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アホな科学政策による必然。日本から「頭脳流出」が今後も続く訳

2021年09月30日 | 教育・学校

まぐまぐニュース!2021.09.27 281

   by 池田清彦『池田清彦のやせ我慢日記』

    「光触媒の父」と呼ばれる藤嶋昭東大特別栄誉教授が研究チームごと上海理工大学に移籍。一部からのバッシングに対し、お門違いの批判で今後も「頭脳流出」は止まらないと警告するのは、メルマガ『池田清彦のやせ我慢日記』著者でCX系「ホンマでっか!?TV」でもおなじみの池田清彦教授です。教授は、この20年の大学の研究費を削る政策により、科学技術力において先進国でほぼ最下位に落ちた日本の現実を暴露。青色発光ダイオードを発明した中村修二氏が会社に訴えられ訴え返した経緯を説明し、多額の賠償判決に怯えた産業界の要望か、研究者への配慮に欠ける特許法改正が行われるなど日本離れの必然を説いています。

 

アホな科学政策が加速させる頭脳流出

    光触媒を発見し、ノーベル賞候補にも名前が挙がる藤嶋昭・東京大学特別栄誉教授が、8月末に自分の育成した研究チームもろとも上海理工大学に移籍した、というニュースが大々的に報じられた。一部のネトウヨとマスコミ(特に読売新聞)は中国へ頭脳流出する科学者を「高給引き抜きによる先端技術獲得の動き」に乗せられた、日本人の風上にも置けない輩だといった調子で、バッシングしているが、先端技術の分野において未だに日本が中国より進んでいるという時代錯誤の妄想に耽っている発言で、笑止と言う他はない。

    2004年に国立大学を法人化して、大学への運営費交付金を毎年1%ずつ減らした結果、日本の科学技術力は凋落の一途をたどり、論文数は他の先進国が軒並み増加したのに比べ、日本はほぼ横ばいである。特にインパクトのある論文数(被引用数が上位10%に入る論文数)は2004年の4位から、現在は10位に下がっている。ちなみに中国は論文数もインパクトのある論文数もアメリカを抜いて1位に躍り出ている。今や日本の科学技術力は先進国の中で、ほぼ最下位クラスなのだ。

    上海理工大学と上海市政府は、藤嶋氏のチームを支援するプラットホームとして、光触媒に関連する国際的な研究所を数十億円かけて新設するという。日本は科学研究者の給与などの待遇も悪く、研究費も少ない。待遇が悪くても日本のために働いてくれという精神論を未だに振りかざす人がいることに辟易するが、グローバル化した社会では、野心のある優れた研究者は中国であれアメリカであれ、研究条件の優れたところに移るのは必然で、今のままでは、優秀な科学者の海外流出は止まらないだろう。

    藤嶋氏も日本にいてはこれだけの規模の研究条件を整えてくれるところはないとわかっているので、傘下の研究者の将来をも考えて移籍に踏みきったのだろう。かつては、日本人科学者の頭脳流出先はアメリカと決まっていて、ノーベル賞を受賞した物理学者の南部陽一郎、分子生物学者の利根川進、青色発光ダイオードを発明した中村修二などが著名である。中村修二は「日亜化学工業」で働いていた企業内研究者の時代に青色発光ダイオードを発明して会社の業績に多大な貢献をしたが、2000年にカルフォルニア大学の教授としてアメリカに渡った。

    それに対して日亜化学工業は、2000年に企業秘密漏洩の疑いで、ノースカロライナ州東部地区連邦地方裁判所に、中村を提訴した。結局この提訴は2002年に棄却されたが、その間の中村の心労は大変であったという。一方、中村は日亜化学工業の提訴に対抗して、2001年に日本の裁判所に、青色発光ダイオードの特許は自分に帰属することの確認と、それが認められない場合は譲渡の相当対価200億円の支払いを求めて、日亜化学工業相手に裁判を起こした。

    アメリカの研究者に、発明に対して会社から貰った対価が余りにも安く、「スレイブ中村」と皮肉られたことが訴訟を起こしたきっかけだと言われているが、企業秘密漏洩で自分を訴えた会社に腹が立っていたのだろう。この裁判は特許権こそ会社側にあるとしたが、譲渡の対価に関しては原告の主張が通り、2004年に東京地裁は発明の相当対価を604億円と認め、原告が求めた200億円を支払うように被告に命じた。その後、東京高裁で和解が成立し、2005年に和解金・8億4000万円で決着した。

    研究者に対する対価で争われているもう一つの事例はがんの特効薬として注目を浴びた、免疫チェックポイント阻害剤のニボルマブ(商品名オプジーボ)の特許を巡るものである。この薬の開発によりノーベル生理学・医学賞を受賞した本庶佑が、小野薬品工業に対して、特許使用料の分配金262億円の支払いを求めて訴訟を起こしている事件だ。この訴訟は現在進行中で、大阪地裁が双方に和解案を提示しているところで、結果はまだ分からない。いずれにせよ、日本の企業は有用な発明・発見をした研究者に対する金銭的な配慮に欠けることは事実であろう。

    中村修二と日亜化学工業の裁判結果におびえた産業界からの要望もあったのであろう。政府は平成27年(2015年)に特許法を改正(改悪?)して、職務発明制度を企業側に有利なようにした。すなわち、「従業員が行った職務発明について、契約時においてあらかじめ使用者等に特許を受ける権利を取得させることを定めたときは、その特許を受ける権利はその発生時から使用者等に帰属する旨を規定した」という事である。

    単純に言えば研究者を雇用する際に、職務発明はすべて会社に帰属するという契約をしておけば、従業員から訴えられることはなくなるという理屈だ。確かに、能力に自信がない研究者は、この契約にサインするであろうが、才能に満ち溢れた研究者は、そんな契約を求める日本の企業は蹴って、さっさと、研究条件がいい海外に行ってしまうだろう。一見企業に有利な法律に見えるけれども、長い目で見れば、優秀な人材の頭脳流出を促進させるに違いない。中村修二はこの改正案を見て激怒したと伝えられるが、さもありなんと思われる。

    頭脳流出を止めるには、法律をいくら変えてもダメなのだ。研究者の給料や研究費や雑用に追われる時間を少なくするといった、待遇改善をすることだけが唯一の解決策なのである。2018年の大学部門の研究開発費は、日本は3.7兆円(OECD推計では2.1兆円)、アメリカ7.8兆円、中国4.3兆円、ドイツ2.6兆円、フランス1.5兆円、イギリス1.3兆円、韓国0.8兆円である。

    ちなみに、2000年の大学部門の研究開発費を1としたときに、2018年のそれは、日本1.1、アメリカ2.5、ドイツ1.8、イギリス2.3、韓国4.5、中国19.0である。日本だけがほとんど増えていないことが分かる。21世紀に入ってから、基礎研究につぎ込む金を諸外国に比べケチっているわけだ。

    もう一つ大きな問題は、総額は諸外国に比べてさほど見劣りしないのに、なぜ、インパクトのある論文の数が世界10位なのかという事だろう。金が有効に使われてなくて無駄金が多いってことだ。

    2004年に国立大学が民営化されてから、運営費交付金を徐々に減らしたばかりでなく、選択と集中と称して、資金を見込みがある(と勝手に決めた)研究に集中的につぎ込み、役に立たない(とこれまた勝手に決めた)研究には全く資金を回さなくなった。地方の国立大学では、研究者が年間に使える研究費が20万円に満たないところも出てきたという。その結果起こったことは、世界レベルでの科学力の低下であることは、データが何よりも証明している。年間20万では、そもそも研究ができない。

    アメリカも選択と集中に舵を切ったこともあったが、イノベーションを起こすためには、海のものとも山のものとも分からぬ研究にも、ある程度の資金を回す必要に気づき、資金の一部はバラマキに使っている。

    mRNAワクチンの実用化のための基礎技術を開発した、ハンガリー出身の科学者カリコー・カリタンは、アメリカに渡った頃は、誰も注目しなかった研究を諦めることなく続けて、ワクチンの開発に結び付けた。途中資金が乏しくなって、窮したこともあったようだが、ビオンテック(ファイザーと共同でmRNAワクチンを開発したドイツの企業)に移ってから研究が花開き、現在はビオンテックの上級副社長であり、ノーベル賞候補の一人である。すごいイノベーションは主流から外れた研究から起こることが多く、選択と集中を強めれば強めるほど、画期的な研究成果は現れなくなる。

   選択と集中の悪いところは、資金を貰うために、この研究がどんな役に立つかといった書類を山ほど書かされ、肝心の研究に回す時間が無くなることだ。実験には金が必要だが、新しいことを考えるには時間も必要なのだ。さらに日本の悪いところは、次から次に新しい改革を文科省から押し付けられて、その度に、膨大な書類作りしなければならないことだ。だから、改革をやればやるほど、雑用が増えて研究時間が無くなり、科学力が下がるわけだ。

(続きはご登録の上、お楽しみください。初月無料です)


 最近この手の記事が続いてます。「科学」をないがしろにする現政権の立ち位置ですから・・・。


森友遺族・夫の死を巡る法廷闘争記

2021年09月29日 | 社会・経済

麻生さん、読者は関心ありますよ…赤木雅子さんの怒りに財務省職員は凍り付いた

日刊ゲンダイダイジェスト 2021/09/26 

 毎度お騒がせ麻生太郎財務大臣。自民党総裁選で麻生派内の対応が割れ、てんてこ舞いの中、またも炎上発言が飛び出した。21日の閣議後会見。森友事件の再調査について総裁選の候補たちが会見で答えたことを受け、記者に質問されると……。

「読者の関心があるのかねえ?」

 そんなの過去のことだろ、という本音がにじむ。ところが発言を日刊ゲンダイなどが伝えると、ネットで話題沸騰。ヤフーニュースやツイッターでランキングトップに躍り出た。

 麻生さん、読者は関心あるようですよ。それに肝心の当事者のことを忘れていませんか? 現場で改ざんをやらされ、命を絶った財務省近畿財務局の職員、赤木俊夫さん。妻の雅子さんは真相を求め、今も必死に裁判で渡り合っているんです。

 赤木雅子さんが、国と、改ざんを指示した佐川宣寿・元財務省理財局長を相手に闘っている裁判の非公開協議が8日、大阪地裁で行われた。佐川氏の代理人弁護士はコロナ対応でモニターを通したリモート参加だったが、そこで強硬に審理の打ち切りを求めたのだ。

 提訴から1年半、裁判は「赤木ファイル」が主な争点だった。改ざんの指示などを俊夫さんが残した文書で、国がやっと開示に応じたのが3カ月前。佐川氏の代理人は原告も立証に時間をかけ過ぎだとして、結審して裁判を終わらせてもいいくらいだと主張した。

■「あんたらがトロトロしとるからこうなるんじゃ!」

 これに雅子さんは憤った。原因は国がファイルをなかなか出さなかったからじゃないの。横に座っていた財務省職員の方を向いて「あんたらがトロトロしとるからこうなるんじゃ!」と故郷の岡山弁で言い放った。凍り付く財務省の職員たち。次に雅子さんはモニターの向こうにいる佐川氏の代理人に向き直った。

「裁判が遅いのは国のせいじゃないですか。私たちの責任じゃないです。それで裁判を終わらせようなんて、とんでもありません」

 誰にも止められない迫力だった。もちろん裁判は終わりはしない。

 前回の記事で、雅子さんが財務省に乗り込みバトルを繰り広げた話を紹介したところ、多くの反響があった。麻生さん、やっぱり読者は関心ありますよ。関心ないのは麻生さんじゃないですか?

相澤冬樹ジャーナリスト・元NHK記者

1962年宮崎県生まれ。東京大学法学部卒業。1987年NHKに記者職で入局。東京社会部、大阪府警キャップ・ニュースデスクなどを歴任。著書『安倍官邸vs.NHK 森友事件をスクープした私が辞めた理由』(文藝春秋)がベストセラーとなった。


 自民党の岸田文雄新総裁は29日夕、選出後初めての記者会見に臨んだ。
森友学園問題を巡る財務省の決裁文書改ざんの説明に関して、行政の調査や裁判の結果を踏まえても国民の納得が得られない場合、「政治の立場から、説明が必要であれば、説明させていただきたい」と述べた。ただ、文書改ざんの再調査は「行政において調査が行われ、報告がしっかりなされていると認識している」とし、否定的な姿勢を示した。
 安倍、菅政権で「説明しない政治」が続いたとする質問に対しては、「国民の協力なくして政治の結果を実現することはできない時代だと認識している」と国民への説明の重要性を指摘し、「政治の説明責任を果たすことに取り組む」と述べた。(「東京新聞」)
 しかしながら、遺族はまったく納得していない。人の命に関わる問題である。再びこのようなことが起きないためにも徹底した解明が求められる。安倍・麻生の傀儡から抜け出すことはできない。
 
今日は忙しく散歩もできなかった。
園地に出てきたボリボリ?

