者に想定して、例えば金属探知機を導入するような議論を軽々に進めることは本質を見失うことになりかねない。
 人が集まれば、多かれ少なかれあつれきは生じる。しかし、仮にいじめなどのトラブルが生じたとしても、子どもが他人や自分自身を傷つける手段以外に解決の道がないと、短絡することだけは防がなければならない。
 異変を見落とさぬためには、学校でも家庭でも、あるいは地域でも、大人がいっそう目を凝らしていくほかない。その意味でも、教員が子ども一人一人のケアに集中できるよう、負担軽減をいっそう進めることも焦眉の急であろう。

なぜ、げんこつではなかったのだろう?
いやいや、暴力を肯定するものではない。
しかし、なぜにここまで?
「社会」が狂っている?
より深い究明が求められる。
「命」をどのように教えていくか!
トラブルを大きくしない方法とは?
「教育」の責任が大きいと思うのだが。
先生の実務的負担を軽減し、子どもと向き合える教育環境を作らなければならない。「教科」を教える以上に重要な課題である。

雨宮処凛がゆく! 第576回:病や老いが前より怖くない理由〜中途障がいをもった天畠大輔さんの『〈弱さ〉を〈強み〉に』

2021年11月25日 | 生活

マガジン9 2021年11月24日
マガジン9 (maga9.jp)

 ある日突然、重度の障がいを負ったら。

 誰の人生にも起きうることだし、事故や病気で障害を持たなくても、人間、高齢になれば誰もが若い頃のようには動けなくなる。

 身体の自由が利かなくなる――。そのことは、数年くらい前まで、私にとっては恐怖でしかなかった。しかし、今の私はあまり恐怖を感じていない。身体が動かなくても、さまざまなテクノロジーを駆使して社会参加し、活躍している人たちを知っているからだ。

 その先頭に立つ一人が、れいわ新選組の参議院議員・舩後靖彦氏だろう。「寝たきり界のトップランナー」と言われる舩後さんは、議員になる前から福祉系の会社の副社長をしていた。もちろん、全身麻痺で呼吸器を装着してからの話だ。舩後さんと同じALSの患者には、そのような人が少なくない。身体は動かないけれど思考はクリアなので、わずかに動く眼球や指先、口などを使ってパソコンを操作し、自らヘルパーを派遣する事業所を運営する人が多くいるのだ。いわば「全身麻痺の社長」であり、その存在はALSの「社長モデル」として世界から注目されている。

 それだけではない。東京・日本橋の分身ロボットカフェ「DAWN」では、ALSなどの難病や重度障害で外出が困難な人たちが分身ロボットOriHimeの「パイロット」となり、カフェで接客をして働いてお金を得ている。

 このように、病気や障害で動けなくても、いろんな人と出会い、コミュニケーションし、自分らしく生きていく道は無数にある。ALSや難病の人たちとの出会いから、私は「寝たきりの先にある世界」の豊かさに目を見開かれ、「怖がることなんてないんだ」と大きな勇気をもらってきた。

 そんなふうに「人間の無限の可能性」について気づかせてくれた人の一人に、天畠大輔さんがいる。

 1981年生まれ。病気とも障害とも無縁の生活をしていた彼が、突如として若年性急性糖尿病になったのは14歳の頃。救急搬送されたものの、病院での処置が悪く、一時、心停止を起こす。約3週間の昏睡状態後、四肢麻痺、発話障害、視覚障害、嚥下障害が残る。しかし、読めず、書けず、話せないという状態で彼は猛勉強し、大学に進学。さらには大学院へ進み、博士号を取得。現在は日本学術振興会の特別研究員として研究をしている。

 それだけではない。自ら介助者を派遣する事業所を運営し、また、相談支援をする「一般社団法人わをん」を設立するなど、一人で何役もの仕事、活動をこなしているのである。それを24時間介助を受けてやっているのだからすごい。しかも、一人暮らしをしながらだ。

 そんな天畠さんと初めて出会ったのは、10年近く前、ある院内集会でのことだった。私に「重度障害者のめくるめく豊かな世界」を教えてくれた川口有美子さんが紹介してくれたのだ。

 そんな天畠さんは2019年の参院選で舩後さん、木村英子さんが立候補した際には応援スピーチに駆けつけてくれた。舩後さんのように「文字盤を目で示して介助者が読み上げる」形ではなく、「あ、か、さ、た、な」とヘルパーが言うのに合わせて腕を引き、一文字ずつ言葉を拾っていくという「あかさたな話法」でのスピーチは、そこにいたほとんどの人が初めて目にするもので、多くの人がコミュニケーションの奥深さに震えるほど感動したと話してくれた。

 さて、そんな天畠さんが『〈弱さ〉を〈強み〉に 突然複数の障がいをもった僕ができること』という本を出版したのでさっそく読んでみた。

 1章のタイトルはズバリ「『障がい者』になる」。

 原因不明の体調不良が続くも病名がわからない、というところから話は始まる。そうしてある日、天畠さんは意識を失う。救急搬送された病院で心停止状態になってしまい、両親は医師から脳死状態だと告げられる。

 3週間が経ち昏睡状態から目覚めるが、そこから苦難の日々が始まった。ラジオの音や周囲の会話は聞こえ、理解できているのに、全く反応できないのだ。医師は両親に「植物状態で、知能は幼児レベルまで低下している」と説明していたという。

 頭では理解しているのに、声も出せず、身体も動かず、意思表示ができない。想像しただけで恐ろしいことだが、そんな中、天畠さんがもっとも辛かったのは、「痛みを伝えられない」ことだった。

 危篤状態の時、体位交換ができず褥瘡ができてしまい、壊死した肉を切除する手術が2回されたのだ。全身麻酔の手術だったが、術後は血圧の低下をおそれて痛み止めがいっさい使えなかったという。

 「生身を切り裂かれるような激痛が続き、心拍数が190を超えていたのです。しかし、その泣き叫びたくなる激痛を他者に伝えるすべがありませんでした」

 結局、100日目で一般病棟に移ったものの、泣くか笑うかという表現しかできない状態で、やはり声を出すこともできない。周囲の会話は完全に理解しているのに、幼児扱いされてしまう日々。

 が、そんな状況を打破したのは、天畠さんが何かを伝えようとしていると確信していた母だった。頭の中に「あかさたな」の50音をイメージさせ、たとえば「て」の場合、あかさたなの「た」で舌を動かし、たちつてとの「て」でまた舌を動かすように言ったのだ。

 そうした手法で天畠さんが初めて母親に伝えたのは「へつた」。経管栄養が空になっているのを見た母親に、「おなかが空いているって意味なの?」と言われた瞬間、彼は顔中の筋肉を歪ませて泣いたという。心停止以降、初めて自分の言葉が伝わった瞬間であり、「あかさたな話法」が生まれた瞬間だった。

 しかし、そこからも苦難の道のりは続く。退院後は、リハビリテーションの施設に入り、養護学校に通うものの、あらゆることを管理される施設での生活は、天畠さんから生きる希望を奪っていく。同時に、進路相談では「もちろん入所施設ですよね」と当然のように言われ、このままずっと施設暮らしなのかとショックを受ける。

 が、そんな養護学校で天畠さんはただ一人、大学進学を希望。それはその養護学校の開校以来、初めての出来事だった。進学への一番の動機は「モテたい」だったというから正直だ。そんな「欲」が出てきたきっかけは、養護学校の高等部2年を終えた時点で施設を出て、家で暮らし始めたこと。多くの大学生ボランティアにリハビリを手伝ってもらうようになり、大学生たちが話す彼女とのエピソードに、「いつか、僕だって!」と大いに刺激を受けたのである。

 そうしてノートをとることも、英単語を書いて覚えることも、書いて計算することもできず、発話できず、よく目も見えず、身体も動かない天畠さんはボランティアの助けを受けて猛勉強を続け、見事、大学合格を勝ち取る。そこから大学院に入り、介助者たちの助けを借りて博士号を取って学術振興会の特別研究員になるまでは本当に紆余曲折ありすぎるのだが、それは障がい云々というよりも、一人の青年が、自分の前に立ちはだかるあらゆる壁を突破していく「大冒険」の胸踊る物語だ。

 そんな中、ハッとさせられたのは「障がいの受容」だ。自らを障がい者だと受け入れること。

 10代で中途障がい者となった天畠さんは、当然だが、障がいを受け入れられない。当初の思いとして何度も「障がいが治ると思っていた」という表現が出てくる。だからこそ、リハビリを頑張るし、自宅をバリアフリーにしたくなかったという。

 「自分の障がいがもう治らないと認めてしまうような気がして、バリアフリーにすることがどうしてもできませんでした」

 以降、身体を治すためにできる努力はなんでもしてきたという。

 「リハビリのために渡米することも、まだ治験段階であったバクロフェンポンプ埋め込み治療(バクロフェンという薬を脊髄に持続注入する治療法。投与量をコントロールするための機械をお腹に埋め込む手術をする)を国内二例目として受けることも、そこに迷いはなかったのです」

 しかし、17年、脳に直接電極を刺すという手術か可能かどうかの検査をし、「残念ながら、今の医学であなたを治療する方法はありません」という説明を受けたとき、不思議なほどすんなりと受け入れられたという。

 「それは障がい者となって20年が過ぎ、障がいが治らなくても介助を利用しながら、あらゆる可能性に挑戦できる、という自信がついてきたことが背景にあったと思います」

 今の彼は、多くの介助者に支えられながら、「発話困難な重度障がい者」が生きることに付随する多くのことを研究し、発信している。

 「いつしか、僕の研究活動は社会運動の意味もある、と意識するようになっていったのです」と書く通り、彼の当事者研究は、この社会を多くの人が生きやすいものに変えていく可能性を無限に秘めている。

 同時に、重度障がいがあってもこんなふうに本を書くことだってできるというメッセージは「能力主義の肯定に繋がるのではないか」という迷いも正直に吐露し、自らが強く内面化している能力主義にも向き合っている。

 本書を読んで、改めて、自分がどれほど何も知らないかを痛感した。

 天畠さんが障がいをもったからこそ向き合わざるを得なかった、家族との関係、介助者との関係、行政との交渉の仕方などなど、本書には「まだ障がいを持っていない」私たちも知っておくべきノウハウが満載だ。

 そうして本書で驚かされたのは、天畠さんが視察に行った、フランスの障がい者施設の話。そこは自由で開放的であるだけでなく、「入所する施設を本人がある程度自由に移れるシステム」になっているという。日本では、一度施設に入れば生涯その施設、ということが多いが、フランスでは引越しに近い感覚で、自分の住む施設を変えられるのだという。

 「高齢化社会」「人生100年」と言われながらも、この国には、障がいをもったり病気になってからの情報はあまりにも少ない。今、なんともなくても、家族や大切な人が突然難病になることだってある。

 その時に焦るより、今から情報を集めておいて決して損はない。

 自分の弱さをどう強みに変えるか。そんな永遠のテーマの答えのひとつがここにある。


すごい雪だった。過去形にしてもいいのかはまだわからないが・・・・
とにかく11月の雪としては経験がない。そんなに寒さが厳しいときではないので湿った雪で重い。
こちらは今朝の家の前。

