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シネマでみる、この世界   権威主義体制――個性と混乱を嫌う政治

2023年04月15日 | 映画

吉田徹(同志社大学教授)

Imidas 2023/04/13

 ロシアのウクライナ侵攻から1年以上が経ち、この間、「権威主義」や「権威主義体制」あるいは「専制主義」といった言葉が多く聞かれるようになりました。一体、政治で「権威主義」とは何を意味するのか。この概念はわかりやすいようで、実際にはわかりにくいものでもあります。権威主義と独裁制、あるいは全体主義など、これらが具体的にどう違うのかと問われれば、返答に窮することでしょう。

「権威主義体制」という言葉が、政治学で定着するようになったのは1970年代のことです。これには、幾つかの時代背景があります。ひとつは、戦前のファシズムのような「わかりやすい」政治体制ではなく、民主主義と全体主義の中間にある、グレーな政治体制が多く残存していたり、新たに生まれることになったりしたからです。西南ヨーロッパでも、スペインやポルトガルといった国では、定期的な選挙がありつつも、戦前・戦中からの伝統主義的で抑圧的な指導者による支配が続きました。また、中南米では、ブラジルやアルゼンチン、メキシコ、あるいはアジアでもシンガポールや民主化以前の韓国やフィリピンなど、反共主義を特徴とする権威主義体制が多く見られました。現在ではそのような政治体制はさほど見られなくなりましたが、中東の多くの国や2000年代以降のロシアは依然として権威主義体制にあるとされています。

「権威主義体制」という言葉を広めた著名な政治学者の一人、フアン・J・リンスは、以下のように権威主義体制の特徴をまとめています。(1)特定のイデオロギーに基づかないものの一定の精神的な指針を持つ(=統治原理を持っている)、(2)政治的多元性が制約されている(=司法やメディアの独立性が低い)、(3)政治的動員には消極的(=人々にあまり政治に関心を持ってほしくない)、(4)特定の指導者ないし集団が統治する(=指導者が掲げる原理のみが正統)、(5)権力行使の範囲が明確ではない(=法の支配の欠如)の5つです。

 戦前・戦中のファシズムやナチズムは極端なイデオロギーを掲げ、国民を積極的に動員したのに対し、権威主義体制はそうした特徴を持っていません。他方で民主主義体制が保証する政治的な多元性(司法の独立や複数政党制)があるかと言えばそうではなく、法の支配も部分的に過ぎない――こうした政治体制をどのように名付けたらよいのかという観点から編み出されたのが「権威主義体制」という概念でした。注意しなければならないのは、これらはいずれも「政治体制」として特定されるものであり、統治手法の特徴――権威主義的であるかどうか――とは異なることです。

 政治体制を分類する上で難しいのは「名は体を表さない」、すなわちこうした政治体制が自らのメカニズムを筋道立てて説明するわけではないため、飽くまでも民主主義に生きる私たちがその異なる性質から、その特徴を認識し、命名するしかないということです。例えば、北朝鮮の正式名称の「朝鮮民主主義人民共和国」には「民主主義」が入っていますが、私たちの基準からすれば民主主義国ではありません。

 それでは、こうした権威主義的な体制はどのように生まれるのか、どのような特徴を持つのか、どのように機能するのかを3本の映画でもって見ていきましょう。

 今回紹介する3作品のDVD。左から『THE WAVE ウェイヴ』(発売元:アットエンタテインメント)、『チリの闘い』(発売元:アイ・ヴィー・シー)、『サルバドールの朝』(発売元:CKエンタテインメント)

『THE WAVE ウェイヴ』――人はいとも簡単に権威に従う

『THE WAVE ウェイヴ』(デニス・ガンゼル監督)は2008年に公開され、ドイツ国内で同年の興行収入首位となったドイツ映画です。なぜこの映画がそこまでの注目を浴びたのかと言えば、「権威主義体制はいとも簡単に作ることができる」という意外性にあったからでしょう。

 舞台は、とある高校。型破りな高校教師ベンガーは、本当はアナーキズムについての授業をするはずが、手違いで独裁について教える破目に陥ります。また第三帝国とナチズムについてのいつもの話か、と当の生徒たちは飽き飽きします。「もうドイツで独裁はあり得ないとでも?」「当然です、時代が違います」――教員が危機意識を持ってもらおうとするのに、生徒は全くもって自分事として捉えてくれないという、よくある授業の一コマです。

 ベンガーはそこで一計を案じて、教室で守るべきルールを作ることを決定します。ベンガー自らを指導者として認めること、規律を守ること、団結すること、他のクラスと競争すること、などです。元来、自由だった服装も、家庭環境の違いを隠すために白シャツを着ることが決められます(これだけを見ると日本の学校教育とあまり変わらないかもしれません)。

 こうした一体感の醸成は効果てきめんです。生徒たちは仲間内の人間を助ける一方で、自分たちと異なる集団とことごとく対立するようになります。最初は「独裁」が何かを実験的に示すための授業だったものが、教師ベンガーも自分が崇め奉られるようになり、生徒たちの振る舞いに引きずられるようになっていきます。そのことに恐怖を覚えたベンガーは、この実験のための集団を解散しようとしますが、生徒がその事実を受け入れようとしないことから、悲劇で終わることになります。

映画『THE WAVE ウェイヴ』より

 実は、この映画は1967年にカリフォルニア州のカバリー高校で実際に行われた授業をもとにしており、やはりナチズムが何であるかを生徒に理解させることに苦労したロン・ジョーンズという歴史教師が行った実際の実験からヒントを得たものです。ちなみに、日本でも同様の実験が甲南大学の田野大輔氏によって行われ、反響を呼びました(内容は同著『ファシズムの教室』〔大月書店〕にまとめられています)

『自由からの逃走』で有名な社会心理学者エーリッヒ・フロムの理論を証明するためのアメリカで大規模な意識調査に基づく1950年の「権威主義的パーソナリティ論」や、1963年の「ミルグラムの実験」(他人に電気ショックを与えるよう指示されると被験者はほぼ例外なくそれに従うというもの)などもそうですが、戦後に実現した民主主義社会にあっても、人々は状況に応じていとも簡単に権威主義的な振る舞いをするようになる――指導者に従順になる、自分と同じ属性を持たない者を排斥しようとする――という事実は、社会に強い衝撃を与えました。社会心理学者のジョナサン・ハイトは「ミツバチ・スイッチ」と呼びますが、人は集団で行動したがり、そして集団で行動するようになると、自分に大きな力が宿ったかのように知覚するとされます。それがまた権威主義がいかに普遍的で、偏在的かの説明でもあります。

『チリの闘い』――民主主義が崩壊するとき

 さて、現実の権威主義体制はどのようにして生まれることになるのか。アメリカの政治学者エリカ・フランツの調査によると、1946年から2010年にかけて250の権威主義体制が世界で新たに生まれ、その約半分は権威主義体制から同じ権威主義体制への移行であり、他方でその3割弱は民主主義体制が倒されることで誕生したと数えています。なお、残りは国の独立をきっかけに誕生しています(『権威主義』白水社)。

 このうち、民主主義から権威主義体制への移行は軍事クーデタであることが少なくありませんが、なかでも最も知られている事例は、1973年9月11日のチリクーデタです。この時、チリ軍は、選挙で選ばれたアジェンデ政権を武力でもって転覆、その後1989年までピノチェト軍事独裁政権が続くことになります。このクーデタの背後にはアメリカの支援があったことも知られており、2001年の同時多発テロと並んで「もうひとつの9.11」とも呼ばれる出来事です。

 このクーデタの前後の展開を子細に追うのは、南米が誇るドキュメンタリー監督のパトリシオ・グスマン『チリの闘い 武器なき民衆の闘争』(1975-78)です。この作品は、クーデタに至るまでの経緯を「ブルジョワジーの叛乱」(1975年)、「クーデター」(1976年)、「民衆の力」(1978年)の三部作でもって、丹念に追ったドキュメンタリーで、目の前で生起しつつある事件を同時並行で記録した、政治作品の名作でもあります。

 サルバドール・アジェンデは1970年に大統領に選出されますが、彼の政権は史上初めて選挙で生まれた社会主義政権として知られています。もっとも、映画が当時の映像資料を駆使して説明するように、その直後の議会選挙では右派政党が議会多数派となり、政権との対立が先鋭化していきます。企業の国有化と農地解放を進めるアジェンデ政権に対して、資本家や土地所有者は当然ながら反対の姿勢を崩さず、ここから労働者と資本階級との社会的対立も色濃いものになっていきます。経営者らは経済を混乱させようと、工場の操業や事業を止め、対する労働者たちは自主的な配給網や地区組織をつくってこれに対抗しようとします。簡単に言えば、国民から直接選出されたアジェンデ大統領を支持する労働者層と、議会で過半数の議席を得て資本家や教会の支援を受ける保守層とが、ストリート・レベルで対立することになったのです。

「アジェンデ、民衆があなたを守る」「もっと働いて大統領を守るのです」――こう叫んだり、主張したりしながらデモ行進をする人々が、文字通り画面から溢れ出るシーンは圧巻です。

 政治体制が揺らぐとき、その趨勢を握るのは多くの場合、軍部です。軍部が中立を守っている限り、体制派と反体制派の均衡は崩れませんが、軍部が片方につくと、一気に両者の微妙なバランスは崩れることになるということは、最近のエジプトやタイの経験からも言えることです。『チリの闘い』でも、アジェンデ政権を危険視する軍の強硬派が幾度かクーデタ騒ぎを起こす経緯が描かれています。軍部は当初、政権が憲法を遵守している限りは事態に介入しないと表明していたものの、政権と議会との対立が長引き、街頭でも衝突が繰り返されるようになり、共産主義化を警戒するアメリカの後押しもあって、軍事独裁によって事態を平定することになりました。この顛末を追うことになる映画は、クーデタを記録した映像を流しながら「ラテンアメリカで最長の民主主義が終わった」と締め括られます。

チリ・クーデタ(1973年9月11日)

 この時代に誰しもが予期しなかったことですが、クーデタによって生まれたピノチェト軍事政権は16年にもわたって続くことになりました。政治的自由を徹底的に制約しながら(政権下で逮捕などされて行方不明になった国民は数千人にのぼるとされています)、他方ではノーベル経済学賞を授かるミルトン・フリードマンなどをブレーンとし、政権はその後先進国でも取り入れられる新自由主義的政策を徹底して「チリの奇跡」と呼ばれるほどの経済成長を実現していきます。現在では有名になったチリ産ワインも、この時に力を入れて産業として育成された成果のひとつです。こうして、政治的には権威主義、経済的には市場主義を徹底したチリは、アジェンダが象徴した階級闘争の時代に終止符を打ちました。

 クーデタとほぼ並行して撮られたこのグスマン監督の作品づくりは、多くの苦労があったようです。資金と時間に限りがあるなかで、当局の目を欺いて民衆の姿を記録し、貴重なフィルムを現地から安全に運び出さなければならず、また作品で追悼が捧げられているように、カメラマン一人がその後失踪するという憂き目にもあっています。

 クーデタによるアジェンデ政権崩壊という顛末を迎えるものの、この作品がどこか明るいものに見えるのは、おそらくその三部構成にあります。第一部は資本家に対して立ち上がる労働者に主眼が置かれ、第二部でクーデタまでの道のりが描かれ、そして第三部では、再び労働者たちに焦点が絞られ、彼らの汗水たらして働く姿が中心に据えられています。つまり、三部作を取ることで、物語は単線的ではなく循環的にもなり得ること、社会主義は再び可能であり得ることを示唆しているのです。フィルムに収められた労働者は最後にこう言い残します――「歩み続けましょう、ではまた同志!」と。

『サルバドールの朝』――未来を犠牲にする政治

 チリのピノチェト政権とともに、権威主義体制が長く続いた国として知られているのはスペインです。スペインも、1931年に共和派が選挙で勝利したことで王政から共和制に移行しますが、左派勢力内のテロルもあり、軍部が体制転覆を試みたことがスペイン内戦へとつながっていきます。1939年にスペイン全土を掌握した軍人フランシス・フランコは、逝去する1975年まで総統としての地位に留まり、チリと同じように高度成長を実現するとともに、政治的には共和派や共産主義を徹底的に弾圧しました。

『サルバドールの朝』(マヌエル・ウエルガ監督、2006年)は、このフランコ体制末期に体制に挑んだ実在の青年の処刑までの足取りを描く作品です。

 物語は、労働運動を支援するため、銀行強盗を繰り返してきたグループの指導者サルバドールが逮捕され、正義派の弁護士のアウラにそれまでの活動を告白する場面からはじまります。「独裁だけでなく全てを変えたい。階級のない社会を作り、本当の自由を得るんだ」――反政府活動を率先し、警察との銃撃戦を厭わないサルバドールは、理想肌の青年であると同時に、ロックと恋愛に夢中になる普通の大学生活を送る人物でもあります。映画は、彼が疑義の残る形式的な裁判の結果判決を受け、支援者たちの再審請求の努力もむなしく、死刑が執行されるまでを淡々と描いていきますが、他方では秩序を重んじる「旧体制」と変革を求める「青年」との対立をモチーフにしています。劇中、フランソワ・トリュフォー監督『大人は判ってくれない』やダスティン・ホフマン主演『卒業』など、青少年を主題にした作品が言及されているのがその証左です。

映画『サルバドールの朝』より

「息子の思想的偏向の原因は政府にある。理想と現実が隔たっているのだ。私の家庭の実態はスペインという大家族の実態の投影である」――これはサルバドールの共犯者の父親がしたためた声明文の言葉です。憶測なく映画を見れば、サルバドールはただ身勝手な強盗犯であり、彼らを捕まえようとする警察もただ単にその職務を果たしているだけであり、何ら政治的なメッセージが含まれているわけではないように見えます。しかし、よく見れば、権威主義体制が何であるかを雄弁に語るシーンが終盤に出てくることを見逃してはなりません。サルバドールと友情を育むことになった看守は、息子が失読症にかかっていることを告白したところ、「正しく教えれば勉強できるようになる」とサルバドールに諭されます。さらに「左手で書くのも直せるのか」と問われ、サルバドールは「じゃ左手で書けばいい」と返します。確かに、失読症だからといって学べないわけではないし、左利きだからといって文字が書けないわけではありません。サルバドールは、「正しさ」ではなく、「その人に合わせた発展」というものがあり得ることを、さりげなく看守に諭し、それがまた国が歩むべき道であることを主張したわけです。

 権威主義体制とは個性と混乱を忌み嫌う政治のことでもあります。完全なる抑圧はないかもしれないが、完全な自由も認めず、人々の目に見えない形で、ソフトに人々を管理する家父長主義的な体制のことです。このような政治は、単なる言葉面の正義に頼って秩序を優先するだけで、人々の生を希求しようとすることの否定から成り立ちます。「不条理な復讐に嫌悪や怒りを覚える」とサルバドールは体制を告発しますが、それは何よりも「左手で書くこと」を認めない理不尽さへの告発でもありました。言い換えれば、それぞれが右手で書くことも、左手で書くことも許されるようになる社会こそが、民主的な社会であると言えるでしょう。

 果たして私たちは、好きなほうの手で文字を書くことができるのか、つまり個々人の生を活かすことができているのか――それができないのであれば、権威主義体制へと転んでしまうのは容易いことであるように思えます。 


そしてチリでは・・・
「歩み続けましょう、ではまた同志!」

チリ 週40時間労働へ

議会が法案可決 「生活の質向上に貢献」

「しんぶん赤旗」2023年4月13日(一部抜粋)

 南米チリの下院は11日、労働時間の短縮を中心とした政府提案の労働法改正法案を賛成多数で可決しました。上院はすでに可決しており、ボリッチ大統領による署名を経て成立します。署名は5月1日のメーデーに合わせて行われる予定です。

 法案は、現行週45時間の法定労働時間を1年目、3年目、5年目にそれぞれ44時間、42時間、40時間へと段階的に短縮するもの。

 法案はまた、残業上限を現行の週12時間から5時間にする内容も盛り込んでいます。

 報道によると、中南米では多くの国で45時間以上の労働時間となっています。法改正により、チリはこの地域でエクアドル、ベネズエラに次いで3番目に週40時間制の国となります。

 週40時間労働は2017年にチリ共産党のカミラ・バジェホ下院議員(当時、現官房長官)が初めて議会に提出したものの、財界や右派政党の抵抗で法案審議が中断したままとなっていました。

 ボリッチ大統領は労働時間短縮を重点公約として掲げ、政権発足1年目の昨年8月、改めて政府案として法案を提出し、経営者らを含め全国200団体と対話・協議を行って、合意形成を進めてきました。

 ボリッチ氏は、「何年にもわたって支持を集め、対話し、きょうついに労働時間短縮の法案の可決を祝うことができた」と表明しました。

 バジェホ氏は、最初の法案提出から6年が経過したことを振り返り、目に涙を浮かべながら、「政治が、チリ国民の提起した課題に対応しうることが示された」と語りました。

素晴らしい!

「権威主義」まさに今の日本国民の状態ではないでしょうか?

さて、更新するのが遅れました。
昨日まで風が強かったのですが、今日はおさまりハウスのビニール掛けをしました。
朝から良い天気でガッチリと霜が降りて一面真っ白。氷も張っていました。
疲れまして、風呂入って、PC見てたら気になる広告がありクリック。
なんと、「トロイの木馬」がどうのすぐにマイクロソフトへ電話してください。大音量でアラートが鳴り続ける。電話番号はかけてみたが通じない。胡散臭い。シャットダウン、再起動はしないでください。シャットダウン!あ~ぁ疲れた。

カタクリも出てきました。

でっかいフキノトウ。


古賀茂明氏「アベ政治は終わったはずなのに、何か得体の知れないものに支配されている」

2023年03月13日 | 映画

日刊ゲンダイDIGITAL  2023/03/13

 衝撃的な銃撃死から半年以上が経ったが、岸田政権や自民党を見ていると、いまだこの国は安倍晋三元首相に支配されているのかと思わずにはいられない。「彼がもたらしたのは、美しい国か、妖怪の棲む国か?」──。そんな視点で検証したドキュメンタリー映画「妖怪の孫」が今月17日から公開される。企画プロデューサーを務めたのは、元経産官僚のこの人。2時間のストーリーから何が見えるのか。

 ──選挙、憲法、官僚、旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)、地元・下関など、映画ではいくつものテーマが扱われていますが、見どころは?