 

日本で子育てしにくい‘3低’構造とは――「自己責任」の国際データ比較

2021年09月28日 | 社会・経済

六辻彰二国際政治学者

YAHOO!ニュース〈個人〉9/26(日) 

 

  • 日本では子育て世帯に対する税控除の割合、直接給付の額、保育所の入所率のいずれもが先進国のなかで低い水準にある。
  • この3低構造の根底には「家族で何とかすべき」という考え方がある。
  • 家族に多くが委ねられる結果、日本の子育て世帯は国際的にみて生活が苦しくなりやすい。

 教育学者・末冨芳氏の「子育て罰」という言葉は、日本の政治、社会、企業が子育てに熱心であるどころが、むしろそれに冷たいことを浮き彫りにした。政治学でもこの20年間、育児・保育を含む社会保障の分析が発展しているが、さまざまなデータからは、やはり日本の子育てしにくい構造が浮かび上がってくる。

子育てしにくい構造

 大詰めを迎えた自民党総裁選挙では、菅政権が創設を打ち出した「子ども庁」や、子どもを含む家族を支援する予算増加も議論されている。

 子育て支援というと、とかく低所得世帯への給付金や児童手当の増加といった直接給付が注目されやすい。しかし、こうしたバラマキは「焼け石に水」になりかねない。日本では子育てしにくさが構造化しているからだ。

 以下では、これを各国とのデータ比較を踏まえて、3点に絞ってみていこう。

税控除の低さ

 その第一は、税制面での優遇措置の低さだ。子育て世帯は所得税の控除によって単身者より優遇されているが、その水準は日本では決して高くない。

 図1は労働所得に対する課税(いわゆる「税のくさび」)の水準を、各国ごとに表したものだ。ここでは、「子ども2人/夫婦共稼ぎ/平均的収入の世帯」(A)と「子どもナシ/単身/平均的収入の世帯」(B)で比較している。

(出所)OECDデータベース.

 これでみると、日本の水準は先進国のほぼ平均的なラインにみえる。

 しかし、ここで注目したいのはBマイナスA、つまり単身者に対する課税率と子育て世帯に対する課税率の差である。これは子育て中であることでどのくらい優遇されるかを示している。

(出所)OECDデータベース.

 これをまとめたものが図2で、日本のスコアは2ポイントほどにとどまり、平均を大きく下回る。ここから、子育て世帯は確かに税制面で優遇されているとはいえ、その水準は国際的にみてかなり低いことがわかる。

給付の水準も低い

 第二に、直接給付の水準の低さだ。

 さきほどの税控除をふり返ると、イギリスやノルウェーなども日本とほぼ同程度で、なかにはオーストラリアのように子育て世代と単身者に対する税率の差がほとんどない国さえある。これらの国は一見、日本より子育てに関心が薄いようにみえる。

 しかし、その多くは児童手当などの直接給付が日本より手厚い。つまり、子育て世帯も単身者と同じように税金を払う一方、政府からの給付でこれを補える

(出所)OECDデータベース.

 図3からは、イギリスやノルウェー、オーストラリアなどが、子ども向けの予算のGDPに占める割合だけでなく、直接給付額のGDPに占める割合でも、日本を大きく上回っていることがわかる。とりわけ直接給付の多いイギリスでは、子ども1人の場合、1週間あたり最大179ポンド(約27,000円)が支給される。

 日本の場合、給付の水準も低いので、税控除の水準の低さをリカバリーしにくい。

保育所に通えない

 そして第三に、保育所に通える子どもの割合の低さだ。日本では税控除も給付も少ないが、国際的にみて子育て世帯が働くハードルは高いのである。

 図4は、0~2歳児のうち保育所(無認可を除く)に通えている割合だ。

(出所)OECDデータベース.

 日本ではその割合が30%を下回っている。これより低いのはラテンアメリカや東欧が多く、そのほとんどが「先進国」であることにクエスチョンマークが付く国だ。

 逆に、この点で他の水準の低さをリカバリーしているのが、お隣の韓国だ。

 韓国は税控除も直接給付も最下位に近い水準だが、この項目では堂々の5位に入っている。つまり、韓国では働いても税金を持っていかれる割合が高く、政府の補助もあてにできないが、少なくとも子育て世帯が働くチャンスは日本よりはるかに多いといえる。

3低構造を支える思想性

 こうしてみた時、3項目全てで高水準の国はルクセンブルクなどごく一部だけで、多くの国は2つ、あるいはせめて1つの項目に重点を置くことで子育てを支援しているといえる。例えば、イギリスは子育て世代に対する税控除の割合は低いが、直接給付と保育所でこれをリカバリーしている。

 これに対して、日本はメリハリなく、いずれも総じて低い水準にとどまっている。ここでいう3低構造である。

 もちろん、どの国の制度も完璧ではないし、外国のものを移植してもうまくいくとは限らない。しかし、少なくとも、制度のあり方からその国の思想性をうかがうことはできる。

 例えば、アメリカでは税控除の水準は平均より高いが、直接給付は乏しい。つまり、社会保障があまり発達していないアメリカでは、子育て世帯への直接支援には熱心でないが、所得税を減額することでこれに替えている。これは連邦政府への警戒心が強く、「人の金をとれば泥棒なのに、なぜ政府が税金としてそれをすることは認められるのか」といった議論がまかり通りやすいアメリカならではの傾向といえるだろう。

 一方、イギリス、カナダ、オーストラリアなど、アメリカ以外のいわゆるアングロ・サクソン系諸国では、子ども向けの予算のうち直接給付の割合が高い。これは支給されたものをどう使うかの選択を個人、あるいは親に委ねるという考え方だ。

 これに対して、フランスやドイツなどヨーロッパ大陸諸国では、子どもに関する予算の割合は総じて高いが、直接給付の割合はむしろ低い。これは現金給付より教育や保育といったサービスの拡充を優先させるもので、それはそれで「国家が国民一人一人の生活をトータルで支援する」という考え方をうかがえる。

 だとすると、日本の3低構造には、どんな考え方を見出せるのか。

「家族でなんとかするべき」

 単純化していえば、日本政府のスタンスは「政府の補助に頼るな、税制面での優遇もあてにするな、働きたいなら自分たちでなんとかしろ」となる。

 そのため、保育所の利用さえできない子育て世帯が子どもの祖父母を頼ることは珍しくないわけだが、特に都会では夫婦それぞれが実家を離れていて、それさえ難しいことも多い。

 そうした場合、結局は無認可の保育所という商業サービスを利用するか、さもなくば(多くの場合母親が)仕事を辞め、生活を切り詰めながら子育てせざるを得なくなる。

 デンマークの政治学者E.アンデルセンは福祉国家のあり方を国家中心の社会民主主義モデル(スウェーデンなど)、市場が大きな役割を担う自由主義モデル(アメリカなど)、家族を重視する保守主義モデル(ドイツなど)に分類した。この分類に従うと、日本はアメリカとドイツの中間と位置づけられるが、自由主義モデルと保守主義モデルの欠点としては格差が大きくなりやすいといわれる。

 実際、多くの国と比べて日本では、子育て世帯の生活が厳しくなりやすい

(出所)OECDデータベース.

 図5は、家計に占める子育て費用の割合を表している。このデータは実支出から児童手当などを差し引いた純額に基づいて表されている。そのため、国によっては5%を下回る国さえあるなか、日本では15%を超えている。

 税控除や給付の水準、さらに保育所入所率の低さなどが子育て費用の高さを支えているわけだが、その水準は「自己責任」が通りやすいアメリカをもしのぐ

国家としての無思想

 冒頭に述べたように、「子育て支援」というとどうしても低所得世帯への支援や児童手当が焦点になりやすい。手元に何かがくる、というのが有権者に響きやすいと思っているのかもしれないし、実際にその通りかもしれない。

 しかし、都市への人口流入や核家族化といった社会状況の変化を無視して、過剰なまでに家族に依拠した仕組みが続く限り、多少手当を増やしたところで(それさえ実現は定かでないが)、効果は限定的だろう。多くの国が3項目のうち2点に重点を置いていることを踏まえれば、日本の場合、手当を増加するなら、これにさらに税控除の拡張か保育所の増設がなければ、本格的な子育て支援にはならない。

 もっとも、財源が無尽蔵でない以上、どこかの項目を優先させるなら、別のどこかを切り捨てることを覚悟しなければならない。それは国家としての考え方を問うものでもある。

 それが提示されないまま、自民党総裁選挙や野党の対案において、給付だけが一人歩きしやすい点に、日本における子育てのしにくさの根深さを見出すことができる。

 家族は子育ての基本だとしても、それに全てを委ねてやり過ごそうとする姿勢は、国家としての無思想にもつながる。国家としての再生産の危機を打開する考え方を示さないまま、「国家百年の大計」など語ってもらいたくないのだが。

六辻彰二 国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。


 今の自民党政治では少子高齢化は更に進み、育てた優秀な頭脳は海外へと流失してしまい国家的存亡の危機を迎えることになるだろう。今、手を打たなければ!

今日の散歩道。

黃葉進むツルウメモドキ。

ハウス横に現れた男鹿であるが、追い払うと向かいの今日収穫の大豆畑(電牧を外したばかり)へ(ごめん!)


入管に違憲判決 非人道性が断罪された

2021年09月27日 | 事件

「東京新聞」<社説>2021年9月27日 

 難民認定申請の棄却を告げた翌日、外国人男性二人を強制送還した入管の対応を東京高裁が違憲と断じた。今年三月の女性収容者死亡事件でも、入管はその人権侵害体質を厳しく批判された。抜本的な組織改革は待ったなしだ。

 再び入管行政の暗部が断罪された。この訴訟の原告であるスリランカ人男性二人は、二〇〇〇年前後に日本に入国。難民不認定処分を受けた後、処分への異議を申し立て、仮放免許可を得ていた。一四年に許可更新のため、東京入国管理局に出頭した際、申し立ての棄却を告げられ、翌日、チャーター便で強制送還された。

 二人はその後、処分取り消しの訴訟を起こす時間的余裕を与えられなかったとして、国に賠償を求めて提訴。一審判決では請求を棄却されたが、二十二日の東京高裁判決は、入管が「憲法で保障された裁判を受ける権利を侵害した」と判断し、国に賠償を命じた。

 原告側弁護団によると、外国人の強制送還をめぐって違憲判決が出たのは今回が初めてという。

 異議申し立ての棄却は告知の四十七日前に決まっていたが、判決は「訴訟を起こす前に送還するため、あえて告知を遅らせた」と入管の脱法的な行為を指弾した。

 男性二人は祖国で迫害を受ける恐れを訴えていた。こうした人びとの送還は国際法上の原則に反する。だが、チャーター便での集団送還を計画的に遂行するため、入管は恒常的にこうした「だまし討ち」的な手口を駆使してきた。

 今年一月にも同様のケースで、名古屋高裁が入管の対応を違法とする判決を示した。だが、違憲とまでは踏み込まなかった。今回の違憲判決は当然とはいえ、画期的であり、入管の非人道的な行為を抑制する効果が期待される。

 国際的な人権水準に則した入管行政への改革が不可欠だが、入管に自浄能力があるとは思えない。

 名古屋市の入管施設での収容者死亡事件では、亡くなった女性を写した監視映像の一部が遺族の妹二人に開示されたが、入管は遺族が求める代理人弁護士の同席を拒み、全面公開も避けている。保安上の理由などを挙げるが、合理性はなく、全容解明を恐れての一時しのぎと考えざるを得ない。

 国は入管改革のための独立した第三者委員会を設けるべきだ。大胆にメスを入れねば、日本の人権への評価は地に落ちかねない。

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日本の入管はなぜ難民・外国人に冷酷なのか? その「歴史的」理由
「警察行政のDNA」の影響とは 〈より一部抜粋〉

日本の入管はなぜ難民・外国人に冷酷なのか? その「歴史的」理由(五野井 郁夫) | 現代ビジネス | 講談社(2/4) (ismedia.jp)
五野井 郁夫 


日本の入管が持つ「警察行政のDNA」

なぜ日本の入管は、これほどまでに難民申請者らに対して敵対的なのだろうか。それの一因は入管という組織の来歴に淵源しているともいえる。以下、日本の入管行政を足早に振り返ってみよう。

