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菅政権の無責任。”Go To Hell”( 地獄)で国民を追い込む日本のお寒い現実

2020年10月31日 | 社会・経済

MAG2NEWS 2020.10.29 1118 by 『きっこのメルマガ』

コロナ禍の福岡で起きていた、あまりに哀しい事件。その事件の要因となったのは、現代日本の歪みそのものでした。今回のメルマガ『きっこのメルマガ』では人気ブロガーのきっこさんが、この事件の全貌を詳細に記すとともに、本当に支援を必要としている人を救わない日本の政治の責任を追求しています。

GoToキャンペーンの陰で何が起きているか

このコーナーは、ここのところ、菅義偉首相による日本学術会議に対する任命拒否問題を始め、政治の話題を取り上げることが続いていました。しかし、皆さんご存知のように、日本の中央のメディアは、アメリカの大統領選のニュースは連日のように大きく取り上げますが、日本国内のローカルニュースは、よほどのことがない限り報じません。特に、沖縄の米兵の犯罪や貧困が原因の事件など、政権に批判の目が向きそうなニュースは報じません。

そのため、あたしは、インターネットの利点を使って、日本国内の地方紙のウェブ版のニュースを北から南まで、できる限りチェックするようにしています。中央で起こった大きな事件よりも、地方で起こった小さな事件のほうが、今の歪(いびつ)な日本社会の問題的をリアルに映し出している場合が多いからです。そこで今回は、少し方向性を変えて、大半の人が気にも掛けずに素通りしてしまうような小さなローカルニュースを取り上げてみようと思います。

今回、あたしの目に止まったのは、10月22日付で福岡県のローカル紙「西日本新聞」のウェブ版が報じた「恐喝未遂の30歳の女に執行猶予付きの有罪判決が言い渡された」という内容のニュースでした。この女性は今年8月20日、福岡市中央区天神の真珠販売店で、店員にカッターナイフを向けて現金を脅し取ろうとしました。ここまで聞けば、誰もが「逮捕されて当然」「執行猶予など甘い」と思うでしょう。

どのような事情があろうとも、犯罪は犯罪なので、本来なら「女性」でなく「女」と書くべきです。でも、今回の事件は、どうしても「女」と書くことができないので、「女性」と書くことをお許しください。

この女性は、物心がついた時には久留米市の孤児院にいたそうです。中学校を卒業するまでは施設で過ごしましたが、施設にいられるのは義務教育が終わるまで。その後はアパートでひとり暮らしをし、飲食店を転々としながら、女給の仕事などをして暮らして来ました。

母親の顔は覚えていますが、父親の顔は知らないそうで、家族とは絶縁状態。どんなに困っても、頼れる人は誰もいません。それでも、一生懸命に働き続け、これまでひとりで生きて来ました。貯金などする余裕はありませんが、アパートの家賃を払い、何とか暮らして来ました。

しかし、今年2月のこと、仕事先のうどん屋の店長から「辞めてくれないか」と言われてしまったのです。新型コロナの影響で客足が遠のいてしまったため、店長も苦渋の選択でした。女性は次の仕事場を探し回りましたが、中卒で女給の仕事しか経験のない彼女は、同じような店を回ることしかできません。しかし、どの店も新型コロナの影響で経営が厳しく、とても人など雇える状況ではありません。

結局、家賃が払えなくなった彼女は、誰にも相談できないまま、夜逃げ同然でアパートを出ました。そして、とにかく人が多い場所へ行けば何とかなるかもしれないと思い、九州最大の繁華街である福岡市の天神に向かいました。お金のない彼女は、中央区天神の警固公園のベンチや周辺の雨風がしのげる場所で野宿をし、昼間は「食べ物をください」と書いた紙を持って路上に立ち続けました。

たまに現金をくれる人がいたので、そんな時はネットカフェに行き、シャワーを浴びて体を休めたと言います。彼女を見るに見かねて、しばらく居候させてくれた女性もいたそうです。いつも夜の公園で寝ている彼女を心配して「市役所の福祉の窓口に相談したほうがいい」とアドバイスしてくれた人も複数いたそうです。

