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ALSを生き抜いたスーパーウーマンが、「安楽死」しか選べなかった理由

2020年07月31日 | 事件

みわよしこ:フリーランス・ライター

  DIAMONDonline 2020.7.31 

    難病と懸命に戦っていた女性は、なぜ「死にたい」という方向に追い詰められていったのだろうか

ALSを生き抜いた女性が

嘱託殺人を選んだ謎

 7月23日、嘱託殺人容疑により医師2名が逮捕された。医師らは、神経難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)に罹患した女性・林優里さん(当時51歳)から依頼され、2019年11月に致死量の鎮静剤を投与し、死に至らせたということであった。

 林さん自身のツイート、ブログ、プロフィール等、さらに報道によると、1968年生まれの林さんは2011年にALSを発症し、まもなく生活保護のもとで単身生活を開始した。そして、2019年に亡くなるまで24時間介護を受けて生活していた。

 ALSの場合、いずれは1日24時間の介護が必要になる。口からの食事摂取が困難になると、胃ろうによって胃に直接食物を注入することになる。自力での呼吸が困難になると、人工呼吸器が必要になる。林さんの場合、呼吸の能力は最後まで維持されていたようだが、胃ろうは利用しており、亡くなったときの鎮静剤の投与は胃ろうで行われていた。また、自分の意思で動かせるのは眼だけとなっており、パソコンの操作は視線入力装置で行っていたようだ。

 運動能力が奪われていく身体で公的制度を利用することも、24時間介護を確保することも、動かない体で介護を受け続けることも、決して容易なことではない。しかし林さんは、正確な情報を収集し、賢明かつ合理的に判断し、必要な手続きを着々と進めていたようである。文字通りの「スーパーウーマン」だ。そのスーパーウーマンが、なぜ「死にたい」という方向に追い詰められていったのだろうか。そのパワーは、なぜ「生きる」という方向に向かわなかったのだろうか。

 林さんの歩み、そして林さんが残したブログとツイートに、手がかりがあるかもしれない。

ひたむきな社会貢献への思いと

その現れとしての安楽死

 林さんのFacebookアカウントの自己紹介によれば、出身校は、「同志社大学」「Academy of Art University, San Francisco」「City College of New York School of Architecture」となっている。ただし、誰でも読める状態で公開されている投稿はない。

 報道によれば、林さんは同志社大学を卒業した後に百貨店に勤務していた。その後、建築家を志して米国に留学し、帰国後は東京の設計事務所で働いていたということだ。自分の意志で自分のキャリアを切り開いていった、たくましい人物像が浮かび上がる。ツイートやブログを読んでも、その印象は変わらない。

 林さんがツイッターでの投稿を開始した2018年5月は、「ツイートも視線入力のパソコンを使ってるのですごく時間がかかる。もっと言いたいこといっぱいあるのに」(2018年5月3日)と嘆く場面もあるが、テニスの全仏オープンを観戦して「全てを賭けて戦う姿には心打たれる。あんな風に生きたらどんなものが見えるんだろう?」(2018年5月31日)と感動を語っている。

 また、自分と同じ悩みを抱えた人々に対する関心と共感と配慮も示し続けている。大人の重度障害者が子どものように扱われているというツイートに「看護婦さんにも多いんだよね。幼児に話しかけてるの?と思う」と反応し(2018年5月31日)、「難病があろうが障害があろうが、一人の人間として尊重され、尊厳をもって扱われなくてはならないはずだ」「介助者や医療従事者が、障害者や高齢者や患者に対して、上から目線のパターナリズムを発揮するのは暴力」と読み取れるメッセージを発している。林さんのツイートからは、「社会的に意義ある存在でいたい」という願いが伝わってくる。

 林さんは、自分が安楽死することに社会的意義を見出していたようでもある。そのことは、「私も安楽死を受けられることになれば、記録を残して公開したい。同じ願いを持つ患者さんに希望を与えたい」(2018年5月10日)というツイートから読み取れる。「安楽生」「尊厳生」といった方向性は見られない。

「死ななくては」という思いは、発病したころから概ね一貫していたようだ。「(筆者注:闘病の)初期の頃 『自分はもはやなんの生産性も無く、税金を食い潰しているだけの人間だから死にたい』と主治医に詰め寄ったことがある」(2018年6月30日)というツイートもある。「生産性」「社会」「コスト」といった用語の意味や範囲によっては、「死んで自分の生存に関わるコストを最低限にするという社会貢献」は、正解となりうる。

 ついで林さんは、自らを安楽死させるための具体的な行動に移る。栄養摂取の制限、呼吸能力を維持するための訓練の停止などよって、栄養失調や呼吸不全で死のうと試みている(2019年9月18日のツイート)。しかし「効果」は全く不十分で、林さんを落胆させた。この間、広く報道されている通り、林さんは主治医らに安楽死への協力を依頼したものの、応じられなかった。そして2019年11月、2人の医師による嘱託殺人により、ついに希望を遂げた。

猫との暮らしも奪われる

力関係の最下層

 なぜ、林さんは生きることによって社会貢献する選択をしなかったのだろうか。林さんのブログに、推測の手がかりがあった。2019年9月18日付のブログ記事には、「猫と暮らしたい」という希望を断念させられたエピソードがある。

 林さんの治療に通っていた訪問看護師が、林さんのために温和な保護猫の子猫を引き取った。おそらく、トイレなど最低限のしつけをした後、林さんと同居開始する段取りだったと推察される。ところがこの計画に、猫アレルギーのケアマネジャーが「ヘルパーの中にもネコアレルギーがいたらどうする、とか毛が残るとか」といういう理由で「ケチをつけ」たため、実現しなかった。林さんは「なんでこんなことまで指図されなきゃいけないんだ!とみじめになり無性に腹が立って気付くと号泣してた」と記している。

訪問看護師は、ときどき林さんのもとに猫を連れて行こうと考えたが、ケアマネジャーはそれも認めなかった。しかし、犬の好きな主治医が事情を知り、訪問看護ステーションに猫を連れて行く許可を出した。思い立てば猫カフェに行けるわけではない林さんは、ときどき自室で猫との時間を過ごせるようになった。林さんは、ブログ記事を「妥協しないといけないこともあるが、忍耐強く話し合えばそれなりに希望に沿った自由のある生活が可能だ」と結んでいる。

自分の魂と実存を消される

障害者に向けられる介護の横暴

 しかし、障害者である私から見たとき、一貫して浮かび上がるのは林さんに対する介護の横暴だ。介護の横暴を抑制する可能性があったのは、力関係では介護より強い医療であった。そして辛うじて、時折の猫の訪問が可能になった。

 障害者は、行政と医療と介護などの複雑なパワーバランスの底で身を擦り減らされがちだ。時に、生きる気力を失うほど消耗する。諦めれば、自分の魂と実存を消されるだけだ。死ぬ思いで生き延びるか、「自分の生」を守るために死ぬか。障害者は潜在的に、その二者択一を突きつけられ続ける。

 特に生活保護を利用している場合は、「障害者」「介護を受けなくては生きられない」「生活保護」の3方向から尊厳をえぐられる可能性がある。林さんのブログやツイートからは、「過去の歩みや経験とともに、ありのままのその人」として尊重されていた気配は、あまり見当たらない。皆無ではないのだが、「たまには、そういう人もいる」という感じである。

 2019年11月25日、嘱託殺人の直前には、このようなツイートがある。

「65歳ヘルパー 体ボロボロなのは私のトイレ介助のせいなんだと責める 施設行きになる あそこに入ったら殺されると脅される むかついてもやめろと言えない 代わりがいないから 惨めだ」

 嘱託殺人は、この惨めさからの救済となった。しかし、私はあえて疑問を呈したい。ヘルパーにイジメを受ける日常からの脱出手段が、なぜ「安楽死」になるのだろうか。

追い詰められた時に必要なのは

具体的な救済の選択肢では

 進行性の筋委縮症を持ち、「車椅子の歌姫」として知られる朝霧裕さんは、生活保護で24時間介助を受けながら単身生活を営み、シンガーソングライターとしての活動も続けている。朝霧さんは約10年前、ヘルパーから「生活保護で一人暮らしなんてゼイタク、施設に入ればいいのに」といった言葉での虐待を受け続けた経験がある。

「もしもその時、ツイッターで『そんなに辛いなら楽にしてあげましょうか』という人に会っていたら……追い込まれて正常な心理状態ではない時に『死なせてあげる』と言われていたら……どうなっていたか分かりません」(朝霧さん)

 幸い、介護事業所が事実を重く受け止めて誠実な対処をしたため、朝霧さんは虐待から解放された。立ち直った朝霧さんは、相談先の確保を心がけた。2013年には、同じ地域で活動する社会運動家の藤田孝典氏に「もしもの時は助けてほしいです」と依頼したという。

「介助者でも友人でもなく、『この人に相談したら助けてくれるかも』と思えるプロとつながることで、私は助かりました。また、2012年から障害者虐待防止法が施行されていることも、安心につながっています」(朝霧さん)

 筋ジストロフィーを持つ小澤綾子さんは、林さんについて、「その状況だったら、私も死にたくなるかも」という。小澤さんは、情報大手に勤務する会社員であり、家庭を持つ兼業主婦であり、車椅子で朝霧さんとともに音楽活動を行うシンガーソングライターでもある。

「難病に罹患したことが判明して困っている方から、よく連絡をいただきます。現実的な困難に直面したり、絶望に陥ったりしたとき、自分だけでは受け止めきれないこともあります。でも誰に相談すれば良いのか……現実的に助けることが出来る専門家にアクセスしやすくなればいいと思います。情報をまとめたり、苦労せずに必要な支援につながれる体制を整備したり」(小澤さん)

ただの事件として

終わらせてはならない

 「死ぬ自由」が本来意味するのは、死ぬこと以外の魅力的な選択肢が多数あり、実際に選べる状況があり、それでもなお「どうしても安楽死」という選択もあり得る状況だろう。しかし、現在の安楽死推進論が目指しているのは、選択肢を狭めて「死ぬしかない」という方向性に見える。

「林さんを死に追いやった原因は、単純ではないと思います。『異常な人が来て殺した事件』ということにして、容疑者を逮捕して処罰して『はい、おしまい』では、別の障害者が辛い思いをするだけです。ただの事件として終わらせたくはありません」(小澤さん)

 日本はまだ、本格的な安楽死推進へと舵を切っていない。多くの人々が今から考え始め、タブーにせず議論すれば、この社会課題を解決することが可能になるかもしれない。

 

【参考】

林優里さんブログ:ALS患者 タンゴレオの挑戦 ー安楽死を認めて!-

https://ameblo.jp/tango522/

林優里さんツイッター:@tangoleo2018

https://twitter.com/tangoleo2018

(フリーランス・ライター みわよしこ)


 暑いと思ったが、それでも28℃止まりだった。明日は30℃の予報が出ている。
そんな中、旭川にあるお墓の掃除・草刈に行ってきた。

ハーブ

オレガノ

ポリジ

 膝痛で整体に通っていたが、先生に「クワガタ居るかい?」と聞かれたので昨日3匹を広口瓶に入れて持って行った。子どもたちが大喜びだったそうな。本物を見たのは初めてだったという。いや~ぁ、こんな田舎でもそうなのか。ビックリしてしまった。

 

 


韓国の“首相謝罪”像が意外な展開に…「安倍首相は日本国民に謝れ」の声

2020年07月30日 | 社会・経済

“首相謝罪”像が意外な展開! 嫌韓より「安倍が日本国民に謝ったんじゃないのか」のツッコミが続出、「謝罪像ほしい」の声も!