石油タンクの上には50cm。
次は昨夜というか0時を超えた頃。

国道からずっと1速。オートマでは無理だっただろうと思う。パウダースノーならふっ飛ばして走るのだが、重い雪で時々ライトも真っ暗になり、降りては雪を落としながらである。

走ってきた跡です。


「分配」の陰で激増する「いじめ自○」 「使い潰し型」資本主義が日本を滅ぼす

2021年11月24日 | 社会・経済

今野晴貴NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。

YAHOO!ニュース(個人)11/21(日) 

 

「新しい資本主義」から抜け落ちた過労死対策

 生活困窮世帯への10万円の現金給付、看護・介護・保育の処遇改善など、岸田政権による「新しい資本主義」が話題を集めている。これらの「分配」政策が注目される一方、その陰に隠れてしまっている労働問題の一つに、過労死対策がある。

 特に毎年11月は厚労省の定める「過労死等防止啓発月間」であり、例年は過労死問題に注目が集まるのだが、今年は「分配」政策の席巻によって、後景に退いた印象を受ける。

 じつは、過労死問題を巡っては今年二つの大きな動きがあった。一つは、過労死認定基準の改定である。そしてもう一つは、ハラスメントによる過労死の激増である。

 「過労死」という言葉を聞いたとき、その原因について長時間労働を連想する人がほとんどだろう。もちろん、それは間違いではない。しかし、今年公表された厚労省の統計によれば、長時間労働に比をならべるほど、「パワハラ」や「いじめ」を主要な原因とする労災被害が多くなっているのだ。

 本記事では、過労死等防止啓発月間に合わせて、「いじめ・パワハラ」が増加する構造について、論じてみたいと考えている。なお、本記事の数字や分析については、今月発売された坂倉昇平『大人のいじめ』(講談社現代新書)を参照している。同書はNPO法人POSSEでハラスメント相談を担当する著者が、膨大な実例の研究をもとに日本のハラスメント事情を解明したものだ。

「過労自死」を凌駕する「ハラスメント自死」?

 今月、三菱電機グループにおいて2020年だけで330件ものパワハラ相談が社内の相談窓口にあったと、労働組合「電機・情報ユニオン」が記者会見で明らかにした。日本を代表する大手企業において、パワハラ防止法が施行された2020年でもなお、平然と大規模なパワハラが横行していたということになる。

 日本全体に目を向けても、近年パワハラ労働相談が激増している。厚労省に寄せられた労働相談においても、パワハラや職場いじめは、2011年度の4万5939件から、2020年度の9万7553件にまで、9年で2倍以上にまで増加している。また、パワハラや職場いじめによる精神疾患の労災認定数も、2009年度の16件から、2020年度の170件へと、この11年で10倍にまで激増している。これには、昨年施行されたパワハラ防止法の影響も大きいだろう。

 その結果、日本の労働問題を象徴する「過労死」の主な原因の中でも、パワハラや職場いじめが占める部分が拡大している。業務上の理由で精神疾患を発症して労災が認定された事件のうち、厚労省が長時間労働を主原因として判断したものは184件(※1)ほどだ。一方、パワハラと職場いじめが主原因とされたものは170件となる。ここにセクハラによる44件も足すと214件に上り、ハラスメントによる精神疾患が、長時間労働による精神疾患を上回ってしまう。これは2019年度の調査ではなかった現象だ。坂倉氏は前述の著書で、これを「過労自死」一般と区別して、「ハラスメント自死」と呼んでいる。

 もちろん、労災認定されなかった事案があることはもちろん、その困難さから労災の申請に至らなかった事案も多く、これらの件数は実際の過労死被害の氷山の一角に過ぎない。また、実際には複合的な業務上の原因によって精神疾患が起きているなど、厚労省による上記の「主原因」の判断が一面的に過ぎないという批判もあることは留意しておきたい。それでも、過労死のかなりの部分をハラスメントが占めるようになったことは注目すべき変化だろう。

※1精神疾患の理由の類型のうち、「仕事内容・仕事量の(大きな)変化を生じさせる出来事があった」「1か月に80時間以上の時間外労働を行った」「2週間以上にわたって連続勤務を行った」「特別な出来事」をカウントした。

長時間労働によってパワハラが増える構造とは

 ではなぜ、パワハラや職場いじめの相談がそこまで増加しているのだろうか? そこには労働条件の劣化の影響があると見られる。厚労省が今年公表した調査では、現在の職場でパワーハラスメントが起きている労働者のうち「残業が多い/休暇を取りづらい」と回答したのは30.7%で、過去3年間にパワハラを経験しなかった労働者の回答(13.4%)の2倍以上に及んだ。

 このように、長時間労働の職場においてパワハラが起きやすいことが明らかになっている。一方で、過労死の主原因に占める長時間労働の件数はやや減少しているが、これはコロナ禍の影響に加え、会社側が労働時間の証拠を労働者に残させない「隠れ残業」が広がっているものと推測できる。

 長時間残業などの劣悪な労働環境が増えることでパワハラが増える理由として、長時間労働をともなう過剰な業務命令や指導が、そのままパワハラになることは比較的イメージしやすいだろう。しかし、前述の坂倉氏の『大人のいじめ』では、それだけではなく、ハラスメントが過酷な職場環境に労働者を従わせる「効果」を指摘している。

「経営服従型」のハラスメントとは

 例えば、職場のストレスを発散させるためにパワハラが行われば、その職場の「不満」の矛先が、経営者から労働者にそらされることになる。また、職場の働き方についていけなかったり、会社に対して何かしら異議を申し立てたりするような労働者に対して嫌がらせをすることで、その労働者の姿勢を叩き直したり、「直らない」のであれば追い出したり、他の労働者への「見せしめ」にしたりすることができる。

 その行為によって、職場に残る労働者たちは経営者に対してより従順になり、労働条件を問題にすることなく、粛々と働くようになるというわけである。こうした「効果」を持つハラスメントを、坂倉氏は「経営服従型」のハラスメントと名付けている。

 しかも、こうしたハラスメントの加害者のうち、経営者や上司ではなく、「同僚」が加害者になる割合も多いという。坂倉氏が厚労省に確認したところ、2020年度において、パワハラ防止法の施行以降、精神疾患の労災が認定されたパワハラ・職場いじめ161件のうち、少なくとも39%、つまり約4割が同僚によるものであるという。

 労働者自身が他の労働者に対してハラスメントをもたらし、互いに「潰しあう」ことで、職場環境に声を上げられなくなってしまうという図式があるのだ。

「人間を使い潰す資本主義」としての過労死問題

 過酷な労働条件の中で、パワハラ・いじめによって労働者が「分断」され、経営者に対して従順にさせられてしまうというのは、重要な指摘である。日本社会では、「過労死」や「ブラック企業」に代表される長時間労働や、非正規雇用の貧困が蔓延し、労働者をひたすら従属させて限界まで働かせる、「人間を使い潰す資本主義」が続いてきた。これは19世紀のイギリスを彷彿させるような資本主義の原型でもある(※2)。

 日本の資本主義の最大の問題は、人を使い潰す経営に慣れすぎてしまい新しい活力が失われているところにある。その間にも世界では賃金上昇の圧力にさらされ、経営者は技術革新に注力してきた。「使い潰し型資本主義」から脱却できないかぎり、日本社会に未来はない。

 岸田政権も「新しい資本主義」を掲げるいま、わずかな「分配」に終始するのではなく、過労死のような長時間労働や、労働者が経営者に従属せざるを得なくなる構造に歯止めをかけていくことが重要なのではないか。その筆頭と言える対策の一つが、過労死対策のはずである。残念ながら岸田政権が積極的にその対策を広げていく様子は現時点ではない。

 長時間労働やハラスメントの被害に悩んでいる当事者の方、そのご家族や知人、同僚の方は、ぜひ専門家に相談してみてほしい。

 なお、NPO法人POSSEでは本日11月21日14時から、弁護士を講師としてオンラインの過労死セミナーを実施する。また11月23日には労災ユニオンが過労死相談ホットラインを開催する予定だ。

※2 今月発売の拙著『賃労働の系譜学 フォーディズムからデジタル封建制へ』でも、筆者はこうした日本型資本主義の構造を分析し、これからの経済社会のあり方を論じている。

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参考文献

坂倉昇平『大人のいじめ』(講談社現代新書)

常設の無料労働相談窓口

NPO法人POSSE

03-6699-9359

soudan@npoposse.jp

*筆者が代表を務めるNPO法人。訓練を受けたスタッフが法律や専門機関の

労災ユニオン

03-6804-7650

soudan@rousai-u.jp

*長時間労働・パワハラ・労災事故を専門にした労働組合の相談窓口で


昨日は勤労感謝の日だった。「感謝」、言ってみただけのようだ。
職場が狂い出した。特に大企業のパワハラがひどい。死ぬまでパワハラ。
ユニオンがんばれ!
「連合」幹部たちは何をしているのかな?
こんな「連合」の顔色伺う立民代表候補たち。
戦え!

雪の華が咲いた。

 


2021年11月23日 | 健康・病気

「死刑になって死にたいから、殺す」拡大自殺の実行者と車を暴走させる高齢者…その背景にある恐るべき真実薬物の副作用で人はおかしくなる

PRESIDENT Online

和田 秀樹国際医療福祉大学大学院教授

 

薬には副作用・副反応がある。精神科医の和田秀樹氏は、「薬の副作用が一因となって自分や人を傷つけようとしたり、体は起きているが寝とぼけた状態になって車を暴走させたりすることがある。警察やメディアは容疑者などが日頃飲んでいる薬を調べるべき。また、コロナワクチン接種後の死亡者を巡ってもワクチンの副作用・副反応との関係などをもっと開示するべきだ」という――。

 

京王線ジョーカー”事件の25歳容疑者の「薬の履歴」を調べよ

10月末、東京都内を走る京王線の電車内でナイフを用いて乗客17人に重軽傷を負わせ、油をまいて火を放った25歳の男が殺人未遂容疑で逮捕された。精神科医である私に対して、この件に関して週刊誌やテレビ局などから取材申請があったが、なるべくコメントを差し控えてきた。

書籍『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)で日本でも有名になった精神科医・心理学者のアルフレッド・アドラーは目的論で知られる。同じく精神科医のフロイトなどの精神分析では、非行少年の非行行為について、子供時代の育て方とか生まれつきの攻撃性など原因に注目する。

それに対してアドラーは、原因に注目することでは、相手は変わらないので、むしろなんでその行為をやるのかという目的に注目する。

その目的が「目立ちたい」「注目されたい」というものであれば、周囲が騒いだり、叱ったりするのは、むしろ相手の望みをかなえてしまうので逆効果と考える。

要するにアドラーの考え方では、目立ちたいから事件を起こす人を大報道するのは、その目的をかなえることになるし、その犯人が逮捕されることによって、同じように目立ちたいから事件を起こす人の事件を誘発することになる。