 もちろん全部僕が手掛けているわけじゃないので、驚きがたくさんありました。中でも、安倍さんの幼少期や性格も熟知している野上忠興さん(政治ジャーナリスト)のパートはすごく面白い。「アベノミクスなんて見せかけで、要領のいいやつだった」と。アベ政治の本質を突いているなと思いましたね。下関の元市議の女性の話も面白い。東京では見えてなかった地元の安倍さんのことが浮き上がってきました。

 ──企画プロデューサーに就かれた経緯は?

 企画の発想は、菅前総理を題材にした映画「パンケーキを毒見する」や「新聞記者」のプロデューサーであるスターサンズの河村光庸さん。実は「パンケーキ」を撮っている時から、河村さんは「本当は俺がやりたいのは安倍さんなんだよな」と言っていたんです。それで、「パンケーキ」と同じテレビマンユニオンの内山雄人監督に頼むとか、具体的に動き始めたところで、昨年6月、河村さんが急逝してしまった。実は、亡くなる前夜に河村さんから電話がかかってきて、「古賀さん、とにかくこの安倍の映画を出さないと、俺は死んでも死に切れないんだ」という話をしていたんです。翌日に亡くなったと知って、びっくりしたんですが、その後、監督らから僕に「プロデューサーをやってくれませんか」という話があって。「えー、できるわけないよ」と言ったんだけど、結局、お引き受けしました。

 ──河村さんの「遺言」みたいなものだったんですね。

 もともと製作サイドからは、「安倍氏を扱う映画だから風当たりが強くなる。打たれ強い人が(スタッフに)欲しい」というリクエストがあったそうです。河村さんの企画にずっと携わってきたから引き継いで欲しいというのと、社会的、政治的に難しい映画だから、そこを支える役割。その2つをやってくれということでした。

 ──主役の安倍氏まで亡くなってしまって、製作は大変だったのでは。

 もうできないんじゃないか、という時期はありました。安倍さんの呪縛から解かれて自由になるかと思ったら逆なんですよ。「死者に鞭を打つのか」と、日本的なあの言葉です。監督は最初、いろんな政治家にインタビューしようと考えていたけれど、野党議員も逃げちゃう、スポンサーも引いていくみたいな感じでね。ただ、意外だったのは、松竹が新宿ピカデリー(映画館)をおさえているからやろうと決断してくれたことです。きちんと客観的に見つめ直した映画を見てみたいという人はたくさんいるんだろうな、ということはみんな分かっているんですよ。松竹の決断は、エンターテインメント業界として、観客が求めているものを世に出すのが我々の仕事だ、という筋を通してくれたと感じています。

 ──古賀さん自身は映画で覆面官僚2人にインタビューしていました。

 安倍さんを評価できる人っていうのは、各省庁で官房に近いところにいた人とか、内閣府や内閣官房にいて官邸に出入りするなど、中枢にいた人じゃないと分からないんですね。そういう経験のある2人ですが、想像以上に深い絶望にあるという感じでしたね。

 ──「我々が習った憲法学では集団的自衛権は違憲。これからは合憲と答えないと公務員になれない」という言葉には背筋が凍りました。法律を作る官僚が「もう憲法は変わった」とはっきり言う。すごいことだな、と。

 「テロだ」いう言葉も出ました。国家の根本規範である憲法を正当な手続きを踏まずに変えることは、暴力は使わずとも、テロ以外何ものでもない、ということですよね。あの安保法制反対のデモまでは、わりと一般の人が参加するムードがあった。でも結局、あれだけやっても止まらなかったっていうことが、その後の日本の一般市民に、相当影響を与えたと思います。何も変わらないという諦めになってしまった。あれが止まっていたら、日本はまったく変わっていたんじゃないかと思います。

 ──覆面官僚の「そんな勇気ある官僚は残念ながらいない。(官僚は)臆病で弱くて卑怯な人間なんです」という言葉も強く印象に残りました。

 財務省の公文書改ざんで自ら命を絶った赤木俊夫さんについて聞いた部分ですね。妻の雅子さんに聞くと、最初は財務省本省からもお花を送った人がいたそうなんですが、途中から音信不通になったと。裁判になったこともあるけれど、赤木さんに花を手向けるとか、お線香をあげるなどしたら、きっと安倍さんに睨まれるという恐怖感が官僚にはあるんだろうな、と思っていて、それを聞いてみたんです。そうしたら出てきたのが、あの名ゼリフでした。

 ──「妖怪の孫」というタイトルは直接的な意味だけではないですよね?

 河村さんが「タイトルは妖怪の孫だ」と。ただ当初は、「昭和の妖怪」と呼ばれた岸信介元総理の孫で、脈々と伝わる保守の思想……というところまでだった。岸さんのことをあまり知らない人もいるし、僕はタイトルとしてどうかな、と思っていたんです。だけど、旧統一教会のこともあったし、安倍さんが亡くなった後でも岸田総理は「アベ的」なものを否定できず、防衛費のGDP比2%とか原発の新増設とか、むしろ先鋭化している。それで、後から解釈を付け加えたんです。「妖怪の孫」とは、岸さんの話をしているというより、もう安倍さんはいないし、そういう意味ではアベ政治は終わっているはずなのに、何か得体の知れないものに支配されているという状況。それを許してしまうのは、もちろん岩盤保守層の人たちであり、それをしっかり固めた安倍さんの最大の功績です。ちょっとやそっとじゃ壊れない。

 ──まさに日本中が妖怪に支配されている。

 今の日本のしくみは、憲法が想像していた世界を完全に逸脱しているんですよ。憲法では国民主権であり、国民が国民の代表である国会議員を選び、国会が国権の最高機関です。その国民の代表である国会が選んだ内閣総理大臣が政治をするのだから、この人に任せれば国民のための政治が行われるという前提なんですね。しかし、内閣が国民のために働かない、あるいは米国のために働いているとしたら……。そんな酷い内閣は選挙で落ちるでしょ、というのが憲法のしくみなんです。ところが、何をしたって選挙で勝っちゃう、というのが安倍政権だった。もうどうすればいいのか分かりませんよね。国民が正しいんだってことであれば、国民が勝たせたんだから、安倍さんがやってることが正しいと、安倍支持派の人は言うでしょう。公約を掲げて選挙に勝ったんだから、その公約を前に進めて何が悪いのかと。でも、最後は国民自身に返ってくるんです。映画にアニメが登場します。人の心の中に妖怪が仁王立ちしているのは、「国民自身がなにか変えられちゃっていませんか」というメッセージになっている。もう一度、みんなで考え直してみようというメッセージです。4月に統一地方選や国政の補欠選挙がありますから、映画を見て、よく考えてもらいたいなと思っています。

(聞き手=小塚かおる/日刊ゲンダイ)


とうとう袴田巌さんの再審開始が認められました。
おめでとうございます。

 


映画『夜明けまでバス停で』

2022年11月12日 | 映画

「助けて」と言えない人もいる。渋谷ホームレス殴死の背景を追う。コロナ禍の「社会的孤立」と自己責任の弊害

誰しもが“彼女”と同じ状況に置かれてもおかしくはないー。現在公開中の映画『夜明けまでバス停で』はこの事件をモチーフに、コロナ禍における「社会的孤立」を描いた作品だ。 

 メガホンを取ったのは高橋伴明監督。袴田事件を題材にした『BOX 袴田事件 命とは』や在宅医療の現場を描いた『痛くない死に方』など社会派作品を多く手掛けてきた。コロナ禍のいま、「渋谷ホームレス殺人事件」をテーマに掲げた理由や、作品に込めた「怒り」について聞いた。

◇◇◇

高橋伴明監督

©︎2022「夜明けまでバス停で」製作委員会

男が石入りのポリ袋で…バス停で寝泊まり中のホームレス女性を襲った悲劇

映画のモチーフとなった事件は今からおよそ2年前。2020年11月16日明け方に起きた。

 渋谷区・幡ヶ谷のバス停のベンチで大林さんが寝泊まりしていたところ、近くに住む男に石などが入ったポリ袋で殴られ、外傷性くも膜下出血により亡くなった。事件から5日後に逮捕された男は「邪魔だった。痛い思いをさせればいなくなると思った」などと供述。男は逮捕後、傷害致死の罪で起訴されたが、保釈中に死亡しているのが見つかった。自殺とみられている。

 事件について見つめ直したのはその翌年、主演を務める俳優・板谷由夏さんと旧知のプロデューサーから映画化の打診を受けたことだった。同時期に、大林さんの半生を追ったNHKのドキュメンタリー番組『事件の涙 たどりついたバス停で〜ある女性ホームレスの死〜』が放送されたこともあり、事件に対する見方が変わっていった。
「夜明けまでバス停で」

©︎2022「夜明けまでバス停で」製作委員会

 「NHKの番組をきっかけに『彼女は私だ』という女性たちの共感が広がっていることを知り、誰もが彼女・被害者になり得る事件だったんだという視点で作り上げていこうと考えました。コロナ禍により突然仕事を失い、部屋を追い出され、再就職もままならず、非常に短い時間のなかでホームレス生活を余儀なくされる。被害者の女性がたどった時間軸のなかに“いま国に対して自分が怒っていること”の一部を表現することで、もうひとつの物語を作ろうと思ったんです」

 高橋監督自身、コロナ禍で“失業”に近い状況に陥った。エンタメは「不要不急」とされ、「新作映画の企画は通らず、撮影を終えた作品も公開が1年近く延期された」という。

監督自身もまた、事件の「当事者」になり得たかもしれない。この事件を単なる悲劇で終わらせずに、事件に至ったコロナ禍の社会背景を克明に描き、ひとりひとりが映画の「主役」となり得る現状を映し出した。
「夜明けまでバス停で」

©︎2022「夜明けまでバス停で」製作委員会

 『夜明けまでバス停で』のシナリオは、実際の事件が起きた背景やコロナ禍の状況を下敷きにしている。

 事件の被害者である大林さんは広島県で生まれ、結婚を機に上京するも、夫の暴力が原因で離婚。路上生活を始める前はスーパーで食品販売員を務めていた。非正規雇用という不安定な立場にコロナ禍が追い打ちをかけ、店頭での仕事が激減。2020年春頃からバス停で寝泊まりする姿が見かけられていたという。
「夜明けまでバス停で」

 

©︎2022「夜明けまでバス停で」製作委員会

同じ関東で暮らす兄弟に連絡を取ることもなく、誰にも頼ることなく、寒いバス停でその生涯を閉じることを余儀なくされた。

 板谷さんが演じる主人公・三知子は45歳の女性でひとり暮らし。年齢こそ違うものの、大林さんに似たバックグラウンドを持つ。アクセサリー作家として細々と作品を販売するかたわら、居酒屋で住み込みのパートとして長年働いてきた。ところが、コロナ禍で突然居酒屋の仕事を解雇され、仕事と住まいを同時に失い、ホームレスになってしまうーー。
「夜明けまでバス停で」

©︎2022「夜明けまでバス停で」製作委員会

 映画では三知子の暮らしを通して、コロナ禍の時間軸をたどることができる。毎晩繁盛していた居酒屋は、2020年3月に発令された「緊急事態宣言」を機に休業。パート社員である三知子や外国人労働者たちは、何の説明もなく、メール一本で解雇されてしまう。非正規雇用の不安定さや生理の貧困、年齢や性別による差別…コロナ禍で浮き彫りになった様々な問題が、1時間半の作品に凝縮されている。

 僕は順番が逆だと思うんです。まずは『公助』が真っ先に来るべきだろうと。でも、三知子のようにその言葉を真っ直ぐに受け止めてしまう人がたくさんいるのではないでしょうか。それは、私たちが国からきちんと公助を受けてきた歴史がないからだと思うんです。戦時中といい『お国のために』と国に尽くすことが当たり前とされてきたわけですから。

ただ、初めに『自己責任』を押し付けられ、頑張ってもどうにもならなくて、周りに頼ることもできずに『もうどうにもならない』と亡くなった人に共助も公助もありませんよね。あのシーンには、そんなちぐはぐな社会像への怒りを投影しました」

©︎2022「夜明けまでバス停で」製作委員会

「人と人との繋がりに可能性を感じたい」事件と異なる結末に込められた思い

 周囲との連絡を絶ち、路上生活者となった三知子。運行を終えた深夜のバス停で寝泊まりする彼女のもとに、素性の見えない男の不穏な影が忍び寄るーー。このまま三知子も、実際の事件と同じ結末をたどるのだろうか。しかし、高橋監督は懸命に生きようとしていた大林さんの人生に敬意を払いつつ、劇中では異なる展開を描いた。

 コロナ禍によって社会的孤立を深めていく、暗く不穏な空気が漂う前半とは対照的に、後半では路上生活者の老人・バクダン(柄本明)との出会いにより物語は思わぬ方向へと動き出す。突飛な展開に映るかもしれないが、これには高橋監督のある思いが込められている。

 「夜明けまでバス停で」「社会的孤立に追い込まれた『かわいそうな女性』で終わらせるのではなく、孤立とどう向き合い、アクションを起こしていくのかという過程を描きたかったんです。三知子は『助けて』と言えないキャラクターとして描いていますが、自分からSOSを出せなくても、誰かが手を差し伸べてくれるかもしれない。そんな人との繋がりに可能性を感じたい、物語の中だけでも彼女が救われてほしいという思いを込めました」

 声を上げてもらわないと周りは助けようもない。そんな意見もあるだろう。ただ、仕事や住まいを失い、尊厳を傷つけられた当事者ほど声は小さく、様々な事情で「助けて」と言えない人たちもいる。そんな当事者たちの悲しい末路を「自己責任」の一言で片付けるのではなく、その手前で手を差し伸べることができたらーー。作品の結末からは、そんな監督自身の「連帯への希望」が垣間見えるのではないだろうか。

(執筆・取材:荘司結有、編集:濵田理

高橋伴明監督


園のようす。


ドキュメンタリー映画「教育と愛国」 JCJ大賞受賞

2022年10月20日 | 映画

監督・毎日放送ディレクター 斉加尚代さん

「しんぶん赤旗」2022年10月20日

メディアを分断した安倍政治 踏ん張る記者生かすのは市民

 政治の力で変貌していく教育の問題に焦点を当てた、ドキュメンタリー映画「教育と愛国」がJCJ大賞を受賞しました。監督は、大阪の毎日放送(MBS)のディレクター・斉加尚代さん。メディアは何ができるのか、斉加さんに話を聞きました。(渡辺俊江)

 ―JCJ大賞を受賞されての感想や、映画「教育と愛国」が上映されての反響を聞かせてください。

 優れたジャーナリズム活動を表彰するJCJ大賞に映画「教育と愛国」が選ばれるとは、予想だにしていませんでした。報道記者として歩んできた私にとってこの賞は、とてつもなく重く、名誉なことです。これまで支えてくれた全てのスタッフと劇場関係者、そして観客の皆さんが押し上げてくださったゆえの受賞だと感じます。

 公開前は教育に対する政治介入をテーマに淡々と描く作品がどれほど受け入れられるだろうかと不安もあったのですが、結果はヒット作と言われるまでになっています。感想も幅広く、「背筋も凍る政治ホラーだ」と評する方や「よくぞ、作ってくれた」と感謝してくださる方、また「涙が止まらなくなった」とおっしゃる方まで、お客さんによって刺さるポイントがどうも違うようです。制作者の意図を超えて映画がどんどん育てられていると感じます。これは大きな喜びです。上映後の舞台挨拶で印象的なやりとりは数多くあるのですが、たとえば、教員を目指しているという女子学生さんが私の顔を見るなり「悔しいです」と述べて絶句し大粒の涙を流されたことや、現役の教員が「この映画の中に自分の苦しみの原因が描かれている。いまも苦しいけど、子どもたちのために頑張ります」と話されたことなどです。

 ―映画は「教育と政治」について問いました。それは「メディアと政治」にもつながります。権力を批判するのではなく、すり寄ることがメディアの内部で起きています。

 安倍晋三元首相による長期政権の功罪を振り返れば、メディア全体に大きな分断をもたらした罪は大きいのではないでしょうか。一国のトップは、どのメディアにも公平に接するというモラルを崩壊させました。自分の意に沿うメディアを優遇し、単独インタビューに応じたりテレビに出演する一方、自身にとって都合の悪いメディアを忌避するだけでなく名指しして攻撃するという愚挙に走りました。

 説明を尽くし社会の合意を取り付ける役割を果たすべき政治家が、言葉を用いて「敵」と「味方」を色分けし人びとに分断をもたらします。メディア自体も権力監視の機能を後退させて批判力を低下させたと思います。分断のせいでメディアが一丸となって権力に対峙(たいじ)できなくなったことに加え、「批判ばかりする」と読者や視聴者の一部がメディアの存在価値を理解せず、権威主義に染まっていることも一つの原因ではないかと思います。

 ―番組や取材が政治家から、またSNSで激しいバッシングを受けることがあります。斉加さんは「記者に息苦しい、殺されかけていると感じさせる」と言われています。

 いま記者たちの存在が殺されかけているのは、二つの側面からです。一つは特定の政治家からの激しい言葉による扇動やSNS上での発信によって個人攻撃されると、顔の見えないネットユーザーらが大群のように押し寄せて挟撃され窮地に陥ってしまう危険と隣りあわせであることです。ネット炎上をできれば避けたいと気にする記者やデスクが多くなりました。もう一つ、さらに深刻なのが、日本経済の衰退によって新聞・テレビ等の広告収入が減り、企業メディアの経済基盤が弱くなったために記者の数が減らされ、稼げる記事をもっと書けと圧力をかけられたり、視聴率主義に記者を追いやってジャーナリズムが二の次になっていることです。