戦前、日本の入国管理は、警視庁や各都道府県の特別高等警察(特高)と同様に内務省が所管しており、警察行政の一環として入国管理が行われていた。

1945年の敗戦にともない、占領軍によって内務省は解体された。それにともない特高警察も解体されたものの、おもに大日本帝国内での市民だった朝鮮人や外国籍の者たち、そして共産主義者らを取り締まっていた官僚たちの多くが公職追放を免れたことで、戦後の初期から出入国管理業務に携わる部署の一員として引き続き雇用されることとなった。

これについて国際法学者の故大沼保昭は、敗戦直後の占領期に出入国管理体制に携わった人々からのインタビュー調査を行っている。

調査の結果、入管業務従事者とその周辺のかなりの部分が旧特高関係者で占められており、とりわけ在日朝鮮人らに対する強い偏見や差別観をもち、入管業務対象者に対してはつねに公安的な発想で接していたことが、明らかとなったという1。

戦後初期の入管担当者に聞き取りをした故大沼の表現を借りれば、旧大日本帝国の植民地下にあった在日韓国・朝鮮人、台湾人に対する管理と差別意識がそのまま「外国人と日本国民の間に差別があるのは当然」という形で正当化され、また悪名高い戦前の特高警察が主要な担い手であったことから「戦前の感覚」が存在して、引き継がれたというのである2。

会社と同様に各省庁にもそれぞれ組織文化が根付いており、体質として戦後の長い間、組織内で何らかの形で温存されてきたとしても、それはとくに不自然なことではないだろう。


山口敬之の逮捕をツブした中村格の警察庁長官に抗議殺到! 警視総監も安倍の元秘書官が就任で“自民党の秘密警察”化がさらに

『リテラ』2021.09.15 

共産党・山添議員の不可解な書類送検の裏に官邸ポリスの政権忖度! 埼玉県警本部長に安倍晋三の元秘書官・原和也が就任後、方針変更

『リテラ』2021.09.25
 
2つの記事の表題である。
少し前、前川喜平氏の「スキャンダル」暴露問題もあった。公安警察が暗闇で、いや公然と影響を及ぼしてきている。暗黒政治を許してはいけない。

自民の身勝手にもの申す

2021年09月26日 | 社会・経済

「東京新聞」社説・コラム ぎろんの森

2021年9月25日 

 社説を担当する私たち論説室と、日々のニュースを報じる編集局は同じ会社でありながら、それぞれ独立した存在です。ただ、編集局の問題意識に論説室が共感し、社説であらためて主張を展開することもあります。

 二十二日付朝刊1面「自民 憲法よりも党利」がその一例です。記事は、菅義偉首相の後任を選出する臨時国会を十月四日に召集する政府の閣議決定により、次期衆院選が初めて議員任期満了後に行われることが確実になったと指摘し、「自民党の党利党略によって、憲法を軽視するような異例の事態」と、論点を明示して報じるものでした。

 野党側は憲法五三条に基づく正規の手続きで、新型コロナウイルス対応のための臨時国会召集を七月から求めていたにもかかわらず、菅政権は要求を無視し続けた揚げ句、自民党総裁選で後任が決まるから、臨時国会を開いて首相を指名するというのです。

 論説室でも、二十四日付社説「衆院選先送り 任期満了後の身勝手さ」で、憲法を軽んじ、自民党の都合で臨時国会の開閉会や衆院選の時期を決める姿勢を、厳しく批判することにしました。

 読者から早速「まさにその通り。身勝手な自民党には飽き飽き。これからも政権批判して」との励ましをいただきました。心強い限りです。

 四候補が争う自民党総裁選には、論説室もそれなりの関心はありますが、総裁選一色のテレビや他紙の報道には違和感も覚えます。

 自民党は現在、衆院第一党ですから総裁が首相に就くのは常道としても、直後に衆院選を控える政治状況では「首相候補」を選ぶ身内の手続きにすぎません。衆院選を任期満了後にまで先送りして行うほどのことでしょうか。「総裁選に時間をかけすぎだ」との読者の意見に同感です。

 これ以上の政治空白は国民の不利益となります。新総裁選出後、速やかに衆院を解散して国民に判断を仰いだらどうでしょう。首相を選ぶのは結局、自民党議員や党員でなく国民なのですから。 (と)


 党利党略、問答無用、絶対主義的自民党政治。いやはや、早く交代してもらいましょう!

今日の散歩道。

ツリバナとコスモス。

ノブドウ。

園地の草刈り。


内田樹の研究室 格差について

2021年09月25日 | 社会・経済

2021-09-25 samedi

 階層格差が拡大している。所得格差の指標として用いられるジニ係数は格差が全くない状態を0、一人が全所得を独占している状態を1とするが、日本のジニ係数は1981年が0.35、2021年は0.56と上がり続けている。この趨勢はこの先も止まらないだろう。「一億総中流」と呼ばれた国の面影はもうない。

 日本における格差拡大の要因は何か。それは雇用形態の変化である。かつては終身雇用・年功序列という雇用の仕組みが日本のどの企業でも支配的だった。

 もうその時代を記憶している人の方が少数派になってしまっただろうが、あれはずいぶんと気楽なものだった。植木等の「ドント節」(作詞青島幸男)は「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」というインパクトのあるフレーズから始まる。もちろん誇張されてはいるが、それなりの実感の裏付けはあった。

 60年代はじめのサラリーマンの日常を活写した小津安二郎の映画では、サラリーマンたちは小料理屋の小上がりで昼間からビールの小瓶を飲んで、午後のお勤めに出かけていた。もちろん全員定時に帰る。私の父もそうだった。毎日、同じ電車で出勤し、同じ電車で帰って来た。雨が降ると、駅前には傘を持って父親を迎えに来た子どもたちが並んでいた。今の人には信じられないだろう。だが、人々がこの判で捺したようなルーティンを営んでいる時代に、日本経済は信じられないほどの急角度で成長していたのである。

 それはこの時代の日本人がたいへん効率よく仕事をしていたからだと思う。どうして効率が良かったかというと、「査定」や「評価」や「考課」に無駄な時間や手間をかけなかったからである。

 年功序列というのは要するに「勤務考課をしない」ということである。誰にどういう能力があるかは仕事をしていれば分かる。人を見て、その能力に相応しいタスクを与えればいい。別に査定したり、格付けをしたりする必要はない。難しいタスクを手際よくこなしてくれたら、上司は「ありがとう」と部下の肩を叩いて、「今度一杯奢るよ」くらいで済んだ。この時代の日本の会社は言うところの「ブルシット・ジョブ」がきわめて少なかったのである。

「ブルシット・ジョブ」は人類学者デビッド・グレーヴァーの定義によれば「被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど完璧に無意味で、不必要で、有害でもある雇用の形態」のことである。英国での世論調査では「あなたの仕事は世の中に意味のある貢献をしていますか?」という質問に対して37%が「していない」と回答したそうである。たぶん今の日本で同じアンケートをしたら50%を超えるだろう。

 それなしでは社会が成り立たない仕事を「エッセンシャル・ワーク」と呼ぶ。公共交通機関やライフラインの管理運営、行政や警察や消防や、医療や学校教育、衣食住の必需品の生産・流通は「エッセンシャル・ワーク」である。それがきちんと機能していないと世の中が回らない。一方、いくなっても誰も困らない仕事をする「ブルシット・ジョブ・ワーカー」たちは「エッセンシャル・ワーカー」がちゃんと働いているかどうか管理したり、勤務考課したり、「合理化」したり、組織が上意下達的であることを確認することを主務とする人々である。そして、この人たちの方が「エッセンシャル・ワーカー」よりもはるかに高い給料をもらっている。

 不条理な話だが、ソースティン・ヴェブレンの『有閑階級の理論』によれば、人類が農業を始めてからずっとそうであるらしい。実際に労働して価値を生み出している人たちが社会の最下層に格付けされ、自分ではいかなる価値も創出しないで寄食している王侯貴族や軍人や聖職者たちの方が豊かな暮らしをする。

 今日本で格差が拡大しているというのは、言い換えると、「いかなる価値も創出せず、下層民の労働に寄生していばっている人たち」が増えているということである。だから、一部の人が天文学的な個人資産を蓄え、圧倒的多数が貧しくなり、集団全体は貧しくなる。

 格差というのは単に財が「偏移」しているということではない。格差は必ず、何の価値も生み出していない仕事に高額の給料が払われ、エッセンシャル・ワーカーが最低賃金に苦しむという様態をとる。必ずそうなる。

 もし、階層上位者たちが「明らかに世の中の役に立っている仕事」を誠実かつ勤勉に果たしているように見えていたら、私たちは決して「格差が拡大している」という印象を持たないであろう。世の中の役に立つたいせつな仕事をしてくれている人たちがどれほど高給を得て、豊かな暮らしをしていても、私たちはそれを「不当だ」とは思わない。「格差を補正しろ」とは言わない。

 だから、今日本で起きていることは単なるジニ係数的な「格差の拡大」ではない。ヴェブレンのいうところの「有閑階級」、グレーヴァーのいうところの「ブルシット・ジョブ・ワーカー」が全員で分かち合うべきリソースの相当部分を不当に占有し、濫費しているという印象を多くの国民が抱いているという事態なのである。「分配がアンフェアだ」という不条理感と、にもかかわらずそれを補正する手立てが見当たらないという無力感が、「格差が広がっている」という一見すると客観的な統計的事実の裏にある心理的事実である。この不合理を解消する手立てはあるのだろうか。

 格差があるときに、公権力が強権的に介入して、富裕者から召し上げた富をいったん国庫に納めてから再分配を行うのは難しい。歴史をひもとく限り、ほとんどの「強権的再分配」は失敗している。権力を手に入れた後に「公庫」と「自分の財布」の区別ができる人間は残念ながら例外的である。

 だから、いくら「有閑階級」が「ブルシット・ジョブ」で高禄を食んでいても、彼らの懐にダイレクトに手を突っ込んで、他の誰かの懐にねじ込むというやり方は止した方がいい。たいていの場合、それはさらなる社会的不平等をもたらすだけである。

 それよりは富裕者から召し上げたものは「公共財」として、パブリックドメインに供託するのがよいと思う。貨幣として退蔵するのではなく、「みんながすぐに使えるもの」にするのである。学校とか、病院とか、図書館とか、美術館とか、体育館とか、あるいは森や野原や湖沼や海岸というかたちあるものにして、「さあ、みなさんご自由にお使いください」と言って差し出すのである。私が「コモンの再生」ということを主張している時に考えているのはそういうイメージである。

 できるだけ「私有財」のエリアを抑制して、「公共財」のエリアを広げる。美しい森の中を歩いている時に、「私有地につき立ち入り禁止」という看板を見ると私は震えるほど腹が立つ。土地はもともと誰の所有物でもない。それを国や自治体が買い上げても、今度は「公有地につき立ち入り禁止」では何も変わらない。「公有地なので、みんなで使ってください」というのが正しい使い方だと思う。

 コモン(Common)というのは中世の英国にあった村落共同体の共有地のことである。村人たちはそこで牧畜をし、鳥獣を狩り、魚を釣り、果樹やキノコを採った。コモンが広く豊であればあるほど、村人たちの生活もまた豊かなものになった。コモンが消滅したのは、「こんな使い方をしていたのではカネにならない」と言って、私有地として買い上げて、牧羊したり、商品作物を栽培したりする「目端の利いたやつ」が出てきたせいである。それが「コモンの悲劇」の実相である。そうやって「囲い込み」が行われて、コモンは消滅し、農民たちは没落して都市プロレタリアートになり、産業革命のための労働力を提供し、資本主義が繁盛することになった。

 そうやってコモンが消滅したのなら、「コモンの再生」はそのプロセスを逆にたどることになる。それは私有財を「これをみんなで使ってください」といって公共財として差し出すことである。

「そんなのは絶対嫌だ」と言って、私有財産にしがみつく人間はもちろんいるだろう。いて当然である。その人たちから強権的に私財を奪うべきではない。それは前にやって失敗した。「いやだ」という人は放っておけばいい。「私財を提供してもいい」という人たちの頭数をひとりずつ増やしてゆくだけでいい。

 私の道場は現在は私物だが、いずれ寄贈して門人たちに「コモン」として利用してもらうつもりである。そういうささやかな個人の実践の積み重ねが迂遠なようだけれど、一番確実なやり方だと私は思っている。 


 わたしの農場も『コモン』として開放しているのだが集まってこない。楽しいところだ。ここを利用して何をやってもいいし、何もしなくてもいい。

霜の季節か・・・

ハウス内で。
ニシキギ、際立つ紅葉。


今日の散歩道。


グレタさんら若者、参加呼びかけ 24日、世界気候アクション 温暖化対策求め行動を

2021年09月24日 | 自然・農業・環境問題

「しんぶん赤旗」2021年9月22日

 各国首脳が国連総会に集まるのに合わせて、地球温暖化対策を求める世界規模のデモが24日に行われるのを前に、スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥンベリさんら各国の若者が20日、オンラインで会見し「各国の新型コロナの状況を考慮しつつも、できるだけ多くの人に参加してほしい」と呼びかけました。

 グレタさんが温暖化対策を求めて始めた、未来のための金曜日の「学校ストライキ」は2019年9月、185カ国で700万人超が参加した「史上最大の世界一斉デモ」(国際環境団体)へと発展しました。

 ストックホルムの自宅から会見に参加したグレタさんは、パンデミック以来、デモの小規模化やオンライン化を余儀なくされてきたものの、「私たちはまだここにいて、気候対策と気候正義を求めているということを示すために、街頭での行動に戻る」と強調しました。

 また、気候危機は根源をたどれば経済格差など他の問題ともつながっているとして、「システムを変える」が今回のデモのハッシュタグ(拡散用の合言葉)だと説明。このままだと2030年までに温室効果ガス排出量が10年比で16%増えるとした直近の国連報告書に触れ、「正しい方向には向かっていない。世界の首脳は若者の声を聞いているというが、明らかに聞いてなどいない」といっそうの対策を求めました。

日本、全国各地で行動予定

 日本では、東北から沖縄まで、「未来のための金曜日」(FFF)が各地でスタンディングなどの行動を予定しています。オンラインの企画もあります。社会やお金の流れの仕組みを勉強するものや、各地の脱炭素の取り組みの紹介、山口県知事に上関原発の是非を問う手紙、SNSで政府に対策を求める取り組みなど10企画が予定されています。


散歩再開。
農作業が本格化してから散歩もできていませんでしたが、昨日から江部乙で再開しました。

 

帰宅してから裏の山へ。

昨日の雨で・・・・・


子の大学進学で「隠れた貧困」に?