現実に、今回の事件は次々と模倣犯を生んだ。

11月8日に九州新幹線車内で液体をまく、ライターで火をつけた69歳の男は(京王線の事件の)「まねをしようと思った」と供述しており、翌日には宮城県で保育施設に刃物をもって現れ逮捕された31歳の男は、「小さな子供を殺し、捕まって死刑になるためにやった。邪魔してきた職員も殺すつもりだった」などと供述している。

これを社会病理と見るか、容疑者たちのパーソナリティの問題とみるかは、精神科医である私にとっても判断が難しいところだが、一点、確実に言えることがある。

騒ぎを起こして多数の人間を殺し、死刑になることで自殺する「拡大自殺」をした者に対しては、警察などが服用していた薬を調べるべきである。

「死刑になりたい」と人を殺そうとする人々が飲んでいた共通の薬とは

いわゆる拡大自殺はアメリカでは1990年代以降、日本では2000年代以降、問題になっている。アメリカでは、銃を乱射して、警官に射殺されて死のうとする。別名「スーサイドバイコップ(suicide by cop)=警察による自殺」と呼ばれるもので、大事件を起こして警察に射殺してもらって自殺を果たすというものだ。

日本でも死刑になりたいと大事件を起こすケースが少なくない。

2001年の附属池田小事件(※1)、2008年の秋葉原通り魔事件(※2)などがそれにあたる。世の中を騒がせて死刑になろうとするという点では、1999年の全日空61便ハイジャック事件(※3)もこれに当たるかもしれない。

※1:2001年6月8日、大阪府池田市の大阪教育大学附属池田小学校で発生した無差別殺傷事件(児童8人死亡、児童13人および教職員2人の15人負傷)。
※2:2008年6月8日に東京都千代田区外神田(秋葉原)で発生した通り魔殺傷事件(7人死亡、10人重軽傷)。
※3:1999年7月23日に発生した羽田発札幌行きの飛行機がハイジャックされた事件(機長が死亡)。

問題は、これらの事件の加害者の共通点は、すべてSSRIというカテゴリーの抗うつ剤を服用していると言われている人たちということだ。参考文献『治す! うつ病、最新治療 ──薬づけからの脱却』(リーダーズノート編著)

SSRIはシナプス内のセロトニンだけを選択的に増やすという種類のうつ病の薬で、余計な伝達物質を増やさず、作用がシナプスの中でだけ起こる。これまでの抗うつ剤のような副作用も起こさないドリーム・ドラッグと言われていたものだ。

しかし、シナプスの中である伝達物質が急に増えるというのは、覚せい剤と似た作用ともいえる。

こうした薬は、確かにこれまでより有効性が高く副作用も少ないが、たとえば自殺念慮のある患者が、生きる意欲を取り戻すのではなく、自殺を決行させる頻度が高まることが問題視されている。

欧米では、イギリスのバンガー大学の精神医学教授デイビッド・ヒーリーのように、製薬会社などからかなりの圧力を受けながらそれに闘う医師がいるが、残念ながら、日本ではヒーリーの著作訳者の田島治先生などごく少数の医師しかSSRIの危険性を訴える人はいない。

コラムニストの神足裕司氏もこの問題に取り組んでいて、私も取材を受けたことがあるが、そのリポートが世に出る前にくも膜下出血で倒れてしまった。

いずれにせよ、この薬の認可以来、前述のようにこの薬を服用した人の異常な犯罪が続いているが、メディアは積極的に取り上げようとしない。

前述の全日空ハイジャック事件だけが裁判で薬の影響が認定されて無期懲役になったが、それさえもろくに報じられていないように感じる。今回の電車内で起きた事件でも「飲んでいた薬」に関してはメディアで特に問題にされず、容疑者の心理分析とか模倣犯のようなものばかりに着目している。

もちろん、すべてが薬のせいとは言えないだろうが、ある種の意識変容が起こる可能性は否定できず、こうした事件が起こった際に、飲んでいた薬の確認は必要だろう。

それがわかれば多少なりとも再発予防になる(医師の側も、投与に慎重になる)だろうし、加害者への怒りも少しは和らぐだろうし、それ以上に被害者への補償の芽も出てくる。

こんなに過去事例があるのに、それが検討されないのはメディア側の不勉強ともいえるが、ひょっとしたら、このような抗うつ剤を作っている製薬会社はメディアにとって大スポンサーで忖度(そんたく)しているのかもしれない。そんな疑いを持つほど、薬に関して触れないのだ。

池袋で暴走して11人死傷させた「上級国民」は薬の意識障害だった?

私は高齢者を専門にする医師だが、最近、頻発する高齢者の自動車による暴走や逆走についても、薬の影響を疑っている。

高齢者の運転のリスクのひとつに、動体視力や反応性の低下によりブレーキ操作などが遅れるということがある。要するに飛び出してくる子供などをよけられなくなることだ。

多くの高齢者はそれを自覚しているためか、以前よりゆっくり走るようになったと思う。前を走る車に高齢者のマークがついていると、ゆっくり走られてイライラする経験はドライバーならだれにもあるだろう。

今はスマホで動画をいくらでも撮れるから、それが投稿されて、高齢者の暴走や逆走ばかりが注目されるが、車に乗るたびに“常習的”にやっているわけではない。2019年に池袋で車を暴走させ11人の死傷者を出した旧通産省工業技術院の元院長(90)もそうだったと推測している(9月2日、元院長の禁錮5年の実刑が確定)。

11月17日にも、大阪府大阪狭山市で89歳の男性が自動車を暴走させ、スーパーマーケットにつっこみ3人を死傷させたが、ふだんは絵にかいたような安全運転のドライバーだったという。

ふだんしないことを突然するとすれば、原因として最も考えられるのが意識障害だ。

要するに、体は起きているが寝とぼけた状態になることだ。これの症状が重いものはせん妄と言われるが、高齢者の場合、精神安定剤(前日の夜に飲んだものが翌朝に残りやすい)のほか風邪薬やH2ブロッカーと言われる胃薬でも起こることが知られている。

あるいは、血圧の薬や血糖値を下げる薬が効きすぎて、一定以上血圧が下がりすぎたり低血糖状態を起こしたりした場合にも意識障害は起こる。ふだんはむしろ高血圧や高血糖なのだが、ある時間帯に効きすぎが起こることは珍しくない。たまたまそういう時間帯に運転している際にもうろうとして逆走したり、あるいはものに衝突しかけたりしてあわててアクセルとブレーキを踏み間違えることは十分あり得る。

高齢者の場合、服薬している薬など事故原因の究明は再発予防のために重要なことだ。

事故当時のことを覚えていないという供述に「ウソをつくな」「ふざけるな」という声が強いようだが、意識障害の場合、むしろ覚えているほうが珍しい。

交通事故に限らず、高齢者が増えている中、薬の副作用で意識障害が起こるという認識をもう少し社会に共有することが必要だと私は感じる。高齢者に一律に免許を取り上げるより、服用している薬についての注意喚起を行ったほうが、再発予防につながるかもしれないのだ。

なぜ、メディアはコロナワクチン接種後の死亡者を深追いしないのか

コロナウイルスのワクチン接種についても、副作用報道があまりに少ない。

ファイザーのワクチンだけで接種後の死亡例が1300件以上報告され、厚生労働省もHPで公開しているのに、それが詳しく報じられることはまずない。

この中で注目すべきは、ついに13歳の死者が出たということだ。気管支喘息の持病をもち、ワクチン接種後の約4時間後に入浴して、出てこなかったため確認したところ浴槽内で水没しているところを発見され、救急要請の後に死亡したとのことだ。

コロナ感染による15歳未満の子供の死亡はまだ一人も出ていないにもかかわらず、ワクチン接種後の死者が出た。この年代のワクチン接種が強力に推し進められているだけに、これは重大な事実だ。

また、コロナ感染が落ち着き、ほとんど死者が出ていないのに、10月25日から11月3日だけでワクチン接種後の死亡は28件報告されている。コロナで亡くなるより、ワクチン接種後の死亡のほうが多いのだ。

こういう事態をきちんと報道しないで、3回目のワクチン接種が進められることに疑念を禁じ得ない。

これらの死亡例の中で、予防接種・ワクチン分科会が因果関係を認めたものはまだ1例もないが、一方で因果関係が否定されたものも7例しかなく、残りは「情報不足のために評価できない」とされている。

再び感染が広まった後ならともかく、現時点では、ワクチンを打つ必要があるかどうか判断するのに、重要な情報源なのは間違いないだろう。

大スポンサーである製薬会社への忖度かどうかは軽々に判断することはできない。しかし、いろいろな場面で、薬の副作用のリスクをもう少し情報として広めないと、薬の服用にせよ、ワクチン接種にせよ、その可否の判断が困難になる。

いくら賢い人でも、情報不足の中では、まともな判断ができないことは確かなのだから。

*      *     *     *     *

ネオニコ系農薬 人への影響は【報道特集】

その他「向精神薬」「睡眠薬」など、「薬」に関する記事が多数ありますので、興味のある方はブログ内検索してみてください。


ルール破り、恫喝、支離滅裂……それでもなぜ自民党政権は揺らがないのか

2021年11月22日 | 社会・経済

 

内田樹×武田砂鉄 その2

文春オンライン 2021/11/21

「政治とカネ」にまつわる様々なスキャンダルが相次いでいたにもかかわらず先の総選挙で自民党は単独過半数を獲得した。国民の政治的なエネルギーが高まらない理由から現状肯定的な若者たちの心理まで、“権力者が熱狂する”時代の深層に迫る(全2回の2回目/前編を読む「SNSで人を攻撃することの“間尺の合わなさ”」

◆◆◆

安倍元首相の「立ち返る初心」はいずこに

武田 安倍元首相が象徴的ですが、公の人間が、すぐに私の部分を持ち出す。その部分を撒きながら賛同を得る。これほど、自分に向けられる熱狂を管理しやすい状態もないですね。

内田 安倍晋三さんってたぶんもともとは穏やかなおとなしい人で、特段の自己主張がなかったんだと思います。政治家になる前の彼を知っている人はそう証言していますから。でも政治家になって、ある時点で「支持者に受けるペルソナ」を獲得した。こういうことを言って、こういうことをすれば、ある種の人たちが熱狂するということを学習した。だから、あの人の極右的な発言は「外づけ」だと思います。彼個人の年来の野心を実現するために権力を求めたのではなくて、権力を行使できる地位にたどりつくために「受けるペルソナ」を演じている。

武田 様々な疑惑があったのに、政権が総力を挙げてうやむやにした。でも、さすがに、国会での100回を超える虚偽答弁がバレて、昨年末には「初心に立ち返る」などと謝罪をしました。ところが、今年の自民党総裁選の段階では、相変わらず「キングメーカー」と呼ばれるようなポジションで居続けている。「立ち返る初心」ってどこにあったのか、呆然とします。