 テレビ局の場合はとりわけ政治をエンタメ化してでも視聴率を取りさえすればよいとする傾向が強まっています。人気の高い政治家やコメンテーターに依存し、主体的に検証しようとしない情報番組をよしとする姿勢も問題です。世界が戦争に向かう恐れもあるなか、危険な言論空間が出現していると私は感じます。そしていま真面目に踏ん張る記者を殺すのも生かすのも、実は読者であったり、視聴者であるということを付言したいと思います。

 ―「取材とは、自分と違う立場とを行き来すること」というのが斉加さんの信念です。それを育てられたのは、MBSの報道DNAだとか。

 MBSドキュメンタリー「映像」シリーズは、作り手が独自の視点で自由に果敢に制作できるという気風で続いています。月1回の放送でもう42年目を迎え、テーマも多岐にわたります。私自身の「映像」第1作は、ALS(筋萎縮性側索硬化症)患者の西村隆さんが車椅子で生活し、時間をかけてパソコンに打ち出す文字で会話しながら4人の子どもたちの成長を支え人生を輝かせているという作品でした。明るさとユーモアを失わない西村さんは、「自分とは違う」大きな存在でした。

 取材とは、自分とはまったく違う人たちと出会うことだと思います。実際、「映像」はマイノリティーを多く取り上げてきましたし、政治的立場に関係なく相手と対話し、知ることこそが取材です。

 ―報道がジャーナリズムとして存在するためには何が必要でしょうか。仕事をする上での原動力は何ですか。

 出会いから生まれる問いに私は突き動かされます。映画「教育と愛国」の製作では、大阪維新の会による教育改革を知って「俺たちの学校をつぶすってことは、俺たちもいらんということやろ」と真顔で一人の生徒から聞かれ、こんなふうに思わせる政治主導の教育はおかしいではないかとの問いが出発です。

 全ての子どもたちが幸せを感じられるよう、貧困や差別、戦争を遠ざけて、平和を享受し自由に生きられる社会を実現させたい。そんな社会を理想に掲げて進んでゆくことが教育とジャーナリズムの使命です。どちらも未来に目を向ける仕事だと思います。目先だけの利益を追求する強欲ビジネスとは相いれない。そこが私の原動力だし、失いたくない軸なのです。

■映画「教育と愛国」

 政治介入で様変わりしていく教育の現場をつぶさに取材した作品。2017年に放送した「映像 ’17」(関西ローカル)の同名ドキュメンタリーに、日本学術会議任命拒否問題などを追加取材して完成しました。小学校の道徳教科書で「パン屋」が「和菓子屋」に、高校の歴史教科書では沖縄の集団自決について「軍の強制」が削除されたことを告発。大阪維新の会による「教育改革」にも鋭く迫ります。

 22日から埼玉・川越スカラ座で公開。今後、全国で自主上映会開催。

 さいか・ひさよ 1987年MBS入社。報道記者を経て、2015年からドキュメンタリー担当ディレクター。テレビ版「愛国と教育」でギャラクシー賞テレビ部門大賞など。


 この季節、テントウムシダマシやカメムシの大発生。天気の良い日には家の壁や窓にびっしりと。下手に玄関を開けられません。おまけに両者とも臭い。そろそろ窓の雪囲いをと始めたのですが、いやはやなんとも・・・

シコンノボタンが咲き始めた。


「テレビ新聞が報じない食の問題に関心を」山田正彦・元農相に聞く

2021年07月18日 | 映画

YAHOO!ニュース(個人)7/16(金) 

映画『食の安全を守る人々』(写真提供:心土不二)

 ふだん口にする食べ物の安全性に不安を抱く消費者が増えている。そうした中、テレビや新聞があまり報じない残留農薬やゲノム編集食品などの安全性を問うドキュメンタリー映画『食の安全を守る人々』が、7月上旬、封切られた。作品の狙いや食の安全性をめぐる日本の現状などを、同映画のプロデューサーでインタビュー役としても登場する元農林水産大臣の山田正彦氏に聞いた。

「山田さんの言うことは信じた難い」(ママ)

――封切られて1週間が過ぎましたが、反響はいかがですか。

「東京都内の映画館では早速、次々と上映期間の延長が決まりました。北は北海道から南は沖縄まで、すでに20数館での上映が確定しています。原村政樹監督は、公開前に20を超える映画館から上映の申し込みが来たのは初めてのことだとおっしゃっていました。それだけ多くの日本人が、食の安全性に不安を抱いているということかもしれません」

――作品を作ろうと思ったきっかけは。

 「アメリカで行われた『ラウンドアップ裁判』です。除草剤ラウンドアップを長年使っていたらがんになったとして、カリフォルニア在住の末期がんの男性が農薬大手モンサントを提訴し、2018年、陪審はモンサントに日本円で約320億円の支払いを命じました。危険性を認識しながら、人に安全、環境に優しいとのうたい文句で販売していたのは非常に悪質だと、陪審が認めたわけです」

 「ラウンドアップは日本でもたくさん使用されています。ところが、この裁判を日本のテレビや新聞はほとんど報じませんでした。裁判の後、私は農薬の危険性を説いて回りましたが、話をする先々で『いくら山田さんがそう言っても、新聞、テレビが報道していないので、信用できない』と言われたんです。だったら、事実を映像にして訴えれば、みんな私の話を信用してくれるのではないか、と考えました。たまたま原村監督とお会いする機会があり、映画の話を持ち掛けました」

ゲノム編集は未知の部分が多すぎる

――作品を通して訴えたいことは。

 「まず、農作物に残留する残留農薬の問題ですね。日本は農薬大国です。一方、発達障害児はどんどん増え、数年前の文部科学省の調査だと、小中学生の6.5%が発達障害の可能性があるとされています。アトピーや食物アレルギーも、もの凄い勢いで増えています。そして、いずれも農薬との関係が疑われています。ですから、国はまず、農薬を厳しく規制すべきだと思います」

 アメリカで遺伝子組み換えに反対する母親の会「マムズ・アクロス・アメリカ」のゼン・ハニーカット氏(右)にインタビューする山田氏(写真提供:心土不二)

 「映画では、特定の遺伝子を切断して生物の特徴を変えるゲノム編集についても取り上げています。インタビューしたカリフォルニア大学のイグナチオ・チャクラ教授の話はとても印象的でした。チャクラ教授いわく、人の遺伝子細胞は互いにコミュニケーションを取りながら存在しており、ある遺伝子が破壊されると、周りの遺伝子は敵が来たと思い、毒を出して攻撃したり形を変えたりして、身を守ろうとする。その結果、残りの細胞にどんな変化が起きるのかは、誰にもわからないと言うのです。結局、ゲノム編集というのは未知の部分が多すぎるんです。だから安全だとは言い切れない」

「ところが、あろうとことか、日本の農林水産省はゲノム編集の種子を有機認証(安全性のお墨付き)しようと正式な検討会を開きました。農水省の担当者が JAS(日本農林規格)法の改定手続き中であることを私にはっきり言いました。EU(欧州連合)では、ゲノム編集食品は遺伝子組み換え食品と同じように厳しく規制されているというのに、日本では、まったく逆のことが起きようとしているんです」

――映画では韓国の学校給食も紹介されています。なぜ学校給食なのでしょうか。

 「韓国は、農薬も化学肥料も使わない有機農業が非常に盛んです。もともとは日本の有機農業の技術を取り入れて始めたということですが、いつの間にか日本のはるか先を行っている。最初に韓国に取材に行った時に、なぜ有機農業が盛んなのか何人かに聞いたら、口をそろえて、学校給食で有機食材を使ってくれているからと言うんです。しかも学校は市場より2割も高く買ってくれると説明していました。その時は詳しく取材する時間がなかったので、後日、監督と一緒に韓国を再度訪れ、学校給食を取材しました。それが映画の中の映像です」

畜産仲間が自殺

――山田さんは民主党政権の時に農水大臣も経験していますが、昔から農業問題に関心があったのでしょうか。

 「私の原点は、29歳の時に、長崎県の五島列島で牧場を開いた経験です。司法試験に合格した私は、司法修習生として長崎地裁に配属になりましたが、子どものころから牛を飼いたいと思っていたので、司法修習中にお金を工面して牧場を開きました」

「当時は、国が畜産業の大型化、近代化、合理化を強力に推進していたので、牧場を大きくしたいと言えば、どんどんお金を借りることができました。ところがやがて日本をオイルショックが襲い、大農場は経営が立ち行かなくなりました。私は弁護士事務所を開いて借金を何とか返済できましたが、畜産仲間のうち2人が、借金を返せず自殺しました」

 「私自身、悔しかったし、日本の農政は間違っているとその時、強く思いました。ちょうど、農薬問題を扱ったレイチェル・カーソンのベストセーラ『沈黙の春』や有吉佐和子の『複合汚染』が話題になっていた時期でもありました。それで、政治家になって日本の農政を変えようと、衆院選に立候補したんです」

「議員になってからは、EU諸国やアメリカなど海外を視察して回り、各国の農業政策を勉強しました。各国とも食料自給率、食の安全のために農家に所得補償制度を導入しています。政権交代で民主党が与党になった時に農水大臣(2010年6月-2010年9月)に就任しましたが、その時に農業者戸別所得補償制度を実現することができました」

農業の大規模化は間違い

――元農相として現在の農政をどう見ますか。

 「私が大臣になった時、農水省の幹部を集めて、はっきりこう言いました。大規模化、合理化を目指した日本の戦後農政は間違いだった。その間違った農政の犠牲者が、あなたたちの目の前にいる。今後、農政を大転換する。家族農業を主体とした小規模農家を応援し、EU型の戸別所得補償制度を導入する、と。翌年、農家の所得は17%上がりましたが、私が大臣を辞めたら、同制度は廃止されました」

 「それから約10年後の2019年、国連『家族農業の10年』がスタートしました。今、小規模農家の役割を見直そうという機運が世界的に高まっています。アフリカを見ればわかるように、合理化、大規模化では世界を飢餓から救えない、伝統的な農業によって初めて生産量を増やすことができるということが、やっとわかってきたのです」

 「依然、大規模化、合理化にこだわる日本の農政は、世界の流れと逆行しています。他の問題でも同様です。例えば遺伝子組み換え作物は、アメリカでは作付面積が完全に頭打ち。ロシアは2016年に作付けを禁止しました。また、日本では昨年末、農家が種を自家採取することを広範に禁止する改正種苗法が国会で成立しましたが、地域の農業を守る自家採取を原則、禁止している国は、世界の中では日本とイスラエルしかありません」

地方から改革を

――食の安全性に対する不安を取り除くためには、どうすればよいのでしょうか。

 「日本を変えないといけません。そのためにはまず、この映画を観て、今何が起きているのか知ってほしい。そして行動を起こすことです。例えば、国は、企業に種子ビジネスで儲けさせようと、主要農作物の種の安定供給を都道府県に義務付けた種子法を2018年に廃止しました。しかし、それに不安を抱いた住民が次々と声を上げた結果、種子法の内容を受け継いだ種子条例がすでに28道県で成立しています。学校給食に有機食材を使うよう自治体に求める署名活動も全国各地で起きています。地方が変われば国も変わる。だから地方から変えて行こう。そういう運動を今、仲間と一緒にやっているところです」

 「もう1つ個人的に力を入れているのは、SNSによる情報発信です。先ほど、テレビや新聞の影響力の話をしましたが、都市部を中心に、新聞もテレビも見ないという人が増え、SNSやインターネットの影響力が強まっているように感じます。実際、種子法廃止や種苗法の問題もSNSを通じて多くの国民に知れ渡り、反対運動も盛り上がりました。今後もSNSを通じた情報発信を強化していきたいと考えています」

(カテゴリー:食の安全、環境、米社会問題)

猪瀬聖 ジャーナリスト

慶應義塾大学卒。米コロンビア大学大学院(ジャーナリズムスクール)修士課程修了。日本経済新聞生活情報部記者、同ロサンゼルス支局長などを経て、独立。食の安全、働き方、マイノリティ、米国の社会問題を中心に幅広く取材。著書に『アメリカ人はなぜ肥るのか』(日経プレミアシリーズ、韓国語版も出版)、『仕事ができる人はなぜワインにはまるのか』(幻冬舎新書)など。


 大規模農家は潰れます。もっと大きなグローバル企業が「食」を支配しようとするからです。「食」は世界戦略の一環なのです。「産直」など、消費者と結びついた農家が生き残ると思います。


アフリカホウセンカ?


「核は地球と共存できない」 被爆体験語るサーロー節子さんのドキュメンタリー映画が17日から公開

2021年04月16日 | 映画

「東京新聞」2021年4月15日 12時00分

 ノーベル平和賞授賞式などで広島での被爆体験を語り、核兵器廃絶を訴えてきたカナダ在住のサーロー節子さん(89)のドキュメンタリー映画が17日、東京都渋谷区や横浜市などで公開される。プロデューサーを務めた米ニューヨーク在住で被爆2世の竹内道みちさんは「核は地球と共存できない。アクションを起こすきっかけになれば」と訴える。初日は両名がオンラインであいさつを行う予定。(杉戸祐子)

 映画名は「ヒロシマへの誓い サーロー節子とともに」。原爆投下から70年となる2015年、国連本部で開かれた核拡散防止条約(NPT)会議から約4年間の活動を撮影した。

 13歳で被爆した体験を世界各国で詳細に語り続けてきたサーローさんの半生を振り返り、17年に核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)がノーベル平和賞を受賞した際の授賞式で、被爆者代表としてスピーチした時の映像で結んでいる。

 10年にNGOの活動を通じ、中学・高校の先輩に当たるサーローさんと知り合った竹内さんは「勤勉で使命に燃える生き方と活動を記録し、核の恐ろしさを伝えなければという気持ちで撮り始めた」と話す。

 作品はサーローさんの歩みと並行する形で、竹内さんが、広島赤十字病院(当時)の院長として被爆・負傷しながら陣頭指揮を執った祖父の取り組みや、被爆体験を語らなかった母親の思いをたどる。

 高校卒業後に渡米し、「被爆2世という認識はなかった」というが、核廃絶運動が国際的に広まる中、「被爆者の家族としての責任を感じるようになった」と明かす。

 映画は19年に完成したが、今年1月22日の核兵器禁止条約発効を受け、2分間弱のエピローグ映像を追加で製作した。「最終目標である核廃絶まで条約批准国は増え続ける」と力を込めるサーローさんの言葉とともに、条約に署名した86の国・地域の名が映し出される。

 上映は東京都渋谷区の「ユーロスペース」、横浜市中区の「横浜シネマリン」などで行われ、詳細はホームページ(作品名で検索)。問い合わせはユーロスペース=電03(3461)0211、シネマリン=電045(341)3180=へ。


 今朝も強い霜が降りた。気温も氷点下。週間天気予報から氷点下が消えました。いや、復活するかもしれませんが。気持ち的には凄く楽になります。今朝もいい天気でしたので気持ちが焦り、スマホを持たずに出てしまいました。8時前に到着、30℃超えでした。これからだんだんと早くなります。明日は雨の予報ですので一息付けます。


安倍政権と内調の闇を暴いた映画『新聞記者』が日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞する快挙! 主演女優賞、主演男優賞も