しかし、彼女は「健康な自分が市役所に相談することは恥ずかしいこと」と思い込んでいました。病気で働くことができないのならともかく、健康な自分が福祉に頼るのは「恥ずかしいこと」であり「いけないこと」だと思い込んでいたのです。さまざまな理由で困窮して生活保護を受給している人々のことを、まるで犯罪者か何かのように吊るし上げる昨今の風潮が、彼女にこうした意識を植えつけたのかもしれません。

こんな路上生活が半年も続いた今年8月、誰にも相談できないまま公園から姿を消した女性は、とうとう限界を迎えてしまいました。「私も美味しいものを食べて、新しい洋服も買いたい」、肉体的にも精神的にも追い詰められた彼女は、そう思うと、カッターナイフを握りしめ、何度も躊躇した果てに、真珠販売店に足を踏み入れました。そして、店員にカッターナイフを向けて「お金を出してください、切りますよ」と脅したのです。

しかし、その店員が警察に通報しようとしたため、女性はすぐに店から逃げ出し、その足で交番に駆け込みました。そして、今、自分がしてしまったことを、警察官にすべて正直に話し、その場で逮捕されました。逮捕された時の彼女の所持金は、わずか257円だったそうです。

10月21日、福岡地裁で行なわれた裁判で、女性は自分の罪を認め、真珠販売店と店員に謝罪した上で「普通の生活がしたい」と述べたそうです。恐喝未遂と建造物侵入の罪で「懲役1年2月」が求刑されていた彼女に「懲役1年2月、執行猶予3年」の判決が言い渡されました。そして、裁判官は次のように続けました。

「世の中は自分で何でもできる人ばかりではありませんから、さまざまな支援制度があるのです。困った時には公共の窓口に相談することを考えてください」

女性は深くうなずきました。彼女を担当した国選弁護人によると、しばらくは国の支援制度、一時的に宿泊場所と食事が提供される「更生緊急保護制度」を受け、生活の立て直しを進めて行くそうです。

この女性のように、新型コロナの影響で仕事を失ってしまった人は、今年2月から9月末までに「約6万人」と報告されています。しかし、これは、あくまでも氷山の一角です。あたしのようなフリーランスの多くは、ほぼ仕事ゼロの状態が半年以上も続いていますが、こうした調査の対象にはなっていません。また、解雇されずとも給料を減額されて自宅待機させられている解雇予備軍も数多くいます。これら水面下の生活困窮者まで含めると、今年12月末までに「新型コロナによる失業者」は100万人を突破するという試算もあります。

その中でも、特に緊急の支援が必要なのが「ネットカフェ難民」です。最低限の着替えなどを詰めたリュックを背負い、単発のバイトをしながらネットカフェに寝泊まりしているネットカフェ難民は、東京23区内の推移を見ると、民主党政権下の2009年から2012年までは2,000人以下で横ばいでした。しかし、厚生労働省の調査によると、第2次安倍政権下の2013年から2018年までの6年間で、4,000人超へと倍増しているのです。

2018年当時、安倍晋三首相は「アベノミクスによって雇用が380万人も増えた」とドヤ顔で繰り返していました。しかし、その実態は、竹中平蔵会長率いる人材大手「パソナ」を儲けさせるために、正規雇用を減らして非正規雇用を増やしただけでした。2018年の時点で、非正規雇用の割合は過去最高の37.8%、労働者の10人に4人が非正規雇用になってしまったのです。

その上、総務省が5年ごとにまとめている「就業構造基本調査」によると、非正規雇用の75%、4人に3人が年収200万円未満となってしまいました。この中には、毎日働いているのに賃金が低くて生活が成り立たない「ワーキングプア」も数多く含まれています。そして、そうした人たちの中で、家賃が払えなくなり、今回の事件の女性のように誰にも相談できなかった人たちが、1人、また1人と、ネットカフェ難民になって行ったのです。