   リテラ 2020.07.29

    韓国の民間の植物園で、慰安婦問題を象徴すると思しき少女像に安倍首相らしき男性がひざまずいて謝罪する像が設置されたというニュースに、また安倍政権とネトウヨが大騒ぎしている。

とくに28日午前の会見で菅義偉官房長官がこの件について「国際儀礼上、許されない。報道が事実なら日韓関係に決定的な影響を与える」などと不快感を表明したことが報じられると、「首相謝罪」がトレンドワードにまでなった。

 しかし、問題はその後。いつものように、ネトウヨの韓国ヘイトがさらに拡大し、メディアが嫌韓一色になると思いきや、まったく意外な現象が起きている。嫌韓どころか、「安倍首相がコロナ対策の不手際を国民に謝った」と勘違いした人が続出しているのだ。

 実際、ツイッターを見ると、こんな声であふれている。

〈首相謝罪、てっきり今までのコロナ対策の怠慢や無策を国民に詫びるとかだと思ったら違った。〉

〈トレンドに首相謝罪とあったので、めずらしくコロナ対応等で、 国民に謝罪会見でもしたのかと思ったら・・・〉

〈#首相謝罪 てっきり、税金を無駄な使って、ごめんなさい!と国民に謝罪した。と言うことだと思ったのに。 そんなことありえないか?(笑い)意固地だもんね。#アベノマスク に命かけているもんね。〉

〈コロナ対応や水害の被災者支援についての対応遅れについてかと思ったらちゃうのね〉

〈首相謝罪っていうから、コロナ禍で世界中が大変な時にさっさと国会閉めてろくな舵取りもしないで沈黙してごめんなさいってようやく謝って仕事する気になったのかと思ったらあれ?全然違う話?〉

〈トレンドの首相謝罪をみてしまった。 そっちの事でしたのね。 てっきりこのコロナのダメダメな世の中に謝罪かと思ってしまいました。〉

〈アベノミクスが全く嘘っぱちのゴミ施策でしたので国民へ謝罪するとかじゃ無いのね... #首相謝罪〉

〈トレンドに「首相謝罪」とあったので、国民に今までの不手際、私物化をようやく認めて謝罪したのかと思ったら、違う件でした。〉

 GoToキャンペーン強行やアベノマスクの追加8000万枚配布という愚策が大炎上していたことから、その件につい謝罪したのかと勘違いした人も多かった。

〈トレンドに「首相謝罪」とあったので、国民に今までの不手際、私物化をようやく認めて謝罪したのかと思ったら、違う件でした。〉

 GoToキャンペーン強行やアベノマスクの追加8000万枚配布という愚策が大炎上していたことから、その件につい謝罪したのかと勘違いした人も多かった。

〈首相謝罪って、私も国民にかと思った。 「マスク、めっちゃ儲かるので2回目しようとしてました。すみません!」かなぁって。〉

〈トレンドに #首相謝罪 ってあったけど、これを謝罪したわけじゃなかったのか。すみません、誤発注でした!とか。 布マスク、今後さらに8千万枚を配布 不要論でも発注済〉

〈首相謝罪?って、私は首相が布マスク配布やGOTOトラベルで無策で迷惑かけているのでてっきり国民に謝罪する件なんだとおもったんだが。〉

〈首相謝罪とかいうから、ついに国民に向けて「アホな政策で税金を無駄遣いしてしまい大変申し訳ございませんでした。」を言う気になったかと思ったら全然違った〉

〈首相謝罪か 国民にやってほしいよね実際に〉〈あれぐらいの土下座して欲しい国民いっぱいいる〉

 しかも、驚いたのは、「首相謝罪」というのが、韓国に設置された安倍首相の謝罪像の件だったとわかったあとも、像や韓国には全く関心を示さず、むしろ、安倍首相が国民に謝罪したわけじゃなかったことへの失望を表明する声が相次いだことだ。

〈首相謝罪???とか思いながら開くと、あぁそういう事ねとw こっちはこっちで災害とかコロナで大変なんだから、あんなの放っとけばいいんじゃないですかね。〉

〈首相謝罪って国民に対してかと期待してしまったけど覗いたらつまらなくて草〉

〈首相謝罪っていうから国民に対してなんかしたんかと思ったけど像についてか、くだらん。〉

〈#首相謝罪 がトレンドに入ってるのを見て、ずさんなコロナ対策と感染者が増えてる中強行したGoToキャンペーンについて安倍総理が謝ったのかと思ったんだ。 そしたら韓国の植物園が置いた、慰安婦少女に謝る安倍総理に似た男性の像の事だったんだ。〉

〈首相謝罪ってあの像の事かよ!! こんな像作る余裕あるとか、よっぽど平和で暇な国なんだろうなぁ。 いいなぁ。 日本はコロナで大変ですよw〉

〈俺たち国民に謝罪したのかと思った。 というか思いたかった。 #首相謝罪〉

〈日本のトレンドに「首相謝罪」とあったので,ようやく安倍首相もおのれの愚策に気づき,政策転換を図るために全国民に対して謝罪をするのかと期待したら,全くの「ぬか喜び」だった。〉

〈日本国民に謝罪だとみんな思ったろうなあ。がっかり。〉

さらには、これをきっかけに、安倍首相に対して実際に国民に謝れ、と迫る動きまで出てきている。

〈安倍ちゃん国民に謝れ〉

〈トレンドに「首相謝罪」ってあるけど、コロナ対策もロクにしてないし、まずお前が謝罪しろ。〉

〈慰安婦像にする必要は無いが、税金を無駄使いしやがったことを国民に謝罪しろ。 #首相謝罪〉

〈首相謝罪か 国民にやってほしいよね実際に〉

〈首相謝罪像わろた 慰安婦はともかく、安倍さんは今すぐ日本国民に謝った方がいいと思うよ〉

〈首相謝罪?韓国に謝罪はいらんよ。安倍は日本国民に謝罪してくれよ。〉

〈むしろ日本国内にも多数、あれぐらいの土下座して欲しい国民いっぱいいるけどね。いや、土下座いらんから、1秒も早く政界やメディアから消えてくれ。言動の全てが日本の害悪〉

〈国民に謝罪せえよ 色々あるやろ 広島の議員のことや ありすぎて忘れるわ #首相謝罪〉

〈#首相謝罪 また使えないマスク8000枚配るバカはマジで国民に土下座しろ〉

〈コレはけしからん。 安倍が謝るべきは、今までさんざん欺き搾取してきた日本国民に対してだろ‼️ 日本でも韓国でも阿呆なエセ右翼は、ろくな事しないな。 #首相謝罪〉

〈首相謝罪ワロスwwwww安倍も菅もまずは日本国民に謝れwwwww〉

〈#首相謝罪 日本国民に対して謝罪してくれよん。 特に水害被災地に(支援遅すぎで)〉

〈殊勝なことに首相が国民に謝罪したのかと勘違いしたわw 韓国に謝るかどうかはともかくとして、土下座はこうするんだと理解する機会があってよかったじゃないか、安倍晋三。 #首相謝罪〉

謝罪像もネタ〈日本にも一体送ってくれんかな〉〈日本でもらって 国民に謝罪像として飾ったら〉  

 しかも、対象は安倍首相だけではない。菅官房長官が不快感を表明したことにも、賛同どころか、「お前こそ土下座しろ」のツッコミの声があふれた。

〈安倍の謝罪像に菅がキレてるけど、安倍総理が他国からdisられようと、もはや何とも思わないなぁwww むしろ日本国民に対して土下座謝罪して欲しい気分なんだけど。 ずさんなコロナ対策について。〉

〈ガースー、お前も含めて実物の安倍夫妻に対し日本国民〔一部を除く〕も不快感だよ〉

〈首相謝罪はこの半年の日本国民への仕打ちにまずすべきだと思うの。やることやりもしないで不快感とか、何吠えてんの。〉

〈菅氏「首相謝罪」像に不快感 - Yahoo!ニュース そうだよな、まず日本国民に散々税金で好き勝手してごめんなさいって土下座をするのが先だよな。〉

〈首相謝罪…菅が不快感? 日本国民は普段、キミたちに不快感を露わにしていることに気付いていないのかい? キミたちは日本国民に土下座するべき立場なんだよ。それを渋って、いつまでも椅子温めて国民から税金搾取してお友達ごっこやってるから、日本国民に代わって制裁が下されただけのこと。〉

〈ホント不愉快ですね。 そんな像にムキになる前に「国民に対して」言うことないのか? 内面より外面の政府。 そのくせ「もっと安倍総理なら男前だ」位言って笑い飛ばす器量も無く1公園のモニュメントに「安倍総理様がー」って?〉

〈首相謝罪像とか自分のことに関してはめちゃくちゃ敏感なくせに国民の声は聞こうとしないよな。きも〉

さらには、謝罪像そのものをネタにして、こんなツッコミまで飛び出している。

〈首相謝罪像の頭を日本国民の方に向けて設置するべきなのでは〉

〈首相謝罪像って韓国にあると問題やけど 日本でもらって 国民に謝罪像として飾ったら 問題ないジャマイカ〉

〈日本にも一体送ってくれんかな〉

〈「首相謝罪の像」、日本にも何個か設置したいと思いませんか? 例えば福島とか、森友小学校跡地とかに。〉

〈この土下座する安倍像、是非とも日本でも作って国民の像と共にこんな感じで展示したい。 お粗末なコロナ対応で国民を苦しめた責任は重いでしょ。〉

〈その像(安倍が謝る像)は日本が作るものです 安倍晋三は韓国ではなく日本国民に謝るべきです〉

〈慰安婦像にではなく 国民に土下座してほしい この像 日本に寄贈してくれないかなぁ〉

〈首相謝罪像?国民に対しての像を国会議事堂入口に作ったら?〉

〈見ましたよ!本当に大笑い あの像は日本国民に対して使った方がいいだろ?〉

 これまでのパターンなら「安倍首相に土下座させる像を置くなんてけしからん」というヒステリックな声がネットを覆い尽くすはずが、「首相謝罪像を日本にほしい」「日本でも設置してくれ」とは。しかも、こうしたツッコミをしているのは、以前から政権を批判してきたリベラルの人たちだけではない。文面やアカウントを見ると、ふだんは韓国に対して差別的な言説を連ねるネトウヨ的な人まで含まれていることがよくわかるのだ。

ネトウヨも嫌韓より安倍批判、ワイドショーも嫌韓では視聴率取れず

 いったい、これはどういう変化なのか。というのも、ここ数年、日本ではネトウヨや安倍応援団だけでなく、とくに政治に興味のない人や、安倍政権に批判的な人のなかからもライトな嫌韓発言が出てくるなど、韓国ヘイトの空気が支配的になっていた。

 そして安倍政権もまた、政権不祥事や悪法の強行採決などに対する批判をごまかすために、この嫌韓を利用してきた。なかでも象徴的なのが昨年の韓国に対する唐突な輸出規制で、これも参院選に合わせて嫌韓を煽り政権浮揚をはかるための差別政策そのものだった。

 今回の安倍首相謝罪像問題も、安倍官邸は明らかにいつものように失政をごまかすために利用しようと、扇動を仕掛けていた。

 韓国政府がまだ何のコメントも出していない時点で、菅官房長官がわざわざ会見で触れたという事実からもそのことはうかがえる(しかも、韓国政府はその後「どの国であっても外国の指導者クラスに対してそうした国際礼譲を考慮する必要がある」として像を批判している)。

 普段は重要な問題について「コメントする立場にない」などと無視する菅官房長官が、それこそ本来「コメントする立場にない」はずの他国の民間人の表現活動について、「許されない」などとコメントするなんて、普通は考えられない。それこそ「韓国はひどい」「安倍さん負けるな」といった声を引き出すために、わざわざニュースを大きくしたのである。

ところが、上述のように、まったく嫌韓は盛り上がらず、逆に「安倍首相は国民に謝れ」「謝罪像を寄贈してもらって日本に設置しろ」という声が噴出する羽目になってしまったのだ。

 これはもちろん、国民の意識が大きく変わったからだ。これまでは嫌韓に踊らされていたが、コロナ対策をみて、韓国よりはるかに日本の安倍政権がひどいということに気がついてしまったのである。

 実際、ワイドショーなどでも最近は、嫌韓特集がまったく数字が取れなくなっているという。各番組はそれでも、北朝鮮との関係悪化、軍艦島の世界遺産登録に韓国が取り消し要求、G7参加、ビザ問題、慰安婦支援団体の不正などを取り上げていたが、視聴率が振るわず、結局、散発的に終わっている。

 そういう意味では、これまで政権に怯え、忖度してきたマスコミもそろそろ意識を変えるべきではないのか。

〈国民に対して謝罪したのかと思ったら違ったわ。 国民に首相謝罪して、そして辞めて。仕事しない首相など要らない〉

 これが大多数の国民の声なのだ。時代遅れの嫌韓をやってる場合ではないのである。(編集部)


いや~ぁ!久々に面白いニュース見たわ。

ジュンサイ絶滅。

 これは外来種のようで、金魚鉢によくあるやつです。これが昨年の水不足から増えだし、ボートのオールに絡みつきます。ジュンサイは?と目を凝らすとわずか小さな葉が数えるほどしか見えません。これは困った!

 トウキビも実が入り始めています。キツネやアライグマ対策その2。

可愛すぎてダメかも? 黄色い傘も対策その3です。


雨宮処凛がゆく! 第528回:福生病院人工透析中止死亡事件の裁判、始まる。

2020年07月29日 | 事件

2020年7月29日 マガジン9 https://maga9.jp/200729-1/

「夏が来ると、いろいろと思い出してつらくなります。これまで居た人が居ないというのは本当に寂しくつらいです。

 病院に持っていったバッグは今もそのまま家にあります。タオルや着替え、点つなぎの本、(手芸に使う)ビーズ・糸・鈴などを入れて持って行ったのですが、今もそのままです。ひょっこり帰ってくるかもしれないと、片付けられないのです」

 この言葉は、2018年8月、当時44歳の妻を亡くした男性のものである(公立福生病院透析中止死亡事件 第1回民事裁判報告の集い 資料集「原告メッセージ」より)。

 妻が亡くなったのは、公立福生病院。腎臓病だった妻は、その5年前ほどから人工透析をしていた。が、亡くなる一週間前の8月9日、シャント(針を入れる分路)が閉塞して透析できなくなったため、ふだん透析をしていた診療所に紹介されたのが福生病院だった。

 そうして訪れた福生病院で、女性は首にカテーテルを入れて透析を受ける治療法があるととともに、透析そのものをやめる選択肢を提示される。やめれば、2〜3週間の命。が、女性は「透析離脱証明書」にサイン。体調は当然悪化し、5日後の14日には福生病院に入院した。あまりの苦しさに女性は「撤回」の意思を示し、16日には「こんなに苦しいなら透析した方がいい、撤回する」と述べている。しかし、透析は再開されない。

 ちなみに、なぜ夫が妻の「透析離脱」を止めなかったかというと、「苦しくなったらまた再開するだろう」という思いがあったから。透析を始めた頃、病院とのトラブルで妻が一ヶ月近く透析に行かなくなったこともあった。結局、体調が悪化して透析に行ったため、今回もそうするだろうと思っていたのである。

 しかし、透析は再開されない。そんな時、予期せぬトラブルが起きる。8月15日夜、夫が胃潰瘍に倒れ、同じ福生病院で緊急手術を受けたのだ。この時のことについて、夫は「原告メッセージ」で以下のように述べている。