2020年03月07日 | 映画

  リテラ 2020.03.06


 快挙と言っていいだろう。安倍政権を批判した映画『新聞記者』が、本日発表された第43回アカデミー賞で、最優秀主演女優賞、最優秀主演男優賞、さらに最優秀作品賞を受賞した。
 主人公の女性記者を演じたシム・ウンギョンが、最優秀主演女優賞。受賞を予想していなかったと号泣しながら、共演者たちへの感謝を述べた。
 もうひとりの主人公・内閣情報調査室ではたらくエリート官僚を演じた松坂桃李も、最優秀主演男優賞を受賞。これほど踏み込んだ作品のオファーを受けた理由を問われ「純粋にこの作品の根底に、いろんな情報があるなかで、自分の目で自分の判断でちゃんと意思を持とうよっていうメッセージ性がしっかりと込められているなと思ったので」と答えた。
 さらに最優秀主演男優賞受賞が決まると、松坂は『新聞記者』が世に出るまでの紆余曲折・苦労をこう打ち明けた。
「この作品は、僕の知る限り、実現するまで二転三転四転五転ぐらい、いろんなことがあって。それでもこの作品を届けたいという人たちが集まって、撮り切ることができました。僕自身もものすごく、10年ちょっとですけど、やってきて、ものすごくハードルの高い作品、役だと思ったんですけれども、ウンギョンさんと一緒にお芝居できて、最後まで駆け抜けることができました」
 映画公開にいたるまでたくさんの紆余曲折があったのも、演じることに高いハードルがあったのも、言うまでもなく、この作品が安倍政権の闇、とりわけ官邸の“謀略機関”となっている内閣情報調査室を描いた作品だからだ。
 本サイトが、公開前日にこの映画を紹介した記事を以下に再録するので、ご一読いただきたい。
 権力者から直接的な命令はなくともその意向を忖度し、同調圧力のもと民衆同士も空気を読み合い監視し合う、ゆるやかな全体主義ともいえる安倍政権下の日本。そこで奪われているものは何か、それを打破するために必要なものは何か。
 受賞をきっかけに、あらためてこの映画の突きつける問いを多くの人に受け止めてもらいたい。
(編集部)
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 明日、あまりに衝撃的な一本の映画が全国公開される。菅義偉官房長官に果敢に切り込みつづけている東京新聞・望月衣塑子記者の著書を原案とした藤井道人監督の『新聞記者』だ。
 一体、何が衝撃的なのか。それは、劇映画というフィクション作品でありながら、ここ数年のあいだに安倍政権下で起こった数々の事件をまさに総ざらいし、あらためてこの国の現実の“異常さ”を突きつけていること。そして、その“異常さ”の背後にある、官邸の“謀略機関”となっている内閣情報調査室の暗躍を正面から描いていることだ。
 ストーリーは、東都新聞という新聞社に、ある大学新設計画にかんする極秘文書がFAXで送られてくることからはじまる。取材に動くのは、日本人の父親と韓国人の母をもち、アメリカで育った女性記者・吉岡エリカ(シム・ウンギョン)。そうした最中にも、政権に絡んだきな臭い問題が立てつづけに起こるのだが、その裏側で動いているのが、内閣情報調査室だ。
 内調に出向している若き官僚・杉原拓海(松坂桃李)は、粛々と任務をこなしていた。政権を守るための情報操作に、政権に楯突く者たちを陥れるためのマスコミ工作……直属の上司である多田内閣参事官(田中哲司)は「国のため」「国民のため」だと言うが、そんななかで杉原の元上司である官僚が自殺したことをきっかけに、吉岡が追う大学新設計画にかんする国家ぐるみの計画を知ることになるのだが──。
 観客にとってきっと忘れられないシーンになるであろうラストまで、息をつかせない重厚な政治サスペンスが繰り広げられる『新聞記者』。だが、あらためてハッとさせられるのは、物語を大きく動かしていく大学新設計画の問題のほかにも、政権に睨まれた元文科省官僚に対するスキャンダル攻撃や、“総理ベッタリ記者”による性暴力被害ともみ消しを訴える告発、政権とメディアの癒着・圧力、官僚の自殺など、さまざまな事件が起こってゆく点だ。
 微妙な違いはあるものの、これらは言うまでもなく、この国で実際に起こった森友公文書改ざん問題での近畿財務局職員の自殺や、加計学園問題に絡んだ前川喜平・元文科事務次官に仕掛けられた官邸による謀略、伊藤詩織さんによる告発などが下敷きになっている。実際、本作の企画・製作をおこない、エグゼクティヴ・プロデューサーを務めている河村光庸氏は、このように述べている。
「これらの政治事件は本来であれば一つ一つが政権を覆すほどの大事件です。ところがあろうことか、年号が令和に変わろうが継続中であるべき大事件が一国のリーダーと6人の側近の“令”の元に官僚達はそれにひれ伏し、これら大事件を“うそ”と“だまし”で終りにしてしまったのは多くの国民は決して忘れはしないでしょう」(「論座」6月23日付)
 普段、御用メディアによる報道しか接していない人がこの映画を観れば、「こんな腐敗や不正が立てつづけに起こるなんてフィクションだ、映画の世界の話だ」と思うかもしれないが、これはすべて実際に、短期間のあいだに起こったことなのだ。逆に、この一連の動きを知っている観客ならば、本作によって、あらためてこの国の現実に背筋が凍ることは間違いない。
 そして、なんと言ってももっとも衝撃的なのが、官邸と一体化した内閣情報調査室の暗躍ぶりだ。「こんなことまでやっているのか」と驚愕させられる謀略の数々に、これもまた観客のなかには「映画だから」と言う人もいるかもしれないが、内調の問題を追及してきた本サイトから先に言っておくと、映画が描いている内調の謀略は現実にやっていることがほとんどだ。
 たとえば、映画では、伊藤詩織さん事件をモデルにしたと思われる事件をめぐり、松坂演じる杉原が上司に命じられるままチャート図をつくって週刊誌に横流しするシーンが出てくるが、現実でも同じことが起きていた。伊藤詩織さんが司法記者クラブで実名顔出しで記者会見をおこなった際、詩織さんと詩織さんの弁護士と民進党の山尾志桜里議員の関係をこじつけ、詩織さんを「民進党関係者」だとするフェイクチャート図の画像がネット上に出回ったが、これも、内調が謀略チャート図を政治部記者に流していたと「週刊新潮」(新潮社)が報じているし、本サイトの調査では、内調が情報を直接2ちゃんねるに投下した可能性すらうかがわれた。
本物の前川喜平氏も映画に登場し“出会い系バー”通いの謀略を証言!

 さらに、映画には、前述したように、前川喜平元文科事務次官の“出会い系バー通い”リーク問題を下敷きにしたと思われる事案も登場する。
 本サイトでは繰り返しお伝えしてきたが、前川氏の“出会い系バー通い”の情報は、もとは公安出身の杉田和博官房副長官や内調が調査して掴んだものだったという。それを使って加計学園問題の「総理のご意向」にかんする前川氏の告発の動きを封じ込めるために、読売新聞にリークしたのだ。
 当時、本サイトはいち早く報じたが、じつは読売の記事が出た直後から、官邸記者クラブのオフレコ取材では読売記事についての話題が出ていた。そのなかで読売に情報を流したと言われている安倍首相側近の官邸幹部が、記者にこう言い放っていたことをキャッチしている。
「読売の記事にはふたつの警告の意味がある。ひとつは、こんな人物の言い分に乗っかったら恥をかくぞというマスコミへの警告、もうひとつは、これ以上、しゃべったらもっとひどい目にあうぞ、という当人への警告だ」
 内調と官邸が一体化し、告発者だけではなくマスコミまで恫喝するために、何の事件性もないものを最大手の新聞社に記事として掲載させる──。とんでもない話だが、映画では、この内調の前川元次官に対する謀略報道とそっくりなディテールが登場するのだ。
 しかも、驚いたのは、前川氏本人が映画に登場したことだ。主人公が見ている「番組」という設定で、前川氏や新聞労連委員長で朝日新聞記者の南彰氏、元ニューヨーク・タイムズ東京支局長であるマーティン・ファクラー氏、そして原案者である望月氏の座談会の模様が挿入されるのだが(この動画は公開前に「ハフィントンポスト」がYouTubeで公開中)、前川氏はそのなかで週刊誌にも“出会い系バー通い”がリークされたことを明かしている。
「あるほう(「週刊新潮」)は『新宿である店に出入りしているそうだけども、その話が聞きたい』と言ってくる。もうひとつのほう(「週刊文春」)は『そういう話を聞いたんだけども、そっちの話じゃなくてあっちの話を聞きたい』と。そっちは書かないけれども、書かない代わりに、ある大学の獣医学部設置にかかわる内情を聞きたいと。そういうアプローチがあったんですよね。これは非常にわかりやすかった。それは出所は同じだったんだろうと思うわけでね」

原案の望月記者も「望月さんを内調が調べ始めた」と国会議員らから聞かされたと証言

 もうひとつ興味深かったのは、この座談会で、東京新聞の望月記者も自分が内調に狙われていたことを明かしたことだ。
「私自身の記憶で言うと、やはり非常にバトルを官房長官とやっていたときに、ある内調(の人物)が、非常に仲が良いと、私はその議員が誰だか知らないんですけど、その国会議員に、内調が『望月さんってどんな人?』という調べる電話をかけてきた。この国会議員が非常に仲が良い、あるジャーナリストの人に『望月さんのこと内調が調べ始めたよ』という話をするんですね。この人(ジャーナリスト)から私に『望月、調べられているから気を付けておけ』っていう」
「彼(内調)が知っている政治家とかジャーナリストを使って、あなたを見ているんですよと、ウォッチングしているんですよ、ということを、やっぱり政権を批判的に言ったり厳しめにつっこんでいる私とかに対して、間接的な圧力になるように、そういうことをやると」
 官房長官会見で質問をおこなうことは記者として当然の行為であり、それに答えるのが官房長官の務めだ。しかし、その当然のことをするだけの望月記者に質問妨害をおこなったり、官邸記者クラブに恫喝文書を叩きつけている官邸。だが、それだけではなく、内調を使ってこんな脅しまで実行しているのだ。
 いや、内調と官邸による情報操作、マスコミ工作は映画で描かれているもの以外でもいくらでもある。
 たとえば、2014年、小渕優子経産相や松島みどり法相など、当時の安倍政権閣僚に次々と政治資金問題が噴出した直後、民主党の枝野幸男幹事長、福山哲郎政調会長、大畠章宏前幹事長、近藤洋介衆院議員、さらには維新の党の江田憲司共同代表など、野党幹部の政治資金収支報告書記載漏れが次々と発覚し、政権の“広報紙”読売新聞や産経新聞で大きく報道された(所属と肩書きはすべて当時)。ところが、この時期、内調が全国の警察組織を動かし、野党議員の金の問題を一斉に調査。官邸に報告をあげていたことがわかっている。
 
 また2015年、沖縄の米軍基地問題で安倍官邸に抵抗していた翁長雄志・沖縄県知事(当時)をめぐって、保守メディアによる「娘が中国に留学している」「人民解放軍の工作機関が沖縄入りして翁長と会った」といったデマに満ちたバッシング報道が巻き起こったが、これも官邸が内調に命じてスキャンダル探しをおこない、流したものといわれている。
 野党や反対勢力だけではない。前川氏に対してもそうだったように、内調は官僚の監視もおこなっている。2017年には韓国・釜山の総領事だった森本康敬氏が電撃更迭されたが、これは森本氏がプライベートの席で慰安婦像をめぐる安倍政権の対応に不満を述べたことを内調がキャッチ。官邸に報告した結果だったと言われる。

報道の萎縮が進行するなか、映画『新聞記者』が突きつけるメディアの使命!

 まるで映画のような話だが、この映画のような謀略が、この国では当然のようにおこなわれているのである。そういう意味では、『新聞記者』が描いているのはフィクションではなく、まさに現実なのだ。
 しかし、このような独裁的な振る舞いを平気で見せる安倍政権下で、状況をさらに悪くさせているのは、あらためて指摘するまでもなく、メディアの姿勢だ。映画『新聞記者』は、吉岡記者の姿を通し、強大な権力と対峙する恐怖のなかでも真実を伝えようとするジャーナリストの使命を浮き彫りにしている。
 前述したエグゼクティヴ・プロデューサーの河村氏は、製作にあたっての思いをこうも述べている。
「前提としてですが、私はどこかの野党や政治勢力に与するものではありませんし、この作品は一人の記者を礼賛するでもありません。むしろ報道メディア全体、記者一人一人に対するエールを送るつもりで作りました。
「これ、ヤバいですよ」「作ってはいけないんじゃないか」という同調圧力を感じつつ映画を制作し、宣伝でも多くの注目を浴びつつも記事にはしてもらえず、それでも何とか公開まで持っていこうというのが今の状況です」
 大手メディアで政権への忖度がはたらき、報道の萎縮が進行しているなかで、映画でこの国の問題に正面から向き合う──。河村氏をはじめ、見事な作品へと昇華させた藤井監督、製作側の思いに応えたキャスト陣(とりわけ人気俳優でありながら、この挑戦的な作品に主演した松坂桃李)には、大きな拍手を送りたい。そして、ひとりでも多くの人が劇場に足を運び、映画のヒットによって大きなうねりが生まれることを期待せずにはいられない。
(編集部)

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 最優秀監督賞は「翔んで埼玉」の武内英樹監督、最優秀助演男優賞は「キングダム」の吉沢亮さん、最優秀助演女優賞は同映画の長澤まさみさん、最優秀アニメーション作品賞は「天気の子」、最優秀外国作品賞は「ジョーカー」に贈られた。
 他の主な部門の最優秀賞は以下の通り。(敬称略)
 美術賞=斎藤岩男(キングダム)▽撮影賞=河津太郎(同)▽録音賞=久連石由文(蜜蜂と遠雷)▽編集賞=河村信二(翔んで埼玉)(東京新聞)


仁藤夢乃×メヘルダード・オスコウイ「私たち人類はみな同じ痛みを持っている」

2019年10月23日 | 映画

 Imidas連載コラム 2019/10/23 

対談! 10代のあなたへ 第8回

 今回は、イランの少女更生施設を描いた話題のドキュメンタリー映画『少女は夜明けに夢をみる』(2019年11月2日より東京・岩波ホールほか全国で順次公開)を制作した映画監督メヘルダード・オスコウイ氏との対談が実現。日本から遠く離れた中東の国イランの更生施設で、罪に問われた少女たちはどんな気持ちで日々を過ごしているのか? その人生にはどんな悲劇があったのか? 公開に先立って作品を鑑賞し、「すごく感じるところがあった」という仁藤夢乃が、来日中のオスコウイ監督に話を聞いた。

「まさにそのものだな」と感じた

仁藤 私は先日、映画『少女は夜明けに夢をみる』を、女子高生サポートセンターColabo(コラボ)とつながる10代の女の子たちと一緒に観ました。今回お会いできて、とても嬉しいです。

オスコウイ 私も日本を訪れるにあたって仁藤さんのことを聞きました。この映画はイランの更生施設で暮らす少女たちのドキュメンタリーですが、実は3部作になっていて『It’s Always Late for Freedom』(2008年)、『The Last Days of Winter』(11年)という少年更生施設を追った2作に続く最新作なのです。なので、ぜひ前の2作品も観てもらいたい。恐らく興味をそそられると思いますよ。

仁藤 それはぜひ観たいです。その2作品も日本で一般公開されるといいですね。

オスコウイ イランには、例えば刑務所から出た少女たちの人生をサポートしたり、服役している女性の面倒を見たりする支援者がいて、NGOなどに所属して活動しています。そういった活動をされる方が日本にもいらっしゃることを聞いて、本当にお会いできてよかった。私がライフワークとしている映画制作の中で感じたことに、共感していただけると思います。

仁藤 私たちは「支援」というより、虐待や性暴力被害に遭うなどした10代の女の子たちと共に活動することを大切にしています。それでこの映画を観て最初に感じたのは、登場する少女たちの一人ひとりが、実際に私たちが関わっている日本の女の子たちと同じ背景や気持ちを抱えているということ。「まさにそのものだな」という思いでした。

オスコウイ この映画は既に世界の約40の映画祭で上映されて、大勢の人たちに観ていただきました。その中でさまざまな感想も聞いてきたのですが、ポーランド、カナダ、フランス、アメリカなどでも「私の国の少年院の子どもたちとま全く同じだ」「ただ、あなたの映画の中に出てくる女の子はスカーフを被っているだけ」という意見が多かったことに驚かされました。国は違えど、私たち人類は同じ痛みを持っているんです。

仁藤 世界共通で同じような痛みを負わされている子どもたちがいるのに、彼女たちへの支援は不十分で差別や暴力にさらされています。日本は昔から「家族は支え合うもの」という考えが根強く、今でも家族の再統合神話がまかり通っています。児童福祉や少年院の指導でも「虐待などを背景に行き場を無くし、非行に関わった子どもたちも、もう一度家族の中に戻せばうまくいくだろう」というように。そして「あなたは家族に大切にされている」「問題はあなたにあったのだ」という教育によって、自分を責めている子が日本には多いです。この映画のシーンにも、同じような訴えをした少女が出ていましたよね。

オスコウイ その通りです。彼女たちがなぜ更生施設に送られたのかを探っていくと、家族から逃げたかったという子が何人もいました。私自身も15歳の時、父の破産が原因で自殺しかけたことがあります。多くの少年非行の背後には家族の問題があって、全部が彼らのせいではない。だけど仕方なく社会の悪者になってしまった。そういったことも、この映画を観てもらえればお分かりになるでしょう。

仁藤 冒頭のシーンに出てくるハーテレちゃんが「夢は死ぬこと」と答えていましたが、私も女の子から同じことを言われることはよくあります。〈名なし〉のニックネームをもつシャガイエさんが、最初は監督の質問にすごくヘラヘラと笑って答えているんだけど、性虐待の話になると涙が止まらなくなったり……そういう表情の変化も私が日々接してる女の子たちと重なりました。

オスコウイ 仁藤さんのお話をうかがっていて、ちょっと聞いてみたいことがあります。私たちは、日本はとても裕福な国だと思っていました。そういう国では、性虐待されたり暴力を振るわれたりして、生きるために盗みや傷害などの犯罪に手を染めてしまうような子は少ないと考えていました。だけど日本へ来ていろいろ話を聞いてみると、こんな裕福な国にもいじめやDV、虐待があるみたいですね。なぜ日本のような社会でも、そうしたことが多く起きるのでしょうか?