中身がない人にはリミッターがない

内田 政治の世界ではよくあるんですよ。赤狩りで知られる米共和党右派の上院議員ジョセフ・マッカーシーはまったく中身のない政治家でした。自分の上院議員選のときの公約に何かいいものはないか探していて、コンサルタントに「政府部内に共産主義者がいる」という陰謀論はどうかと提案されて、それに飛びついた。自分の考えじゃないんです。それを言うと有権者が熱狂するということがわかったので看板に採用した。そうやって自分自身でも信じていない陰謀論を大声で主張した結果、4年にわたって統治機構のみならず社会全体を麻痺させるほどの力を持つことができた。

 そういうものなんです。個人的信念に基づいて行動する政治家はむしろ抑制的になる。感情や身体実感の裏付けがあることを語ろうとする限り、それがリミッターになって、ある限度を超えることができない。でも、中身がない人にはそういうリミッターがない。「外付け」したイデオロギーを大声でがなり立てることに抵抗がない。自分の中から生まれたわけではないのだから、どれほどそれが非論理的でも、不道徳的でも、気にならない。そういう人が強大な政治的な権力を持ってしまうことがある。歴史を振り返ると、そういう例はいくつもあります。

怖いのは没論理的で感情的な権力者の暴走

武田 権力者側が、あまりに論理性のない、支離滅裂なことを続けてくると、受け止める方は真面目に批判するしかない。権力を茶化すのって、権力側にある程度の背骨があるからこそできることですが、茶化す以前に、背骨のない権力に茶化されているわけです。だって、巨費をかけてアベノマスクを配るというのは、もはや国家的ギャグです。数百億円をつかったギャグです。国家的なギャグをバカにしても、投じてくるほうが面白い。こうなると、真面目に言葉を尽くすのが虚しくなってくるわけです。

内田 そうです。どれほど権力があっても、統治者が論理的・知性的にふるまう限り、「恐れられる」ということはありません。怖いのは没論理的で感情的な権力者の暴走なんです。ふつうは統治者は論理的・知性的にふるまい、それに対抗して「若者」たちが感情的で非論理的な思いをぶつけてゆくというのが反権力の基本構図なんです。ところが、この9年間でその図式が逆転した。権力を持っている人たちの方が没論理、反知性主義で感情的にふるまうようになった。そうすると反権力の側は権力者の側とは違うマナーで対抗しないといけないから、いきおい論理的で冷静にならざるを得ない。

 でも、権力を持っている側が没論理的で感情的であることを意図的に選ぶと、もう勝負にならないんですよ。反権力の運動にこそ熱狂が必要なのに、「政治的に正しいこと」を論理的・非情緒的にぼそぼそと語ることを強いられるわけですから。それでは、国民の政治的なエネルギーを搔き立てることができない。

政治家が率先してルールを破り「熱狂している」

武田 コロナ禍で国民の大半が出歩くのを控えている中で、誰よりも先に政治家が率先してルールを破り、銀座のクラブに通い、ステーキ会食をした。平井卓也デジタル改革担当相に至っては恫喝して、それこそ「熱狂」している。そうやって熱狂している人たちを、私たちのほうが、冷静になって「よくないですよ」「またですか」「どうしてそんなことをするんですか」と見続けています。

内田 そうです。河野太郎が威張り散らして、パワハラで部下を脅かすとか、むしろ権力側のほうが抑制が効かなくなっている。たとえ演技でも、つねに冷静で論理的にいるのが公人の義務であるはずなのにそれを完全に引っくり返した。これに対してはもっと感情的で没論理的なカウンターを組織しないと歯が立たないわけですけれど、それって「どちらが幼児的か」を競うようなものですからね。

 歴史的に見ても、独裁者は必ず没論理的・感情的にふるまうものなんです。オバマとトランプを比べた時に、どちらがより権力者として「怖い」かと言ったら、圧倒的にトランプの方が怖いわけです。やることが首尾一貫していて、論理的で、自分が何をしようとしているのかをきちんと言葉で説明できる政治家の場合には、その人が次に何をするか予測できるから、別に怖くない。でも、非論理的で感情的で、約束を破ることも首尾一貫しないことも気にしないという権力者は怖い。みんなが顔色をうかがう。だから、権力的であることをめざす政治家は必然的に没論理的で感情的にふるまうようになる。

限界だろうと思ってもなぜか揺らがないハラスメント政治

武田 今回の本で、今、日本は先進国の中でもっとも「統治しやすい国」になっているとの指摘がありました。政治家が自分の身内ばかり優遇するような政治で私腹を肥やしても、国民の半数近くは黙って現在の政権を支持している。この1年半のコロナ禍の対応を振り返ってみると、とにかく、まずは自助でなんとかしろ、公助とかそう簡単に言うな、俺たちは絶対にオリンピックをやるつもりでいる、コロナが改善してきたら俺たちのおかげ、大変になってきたらお前たちのせい……こんなハラスメント政治はもう限界だろうと思っても、体制がなぜか揺らがない。疲弊します。

内田 気持ちはわかります。でも、僕はそれほど悲観していません。世の中の潮目、風向きは変わる時に一気に変わるからです。日本新党が出てきた時や、2009年に民主党が政権をとった時もそうです。古くは60年代の学園紛争の時もそうでした。三派全学連が結成されたのは66年ですが、そんな動きを僕たちはまったく知らなかった。新聞だって報道しませんから。でも、それがわずか1年後には日本中の大学を無法地帯にするほどの運動にひろがった。こうした変化は、きちんと歴史的条件が整ってから起こるというわけではなく、ある日いきなり始まるんです。時代は必ず変わります。いまみたいに国力がどんどん衰微し、国民生活が日々貧しくなって、市民的自由を制約する体制がこれから先もずっと続いていくことは決してないです。明けない夜はありません。

「長いものには巻かれろ」が若い人のリアリズム

武田 今、若い人たちに向けて「生活に満足してますか?」というアンケートをとると、生活満足度が高く出るんですね。生活の実態はかなりしんどくても、いざ問われると、「でもまあ、こんなもんだろ」と受け止める。悲観的な展望かもしれないですが、今後の総選挙でも、この「統治しやすい国」がさらに強化されてしまうんじゃないかと感じています。

内田 若い人たちの回答は生活実感の中から生まれた言葉ではないと思います。「こういう質問にはこう答えておけばいいんじゃない」という空気に乗って「べつに自民党でいいんじゃないですか?」と軽く言ってるだけで、とくに強い信念に基づく言葉じゃないと思う。いまは「長いものには巻かれろ」「寄らば大樹の陰」というのがリアリズムだと若い人は信じている。政治に関して現状肯定的なことを言っている方が「クール」でかっこいいと思っている。だから、現状肯定的になる。いまも昔も実はあまり変わりはないんです。昔は反権力がクールで「かっこいい」と思われたので、そうした。いまはデモに行ったり、熱く権力批判を語ったりするのは「かっこ悪い」と思われているから、やらない。どちらもそれほど深い信念に基づくことじゃないと思います。

「社会が変革することはない」という刷り込み

武田 先日、自分が担当しているラジオ『アシタノカレッジ』に絵本作家の五味太郎さんがいらして、「みんな、反応するんだけど、考えないんだよね」と語っていました。まさに今の時代、反応することが目の前に溢れ過ぎています。見るもの、読むものを引き受けて、反応するべきことが大量にある。その都度、考えるのがしんどいので、目の前のことにただ反応する。こうすると、深く考えないまま、生活が繰り返されていくんですね。

 物心ついた時から基本的に不景気だった同世代や少し下の世代を見ていると、社会が変わることへのあきらめがあり、風景は変わらないけど、この中でなんとか「自分なりに深呼吸できる場所」を見つけられればそれでいい、という意識を感じます。そこには、社会が変革することはないという、刷り込みのようなものも強くあると思います。そんなことないって、と思いながらも、なかなかにしんどい状況下で深呼吸する場所を見つけたのであれば、それを一旦壊してしまうかもしれない、「もっと社会に意識を向けよう、大きな波にしていこう」という呼びかけに、ためらいも生じてしまうんです。

「劇的な変化」は意外なところから出てくるもの

内田 その運動に参加していることが楽しいというのでないと、世の中を変えるような広がりは持てないと思います。義務感や使命感でやっている運動では、人は動かない。なんか楽しそうなことやってるなと思って、何となくかかわって、やってみたら面白くて、つい熱くなってしまう……というのが政治的熱狂の自然な盛り上がり方なんです。そういう「楽しい運動」が同時多発的に起きる時にはじめて体制変革が起きる。

 だいたい劇的な変化っていうのは「こんなところで、こんな人たちによって?」と驚くようなところから出てくるものなんです。変化は必ず起きる。でも、いつ起きるのか、どこで起きるのか、誰が起こすのかは予測できない。そして起きるときは同時多発的に起きる。

武田 歴史を俯瞰する視点を持っているからこその言葉ですよね。上の世代の方々のほうが、世の中の大きな変化にたいする楽天性のようなものがあります。それを内部留保せずに、分けてほしいな、と思うことがよくあります(笑)。今日は刺激的なお話をありがとうございました。

内田 こちらこそありがとうございました。次回はぜひ対面で(笑)。


もう、すっかり冬です。
週間天気予報を見ると、☂マークは消え☃のマークに変わっています。まだ真冬日にはなりませんが、最低気温は氷点下5℃.7℃と真冬並みになってきました。


週のはじめに考える 痛み知る人を代弁者に

2021年11月21日 | 生活

「東京新聞」社説 2021年11月21日 

 日本一の歓楽街、東京・歌舞伎町の一角に十一月の夜、改装したピンク色のバスが現れました。夜の街の少女たちを支えるため、一般社団法人「コラボ」が毎週水曜日の夜に開く「バスカフェ」。テントの下にテーブルやいすを並べた二十平方メートルほどのスペースは、少女たちが安心できる人とつながり合うための居場所です。
 食事や着替えの洋服、下着などを提供し、希望があれば宿泊先や行政支援につなぎます。
 自らも中高時代に路上をさまよった経験を持ち、十年前にコラボを設立した代表理事の仁藤夢乃さん(31)=写真。日々出会うのは中学生や高校を中退した十代です。親から虐待を受けて家にいられない子、地方から家出してそのまま歌舞伎町にやってくる子も。
 幼さを残した少女たちを待ち伏せるように、街には買春目的や風俗店で働かせようと声をかける大人が大勢います。助けるどころか少女の苦境につけ込み、性を狙っているのです。