「本当にタイミングが悪かった。自分の手術は死ぬわけじゃないからすぐにしなくてもよかった、我慢すればよかったと後悔しています。妻のそばに居てやれば、(透析の再開をお願いできた、)妻は死ぬことはなかった、そう思うと悔しくて、後悔の念を背負って生きている、という感じです。

 自分が回復したら透析をやってもらおうと話すつもりでした。前日は食事も食べられたし、まだ大丈夫と思っていたのです。

 状態が悪いと呼ばれて、(術後の)たくさんの管をつけたまま車椅子に乗せられて駆けつけました。『死んでるじゃん』と(思わず)言いました。『声をかけるとまだ聞こえますよ』と看護師さんに言われたけれど、一目見て死んでいると思いました。車椅子に乗ったまま手を伸ばして触れると冷たかった。口も目も半開きで、あの苦しそうな顔は忘れたくても忘れられません。

 苦しくなって入院すれば透析を再開してくれて助けてくれると思っていたのに、医者と自分の考え方が違っていたのです」

 女性は「透析離脱証明書」にサインした一週間後の8月16日、死亡。

 なぜ、透析再開を本人が求めていたのに再開してくれなかったのか。そんな思いから19年10月、女性の夫(52歳)と次男(21歳)は慰謝料など2200万円の支払いを求めて病院を提訴。7月22日、その第一回公判が行われたのである。

 この日、東京地裁712号室で13時15分から始まった裁判を傍聴し、また衆議院第一議員会館で14時半から始まった「報告の集い」に参加した。

 透析再開を求める女性に対して、医師は長男と次男に対し、「意識が混濁している状態ではなく、意識が清明であったときの本人の意思を尊重する」と述べたという。しかし、いくら透析の離脱証明書にサインしても、苦しくなれば本人の気持ちは当然変わる。助けを求めて病院に駆け込んでいるのだから、透析治療は再開されるものだと、当然本人も家族も思っていただろう。が、そうはならなかったのだ。

 集会では、原告と被告側の争点についてなどが解説された。

 果たして医者が治療中止を提案し、中止することに違法性はないのか。また、一旦は離脱に同意したとしても撤回できると説明したのか等、裁判で明らかにされるべきことは多い。が、私がこの日気になったのは、被告側が出してきたという「自己決定」という言葉だ。

 たとえば、透析中止の提案がなされた際のことを、夫は以下のように書いている(公立福生病院透析中止事件 提訴報告集会 資料より)。

「今回、先生から『首からカテーテルを入れて透析続けますか、透析をやめますか』と言われて、妻は『やめることもできる』と気づいたのだと思います。私が診察室に呼ばれた時、先生は2つの選択肢を軽い感じで説明しました。妻が『透析やめます』と言ったあと、先生はゆっくり話し合うこともせず、『続けた方がいい』とも言わず、病院で準備された『透析離脱証明書』が出され、それに妻がサインしました。『在宅でお看取りです』と言われたのですが、その時は意味がよくわかりませんでした」

 透析をやめる=確実に死ぬ選択肢を示され、「やめます」というと「在宅でお看取りです」と話は終了。ものすごく大切な部分を何段階もすっ飛ばしている印象だ。夫の「意味がよくわかりませんでした」というのも頷ける。

 ここで思うのは、いくら患者が「治療をやめたい」、場合によっては「死にたい」と言っても、医療従事者は「はいそうですか」でいいのだろうかということだ。それが「自己決定」だから仕方ない、で本当にいいのか?

 この日の集会では、自身も透析をしているという男性が発言した。男性自身、年に何度も「今日は透析に行きたくない」日があるのだという。しかし、男性は福生病院のやったことは「殺人」だと述べた。

「そもそも透析をやめたいと言った時に、まずもって医療者がやるべきことは、透析をして有意義に生きていくいろんなやり方があると、苦しいこともあるけど楽しいこともいっぱいある、もう一度考え直して透析始めたらどう? って、まずそういう説得こそが医者のやるべきことで、一回死にたいって言ったんだからさっさと死んでしまいなさいみたいなことは、本当の医療ではない」

 また、40年以上、透析の「機械屋さん」として働いてきた男性は、40年前に透析を始めた患者さんと今も交流があることを述べた。食事制限や水分制限をうまくやっていけば、それほど長く透析ができ、社会生活を営めるのだ。それなのに、なぜ44歳の女性に透析離脱が提示されたのか。それだけではない。なぜ、助けを求めて病院に来た女性に透析は再開されなかったのか。病院に来ること自体が「生きたい」という意思表示ではないか。しかも、明確に「撤回する」と言っているのに、意識が混濁しているとしてその言葉は受け止められなかった。その絶望を思うと目の前が暗くなってくる。

 一度「離脱証明書」にサインしてしまったことが「自己決定」としてここまでの効力を発揮してしまっていいのだろうか。しかも「死に直結する自己決定」だ。

 が、自己決定とは、そもそも十分な情報と様々な選択肢が与えられた上で成立するものである。その上で、自らの自由意志が尊重され、その決定が下されたプロセスも重要だ。

 例えば透析治療はつらいことから、うつ状態になったり「やめたい」と口にしたりする人も多いという。夫によると、女性もうつの傾向があったようだ。また、透析を拒否する人の中には経済的に困窮している人も少なくない。透析に限らず、「お金がないから」「子どもに迷惑、負担をかけたくないから」という理由で医療や介護に消極的な人の意見はよく耳にする。経済的な状況や家族関係などすべてをクリアすることは難しいにしても、人間は自身の置かれた立場や状況に大きく影響されることを考えると、どこまで「自己決定」と言えるのか、自己決定と言われているもの、思わされているものは本当に自己決定なのか、そこから疑いたくなってくる。それらの点から、私は医療における「自己決定」という言葉を警戒している。その危険度は「自己責任」と近いかもしれない。

 さて、そんな初公判の翌日、驚くべきニュースが飛び込んできた。

 それは京都のALSの女性に対する嘱託殺人で医師2人が逮捕されたというニュース。

 これに対して出された、同じALSの舩後議員の言葉に深く頷いた。

 舩後議員も、ALSとなって2年間は「死にたい」と思い続けたという。一時は呼吸器をつけることを拒否し、また、胃ろうも拒否して餓死寸前までいっている。しかし、患者同士のピアサポートなどを通じて、自分の使命を知り、人工呼吸器をつけて生きることを決心した。そんな舩後さんは、コメントの最後にこう綴っている。

「『死ぬ権利』よりも、『生きる権利』を守る社会にしていくことが、何よりも大切です。どんなに障害が重くても、重篤な病でも、自らの人生を生きたいと思える社会をつくることが、ALSの国会議員としての私の使命と確信しています」

 ALS女性への自殺幇助の罪で逮捕された医師の一人は、高齢者は社会の負担、高齢者への医療は社会資源の無駄などと主張していたという。この世界観は植松とも重なり合う。コロナ禍の現在、命の選別は仕方ないと口にする人々もいる。が、私たちがすべきは「誰に優先的に人工呼吸器を使うか」という議論ではなく、「足りない人工呼吸器をどうやって増やすか」ではないのか。

 福生病院の事件に関しては、以前もこのコラム「なぜ、透析は再開されず、彼女は死んだのか?〜福生病院透析中止事件」で書いているので参考にしてほしい。

 また、福生病院はこの件に関して、自身のサイトで「東京都福祉保健局立入検査の結果について」「日本透析医学会のステートメントについて」という声明を出し、一部報道を否定している。

 コロナ禍の中でさらに注目を浴びる裁判の行方を、見守っていきたい。


 膝はだんだん良くなってきているが、今日も散歩は中止。

ブルーベリー。

 


「夜の街関係」にモヤモヤ ホストクラブは責めるが風俗は放置という現実

2020年07月28日 | 社会・経済

連載「おんなの話はありがたい」

  AERAdot北原みのり2020.7.28

    作家・北原みのり氏の連載「おんなの話はありがたい」。今回は、新型コロナウイルスの感染が再び拡大する中でよく耳にする「夜の街関係」という言葉について。その言葉が覆い隠す現実に、もやもやするという。

*  *  *

    “いわゆる夜の街関係”。ここ数週間で、一日何度も見聞きする言葉になっているが、何度聞いてもなじめず、違和感は日増しに大きくなる。このもやもやを、ここでいったん、整理したい。

 そもそもこの言葉が出てきたのは、緊急事態宣言解除後の感染者に「接待を伴う飲食店の従業員や客」が多くを占めていたことからだ。ホストクラブが名指しされ、フツーの人とは関係ない “別世界”を強調するために作られた言葉のようだった。案の定、水商売に対する差別だ!という批判もおきている。そりゃごもっともよ……と思いつつ、ちょっと待った。そもそも、1日300人を超える感染者を出している東京で、「夜の街が問題」とか「夜の街のせいにするな」とか、そんなやりとりをしている現実こそがモヤモヤの原因でもある。

 いったいCOVID‐19関連で、これほど「夜の街」がここまで騒がれる国は、ほかにあるのだろうか。そもそも「接待を伴う飲食店」は、コロナ前もコロナ後も、非常に日本的なものだ。女性を隣に座らせ、お酒をつがせ、男たちの絆を深めるホモソーシャルな社交の場が商談や密談の場になっていることも、そしてそれが一般的なサラリーマン男性(職種を問わず、地位を問わず、国会議員であろうがなかろうが)の日常的な夜の習慣であり、「あるのが当たり前」であるらしいことが、コロナが暴いた日本のリアルだ。海外の友人が「日本のサラリーマンって、仕事帰りに風俗やキャバクラに行くのか!」と驚いていたが、「驚かれるようなこと」なのだと思う。

 この原稿を記している最中、NHKのニュースが流れてきた。7月27日、港区では六本木の高級クラブで男性を接待する際のアドバイスを感染対策の専門家を招いて行い、その動画を区のホームページで公開するという。動画では食べる時はセンスで口を隠すなど、高級クラブ“らしい”仕草を提案していた。これは本当に今、税金を使って、そして区のHPで公開するようなことなのだろうか。

シングルマザーの女友だちは、「大切なことが、昼の会議ではなく、夜の街で男たちで決まる」と嘆いていた。50年前の話ではなく、少し前、のことだ。マスコミ勤務の男性の友人は、「いまだに地方に行くと接待で風俗の誘いを受ける」と言っているが、これも100年前の話ではなく、今、のことだ。先日、若い力士が女性に接待される店に仲間と遊びに行ったと報道され休場したが、力士、というより20代の男性でも今はキャバクラに行く時代なのだということを突きつけられた。

 もう一つのもやもやは、接待を伴う飲食を非難する一方で、“性的サービスを伴う接待”である性産業に関しては、ほぼ放置ということだ。海外の報道をみていると、オランダやドイツなど、セックス・トレードを合法化している国は、政府が営業を止めている。飲食店やマッサージ店が営業を開始している中、なぜ性産業は営業できないのか、コロナを機につぶそうとしているのではないか?という議論が今、起き始めている。

 日本の場合は、“性的サービスを伴う”業種で店舗を持たないデリヘルなどは、緊急事態宣言中も営業を続けていた。デリヘルのホームページをみると「清楚な現役女子大生、お貸しします」という広告で、18歳、19歳、という年齢を表示した女性たちが「貸し出され」「売られている」のが分かる。男性の需要には超寛大な一方、働く女性を守る法律はない。自己責任でコロナ対策し、自己責任で性感染症も、妊娠も、さまざまな危険から身を守らなければならない。

 性産業に関しては、ジェンダー平等が国策になっている北欧諸国にならい、性産業の需要自体を少なくするための取り組みが主流になっている。それは日本の現実とは真逆の方向である。

「夜の街」という言葉から見えない現実がある。「夜の街」という言葉からすら、はじかれる女性たちがいる。自分なりのもやもやは整理はできたが、さらにもやもやは深まる。

北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。作家、女性のためのセックスグッズショップ「ラブピースクラブ」代表


 ミニトマトを収穫する際、膝を深く曲げられないのでスクワット状態。散歩は取りやめた。

 セミが転がっていた。羽にクモの巣のようなものが付着して先端が折れている。まっすぐに伸ばしてやって草の上に置いた。


 昨日はシマリスが道路の真ん中で死んでいた。


財政難に泣く気象庁…国に見捨てられネット広告で予算集め

2020年07月27日 | 社会・経済

日刊ゲンダイDIGITAL 2020/07/27

    国のHPに民間広告とは、異例の試みだ。気象庁が、HPに民間広告を掲載する準備を進めている。

 採用される広告は、特定の企業や商品ではなく、近頃よく見かける、検索履歴などから一人一人に合った広告がページに表示される「運用型広告」となる。

 気象庁は、このシステムを運用する企業を27日まで募集している。すでに複数社から応募があり、価格や内容などを加味して企画競争にかける。8月上旬に1社を選び、9月中旬から掲載を始める予定だ。

 なぜ、気象庁は民間広告を掲載するのか。

 理由は、気象庁の逼迫した予算だ。気象衛星などITシステムが、日々の業務を支えている。しかし、2015年以降、システム整備や維持にかけられる予算は年々減少している。本当は、気象衛星や新たなシステムづくりを進めたいが、気象庁の年間予算590億円のうち、2億円ほどしか予算を割けない状態となっている。予算が足りないため、少しでも補填するために、庁として広告掲載に踏み切った。