仁藤 日本は10代の自殺がとても多い。世界的に見ても突出していて、若者の死因の第1位です。この問題の裏には、いじめや大人からの暴力を見過ごし、子どもには「あなたのせい」という自己責任論を押し付ける社会構造があると思うんです。日本ではこの映画のように、女の子が自分の性虐待被害や、世間から「非行」と言われるような行いをしたことをカメラに向かって話したら、放送後にネットなどでものすごくバッシングされるでしょう。家出をしたり、体を売ったり、薬物に手を出したりするのは「悪い子だから」と片付けられて、背景にある暴力や社会的な構造に目を向ける大人はあまりいません。そんな社会のゆがみが、イランや他の国の社会と同じように、子どもたちを追いつめているのではないでしょうか。

オスコウイ なるほど、スイスでもそんなことを聞きました。ところでソマイエという少女が映画の中に登場しますよね。実は更生施設の撮影許可を得るうえでいくつか制約があって、撮影終了後に入所者と接触することは許されませんでした。ところがある日、ソーシャルワーカーから電話があって「ソマイエが“メヘルダードおじさん”に助けを求めている」と言うのです。話を聞くと、ソマイエを含む3人の子が大学進学を希望しているので支援してほしいということでした。そこで資金を集めて彼女らを大学に入れました。ソマイエは今、大学2年生です。

仁藤 ソマイエは、家族で共謀して、暴力をふるう父親を殺した罪で収容された子ですね。「ここのみんなは同じような経験をしてる。お互いの痛みを理解し合ってるわ」っていう言葉が印象に残っています。

オスコウイ 私はこの映画を制作した後、制約を破った罪で裁判にかけられました。そうしたらソマイエが「自分が話をします」と言って、法廷で「この映画が作られたことによって私たちの人生が良い方向へ変わった」と証言してくれました。映画の上映会や講演会などでも「いつでも話をする」「何でも協力するよ」と言ってくれているのです。

一人だけでも助けられるなら

オスコウイ 興味本位で作られたドキュメンタリー番組などでは、こうした更生施設の子らはみな汚くて、悪い子で、とても社会復帰は無理というようなネガティブなところしか見せていないんですね。でも、それだと彼らは刑期を終えて施設を出ても社会から疎外され、薬物依存になるかストリートチルドレンになってのたれ死ぬしかない。政府もそうした闇には蓋をしたがります。だから私はその蓋を開けて、一人だけでも助けられるなら助けてあげたい、そういう気持ちがすごくあるんです。

仁藤 イランでも日本でも、社会の多くの人はこうした問題を見て見ぬふりしたいんですね。

オスコウイ この映画では子どもたちだけでなく、親たちも多くを学んだと思います。いつかわが子が同じようになるかもしれない。私はそうした悲劇を繰り返させないために、この映画を撮りました。ことが起きてしまった後では、私たちの映像はもう何の役にも立たないんです。だから、日本で今、自殺する子が多いという話を聞いて、何が彼女らを追い詰めているのか大人たちに考えてもらうきっかけになればありがたいですね。

仁藤 私たちが関わっている女の子たちがこの映画を観た時に、「すごく共感するけど、これが日本でも起きてることだって思う人はどれだけいるんだろう?」と言っていました。この国でも間違いなく同じようなことが起きています。でもそれを知らない多くの日本人は、この映画を観ても「イランは大変な国だな」とか、他人事としてとらえるかもしれません。

オスコウイ 以前、こんなことがありました。フランスを訪れた時に「パリ郊外で『少女は夜明けに夢をみる』を上映するので、ぜひ来てください」と言われて出掛けたところ、そこには少年院に入所している400人の子どもたちが映画を観るために集まっていたんです。

仁藤 すごいですね。

オスコウイ 企画したのはとても著名なソーシャルワーカーと権利擁護団体だったのですが、上映前に「監督、もしこの子たちが映画を観てブーイングをしたり、怒鳴ったり、あなたを罵ったり、席を立ったりしても気にしないで」って言われました。ところが上映が始まっても誰一人動く気配がないし、真っ暗な会場からは鼻をすする音だけが聞こえました。で、上映が終わって明かりが点くと、みな目を真っ赤にしていたんです。映画に共感して、感動してくれたことが嬉しくて、その日私は一晩泣き明かしました。たった一人、または一つの家族でも救うことができたのなら、私は目的を果たしたと思っています。なぜなら私はそのために自殺願望を捨てて、映画監督になったのだから。

仁藤 日本の少年院でも上映できたらいいのに。日本の少年院では自分がやったことに対する反省を徹底されるので、背景にどんな事情があろうとも「私が悪い」「私に原因がある」って思い込まされている子もすごく多い。映画でも法廷で「ごめんなさい」と言うシーンがあったけど、日本では警察に捕まった時なども「とにかく謝っとけ」っていう、あんな感じなんですよ。だけどイランの少女たちは、カメラの前では「本当は私たちは悪くないでしょ?」と自分で言葉にしている。日本ではそういう本音を言える場がないと思います。少年院でそんなことを言ったら外に出られなくなります。「自分が悪い」と思い込まされている子どもたちも、この映画を観れば自分のことを整理できるんじゃないかなって思いました。

オスコウイ おっしゃる通り。この映画の中の彼女たちの多くは、自分では抗いようもない運命の中で犯罪者になってしまった。ただ私が思うのは、起きてしまったことを云々するよりも、親や家族を始め社会の大人たちが、こうした現実に目を向けることで良い方向へ変わってほしいということなんです。

仁藤 私自身はこの映画を観て、収監されている女の子同士の関わりに生じるエンパワーメントみたいなものがすごく描かれていて、いいなと思ったんですよ。それは日本の少年院ではあり得ないことです。日本の少年院では私語は禁止だし、自分のの名前も、どういう罪で入ったかとかも一切話しちゃいけないので……。

オスコウイ そのことについて誰も異議を唱えないのですか? 私は相手が国でも、理屈に合わない、おかしな点があればどんどん質問や抗議をすべきだと考えています。そうでないと権力者たちは保身にとらわれて動こうとしない。

仁藤 そうなんです。まずは声を上げることが大切です。あと、私がこの映画を日本で苦しい状況に置かれている子どもたちにも観てもらいたいと思ったのは、分かろうとしている大人や、同じような経験をしながら生きている子が他にもいることを知ってほしいと思ったからです。とくに日本の一時保護所や少年院の中では誰もが孤独で、一人ぼっちだと感じているから、「そうじゃないよ」ってことが伝えられるんじゃないかなって。それと、私と一緒に観た少年院への入所経験のある女の子が言ったのが、「この施設では痛みを分かち合えるのがすごくうらやましい」ということでした。

オスコウイ もし機会があれば、私もそうした日本で救いを求めている子どもたちに実際に会って話がしたいです。例えば映画を上映してその後で意見交換をするのもいいですね。もしも呼んでいただけたらいつでも行きますよ。

仁藤 女の子たちは、みんな口々に「オスコウイ監督ってどんな人なんだろう?」って話していました。監督はインタビューでも声だけの出演だったから、「すごい気になる」って言ってましたよ。もし本当にそんな機会に恵まれることがあったら、ソマイエも連れてきてくださいね(笑)。

オスコウイ もちろん連れてきますよ(笑)。ただ、ソマイエは渡航ビザをもらえるかどうか……。その時は子どもたちの声を録音して送ってください。彼女たちも顔は出せなくても、音声だけなら大丈夫なのでしょう? そうしたらソマイエに聞かせて、彼女から一人ひとりにメッセージを返してもらいます。インターネットを使ったビデオ通話も考えましたが、ソマイエは恥ずかしくて電話もできないぐらいシャイな子なんです。

大人が変わらなきゃいけない

オスコウイ 現在、私は女性刑務所を題材にした新作映画を制作中なんですが、その本編に登場する女の子もこのほど大学に入りました。その彼女が私に向かって、「へぇ、男にもいい人がいるんだ」って言ったんですよ。男は全て大嫌いだったんですね。

仁藤 すごく分かる。私がとても好きなシーンなんですが、イスラム教の法学者が更生施設を訪れた時、彼女たちが「なんで女と男は平等じゃないの?」という質問をその男の人にぶつけますよね。そうしたカットを同じ男性である監督があえて入れていることにも、「分かってる人なんだ」と思いました。

オスコウイ 「なんで女と男は平等じゃないの?」という質問は、私もその子からされました。一応は自分の考えを話したのですが、彼女は私の目を一切見ようとしなかった。「男はみんな大嫌いだ」「男はただ私をレイプしたいだけだ」とずっと言っていました。当時、彼女は14歳でしたが、男は目を見るのも嫌なほどだったんです。話を聞くと、家出した時に街で親戚の男に偶然会ったので、親と仲直りさせてくれると喜んでいたら家に連れ込まれ、仲間を呼んでレイプされたんだそうです。日本も恐らく、イランのように男社会だと思います。男は権力を握ると、女の子たちを「自分のもの」として見がちです。ですから私たちの社会では共通して、女の子たちはとくに傷付きやすいのでしょう。

仁藤 本当に同じような状況だなと思いますね。だから、監督がこの映画で「大人たちに伝えたい」とおっしゃることもよく分かります。私たちもいつも「これは大人や男性の問題だ」「女の子の問題として片付けて、彼女たちが責められるのはおかしい」って言っています。親だけじゃなくて、その子たちと共にある社会を作っている全ての大人が変わらないといけない。家族が近くにいるとうまくいかないケースだっていっぱいあるから、そういう時は無理やり家に戻すんじゃなくて、家庭に代わる場所が社会の中にたくさん増えることが必要だと思って活動しています。

オスコウイ そうして社会の中で傷付いている子を、見ないふりするようなことも許してはいけません。ドキュメンタリー監督として私がなすべきは、蓋を開けて真実を多くの人の前にさらけ出し、あなた方のように救いの手を差し伸べる人たちにつなぐことです。ポーランドでこの映画が公開された時にはものすごい行列ができました。国じゅうのソーシャルワーカー、裁判官、少年院の担当者たちが集まってきているということでした。私たちはみな同じ痛みを持っている、日常ではそれを他人には見せないだけなんだと、改めて痛感しました。そうしたソーシャルワーカーが声を上げ、社会を変えなければならない。

仁藤 日本では、ソーシャルワーカーや福祉に関わる人が声を上げることはほとんどありません。心の中では「本当は彼女たちのせいじゃない」と分かっていても、沈黙している大人がたくさんいます。監督がこの映画を通してされていることって、この子たちと一緒に社会を変えるということなんじゃないかな。それは私も活動の中ですごく大事にしていることなんです。

 最後に、日本での私たちの活動を紹介しますね。最近はピンク色に塗ったバスを夜の繁華街に出して、10代の子が無料で入れるカフェを開いています。というのも渋谷や新宿では、少女を風俗産業に斡旋(あっせん)するスカウトが毎晩100人ぐらい雇われて、女の子を勧誘しているんです。家に帰りたくなかったり虐待されてたりする子に、「泊まる所あるよ」とか「仕事あるよ」と誘う人がたくさんいます。それに対抗して、私たちとつながった子と一緒に活動を続けているんです。

オスコウイ 私が知っている中では、そんな感じでポルノ映画にスカウトする人たちがたくさん増えているのはインドですね。以前インドを訪れた時、そんな話を聞きました。でも、これはすごい。いい活動をやっていますね。ちなみに一緒に活動している女の子たちはカフェでどんな手伝いをするのですか?

仁藤 夜の街を歩いている女の子に、オリジナルのカードや生活用品といったグッズを配って、「10代の人は無料のカフェがあるよ」って声を掛けているんです。これがその見本品です。

オスコウイ これ1個ください。これは何ですか?

仁藤 いいですよ、新しいのを差し上げます。これはカードミラーです。行政などが配っているのはたいてい「虐待SOS」「相談しよう」などと書いてあるんですが、そんなのを持ち帰って、もしも虐待をしている親に見つかったら怒られたり暴力を振るわれたりするかもしれない。なので私たちが配るものは、普通のカフェのグッズみたいに見えるようにしています。

オスコウイ とても感動しました。先ほども言いましたが、私たちがやっていることで一人だけでも助けられれば、一人だけでも救われれば、すごくいいことですよね。このグッズはイランのソーシャルワーカーへのお土産にしたいと思います(笑)。

仁藤 はい! 実はこのアイデアは、韓国で行われていた活動から学んで真似したんですよ。

オスコウイ 今回、日本へ行ったら何かいいことが起こるような気がしたんですけど、今日、このグッズを見て「これだった!」と思いました。仁藤さん、みなさん、ありがとう。映画制作にまつわる話だけではなくて、私が一番大切に考えていることの話もできたのですごく嬉しいです。

 2017年、この作品が山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映された時、たくさんの人が観てくれたのですが賞はもらえませんでした。授賞式の後で女性が何人か来て、「この映画が絶対に賞を取ると思っていたのに……ごめんなさい」と言われたので、「いいえ、今のあなたの言葉こそ、この映画祭で私がいただいた最高の賞です。あなたと通じ合えた心が、私の一つの財産です」と答えました。だから仁藤さんと一緒に映画を観て感動してくれた女の子たちも、私にとって最高の審査員といえます。こういう場をまた持ちましょう。

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大人に伝えたいこと~少女からのメッセージ

少女から大人たちへのメッセージ 第41回

私に努力しろと言うのなら、もっと大人も私を見る努力をして(14歳・Yさん)

2019/10/23

https://imidas.jp/otonani/?article_id=l-72-002-19-10-g559

女子高校生サポートセンターColabo


樹木希林最後の主演映画『あん』を見てきた。

2019年09月06日 | 映画

久しぶりに映画を見てきた。近くに映画館がなく、札幌や旭川までいかなければならないので、運転や駐車場のことを考えるとなかなか足が出ない。今回は「北海道新聞の読者サービスに当たったもので深川市文化交流ホール」で行われたものです。

 樹木希林最後の主演映画ということもあり、話題になっていたものです。
訴えるというよりは静かに考えさせられる映画でした。

映画『あん』予告編

 


映画「お百姓さんになりたい」

2019年08月23日 | 映画

解説

 

「いのち耕す人々」「天に栄える村」など、農業をテーマにした作品をライフワークとして手がけている原村政樹監督が、前作「武蔵野 江戸の循環農業が息づく」に続き、武蔵野地域の農園の営みを丁寧に追ったドキュメンタリー。2.8ヘクタールの畑で60種類もの野菜を育てる明石農園の明石誠一さんは28歳の時に東京から埼玉県三芳町に移り住み、新規就農した。有機農法からスタートし、現在では肥料さえも使わない自然栽培に取り組んでいる。研修生として明石農園にやってくるパティシエやカメラマンといったさまざまな経歴の人たち、農業福祉連携で働く障がいを持つ人たち、農業体験イベントに参加する子どもたちと、農作業で土に触れることから心豊かに暮らすためのヒントが提示される。

 

2019年製作/104分/日本
配給:きろくびと

オフィシャルサイトhttps://kiroku-bito.com/ohyakusho-san/


映画COM https://eiga.com/movie/91479/

「いのち耕す人々」「天に栄える村」など、農業をテーマにした作品をライフワークとして手がけている原村政樹監督が、前作「武蔵野 江戸の循環農業が息づく」に続き、武蔵野地域の農園の営みを丁寧に追ったドキュメンタリー。2.8ヘクタールの畑で60種類もの野菜を育てる明石農園の明石誠一さんは28歳の時に東京から埼玉県三芳町に移り住み、新規就農した。有機農法からスタートし、現在では肥料さえも使わない自然栽培に取り組んでいる。研修生として明石農園にやってくるパティシエやカメラマンといったさまざまな経歴の人たち、農業福祉連携で働く障がいを持つ人たち、農業体験イベントに参加する子どもたちと、農作業で土に触れることから心豊かに暮らすためのヒントが提示される。


どちらのサイトからでも「予告編」を見ることができます。

「里の家ファーム」でも、いろんな人を無料で受け入れます。
ご相談ください。


 

 


映画「こどもしょくどう」

2019年03月25日 | 映画

子ども食堂 新たな絆に 題材の映画 23日から公開

  東京新聞 2019年3月19日

映画「こどもしょくどう」の一場面

写真

 子どもに無料または低額で食事を提供する子ども食堂をテーマにした映画「こどもしょくどう」が二十三日から、東京都千代田区の岩波ホールで公開される。四月五日まで。「子どもたちに今の社会がどう見えているかを描いた」と語る監督の日向寺(ひゅうがじ)太郎さん(53)。地縁・血縁が薄れる中、孤立する子どもの現状と、子ども食堂に新たな希望を感じさせる内容になっている。 (寺本康弘)

◆日向寺監督「地縁・血縁薄れ救う網ない」

作品について語る日向寺監督=東京都内で

写真

 物語は、父母が切り盛りする小さな食堂で暮らす小学五年の男児が、橋の下の軽ワゴン車で暮らす姉妹と知り合うことから始まる。社会から孤立する姉妹に、男児は自分の食事を分けてあげたり、姉妹を自宅に招いたりする。父母が子ども食堂を立ち上げるきっかけを描いたフィクションだ。

 映画では、車中生活前の姉妹が、かつて両親と行った旅行の場面など幸せな日常を送っていた過去も描かれる。日向寺さんは「誰もが姉妹のような状況に陥る可能性がある社会に生きていることを知ってほしい」と話す。

 その理由について「今の社会は地縁や血縁が薄くなった」と指摘。加えて「病気になったり、勤める会社が倒産したり、何か一つ大きなことに遭遇したら社会には救う網がない」と説明する。

 日向寺さんは「今の社会をつくったのはわれわれ大人の責任。子どもには責任はない」と話す。「思いを持った人と人が出会うことで人も社会も変わりうる」と映画に込めた思いを紹介した。

 社会の助け合い機能が細る中、日向寺さんは、子どもに食事や居場所を提供する子ども食堂が「地域の共同体となりうる」と期待を寄せる。「全国各地につくられているのは素晴らしい。地縁や血縁などが崩れていく中で新たな動きだ」

 食堂を営む父母役を吉岡秀隆さんと常盤貴子さんが演じる。映画は岩波ホールの他、順次各地で上映される。スケジュールは映画「こどもしょくどう」のホームページで。

◆厳しい現実物資・人足りず善意が支え

 必要性が認識され、全国的な広がりを見せる子ども食堂。支援する企業も出てきたこともあり、昨年の市民団体の調査では、全国に約2300カ所あるとされる。しかし運営を継続していくための支援体制は十分ではない。

 豊島区で2月10日に開かれた子ども食堂の運営者やスタッフ、支援者が集う「こども食堂サミット2019」でも、持続可能な仕組みにするための課題が話し合われた。

 全般的に「ヒト・モノ・カネ」が足りず、食材の調達から調理、場所の提供まで、多くが関係者の善意に支えられている。

 サミットの出席者からは「コメや野菜を提供してくれるところもあるが、(体を作るのに必要な)肉や魚の入手が難しい」や「スタッフが足りない」との切実な声が相次いだ。資金不足も課題。行政に補助を依頼しても「子ども食堂だけを特別扱いできない」と断られることもある。


 ブログの機能、表示が新しくなり少し戸惑いつつ慣れていくしかないでしょう。動画を貼り付けようとしましたが、うまくいきません。映画「こどもしょくどう」の予告編
オフィシャルサイト https://kodomoshokudo.pal-ep.com/
でご覧ください。

 今日は、ようやくプラス気温となり、雨も少し降りました。でも、そんな雪が解けるような状況ではありません。



たかが漫画、されど漫画

2018年08月23日 | 映画

『名探偵コナン ゼロの執行人』の公安礼賛がヒドい! 元公安担当記者・青木理が大ブレイクの“安室透”に絶句

  リテラ 2018.08.22

 

  「安室透ブーム」なるものをご存知だろうか。アニメ化もされている人気マンガ『名探偵コナン』(青山剛昌/小学館)のキャラクター・安室透。その人気が最近ブレイクし、一種の社会現象となっているのだ。