新型コロナ禍の今年4月7日、安倍晋三首相が発令した「緊急事態宣言」によって、ネットカフェにも休業要請が出されました。東京都の小池百合子知事は、ネットカフェを最も休業要請期間の長い「ステップ3」に含めたため、4,000人を超える東京23区のネットカフェ難民は行き場を失いました。小池知事は批判を受けて緊急の宿泊場所を用意しましたが、この後手後手の付け焼刃的な対策で救われたのは、一部のネットカフェ難民だけでした。

いくら代替の宿泊場所を用意しても、新型コロナの影響で単発のバイトが激減してしまった彼らは、日々のバイトを得るための命綱だったケータイ料金が払えなくなり、ケータイを止められてしまったのです。これで、彼らは収入の道が閉ざされてしまいました。

今回の事件の女性は、追い詰められた果てに犯罪を犯してしまいました。しかし、それでも生きようとしました。もちろん、あたしは犯罪を奨励するつもりなどありませんが、仕事を失い、住む場所も失い、誰にも相談できない人たちの中には、自らの命を断つ道を選んでしまう人も少なくありません。

ここ数年、日本の自殺者の総数は減少傾向にありますが、年齢別、原因別の推移を見てみると、若者の自殺、貧困が原因の自殺が増えています。仮にも日本は名目GDPが世界3位の経済大国なのに、貧困が理由の自殺者が減らないのは、完全に政治の責任です。

菅義偉首相は、9月16日の就任会見で、新政権の理念を「自助、共助、公助」と述べました。ようするに、困ったことがあったら、まずは自分で努力しろ。それで解決しなければ周りを頼れ。それでもダメなら最後に国に言って来い…という、行政府の長がその責任を放棄したかのような無責任な理念です。しかし、この呆れ果てた理念を、ひと足先に実践した人がいたのです。そう、今回の事件の女性です。

新型コロナの影響で仕事を解雇されてしまった女性は、必死に次の仕事を探し回りました。これは「自助」です。しかし、どうにもならずに住む場所も失ってしまった彼女は、繁華街で「食べ物をください」と書いた紙を持って路上に立ち続けました。これは「共助」です。そして、見ず知らずの人たちに助けられて、半年ほどは生き延びることができました。しかし、とうとう最後のところまで追い詰められてしまい、犯罪に手を染めてしまいましたが、その結果、ようやく「公助」に辿り着くことができたのです。

新型コロナの影響で、さまざまな業種が大きなダメージを受けていますので、あたしは「Go To トラベル」や「Go To イート」などのバラマキ政策を頭ごなしに批判するつもりはありません。しかし、今回のような事件を知ると、今夜寝る場所がなく今食べるものもない人たち、今、この瞬間も本当に困っていて旅行や外食どころではない人たちのことが、完全に後回しになっているように思えてならないのです。少なくとも、あたしの納めた税金は、あたしより困っている人たちのために使ってほしいと思います。

(『きっこのメルマガ』2020年10月28日号より一部抜粋)


 今朝、出かけようとしたら左後輪がパンクです。スペアを出して取り付けようとすると口の部分から空気漏れの音がします。仕方なく、スタッドレスに交換しました。こんな早くタイヤ交換したことは初めてのこと。燃費も悪くなるので、もう少し辛抱したかったのですが止むをえませんか?

 今日はいい天気に恵まれ、自然に繁殖している長芋を掘りました。

まったく手をかけていないので大きくはないですが1回食べるのにちょうどいい大きさです。こんなのが無数にあるのです。


内田樹の研究室 独裁者とイエスマン

2020年10月30日 | 社会・経済

2020-10-30 vendredi

 日本学術会議の新会員任命拒否に私はつよく反対する立場にある。それは私がこの問題で政府への抗議の先頭に立っている「安全保障関連法に反対する学者の会」の一員であるということからもご存じだと思うけれど、私は一人の学者としてと同時に、一人の国民として、それも愛国者としてこのような政府の動きに懸念と怒りを禁じ得ないでいる。その理路について述べる。

 任命拒否はどう考えても「政府に反対する学者は公的な承認や支援を期待できないことを覚悟しろ」という官邸からの恫喝である。政権に反対するものは統治の邪魔だからである。