◆夜の街の少女に伴走

 少女たちがツイッターに「#家出」「#泊めて」と投げると瞬く間に大人たちから返信がきます。おにぎり一個を買ってもらい家に連れて行かれてレイプされた子、アルバイトがあるとだまされてレイプされた子…。あまりにつらい現実が少女の身に起きています。
 少女買春の野放しはおかしい。少女の性が搾取される社会を変えなければ。けれど誰が少女の代弁者になってくれるのだろう。
 仁藤さんは十月の衆院選で「ジェンダー平等の実現」を掲げた野党の女性候補を応援しました。ジェンダー平等は男性と女性が平等に権利と機会を持ち、意思決定に対等に参加できる状態です。
 衆院選では選択的夫婦別姓の実現などが注目されましたが、虐待や性暴力の根っこにも男女格差や性差別があり、これらの解決には憲法もうたう男女平等の視点は外せません。
 政治家は票につながらない子どもの声になかなか耳を傾けようとしません。でも、仁藤さんの目に元職の彼女は違ってみえました。「#MeToo」運動が日本に根付く前から性暴力や性搾取の問題に取り組み、国会で質問し、前回選挙で落選後も、傷ついた少女の声を聞き続けてきた人でした。
 仁藤さんは初めて選挙カーに乗って訴えました。「今の社会は立場の弱い人にしわ寄せが集まっている。私の元には少女からのSOSが届いています。子どもがありのままに生きられないのは、自分の責任じゃない。私たちの痛みを知る人を国会に送りましょう」
 残念ながら、この候補は落選しました。自民党が議席を減らしながらも単独で過半数を獲得し、政権を維持しました。「経済」に重点を置いた自民党の公約にジェンダー平等の文字はありません。
 野党がジェンダー平等を前面に掲げたことが票を逃した、との論評もありましたが、こうした見方には慎重でありたいものです。
 性暴力や性差別の問題に取り組む人を攻撃する動きが近年、目立ちます。仁藤さんが応援した候補も攻撃されていると語ります。

◆余裕の問題ではない

 それでも、自分の仕事はジェンダー平等を実現させること、性暴力の問題は政治が解決すべきだと果敢に訴えた姿勢が、選挙に関心がなかった人を含め、多くの有権者を勇気づけたことは事実です。
 遊説先には、セクハラに遭っても、電車で痴漢に遭っても泣き寝入りだと、中高生ら若い女性が集まっていました。政治の中に、新しい希望を見いだそうとしている人もいるのです。
 世界各国の男女間格差を測る「ジェンダーギャップ指数」で、日本は世界百五十六カ国中の百二十位です。経済や福祉などの次に「余裕があれば」とジェンダー政策を後回しに語る人もいますが、大切なことを余裕の問題と片付けるうちに、日本は国際社会から置いてきぼりになりました。
 コロナ禍で少女の苦境はより過酷になっています。コラボが受けた昨年度の相談は、約千五百人から四千五百件。例年の二・五倍です。年齢層の高い学生らがアルバイトがないと言って、助けを求めにくるようになったのです。
 来夏に参院選があります。多くの政党はまた、経済政策を公約の筆頭に挙げるのでしょうが、男女格差が残る構造のままで本当の経済回復はあり得ません。あらゆる政策に「性差別のない」という冠を付けるにはまず、痛みを知る人を国会に送らねばなりません。

 寒くなったのでスズメバチもいなくなった。そこで、巣を作っていたコンクリート片を除去すると、こんな巣が現れた。通路から2mもない。巣があるのは知っていたが、横目でチラチラ見ながら通っていた。
 
 
 
 
 

漂着した「軽石」は資源になる 沖縄県環境部が発表した軽石の分析結果

2021年11月20日 | 生活

森田正光気象解説者/気象予報士/ウェザーマップ会長

YAHOO!ニュース(個人)11/20(土) 

<picture></picture>硫黄島から撮影された福徳岡ノ場の噴火の様子(提供 海上自衛隊第21航空群)

 ものごとにはプラスとマイナスがあります。

 今年8月、日本のはるか南海上で起こった福徳岡ノ場の噴火によって発生した「軽石」は、沖縄など南西諸島に漂着したときには、その得体の知れなさから驚きのニュースとなって全国に波及していきました。さらに11月20日現在、伊豆諸島や神奈川、千葉など関東の沿岸でも軽石の漂着が確認され、また沖縄では依然として大量の軽石が浮遊しており先の見通せない状態が続いています。

軽石の活用に向けて

 この軽石は漁業などに甚大な被害を与え、厄介な漂着物であることは間違い有りません。ところが11月17日、沖縄県環境部から発表された「県内に漂着した軽石の分析結果について」の報告書を読むと、軽石に意外なプラス面もあることが分かってきました。

 知人の沖縄農業関係者によると、軽石が漂着したときに直観的に思ったのは「タダで土壌改良材が手に入る」ということだったそうです。粘度の高い沖縄の土壌には軽石のような水はけのよい素材が必要だからとのことでした。

 とはいっても、軽石の中に毒性のあるヒ素やカドミウム、水銀などが入っていては使うことはできません。

 そこで今回の分析結果ですが、結論から言うと沖縄県内三か所から採取したサンプルは、いずれも“土壌環境基準を満たしている”というものでした。

 見方を変えると、今回の軽石は土木建築資材や農業用資材等としての活用が見込まれるということで、厄介者から一転、資源になる可能性が出てきました。

 そこで、今回の噴火について、もう一度整理してみましょう。

宇宙からもわかるほどの噴煙

 https://youtu.be/pzGp-ksyEq0?t=7

上の画像は、福徳岡ノ場が噴火した8月13日のひまわり画像です。画面中央、下部分に注目してください。噴火と同時に噴煙が勢いよく西へ流されているのが見えます。

 当時の上空の天気図を見ると、チベット高気圧が張り出し、その南縁で風速20m/sほどの東風が吹いていました。この風に乗って西へ流れていったのでしょう。

8月13日の上空13000メートル付近の天気図(出典 気象庁)8月13日の上空13000メートル付近の天気図(出典 気象庁)

 しかし、これだけはっきりと写っているにも関わらず、当時はそのニュースがあった記憶があまりありません。それもそのはず、本州では前線が停滞し広島県に大雨特別警報が出るなど、西日本を中心に記録的な豪雨になっていました。とても、はるか南海上で起きたことに目を向ける余裕は自分自身にも無かったように思います。

8月13日硫黄島から撮影された福徳岡ノ場の噴火の様子(提供 海上自衛隊第21航空群)8月13日硫黄島から撮影された福徳岡ノ場の噴火の様子(提供 海上自衛隊第21航空群)

 一方で、現場付近では凄まじい噴煙が写真に収められていました。

 タイトルと上の写真は、福徳岡ノ場から北へおよそ60キロに位置する硫黄島で撮られたものです。噴煙の上部がカナトコ状になり、それ以上は雲が上昇することができない、いわゆる圏界面に達していることがわかります。また、火山雷(噴火の際に噴出した軽石や、火山灰などがぶつかりあって電気が生じたもの)が発生していることもわかります。

 いずれも、スマートフォンで撮影したものとのこと。60キロの距離というと、東京から神奈川県の丹沢くらいになります。これだけ離れた距離でこのような写真が撮れたことからも、噴火の規模は相当大きかったと言えるでしょう

 また気象の上では、火山の噴煙が圏界面を越えて成層圏に入ると気候に影響が出ると考えられています。当時の小笠原付近の圏界面は約1万7000メートル。噴煙の高さは1万6000~1万9000メートルですから、噴煙の一部が成層圏に入った可能性も有ります。

軽石の漂着と今後の展望

 噴煙による直接の被害はなかったものの、その後、海上へ落ちた噴石(軽石)は、黒潮反流と呼ばれる海流にのって約2カ月をかけて、沖縄へ漂着しました。

 先日、沖縄県の環境整備課の方に伺ったところ、「あまりに量が多くて、まだ撤去作業が手つかずのところもあります。35年前にも漂着したことがありましたが、これだけの大規模だったという記録はありません。どのくらいで収束するのか、想像がつきません。長期戦を覚悟しています。」と話されていました。

 一方で、軽石の利用も検討中だそうで、「ヒ素やカドミウムなど火山性の有毒物質が含まれていないか分析を行い、土壌環境基準以下だった場合は農業や建築資材としての利用を考えたい」とのことでした。

 それが今回(11月17日)の分析調査にもつながっているのでしょう。

 始めに述べたように、軽石は通気性や排水性に長けているため、プランターの底に入れる鉢底石や土壌改良材として以前から使われていました。

 今回の漂着で一般の人が拾いに行ったとのニュースもありましたが、国立公園内の物は採取するのに許可が要るので法的にはややこしい部分を含むようです。

 ただ、今回の沖縄県環境部の発表では、軽石が土壌環境基準を満たしていることは分かったので、出来るだけ早く広範囲に除去されて、それが資材として広く活用されるようになることが望ましい解決の道でしょう。

森田正光

気象解説者/気象予報士/ウェザーマップ会長

1950年名古屋市生まれ。日本気象協会に入り、東海本部、東京本部勤務を経て41歳で独立、フリーのお天気キャスターとなる。1992年、民間気象会社ウェザーマップを設立。テレビやラジオでの気象解説のほか講演活動、執筆などを行っている。天気と社会現象の関わりについて、見聞きしたこと、思うことを述べていきたい。2017年8月『天気のしくみ ―雲のでき方からオーロラの正体まで― 』(共立出版)という本を出版しました。


 わたしも「軽石」と聞いたらすぐに「農業資材」が浮かびました。これはもってこいの土壌改良材です。ただ塩分を多く含んでいるので、これを除去しなければなりません。

福井の高校演劇から表現の自由を奪わないで!

2021年11月18日 | 事件
この記事の関連動画がありましたので紹介しておきます。

これは事件だ!『明日のハナコ』を救え!高校演劇放送中止、台本集回収だってよ 北丸雄二×玉村徹×鈴江俊郎×池田香代子【The Burning Issues】 20211118

岸田政権の渋チン賃上げは“子どもの小遣いレベル”

2021年11月19日 | 生活

 

 日本医労連「上げ幅1ケタ少ない」と激怒

日刊ゲンダイDigest 2021/11/19

 いつになったら自慢の「聞く力」を発揮するのかーー。岸田政権は19日、過去最大規模の財政支出55兆7000億円もの経済対策を閣議決定。衆院選の政権公約に掲げた介護や保育、看護職の賃上げを盛り込んだが、実態は介護・保育が月3%、看護が月1%程度の“シブチン上げ”。高騰するガソリン価格に愚策を掲げ、追い打ちをかけるように「住宅ローン控除の縮小」も言い始めた。岸田首相の耳に、庶民の悲鳴は届いていないようだ。

  ◇  ◇  ◇

〈仕事内容に比して賃金の水準が長い間低く抑えられてきた方々の所得向上に向け、公的価格のあり方を抜本的に見直します〉―ー。政権公約で大ミエを切ったにもかかわらず、〈抜本的な見直し〉はお粗末そのもの。介護・保育職は月9000円、看護職は月4000円の賃上げに、ネット上は〈子どもの小遣いかよ〉〈全然足りない〉などと大荒れだ。

 それもそのはずで、政府の公的価格評価検討委員会によると、全産業平均の月収35万2000円に対し、介護職は同29万3000円、保育職は30万2000円。5万~6万円も下回っており、月9000円程度の賃上げでは所得格差は埋まらない。政府は、人手不足が深刻な介護職など14業種で来年度にも外国人の在留資格をなくす方向で検討している。なおさら離職防止と人材確保に力を入れるべきなのに、この程度の賃上げでは人手が集まるわけがない。