2021年09月23日 | 教育・学校

年収600万円家族、コロナ禍で深まる苦境

 
今野晴貴NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。

 コロナ禍での休業による収入の減少や、解雇・雇止めに伴う失業などによる貧困が拡大し、私たちは生活基盤の脆弱さを思い知らされた。もちろん、諸外国と比べ、日本の政府支援はかなり手薄だったことは否めない。しかし、コロナ以前から私たちの生活はいつ崩れてもおかしくない状況に置かれていたという事実も直視しなければならない。

 その一例として、「教育による貧困」を挙げることができる。

 今日では、日本の大学進学率は51%に上っており、大学進学自体は決して贅沢ではない。しかし、日本は教育費の家計負担率が高いことで知られ、それが「隠れた貧困」を引き起こしている。

大学進学率の国際比較。出展:文部科学省。
大学進学率の国際比較。出展:文部科学省。

 高い学費が理由となって、世帯年収600万円の「ふつう」の生活を送ってきた4人家族であっても、子どもが大学に通うと生活保護レベルの生活水準になってしまう。なお、最新2019年の国民生活基礎調査の世帯年収の平均が552万円であるから、世帯年収600万円はちょうど平均より少し高いくらいだ。

 日本学生支援機構によれば、大学生や専門学校生のいる親世帯の平均年収は862万円だが、600万円未満の世帯は32%を占めている。

 今回は、この問題について詳しく見ていこう。

大学生がいる世帯年収600万円の家族は生活保護レベルになる

 世帯年収600万円の「普通」の生活を送ってきた4人家族であっても、子どもが大学に通うと生活保護レベルの生活水準になってしまう構図は次のようなものだ。

 まず、子どもを大学に通わせる場合のコストが高い。日本学生支援機構の「学生生活調査」(平成28年度)によれば、授業料のほかに、学習費、生活費、交通費など含めた費用の合計は、平均で年間188万円に上る。最も費用が高いのは、「私立大学4年制・自宅外通学」の場合で、年間約250万円だ。この金額を世帯年収600万円から引くと、残りは350万円~412万円程度。これが、生活保護基準とほぼ同等なのである。

 このように、年収600万円の4人家族で、一人が大学生になると、残りの三人の生活費は生活保護基準にまで落ち込んでしまうのだ。生保基準は近年引き下げられていることもあり、食費や光熱費などを切り詰めて節約しなければならず、貯金などはかなり難しい生活水準である。

 さらに、現実には世帯年収600万円を確保することも、容易ではなくなっている。共働きが増えているとはいえ、男性雇用者(35~39歳)の収入は、年収300万円~400万円が約19%、年収300万円未満が約21%と、合わせて4割程度にまで落ち込んでいる。

 その結果、この10年間の間に奨学金制度の利用や、大学生のアルバイトが急拡大してきたのだ。

奨学金利用数の減少とその背景

 ところが、その奨学金の利用も近年減少している。その原因は、奨学金制度の「借金」としての過酷さが世間に広がり、借り控えが起きているとみられる。実際に、学生の74.4%が返済に不安を感じているという。

 図2の奨学金利用者数の推移を見ると、奨学金の貸与人員は2013年度をピークに低下傾向にある。1998年の50万人から、2013年の144万人に至るまで職学金の利用者は急速に拡大してきたが、2018年には127万人まで減少している。なお、2013年から2018年まで大学等への入学者数はほぼ横ばいである。

図2 奨学金利用者数の推移。出典:文部科学省ホームページより。 
図2 奨学金利用者数の推移。出典:文部科学省ホームページより。 

 現在、大学生・短大生の37.5%が奨学金を借りており、平均借入額は324.3万円に上る。平均月額返済額は16800円だが、非正規雇用で低賃金であったり、「ブラック企業」の過労が原因で働けなくなったりなどして、たちまち返済が滞ってしまうケースは少なくない。そして、奨学金を延滞すると、厳しいペナルティと過酷な取り立てが待っている。

 実際に、奨学金を返済できず自己破産する若者が相次ぎ、保証人も返済できずに破産する「破産連鎖」も生じて社会問題化した。そうした中で、2020年度からは修学支援制度が創設され、授業料無償化と給付型奨学金が実現したが、対象となる世帯は年収270~380万円とかなり限定的だ。

 結局、年収600万円程度の「普通」の世帯の若者は奨学金を借りることをあきらめて、ますますアルバイトを増やす方向で進学を目指すようになっているとみられる。

コロナ禍で厳しい状況に置かれる学生バイト

 ところがコロナ禍で、頼みの綱である学生アルバイトも減収を強いられており、さらに厳しい状況に陥っている。今年3月に文科省が行った全国調査によれば、今年1~2月の緊急事態宣言発令中と、昨年10~12月(宣言未発令時)を比較して減収した学生が49.7%と約半数に上っている。

 本来、会社に責任のある理由で労働者を休業させた場合、会社は、労働者の最低限の生活の保障を図るため、少なくとも平均賃金の6割以上の休業手当を支払わなければならない(労働基準法26条)。新型コロナによる営業自粛は、原則的にこの規定の範囲内だと考えられる。

 一方、政府は雇用調整助成金の特例措置を拡充しており、大企業の場合、労働者に支払った休業手当の最大75%が助成される。さらに、緊急事態宣言への対応特例として、一定の場合に大企業に対する助成率が最大100%になる。これらの措置は学生のアルバイトにも適用されることが政府によってアナウンスされている。

 だが、こうした特例措置が取られているにもかかわらず、休業手当不払いが横行しているのだ。

 また、シフト制のように週当たりの労働時間が明確でない場合に休業手当の支払義務が生じるか否かについては、法律上、明確な決まりがない。シフトが確定した後に一方的にキャンセルされた場合には当然に「休業」に当たると考えられるが、シフトが決まる前の場合には、現状、明確な法律違反とまでは言い切れない。

 実際に、シフトが確定していない期間については「休業」に当たらないとして休業手当の支払いを拒む企業は多い。野村総合研究所が今年3月発表した調査によれば、今年2月の時点で、コロナでシフトが減少したパート・アルバイトのうち、女性の74.7%、男性では79.0%が「休業手当を受け取っていない」と回答している。

 そこで政府は、シフト制の場合にも、直近月のシフトなどに基づいて雇用調整助成金の申請が可能であると周知しているところだ。

 筆者が代表を務めるNPO法人POSSEや、学生たちが作る労働組合「ブラックバイトユニオン」には、多数の学生からの相談が寄せられている。例えば、都内の私立大学に通っていた学生は、昨年4月初めからシフトがなくなり、補償も全くなされなかった。7月に会社から電話があり、解雇を通告された。

 「4月から8月の休業手当は日々雇用だから支払義務はない」と会社に一方的に言われ、学生は「身勝手な言い分で、到底納得できない」と憤りを感じたという。この学生は実家暮らしで家賃などはかからなかったが、バイト代を自分の生活費に充てており、バイト代なしには大学生活を送れないと訴えていた。

 コロナ禍でアルバイトの休業手当不払いや解雇に遭った場合、個人で加盟できるユニオン(労働組合)に加入し、会社と交渉することができる。法律上、会社は労働組合との交渉を断ることはできず、交渉にはユニオンの専門家も同席する。この方法で学生のアルバイト問題も多くが解決している。

問題の背景-賃金低下と教育費高騰

 最後に、このような問題が生じる背景と対策について考えてみよう。

 第一に、最大の要因は、賃金の低下に伴う世帯収入の減少である。これまで主な稼ぎ手とされてきた男性労働者の賃金を見てみると、35~39歳では1997年から2017年の間に、400万円以上の層が76%から58%に減少したのに対し、400万円未満の層が23%から40%に増加している。このように賃金の大幅な低下がみられる。低賃金の非正規雇用や、正社員であっても賃金が上昇しないケースが増えているためだ。

 その分、子育て世帯では女性(母親)の就業率が高くなっているにもかかわらず、世帯の平均可処分所得は、1997年から2015年で97万円も低下している。つまり、賃金の大幅な低下が子育て世帯の収入減少を招いている。

 第二に、教育費負担が大きいということである。特に学費については、国立大学において、1975年には授業料が36000円、入学料が50000円だったが、2005年以降現在に至るまで授業料は53万5800円、入学料は28万2000円(現在は国立大学法人、いずれも標準額)と、授業料は14.8倍、入学料は5.6倍も高騰しているのである。私立大学においては、これ以上の負担を強いられていることは言うまでもない。

国立大学及び国立大学法人授業料と入学料の推移。出典:文部科学省「国立大学と私立大学の授業料推移」
国立大学及び国立大学法人授業料と入学料の推移。出典:文部科学省「国立大学と私立大学の授業料推移」

 文科省は授業料の標準額から2割増の64万2960円までの増額を認めており、実際に、2019年度からは東京工業大と東京芸術大が、2020年度からは千葉大、一橋大、東京医科歯科大が授業料の増額を行っている。東京工業大を除く4大学で上限いっぱいの2割増の金額となっている。増額の理由としては、外国人教員の招聘、語学教育の充実など教育と研究における国際化の推進などが挙げられている。

 さらに、文科省は国立大学法人の授業料「自由化」を検討しており、大学の裁量でさらなる授業料の値上げが可能になるかもしれない。

 こうして日本では、子どもを大学に通わせた途端に、「普通」の生活から生活保護レベルのギリギリの生活水準に陥ってしまうのである。そもそも、日本は世界的に見ても、教育に対する公的負担が少ない国である。従来、日本の高等教育費の公的負担のGDP比はOECD平均を下回っていたが、最新(2017年)のデータではようやくOECD平均に追いついたところである。これは2017年度の日本学生支援機構の給付型奨学金の創設のためだと考えられる。とはいえ、すでに述べたように対象は住民税非課税世帯であり、4人家族で年収380万円程度とかなり厳しい低所得世帯に限定されている。

学費の引き下げか、給付型奨学金の拡充を

 世界的には、①低学費、②給付型奨学金の二つが高等教育政策の柱となってきたが、その中でも日本は特異な位置を占めてきた。2020年度に修学支援制度が創設され、低所得層への授業料無償化と給付型奨学金が行われるまで、高等教育政策の二つの柱に取り組んでこなかった唯一の国だった。日本では授業料に収入を依存する私立大学の割合が高く、高等教育が早くから商品化されており、教育費は社会全体ではなく親が支払うべきものとされてきたからだ。以下の比較図を見れば、日本の高等教育政策がいかに低水準であるかがわかるだろう。

斎藤千尋・榎孝浩「諸外国における大学の授業料と奨学金」『調査と情報 No.869』国立国会図書館、2015年より引用。
斎藤千尋・榎孝浩「諸外国における大学の授業料と奨学金」『調査と情報 No.869』国立国会図書館、2015年より引用。

 上図は2015年のものであり、給付型奨学金の創設により、日本の公的補助はその後若干改善している。だが、その対象範囲は狭い一方で、従来通り教育という必須の社会サービスが商品化され、多額の自己負担を要することから、世帯年収600万円という平均的な家庭であっても、たちまち貧困に陥ってしまうことに変わりはない。

 高等教育が先進国でますます一般化していく中で、希望する誰もがアクセスできるようにするために、学費の減免や給付型奨学金制度を拡大し、高等教育費用の公的負担を増やしていくべきだろう。それは、「隠れた貧困」を減少させることにも直結しているのだ。

NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。

NPO法人「POSSE」代表。年間3000件以上の労働・生活相談に関わり、労働・福祉政策について研究・提言している。著書に『ストライキ2.0』(集英社新書)、『ブラック企業』(文春新書)、『ブラックバイト』(岩波新書)、『生活保護』(ちくま新書)など多数。2013年に「ブラック企業」で流行語大賞トップ10、大佛次郎論壇賞などを受賞。共同通信社・「現論」連載中。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。POSSEは若者の労働問題に加え、外国人やLGBT等の人権擁護に取り組んでいる。無料労働相談受付:soudan@npoposse.jp。


 これで『ノーベル賞』候補を育てることは不可能となる。それどころではない、我が子を大学に進学させることで自身が『貧困』に陥る可能性が大きいのだ。

我が国の政治体制そのものをチェンジさせなければますます悪い深みにハマってゆくだろう。

子に、孫に明るい未来を、希望ある未来を残したい。

今こそ政権交代を!