「統治コストを最少化したい」というのは統治者からすれば当然のことである。だからその動機を私は(まったく賛成しないが)理解はできる。

 けれども、統治コストの最少化を優先すると長期的には国力は深く損なわれる。そのことは強く訴えなければならない。

 これまでも繰り返し述べてきた通り、統治コストと国の復元力はゼロサムの関係にある。統治コストを最少化しようとすれば国力は衰え、国力が向上すると統治コストがかさむ。考えれば当たり前のことである。

 統治者は国力を向上させようと望むときはとりあえず国民を締め付ける手綱を緩めて好きなことをさせる。統制がとれなくなったら経済発展や文化的創造を犠牲にしても、国民たちを締め上げる。飴と鞭を使い分ける。そういうさじ加減は為政者には必須の能力であり、すぐれた政治家はこの緩急のつけ方についてのノウハウを熟知している。

 日本の場合、60~70年代の高度成長期は国力向上のために、国民に気前よく自由を譲り渡した時期である。「一億総中流」はそれによって実現した。おかげで私は10代20代をまことに気楽な環境の中で過ごすことができた。けれども、その時期は同時に市民運動、労働運動、学生運動の絶頂期であり、革新自治体が日本全土に生まれ、あきらかに中央政府のグリップは緩んでいた。その後、バブル期が訪れたが、このときは日本人全員が金儲けに熱中していた。たしかに社会規範は緩み切っていたけれど、とにかく「金が欲しい」というだけだったので、市民の政治意識は希薄だった。足元に札束が落ちているときに、「坂の上の雲」を見上げるやつはいない。

 そして、バブルが終わって、日本が貧しくなると、政治意識はさらに希薄化した。

 ふつうは中産階級が没落して、階層の二極化が進み、貧困層が増えると、社会情勢は流動化し、反政府的な機運が醸成され、統治が困難になるはずだけれども、日本はそうならなかった。市民たちはあっさりと政治的関心を失ってしまったのである。「自分たちが何をして政治は変わらない」という無力感に蝕まれた蒼ざめた市民たちほど統治し易い存在はない。そのことを7年8カ月におよぶ安倍政権は私たちに教えてくれた。

 なんだ、簡単なことだったんじゃないか。統治者たちはそれに気がついた。

 統治コストを最少化したければ、市民たちを貧困化させ、無権利状態に置けばよいのだ。マルクスやレーニンはそれによって「鉄鎖の他に失うべきものを持たない」プロレタリアート的階級意識が形成され、彼らが蜂起して、革命闘争を領導するだろうと予言したけれど、そんなことはイギリスでもフランスでもアメリカでも起きなかった。もちろん日本でも。

 市民を無力化すれば、市民は無力になる。わかりやすい同語反復である。無力化した市民たちはもう何か新しいものを創造する力がない。ただ、上位者の命令に機械的に従うだけである。当然、総合的な国力は低下し、やがて一握りの超富裕層=特権層と、それにおもねるイエスマンの官僚・ジャーナリスト・学者、その下に圧倒的多数の無権利状態の労働者という三層で構成される典型的な「後進国」の風景が展開することになる。

 今の日本は「独裁者とイエスマン」だけで形成される組織に向かっている。少なくとも、官邸は日本中のすべての組織をそのようなものに改鋳しようと決心している。そういう組織なら、トップの指示が末端まで遅滞なく伝達され、ただちに物質化される。どこかで「これは間違い」と止められたり、「できません」と突き返されたりすることが起こらない。たいへん効率的である。

 だが、この組織には致命的な欠点がある。創造力がないこと、そして復元力がないことである。

「独裁者とイエスマン」だけから成る組織では、トップは無謬であることが前提になっている。だから、メンバーにはシステムの欠陥を補正することも、失敗事例を精査することも許されない。システムのトラブルというのは、同時多発的にシステムの各所が不調になることである。そういうトラブルは、トラブルの予兆を感じたときに自己判断で予防措置をとれる人間、トラブルが起きた瞬間に自己裁量で最適な処置をできる人間たちをシステムの要所にあらかじめ配置しておかないと対処できない。けれども、「独裁者とイエスマン」の組織では、それができない。トップが無謬であることを前提にして制度設計されているシステムでは、そもそもトラブルが起きるはずがないので、トラブルを自己裁量で処理できるような人間を育成する必要がない。だから、「何も問題はありません」と言い続けているうちにシステムが瓦解する。