現実を無視した政府の数字

この程度の賃上げで人が集まるわけがない

 看護職は月収39万4000円で全産業平均を上回っているものの、シブチン政権に現場はカンカンだ。日本医労連の森田進書記長がこう指摘する。

「政府の示した賃金は夜勤手当やボーナスなどを全てひっくるめているので高く見えますが、我々の調査によると、看護職は40代の基本給が29万円程度。政府の数字は、心身的負荷の大きい労働条件で働いている現実を無視しています。賃上げや人員増によって、離職の最大の理由になっている過重労働を解消しなければ、岸田首相がうたう『処遇改善』にはつながりません。介護も看護も、上げ幅が1ケタ少ないのです」

 しかも、看護職の賃上げは新型コロナウイルス対応に従事する看護師を対象に来年2月から9月までの期間限定策だ。一時的な“施し”には「何が分配だ!」と言いたくなる。

トリガー条項は拒否、住宅ローン控除縮減

「国民の声」を聞いていないのか、約7年ぶりの高値水準が続くガソリン価格の抑制も、やる気ゼロ。価格が1リットル160円を3カ月連続で超えた場合に25.1円分の課税を停止する「トリガー条項」の発動は、復興財源である課税分を減らすことになるため、財源確保に支障をきたすとして凍結されている。法改正して解除すれば庶民の懐は温まるが、政府は凍結解除を「適当でない」(松野官房長官)と切って捨てた。

「トリガー条項が1年間発動された場合、1世帯当たりの負担減は1.3万円に上ります。特に自動車関連の支出が高い北陸や東北、四国、東海地方での負担減は1.6万~2万円。裏を返せば、ガソリン支出の高い地域の方が価格高騰による負担が大きい。政府は1リットル170円を基準に最大5円の補助金を出す方針を示していますが、原油先物価格が落ち着いてきているため、170円に届かない可能性があります。条件が整っても5円の補助では、大した抑制効果はない。そもそも、補助金は石油元売り各社に出すということなので、小売り価格に反映されるかも不透明です」(第一生命経済研究所・永濱利廣首席エコノミスト)

 庶民の懐事情を悪化させかねない悪手の「ガソリン補助金」に加え、自民党税制調査会は18日、年末のローン残高(上限4000万円)の1%を所得税や住民税の税額から差し引ける「住宅ローン減税」の控除額を縮小する方針を示した。

「国民の声」と逆行している岸田政権に、成長も分配も期待できない。


「小さな声を聞く」けど「大きな声にはこたえない」。

名も知らぬ小さな花たち。

これで最後。


福井の高校演劇から表現の自由を奪わないで!

2021年11月18日 | 事件

*Change.org

福井の高校演劇から表現の自由を奪わないで!顧問会議は『明日のハナコ』の排除を撤回してください。

発信者:福井の高校演劇から表現の自由を失わせないための『明日のハナコ』上演実行委員会 宛先:福井県 高等学校演劇部顧問会議

キャンペーン · 福井の高校演劇から表現の自由を奪わないで!顧問会議は『明日のハナコ』の排除を撤回してください。 · Change.org(賛同署名はこちらから)

――「ハナコ」にもう一度会いたい!――

 「ハナコ」というのは、『明日のハナコ』という劇の主人公の名前です。

 この劇は今年9月の福井県高校演劇祭で、福井農林高校演劇部によって上演されましたが、その後、映像を残すことも、脚本を読むことも禁止され、マボロシの舞台にされてしまいました。

 いったいなぜ、『ハナコ』は禁止されたのでしょうか。

 

  • 『明日のハナコ』あらすじ●

 舞台はある高校。「ハナコ」たちは今度上演する劇の稽古をしている。その劇は、1948年の福井震災から始まって現在までの歴史をたどるものだった。学校のこと、仕事のこと、戦争のこと、原発のこと、未来のこと・・・

 彼女たちはさまざまなことを考え、そして成長していく。

           *

このたび、福井農林高校演劇部の上演にかかわる顧問会議の一連の動きを、重大な表現への抑圧だと考える有志が、実行委員会を立ち上げ、上演にむけて活動を始めることにしました。実行委員会の求めることは、以下の通りです。

・10月8日の顧問会議で行われた決定3項目を撤回すること。               (ケーブルテレビでの放映の禁止/記録映像閲覧の禁止/脚本集の回収)

・福井農林高校演劇部員たちへ誠実な謝罪をすること。

・今後演劇表現の内容をもとにあらゆる不利益な扱いをしないこと。

・表現の内容に理不尽な介入をしないこと。

・人権侵害を行ったことへの真摯な反省を表明すること。

【ことの経緯】

 2021年9月18日~20日、例年どおり県の高校演劇祭(演劇部の県大会)が県民ホールで開かれ、福井農林高校演劇部は「明日のハナコ」という劇を上演しました。創作作品です。この世界はいったいどうなるのだろう、自分たちはどうなるのだろう、と不安と闘う少女の成長の物語です。原発の問題、生きる上で大切な誠実の問題、などが盛り込まれていました。

 新型コロナウィルスが猛威を振るっていた時期だったので、今年は無観客での上演になりました。見る人がいないのでは劇とは言えません。しかし、例年、演劇祭の劇は「福井ケーブルテレビ」が録画・放映してくれることになっていたので、部員たちは救われる思いだったのです。

 ところが、9月20日、その福井ケーブルテレビより、福井県高等学校演劇連盟に対して連絡がありました。

「福井農林高校の劇の放映について、社内で審議にかかるかもしれないので連盟としての意見を求めたい」

「個人を特定する点、原発という繊細な問題の扱い方、差別用語の使用などについて懸念している」とのこと。

 そこでその日に行われた顧問会議の結論は、

「ケーブルテレビ局内の意向を尊重する」。つまりケーブルテレビ側が放送しないと決定したならばそれに従う、というものです。

その理由としては、

1 この劇には、反原発・個人名・差別用語が含まれている。放送後、それらを取り上げられて、生徒や福井農林高校に非難が寄せられることを憂慮する。学校は教育的に生徒を守らなければならないから。

2 福井農林高校の劇は、表現方法はともかく、上演に問題はないと思う。ただ、不特定多数の人目に触れる放送はいかがなものかと思う。

3 高文連は原電からの支援を受けている。また、ケーブルテレビも原電と関係のある企業がスポンサーになっているかもしれない。これからもケーブルテレビと良好な関係を保ちたい。放映すると影響がでる。

 「1」について、まず差別用語は、劇を見てもらえばわかりますが、差別意識を持った取り上げ方はしていません。個人名についても、図書館にある書籍をそのまま引用したものです。反原発については、たとえば「原発からの支援を受けている」という意見には、こう反論したいのです。補助金は、活動の思想的方向や表現内容についてなんら干渉するものではないし、これまでも干渉した例はないはずです。そういう性質の支援であるからこそ、公的な組織が(高文連は県の組織です)は公明正大に受け取ることができるのです。もしも干渉があって、内容を規制しなければならないようなものであれば、それも意見の一方を否定するようなものであれば、そのような助成を受け取っている県が裁かれる事態になってしまうし、即刻県はその助成を返上すべきだというのが、行政上の通念だと思われます。したがって、「3」の理由がまかりとおれば、これ以降、福井では原子力発電の危険性を訴えるような劇を作れないことになります。表現してはいけない分野を生んでしまうことになります。また、原発に関係する内容次第では社内で審議にかかるなどと、排除する可能性も示すのがケーブルテレビなら、むしろ結果的に表現の自由を制約することになるそうしたケーブルテレビの姿勢こそ、問われるべきです。そう主張して生徒を守るのが教員の仕事じゃないでしょうか。

                 *

 その後、福井農林高校演劇部生徒たちの反応を聞き取ったのちに、10月8日に再度、顧問会議が開かれ、あらためて次の三項目が、決定されました。採決もなく、でした。

・福井農林高校の劇だけはケーブルテレビでは放映しない。

・DVDはつくらず、記録映像を閲覧させない。

・脚本はすべて回収する。

                 *

会議ではスクールロイヤー(顧問弁護士)の意見として次のような見解が述べられました。

・劇中における反原発の主張は、表現の自由が保障されるので問題ではない。

・人権尊重の立場から、表現の自由は制限されることがある。

・劇中使用された「かたわ」という差別用語は、使用するだけで駄目である。

 顧問会議で具体的にどのような討論があったのか、議事録が公開されないのでわかりませんが、最後の「差別用語は使用するだけで駄目」という理由が会議の流れを強く決定したとのことでした。

                 *

この問題について、県内の別の弁護士に尋ねたところ、以下のように教えてくださいました。

・その単語を使用したからすなわち違法であるという判断は、法律家としてあり得ない。そのような見解を述べる法律家はいない。まして、スクールロイヤーは良識ある人物が選ばれているのでそのような判断をしたとは考えられない。

・問題となる差別用語だが、もし、この劇が前敦賀市長と同じ立場に立って障碍者を差別したのであれば問題だが、反原発の立場から批判的にこの言葉を述べている以上、そこに差別意識はなく、よって問題ではない。

・前敦賀市長は公人であるから、特定の個人を非難したという批判も当たらない。当然、遺族からの名誉棄損などということも起こりえない。

・もし万が一クレームがあったら、と考えるのは怖れすぎである。その単語だけを切り取って何者かがクレームをしてくるということはおよそ考えにくい。

 つまり、この差別用語の問題は、放映の禁止や脚本の回収をする根拠にはなりえないということです。

 上演した生徒たちは、「いわれなき批判がくるかもしれない」と聞かされて、不安な面持ちになりました。けれども、そのあと、それでも放映してほしいと言いました。悔しい、と泣いていました。自分たちが稽古してきた劇が放送してもらえないのは悔しいと。

 私たち実行委員会は、どうしても、その泣いた生徒のことを考えると何かしないではいられないという気持ちになります。生徒たちは、自分たちの劇がテレビ放映にふさわしくないと思われたことに傷ついています。生徒たちは、信じてもらえなかったということに傷ついています。稽古しながら、原発の問題や社会の問題について、自分たちでも調べました。「こういうことは今まで考えたこともなかった」という部員もいました。それでいろいろ考えるようになった。それこそ「学習」というのではないでしょうか。

 世界に類のない原発集中立地のこの県で、こうした表現の抑圧がまかりとおるようになれば、日本中の表現者にとって、重大な抑圧への一歩です。表現の自由は、基本的人権の最重要な一つです。生徒たちの表現への悪罵とも言える三項目の決定は、あらゆる人の基本的人権に対する敵対宣言と言えます。

 今これを看過したら、今後も権力者や学校当局などにとって不都合な表現は演劇部活動では抑圧・排除されることになるでしょう。すでにそういう動きが、他の学校の劇に対しても圧力としてなされています。これはとても危険な動きです。私たちは、歴史に汚名を残しかねないこの愚行を撤回させたいと思います。心ある市民の皆さんの署名の力で、撤回させたいと思います。ご協力お願いします。

 また、「明日のハナコ」を県内演劇部員、演劇部顧問教員、一般市民の方々に実際に鑑賞していただけるような企画も考えています。劇を実際に上演し、その後、差別用語の成り立ちなどについて、あるいは原発の問題について、みんなで考える催しです。書籍を執筆されている著述家・専門家の方にもご登壇いただけるよう、調整中です。