気象庁予算部の担当者は、「予算配分を決めるのは国なので、気象庁は与えられた分で何とかしなきゃいけない。広告掲載は苦肉の策です」と語った。

 高千穂大教授で国際政治に詳しい五野井郁夫氏はこう指摘する。

「古代中国では、気象と政治は切っても切り離せない関係でした。気象を軽視した為政者は、国益や国民を守ることができず職務を追われました。でも現代の日本で言うと、気象庁は最も利権が絡みにくい省庁で、政治家から見放されています。災害が起きても、特定の土建業者や広告代理店を優遇するのは別の省庁で、気象庁は蚊帳の外です。しかし、これだけ異常気象や災害が起きているにもかかわらず、しっかり災害予測するために予算を割かないのは、まさに気象を軽視する『失敗する政治』です」

「Go To」予算から気象庁に回すべきだ。


  国民の命と財産に直結する分野だけに、思い切った(いや、常識的な)措置が求められる。くだらん予算の使い方は山ほどある。

今日の散歩道。

 そんなに暑くはない(まだ30度越えは1日だけ?)けど雨がない。先日降った雨ももう乾いている。もう一雨ほしいのだが。蝉の声が聞こえないが熊の目撃情報は多い。7月、台風もない。何かおかしい。気象に関する正確な情報が欲しいのに・・・・・。

 今日も40分ほど歩いてきた。まだ膝に不安があるので、そんな早くは歩けない。でも、順調に回復しつつあるようだ。


やまゆり園事件から4年、優性思想の風潮に警鐘

2020年07月26日 | 社会・経済

日刊スポーツ 7/26(日) 

 神奈川・相模原市の知的障がい者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が殺害され、職員を含む26人が重軽傷を負った事件は26日、発生から4年目を迎えた。建て替え工事中の同施設前に設置された献花台には、多くの関係者や市民らが花を手向けた。 【写真】花束で埋まった献花台 事件は2016年7月26日未明に発生。元職員の植松聖死刑囚(30)に対し、横浜地裁は今年3月、死刑判決を言い渡した。弁護人は控訴したが死刑囚自ら取り下げ、刑は確定した。 この日朝から大粒の雨が降る中、訪れる人は絶えなかった。東京・国立市で知的障がい児などが入所する療育施設職員の鳥居麻生さん(28)は同僚3人と献花台で手を合わせ「障がいがある人が、こういう悲しいことにならないようにみんなで支えていける社会になるといい。風化させてはいけない」と祈った。 同園に36年間勤務した元職員で「共に生きる社会を考える会」の太田顕氏(76)は「なぜこんな事件が起こったのか。彼(植松死刑囚)は、いろいろなことを語ったが実際にはよく分からない。後世にこの問題を伝えたい」と語った。 植松死刑囚が主張した命に優劣をつける優性思想や命の選別にかかわる事件が、献花台が設置された23日に明らかになった。ALSの女性の依頼を受け、殺害したとして医師2人が嘱託殺人容疑で逮捕された。太田氏は「社会全体において優性思想を良し、とするような構造であると思う」と、指摘した。【大上悟】

今日の散歩道。
 久しぶりに散歩ができた。膝のことを思いながら上り坂、下り坂、階段も100段ほど、40分程の運動だった。
 そして湯を沸かし、コーヒータイム。

庭の桐の木の葉。


コロナ禍でもっとも差がつく「運動する人、しない人」の末路

2020年07月25日 | 健康・病気

  樺沢 紫苑:精神科医、作家

DIAMOND Onlin 2020.7.24

 コロナ禍や自粛生活などの「環境の変化」により、多くの人が将来への不安を抱え、「大きなストレス」を感じています。

 ストレスを溜め込みすぎると、体調を崩したり、うつなどのメンタル疾患に陥ってしまいます。

 発売3週間で7.6万部を突破した、樺沢紫苑氏による最新作『ストレスフリー超大全』では、ストレスフリーに生きる方法を、「科学的なファクト」と「今すぐできるToDo」で紹介した。

「アドバイスを聞いてラクになった!」「今すべきことがわかった!」と、YouTubeでも大反響を集める樺沢氏。そのストレスフリーの本質に迫るーー。

運動不足で5万人が命を落とす

    忙しいビジネスパーソンは、なかなか運動をする時間がとれないことでしょう。厚生労働省の「国民健康・栄養調査」(平成28年)によると、30分以上の運動を週2回以上、1年以上続けている人の割合は、男性で35.1%、女性で27.4%でした。

    実は、毎年5万人が、「運動不足」が原因で亡くなっている計算になります。運動不足の危険性について学び、簡単に運動をはじめる方法についてお伝えしましょう。

運動不足のデメリット

「運動不足は健康に悪い」ということは、なんとなく予想できるでしょう。とはいえ、実際にどれくらい悪いのか具体的に言える人はほとんどいません。そこで、運動による健康への効果をまとめてみました。

全死亡率 30~50%減

心臓疾患 27~60%減

全がん  30%減

糖尿病  58%減

うつ病  12%減

認知症  30~50%減

このように、たくさんの研究の成果を紹介しましたが、つまり、週150分程度の運動だけで、これだけ主要な疾患のリスクを30~60%も減らせるということです。

    死亡率に関しても、ごく軽度の運動をするだけで30%減少します。また、強めの運動も取り入れて週150分の運動をすると、死亡率が50%も下がるという研究もあります。つまり、運動不足は死ぬほど健康に悪いのです。

運動をすべき「13のメリット」

    運動の効果は、「病気の予防」と「ダイエット」だけに限りません。それらは運動の効果の一部にすぎません。下に運動の計りしれない効果をまとめておきました。

1 ダイエット効果

2 身体疾患の予防効果

3 メンタル疾患の予防、治療

4 頭がよくなる

5 作業記憶の強化

6 仕事力のアップ

7 筋肉の増強

8 免疫力アップ

9 疲労回復が進む

10 睡眠が深くなる

11 モチベーションアップ

12 ストレス発散効果

13 感情や気分の安定化

このように、運動の効果は体への効果以外にも「頭がよくなる」「仕事のパフォーマンスが上がる」「感情が安定する」など、メリットづくしです。

    「運動」だけでもかなりの部分の悩みや不安が解決・改善されます。体を動かすことで幸福物質のドーパミンが分泌され、幸福感が得られるのです。グルグルと悩んで考え込んでいるとき、まずすべきことは「運動」なのです。

運動をはじめられないワケ

    そうはいっても、「時間に余裕がない」「めんどうだ」という理由で運動をはじめない人はたくさんいるでしょう。そういう人は、「まとまった時間がないと運動ができない」と思い込んでいるのです。

    世界保健機関(WHO)の「必要な運動量」についてのガイドラインによると、「ウォーキングなど、中強度の運動を週150分。またはランニングなど、激しい運動を週に75分」という基準を出しています。そして、「早足で歩く」というのも中強度の運動に含まれます。

つまり、1日約20分だけ早足で歩くことができれば、必要最低限の運動量を満たせるということです。実際に、アメリカ国立がん研究所の研究結果は、「週150分の早歩き」によって4年半も寿命を延ばせることを示しています。そう聞くと、グッとハードルが下がるのではないでしょうか。

スキマ時間を運動で埋める

    わざわざジムに通ってハードな運動をしなくても、日々の生活で少しだけ気を遣うだけで、十分に運動の効果は得られます。

    まとまった時間をとれない忙しいビジネスマンのために、スキマ時間で確実に効果が出る運動法を紹介しましょう。

1 早歩きで通勤する

2 早足で階段を上る

3 立ったついでにスクワットする

4 ランチは外に食べに行く

5 平日も家事をする

このように、ちょっとした工夫で「運動時間」を簡単に捻出することができます。また、1日10分しか運動ができなかったとしても、がっかりする必要はありません。

    先ほどのガイドラインの「週150分」を満たしていなくても、1日10分の運動をしている人は死亡率が30%も減るという効果が実証されています。とにかく短くてもいいからはじめることが大事です。

樺沢紫苑(かばさわ・しおん) 精神科医、作家

    1965年、札幌生まれ。1991年、札幌医科大学医学部卒。2004年からシカゴのイリノイ大学に3年間留学。帰国後、樺沢心理学研究所を設立。「情報発信を通してメンタル疾患、自殺を予防する」をビジョンとし、YouTubeチャンネル「樺沢紫苑の樺チャンネル」やメルマガで累計50万人以上に精神医学や心理学、脳科学の知識・情報をわかりやすく伝える、「日本一アウトプットする精神科医」として活動している。

最新刊は『精神科医が教える ストレスフリー超大全』(ダイヤモンド社)。シリーズ70万部の大ベストセラーとなった著書『学びを結果に変えるアウトプット大全』『学び効率が最大化するインプット大全』(サンクチュアリ出版)をはじめ、16万部『読んだら忘れない読書術』(サンマーク出版)、10万部『神・時間術』(大和書房)など、30冊以上の著書がある。

YouTube「精神科医・樺沢紫苑の樺チャンネル」

メルマガ「精神科医・樺沢紫苑 公式メルマガ」


 今は膝の具合が良くないので、まとまった運動ができていない。夜は蛍を見に2.3回歩くのが楽しみなのだ。でも近すぎて1回500歩ぐらいしか進まない。ホタルの飛び交う様子を眺めるのも楽しいものだ。


引きこもったわが子と食事ができるように、両親が守った「社会的距離」

2020年07月24日 | うつ・ひきこもり

池上正樹:ジャーナリスト

 DIAMONDonline 2020.7.23 ライフ・社会 「引きこもり」するオトナたち

 4年生のときに大学を中退し、それ以来引きこもり状態になった息子。そんなわが子を焦らず、慌てず、あきらめずに見守り続けてきた両親がいた。今は家族で一緒に食事をできるようになったご両親は、息子に言われて「ソーシャルディスタンス(社会的距離)」を守ってきた。新型コロナウイルス感染防止の話ではなく、「親の子どもに対する介入の距離感」だ。(ジャーナリスト 池上正樹)

 

より多くの人が再現できる

引きこもり支援とは?

 前回の連載記事『引きこもり生活20年の40代兄が仕事で社会とつながるまで、妹の奮闘記』で、妹が20年以上にわたって引きこもってきた兄へのアウトリーチ(支援対象者への働きかけ)実践記を紹介したところ、引きこもっている本人やその家族らから数多くの反響が寄せられた。

 その妹は、家から出られない兄の心情に配慮し、「就労移行支援事業所のリモートワーク」ともいえる自宅の中で仕事ができる手法を編み出し、兄と社会とのつながりをつくりだした。

 筆者の元には「妹さん、すごい」という感動的な反応が多かった一方で、「家族がここまでやらなければならないのか…」という、ため息のような声も聞かれた。

 より誰にでもできるような、引きこもり支援の手法とはどのようなものか。そして、その手法をどのように共有していけばいいのか。

 筆者が7月16、17日に生出演したNHKの「クローズアップ現代+」と、「ネタドリ!」という2つの番組では、山梨県の精神保健福祉相談員である芦沢茂喜さんが当事者家族を訪問するシーンが紹介されていた。映像の中では、芦沢さんが引きこもる本人に向かって、部屋のドア越しに「私はそんなに偉い人ではないし、アドバイスできることもない」「ただ、今、何か困り事があるのではないかと思って…」などと、偉ぶらずに声をかけるシーンが印象的だった。

 国は、今年度から32億円の予算を付けて、引きこもっている人の訪問支援の強化に乗り出している。しかし、いろんな事情で引きこもり状態になっている本人からすれば、いきなり見知らぬ人が押しかけてきて、出てくるよう声をかけられること自体、恐怖でしかない。「支援」は、何かしらの暴力性をはらんでいる。

「支援」に評価基準はない。従来は、例えば「半年以内に就労させる」などの数値化されたノルマがあり、支援者側が数値を上げようと焦って先回りして結論を急ぎ、本人を傷つける事態が起きていた。

 しかし、本来の「支援」は、1人1人の中にある傷や恐怖に向き合っていかなければいけない。それには、丁寧なやりとりを通じて本人の意思を1つ1つ確認していく作業が必要で、膨大な時間や手間がかかる。

 評価の基軸はそれぞれが「幸せになる」ことであるはずなのに、それは数値化しにくい。

 山口大学大学院医学系研究科の山根俊恵教授は、月1回の家族心理教育実践編を5グループも開催していて、全国から家族が相談に訪れる。拠点になっているのは、山口県宇部市にあるNPO「ふらっとコミュニティ」で、ひきこもり家族会や居場所なども開設している。

 そんな山根教授が最近、ある父親から嬉しい報告をメールで受け取ったという。家族心理教育に参加している母親の話だ。

両親の息子は、大学を4年生で中退し、引きこもり状態になった。

 息子は部屋からまったく出てこなくなり、生活音もしない。生きているのかどうかも分からない。声をかけても返事がない。何年も顔を見ることができず、母親は毎日食事をドアの前に置いて「お供え」をしている状態だった。

 山根教授は家族心理教育で、少しずつ引きこもった本人が自分で動きだせるように、親の対応や声がけの方法を具体的に伝えた。

 親が不在の時に1階に降りてきた形跡があった段階で「お供え」をやめ、「ごはん用意してあるよ」と声だけかけて、親は部屋から出てこないようにする。そうすると、息子は1階に食事を取りに来るようになった。親がいないときには部屋の扉が開き、犬の散歩を始めた。さらに、足音などの生活音が親にもはっきり聞こえるようになった。

 最近では、親がメモで依頼すると洗濯物の取り込みなどができるようになった。7月に入ると、息子は自ら部屋から出てきて両親と話をするようになった。この日から、親子で食事も一緒にしている。

 山根教授は、母親と出会ってから2年間、一緒に頑張ってきた。焦らず、慌てず、あきらめない。本人が動けるように仕掛けて、積極的に待つ。そうすることによって、少しずつ引きこもっていた息子が変化してきたという。