 トラブルが致命的なものになるのを回避し、崩れかけたシステムを復元するのは、トップとは異なるアジェンダを掲げ、トップとは異なる「ものさし」でものごとを価値や意味を衡量することのできる者たち、すなわち「異端者」の仕事である。

 けれども、「独裁者とイエスマン」から成るシステムはそのような異物の混入を許さない。

 たしかに、短期的・効率的なシステム運営を優先するなら「独裁者とイエスマン」は合理的な解である。しかし、長いタイムスパンで組織の存続とメンバーたちの安寧を考慮するならば、異物を含む組織の方が安全である。

 異物を含む組織は統率がむずかしい。合意形成に手間暇がかかる。

 だから、安全保障のために異物を包摂したシステムを管理運営するためには、成員たちに市民的成熟が求められる。「大人」が一定数いないと堅牢で復元力のある組織は回せないということである。だから、異物を含むシステムでは、成員たちに向かって「お願いだから大人になってくれ」という懇請が制度的になされることになる。

「独裁者とイエスマン」の組織では成員が未熟で無力であることが望ましい。それが統治コストの最少化をもたらすからである。

 今の日本社会では、統治者のみならず、市民たちまでもが「統治者目線」で「統治コストの最少化こそが最優先課題だ」と信じて、そう口にもしている。それは言い換えると「私たちを未熟で無力のままにとどめおくシステムが望ましい」と言っているということである。

 彼らは「大人が一定数いないと回らないシステム」は「統治コストを高騰させる」と思っているので(事実そうなのだが)、「大人がいなくても回せるシステム」への切り替えをうるさく要求する。「対話だの調停だの面倒なんだよ。トップが全部決めて、下はそれに従うだけの組織の方が楽でいい。」それが今の日本人の多数意見である。

 今、行政も、営利企業も、学校も、日本中のあらゆる組織が「管理コスト最少化」に血眼になっているのは、そのためである。「独裁者とイエスマン」の国はそういう日本人の多数派の願望がもたらしたものである。

 たしかにそういう国は統治し易いだろう。市民たちは何も考えず、鼓腹撃壌して、幼児のままで暮らすことができる。けれども、そのような国は長くは生きられない。それは歴史が教える通りである。

(2020-10-30 10:49)


ハウス内整理。

深まる秋。

小菊。

ポリジ。


問われる引き出し屋の自立支援(2) 心までも搾取されていく

2020年10月29日 | うつ・ひきこもり

「あそこには、人権なんてないっすよ。」

神奈川県中井町議の加藤久美さん(52歳)は2017年の秋、あるセミナーで出会った若者から、入所している自立支援施設「ワンステップスクール湘南校」(神奈川県中井町)での扱いをこう聞いた。「やっぱりそうなんだ」と思った。

彼は、「従順にしていたから、信用されてセミナーに来られた」ということと、「スタッフに抗うと、このような外出が認められない」という話もしていた。

そこで今度は、街なかにボランティアをしに来ていた生徒にも、聞いてみた。やはり、こんな回答だった。

「(ボランティアは、)したくてやってるんじゃありません。早くここを出るためです」

彼は、ある日突然、湘南校に連れてこられたことに納得していない一人だった。卒業するにはスタッフに認めてもらう必要があり、その手段として、強制的なボランティアでも嫌がらずに参加しているという話だった。

話を聞けた何人かのなかには、「親も大金払って大変だろうから、早く出られるよう自分もがんばらなきゃ」と、親の気持ちを慮りつつ、自らに言い聞かせるように話す子もいた。

加藤さんは長年、里親として家庭的養護に取り組んでいる。ワンステにいる生徒たちの姿は、これまで出会った児童養護施設の子どもたちの姿に重なった。

「虐待で措置になった子が入れられる一時保護施設は、次の行き先が決まるまで、子どもたちを登校も外出も外への連絡も一切させません。もちろん安全のためですが、子どもにとっては、激しく不当なことです。どんなに幼くても、保護施設には、『二度と行きたくない』『次に同じようなこと(=虐待)があっても、妹や弟は僕が守る』などと言うくらい、辛いんです。人権が侵害されているってそういうことなんですよ」(加藤さん)