 日本劇作家協会の言論表現委員である劇作家鈴江俊郎氏(愛媛県在住・元桐朋学園芸術短期大学演劇専攻教授)も、これは単に高校演劇にとっての問題であるだけでなく、表現の権利が大きく歪められた、世界にとっての人権問題なのだと考え、実行委員会に参加されました。起こった事件をありのままに知っていただいて、あるべき姿とはどういうものなのか、皆さんとともに考え始めるための企画です。是非ご参加ください。

                 *

ハナコ  ほら、たくさん家やらビルやらあるだろ。                      こっからだとちっちゃなオモチャみたいに見える。あの中にはたくさん人間がつまってんだ。

ちっちゃなオモチャみたいな人間が。ご飯作って、洗濯して、掃除して、働いて。

あの中にオレの親父がつとめていた会社があった。

建設系の会社でさ、親父はそこの係長だった。

ある時、会社は新しく道路を造る仕事を請け負った。何十億ってお金が動く、でっかい仕事だ。

うまくいけば会社は大もうけできる。社員もたくさん給料がもらえる。

でも、その道路は自然保護区のすぐそばを通ることになってた。

それでどうやってもその道路は環境破壊になってしまうことがわかったんだ。

なんとかっていう絶滅危惧種の鳥がそのへんに生息してたらしい。

親父はそれを上に報告した。

そしてもちろん、握りつぶされた。

そりゃそうだ。何たって何十億だからな。

会社の中で、親父に味方するヤツは一人もいなかった。

でも親父はバカだった。

そのレポートを新聞社に持ち込んだ。自然保護団体に持ち込んだ。ネットにアップした。

大騒ぎになった。

道路の計画は中止になった。

何とかって鳥は助かった。

そして親父は会社をクビになった。

親父はバカだと思う。大馬鹿だと思う。

学校の中でこんだけイジメが起きてるんだぜ。

そんでみんなその学校を出てるんだ。

だから会社にイジメがあるのは当たり前だ。

だからこの世界にイジメがあるのは当たり前だ。

だから、オレはときどき、この全部を踏みつぶしたくなるんだ。

            (福井農林高校演劇部「明日のハナコ」上演台本より)

 

 【署名前の注意】署名をしますと、署名サイトChange.orgより寄付の呼びかけが表示されますが、私たち支援する会への寄付ではなく、Change.orgへの寄付になりますのでご留意下さい。寄付についてのお問い合わせは、Change.orgお問い合わせフォームにお願いします。「寄付なし」でも署名は有効です。 

 

福井新聞、県民福井の二紙で問題が報道されました。

いよいよ地元メディアも問題をとりあげてくださる段階になりました。

教育関係者の中だけで問題を終息させようとする委員長・部会長側の動きが現場では観察されていたのですが、いよいよ一般市民の前に問題が示…


「表現の不自由」これ以上許してはならない。高校生の政治参加、10代の投票率をあげようなど言っておきながらこれはないでしょう。

ついにビニール降ろしました。



雨宮処凛がゆく! 第575回:「今夜、泊まるところがない」

2021年11月17日 | 生活

そんなピンチに対応する「せかいビバーク」〜支援業界の「オードリー・タン」に聞いた。の巻(雨宮処凛)

 
 
 

 突然だが、これを読んでいる人に問いたい。

 あなたがいつも帰宅するときに通る公園に、少し前からよく見かける人がいる。

 どうやら住まいを失った人のようだ。これから寒くなるので心配だけど、どうやって声をかけたらいいかわからないし、余計なお世話かもしれないという思いもある。仮にホームレス状態だったとして、自分にできることには限りがある。世の中には何やらそういう人たちを支援する団体もあるようだけど、どれを紹介していいのか、皆目見当もつかない。でも気になる。だけど、「行くとこがない」と言われてもどうしていいかわからない。自分のうちに来られても困るし、ホテル代を出すのもちょっと。うーん、だけど放っておくのは忍びない。

 長々と書いたのは、コロナ禍以降、私のもとにこのような声が多く寄せられているからだ。

 ちなみに昨年3月、貧困問題に取り組む40ほどの団体で「新型コロナ緊急災害アクション」が立ち上げられ、4月以降、メールフォームでSOSを受け付けて「駆けつけ支援」が行われているのだが(メインメンバーは瀬戸大作氏。瀬戸氏の駆けつけ支援についてはこちらに詳しいのでぜひ読んでほしい)、昨年から今に至るまで、ほとんど毎日「所持金ゼロ円」「アパート/寮を追い出されて住む場所がない」「何日も食べていない」といったメールが寄せられている。

 支援者らはこれまで700件以上のSOSに対応し、他団体からの要請も含めると、緊急宿泊費や食費としてこれまで約2500件に7000万円以上を給付してきた。原資は全国から寄付して頂いた「緊急ささえあい基金」。ちなみに支援は駆けつけて終わり、緊急宿泊費などを支給して終わりではない。後日、生活保護など公的支援の窓口につなぎ、場合によってはアパートに入るまで伴走する。そんな細やかな支援がこの2年近く、支援者らによって続けられている。

 そんな中、現場のニーズに応える「支援スキーム」を生み出してきた人がいる。

 つくろい東京ファンドの佐々木大志郎さんだ。人は彼を「困窮者支援業界のオードリー・タン」と呼ぶ。次々と新しいスキームを発明し、実用化させていくからだ。

 コロナ禍でまず注目を浴びたのは、昨年7月に運用が始まった「つながる電話」。携帯が止まった人にスマホを無料で2年間、貸し出すという取り組みだ。

 これも現場にいなければ決して気づかないニーズだが、コロナ禍で失業し、住まいを失ったりネットカフェ生活でSOSをだしてくる人の中には、携帯が止まっている人が非常に多い(もちろんコロナ禍前も同様だった)。よって、フリーWi-Fiのある場所から支援団体にSOSメールをしてくるのだが、本人がフリーWi-Fiのある場所にいないと連絡がとれないということが支援を難しくさせている。

 携帯が止まっていて困るのはそれだけではない。電話がなければなかなか仕事も見つからないし、アパートの契約をしようと思っても、不動産契約が難しいこともある。通話できる番号がないことは、あらゆる社会参加を難しくさせてしまうのだ。

 そこで佐々木さんは協力してくださるエンジニアの方と共に、通話アプリを開発。それをインストールしたスマホを無料で貸し出すという支援が「つながる電話」だ。

 この貸出サービス、一度目の緊急事態宣言が出てわずか3ヶ月の昨年7月から始まっている。現在まで、実に200台が貸し出されたそうだ。ということは、200人分の社会参加の「壁」を取っ払ったのだ。というか、そもそもこういうことは国こそが率先して技術者を集めてやるべきではないのだろうか?

 が、日本の場合、国が「感染対策の切り札」と位置付けていた接触アプリの「COCOA」が4ヶ月以上機能しないまま放置というお粗末さだから、期待するだけ無駄なのかもしれない。

 さて、佐々木さんが次に立ち上げたのは「フミダン」

 こちらはオンラインで生活保護申請書類が簡単に作成できるWebサービスで、昨年12月から運用開始。昨年末からは東京23区限定で、申請書類をオンライン上から直接FAXで送信することができるという、オンラインでの申請を可能にしたサービスだ。

 そうしてこの秋に新たに発表されたのが、「せかいビバーク」。これは詳しく話を聞きたいと思い、佐々木さんを直撃した。

 まず、「ビバークって何ですか?」と素朴な質問をぶつけると、佐々木さんは言った。

 「登山していて遭難しかけた時、一泊だけ緊急避難的に雪山を掘って野営することです」

 それを「ビバークする」というのだそうだが、「せかいビバーク」とは、まさに「今夜乗り切れない」という人が、緊急避難的に利用するものだ。

 例えばネットカフェで寝泊まりしていたものの、お金が尽きて今晩から泊まる場所がない、寮や友人宅を追い出されて行く場所がない、公的支援を受けたいけれど携帯も止まっているという時に、一泊分の宿泊、食事や相談機関への移動が可能となる「緊急お助けパック」がもらえる仕組みだ。携帯が止まっている人が支援機関などに無料通話できるQRコードもセットになっている。

 さて、使うにはどうしたらいいのだろう?

 「具体的には、レターパックと同じサイズのものに一式が入っています。これを、都内11カ所で受け取ることができます」

 飲食店や寺院、NPOの事務所など、受け取りスポット一覧はこちら。この中には、歌舞伎町の「深夜薬局」や新宿のカフェもある。役所も一般のNPOも夜には閉まってしまうから、「夜に駆けこめる場所」で「緊急お助けパック」がもらえることはありがたい。

 使い方は、例えば私が今日からの寝場所も所持金もなく、公的機関や支援団体に電話したくても携帯が止まっているなどの場合、受け取り場所のカフェなどに行って「せかいビバークがほしい」と言えばいいそうだ。

 一方、受け取りスポットでは、「受付」だけすればいい。専用に開発した受付用WEBアプリを使って緊急お助けパックの番号を入力し、名前や生年月日を聞くなどの、5分ほどの受付だ。そうして緊急お助けパックを受け取った人はその日は安心できる場所に宿泊し、翌日、役所など相談機関を訪れるという仕組みだ。佐々木さんはこの支援を思いついたきっかけについて、言った。

 「始めようと思ったのは、緊急支援をする中で、所持金がゼロ円になるまで自分でなんとかしようとする人が多いということです」

 確かに、支援団体にSOSをくれる時点で所持金が数十円という人は非常に多い。中には0円という人もいる。残金が数千円から数万円あれば「じゃあ明日以降に会いましょう」と言うこともできるが、数十円だとその夜、野宿ということになってしまう。

 というような状況について、こういった問題に詳しくない人に話すと、「そんな状態で連絡してくるなんて甘えてる」と言われることもある。が、私は逆だと思う。彼ら彼女らは、決して人に甘えず、所持金がわずか数十円になるまで自力でなんとかしようと頑張ったのである。その結果の、所持金0円なのである。

 ある意味、もっと早めにSOSの声をあげてくれていれば、余裕をもって支援ができる(少なくともその日に駆けつけなくていい)のだが、「自己責任」という言葉が刷り込まれている人々は、本当にどうにもならなくなり、すでに3日食べていないなどの切迫した状態で連絡をくれる。そんな人が多いということを熟知している佐々木さんだからこそ、「今晩」なんとかできる「せかいビバーク」を思いついたのだろう。

 一方、「自分も何かしたい」という声が多く寄せられていたこともせかいビバーク立ち上げのきっかけのひとつだという。

 「何をしていいかわからないけど、自分たちも何かできることはないか、協力したいという声がこれまでかなり来ていたんです。じゃあ、今身動きとれなくなっている人たちに、最低限、これだけ渡して頂ければ支援になりますよっていうセットを用意した、それが”せかいビバーク”なんです」

 10月に運用を開始して、現在までに3人が利用した。受け取った翌日に相談機関に行く/連絡する人を対象としている。

 今、「緊急お助けパック」が受け取れるのは都内11カ所だが、ゆくゆくは全国に広げたいと佐々木さんは言う。

 「『緊急お助けパック』を置いて頂いて、5分だけ受付してもらう形なので、費用もかからないし、ぜひ、ちょっとだけ関わって頂けたらと思っています」

 興味があるという人は、ぜひ、せかいビバークのサイトを見てほしい。

 これからどんどん寒さが厳しくなる。コロナ禍では、女性もホームレス化に晒されている。困っていそうな誰かに、「あの店で、緊急お助けパックっていうのがもらえるみたいですよ」「一泊、泊まれるみたいですよ」と声をかけることは、きっとそんなに難しいことではない。


「曇り時々晴れ」と、まあまあの天気。午前中はジャンバーを着て動き回ると少し汗ばむような気温だったが、昼からはグッと冷えてきた。

沼の周りの草木も枯れて見晴らしが良くなったがカモさんたちの姿が見えない。もう温かい氷のはらない場所へ移っていったのだろう?