 『名探偵コナン』シリーズといえば、主に小中学生を中心とした子ども向けマンガではあるが、安室透なるキャラは大人の女性にも絶大な人気を博している。8月9日発売の『女性セブン』(小学館)合併号では、巻頭でキムタクと並んで安室特集が組まれ、安室を主人公にしたスピンオフマンガ『ゼロの日常』(新井隆広/小学館)は発売から1週間足らずで60万部を突破。作者の地元である鳥取の空港には安室のオブジェまで立てられたという。少し前には、『ゼロの日常』の作者がイラストをツイッターに投稿したところ、そのイラストに安室と女性が一緒に収まっていたことを理由に「女性とのツーショット画像が流出」と騒ぎになって謝罪に追い込まれるという、どうでもよすぎる“炎上騒動”まで起きている。

 そして安室をフィーチャーした映画『名探偵コナン ゼロの執行人』も4月の公開以来大ヒット。いまなおロングラン上映が続きシリーズ最大のヒット、7月はじめには興行収入85億円を突破し上半期映画興行収入第1位となり、シリーズ初の「邦画年間第1位」まで視野に入っている。

 その安室なるキャラ、普段はコナンが居候する毛利小五郎の弟子の私立探偵であり、喫茶店ポアロの店員として生活しているが、実は警察庁警備局の秘密組織“ゼロ”に所属する「降谷零」が正体だという設定。ようは公安警察なのだが、これに女性ファンが熱狂しているのだ。

 ●「安室の女」「執行女子」と呼ばれるファン、応援上映の熱狂

 彼女たちは「安室の女」と呼ばれ、映画のヒットも牽引。安室を「100億の男」にする(=興行収入100億円を突破させる)ために繰り返し映画を鑑賞し、そうしたリピーターは「執行女子」とも呼ばれているらしい。

  なかでも彼女たちの心をつかんでいるのが、安室が映画終盤に口にするこんなセリフだという。「僕の恋人は、この国さ」――。

 このセリフを聞くだけでも、背中がぞわぞわしてくるが、いったいどんな映画なのか、都内で「応援上映」なるものがあるというので覗いてみた。上映中にペンライトを振ったり、掛け声をかけることができるというイベントで、すでに公開から数カ月経つというのに館内はほぼ満席。大半は女性だが、コスプレ姿のいかにも濃いファンから制服姿の女子高生、さらには20代、30代の仕事帰りと思しき女性まで幅広い層が訪れている。

 映画のストーリーは「東京サミット」を目前に控え、東京湾岸の埋立地に新しく完成したIR(カジノも備えた統合型リゾート)で原因不明の爆発が起きるものの、最終的にはコナンと安室が協力して真犯人を解明し、大規模テロも未然に防いで一件落着という、単純なもの。しかし、すごいのは、観客の熱気だ。

 観客の大半がリピーター=「執行女子」なのか、人気キャラが登場するたびに「コナン君っ!」「小五郎っ!」などと声援があがり、機動隊の装甲車が登場した際は「機動隊っ!」という意味不明の掛け声までが飛び交う。

 なかでも安室人気は確かに凄まじく、安室と思しき人物の足元が映っただけで「キャーーッ!」と大歓声。なかでもひときわ激しい歓声があがったのは、安室が「俺の、恋人は……この国さ」とタメにタメて例の決めゼリフを放ったときだった。安室のカラーだという黄色いペンライトが劇場中で振られ、まるでアイドルのコンサート……。

 いや、でもちょっと待ってほしい。アニメとはいえ安室の正体は公安。アイドルのように歓声を浴びせ、手放しでヒーロー視するような対象なのか。そもそも実際の公安は、こんなカッコいい代物ではなく、むしろ様々な危険性や問題点を指摘されている組織だ。それをここまで礼賛、するというのは、いくらなんでもやばいんじゃないのか。

青木理に『名探偵コナン』“安室透”を無理やり観させたら…

 そこで今回、本サイトは元共同通信の公安担当記者でジャーナリストの青木理氏に、嫌がるのを説得して無理やり『ゼロの執行人』を観てもらった。ちなみに、青木氏の著書『日本の公安警察』(講談社現代新書)は、安室透の公式ファンブックで参考文献にも挙げられている。

  鑑賞後、さっそく青木氏に話を聞くと、困惑しきった表情でこう口を開いた。

 子ども向けのアニメにいちいち目くじら立てたくないけど、あまりの公安礼賛に正直絶句しました(笑)。安室透だっけ? たしかに警察庁警備局には“ゼロ”のような秘密組織はありますが、中途半端にリアルっぽく見せているだけで、現実とはまったく違います。僕の本も含め、公安本や小説などを読み漁って、つぎはぎしたのでしょうが、根本的なことがわかっていない。まず、細かいことで言えば、サミット警備の現場を担うのは地元の都道府県警であって、都内なら警視庁の公安部や警備部。安室が所属するという警察庁はキャリア官僚ばかりですから、現場で捜査や警備に当たることはありません」

 映画では、その安室が縦横無尽に活躍し、人工衛星を警察庁に墜落させるというテロを間一髪のところで防ぐ筋立てになっている。実際の公安もこんなふうにテロを未然に防いだりしているのか。巷では「無用の長物」「金食い虫」「予算の無駄遣い」という悪口しか聞かないが……。

 「実際に公安警察がテロを防いでいるかどうかはわかりません。彼ら自身、『未然に防いだテロは永遠に知られない』なんて自画自賛してるくらいですから(笑)。でも、現実にはほとんどないんじゃないですか。公安警察が大金星的にテロ集団を摘発した例として有名なのは、1970年代に連続企業爆破を起こした東アジア反日武装戦線ぐらい。一方、オウム真理教の一連の事件はまったくノーマークで防げなかった。1995年のオウム事件当時、僕は警視庁記者クラブで公安警察を担当していましたが、オウムについて公安警察は事前にまったく動いていませんでしたから

 

 では、いったい公安は具体的に何をしてきたのか。映画の中では安室も盛んに「国のため」と言っていたが……。

 

「公安警察は、戦前・戦中の特高警察の流れを組む思想警察の性格が強い組織です。戦後は、長く続いた東西冷戦体制を背景とし、“反共”を最大の存在意義にして予算や組織を膨張させてきた。ようは共産党や新左翼セクトの監視活動に膨大な人と金を注ぎ込んできたわけです。対象組織の内部に『協力者』と呼ばれるスパイを作ったり、果ては組織ぐるみの違法盗聴や爆破工作にまで手を染めたこともあったほど。ところが、冷戦終結後も同じような活動を延々と続け、警察内でも公安警察の存在意義に疑問の声が出はじめた。もともと警察内で公安部門はエリート意識が強く、けた外れの人員と予算を独占していましたから」

 しかもオウム事件で無能ぶりをさらしたことで、「多額の予算を消費するだけで何の役にも立たない」という公安への風当たりはさらに強まった。存在理由を失った公安が膨大な予算と人員を死守するため、新たに目をつけたのが「テロ対策」だという。

 「米国で起きた2001年の9.11事件に便乗し、翌年には国際テロ対策と称して警視庁公安部に外事3課を新設しました。鳴り物入りで200人以上の捜査員を配置しましたが、現実にはモスク(イスラム寺院)に出入りしているムスリム(イスラム教徒)をかたっぱしから追い回すだけ。挙句の果てには彼ら、彼女らの個人情報を満載した捜査資料をネット上に流出させる大失態を犯しています。ようするにこの十数年の公安警察は、組織と予算、権益を守るのに汲々としてきたのが実情でしょう」

 公安・安室透を英雄視する『ゼロの執行人』に欠けている視点

 ようは公安が「国のため」「国を守る」などと言っているのは大嘘で、その実態は自分たち組織の予算や権益を守っているだけということなのだ。

 そう考えると、今回の『名探偵コナン ゼロの執行人』は、公安にとって「組織維持と拡大」の格好の宣伝映画になったともいえるだろう。安室の女性ファン=「安室の女」は興行収入を上げるために映画を観に行くことを、安室が公務員であることにちなんで「納税する」と言っているらしいが、ある意味、的を射た表現なのかもしれない。

 もうひとつ、安室は、作品中でも証拠の捏造、盗聴、でっち上げ逮捕……等々、違法捜査のオンパレードで“事件解決”にこぎつけるのだが、いささかの逡巡もなく「自ら行った違法作業のカタは自らつける」などと見得を切る。再び青木氏が苦笑して言う。

 「ああいう違法捜査の描き方だけは実態に近いかも(笑)。警察官の手を払っただけで逮捕っていう場面が映画にも出てきたでしょう。実際に『転び公妨』って呼ばれる公安のお家芸があって、狙った人物を公安警察官が取り囲み、1人か2人がいきなり転んで『公務執行妨害だ!』といって逮捕してしまう。ただ、これも非常に気になったのは、映画の登場人物が『公安お得意の違法捜査』を半ば自慢げに語り、作品全体を通じても肯定的に描かれていたこと。ああいう違法捜査も『国を守るためならアリ』というニュアンスがプンプンと漂っていた」

  こうした描き方に、青木氏は大きな問題を感じたという。

 「公安警察が仮に治安維持の任務に当たっているとしても、行き過ぎれば重大な人権侵害を引き起こす。テロは確かに怖いかもしれないけれど、国家の治安機関の暴走はテロよりはるかに怖い。実際に戦前・戦中の日本はそうだったし、今だって北朝鮮や中国を見れば分かるように、治安機関の力が強大な社会はロクなもんじゃない。いわば諸刃の剣である治安組織が内包する危険性、負の側面に触れないのは、いくら子ども向けのアニメとはいえ、表現作品としてどうなんだろうと思ってしまいますね」

 青木氏が言う通り、公安をここまで礼賛する映画も珍しい。そもそも日本には警察をヒーロー視するドラマや映画があふれかえっているとはいえ、たとえば『相棒』(テレビ朝日)などは公安の暗部をそれなりに描いてきた。『外事警察』(NHK)や『CRISIS 公安機動捜査隊特捜班』(フジテレビ系)といった公安を主役にしたドラマでも、「自分たちが守っているのは何か」「本当に国民を守っているのか」といった逡巡が多少なりとも描かれた。

 「アニメや特撮ものだってそうでしょう。かつての『ウルトラマン』や『ゴジラ』にしても、最近では宮崎駿監督の一連の作品も、作中には反戦や人権、環境保護といった人類共通のヒューマニズム的な要素が通奏低音のように流れていた。だから世界的にも高く評価されたのでしょう。でも、今回のコナン映画の通奏低音は何ですか。国を守る? 愛国? 少し前に賛否両論を巻き起こした『シン・ゴジラ』だって、左右どちらの解釈もできるような多層性があり、これほど単純じゃなかった」(青木氏)

 安倍応援団?『コナン』のカジノ推しとセガサミーの協力

 しかも『名探偵コナン』がここまで公安礼賛になっているのは、たまたま、安室という公安捜査官のキャラを出したらヒットしたから悪乗りした、というだけでもなさそうだ。

 『名探偵コナン』シリーズのアニメ映画をみていると、どうも政権や権力機関のPRのにおいがちらつくのだ。たとえば、2013年に公開された映画『名探偵コナン 絶海の探偵』も防衛省と海上自衛隊が全面協力し、自衛隊の最新鋭イージス艦を登場させていた。

 そして、今回の『ゼロの執行人』も、物語で重要な舞台となっていたのは「東京サミットの会場」であるIR(統合型リゾート施設)、あのカジノ法で設置が認められたカジノ施設なのだ。物語の後半では、テロの危機から逃れる人びとをわざわざカジノに避難させ、クライマックスの舞台となるのもカジノ。

 この映画が公開されたのは4月半ばで、カジノ法は、成立どころか国会での審議入りすらしておらず、むしろ国民から厳しい批判を浴びていた。ところが、作品中ではすでにカジノが日本に存在するのを当たり前であるかのように華やかに描かれている。

 しかも、エンドロールでは、撮影協力者としてセガサミーの社名まで刻まれている。ご存知の通り、同社は安倍首相とは蜜月の関係にあり、政権がカジノ法をごり押し成立させたことを受け、その運営者になることも有力視されている。これははたして、たまたまなのだろうか。

 これまで述べてきた公安礼賛もそうだ。安倍政権は特定秘密保護法や盗聴法、共謀罪といった強力無比な“武器”を公安に次々投げ与え、その“恩”に報いるかのように公安は首相の政敵や政権批判者を監視する謀略機関化の色彩を強めている。そんななかで、いくらキャラクターが当たったからといって、ここまで露骨な公安礼賛の映画をつくるというのは、製作者側にそういう権力礼賛、安倍応援団的な志向があるとしか思えない。

 しかも、それ以上に気になるのは、こうした公安プロパガンダ・アニメが邦画興行収入1位を独走し、「僕の恋人は、この国さ」という決め台詞を口にする公安捜査官が社会現象まで引き起こすほど人気を博しているという事態だ。このバーチャルな熱狂が、現実の政治、警察国家化に反映されないという保証はどこにもない。(編集部)


 こんなものに熱狂する心理がわからない。でも昨日紹介した「沖縄スパイ戦史」も「万引き家族」も大いに奮闘している。まだ希望はある。

 トウキビに実が入りだし、害獣対策しなければと思っていたが1日遅かった。昨日30本ほどもやられてしまった。

今年は、あまり生育が良くなく、まともなのが少ない中、まともなやつばかりやられてしまった。

しかし、これほどきれいに食べるやつもめったにいない。
今日、網を張って、トランジスターラジオをONにして置いてきた。

 


ドキュメンタリー映画「沖縄スパイ戦史」

2018年08月22日 | 映画

 

【三上智恵×倉田真由美】 ドキュメンタリー映画「沖縄スパイ戦史」 しゃべれない沖縄

 

大矢英代さんに聞いた:

  戦後73年。今こそ「沖縄戦」から学ぶべきことがある

   By マガジン9編集部   2018年8月8日

    現在、全国で公開中の映画『沖縄スパイ戦史』。住民を動員して行われた「スパイ戦」、強制移住によって多くの住民が犠牲になった「戦争マラリア」など、これまでほとんど知られていなかった沖縄戦の側面を、多くの人たちの証言で描き出すドキュメンタリーです。この映画を、マガ9でもおなじみのジャーナリスト・三上智恵さんとともに監督したのは、三上さんの琉球朝日放送での後輩でもある大矢英代さん。弱冠31歳という若い世代の彼女が、なぜ今「沖縄戦」を取り上げたのか。沖縄との出会い、取材の中で感じたことなど、お話をうかがいました。

 責任感と悔しさ。留学先のアメリカで出会った「沖縄」

 ──三上智恵さんと共同監督された、沖縄戦がテーマの映画『沖縄スパイ戦史』が公開中です。大矢さんはもともと千葉のご出身ですが、沖縄とのかかわりはどこから始まったのですか。

 大矢 大学3年生のとき、アメリカのカリフォルニア大学に留学したんです。そこで、アメリカ人外交官が特別講師を務めるあるワークショップに参加したのがきっかけでした。彼は対日政策を専門にしている外交官だったのですが、私を見て「今日は日本人留学生がいるから」といって、沖縄にある米軍基地についての話を始めたんですね。

 それまで私は沖縄に行ったこともなかったし、正直なところ基地の問題にもそれほど関心があったわけではありません。国連職員や難民キャンプでのボランティアにあこがれたりと、国内よりも海外にばかり目が向いていた時期でした。それでも、その外交官の話には、「おかしい」と感じることがたくさんあったんです。

 ──どんなことですか?

 大矢 「米軍基地があることで、沖縄は経済的に助けられている」とか「米軍は沖縄の人々とフレンドリーな関係を築いていて、住民はみんな米軍に対してウェルカムだ」とか……。沖縄で米兵による事件が多発していることや、基地建設に反対する県民大会が開かれていることは知っていましたから、それはおかしいんじゃないかと思って、授業が終わった後に講師のところへ行ってそう伝えたんです。

  そうしたら、彼は鼻で笑って「いいかい、沖縄に米軍基地があることはグッド・ディール(いい取引)なんだよ」。北朝鮮や中国のような「クレイジーなやつら」が攻めてきたときに、日本人のかわりに米兵が死んでくれるんだから、というんです。

  それに対して、私はうまく言い返すことができませんでした。

 ──おかしい、とは思っても……。

 大矢 そうです。沖縄に行ったこともなければ、そこに住む人たちの声を自分の耳で聞いたこともない。地元の人たちの抱える不条理を、自分の言葉で伝えることができなかった。そのことがとても悔しかったんです。

  同時に、「ボランティアに行って戦争で傷ついた人を助けたい」と思っていながら、紛争地に爆弾を落としている軍隊の飛行機が自分の国にある基地から飛び立っているという事実についてはまったく意識していなかったことにも気付かされました。海外で人を助ける前に、まず自分の国のことと向き合わないといけないんじゃないか、と感じましたね。そういう責任感と、うまく言い返せなかった悔しさと、二つの思いを抱えたまま留学生活を終えることになりました。

「戦争マラリア」って何? 「知りたい」思いに突き動かされて

 ──初めて沖縄に行かれたのは、その後ですか。

 大矢 大学院に進学してからです。留学からの帰国後、どうしたら私は一番人の役に立てるだろうと考えた末に、もともと話したり書いたりするのが好きだったこともあって、ジャーナリストを目指そうと思うようになりました。それで、まずはスキルを身に付けるために東京の大学院に進学して。もちろん、ずっと「沖縄」は頭の中にあったので、1年生の夏のインターンシップ先に八重山毎日新聞を選んだんです。

 ──石垣島に本社のある地域新聞社ですね。

 大矢 そうなんです。実は私、本当に沖縄のことを知らなくて……最初に社に行ったときに、「どんな記事を書きたいですか」と聞かれたので、「米軍基地の取材がしたいです」と答えてしまって。周りの方たちに大笑いされました(笑)。

 ──そうですよね。石垣島には、というか八重山諸島には米軍基地が……

 大矢 そう、ないんです(笑)。「何しに来たの」、って笑われるところからインターンシップがスタートしました。

 ──でも、そこで「戦争マラリア」の問題に出会われた。

 大矢 ちょうど、8月15日を向こうで迎えたのですが、朝刊の一面を見てびっくりしたんです。千葉で生まれ育った私にしてみれば、8月15日といえば、結びつくワードは「終戦」、そしてヒロシマ・ナガサキです。でも、石垣島の一面トップは「戦争マラリアの犠牲者に黙祷を捧げる」というものでした。

  「戦争マラリアって何?」と思って読んでみると、沖縄戦のとき八重山諸島では地上戦がなかったのに、軍の命令で「強制疎開」させられた結果、風土病のマラリアで3600人もの人が亡くなった、と書いてあった。まったく知らない話でした。そもそもなぜ米軍が上陸しなかった島々で「強制疎開」なのか。住民たちがどんな体験をしたのか。記事を読んで「もっと知りたい」と思って。そこから、戦争マラリアの体験者を訪ね歩く取材を始めたんです。

 ──いかがでしたか。

 大矢 お会いすることはできても、なかなか話していただけないことが多かったです。「もう終わったことだから」「なんでいまさら話さなきゃいけないの」という感じで。それでも何人もお話をお聞きすることはできたし、「疎開」先の土地にいっしょに行かせてもらったりもしました。でも、それぞれの人の人生そのものに迫るといったような、深い取材ができたわけではなかった。

  それもあって、インターンシップが終わって東京に帰ってからも「戦争マラリア」のことはずっと心に引っかかっていました。「インターンシップどうだった?」と誰かに聞かれて「戦争マラリアの取材をね……」という話をしても、「何それ?」となってしまう。

  あれだけたくさんの人たちが亡くなった、八重山の人たちにとってものすごく大きな出来事だったのに、東京ではまったく知られていない。考えてみれば1カ月前までの私もそうだった。この、「見えない壁」みたいなものはなんだろうと思いました。単なる私たちの無知なのか、それとも誰かが意図的に「知らさない」ようにしてきた結果なのか……。

  そういうことをずっと考えた末に、この「戦争マラリア」を私の大学院生活のテーマにしよう、そのドキュメンタリー映像を卒業制作にしよう、と決めたんです。

 ──そのときには、文章ではなくて映像をやりたい、と思われていたのですか。

 大矢 3週間新聞記者をやってみて文才の無さに気が付いたというのもありますが(笑)、これからいついなくなってしまうか分からない戦争体験者の肉声を伝え残すには、映像という手段が一番いいと思いました。

  それに、映像って、作り手自身の姿もそこに投影されると思っていて。私は、戦争マラリアの問題を見つめる23歳の自分自身を問う手段として、映像を選んだということだと思います。

波照間で見えた「ジャーナリストとしての原点」

 ──それで、また沖縄に行って取材を?