■ 施設の中で一体何が行われているのか

ひきこもりや無職、不登校等の状態にある人を支援対象とするワンステでは、主に、親の依頼を受けて本人を施設まで連れてくる。このプロセスは通称「ピック」と呼ばれており、その際、本人を予告なく訪ね、「説得」をしてその日のうちに連れ出すという手法を用いている。

生徒たちがある日突然連れてこられるワンステップスクール湘南校(神奈川県中井町)

ちなみに、広岡政幸校長(一般社団法人若者教育支援センター代表理事、港区)が筆者の以前の取材に語ったところによれば、ピックは「お迎え」の意味なのだそうだ。しかし、そんな丁寧なイメージの言葉とは裏腹に、筆者のもとには、意に反した連れ出しだったと被害を訴えるワンステの元生徒たちの声が届いている。

問題は、ピックだけではない。加藤さんが町で出会った生徒たちから聞いた話は、施設での扱われ方についてだった。「人権がない」などと、穏やかでない表現を使ったのだ。

ワンステ側は集団生活の目的をどう説明しているのだろうか。広岡氏は自著で、こう述べている。

ワンステップスクールはよく、「更生するための施設」と思われるが、僕らはそんなふうにはとらえていない。ここで暮らす大きな目的のひとつは、親子関係の修復だ。

子どもは親と離れて生活し、不自由な生活を経験することで、初めて親のありがたみがわかるものだ。親に反抗し続けて、ずっと口をきいていなかった人たちも、しばらくたつと意識が変わってくる。

また、長期引きこもりをしていた人は、原因が複雑化してわからなくなり、精神面もぼろぼろになっていることが多い。立ち直るためには、自分を見つめる時間や問題を一つひとつ整理するための時間が必要だ。

その冷却期間のようなものがワンステップスクールでの集団生活だ。

出典:『大人の「ひきこもり」を救え!』

そして、その寄宿型の集団生活が、「決して自由な生活ではない」理由を「決まったタイムスケジュールに沿って暮らすため」と結んでいる。

しかし、加藤さんが農業セミナーで出会った若者が言っていたのは、こうしたスケジュールによる不自由さの話ではなかった。

彼は「スタッフに抗うと(自分に必要な)外出ができない」と言った。これは、支配関係を伺わせる表現だ。さらに、ワンステから早く出たくて、ボランティアをしていたもうひとりの若者の気持ちの裏にも、スタッフが本人の生殺与奪を握る関係があるのではと、加藤さんは感じたという。

書籍にはこんな事も書かれている。

ここで仲間たちと一緒に暮らすことで、ストレスが軽くなり、「ありのままでいいんだ」と思えるようになる。

(略)相手が大人なら、甘えたり試したりする“幅”があるが、仲間同士なら適度な緊張感を保つことができ、自然に他者への配慮が生まれる。

そんな環境で、少しずつ本人の自主性を尊重しながら、自立へと導いていくことができる。

出典:『大人の「ひきこもり」を救え!』

ここでうたわれているのは、まさに寄宿型支援の理想的な効果だ。対等な人間関係や、自律的な選択が尊重される生活があるかのように読める。助けを求めて脱走する生徒が続出している現実や、街なかで生徒たちが語った支配的な雰囲気とはかけ離れている。

内部で一体何が行われているのか。加藤さんはもう少し本当のことを知りたくて、主婦スタッフたちの情報も集め始めた。

小さな町のことだ。主婦コミュニティの中で「どんな愚痴を言っていたか」まで、あっという間に伝わってきた。わかったのは、支援の手法を目の当たりにし、生徒たちとも実際に接してきた主婦スタッフたちが、それぞれ、ワンステのやり方に疑問に感じながら悩んでいる様子だった。それでも、家庭の事情で働き続けないといけない状況だったり、やはりおかしいと思って辞めてしまったりしているということだった。