 7月19日、山根教授の家族心理教育の日曜グループにてこの母親が、顔を合わせることができなかった子どもと食事ができるようになるまでの報告をすると聞き、筆者もオンラインで参加した。

 ある日、父親がリビングに座っていると、息子が突然2階から降りてきて、父親と話をしたのだという。母親は仕事先で不在だったが、父親から「今、息子と話をしている。帰ったら、“ご飯誘ってあげて”」とLINEのメッセージが届いた。予期せぬ出来事だった。

 母親は職場で長い間、自分で書き溜めてきたノートを取り出し、「言ってはいけないこと」や「踏み込んではいけないこと」を復習。落ち着いて臨もうと自分を戒めた。

帰宅すると、息子は普通に話をしてくれた。「抱きついてはいけない」というアドバイスを思い出した。その衝動を抑え、普通に接することの方が大事だと実感した。

 息子はご飯を一緒に食べ、話をしてくれる。家の手伝いもしてくれるようになった。山根教授から、「生きる力を伝える」と教わっていたので、一緒にご飯を作ったり、買い物に行ったり、家の手伝いにも参加してもらっている。

 親子の会話は、長年途切れているとお互いに緊張する。しかし、テーマをつくることによって会話ができるようになった。

 息子からは「ソーシャルディスタンス(社会的距離)を守ってくれ」と言われる。これは、新型コロナウイルス対策の話ではなく、親の介入に対する距離感だ。

 母親は、こう話す。

「山根先生から『出てくることも引きこもることも本人の意思です。強引に扉をこじ開けるのは違う』と言われ、本人が出ようと思うまで待とうと自分でもそう思えたときから変わってきたのかもしれないですね。先生から『大丈夫だ』と言われ続けたことが支えになり、私たち親にもゆとりが生まれたのかもしれない」

 止まっていた時間が、動き出した。

「つらい思いをさせて、悪かったね」

 母親が言葉をかけると、こう息子は答えたという。

「お母さんは、ドアの前で『悪かった』と言っていたけど、『それは違う』と、いつか伝えたいと思っていた。つらかったところに帰るのではなく、前に向かって歩きたいから」

 引きこもり支援は、本人を外に連れ出そうとか変えようとするのではなく、まず疲弊した家族の支えになって寄り添い、本人の状況に応じた対応や声がけなどをサポートしていくことが大切だ。

※この記事や引きこもり問題に関する情報や感想をお持ちの方、また、「こういうきっかけが欲しい」「こういう情報を知りたい」「こんなことを取材してほしい」といったリクエストがあれば、下記までお寄せください。

Otonahiki@gmail.com(送信の際は「@」を半角の「@」に変換してお送りください)

 なお、毎日、当事者の方を中心に数多くのメールを頂いています。本業の合間に返信させて頂くことが難しい状況になっておりますが、メールにはすべて目を通させて頂いています。また、いきなり記事の感想を書かれる方もいらっしゃるのですが、どの記事を読んでの感想なのか、タイトルも明記してくださると助かります。


今夜8時、全国花火大会。1分半ほどの短いものらしい。3密を避け場所等は不詳。

今日もお散歩中止。
歩こうと100mほど進んだところで膝に違和感。戻ってきました。

朝収穫して井戸水で冷やしたスイカ。やっぱり夏はこれでしょ!

 


限界状態がもたらす残忍さ

2020年07月23日 | 社会・経済

note  さわぐり

2020/07/11 

    高福祉、高負担と呼ばれる福祉国家デンマークでも、福祉への公的投資が無限にできるわけではない。児童・高齢者福祉の予算は、多くの市でここ何年にも渡って削減されてきた。政府も、財政を圧迫する福祉への公的投資について、何度も削減の方針を立ててきた。その限界が、ついに表面化してきたのだろうか。あるいは、それだけでは説明できない何かがあるのだろうか。

    2019年春、コペンハーゲンの保育所に隠しカメラが入った。カメラには、入所して間もない14か月の女の子が、不安のために泣き叫んでいる様子が収められた。女の子のそばにいた保育士は、「面倒を見るのはあんただけじゃないんだよ、なんて自分勝手な子!」と罵倒したり、その女の子を抱き上げ、無理やり移動させて、泣いているその子を無視しつづけた。ドキュメンタリーとして放映されたその映像は、すぐにネットメディアでも広まった。コペンハーゲン市では、その後、どの保育所が悪質なのかという情報が出回るなど、多くの人々の関心を呼んだ。

    この事件は全国の保護者に衝撃を与えた。デンマークでは保育士の配置基準は市によって異なり、ここ10年ほど悪化しているという。今回の事件も、保育士不足がそもそもの原因だろうと言われた。そして、保護者からは法律で保育士の配置基準を定めるべきだという声が上がり、それは国会前でのデモへと発展していった。昨年夏の国政選挙でも、保育士の配置基準について、多くの政党が公約として掲げ注目を集めた。

    そして先日、今度は第二の都市、オーフス市の高齢者施設で、認知症の女性が、精神的、身体的に職員から虐待を受けている様子が隠しカメラで撮影され、公開された。体調不良から、頻繁な排泄介助が必要な女性に対し、職員はその状況を認識しながらも、何時間もおむつ交換をしなかったり、女性に身体的な負荷をかけて対処しようとした。女性が痛みを訴えている声とともに、衝撃的な映像が市の反対を押し切って、ある新聞社のサイトで公開された。

    この女性の動画を公開した親族は、インタビューの中で、自分たちの祖母への対応改善を何度も施設や市に依頼したが、対応が不十分であったためにこのような方法を選んだと語り、身内がこんな介護を受けていることは、とうてい受け入れられないと語った。政府の高齢者担当大臣や、関係諸団体は動画の公開後、即座に対応を協議すると語った。

上記の保育士も介護士も、即解雇となった。

    さて、ここまで読んで、あなたはどのような感想をもたれただろうか。デンマークもやっぱり良いことばかりじゃないんだな、とか、こういう北欧の闇は見えないように隠されているだけで、実際には多いんだなと思われただろうか。このような出来事について書くのは、あえてデンマークの汚点を晒して、良いことばかりが語られるこの国を、ここぞとばかりに批判したいからではない。むしろ、その点だけに注目が集まってしまう可能性を考えると、このような事件について書くのをためらってしまうのも事実だ。でも、日本でも、いや世界中どこでだって起こりうる、このような悲しい出来事に対し、ある国の人々がどのように考え、語っているのかを伝えることも、もしかするとありかもしれないと思い、今回その中からひとつを選んで書いてみることにした。だから、この記事を最後まで読んでいただけたら嬉しい。

    高齢女性への虐待について、様々な記事を読んでいたところ、ある心理カウンセラーの記事が目に留まった。この女性、ドーテ・ビアクモーセ(Dorthe Birkmose)氏の意見は、もしかしたら、専門家の間では特に目新しいものではないかもしれない。でも、こういった悲しい事件が起こると、いつも、わたしは何かもやもやとして言語化できないものがあるのだけど、それを彼女が専門家としてとても興味深く説明していると感じたので、ここで紹介したいと思う。

    ビアクモーセ氏によると、今回のような虐待をメディアが暴露することは、デンマークではここ20年ほど続いているのだそうだ。

    保育士や介護士の対応が残忍であること、それはわたしたち自身の日常でも起こっていることだ、とビアクモーセ氏は指摘する。残忍さというのは、自己防衛のため、置かれた状況の中でサバイバルするためのメカニズムなのだそうだ。例えば、人手不足から、必要なケアをしようともがくものの、どうしても対応できないとき、わたしたちは不安やストレスを感じたり、衝動的に行動してしまう。そして、相手に理不尽な対応をしたり、または相手の欲求を無視したりすることで、自己防衛しようとするのだそうだ。

    「多くの親御さんたちは、そういう状況をよく知っているはずです」と彼女は言う。そう、例えば朝晩の忙しい時間帯に、子どもに無理やり、自分の言うことを聞かせないといけないような状況で、わたしたち親は、厳しく子どもを叱りつけたり、大きな声をあげて、有無を言わせずこちらの意図通りに行動させようとすることがある。後で罪悪感でいっぱいになるけれど、状況的に、そうせざるを得ないと判断して、小さな子どもに声をあげることがある。ほとんどの親はそういう修羅場をくぐっている。

ビアクモーセ氏はさらに続けてこう言った。

    「どれだけ優秀な職員であろうと、どれだけケアをしっかりしたいと頑張っていようと、人手が足りない、自分だけではカバーしきれないという状況になったとき、その場では、だれかを後回しにしなければいけなくなります。そのような状況が続けば、職員はストレスから無力感が高まってきます。そして、現状から目を背けようとして、相手に酷い言葉をかけたり、無視したりといった残忍性が高まっていくのです。これは、そのような状況に置かれる人の防衛反応なのです。そのような状況で、今回隠しカメラが入った、ということなのです。

    わたしの経験から言えることは、これほどの残忍な対応をするようになるまでには、相当な時間がかかっているはずです。疲れていて、イライラして、そして、もうどうでも良いと思わざるを得なくなってくる。そうして、少しずつ残忍性が高まってくるのです。子どもや高齢者を笑いものにし、無視しはじめる。そして、彼らに厳しく対応することで、一瞬ですがストレスを感じている状況が楽になります。残忍な対応をすることで、どうしようもない状況を切り抜けられたという感覚になります。そうやって、残忍性は続いていくのです。」

    ビアクモーセ氏は、この高齢者施設で起きた様子を見て、介護職員たちの口調から、ここまでの虐待に至るまで、かなりの時間を経ているはずだと言い、どうしてこの職員たちの置かれた状況について、これまでだれも手を差し伸べてこなかったのか、社会で議論してこなかったのかという視点が必要だと語る。

    人は過剰なストレスに晒された時、他者に対して残忍になる。これは心理学的に見ても明らかなのだそうだ。さらに、保育や介護の現場では、人手不足を解消するだけでこの問題が自動的に解消するのではない、とビアクモーセ氏は付け加える。なぜなら、相手は人間だから。衝突が起こることは、時に避けられないから。

    職員を解雇するだけでは、問題は解決しないとビアクモーセ氏は語る。そもそも、既にその職員自身が問題をかかえており、助けを必要としている状況なのだと。解雇するだけでは、また同じような状況が別の場所でひっそりと行われるだけだと。

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    高齢者担当大臣は、今回の事件を受けて、高齢者部門への予算を引き上げ、介護士の教育を徹底していきたいと語っている。教育で、虐待が防ぎきれるのだろうか。もしかすると、ビアクモーセ氏の語るように、職員自身がSOSを出しやすい状況を作っていくことを、もっと議論しなくてはいけないのかもしれない。

    日本でも、3歳の女の子を放置して虐待死させたというニュースがあったと聞いた。わたしは怖くてそのニュースを読むことができない。でももしかすると、ビアクモーセ氏の言葉が、その事件や、他の様々な虐待事件の何かを理解するきっかけになるかもしれないとも思う。

亡くなられた小さな命のご冥福を心からお祈りします。


今日の散歩道。
 今日の散歩も中止。仕事上、ある程度歩くのだがいまいち膝に不安を抱えての歩き方になっている。無理は禁物!
キフナツリソウ

 


東京女子医大で看護師大量退職へ 強気経営の陰に“女帝”の存在

2020年07月22日 | 社会・経済

  吉崎洋夫2020.7.22 09:00週刊朝日

    新型コロナウイルスの第2波到来が懸念される中、話題となっている新宿・歌舞伎町の目と鼻の先にある東京女子医科大病院で、経営者側と職員らがもめている。中堅看護師に話を聞くと「馬鹿にするにも程がありますし、火に油を注がれた気分です!」と烈火のごとく怒りだした。何が起きているのか。

 発端は、夏季ボーナスの不支給問題だ。病院側は6月12日、コロナによる患者数減などで大幅に収支が悪化したとして、ボーナスの不支給を決めたと教職員に通知した。労働組合の資料などによると、病院側の対応に不満を持った看護師の退職希望者の予想数が400人超と言われている。

 東京女子医大といえば、かつては名門で知られたが、医療事故などにより2002、15年と、2度の特定機能病院の承認取り消しという問題を起こし、患者数減などによる赤字経営に転落した。

「職員の給与は削減されてきた一方で、大学側は無駄ともとれる出費を繰り返している」と先の看護師。最近では、理事長室の移転などの設備投資に6億円をかけるという。

「病院側は『理事長室だけで6億円ではない』などと言いますが、人件費とてんびんにかけて設備投資を選んだことに変わりはない。私の6月の給料は初任給よりも低かったんです。減給とボーナスカットで悩む従業員を横目に、今日明日に倒壊するわけでもない理事長室にお金をかける必要があるのでしょうか」

 別の看護師も「病院や理事会の対応に憤りを感じている」と漏らす。組合の資料によると、看護師の退職希望者の件について病院側は「足りなければ補充するしかない。現在はベッド稼働率が落ちているので、仮に400人が辞めても何とか回るのでは」と強気の対応だったという。

 こうした経営方針の背景には何があるのだろうか。看護師らが口をそろえて言うのは、創立者の一族で、昨年理事長に就任した“女帝”の存在がある。

「気にくわないことがあると資料を職員に投げつけるなど、パワハラ的なところがあると聞いています。周りも意見が言えなくなっているようで、独裁的に振る舞っているともよく聞きます」(30代看護師)

働き方改革総合研究所の新田龍代表のもとには多くの内部告発が届いているという。

「ずさんな経営が行われており、違法性が疑われる言動が見受けられる。以前から退職者が多く、2年目の看護師でもベテラン扱いになるような状態。それが医療ミスにつながっているとの声もある。創立者一族が経営し、14年の医療事故の際でも経営者が責任を取らないなど組織が機能していないように見える」

 病院側に今回の騒動など事実関係について尋ねたが、明確な回答はなく、教職員に通知した、病院側の立場を説明する資料が送られてきた。その中には、7月17日付で「ボーナスを支給する方向」との通知もあった。

 コロナ感染者が増えている現状、身内でのゴタゴタは避けて、対策に力を入れていただきたい。(本誌・吉崎洋夫)   
    ※週刊朝日  2020年7月31日号


 昨日からの雨、恵みの雨でした。もう少し欲しいところですが、またの機会を・・・・・

しっとりと土も湿っています。

トウキビに実が入り始めています。害獣対策で網を張る予定です。あまり効果は期待できませんが合わせてラジオを鳴らし、一晩中しゃべっててもらいます。

絹さや。雨の中収穫しました。


余ったキューリ、採れすぎキューリ。

2020年07月21日 | 食・レシピ

きゅうりを干しておいしいの?干すと生より歯ごたえあっておいしい!お酒のつまみや夏休みの自由研究にも

井出留美 | 食品ロス問題ジャーナリスト・博士(栄養学)

YAHOOニュース個人7/21(火) 

きゅうりを半干しし、胡麻油・酢・だし醤油を混ぜた調味液に漬けたもの(筆者撮影)

ハウス食品の食品ロス調査で、家庭で最も食品ロスになる食品の1位はきゅうりだった。

ハウス食品の調査結果「家庭でロスにしてしまった食品」(ハウス食品の公式サイトより)

農林水産省の食品ロスの統計調査でも、家庭で食品ロスになる食材のトップは、圧倒的に「野菜」だ。

生産地では大量にとれるので、ついワンパターンの食べ方になり、食べ飽きてきたりする。そんなとき「きゅうりを干す」という方法がある。

きゅうりを干しておいしいの?