ノブドウ


雨宮処凛がゆく! 第570回:「自宅療養」と言われても〜路上の人がコロナ陽性になったあるケース。

2021年09月22日 | 生活

マガジン9 2021年9月22日

 その診断書には、発熱があること、味覚障害があること、血中酸素飽和度は93であること、そして肺に影があることが書かれていた。

 診断書の当事者は、路上で暮らしていた男性だ。「第5波」が猛威を振るっていた8月、路上生活者などを支援する「あじいる」の健康相談会に訪れたのだ。

 路上生活をする男性のコロナ陽性から発覚したのは、保健所、東京都の発熱センター、医療機関の連携がなされていないこと。そして原則「自宅療養」と言われる中、自宅がない人がコロナ陽性になった場合のことが何ひとつ想定されていない現実だった。

 今回お話を聞いたのは、「あじいる」の中村光男さん。長年、東京・山谷を拠点として路上生活者支援をしてきた人だ。

 公園での健康相談会は2001年から毎月一回、20年続いてきたもので、コロナ禍でも感染対策をしながら開催されてきた。

 そんな相談会に発熱している男性一一仮にAさんとする一一が訪れたのは8月22日のこと。熱があるということで、用意していた発熱者用のテントに案内した。健康相談会には医師もいるので診てもらい判断をあおぐと、救急車を要請するしかないということに。

 そうして救急車を呼ぶものの、その間にも熱は上がっていく。しかし、救急車に乗れたとしても安心ではない。第5波真っ盛りの中、受け入れてくれる病院がなかなか見つからないのだ。

 ちなみに「あじいる」では、路上の人が救急搬送される際、支援者が一人同乗するようにしているそうだが、救急車の狭い空間では感染のおそれがある。結局、ワクチン接種をすでに2回終えている支援者が同乗。一方、入院はできないものの、検査だけしてくれる病院が見つかったため墨田区の病院に行くことになった。

 検査を受けると、すぐに陽性が判明。その時点で保健所に連絡が行く。住まいがないこと、保険証もないことなどを病院に伝えるものの、連絡が来るはずの保健所はパンク状態なのか一向に連絡はない。連絡を待つ間、Aさんは病院の片隅で、貸し出された車椅子の上でずーっと待機している状態。

 自宅がある人であれば、これから不安な自宅療養が始まるわけだが、Aさんには家がない。入院、もしくは療養施設への入所はその日は難しいと判断し、中村さんはAさんを迎えに行った。たまたまその日は協力団体のシェルターが一部屋空いていたため、その晩はそこに宿泊するしかないということになったのだ。

 中村さんは車を急遽「コロナ仕様」に改装。ビニールシートを貼るなど万全な感染対策をして、Aさんを車に乗せた。

 この日だけでもかなりの支援者がリスク承知でAさんの支援をしているが、強調したいのは、彼らはボランティアで相談会をやっている人々だということだ。

 さて、Aさんは生活保護申請をしたいということだったので、その夜、福祉事務所にFAXで生活保護を申請(申請はFAXでもできる)。

 なんとかこの日は路上ではなく屋根のある部屋で寝ることができたが、そこはトイレも洗面台も共同の場所。他の人に感染が広がってもおかしくない。ということで翌朝、この日からの滞在場所を確保すべく、Aさんと支援者は区役所へ(Aさんは役所内に用意された待機場所で待機)。前日夜の生活保護申請については問題なかったものの、コロナ陽性で住まいのないAさんが今日からどこで療養すべきか、行き先は決まらない。区役所は救急車を呼んだが、やはり受け入れ先は見つからず、Aさんはずっと救急車で待機の状態だったという。そうしてAさんが「入院できた」と連絡があったのは、その翌朝のこと。

 8月22日に相談会に来てから、実に3日目のことだった。

 一連の経緯から中村さんが痛感したのは、「東京都の発熱センターと保健所、病院の連携がまったくとれていないこと」だという。

 「発熱センターは、病院で検査を受けるまでを手配するだけのところ。入院できるかどうかは、保健所が決める。医師の診断書には入院がベターだと書いてあるけど、保健所から連絡がないとどうにもならない。第5波の一番ひどい時期で自宅療養の人もどんどん亡くなっていたし、入院先はなかなか見つからないだろうとは思ってたけど、行政の連携がまったく機能していないことがはっきりしました」

 本来であれば、家があろうと路上生活であろうと、「コロナかも」と思ったらワンストップで対応される仕組みがあるべきなのだ。それがたらい回しのような状態の上、Aさんのように住まいも保険証もない場合の想定すらされていない。ちなみに、住まいのない人が生活保護申請した場合、都内であれば1ヶ月ほど東京都が協議しているホテルに滞在できるが(交渉の必要あり)、こちらもコロナ陽性であれば難しいだろう。そのような場合のことを、誰も想定も準備もしていなかったというお粗末さ。

 

 Aさんは健康相談会に来たことで入院につながれたものの、もし、相談会がなかったらと思うとゾッとする。そのまま放置され、最悪の場合、路上で命を落としていたかもしれない。何しろすでに肺に影ができている状態だったのだ。

 一方、やはり第5波の8月、路上ではないがドヤで命を落とした人がいる。ドヤとは料金の安い簡易宿泊所のことで、日雇い労働者や元野宿者、生活保護を利用する人などが多く住んでいる傾向がある。東京の山谷や大阪の釜ヶ崎、横浜の寿町などは「日本三大ドヤ街」と呼ばれている。この夏、台東区のドヤで遺体となって発見された男性は、コロナ陽性だった。

 「デルタ株になってから、ドヤでもぽつぽつと感染者が出たという話は聞きますね。ドヤはトイレも風呂も共用だから、一人感染者が出たらヤバいんです」

 トイレが共用ということで言えば、ネットカフェなどもそうだろう。そのような場所から感染が疑われる人が出た時点で、完全に個室に隔離されるような仕組みがあるかと言えば、やはり、ない。そういうシステムがあればクラスターの発生を未然に防げると思うのだが、どこまで行ってもコロナ対応は後手後手だ。

 それにしても、コロナ禍が始まってから一年半も経っているのに、家がない人がコロナに感染することを予想していなかった行政には驚くばかりだ。そう言うと、中村さんは言った。

 

 「想定してなかったというより、路上とかの人はハナから入ってなかったというか、対象外だったんじゃないですか」

 確かに、最初から、感染症から守るべき市民、住民の中に入っていなかったとしか思えない。そういえば、そんな人たちの中には、リーマンショックの時の1万2000円の給付金も、昨年の10万円の特別定額給付金も受け取れなかった人が少なくない。最初から「みんな」の中に含まれていないという、圧倒的な差別。

 さて、コロナ禍の今、中村さんが思い出すのは2008〜09年にかけて、路上生活の人の間で結核が流行り、多くの人が亡くなったこと。中村さんの知人だけでも10人近くが命を落としたという。確かにこの頃、ネットカフェで結核が流行していたが、路上で多くの人が亡くなっていたことを、私はこの日、初めて知った。

 「あの時は台東区の保健所も動いて、レントゲン車を定期的に出して検査をしたんです。でも、その場ですぐに結果が出ず、後日貼り出す方式だった。その場で結果がわかって、感染してる人をすぐ入院させればよかったんだけどそうじゃなかった」

 結果、入院できないまま、遺体で発見された人もいたという。

 「社会的に、被差別空間だったり政策が行き届かないところでは、検査も行き届かない」

 ワクチンもだ。そもそも路上生活の人にはワクチンの接種券が届かない。

 そんな状況を受け、この夏から、全国の「寄せ場」などで集団接種が始まった。東京都・台東区でも路上生活者向けの集団接種が始まり、現在までに89人が接種している。

 しかし、もしワクチンで重い副反応が出たとしても、滞在できる宿泊場所などは今のところ用意されていない。現在、ワクチン接種を受ける際には多くの人が副反応を心配して翌日休みを取ったり、食料や水を準備したりと万端の準備を整えているが、住まいがない場合、路上で副反応に耐えなければならないのだ。副反応が重かった場合だけでも、1日とか2日だけでも、なんとかならないものだろうか。

 さて、路上生活者支援歴の長い中村さんは、バブル崩壊もリーマンショックも体験している。そのたびに路上に人が増えるわけだが、過去のふたつと比較しても、コロナ禍は過酷だと指摘する。

 「感染症と、その対策の不備。それとコロナで失業して生活困窮する人たちがたくさん出たということがセットで起きたことで、これまでとは様相が違いますね」

 そもそも、今のコロナ対策は家がある人だって安心とは言えない状態だ。

 「今、東京都では原則、自宅療養ということになっていて、自宅でどんどん亡くなっている。その上、自宅療養のせいで、家庭内感染が一番多い。これは政策によって引き起こされているわけですよね」

 自宅療養と言うわりには、自宅がない人のことは想定もされていない。「ステイホーム」もそうだが、住まいがない人の命は常に切り捨てられている。

 中村さんに話を聞いたのは、Aさんが訪れてから初めて健康相談会が開催された9月19日。この日、弁当配布には130人以上が訪れ、薬を貰いに来た人は60人以上にのぼったが、発熱した人が来ることはなかった。

 しかし、中村さんは今、第6波の心配をしている。

 今後、もし発熱した人が増えていったら、支援団体ができることには限りがある。その時のことを行政はどう考えているのだろう? 8月には、都内の他の炊き出しにも、発熱した人が来たと聞いている。今のところ、路上の人が発熱した際のための窓口や連絡先はない。

 民間の支援団体が「命がけ」で奮闘する中、テレビは自民党総裁選一色だ。


さてさて、こちらの選挙のほうが面白い。

連合会長選に鈴木氏立候補へ 中小産別から名乗り 改選調整難航

 日本労働組合総連合会(連合)の新会長を決める選挙に、全国コミュニティ・ユニオン連合会(全国ユニオン)の鈴木剛会長(52)が立候補を検討していることが19日、明らかになった。700万人が加盟する連合で、組合員数の少ない中小産別から委員長が選出されれば極めて異例。2年に1度の役員改選に向けた調整が難航し、10月6日の定期大会を前に候補が固まらない事態となっていた。

 全国ユニオンは非正規労働者らが個人加盟する労働組合で構成され、約3000人が加盟。連合傘下では小所帯とされる。3期6年の任期を間もなく終える神津里季生氏を含め、過去の会長はいずれも影響力や規模が大きい産別の出身者ばかりだった。関係者によると、鈴木氏は「非正規・中小の労働運動に力を尽くしたい」と述べ、出馬に意欲を示しているという。

 連合は新会長らを決めるにあたり、中心的な産別の関係者で役員推薦委員会をつくり、立候補者を検討、打診していた。神津氏の下で事務局長を務める相原康伸氏やUAゼンセン会長の松浦昭彦氏らの他、推薦委の責任者を務める運輸労連委員長の難波淳介氏の名前が挙がったが、いずれも調整は不調に終わった。

 立候補の締め切りは今月22日。関係者によると、17日の臨時中央執行委員会で、立候補者が出なければ締め切りを延期する方針が報告された。鈴木氏はこうした状況も踏まえて出馬の可能性を模索したとみられる。【東海林智】

 今日が締切である。どうなったか注目しているのだが、今のところ新しいニュースは出ていない。


「論文ランク1位は中国」ノーベル賞常連の日本が貧乏研究者ばかりになってしまった根本原因

2021年09月20日 | 教育・学校

 