 大矢 もっと取材をしよう、と思ったときに考えたのが、東京と沖縄を行ったり来たりする形ではやれないな、ということでした。私自身がもし体験者だったら、遠くから突然来た人に自分の傷口を開いて話をしたのに、その人はすぐ帰ってしまってその後自分が話したことがどうなったのかもわからない……というのはつらいだろうな、と思ったんです。

  それで、ちょうど学生で時間もあったし、1年間休学して、現地に住み込んでしっかり人間関係をつくりながら取材しよう、と決めたんです。それで、向かった先が波照間島でした。

 ──石垣島からも高速船で約1時間の、「日本最南端の有人島」ですね。インターンシップ先は石垣島だったのに、どうしてまた波照間へ?

 大矢 戦争マラリアの被害が一番大きかった島だというのが一つ。そして、こちらが本当の理由なんですが、インターンシップ中に波照間に遊びに行ったときに出会った、あるおばあちゃんに惚れ込んでしまったんです。

  たまたま島を散策していたときに知り合って、家におじゃまして夕飯をごちそうになったりしたんですが、実はそのおばあちゃんもまた戦争マラリアの被害者だったんですね。家族11人のうち、彼女と妹を除く9人が犠牲になったという人でした。

 ──『沖縄スパイ戦史』にも証言者の一人として登場されていますね。

 大矢 そうです。浦仲のおばあというんですが、彼女の話を聞いているうちに、顔に刻まれた皺とか、澄んだ瞳とか、その何もかもにすっかり惚れてしまって。彼女のいる波照間に住みたい、と思ったんですね。

  それで、事前におばあに手紙を出して「家に泊まらせてもらえないか」とお願いしたら、浦仲のおじいのほうから「いいよ、おいで」という返事が来たので、意気揚々と向かいました。でも、浦仲の家の門を開けて「来たよー」と声をかけたら、出てきたおばあが私を見て言った言葉は「あんた誰ねー」でした……。

 ──え?

 大矢 夏に会ったことも、一緒に夕食を食べたことも、もう完全に忘れ去られていて。じゃあ、おじいの手紙は? と聞いたら「誰か分からなかったけど、どこかの子どもが波照間に来たいっていうから、いいよって書いたんだよー。ああ、あれがあんたねー」……。改めて「はじめまして」から始めて、無事に泊まらせてもらいました(笑)。

 ──大変な出だしですね(笑)。じゃあ、その浦仲家に泊めてもらいながら取材を?

 大矢 そうです。でも行ったのが12月だったので、最初の3〜4カ月は毎日サトウキビ刈りを手伝っていました。1日8時間、ひたすら体を動かすんですけど、すっごくつらかったです(笑)。

  ただ、そうやって浦仲のおじいおばあや島の人たちと一緒に働いて、話をする中で、見えてきたことがあります。戦争マラリアって、蔓延したのは1945年の3月から夏にかけてなんですが、それで「終わった」わけではないんですよね。マラリアで家族を亡くしたために学校に行かずに働かなくてはならなくなったとか、目指していた夢が叶わなかったとか、一人ひとりの人生に後々まで影響しているんです。

 ──「戦争マラリア」があったことによって、命が助かった人たちのその後の人生もまた大きく変わってしまったわけですね。

 大矢 そうです。島に行く前は、戦争マラリアばかりを見ていたんですが、1年間島で過ごしたことで、そこから続いてきた人々の人生が見えるようになったというか。単に「戦争体験者」という枠でくくるのでなく、まずは島に生きてきた一人の人間としての人生を描きたい、と思うようになりました。その分、撮った映像も豊かになった気がしています。

 ──波照間の言葉も学ばれたとか。

 大矢 波照間のじいちゃんばあちゃん世代は、普段「ベスマムニ(“私たちの島の言葉”という意味)」という波照間島でのみ話されている言葉で会話しています。いわゆる「日本語」は日常会話ではほとんど使わない。同時に、学校で「方言札」(※)を掛けられ、苦しみながら「日本語」を習得してきた人たちです。さらに戦争マラリアのために、学校で学ぶ機会すら奪われてしまった。

  浦仲のおばあも「私は日本語がうまくできない」って今でも悲しそうに言います。最初にインタビューしたときも、一生懸命「日本語」で話そうとしてくれるんですけど、何度も「ああ、これはヤマトの言葉で何て言ったかー?」みたいになって、どうにも苦しそうなんですね。言葉に感情や記憶が乗ってこないんです。私は大学で第二外国語として韓国語を選択したのですが、もし「自分の思いを韓国語で答えろ」と言われ続けたらすごく苦しいな、それを私はおじいおばあたちに強いているんだな、と思いました。

  そのことに気付いてからは、「じゃあ、私が波照間の言葉を覚えればいいや」と思って、ばあちゃんたちの会話をひたすら聞いて、書き取って勉強しました。あと、三線と一緒に民謡を習って、歌いながら覚えたり。そういうことも、私にとって人間関係構築のための大事な時間でした。

 ※方言札…いわゆる「標準語」の使用を徹底させるため、学校で方言を使った生徒に罰として首から掛けさせた札のこと。東北、北海道などでも用いられたが、沖縄では特に厳しく、明治時代終わりから第二次世界大戦後まで使われていた。

──サトウキビ刈りといい、まさに生活の中で取材をした、という感じですね。話し手との距離感も違ってくるような。

 大矢 そうですね。最初は、浦仲のおばあにも戦争マラリアのことは「話したくない」と言われました。「自分の家族があれだけ亡くなったのに、誰がそんなことしゃべりたいか」と。

  私自身も、そうやってつらい記憶を語ってもらうという、その人のかさぶたをはがしていくような──もしかしたら、まだかさぶたにさえなっていないのかもしれない傷口をこじ開けるような作業を、何のためにやらなきゃいけないんだろうと、ずっと悩みながらの取材でした。

  ただ、おばあや島の人たちと一緒に時間を過ごす中で、話を聞いたからには伝えるんだ、一緒にこの傷を背負って、二度と同じことが起きないための教訓にしていくんだ、と感じるようになりました。その意味で、自分のドキュメンタリストとして、ジャーナリストとしての原点をつくってくれたのは波照間島だと思っています。

 つくられた「分断」を目にして、涙が止まらなかった

 ──その後、東京に戻られてからは?

 大矢 しばらくは、ずっと編集作業をしていました。修士論文と一緒に、卒業制作として作品を出さなくてはならなかったので。周囲では就職活動の話も聞こえてきましたが、私にとっては編集作業のほうが重要だったし、「卒業してから考えればいいか」と。無事に作品は完成して卒業できたものの、進路は何も決まらないままでした(笑)。

 ──それが、三上智恵さんのいらした琉球朝日放送(QAB)で、記者として働くことになるわけですが……。

 大矢 卒業が決まった後、ひとまず波照間の人たちに「無事に卒業できました」と報告に行こうと思って、沖縄に向かったんです。それで、那覇の空港で乗り継ぎ待ちをしていたときに、「仕事どうしようかなあ」と思いながら、スマホをいじっていて。ドキュメンタリーを、それも沖縄でつくりたいという思いはずっとあったので、「沖縄 映像 仕事」で検索してみたら、琉球朝日放送の「契約記者募集」が出てきたんですよ。三上さんとは以前、あるイベントでお会いしていましたし、「あ、これ三上さんのところだ!」と。しかも、条件が「すぐ来れる人」だったので、「これ私のことじゃん!」と思いましたね(笑)。

   それで、波照間に着いてからすぐ履歴書を出しました。ちなみに、原稿用紙2枚の作文を書かなきゃいけなかったんですが、波照間島には原稿用紙を売っているところがなくて。浦仲のおじいが出してきてくれた、古くて黄色くなったぼろぼろの原稿用紙に、「2枚しかないんだから失敗するなよ」って言われながら書いて、出しました(笑)。

  面接のときも波照間からそのまま行きましたから、背中にリュック背負って……でしたし、落とされてもしょうがないと思うんですが、無事に入社が決まったんです。QABの懐の深さには本当に、感謝ですね。

 ──QABでの5年間で、特に印象に残っている取材はありますか。

 大矢 たくさんありますが、中でも忘れられないのは、2012年の7月19日、三上さんと一緒に行った高江取材です。その日、ヘリパッド建設に反対する人たちが座り込みを続ける中で、工事資材の搬入が強行されて。私はまだ入社して2カ月で、基地がつくられようとしている現場に立つのは初めてのことでした。

  撮影していて何より悔しかったのは、資材を搬入している業者も、それを身を挺してでも止めようとする人たちも、沖縄県民同士だということです。抗議する人が「あんたもウチナンチューなのに、なんで戦争のための基地をつくるのに協力するの」と言えば、業者は「俺たちも仕事だから」という。でも、やりとりを続けるうちに、互いの言葉のイントネーションから「あれ、あんた宮古島の出身なの、俺もだよ」みたいな話も出てきたりする。基地さえなければ、分断されなくて済んだ人たちなんですよね。

  それを見ながら、なぜ同じ県民同士が、日本とアメリカという二つの政府の取り決めで沖縄に集中的につくられた米軍基地の存在によってこんなふうに分断され、踏みつけられて傷つかなくてはならないのかと、悔しくてなりませんでした。しかも、刃を振るってその「分断」を生み出しているはずの当事者たちは、誰もその現場にはいないわけで。そういう状況を初めて目の当たりにして、泣けて仕方ありませんでした。

 今だからこそ、戦争体験から学ばなくてはならない

 ──昨年春には、QABを退社してフリーになられました。

 大矢 ハードな仕事で肉体的に疲れていたというのもあるんですが……ローカル放送であるQABにいて、年々悔しさが増していたということもありました。人々が分断されているこんなひどい状況を生んでいるのは「沖縄県民」ではなくて「国民」なのに、沖縄で起こっていることを知らなくてはならないのは「沖縄県民」よりも「国民」のほうなのに、という葛藤をずっと抱いていたんです。沖縄の報道現場で学んだ者として、沖縄を離れて、より多くの無関心な人たちに伝える仕事をしなければ、という思いがありました。

 ──そして今回の『沖縄スパイ戦史』につながるわけですね。

 大矢 もともとは三上さんに、「テレビで沖縄戦の番組をやろう」と誘っていただいたんです。ただ、結局その企画は通らなかったので、せっかくだから映画としてつくろうということになって。最初は「予算もあまりかけず、1時間くらいの短いドキュメンタリーに」と言っていたはずが、結果的にはその倍の長さになってしまいましたが(笑)。

 ──共同監督という形ですが、取材や編集はどのように進めたのですか。

 大矢 沖縄本島の取材は主に三上さんが、波照間のほか与那国島、石垣島、あとアメリカの取材は私が担当しました。取材中はLINEなどで時々報告し合って、それぞれの自分の撮影分を粗編集したものを持ち寄ってつなげる、という形で。最初につなげてみたときは5時間くらいあったので、それを少しずつ削って今の形にしていきました。

 ──完成・公開した今、どんな気持ちでいますか。

 大矢 波照間にいたときから「やらなきゃいけない」と思いながらもやりきれなかったことが、やっとできたという思いですね。八重山での強制移住の真相や、その背景にあった陸軍中野学校卒業生たちによる作戦、そこから見えてくる沖縄戦の知られざる秘密戦の実態……。それも自分だけの力ではなくて、誘ってくださった三上さん、製作費カンパに協力してくださった方々はじめ、いろんなご縁が積み重なってできたものだと感じています。

   そう考えると、今これをつくりなさい、と誰かに言われてできたような映画のような気がします。戦後73年経って、なんでいまさら沖縄戦の話なの、と言う人もいるでしょうが、73年経ったからこそ伝えなきゃいけないんだ、という思いをこの映画に込めたつもりです。

──73年経ったからこそ体験を話せるという方もいるでしょうし、私たちにとっても、戦争体験についての証言を直接聞ける、本当に最後の機会にもなりつつあります。

 大矢 私たちは、過去の歴史からしか学べません。その歴史を語れる人がいなくなりつつある中で、私たちが何を学ぶのかが今、問われていると思います。

   「戦争体験者がいなくなる」というニュースを時々見かけますが、私はそれ自体は社会現象ではあってもニュースではないと思っています。本当に「ニュース」にすべき問題は、私たちがたくさんの人たちが語ってくれた戦争体験を、ただの「かわいそうな、つらかった記憶」にしてしまって、民衆がどんなふうに国家に利用され、捨てられてしまったのかという大事なところを学び取ってこなかったこと。だからこそ、安保法制が成立したり、沖縄に新しい基地がつくられるような、そんな状況になってしまっているのではないでしょうか。73年目を生きる私たちは、もしかしたらもう「戦前●年」を生きているかもしれない。今こそあの戦争から学ばなくてはいけないんだと思います。

 ──今後、取材したいテーマなどはありますか。

 大矢 今年の秋からアメリカに行く予定で、最低1年は滞在したいと思っています。QAB記者時代に『テロリストは僕だった』という、イラク戦争で戦い、沖縄での基地反対運動に身を投じた元米兵を追ったドキュメンタリーをつくったので、その取材を続けたい。経済的理由から入隊した若者、ホームレス生活になってしまったり、PTSDで苦しんだりしている元兵士、軍で性暴力を受けた女性兵士……そうした人たちを、もっと丁寧に取材してきたいと思っています。

 ──『沖縄スパイ戦史』もそうですが、「軍隊」というものの本質が見えてくる内容になりそうですね。

 大矢 そうですね。軍隊というものが「国防」の名の下にいかに兵士の人間性を破壊して機械化していくか、かかわった民衆を利用して捨てていくか、それはおそらくどこの国でも同じで。その部分を、もっと追及したいと思っています。

   波照間にいたとき、浦仲のおじい──昨年に亡くなられたのですが──にこんなことを言われたことがあります。「英代には、『学んだ者』としての責任があるんだ」。おじいやおばあの世代は、学校に行きたくても行けなかったし、行っても「国のために死ね」という軍国主義教育しか受けられなかった。本当の教育というものを自由に受けられなかった悔しさを、今も背負って生きているんだ、と。

   それに対して、私たちの世代は「自由に学ぶ」ことができる。その中で、沖縄戦を、戦争マラリアを学ぶということを決めたからには、ただ興味本位の学びで終わらせるのではなくて、「学んだ者」の責任を果たせるようにしっかりやりなさい、と言ってくれたんです。『沖縄スパイ戦史』をつくっている間、いつも心に抱いていた言葉ですが、これからもずっと心にあり続けると思います。

 

(構成/仲藤里美・写真/マガジン9)

(おおや・はなよ) 1987年生まれ、千葉県出身。ジャーナリスト、ドキュメンタリスト、早稲田大学ジャーナリズム研究所招聘研究員。2012年、琉球朝日放送入社。2016年に制作した「この道の先に〜元日本兵と沖縄戦を知らない私たちを繋ぐもの〜」でPROGRESS賞優秀賞、同年制作「テロリストは僕だった〜沖縄基地建設反対に立ち上がった元米兵たち〜」でテレメンタリー年間優秀賞などを受賞。2017年にフリー転身後は、「戦争・軍隊と人間」「米兵のPTSD」「沖縄と戦争」「国家と暴力」をテーマに取材活動を続ける。共著に『市民とつくる調査報道ジャーナリズム』(彩流社)。『沖縄スパイ戦史』が初映画監督作品。


「私に罪はない」・・・・・?