料理研究家の有元葉子(ありもと・ようこ)さんの著書に『「使いきる。レシピ』(講談社)というのがある。ここに、『「干す」という知恵』という項があり、きゅうりの「半干し」が、しこしことして歯ごたえがよく、おいしい、と紹介されている。

今まで一度もやったことがなく、興味はありつつも、「きゅうり干しておいしいのかなあ」と、半信半疑な気持ちだった。

ところが、長野県に住んでいる身内から、山のように自家製きゅうりが送られてきた。

とれたてのきゅうりは、「とげとげ」がしっかりしていて、やわらかく、野菜スティックにして、味噌マヨネーズでポリっと食べるのがおいしい。

でも、いくらなんでも10本以上あれば、そればかりでは食べ飽きてくるし、日持ちもしない。

そこで、生まれて初めて、きゅうりを干してみた。

ざるの上できゅうりを干す

きゅうりを、厚みが5mmくらいの、斜めの輪切りにして、ざるの上に並べて、ベランダに置いておいた。

ざるに並べた、斜め輪切りのきゅうり(筆者撮影)

有元葉子さんによれば、「からりと晴れた日に屋外に干すのが理想だが、天気が悪ければ、切ってざるに並べて室内に置いておくだけでも、野菜の表面が乾いた半干し状態になる」という。

ちょうど天気もよかったので、ほどよく乾いた。

水分がほどよく抜けた「半干し」状態のきゅうり(筆者撮影)

これを、ボウルに入れて、胡麻油・酢・だし醤油を混ぜた調味液に浸けて、しばらく冷蔵庫に置いておいた。

ちょうど夕飯どきに、鷹の爪(赤とうがらし)を輪切りにしたものをかけたら、おかずやお酒のつまみの一品になる。

胡麻油・酢・だし醤油を混ぜた調味液につけた「半干し」きゅうり(筆者撮影)

流れとしても、シンプルで簡単だ。

1、きゅうりをざるに並べ→2、半干しして→3、甘酢醤油で和えて食べる(筆者撮影・作成)

一度、半干しきゅうりのおいしさを知ると、今度は生だと歯ごたえが少なくて物足りなくなるくらいだ。

簡単なので、何度もやってみた。あまり厚く切らないほうが、乾きやすい。一度、分厚く切ったら、なかなか乾かず、失敗してしまった。

半干しきゅうりは、漬物にするほか、豚肉と炒めてもおいしいそうだ。

固定観念や思考停止からの脱却でおいしく食品ロスが減らせる

半干しのきゅうりが予想以上においしかったので、調子にのって、同じレシピ本に載っていた「きゅうりのドライカレー」というのもやってみた。これも、「きゅうり炒めておいしいの?」と半信半疑だったが、ひき肉に絡めたカレー粉の香りも食欲をそそり、おいしく食べられた。ほかにもナスやズッキーニ、モロッコいんげんなども使ってみた。

これは一例だが、「きゅうりはサラダか野菜スティックのみ」と考えていると、そこから発想がまったく広がらない。「干す」という選択肢は、夏の季節にもぴったりだと思う。

家庭で食品ロスにしやすい食材には、他にも調味料がある。これも、実はケチャップは薄めると「だし」として使える、とか、ナンプラーは魚醤なので、冷奴や味噌汁の隠し味にも使える、など、固定観念にしばられなければ、最後まできっちり消費することができるようになる。

今年は夏休みが短くなる学校も多いかもしれないが、夏休みに子ども自身が取り組む研究テーマとして「食品ロス」はうってつけだ。家の冷蔵庫の中の食材の賞味期限や消費期限を調べてみるのでもいい。きゅうりを干す、のように、今まで家族の誰も干したことのない野菜を干してみるのもいい。

コロナ禍で、今ある食材を上手に使いきる工夫を体感した人も少なくない。ぜひ、一度やってみて、「半干し」のおいしさを味わってほしいと思う。


 我が家でもキューリを栽培しているのでいびつキューリ、くねくねキューリなど、人様にもあげれないものがたくさん出る。キューリは、煮込んでも、炒めてもうまい。

 今、久々の雨が降っている。明日も断続的に降ってくれるようだ。恵みの雨。

日曜日、ひざを痛めてしまい今日夕方に整骨院へ。すごく楽になった。明日もまた行ってきます。


ブルーインパルス4機に削減で「五輪マーク描けない」問題浮上

2020年07月20日 | 自然・農業・環境問題

 2020/07/20 週刊ポスト2020年7月31日・8月7日号

 5月末、医療従事者への敬意を示すため東京上空に飛来した航空自衛隊のブルーインパルス。7月24日に開会するはずだった東京五輪の開会式では、新国立競技場上空で五輪マークを描く予定だった。

 しかし、ここにきて河野太郎・防衛相がブルーインパルスの編成を「6機から4機にする」と発表したのだ。軍事ジャーナリストの竹内修氏が語る。

「ブルーインパルス所属のT-4は国産練習機で、運用開始から30年以上経過した古い機材です。昨年4月、三沢基地に配備中のT-4がエンジントラブルを起こしたことからタービンブレードの破損が判明し、車でいう“リコール”がかかりました。全国に配備される約200機の部品交換に時間を要し、ブルーインパルス所属機の部品を、優先度の高い訓練機に回さざるを得ない事態に陥っているのです」

 この影響で、昨年前半は4件の航空祭参加がキャンセルに。その後、2~3機でイベント飛行を強いられることもあった。

 河野防衛相は会見で「必要なタイミングで6機に戻したい」との見解を示したが、このままでは東京上空に5つの輪を描くことは難しい。

「整備・改修などでエンジン数が逼迫している上、ブルーインパルスのパイロットが“飛ばずに技量を維持”できるか、という問題もあります。何も目印がない空に五輪を描くのは至難の業。高度な技量を持ち合わせているとはいえ、間際になって『6機に戻す』と言われても、パイロットには大きな負担となるはずです」(竹内氏)

 もっとも、五輪が中止されればブルーインパルスの出番もない。今年3月、松島基地で五輪飛行が披露されると、五色の輪は強風に流されたちまち雲散霧消した。これも暗示だったのだろうか。

※週刊ポスト2020年7月31日・8月7日号


 「ブルーインパルスの時代ではない」と何度も申し上げてきた。花火のほうが自然にも人の気持ちにも優しい。東京オリンピックのメイン会場は、木材を使った自然に優しい、環境にやさしいを売りにしていたのではなかったか? このチグハグさ。「ブルーインパルス」永遠に消え去ることを望む。オリンピックの中止も。

 明日夕方より☂マーク。長い時間でもないし、雨量もそれほどではないようだ。でも、助かる。


花の画像を数秒見るとストレスが減る科学的な理由

2020年07月19日 | 健康・病気

2020.7.19 健康 ヘルスデーニュース

花の画像を数秒見るだけでストレスは軽減される

 花の“癒し効果”が科学的に証明された。ディスプレイに表示された花の画像を見るだけでも効果があるという。農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構)の望月寛子氏らの研究によるもので、詳細は「Journal of Environmental Psychology」6月号オンライン版に掲載された。

 花を見ると気分が癒されることは多くの人が経験的に理解しているし、プレゼントやお見舞いに花を届けるという習慣も社会に定着している。しかし、花の鑑賞によってストレス反応が本当に軽減されるのかどうかは十分に検証されていない。望月氏らは、その実証を試みた。

 検討に先立ち、大学生34人(平均年齢20.3歳)に「花と聞いてどんな形を思い浮かべるか」と質問したところ、約6割が、丸を中心に花びらが広がっている絵を描いた。これを参考に、農研機構が育成した「キクつくば1号」という花の画像を、以下の実験に用いた。

 最初に行ったのは、花の鑑賞による血圧や情動への影響を調べる実験。対象者は35人(平均年齢24.4歳)。ディスプレイに不快な画像(事故場面、ヘビや虫など)を6秒間表示した後、花、青空(心地良い画像)、椅子(不快でも心地良くもない画像)の3種類の中から一つを6秒間表示し、その後26秒間は何も表示せず、この間の血圧と情動スコアの変化を調べた。これを一人に対して花、青空、椅子を各10回、計30回、ランダムに施行しその平均を評価した。情動スコアは最もネガティブな感情を「-3点」、最もポジティブな感情を「+3点」とし、対象者自身に採点してもらった。

その結果、血圧は不快な画像が表示されている6秒間に上昇、画像が切り替わると低下し、花の画像が表示された時の低下幅は最大3.4%に達した。花の画像が表示された時の平均血圧は、青空や椅子の時に比べ約2mmHg有意に低く(P<0.05)、有意差のある状態が8秒間続いた。情動スコアについては、不快な画像から花または青空に切り替わった時に有意に上昇し(いずれもP<0.01)、マイナスからプラスに転じたが、椅子が表示された場合はマイナスのままだった。

 次に行ったのは、コルチゾール(ストレスホルモン)への影響を調べる実験。対象者は32人(平均年齢21.6歳)。不快な画像を4分間表示した後、花、または花のモザイク(使われている色は花と同じ緑や白など)を8分間表示し、唾液中のコルチゾール濃度を測定した。その結果、花を表示した時にコルチゾール濃度が約21%有意に低下した(P<0.01)。一方、花のモザイクを表示した時には有意な変化は見られなかった。

 続いて、fMRI(機能的磁気共鳴画像法)を用いて脳活動を検討した。対象者は17人(平均年齢25.5歳)。不快な画像を表示した後に、花、花のモザイク、固視点(十字の印)を表示し、脳活動の変化を比較したところ、花を表示した時のみ、脳の右半球の扁桃体から海馬にかけて活動が有意に低下することが判明した(P<0.05)。海馬は記憶に、扁桃体は情動に、それぞれ重要な役割を果たす領域であることから、花の画像を見たことでこれら二つの領域の活動が低下して、不快な画像の記憶やネガティブな情動が抑制されたと考えられる。

 これらの結果から研究グループでは、「花の画像がストレス軽減に有効なことが明らかになった」と結論づけている。そのメカニズムとして、花の画像を見ることにより、ストレスから意識をそらす「ディストラクション効果(気そらし効果)」と呼ばれる作用が働いた可能性を考察している。

 なお、今回の研究には花の画像を用いたが、本物の「生花」は画像よりもストレス反応の低減により効果的であることが推察される。ただし生花の観賞が、血圧や心血管疾患、うつ症状などの改善に、どの程度寄与するのかは不明だ。望月氏は、今後の検討でこれらを明らかにしたいと語っている。(HealthDay News 2020年7月13日)


 昼過ぎ、立ち上がった時に左のひざを痛めてしまった。まだ痛みがあるので、今日のお散歩は中止。

わたしの「カップ園芸」を一部紹介します。
おちょこですね。


雨を分けてほしい。

アジサイも水不足でよれよれ。
ハウス内は午後3時でも38℃超え。こちらの観測地点では30℃に届かなかったようなんですが、日差しがたっぷりでした。
 トウキビが実をつける重要な時。雨が・・・・・


赤木さんの妻が裁判で「安倍首相は逃げている」と陳述! 直前には真相解明の覚悟を小川彩佳に…「刺せるもんなら刺してみろ、と」

2020年07月18日 | 社会・経済

  リテラ2020.07.15

    学校法人「森友学園」を巡る公文書改ざん問題で自殺した近畿財務局元職員・赤木俊夫さんの妻・雅子さんが、国と財務省・佐川宣寿元理財局長に損害賠償を求めて訴えた裁判の第1回口頭弁論が、きょう、大阪地裁で開かれた。