研究室の「貧富の格差」という大問題

2021/09/20 PRESIDENT Online

知野 恵子  ジャーナリスト

    政府は、今年度中に10兆円規模の大学ファンドの運用を始める。その目的は、研究費や人材育成の資金捻出で、大学側にはさらなる組織改革を求めていくという。ジャーナリストの知野恵子さんは「背景には、金持ち研究室と貧乏研究室の深刻な格差がある。このままでは研究者の海外流出は防げそうにない」という――。

10兆円規模の「大学ファンド」が始まる

    「稼げる大学」という言葉が、8月末にネットを飛び交った。政府の総合科学技術・イノベーション会議(議長・菅義偉首相)が、10兆円規模の大学基金(ファンド)創設、大学の経営力強化などを通じて、大学の自己収入を増やす方策を提案したからだ。知の探究や次世代育成の場である大学が、なぜ今「稼ぐ」ことを求められるのか。

    ネットでは反発する声も目立ったが、大学が「稼ぐ」こと自体は悪いことではない。特に国立大学は、国から配分されるお金が減少する中、産業界との共同研究や、学外から研究費を獲得する「外部資金」などによって自己収入を拡大してきた。

    だが今回の「稼げる大学」は、そうしたものとは「質」が異なる。10兆円規模の巨額の大学ファンドを創設し、その運用益を、研究費や人材育成に充てるという、これまでにない方法をとるからだ。投資文化が根付かない日本では、思い切った政策だ。

    ファンドが支援する対象は、国公私立を問わず、トップクラスの研究大学で、政府が「特定研究大学」(仮称)に指定する。指定にあたって政府は、経営強化と組織改革を大学に求める。

ノーベル賞常連の日本がまさかの10位に転落

    背景には、日本の科学研究力の低下がある。文部科学省科学技術・学術政策研究所が8月に発表したデータは、「科学技術立国」を標榜してきた日本にとってショッキングなものだった。世界で注目される質の高い論文数のランキングで、中国が初めて米国を抜いて1位になる一方、1990年代後半には米英独に続いて4位だった日本は、昨年よりさらに1位落ち、インドより下の10位になった。

    2000年以降、日本人のノーベル賞受賞が続いたため、「日本の研究レベルは高い」と思われてきた。だが2016年にノーベル生理学・医学賞を受賞した大隅良典・東京工業大栄誉教授は、受賞決定直後の祝賀ブームの中、「研究費が絶対的に不足している」「若い人が次から次に出てこないと日本の科学は空洞化する」と、先行きを危ぶんだ。改めてそれがデータで裏付けられた形だ。

すぐに役立つか分からない基礎研究には冷たい

    政府は1995年から「科学技術立国」を掲げ、さまざまな政策を進めてきた。資源の乏しい日本は、科学技術の研究と成果で発展する、という考えからだ。にもかかわらず、なぜ逆の結果になってしまったのか。

    大きな原因はお金だ。文科省科学技術・学術政策研究所の調査によると、2019年の日本の研究開発費の総額は18兆円。米国と中国に続くが、米国68兆円、中国55兆円と規模が違う。対前年伸び率も、日本0.2%に対し、米国8.2%、中国12.8%。勢いが異なる。

    ことに切実なのは国立大学だ。2004年の法人化後、国から大学へ配られる「運営費交付金」は減少を続け、この16年間で総額1兆2400億円から1兆800億円へ減少した。これまで運営費交付金は、結果が出るまで時間がかかる基礎研究にも使われていたが、回せるお金が少なくなった。それがボディーブローのようにきいてきている。

    国からのお金が減った分、研究者は外部の研究資金に応募・審査を受け、研究費を獲得しないと研究を続けることができない。だが、外部資金の最大のスポンサーである政府は「選択と集中」政策を進め、産業や暮らしにすぐに役立ちそうな研究や、世界が競い合うような旬のテーマにお金を投じる。

    例えば、健康・医療、ICT(情報通信技術)、AI(人工知能)、自動運転、量子技術、省エネ、防災、環境などの分野には積極的にお金を投じる。しかし、すぐに何に利用できるか分からないような基礎研究には冷たい。

「金持ち研究室」と「貧乏研究室」の格差が深刻に

    その結果、「局所バブル」が起きた。同じ大学でも、予算をたくさん獲得した「金持ち研究室」と、予算不足を嘆く「貧乏研究室」が存在する。金持ち研究室の中には予算が余り過ぎて使い道に困り、高価な外国製の実験装置を購入するところもある。一方、「選択と集中」の対象にならなかった研究者は、基礎研究にも配分される科学研究費補助金(科研費)を頼り、応募する。しかし、科研費の競争率は高く、新規採択の割合は3割を切る狭き門となっている。

    さらに、政府が「科学技術立国」政策の柱として、若手研究者に対して、定年までひとつの組織で働くのではなく、さまざまな研究の場を渡り歩いて武者修行をすることを求めたことが、若手の不安定な身分を生んだ。高齢の研究者は定年まで身分が安定しているのに、若手は3~5年の任期付きで採用されることが多く、世代間の「格差」が生まれている。

    ノーベル賞受賞のきっかけとなった研究は、30代の成果であることが多いが、その時期を不安定なまま過ごしている様子を見聞きすれば、若い人々の間で研究者になろうという意欲も減るだろう。研究力低下へもつながる。

ハーバードを上回る規模で約4%の運用益を目指す

    こうした中、昨年12月、政府は10兆円規模の大学ファンド創設を決めた。お手本にしたのは、海外の大学だ。欧米のトップクラスの研究大学は寄付金や産学連携収入などの自己資金を元に、独自のファンドを作り、運用益を研究費や若手人材育成に充てている。それが大学の成長の要となっている。

    ファンドの規模も大きく、米ハーバード大4兆5000億円、イェール大3兆3000億円、といった具合だ。日本でも東大などが独自のファンドを持つが、東大でも150億円で、遠く及ばない。内閣府によると、2018年度にハーバード大は2004億円の運用益を生み出したが、東大は2億円余り。海外との差は開く一方だ。そこで政府は一気にファンドの規模を大きくし、年3%の運用益を生む方針を打ち出した。

    文科省所管の研究開発法人・科学技術振興機構(JST)に大学ファンドを置き、今年度中にスタートする。政府出資5000億円、財政融資4兆円の計4兆5000億円から始め、株65%、債券35%で構成する。運用は外部に委託する。

    ファンドの支援を受ける大学や、民間企業からも出資を募り、早期に10兆円規模の運用元本を作るという。物価上昇分も勘案し、約4%の運用益を目標にし、その中から年3000億円を、大学支援に使う計画だ。ゆくゆくは大学が自分たちの資金で、自らファンドを運用する仕組みを目指す。

「10兆円」ありきで参加数も選考基準も決まっていない

    大学ファンドで支援する大学の数、選考基準、支援期間などの具体的な内容はまだ決まっていない。もし5つの大学を「特定研究大学」として支援するなら、1校あたり600億円が配られる計算になる。10大学なら300億円だ。国立大学の運営費交付金(2019年度)は、一番多い東大でも820億円、2番目の京大560億円、3番目の東北大460億円ということを考えると、かなり巨額だ。大学へのインパクトは大きい。

    担当する内閣府と文部科学省は、12月には具体的内容について結論を出すというが、今年度中に運用を開始するスケジュールから見れば、かなりギリギリだ。本来なら、まず支援制度を設計して必要な金額を算出するべきだが、10兆円という数字が先に走り出している。

    大学の研究者の間では「できるだけ多くの大学に配分してほしい」「10兆円を金融市場に流さずに、大学や研究者に直接お金が届くようにしてほしい」といった意見が強い。

    しかし、政府は「特定研究大学」の数を増やしたくない。多くの大学に薄く配分すれば「第二の運営費交付金」のようになり、大学改革につながらない、と考えるからだ。

欧米のように「プロの学長」も作る?

    ではどんな大学改革を考えているのか。政府はファンドで支援する大学に、「経営体」になることを求めている。大学を「運営」から「経営」へ転換し、稼ぐ大学に変身してほしいというのだ。

    そのために「特定研究大学」に、新たな最高意思決定機関として「合議体」の設置を求める。国立大の場合、現在は学長が重要事項の決定、業務統括の権限を持つ。だが、合議体は大学の執行部から独立し、学長の選考や意思決定などを監督する。合議体のメンバーには、産業界、学術界、行政、地域などの外部人材を充てることが検討されている。

    内閣府の有識者会議では、「大学学長経験者の人材プール」を作ることも提案されている。大学内部からだけでなく、国内外から大学経営のプロを学長として選ぶためだ。企業を渡り歩く「プロの経営者」がいるように、大学も「プロの学長」を作るべきだというのだ。これも欧米がお手本だが、実現すれば、日本の大学は大きく変貌する。

「結局は東大や京大だけ」と冷めた見方も

    大学や研究者たちは、不確定要素が多いことや、さらなる「選択と集中」につながらないかと不安を抱く。金融市場の動向で、運用益は変わるので、安定的に資金を得られるかどうかは見通せない。ファンドで支援を受ける大学は、ファンドへの資金供出を求められるため、大学が使えるお金が減ったり、運営費交付金が削減されたりすることも心配のタネだ。

    内閣府によると、海外の大学ファンド運用者の報酬は成果主義で、億円単位の高額の人もいるという。運用益を出しても、報酬が負担になれば、本末転倒になる。大学の中には「結局は東大や京大などにお金が回るだけで、ウチは関係ない」と冷めた見方も広がる。

    一方、国民の側から見ると、財政規律の問題も気にかかる。欧米の大学が寄付金などの自己収入によって大学ファンドを形成しているのに対し、日本は税金頼りでスタートする。説明責任や透明性の確保が欠かせない。

    だが、政府の総合科学技術・イノベーション会議が8月末に公表した大学改革やファンドの中間報告は「ステークホルダー」「プロボスト」「コモンズ」など、カタカナ語が多用され、分かりにくい。海外の大学をお手本にしたとはいえ、そのまま英語を使うのではなく、国民にもっと分かりやすく、きちんと説明する必要がある。

ノーベル賞候補者の“海外流出”も起きている

    研究力低下の原因は、研究者が安心して研究できる環境を政府がつくってこなかったことにもある。若手研究者のポスト不足など、先の見通しが立たない不安が、研究に専念できない状況を生み出している。研究者の安心感につながるような政策も必要だ。

    大学や研究者にも意識変革が求められる。少子高齢化が進み、経済・国際情勢も激変する中、座して待っていても、かつてのように国から研究費は入ってこない。寄付、授業料、産学連携などさまざまな工夫を重ねて、収入を増やす必要がある。

    9月初め、光触媒の研究で、毎年ノーベル賞候補に名前が挙がる藤嶋昭・東大特別栄誉教授が研究チームごと中国の大学へ移籍した、と報じられた。衆院議員の甘利明氏はツイッターで「研究者は純粋な探究心が行動原理でより良い研究環境を求めます。半分は国家の責任です。だから私が運用益を研究費に充てる10兆円の大学研究支援基金の創設を提唱したんです」と発信。

    井上信治・科学技術担当相も記者会見で「国内の優秀な研究者が日本で研究を継続したいと思うような研究環境を整備したい」と語った。政府には研究現場とも議論を重ね、研究環境や研究力の立て直しに取り組むことが求められる。

 

知野 恵子(ちの・けいこ)ジャーナリスト

東京大学文学部心理学科卒業後、読売新聞入社。婦人部(現・生活部)、政治部、経済部、科学部、解説部の各部記者、解説部次長、編集委員を務めた。約35年にわたり、宇宙開発、科学技術、ICTなどを取材・執筆している。1990年代末のパソコンブームを受けて読売新聞が発刊したパソコン雑誌「YOMIURI PC」の初代編集長も務めた。

<この著者の他の記事>「中国の宇宙ステーションが完成へ」日米欧が後塵を拝するようになった根本原因


非常に恐ろしいことが進められようとしている。
「学術会議」もなくなるだろう。
紐付き学問、紐付き研究しかなくなってしまう。

イヌサフランが出てきた。


今年の落葉きのこ。

2021年09月19日 | 野菜・花・植物

昨日裏の山でバケツ1つ採れた。
今日は向かいの山へ入ってみた。
今年は豊作のようだ。
ただ、雨が少なく傘が開いたものが圧倒的。
昨日は、はじめの予報では一日雨の予報だったのだが全く降らなかった。むしろいい天気だった。
今度は雨の後が狙い目だ。
友人たちに配り、遠い人には冷凍処理してから持っていこう。

デカキューリ。(種採り用)