2018年06月19日 | 映画

ナチス宣伝相の秘書が残した最後の証言「私に罪はない」の怖さ

自己啓発本のような言葉に多くのドイツ人が酔った。

  ハフポスト 石戸 諭  2018年06月16日

 

 

    顔に、手に深く刻まれた皺が激動の半生を物語る。ブルンヒルデ・ポムゼル、103歳。ナチス・ドイツでプロバガンダを管轄した宣伝相・ヨーゼフ・ゲッベルスの元秘書である。彼女が自身の半生とナチス時代を証言した映画『ゲッベルスと私』が6月16日より岩波ホールで公開される。来日した監督は言う。「これは過去の映画ではない。現代の映画だ」

 

封切り前なのに満員のトークイベント

 

   2018年5月、新宿・紀伊国屋書店――。クリスティアン・クレーネス、フロリアン・ヴァイゲンザマー両監督とハフポスト日本版・竹下隆一郎編集長らによるトークイベントが開かれた。映画封切り前、同時に刊行される書籍版もまだリリースされていないにも関わらず、会場は満員となり関心の高さをうかがわせた。

 

映画で映し出された「凡庸な女性」

 

   この映画の監督は4人、ドイツ出身の監督とかつてナチスに統治されたオーストリア出身の監督による混合チームだった。彼らは作品の中でポムゼルの言葉に対して、直接の評価をくだしてはいない。

   カメラはおよそ103歳とは思えない明晰な口調、時折クローズアップされる顔に刻まれた深い皺、眼鏡の奥にある鋭い瞳を捉える。作品制作に4年、「過去を語りたくない」と拒否していた本人を説得するのに1年かかっている。

   制作チームはゲッベルスを悪の権化としてではなく、一人の人間として位置付けようとした。彼のそばにいたポムゼルもまた同様である。彼女はそれまで放送局に勤めていた働く普通の女性だった。与えられた仕事をこなし、メディアの世界で友人ーその中にはユダヤ人もいたーより多くの給与を稼ぎ「優秀」と称される。

   30代を迎えた彼女にある転職話が持ちかけられる。得意の速記を見込まれての打診だった。ナチスの宣伝省に入らないか?ーー。給与明細をみると放送局の給与に加えて、いくつもの手当がついている。「これは運命だ」と彼女は思う。やがて、彼女はゲッベルスの秘書として重用されていく。

   あの時代を生きたどこにでもいた「凡庸」な個人としての証言が、逆に時代を超えた「タイムレス」な言葉になる。それが制作チームの狙いだった。

 

「私に罪はない」と彼女は断言した

 

   1年の交渉で取材チームと信頼関係ができたのだろう。彼女はあの時代を淡々と振り返る。ホロコーストについて「最後まで何も知らなかった」と語り、「私に罪はない」と断言した。

   上司だったゲッベルスについても「スーツがよく似合い、自信に満ちていて、洗練されていた」とその魅力を率直に語っている。

   そして彼女は言う。罪があったとするならば、「私」ではなく「ドイツ国民」である。ナチスに政権を取らせたのは、ドイツ国民全員であり、「私」もその1人だったと。

 

本当に罪はないのか?

 

   トークイベントで焦点になったのが、彼女の「私に罪はない」という言葉をどう受け止めればいいのかという話題だった。「彼女が淡々とナチスの時代を振り返る姿勢に、私は逆に恐怖を覚えた。彼女は悪人なのだろうか?」と竹下編集長は問いかける。

クレーネス監督はこう応じる。

 

   《彼女には矛盾した2つの姿がある。実に興味深いことです。彼女は一見すると頭脳明晰で気持ちの良い老婦人であり、素晴らしい語り手です。

 しかし、彼女はゲッベルスがやってきたことについて知りうる立場にあった。彼がやってきたことを近くで見ることができる立場にあったわけです。

その矛盾に彼女の真の姿があるように思えます。最初は気持ちがいい老婦人の独白として受け止める観客も、やがて語られる様々な事象を聞きながら不安に思ったり、恐怖を感じたりするのではないでしょうか。

 彼女自身もまた語ることで、自分の人生に問いを投げかけていたように思うのです。その変化、過程も映画の中で見てほしいですね。》

ヴァイゲンザマー監督もこう話す。

  《彼女と2年近く、濃密な時間を過ごしました。編集作業に関わってもらったこともあります。私自身もジレンマに陥ってしまいそうになる瞬間がありました。

 誰にでも好かれるようなユーモアのある語り手でありながら「私は悪くない」「そういう時代だった」と語る極端な二面性を私も感じていたし、彼女も感じていたように思う。》

 

身近な子供の死、遠くのユダヤ人の死

 

   トークショーを通じて、二面性が一つのキーワードとして浮かび上がる。そこで明かされたのは、冷静沈着に見える彼女の意外な一面だった。

   彼女は多くのユダヤ人の死については「私に罪はない」と静かに語る一方で、ゲッベルス家の子供たちが殺害される場面を証言する際には感情があらわになりかけ、涙を流さないよう自分と戦っていたと監督たちは語った。

   クレーネス監督はさらに踏み込んで、「ナチス抵抗運動」についての証言に注目する。非暴力主義でナチスに対抗しようした白バラ運動、その中心になったショル兄妹らにポムゼルは感情を突き動かされている。

   彼女が感情が向かうのは、あの時代にナチスに抵抗した勇気ではない。若くして亡くなってしまった人たちへのある種の同情だ。

  《彼女はあんな若い人たちが亡くなってしまったということに感情を動かされていた。ナチスに対して「何もしなければよかったのに」「黙っていれば死なずに済んだのに」と語るのです。

   ここに彼女の人生哲学が現れています。彼女は何も言わずに、口を閉ざす。だから彼女はここまで長生きできたのではないかと思うのです。》

 

良心に殉じることよりも、耐え抜くことを選ぶ。

 

   映画のなかで、もう一つ彼女の感情が垣間見えたシーンがあった。今を生きる人たちがあの時代を振り返り、「自分なら抵抗できた」と簡単に言い切ることに言及した場面だ。彼女の口調をやや強めて、カメラの前でこう言い切った。「体制から逃れることなんて絶対にできない」と。

 

転職、キャリアアップという幸せ

 

   彼女が目指したのは、あくまで自分の転職、キャリアアップだった。ゲッベルスの演説には今でもよくあるの言葉が溢れている。「勇気を持って、危険な人生を送れ!」。

   リスクを取って人生を豊かにせよと説く自己啓発本のような言葉に多くのドイツ人が酔った。

   真面目で職務に忠実な彼女が望んだのは自分のささやかな幸せだった。それは疑いようがない。だが、その先は無関心だった。彼女のユダヤ人の友人エヴァがアウシュヴィッツ強制収容所に送られていることを知ったのも、戦争終結から60年以上がすぎてからだった。

   身の回りの幸せを望んだ小さな決断の積み重ねが、大きな時代の流れを加速させる原動力になった。これも一つの二面性だ。

 

ヴァイゲンザマー監督は言う。《ポムゼルの話を聞いていても、過去のものとは思えなかったのです。もちろん時代は違うが、人間には変わらないものがある。》

 

この映画は過去のもの?それとも「今」の時代のもの?

 

   トークショーでは、この映画を今の時代のものとしてどう見たらいいのかという点も議論になった。

   制作チームも語るように、ポムゼルの証言撮影から、2017年の公開までの数年でヨーロッパも世界も大きく動いた。SNSの発展は人々の有機的なネットワークをもたらした一方で、より情報操作がしやすくなる状況、政治家にとって都合のいい情報を発信しやすくなる状況を作り出した。

   技術そのものは中立的であっても、排外主義的なポピュリズムに向かうのか、ナショナリズムの台頭を招くのか、グローバルな運動の広がりに向かうのかは使う人次第である。誰が使っているのか、どのような情報発信をしているのか。見極める重要性は増している。

 

《歴史を振り返るために撮影していたものが、いつの間にか出来上がってみると現代の映画になっていたのです。》(クレーネス監督)

 

目先の幸せを追求した先に......

 

   彼らが映し出したのは、いつの時代であっても自分の目先の幸せを求めてしまう人間の姿だったようにも思える。誰もが幸せになりたい。でも、その思いが誰かの不幸につながってしまうとしたら......。常に想像力を働かせていないと大きな流れに飲み込まれる。

   歴史に証言を残した彼女は、映画の完成を見届けるように息を引き取った。享年106歳。一人で最後を迎えたのは、ミュンヘンの老人ホームだった。彼女は出来上がった「自分」の作品を見て、満足そうな表情を浮かべていたという。

   その表情はなにを意味していたのだろう。「私に罪はない」と自らの正当性を主張できたことの喜びか、彼女が人生で抱え続けた矛盾や苦悩を認められたことに起因するものなのか。あるいはその両方が複雑に入り混じったものなのか。今となっては映画から想像することしかできない。

 

 

 『ゲッベルスと私』

 6月16日(土)より岩波ホールほか全国劇場順次ロードショー

 

監督:クリスティアン・クレーネス、フロリアン・ヴァイゲンザマー、オーラフ・S・ミュラー、ローラント・シュロットホーファー

 

オーストリア映画/2016/113分/ドイツ語/16:9/白黒/日本語字幕 吉川美奈子/配給 サニーフィルム

協力:オーストリア大使館|オーストリア文化フォーラム/書籍版:『ゲッベルスと私』紀伊國屋書店出版部

 

公式サイト:www.sunny-film.com/a-german-life © 2016 BLACKBOX FILM & MEDIENPRODUKTION GMBH


カンヌ受賞作『万引き家族』

2018年05月22日 | 映画

リテラ 2018.05.21.

是枝裕和のカンヌ受賞作『万引き家族』は“貧困叩き”への違和感から生まれた! 安倍政権と国粋主義批判も語った監督の問題意識

   第71回カンヌ国際映画祭で、是枝裕和監督の『万引き家族』が最高賞であるパルム・ドールを受賞した。

 日本人監督がパルムドールに輝いたのは、『地獄門』の衣笠貞之助監督、『影武者』の黒沢明監督、『楢山節考』『うなぎ』で2回受賞した今村昌平監督に続く4人めということで、マスコミはこぞって「快挙」と大きく取り上げた。

  ただ、今回、その一方でほとんどふれられていないのが、是枝監督がこの作品を撮った背景だ。

 「数年前に、日本では亡くなった親の年金を受け取るために死亡届を出さない詐欺事件が社会的に大きな怒りを買った。はるかに深刻な犯罪も多いのに、人々はなぜこのような軽犯罪にそこまで怒ったのか、深く考えることになった」

  是枝監督は、カンヌ公式上映後に韓国紙・中央日報のインタビューに応じて、『万引き家族』を制作したきっかけについてこう明かしていた(5月17日付)。

 2010年、足立区で111歳とされていた男性が白骨化して発見され、実は30年以上前に死亡していたことが発覚。死亡届を出さずに年金をもらい続けていたとして、家族は後に詐欺で逮捕される。この足立区の事件を皮切りに全国で相次いで類似の事件が発覚し、“消えた高齢者”として社会問題化。年金詐欺として大きなバッシングを浴びた。

 このバッシングは、数年後に盛り上がった生活保護バッシングにも通じるものだが、是枝監督はこの事件をきっかけに、“社会から排斥される存在”として年金と万引きで生計をたてている一家の物語を着想したようだ。前掲インタビューで、是枝監督は、『万引き家族』の主人公一家が現在の日本で決して特殊な存在でないと強調している。

  「日本は経済不況で階層間の両極化が進んだ。政府は貧困層を助ける代わりに失敗者として烙印を押し、貧困を個人の責任として処理している。映画の中の家族がその代表的な例だ」

是枝監督が語った“家族の絆”ブームへの違和感、歴史修正主義への批判

 しかし、いまの日本社会ではこうした失敗者は存在しないものとして無視され、浅薄な“家族愛”ばかりがやたら喧伝されるようになった。是枝監督はこうした“家族礼賛”の空気に対しても違和感を表明している。

 「日本では今も家族は『血縁』というイメージが固定化されている。特に、2011年大地震以降、このような家族の絆を大げさに強調する雰囲気について疑問を感じていた」(前出・中央日報)

 そういう意味では、『万引き家族』には、是枝監督がいま、日本社会にたいして感じている違和感、問題意識が凝縮されているとも言えるだろう。近年の新自由主義政策によってもたらされた格差の激化、共同体や家族の崩壊、機能しないセーフティネットによる貧困層の増大、疎外される貧困層や弱者、自己責任論による弱者バッシングの高まり……そういったものが、一人一人の人間に、家族になにをもたらしているのか。今回のカンヌ受賞作はその本質的な問いを私たちに突きつけるものだ。

 しかし残念なことに、メディアでは日本人によるカンヌ最高賞受賞という快挙を大々的に報じているが、こうした作品の背景にまで踏み込んだ報道はほとんど見られない。

  一方、日本人の世界的活躍にいつもはあれだけ「日本スゴイ」と大騒ぎするネトウヨたちは今回の『万引き家族』受賞に「こんな映画絶対に見ない」「万引きをテーマにするなんて世界に恥をさらす行為だ」などと、ディスりまくっている。

 両者は真逆のように見えて、根っこは同じだ。賞を獲ったというだけで「日本スゴイ」と賞賛、マイナス面を真正面から見据えるという行為については、無視するか、「恥さらし」「反日」と非難する。これは、現在の日本に蔓延る、偏狭な愛国主義や歴史修正主義にも通じるものだろう。

 実は是枝監督自身、先のインタビューでこうした日本に蔓延する国粋主義と歴史修正主義についても指摘している。

 「共同体文化が崩壊して家族が崩壊している。多様性を受け入れるほど成熟しておらず、ますます地域主義に傾倒していって、残ったのは国粋主義だけだった。日本が歴史を認めない根っこがここにある。アジア近隣諸国に申し訳ない気持ちだ。日本もドイツのように謝らなければならない。だが、同じ政権がずっと執権することによって私たちは多くの希望を失っている」

安倍政権のテレビに対する圧力にNOを突きつけた是枝監督

 まさに正論と言うほかはないが、是枝監督のこのインタビューは前述した『万引き家族』同様、ネトウヨから激しい攻撃を受けている。

 しかし、是枝監督はこれからも、日本社会の本質に目を向ける姿勢を曲げることはないだろう。実際、是枝監督は、安倍政権の圧力に対して、はっきりとNOの姿勢を示してきた。

 たとえば、是枝監督はBPOの委員をつとめているが、安倍政権のテレビへの圧力とも完全と闘ってきた。たとえば、2015年、『クローズアップ現代』(NHK)のやらせ問題と『報道ステーション』(テレビ朝日)での元経産官僚・古賀茂明氏の安倍首相批判を問題視した自民党の情報通信戦略調査会がNHKとテレビ朝日の幹部を事情聴取、両局に高市早苗総務大臣が「厳重注意」した際、BPOが〈今回の事態は、放送の自由とこれを支える自律に対する政権党による圧力そのものであるから、厳しく非難されるべきである〉と毅然とした意見書を出したが、この原動力になったのも、是枝監督だった。

 是枝監督はブログでも、〈安易な介入はむしろ公権力自身が放送法に違反していると考えられます〉〈BPOは政治家たちの駆け込み寺ではありません〉と批判。「週刊プレイボーイ」(集英社)2015年12月14日号での古賀茂明氏との対談でも「安倍政権は放送法4条だけを言い立てて、「公平にやれ」と、しきりにテレビ局を恫喝しますが、それって実は放送法を正しく理解していない証拠なんですよ」「公権力が4条の「公平」という部分だけを局所的に解釈して、介入を繰り返すというのであれば、それこそ放送法違反だといってもいい」と繰り返し強調していた。

安倍政権による映画の政治利用も危惧していた是枝監督

   また、安倍政権は明治期の国づくりなどを題材とした映画やテレビ番組の制作を支援する方針を打ち出しているが、こうした安倍政権の映画の政治利用の姿勢に対してもはっきりと異議を唱えてきた。

  「補助金もあるけれど、出してもらうと口も出すからね。映画のために何ができるか考える前に、映画が国に何をしてくれるのか、という発想なんだと思いますよ。それはむしろ映画文化を壊すことにしかならないんです。

 たとえば、東京オリンピック招致のキャッチコピーに『今この国にはオリンピックの力が必要だ』っていうのがありましたけど、私は五輪はスポーツの祭典の場であって、国威発揚の場ではないということがとても大切な価値観だと思っています。安倍首相は東京国際映画祭のオープニングでも挨拶したけれど、映画が日本のアピールのために利用されているようにも思える。なのでサポートして欲しい、ということも個人的には言いにくいわけです」(ウェブサイト「Forbes JAPAN」16年12月9日付)

 「たとえばですが「国威発揚の映画だったら助成する」というようなことにでもなったら、映画の多様性は一気に失われてしまう。国は、基本的には後方支援とサイドからのサポートで、内容にはタッチしないというのが美しいですよね。短絡的な国益重視にされないように国との距離を上手に取りながら、映画という世界全体をどのように豊かにしていくか、もっと考えていかなければいけないなと思います」(「日経トレンディネット」16年9月1日付)

 そう考えると、是枝監督がカンヌを受賞したことは閉塞する日本の言論状況のなかで「大きな希望」といえるかもしれない。「表現の自由の侵害」や「国家権力による芸術やスポーツの利用」にこうした危機感をきちんともっている映画作家が国際的な評価を得たことで、その作品やメッセージに耳を傾ける人はこれまで以上に多くの人に届く可能性があるからだ。

 あとは、メディアがどう伝えるか、だ。願わくば、この『万引き家族』について、たんに「日本人がカンヌを獲った」というだけでなく、また特殊な人たちを扱ったセンセーショナルな題材と扱うのでもなく、是枝監督がこの映画をつくった背景や問題意識が広く伝わってくれたらと願う。(編集部)


  薄暗くなるまで江部乙で仕事をしていました。新しい携帯が「万歩計」機能で「新たな記録を更新しました」と表示が出てきました。1万に500程足りない。でも家の中では持ち歩かないので、おそらく超えているだろう。

菜の花がきれいに咲きました。見頃です。