 雅子さんは法廷で自ら陳述書を読み上げたが、その内容は俊夫さんの無念を晴らしたい、真相を解明したいという覚悟がひしひしと伝わってくる迫真に満ちたものだった。

「夫が自ら命を絶った原因と経緯を明らかにし、夫と同じように国家公務員が死に追い詰められることがないようにするため、そして、事実を公的な場所で説明したかったという夫の遺志を継ぐため、国と佐川さんを訴えるところまで進みました」

 雅子さんはそう切り出したあと、夫の俊之さんが改ざんに抵抗しながらも強要され、死を選ばざるを得ないところまで追い詰められた経緯を説明し、夫の自殺後、真相が知りたいという自分の思いを国が裏切り続けてきたことを批判した。そして、財務省や安倍首相にこう迫ったのだ。

「安倍首相は、2017年2月17日の国会で、安倍首相や安倍昭恵さんが森友学園の国有地払い下げにかかわっていたら総理大臣も国会議員も辞めると発言しました。

財務省秘書課長は、2018年10月、私に対して、『この首相の発言によって野党が理財局に対して資料請求するなど炎上したため理財局は改ざん前の文書を出せなかった。その意味で、首相の発言と改ざんは関係がないとは言えない』と言いました。

 安倍首相は、自分の発言が改ざんの発端になっていることから逃げているのではないでしょうか。安倍首相は自分の発言と改ざんには関係があることを認め、真相解明に協力して欲しいと思います。安倍昭恵さんも森友学園への国有地売却の関係を明らかにしてほしいと思います。

 上司も、上司の前任者も『裁判になれば本当のことを話します』と私にハッキリと言いました。この裁判では、前任者には安倍昭恵さんと籠池夫妻のいわゆるスリーショット写真がどのように国有地の取引に影響したのかを、上司には国有地値引きと決裁文書改ざんをめぐり近畿財務局の中で何が行われたのかを話して頂きたいと思います」

 さらに、雅子さんは裁判所に対してもこう求め、陳述を終えた。

「訴訟の手続きは私には難しくてわかりませんが、ぜひとも夫が自ら命を絶った原因と経緯が明らかになるように訴訟を進めてください。夫が作成したファイルを含めてできるだけたくさんの資料を集め、できるだけたくさんの人の尋問を行って事実を明らかにしてください。そしてその上で、公正な判決を下してください。よろしくお願い致します」

 メディアやジャーナリストが御用化する中、強大な権力を前にひるまず、真相解明を迫る雅子さんの毅然とした姿勢には頭が下がるが、雅子さんはおそらく最初から、こうした覚悟があったわけではない。覚悟をもたざるをえない状況に追いやられ、やむにやまれず立ち上がったのだ。

 そのことがよくわかったのが、昨日14日の『news23』(TBS)で放送されたキャスターの小川彩佳による雅子さんへのインタビューだった。

 小川は7月3日を最後に産休に入って番組を休んでいたが、このインタビューのために、一時的に復帰したのだという。その小川の姿勢が伝わったのか、雅子さんはインタビューで、当時の俊夫さんの様子はもちろん、これまであまり語っていなかった自分の心情の動きについても、克明に語っていた。

自死していた俊夫さんをみて「殺されたと思ったから110番に」

 雅子さんはまず、裁判を起こした理由を聞かれ、涙声でこう切り出した。

「私あんまり人生に後悔することがないんだけど、夫のことだけは後悔すごいしているので。夫のことに関して、もう後悔したくないので」

「夫は改ざんしてから人が変わってしまって、鬱になって亡くなる3カ月前ぐらいからは、人格も変わって、壊れてしまって、私はずっと隣にいたのに、助けてあげられなかったこととか、私には手段がなかったので、今はできる限りのことをやりたいと思います」

 そして、夫の俊夫さんが公文書の改ざんを強要され、自殺するまでの日々をふりかえり始めた。

 雅子さんは、俊夫さんが改ざんを強いられたときから、俊夫さんの異変に気がついていたという。

「改ざんした日から、コロッと様子が変わって、口数も減って、喋らなくなったので」

 小川が「何があったのか、お話はされたんですか」と問うと、当時、俊夫さんの口から改ざんを示唆する言葉を聞いたことも証言した。

「内閣が吹っ飛ぶようなことをしてしまったんやって言ってたこととか、僕はやってはいけないことをやってしまったんやー、とすごい後悔したような言葉を言うようになりました」

 改ざんから4カ月ほど経った2017年7月、俊夫さんはうつ病と診断され、仕事を休職せざるをえなくなる。しかし、そのあとも、財務省や佐川局長の姿勢は俊夫さんと雅子さんを追い詰め続けた。

「佐川さんが答弁している姿を、仕事行けなくなってからもずっと(テレビで)見て、もうすごい悔しい思いをしてたんですね。また嘘ついてる、みたいな感じで見てた」

「とにかく、誰に助けを求めていいのかわからなかったので、2人とも孤独で、夫は絶望して、誰か助けて!って、いつも2人で泣きながら生活していました」

 そして2018年3月、俊夫さんは〈雅子よ、これまで本当にありがとう。ごめんなさい、怖いよ。心身ともに滅入りました。最後は下部がシッポを切られる。なんて世の中だ。手がふるえる。怖い。命、大切な命、終止符。〉と綴った遺書を残して、自ら命を絶った。

 雅子さんはそのときの心情もこのインタビューで克明に語っている。気になって早めに仕事を切り上げ帰ってきたところ、変わり果てた俊夫さんを発見した雅子さんだったが、まず電話をしたのは、警察だったという。

「もう、パッと見て、なくなっているのがわかったので、救急車じゃなくて、殺されたと思ったので110番しちゃったんですけど」

「殺されたと思った」という言葉に反応した小川に、雅子さんは「自殺したことは間違いないけれど、森友のことで苦しめられて、殺されたっていう思いが私の中にはあったので」と説明。119番に改めてかけ直して、救急車が到着した後の思いを涙まじりにこう語っていた。

「まだ温かくて、これでやっと楽になれたねーって思って。今からやっと助けに来てくれる。救急車の人がきてくれるから、やっと助けてもらえると思って。もう死んでしまったけど、初めて夫を助けに来たのは救急車の人やと思います」

赤木さんの妻の覚悟「刺せるもんなら刺してみろ、と思って」

 この言葉からも、当時の俊夫さんの苦しみと雅子さんの絶望の深さがひしひしと伝わってくる。

 しかも、夫を失った雅子さんに対して、財務省は真相隠蔽のために圧力までかけていた。今回の『news23』のインタビューで、雅子さんは俊夫さんの死後、自らが体験した財務省の官僚とのこんなやりとりもを明かしていた。

「(財務省から)とにかく、これ(手記)を、マスコミの方に出すと大変なことになるから、出すなっていうことと、見せてくれということを言われました」

 しかし、雅子さんはこうした圧力に屈することなく、立ち上がった。今年3月には財務省の改ざん指示を告発した夫の手記を公開し、第三者委員会による再調査を求めて約35万筆の署名を集め、今年6月に国に提出した。

 それは、俊夫さんと絶望の日々を共有し、その無念をだれよりも知っていたからだろう。そして、雅子さん自身が俊夫さんの手記、安倍政権や財務省の卑劣な動きなどから、夫を追いつめた公文書改ざんが政権ぐるみの組織的な不正であることを確信するようになったからではないか。

 安倍首相や麻生太郎財務相は35万超の署名が集まっても、再調査を拒否している。しかし、雅子さんはまったくひるんでいない。

『news23』の取材で、裁判を控え不安はないのかと尋ねられた雅子さんはきっぱりこう答えていた。

「不安とか恐れとかっていうのはもちろんあります。目に見えない大きなものを敵に回してしまったっていうことをすごく感じるし。でも思ったより今は怖くなくって。正しいことを知りたいという気持ちだけなので。まあ、“刺せるもんなら刺してみろ”と思って(笑)。なので普通に生活してます」

 だらしないマスコミはこの言葉を肝に銘じるべきだろう。そして、この裁判の模様を最後まで報じ、公文書改ざんの真相をきちんと解明する覚悟をもつべきではないか。  (編集部)


 GoToキャンペーンにかなりの批判が集まっている。検査も受けていない人たちが右往左往するのだ。それよりも、GoTo修学旅行を実現させてあげたいと思うのだ。部活の全国大会も修学旅行も中止ではあまりにかわいそうだ。もちろんしっかりと検査をしたうえでの話である。

大玉トマトルネッサンス色付く。

散歩道。

 


雨宮処凛がゆく! 第527回:生きる意味・価値を問うという傲慢〜『谷間の生霊たち』と相模原事件・傍聴記。

2020年07月16日 | 事件

マガジン9 2020年7月15日
     https://maga9.jp/200714-1/

 45年前に書かれたその小説は、「相模原障害者施設殺傷事件」を、そして現在のコロナ禍の医療現場の逼迫を奇妙に予言するような内容だった。

 その小説とは、『谷間の生霊たち』。著者は朝海さち子。1975年、私が生まれた年に出版されたこの小説は、第10回太宰治賞を受賞している。しかし、著者の名前も小説タイトルも私はまったく知らなかった。

 教えてくれたのは、現在発売中の『季刊 福祉労働』167号で対談した荒井裕樹さん。二松学舎大学文学部准教授で、障害者運動に非常に詳しく、『どうして、もっと怒らないの? 生きづらい「いま」を生き延びる術は障害者運動が教えてくれる』などの著書がある。荒井さんと対談したのは、『福祉労働』のこの号の特集が「津久井やまゆり園事件が社会に残した『宿題』」だったため。荒井さんと私は巻頭で「『生きさせろ!』が笑われる世の中にどう抗うか」というタイトルで対談している。ちなみにこの特集、もう鳥肌が立つほどに読み応えがあるのでぜひ読んでほしい。

 対談に先駆けて行ったzoom打ち合わせで、荒井さんはこの小説を紹介してくれたのだ。

 さっそく入手して読んで、震えた。図らずも当時は新型コロナウイルス感染拡大が世界的に広がり、日本でも「ステイホーム」がさかんに呼びかけられていた頃。海の向こうのアメリカやイタリアでは、人工呼吸器不足で医療者が「トリアージ」に引き裂かれるような苦悩の中にいることが報じられ、この国でも医療崩壊を目前に、日々、戦場のような現場で働く医療従事者の奮闘を多くの人が祈るような思いで見つめていた。

 そんな中、私は困窮者支援をする一方で、3月に判決を迎えた相模原事件の裁判傍聴記をまとめる作業をしており、日々、植松聖の「障害者は時間とお金を奪う」「社会の役に立ちたいと思って事件を起こした」などの言葉を自分の傍聴メモから拾っていた。

 それでは、ここで『谷間の生霊たち』の内容を紹介しよう。45年前の小説なので、今は「差別的」という理由などから使われていない言葉もあるが、原文を引用する際はそのまま使うこととする。

 小説の主人公は、菜々枝。昨年成人式を迎えた年齢で、「重症心身障害児施設の、山麓病院に、補助看護婦」として働いている。もともとは母親が病院の炊事場で働いてたのだが、栄養士や看護師たちに使い走りさせられていたところ、院長の目に止まったのだ。

 私費を投げ打って病院を建て、重度心身障害児の実情を訴えて講演や陳情活動をするような院長は、「知恵おくれで、誰にも相手にされず、世間から隔離されて育った」菜々枝の雇用を思い立ち、採用する。菜々枝はそのことを深く感謝し、誇らしい気持ちで働いている。病室の子たちも、やさしい菜々枝を慕っている。

 菜々枝の所属するA病棟の患者は、「殆どが聾唖者で、盲目で、その上、白痴で、手足の機能障害まで重なり、三重苦のヘレン・ケラーよりも重症な患者ばかり」。2〜17歳で、全員おむつをつけている。菜々枝たちの仕事は、深夜も含めて1日8回のおむつ交換や食事介助、入浴介助、検温、投薬など。子どもといってもA病棟で最年長の健ちゃんは82キロの巨体。おむつ交換だけでも菜々枝は汗だくになってしまう。

 そんな病院で年の瀬、職員たちを追い詰めることが起きる。日頃から腰痛を訴えていた看護師たちが一度に5人も退職届を出してしまったのだ。ただでさえ人手不足の現場。残された者たちの仕事は2、3倍にも増え、日頃は大人しい看護師までもが、「早く食べろ!」と障害児の頬をぴたぴた打ちながら食事介助をするようになる。病院には院長の甥で研修医の小牧が手伝いに駆り出されるのだが、病院が貧乏ゆえ、アルバイト料も交通費も出ていないと菜々枝は知る。

 大晦日を前にして更に3人の看護師が腰痛で自宅療養となり、病棟は「非常事態」となる。その上、悪性のインフルエンザが流行し、患者も医師も看護師も次々と罹患。

 そんな中、最年長の健ちゃんが熱を出して口から食べられなくなり、流動食を鼻腔から流すことになる。しかし、体調が悪いせいかたびたび嘔吐してしまう。そのたびに「寝巻から枕、シーツ、蒲団にまで浸透し、残らず取り替えなければならない状態」になってしまい、そのことが看護師たちを苛立たせる。

 「きらい、健ちゃんなんか大嫌い、もう知るもんか、どこかへ来てしまえ!」。そう叫びながら健ちゃんの身体を乱打する看護師も現れる。

 極限状態が続いていた日、菜々枝は院長と甥の話を偶然耳にしてしまう。

 「重症の健ちゃんたちは、死んだほうがずうっと幸せですよ。死なせてやるべきだと思います」と主張する甥。それに対して、あの子らの命は神様から授かったものだと主張する院長。