ボートも上げてしまった。


「敬老の日なくなったの?」

2021年09月18日 | 生活

「老人の日」のニュースにとまどう高齢者

まいどなニュース  2021/09/18 
 
 
 
 数日前の関西のとある駅のホーム。電車到着を待つ高齢女性2人連れの会話が聞こえてきました。何やらぼやいているようです。

 「昨日からテレビのニュースで『老人の日、老人の日』って言うねん」

 「アナウンサーの子が間違えたんちゃう」

 「最近の子は敬老の日を老人の日って言うんかな」

 「敬老の日なくなったんちゃう」

 ここで吹き出しそうになった筆者は「老人の日も、敬老の日も、両方ありますよ」…と会話に加わりたかったのですが、今はコロナ禍。車内の会話は控えめにと駅のアナウンスがかかるぐらいなので、見ず知らずに人の声を掛けるのはあきらめました。

 2021年の老人の日は9月15日、敬老の日は9月20日。老人の日と敬老の日の違いをあらためて調べてみました。

「敬老の日」発祥の地は兵庫県

 「敬老の日」は兵庫県多可郡多可町八千代区(旧野間谷村)が発祥といわれています。1947(昭和22)年、村で行われた敬老行事がきっかけとなり、翌年から村独自で9月15日を「としよりの日」と定めました。

 1963(昭和38)年、老人福祉法が公布され9月15日は老人の日と定められます。

 「おじいちゃんおばあちゃんを大切にしよう」という気持ちは全国に広まり、1966(昭和41)年、国民の祝日として「敬老の日」(9月15日)が制定されます。同時に、老人の日の名称は敬老の日に変わりました。

 2001(平成13)年に老人福祉法が改正。9月15日は老人の日、老人の日から1週間は「老人週間」とし、内閣府などによる全国的なキャンペーンが開催されるようになりました。

 その後、祝日を移動し3連休を増やすハッピーマンデー制度の導入され、2003(平成15)年から敬老の日は9月の第3月曜日に移動し、現在に至ります。

それぞれの意味は?

 では敬老の日と老人の日の違いは?

 敬老の日は「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」祝日(「国民の祝日に関する法律」第2条)。

 老人の日は「国民の間に広く老人の福祉についての関心と理解を深めるとともに、老人に対し自らの生活の向上に努める意欲を促すため、老人の日及び老人週間を設ける」(「老人福祉法」第5条)とあります。

 敬老の日は、老人を敬愛し、長寿を祝う日。老人の日は、健康で長寿な社会を築くための啓発キャンペーンといえそうです。

令和3年「老人の日・老人週間」キャンペーンポスター(内閣府サイトより)令和3年「老人の日・老人週間」キャンペーンポスター(内閣府サイトより)

100歳以上は全国に86510人

 厚生労働省は14日、全国の100歳以上の高齢者数が過去最多の86510人になったと発表しました。

 「老人の日」ができた昭和38年、全国の100歳以上の高齢者はわずか153人でした。その後、昭和56年に1000人、平成10年に10000人、平成24年には50000人を超えるなど、毎年記録を更新。今年度も昨年から6060人増え、51年連続の増加となりました。

 20日は敬老の日。冒頭の高齢女性2人が敬老の日のニュースを見聞きし「敬老の日まだあったわ」と気付いてくれますように。どうぞ末長くお元気で!

(まいどなニュース・金井 かおる)


なんか、ようわからん!
どっちにしても老人が国によっていじめられている現実ばかり目につく。
この国が変わるのをしっかりと見届けてからいきたいものだ。

 


「すべての軽自動車メーカーが格安EVを発売予定」

2021年09月17日 | 社会・経済

日本車の"脱エンジン"は軽から本格化する

「EV化は不向き」といわれてたが…

PRESIDENT Online

安井 孝之  Gemba Lab代表、経済ジャーナリスト

「軽EV」は補助金を加えれば100万円台半ばで買える

 軽自動車の電気自動車(EV)化が加速している。EV化の中核部品である電池の価格が高く、手頃さを売りにしている軽自動車に導入するのは難しいとみられていたが、搭載する電池量を減らし航続距離を短くしても日常的な使い勝手に支障はないと判断し、価格を下げる動きが出ている。2025年までには国内のすべての軽自動車メーカーがEVを発売することになりそうだ。

 日産自動車と三菱自動車は8月末に新型の軽自動車サイズのEVを2022年度初頭に発売すると発表した。提携関係にある日産と三菱の共同開発で、開発は主に日産が担当し、三菱の水島製作所で生産する。国の購入補助金を使った実質価格は約200万円とし、自治体の補助金を加えれば100万円台半ばの購入価格になるとみられている。日産の軽自動車、デイズやルークスの売れ筋価格は150万~170万円で、フルに補助金を使えば既存の軽自動車とほぼ同じ価格帯となる。

 低価格を可能にしたのは1回のフル充電で可能な航続距離を約170キロと短くし、搭載する電池の容量を20kWhと少なくしたこと。日産リーフ(航続距離458キロ)に搭載されている電池容量の3分の1程度だ。軽自動車は自宅近くの買い物や通勤などに使われることが多く、一日の走行距離は20~30キロ程度とみられており、1回の充電で400キロ以上走れなくても不便さを感じることはないという判断から航続距離を約170キロと短くしたのだ。

 EVの普及には400~500キロの航続距離は必須というのが「常識的」な見方となっている。それを実現するには大量の電池を搭載しなければならず、価格は高くなるというジレンマをEVは抱えている。電池の搭載量が増えると今の技術では充電時間も長くなるので使い勝手もよくない。現状ではそのジレンマが解消されないため、購入をためらう消費者が多いのが現実だ。

街乗りに割り切ることで、これまでの「常識」を打ち破った

 一方メーカーは電池の高性能化とコストダウンという難問に取り組み、ジレンマの解決を目指す。トヨタ自動車は9月7日に新型の電池開発に2030年までに5000億円をかけて性能アップと50%のコストダウンを実現するという。こうしたメーカーの改善努力は今後も続くだろう。

 だが今回の日産と三菱の軽自動車サイズのEVは航続距離を短くし、街乗りに徹すると割り切ることで、これまでの「常識」を打ち破った。

 日産の日本マーケティング本部の柳信秀チーフマーケティングマネージャーは「お客さんのニーズを徹底的に分析し、EVを買っていただけるように考えた。軽自動車のEVは日本のEV化の足掛かりになると思う」と話す。

 想定される客層は一戸建てに住み、登録車と軽自動車を併有している家庭だ。軽自動車より大きな登録車を保有しているので、家族で長距離のドライブも可能なので、軽自動車の方は街乗りに徹することができる。そういった家庭なら軽自動車のEVは十分購入対象になる。

「軽のEV化が地方の移動弱者といわれる人を助ける」

 また自治体からも公用車として使っている軽自動車をEVに代えたいとの要望が多く日産には寄せられているという。8月末に来年4月以降の軽タイプのEVの発売を発表したのは、来年度予算での各自治体によるEV導入を促したいからだ。

 軽自動車のハイブリッド化やEV化といった電動化は難しいと見られてきたが、私はむしろ軽自動車こそEV化を進めるべきではないかと考えていた。拙著『2035年「ガソリン車」消滅』(青春新書)では、軽タイプのEVの航続距離を150キロほどでいいと割り切れば、電池容量は20kWh程度となり電池コストは中国製なら30万円程度、日本製でも60万円程度で収まると指摘した。EVの場合、車体価格の3分の1が電池コストといわれている。軽タイプのEVの価格を100万円台に抑えることは十分可能だと拙著で書いた。

 初代日産リーフの電池開発者であり、現在はベンチャー企業の代表を務めている堀江英明さんも「私は軽自動車こそEV化に向いていると思います。また軽のEV化が地方の移動弱者といわれる人を助けるとみています」と話す。

ガソリンスタンドの減少が、地方では深刻な問題に

 軽自動車は公共交通機関が減少している地方にとってはまさに「生活の足」なのだが、ガソリン車を支えるインフラがどんどん弱くなっている。2000年3月末に5万5153カ所あったガソリンスタンドは20年3月末には2万9637カ所となり、20年間で半分近くまで減った。ハイブリッド車など低燃費のクルマが増え、ガソリンの消費量が減ったためである。電動化が加速する今後もガソリンスタンドは減り続け、過疎地ではさらに給油が不便になる。軽自動車がガソリン車のままでは「生活の足」としての地位を失いかねない。

 一方、自宅で充電できるEVを使えば、ガソリンスタンドでガソリンを給油する必要はなくなり、地方に住む人たちの社会課題の解決につながるのだ。

他社の動きはどうか。

2025年までには軽メーカー全社がEVを発売することになる

 2040年までにガソリン車とハイブリッド車を廃止し、EVと燃料電池車(FCV)に移行することを4月に表明したホンダは軽タイプのEVを2024年に発売する。日経新聞によると、7月に複数のメディアの取材に応じた三部敏弘社長は「軽自動車の利用者を分析してどういうEVが受け入れられるかを考えている」と答えた。

 またスズキの鈴木俊宏社長は7月のトヨタ自動車、ダイハツなどとの共同記者会見で「軽自動車ならではのやり方でEVを開発する。EVの特長であるゲタ代わりのポジションを極める。バッテリーの量を減らしながら、どうやって走らせることができるかを考える」と語った

 三部社長、鈴木社長の発言から透けて見えてくるのは、消費者が軽タイプのEVに求める航続距離がどの辺にあるのかを見極め、電池量を減らすことで手頃なEVを開発するという方向性だ。

 軽タイプのEVはホンダの2024年に次いで、スズキが2025年までに発売すると表明している。日産・三菱の市場参入の動きを受けて、それぞれ発売が前倒しされる可能性もある。

 ダイハツもそうした動きに追随せざるを得ず、国内の軽自動車メーカーは全社が2025年までにはガソリン車並みの価格のEVを発売することになるだろう。

国内のEV市場の牽引役は、当面の間、軽自動車になる

 宅配便などの分野ではすでに軽タイプのEV化が進み始めた。佐川急便は2022年秋ごろから中国製の軽タイプのEVを導入し、2030年までに宅配用の軽自動車をすべてEVに切り替える。こうした動きはヤマト運輸や日本郵便にも広がっている。配送センターから個人宅などへの近距離の配送には航続距離が長い必要はないからだ。

 2050年のカーボンニュートラル(CO2排出量の実質ゼロ)の実現に向けて、政府が電動化、中でもEV化促進の旗を振っても、その使い勝手やお買い得感がなければ普及は進まない。だが2022年に登場する軽タイプのEVが先駆けとなって、商用車、公用車、そして自家用車としてEVが身近な存在になっていくだろう。2025年までに軽自動車メーカー全社がEVを出すので消費者には選択肢も増え、市場は活性化する。

 全個体電池などの高性能な電池が実用化されるのは2020年代の半ば以降である。それまでの間は登録車ベースのEVは多くの消費者を十分に満足させる航続距離と値ごろ感を実現できないだろう。EV化には不向きと見られていた軽自動車が実は当面の間、国内のEV市場の牽引役になるとみてよい。

安井 孝之(やすい・たかゆき)

Gemba Lab代表、経済ジャーナリスト

1957年生まれ。早稲田大学理工学部卒業、東京工業大学大学院修了。日経ビジネス記者を経て88年朝日新聞社に入社。東京経済部次長を経て、2005年編集委員。17年Gemba Lab株式会社を設立。東洋大学非常勤講師。著書に『これからの優良企業』(PHP研究所)などがある。

<この著者の他の記事>自動車業界550万人の雇用を守るためには、トヨタも「エンジン廃止」を早く決断すべきだ。


庭の花。

オオハンゴンソウ。


特養利用料 月4万円も負担増 8月から制度改悪

2021年09月16日 | 生活

低所得高齢者 悲鳴と怒り 家族「自公政権は冷酷」

「しんぶん赤旗」2021年9月15日

 特別養護老人ホームなどの介護保険施設に入所する低所得者の食費・居住費を補助する制度(補足給付)が8月から改悪され、月約2万~7万円の負担増となる人が続出しています。9月に入って改悪後初の利用料請求が届き、入所者や家族に驚きと怒りが広がっています。(前田美咲)

 「母の年金だけでは支払えない上昇率だ」。兵庫県で1人暮らしをする59歳の男性は、急激な負担増に憤ります。特別養護老人ホームで暮らす89歳の母親が、改悪によって補助を受けられなくなり、月約6万円の利用料が11万円弱に跳ね上がりました。