明日までは天気が持つようなので、明日ビニールを降ろそうと思う。


 “中国も顔負け”な日本のデタラメ経済政策「アベノミクス」が招いた悲惨な結末

2021年11月16日 | 社会・経済

MAG2ニュース2021.11.16

 by 高野孟『高野孟のTHE JOURNAL』

 

金融緩和、財政政策、成長戦略を「3本の矢」として、安倍政権のもとで進められたアベノミクス。株価の上昇や企業利益の大幅増等をもって「成功」とする向きもある一方で、我々庶民はその恩恵にあずかれた実感に乏しいというのが現状です。では、識者はアベノミクスについてどのような評価を下しているのでしょうか。今回のメルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』では著者でジャーナリストの高野孟さんが、アベノミクスは「経済学というより詐欺師的な心理操作ゲームの発想が裏づけとなっていた」として、そもそもの大元となる部分の“犯罪性”を指摘。その上で「現在の日本に必要なのは、アベノミクスの出発点にまで遡った徹底総括である」との見方を示しています。

※本記事は有料メルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』2021年11月15日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。

プロフィール:高野孟(たかの・はじめ)

1944年東京生まれ。1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任。2002年に早稲田大学客員教授に就任。08年に《THE JOURNAL》に改名し、論説主幹に就任。現在は千葉県鴨川市に在住しながら、半農半ジャーナリストとしてとして活動中。

アベノミクスは一体どこへ行ってしまったのか?/中心ブレーンだった学者もまともに総括できない虚妄の経済学

 アベノミクスの中心イデオローグで安倍政権の内閣官房参与も務めた浜田宏一=東京大学名誉教授が11月12日付毎日新聞夕刊の「特集ワイド」に登場し、アベノミクスの中心目標だった2%の物価上昇が達成できなかったことについて、「僕は物価目標の未達は国民にはマイナスではないので気にしない」と言い放ったのは驚愕した。

「この道しか無い」と宣言したのに

 もはや皆さんの記憶も薄れているかもしれないが、安倍晋三首相(当時)は浜田らのアドバイスを受けて、日本経済が陥っていた停滞を「デフレ」と認識し、デフレと言えばモノが余ってカネが足りない状態を指すのであるから、日銀をして「異次元金融緩和」に踏み切らせ、カネをどんどん印刷して日銀を通じて世の中に供給させればいいとし、「この道しか無い」という毛筆のフリップまで得意げに掲げて記者会見した。

 しかも、その効果はたちまち現れて、1~2年中に2%程度のインフレが実現して経済は好循環を取り戻すという楽観的な見通しが想定された。どうしてそうなるのかと言えば、これは浜田というよりノーベル賞経済学者のポール・クルーグマンが大元なのだろうが、「一時的な財政出動」や「紙幣の大量印刷」によってカネをじゃぶじゃぶにすれば、人々は金持ちになったかのように勘違いし、しかも近々インフレがやってきて金利が上がりそうだから、今のうちに住宅を買ったり車を乗り換えたり大きな買い物をしてローンを組んだ方が得かもしれないという心理に追い立てられて消費がブンブン回り始めるという、「騙しのテクニック」のような、経済学というより消費者を弄ぶ詐欺師的な心理操作ゲームの発想が裏づけとなっていた。

 当時から私は、これは「ブードゥー(お呪い)経済学」で、こんなものにノーベル賞を与えたのはノーベル財団の恥だと正面切って異を唱え、とりわけ為政者の都合で人為的に物価を吊り上げて国民を騙したり脅したりして消費に駆り立てるなどもってのほかだと主張した。しかし、浜田や安倍はそれが景気回復への道筋なのだと信じて突っ走った。

 その張本人の浜田が、今になって「物価目標の未達は国民にマイナスではないので気にしない」とはどういうことだ。それさえ達成すれば魔法のように日本経済が蘇るかのように言って掲げた「2%の物価上昇」は、実現しようとしまいとどうでもいいようなことだったのか。実現しなかったことで国民にマイナスを与えなかったのでむしろよかったということなのか。ふざけた話である。

日銀が供給した522兆円のお札はどこへ

 アベノミクスの《第1の矢》は異次元金融緩和で、これは確実に実行された。日銀が供給するカネの総額はマネタリーベースで、黒田東彦が日銀総裁に就いてアベノミクスが発動された2013年3月には135兆円だったのに対し、8年間で522兆円も増えて21年8月で約約5倍の657兆円に達した。

 あれれ?日銀がお金を刷ってじゃぶじゃぶにすればインフレになるんじゃなかったんでしたっけ。そうすると人々が勘違いして競って消費に走るんじゃなかったんでしたっけ。そんなことは何も起きていない。そすると522兆円は一体どこへ行ってしまったのか。

結論から言うと、驚くべきことに、日銀の構内から外へ出ていないのだ。

 日銀がマネタリーベースを増やすと言っても、ヘリコプターでお札をバラまくわけには行かないから、まずは国債を買う。しかし日銀が直接に市場から買い付けることはできないので、市中銀行が持っている国債を買い上げてその代金を各市中銀行が日銀内に置いている「日銀当座預金」に振り込む。

 日銀当座預金は、本来は、各銀行がイザという場合に備えた準備金を積んでおくところだが、日銀と各行とのやりとりにも使われる。日銀がどんどん国債を買って日銀当座預金が増えても、その大部分は金利が付かないどころか、後には一部は逆金利をとられて置いておくと損になるような意地悪までなされたから、各行は居たたまれずにカネを引き出して投資や融資に回そうとするので、それを通じてマネタリーベースの増分が世の中に出回るはずだと想定された。が、そうはならず、13年3月にはわずか総計47兆円しかなかった各行の日銀当座預金は、8年間に494兆円も増えて542兆円にまで膨れ上がった。

 マネタリーベースが522兆円増えたのに、各行が日銀内の口座に置いているマネーが494兆円も増えたということは、それが基本的に日銀の構内での自閉的なやりとりに終わっているということである。

人口減少社会の到来で需要そのものが減少

 どうして各行が日銀口座からカネを引き出さないのかと言えば、話は簡単で、資金需要がないからである。

 水野和夫=法政大学教授が言うように、16世紀以来の資本主義のグローバル化はすでに「終焉」し、全世界的に過剰生産状態に立ち至っていて、モノが余っているのは日本だけでない先進国共通の現象である。それに加えて日本では、どの先進国よりも早く「人口減少社会」が訪れてきていて、国土交通省の推計によれば、2050年には総人口が9,515万人、その40%が高齢人口であるという状態に至ることは避けられない。2006年の総人口1億2,777万人をピークとして、日本はとっくにその坂道を転がり始めていて、だから需要は確実に減少していくのである。

 その根本的な構造問題に目を向けることなく、金融的マジックで人々の心をたぶらかして見せかけだけの好景気を幻視させようとしたところに、アベノミクスの誤りというには余りにも酷い犯罪性があったのである。

 そういうわけで、国債発行残高は13年3月には744兆円であったのが、21年8月までに313兆円増えて1,056兆円に達したが、その増えた分をどんどん買い進めたのは日銀で、その結果、日銀の国債保有残高は21年7月末で534兆円と、国債全体の半分超となった。

 国債を買っただけでは間に合わないと見た日銀は、株式にも手を染め、13年から本格的に買い漁りを始めた。ここでも、直接に市場で個別銘柄を買い付けるという乱暴なことはできないから、「上場投資信託(ETF)」を買うのだが、この額が20年末で簿価で36兆円、時価で52兆円の巨額に達し、国内株式の最大保有者となった。結果、日銀が発行済み株式の5%以上を保有する有力株主となっている1部上場企業は何と395社にもなった。

 日銀が国内最大となる前のNo.1は「年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)」で、その保有高は47兆円。この年金ファンドも公的機関であるから、日本の株式市場は日銀のGPIFを合わせて約100兆円分もの国家的資金に支えられていることになる。国債市場も株式市場も、さらに言えば為替市場も財務省を通じて円安に誘導されてきたことも含めれば、国債・株式・為替の3大市場が国家管理下にある中国も顔負けの国家資本主義状態になってしまったというのが、アベノミクスというデタラメ経済政策の悲惨な結末なのである。

GDPも縮小し始めて覚悟すべき「小日本」

 経済の動向を捉える基本指標であるGDPを国際比較するにはドルベースで見なければならないが、アベノミクスの始まりの2013年には、名目GDPが米国16.8兆、中国9.6兆に対して日本5.2兆ドルであったのに対し、21年のIMF予測は、それぞれ22.9、16.9、5.1である。米国も何のかのと言って伸び続け、中国は21年に8年前の米国と同じ経済規模に達しようというのに、日本は独り8年前から横這いないしやや縮減という有様である。

 アベノミクスが間違っていたから日本が縮小過程に入ったのではない。日本はすでに社会構造的に縮小過程に入っているというのにそれを不況だとかデフレだとかの景気変動現象だと誤認して、無理矢理に成長軌道に戻そうとしたが、やはりそうはならなかったということである。

 そこまで遡って掘り下げて初めて、この国はどこへ向かって歩むべきかを考え始めることができるはずで、その方向は端的に言えば「小日本主義」だろうと私は思う。ところがこの間、自民党総裁選で語られたのは小泉~安倍~竹中流の「新自由主義」に対する「新しい資本主義」で、どうもその新しい資本主義は「分配」にもう少し力点を置くという意味らしいことは判った。次に総選挙で語られたのは、野党第一党が「分配」というならこちらが本家で、「分配なくして成長なし」と言い立てたのに対して、岸田が「いや、やはり成長なくして分配はない」と応えたりして、結局のところ双方とも「成長」への道を競い合っている有様である。

 こういう焦点のボヤけた低レベルの議論にしかならないのは、アベノミクスをそもそもの出発点にまで遡って徹底総括するということがなされていないからで、それをすれば、人口減少社会に相応しい、量的に拡大はしないけれども質的に充実した暮らしぶりを実現するための構想の競い合いになっていくのではないか。


 朝起きて外を見るとところどころ白くなっていた。日中も時々雪が舞い散る寒い一日だった。もうすぐ本格的な冬の到来である。