 甥は院長に言い返す。

 「せめてあの子らが、親たちに愛されているなら話は別ですよ。クリスマスになっても、正月になっても、あの子らの親たちは見舞いにさえ来ないじゃないですか」

 「叔父さんが本当にあの子らを愛しているのなら、早く死なせて楽にさせてやって下さい」

 菜々枝はそれを聞いて、「やっぱり小牧先生はいい人だった……先生は健ちゃんたちがかわいそうでならないのだ、健ちゃんたちのことを心配しているのだ」とほっと息をつく。が、その後の小牧の言葉に青ざめる。

 「それにね、叔父さん。健ちゃんたちのために悩み苦しんでいるのは、肉親ばかりじゃないですよ。看護婦が次々にやめるのも、愛情だけでは生きられない証拠だし、僕だって、もう、ぶっ倒れそうですよ。入院中の婦長だって、へたすると死ぬかもしれませんよ。倒れるまで無理していますからね。叔父さんだって、あぶないじゃないですか……」

 「難しい話は、わからない」菜々枝だが、「健ちゃんたちのために、みんなが大変な目に会っている」ということははっきりわかる。

 「婦長さんが死んでしまったら、どうしよう。小牧先生が倒れたらどうしよう。もし、院長先生が死んだりしたら……」

 菜々枝は、健ちゃんの鼻と口にビニール布とタオルをあてる。

 ここで私が思い出すのは、現在は確定死刑囚となった植松聖だ。

 健ちゃんに対して「死なせてやるべき」と主張する院長の甥・小牧と植松の考えは近い。やまゆり園で働き始めて2年が経つ頃から、しきりに入所者を「かわいそう」と言うようになったという植松。「食事もドロドロで、一日中車椅子に縛りつけられている」とその理由を友人たちに語っている。それがいつしか「殺す」に飛躍する。

 「重複障害者を生かしておくために、莫大な税金が使われています。お金がなくて戦争するなら、もっと考えることがあるはずです」

 この言葉は、植松被告が事件前、友人に送ったラインである。同じような内容のものを、彼は実に多くの友人たちに送っていた。

 「障害者470人を抹殺できる」と、それが「世界経済と日本のため」だと衆院議長に宛てた手紙に書いた植松被告は、逮捕後も獄中で「日本の借金問題」についてさかんに言及してきた。

 「日本は社会保障を充実させていって100兆円もの借金を抱えることになりました(著者注 実際は1000兆円と言われている)。あなた自身はそれをどう思いますか?」

 「日本の借金だってこれ以上もう無理ですよ。これで大地震でも起きたら無茶苦茶になりますよ」

 「障害者は、他人のお金と時間を奪っています」

 借金はいけない。人に迷惑をかけることもいけない。国の将来を憂い、危機感を持っている。お金がなくて戦争するなんて悲劇もなくしたい。それらの思いをすべて凝縮し、危機感と正義感をもって彼が実行したこと。それが障害者の大量殺戮だった。

 日本は財政破綻寸前なんだから障害者を生かしておく余裕なんかない。障害者を殺害した犯人が口にするとことさら「異常さ」が際立つその言い分はしかし、私たちの日常に溶け込んでもいる。

 いつからか「高齢化」が報じられる時は「医療費にこれだけの金がかかっている」などとお荷物感とセットで語られ、「日本は少子高齢化で社会保障の財源がないんだから、ある程度”命の選別”をするのは仕方ない」という空気は、気づけばこの国を覆っている。10年前だったら口に出すのがはばかられた考えだろう。が、残酷な「本音」が「建前」を打ち破り、「命は大切だ」というような「正論」を口にする者が「現実を何もわかっていない」と嘲笑される光景があちこちにある。

 「わたしの教え子で障害者福祉に携わるものに言わせると、植松青年の犯行の原因は、『優生思想でも、なんでもない。単純な嫉妬ですよ』ってことです。社会的に何もできないものが、優遇されてノウノウと生きているのに対するやっかみだって。それに引き換え、おれは生活保護一つ取るのだって大変なのに、という」

 この言葉は、雑誌『コトノネ』32号に掲載された最首悟さん(和光大学名誉教授)のものだ。重度障害がある三女を持つ最首さんはインタビューでこのように述べたのだ。

 その言葉に、深く頷いた。貧困の現場で14年にわたって活動を続ける私も、わかりやすい弱者性のない「マジョリティ」の嫉妬じみた感情が爆発寸前になっているのを感じる。

 振り返れば、2000年代前半には「公務員バッシング」があり、10年代には「生活保護バッシング」があった。バブルの頃は誰も公務員など羨ましがらなかったのに、格差・貧困が拡大すると「安定、高収入」と非難されるようになり、また人々の暮らしが地盤沈下していくと、生活保護を受けている人がバッシングの対象となった。そしてこの数年広がっているのは「障害者ヘイト」だ。障害者だけでなく、公的な支援の対象となる者に「特権だ」と言いがかりをつける人がいる。

 障害者が「守られて」いるように見えるのは、おそらく障害も病名もない人たちが「死ぬまで自己責任で競争し続けてください。負けた場合は野垂れ死ってことで」という無理ゲーをこの20年以上、強いられているからだろう。本当は苦しいけれど、弱音を吐いた瞬間に落伍者とみなされてしまう。だから、「弱者」が「守られている」のが許せない――。おそらくそんな気分の同一線上に、ベビーカーで電車に乗る人を執拗に非難する「子連れヘイト」があり、駅などで女性だけを狙ってぶつかってくる「わざとぶつかる男」がいる。

 この20年以上、生産性が高く、役に立つ自分を全方向にプレゼンし続けなければ生きる価値がないという強迫観念に、多くの人が苛まれている。毎日、毎分、毎秒。そんな中、「怠けて楽して得している」ように見える「誰か」へのささやかな殺意が本人も無意識のまま、胸の中でくすぶりながら肥大し続けている。

 そんなこの国で、16年夏、「あの事件」が起きた。

 さて、ここで植松がしきりに「かわいそう」と口にした入所者の「その後」を紹介したい。

 やまゆり園で「一日中、車椅子に縛りつけられて」いた女性は、事件によって別の施設に移り、そこで拘束を解かれ、足腰のリハビリを受けたところ歩けるようになり、今では散歩やカフェでの食事、資源回収の仕事ができるまでになったという。支援の仕方で、障害の重さはこれほどまでに違ってくるのだ。「かわいそう」と思うなら、本当はいろんなやり方があったのだ。何よりも残念なのは、福祉の世界に身を置きながら、植松は「殺す」しか思いつけなかったことではないだろうか。

 一方で、植松はSOSを発していたのではないかと思える瞬間もあった。

 判決の日、やまゆり園の入倉園長は会見で、事件の年から植松が入所者に対して軽い感じで「やばいですよね」「いらないですよね」と言うようになったことを話した。それがだんだんと「殺す」に発展していく。働き始めた頃からもろもろの問題はあったものの、最初は植松のことを「雑だけどやんちゃな兄ちゃん」という目で見ていたという。しかし、勤務を続ける中で、植松は少しずつ変わっていった。

 話を聞きながら、思った。

 もしかしたら「やばいですよね」と言うようになった時期、彼は深い葛藤の中にいたのではないだろうか? 重度障害者を目の当たりにして、自分では処理できないほどの戸惑いの中にいたのではないだろうか?

 やまゆり園での勤務を始めるまで、植松は障害福祉の世界について何も知らなかった。やまゆり園に入って、「すごい世界があるなと思いました」と言うほどに、彼は何も学ばないまま現場に身を置いた。それも、最重度の成人を受け入れる入所施設に。

 葛藤は、端から見て過酷に見えれば見えるほど、「この人は幸せなのか」「この人の生は苦しみに満ちているのではないか」「死なせてあげた方がいいのではないか」「生きる意味はあるのか」に発展していく。また、植松はおそらく「なぜ、彼ら彼女らは障害があるのに自分はそうではないのか」「命とはなんなのか」「生命の価値とはどういうものなのか」等、それまで考えたこともないような問いを突きつけられていたのではないだろうか。そうしてそんな根源的でもっとも難しいテーマについて、彼は誰かと語りたかったのではないか。「やばいですよね」とあえて軽い感じで同僚に言ったのは、「目の前の現実をどう受け止めればいいのか」というSOSではなかったのか。

 そんな葛藤は、ケア労働につきものだと思う。しかし、彼の葛藤に付き合ってくれる人間はいなかった。

 「殺す」と言う植松に友人たちは「捕まるよ」と言い、差別的な発言を聞いたある先輩は「心で思っても口にするな」と言ったという。それらの言葉は、植松の心には、おそらく、まったく響かなかった。

 命は大切だ。命の選別なんて、絶対あってはならない――。

 そう言われる一方で、コロナ禍の中、私は多くの命が踏みにじられているのを見てきた。家賃が払えない、食料がない、昨日ホームレスになった。SOSを受けて緊急出動しながら、この社会がどれほど命を大切にしないかを、3月頃から突きつけられるような日々だった。

 それだけではない。新型コロナウイルス感染拡大を受け、4月はじめ、アメリカのアラバマ州では、重度の知的障害者や認知症の人は、人工呼吸器補助の対象になる可能性が低いというガイドラインが出された。このガイドラインはその後撤回されたものの、州によっては「重度障害者が所有する人工呼吸器もトリアージの際には取り上げる」と解釈できるガイドラインが生きている(NHK バリバラ 2020/5/7 「新型コロナ 世界では何が起きている?」)。

 5月には、医療現場が逼迫する日本でもある動きがあった。大阪市の医師が、高齢者向けに「集中治療を譲る意志」を表示するカードを作成したのだ。カードを作った医師は「高齢者に署名を推奨するものではまったくない」と言うが、「限られた医療資源でどう命を救うか」という課題が今、私たちにこれまでないほどリアルな問いとして突きつけられている。

 だからこそ、私たちは「命の選別」はいけないと、命は何よりも大切でかけがえがないと、声を大にして言わなければならないと思う。

 人の命を財源で語るなんておかしいし、誰だって、どんな状態だって、生きてるだけで価値がある――。

 いや、本音を言えば、自分自身だって自分の生存をどう肯定していいかわからない。特に10代20代は自殺願望の塊でリストカットばかりしていた。自分なんて生きてちゃいけないと思っていた。

 だけど、この14年、「無条件の生存の肯定」という言葉をスローガンにしてさまざまな活動をしてきた。

 この言葉は、フリーターやワーキングプアの運動が盛り上がった06年に現場から生まれたものだ。貧乏すぎてもう食えない、先のことなんか考えられない。そんな地平から逆ギレしたように「生きさせろ!」と叫び始めた当時の若者たちは、「企業の営利活動の役に立つ者だけに価値がある」という価値観に真っ向から抵抗し、「無条件の生存の肯定」を掲げたのだ。言い換えれば、「役立たずでも堂々と生きるぞ!」という開き直りである。

 このような「役立たずの開き直り系」運動にどっぷりとハマったことによって、私は「役に立たなきゃ生きる価値がない」というこの国で一番メジャーな宗教から解放された。

 その一方で、植松のあの「役に立たないといけない」というヒリヒリした感覚は、どこかとても、痛いくらいにわかるのだ。

 ここで、『福祉労働』での荒井さんとの対談を紹介したい。

 荒井さんは、相模原事件を考えるにあたって一番警戒していることについて語ってくれた。それは「障害者に生きる意味なんてあるの?」いうフレーズ。そして以下のように続けている。

 「これって、論理的にものすごく卑怯な言い方なんですね。どういうことかって言うと、『障害者に生きる意味なんてあるの?』という言葉に反論しようとすると、反論する側に『障害者の生きる意味』を立証する責任が出てきてしまうんですよね。それって、ずるくないですか。この問いを突き付けられること自体が暴力なんだっていうことを言ってかなきゃだめな話なんですよね」

 「だから、その問い自体が差別であり、暴力なんだと、根本的なところから訴えていかなきゃいけないんだろうなと思います」

 荒井氏の言う通り、常に生きる意味や価値を問われるのは弱者の方である。強者は、圧倒的な力の非対称性に無自覚なまま、弱いものに恐ろしいことを問う。その時強者は、自分自身が「あなたには生きる意味などあるんですか」と問われることは決して想定していない。そう問われた時、どれほどの痛みを感じるか、なぜ想像もせずに他人の生を、よりにもよって「評価」しようとするのか。

 そして植松は、「お前の生に価値はない」と勝手に決めつけた。それだけでなく、実際に、命を奪った。書きながら、改めて、そのことへの深い深い怒りに震えている。そんな植松に、司法は「お前こそ生きている価値はない」と死刑判決を下した。「障害者はいらない」と殺した植松に「お前こそいらない」と極刑が下される。そうして裁判は終わったが、そのことに強烈な違和感を抱いているのは私だけではないだろう。

 東京に緊急事態宣言が出た4月7日、彼の身柄はひっそりと横浜拘置所から東京拘置所に移送された。いつ死刑が執行されてもおかしくない身だ。

 あの事件について考えたこと、そして裁判を傍聴して思ったことを一冊にまとめた。

 タイトルは『相模原事件・裁判傍聴記 「役に立ちたい」と「障害者ヘイト」のあいだ』。あの事件から、もうすぐ4年。この4年間、あの事件にこだわり、しつこいほどに書き、考えてきた。

 ぜひ、手にとって、一緒に考えてほしい。

『相模原事件・裁判傍聴記 「役に立ちたい」と「障害者ヘイト」のあいだ』(雨宮処凛/太田出版)※7月18日発売予定