 母親の年金は年120万円余り。8月から資産要件が厳格化されたことで、貯金額が基準を上回って対象から外れることが分かり、補助の更新申請を諦めたといいます。

 資産要件は、7月まで一律「単身1000万円・夫婦2000万円」以下だったのが、8月から収入に応じて単身500万~650万円、夫婦1500万~1650万円に厳格化(表)。対象から外れると補助が一切なくなり、食費・居住費が全額自己負担となります。補助額の大きかった低収入の人ほど負担増額が膨れ上がり、最大月6・9万円に上ります。

 男性は介護疲れから離職。精神疾患も患い、障害年金と作業所の工賃月11万円弱をやりくりする生活です。「新たに月4万円強もどうやって捻出したらいいのか。いきなり資産要件を半額にし、大幅負担増とは納得できない。消費税増税分を社会保障に回すなんてうそだった。作業所をやめ、母を退所させて、自宅介護で共倒れするしかない。『貯金があるなら使いきれ』『自助・共助・公助』という弱者軽視の自公政権の冷酷な思想が表れている」

補助受けられても負担増

「野党共闘で政治変えよう」

 8月から対象が縮小された介護の補足給付制度。安倍・菅政権は、2019年に打ち出した改悪を、新型コロナ危機のもとでも見直しませんでした。法改正を経ず、施行令の改正だけで済ませたことで国会審議を免れ、多くの国民が知らない間に強行しました。

 8月の制度見直しで、資産要件に加え収入要件も改悪しました。資産要件を満たし、引き続き食費・居住費の補助の対象になったとしても、年金収入などが年120万円を超えると、介護保険施設(特別養護老人ホーム、介護老人保健施設、介護療養型施設、介護医療院)の1日の食費はこれまでの650円から1360円に跳ね上がります。

 さらに、普段は自宅で過ごし、決まった期間だけ施設で過ごすショートステイの食費では、年収80万円以下の人をはじめ補助を受ける大半の利用者が値上げの対象となっています。収入に応じて日額210~650円の負担増となります。

 岩手県宮古市の男性(71)は8月末、94歳の母親が入る特別養護老人ホームからの通知に目を疑いました。食費負担が倍以上、月額にして2万2000円増となることが分かったからです。

 月13万円余りの母親の年金のうち、約11万円が利用料に消えることになります。自身も年金暮らしの男性は、「資産要件にかからなければ負担増はないと思って安心していたのに。母からは電話で欲しいものをリクエストされることもあり、今まではほぼ叶えることができていたが、これからは厳しくしないといけないかもしれない」と肩を落とします。

 「施設や市役所からの通知には“今度からこの額になる”としか書かれておらず、請求書が届いて負担増にびっくりする人が多いのではないか」と心配する宮古市の男性。自公政権の社会保障切り捨てに憤ります。「総選挙が迫っている。低所得者、高齢者に負担増を強いる政権のひどさを多くの人に伝え、『野党共闘で政治を変えよう』と広げていきたい」


国会も開かずこのザマです。

(閲覧注意)トガリネズミ。

 


北原みのり おんなの話はありがたい 「高市氏の昔を知っているよ」 総裁選候補者3人で最も優れているのに胸がザワつく理由

2021年09月15日 | 社会・経済

AERAdot 2021/09/15

 

 作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、自民党総裁選に立候補を表明している3人の議員について。

*  *  *

 連日、自民党総裁選関連のニュースがメディアを占めている。この国に暮らす人々の生存をかけた衆議院選挙のほうがよほど重大なはずなのに、無駄に自民党の生存をかけた総裁選につきあわされているようでつらい。災害レベルのコロナ禍で重要なときに臨時国会を開かず、自党の人事に時間を費やす自民党の体質が、トップが代わったところで変わるとは思えない。とはいえ、あと一歩で総理の椅子に座る3人の候補者に女性が入っていること、その女性が候補者の中で最も右寄りであること、容姿を誹謗中傷する批判が“彼女にだけ”されていることなど、日本の女性政治家が置かれている現実を生中継で日々見せられているようで、それはそれで気になってしまうのだ。

 候補者3人の出馬表明記者会見を見た。それぞれ力のこもった熱弁を見ながら、改めて菅さん (菅義偉首相) は、相当なレベルで話が下手だったのだと気づかされる。滑舌が悪いうえに自分の言葉で話さない、原稿すらうまく読めないので頭に入ってこない。東京五輪・パラリンピック開催に疑問を投げかける記者には、「安全安心」と繰り返すだけで誠実さのカケラもなかった。さらに記者に対して威圧的であり、社名を名乗らない記者に対していら立つなど、器の小ささを露呈してしまう場面を幾度となく見てきた。喋れば喋るほど、人の心が離れていく総理大臣だった。

 菅さんに比べると3人の候補者の話は、フツーにまともだった。……と、「底」を強いられてきた者として認知の歪みが生じてしまっているのだろうかと自分でも不安になるが、今回、高市早苗氏の会見を初めて長時間聴いてみて驚いた。テンポ、滑舌、論理性、具体性において出馬表明記者会見としては3人の中で最も優れていたからだ。記者からの質問に逃げずに丁寧に答えていたのも好感を持てた。

例えばTBS「報道特集」のキャスター膳場貴子氏が、高市氏が過去にしていたサイテーの発言「(生活保護を)さもしい顔をしてもらえるものはもらおうとか、弱者のふりをして少しでもトクをしようと、そんな国民ばかりいたら日本が滅びる」を引き、「困窮する国民をどういう目で見ているのか確認をさせてください。弱者への視点が欠けている不安、批判の声があるが、どう受け止めているか聞かせてください」と迫った。高市さんに対する強い批判を含んだ良い質問だった。

 もしこれが、安倍さん (安倍晋三前首相) だったらと想像する。女性アナウンサーからの質問にまずニヤニヤと冷笑し、しかし顔色は変わり、早口でまったく方向違いの旧民主党政権批判を延々繰り返し「それはですね、民主党政権時代の批判の流れでの発言だったのでございます。文脈をですね、私の発言の文脈をですね、いいですか、きちんと見ていただいたうえでですね、そのようなご質問をしていただきたきたいのでございます」とか言いそうだし、麻生さん (麻生太郎財務相) だったら「そうかね、覚えてねぇな」とか言いかねず、菅さんだったら「えー、私はこれまで通り全力で国民の安全安心を最大限に考えて、政治を行っていくことに変わりはありません」とか言うのでは。テレビカメラの前で“女性”記者に批判された、ということで頭がいっぱいになり、誠実に答えようともしない“男性”政治家の振る舞いに私たちはあまりにも慣れてしまっていた。

 その日、高市氏は膳場氏の批判質問に顔色も声のトーンも変えることはなかった。にこやかなまま、その発言がいつ、どの場で行われたものかを記憶の中で語り、「これは皆様の大切な税金。福祉というものは公正、公平が原則であるべきだと私は考えています」とし、さらに子どもの貧困問題等について語り、そのうえで「これが私。素直なほうなので、さまざまなアドバイスには柔軟に対応する」とも言った。

 このやりとりに、私は見入ってしまったのだった。威圧的だったり、不誠実だったり、中身のない政治家答弁にあまりにも慣れ過ぎていたからこその驚きであるのだが、ただ新鮮だった。もちろん、高市氏のような政治家の言動が生活保護受給者に対する社会の偏見を生み、貧困を再生産し、生活保護を受けられずに餓死するような人々を生み出す現実をつくってきた。そういうリアルが見えない高市さんが与党の政治家であることが私は恐いが、それでも「どのような考えに立っているのか」ということを説明することをこの人は逃れなかったという印象は残った。

 一方、岸田氏は国民の声を聞いてきたという薄く小さなノートを振りかざして「私にとりまして大切な財産。このノートを読み返した上で、私は改めてやるべきことがあると感じています」と豪語する。外国特派員協会で記者会見を開くなど、去年の総裁選よりもパフォーマンス力があがっているように見えるが、選択的夫婦別姓についての意見を問われ、「引きつづき議論しなければならない課題」と言うなど、いったい誰の声を聞いてきたのか問いたい。今年の共同通信の調査によれば選択的夫婦別姓は国民世論で6割が賛成している(30代では7割)。だいたい選択的夫婦別姓は80年代からずっと提案され、深く積み重なった議論の歴史があるのだ。国会での議論を拒否し続けてきた自民党の単なる勉強不足が、選択的夫婦別姓を邪魔しているだけ。まだ、「自分ごと」として通称使用拡大の具体的実践に全力を尽くしてきた高市氏のほうが勉強しているし、わかっているように見える。

 河野太郎氏の記者会見が一番、今までの自民党の威圧的政治家の流れをくんでいるように見えた。質問は1社一つというルールを一方的に強いては、「(河野さんは)脱原発派ですか?」という質問に対して「どういう定義で脱原発というか人によって違うので、何か一つの言葉でくくるのはやめておいたほうがいい」と打ち切り、それ以上の質問を許さなかった。記者が本当に聞きたいことは分かっているはずだし、そこから深まる議論もあるはずなのに、意味のない答えを短めに返すのが目立った。

河野氏は若手からの期待が大きいと、報道では言われている。「河野さんは発信力があります」と30代の議員が胸を張るようにテレビカメラに向かって話しているのを見た。発信力とは単純にテレビに出る回数とか、Twitterのフォロワー数とか、なんとなくの人気のことを言っているのではないかと思うが、それは政治家にとって必要な力なのだろうか。記者会見で衝撃だったのは、韓国メディアの記者が「特に韓国を含めた、近隣国に向けての外交政策のビジョンを聞かせてほしい」と質問した時の答えだ。外務大臣を務めたこともある河野氏の答えは、こういうものだった。

「G7の中で日本はユニークな立ち位置。キリスト教をベースとした文明の上に成り立っていない国は日本だけ。だから外務大臣として自分はアジア、中近東、アフリカといった国々の思いを代弁できる日本でありたーい、と思ってきた。自由民主主義、基本的人権、法の支配、こうした価値観を共有して一緒に前に進みたーいと思っている。それぞれの国にはそれぞれの歴史がある。一足飛びにみんなが同じことをできるわけではありませんー。そういうなかで、ヨチヨチ歩きであっても同じ方向を進もうとしている国にしっかりと寄り添える、そういう日本でありたーいと思っている」

 ……これは外交政策なのでしょうか。ヨチヨチ歩きだけど一緒に寄り添っていこうね、って。これは元外務大臣による総裁選立候補の時に語るような言葉なのだろうか。高市氏を推すわけでは決してないが(というか、私にその権利もないが)、高市氏だったら具体的に質問に正確に答えようとするのではないか、大人の言葉で。

 最近、「高市早苗の昔を知っているよ」という人と立て続けに話をする機会があった。20代のころ、高市氏は400ccのバイクを乗り回していたという。30年以上前、400ccのバイクに乗る女性は少なかった。私も10代のころ、400ccのバイクに乗りたくて教習所に行ったのだが、「女は小型から」と中型免許すら取らせてもらえない空気があり、一日でやめた。「中型取りに来たんです」と言っても、「じゃあ、起こしてみな」と道路に転がる400ccをコツも教えてもらえず起こせと言われて憤慨した。あの時の悔しさは今もまだ心のどこかに残っている。80年代のことだ。そういう時代のなかで、中型・大型バイクに乗る女性たちは道で出会っては、自然に話しかけるようなことがあったという。当時のバイク仲間の女性は、若かった高市さんが目を輝かせながら「私は保守系の政治家になるんだ」と、夢を語っていたのを覚えている。

高市氏を見ていると、胸がざわつく。「政治家を知るためには、その人の選挙区と選挙歴を知らなければならない」とは、無戸籍問題に取り組み続け衆議院議員になった井戸まさえ氏の言葉だが、高市氏がもし、奈良という保守が強い土地ではなく、都市部の選挙区の人だったらどうだったろうか。選択的夫婦別姓、女性天皇・女系天皇容認などについて肯定派の多い都市部のような場所で保守派の政治家として立っていたら、どうだったろうか。安倍さんへの、悲しいほどのすり寄りは、二世議員である小渕優子議員や、祖父が政治家だった野田聖子議員だったらしなくてもよい媚びにも見える。高市氏自身の葛藤を勝手に想像しながら、そういう女性議員の姿を見てこちらも引き裂かれるような葛藤を味わう。女性がのびのびと政治ができる国になってほしい、そして正当に評価されるようになってほしい。今起きているのは、自民党の大物男性の庇護のもとでの自由と、それでも女性であるゆえに正当に評価されない日本社会の女性嫌悪だ。精神衛生上よくないので、早く終わらせて、衆議院選挙で自民党政治は終わってほしい。

北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表


 今朝も最低気温は5℃を下回る。帰りたくてもハウスを全部閉めたらたちまち30℃を超えてしまう。

山ぶどうも黒ずんできた。

ヤブラン。

これは何だったっけ?