■ 誰も彼らに労働の対価を払おうとしない

2018年6月、町の大きな公園にカフェができた。指定管理者が掃除を任せたのは、ワンステの生徒たちだった。2.5キロほどの距離がある寮と公園の間を、毎日夕方になると、ゾロゾロと連れ立って歩く生徒たちの姿が見られるようになった。

生徒たちのボランティア姿は、すでに町のあちらこちらで見かけるようになっていた。

しかし、同年12月に集団脱走からトラブルになっていることを伝える記事と、翌年7月に脱走者の一人の告発記事が出た。するとカフェの掃除ボランティアを除き、町の人たちは、ワンステとの関係をやめていった。

「潮が引くようでした。『実は、頼まれたが断り方がわからなかった』とか、『断る理由がなくて受け入れていた』とか、後になってから言い出す人たちがいました。私は、『ただの労働搾取じゃないか』と思ったんですが……」(加藤さん)

ボランティアを買って出たのはワンステ側だが、あちらこちらで繰り返し働かせておきながら、施設側も、町の人達も、誰も生徒たちに対価を支払おうと努めたようには、加藤さんには見えなかった。

「こうなってしまった背景には、社会的に必要な施設だと信じて、生徒たちを受け入れようした地域の心があったはずなんですが、悲しいことに、その形は歪んだままでした。搾取は労働だけではありません。ワンステでの生活は嫌だけれど、迷惑をかけた親のためにと我慢を続ける子の心。ワンステを支援のプロ集団と信じて託した、子の自立を願う親の心。それぞれのそんな良心までも搾取するのが、彼らのビジネスモデルなのかなって……」(加藤さん)

ワンステの自立支援は金のかかるビジネスであることを、広岡氏は著作で認めている。しかし、本当の原資は、突然「支援」対象者にさせられた人たちの犠牲なのではないか。そんなワンステ流の介入を受け入れ、「自立」に至った人の「成果」だけで、ワンステを評価してはいけないのではないか。加藤さんの疑念は、ますます深まっていった。

■ 元生徒たちを支援して

町で生徒たちの声を聞ける機会が減ったため、加藤さんはいま、地域の人たちと、「こんな子が入ってきたようだ」「非常に心配な様子の子がいる」などと情報交換している。ここ1年ほどで気になっているのは、長期入寮者や、専門的なケアが必要そうに見える子が増えている傾向だ。

「広岡さんの『本人を矯正することで治して、悩んでいる親を救う』というやり方で、みんなが本当に救済されているならいいんです。でも、とてもそうは見えてこない」(加藤さん)

そう感じるのは、実際に、ワンステを出た2人の若者たちを、個人的に支援しているからだ。

ひとりは、関東地方出身の30代の男性。今では「ピックは外に出るきっかけだった」と振り返る彼も、「ワンステには、まともな支援がないことが大きな問題だ」と話す。

湘南校では、スタッフから数々の妨害に遭いながら、時間を掛けて自らの知恵を使って、寮からうまく出られた。経済的にも精神的にも自立した今も、「これ以上の被害が出ることを食い止めたい」という思いは持ち続けている。ピック当時は、精神疾患の症状が悪化していて、親に迷惑をかけてきた自覚はあるが、ワンステに入れた親とはギクシャクした関係のままだ。

加藤さんはそんな親子の間に入り、やりとりすることがある。ワンステを脱出した後に国家資格を取得するなど、努力家で聡明な彼を、知り合いの経営者に紹介したところ、採用が決まった。就労前に運転免許を取得する際も、加藤さんは、親との交渉役を担った。

加藤さんが支えるもうひとりは、沖縄から連れてこられ、ワンステから身ひとつで脱走したハタチの若者だ。関東で初めての冬を越えようとしていた彼に、加藤さんは暖かい上着を用意し、関東に身寄りのない若い彼が孤独に襲われていないかなどと心配しながら、一定の距離から見守っている。その一方で、母親ともやりとりを続けている。

この親子は、以前は、普通の会話ができていた。しかし、ワンステの介入後、関係がさらに悪化し、ともに苦しんでいる。

「どうしてあんなところに入れたんだ」「ただ存在を認めてほしいだけなのに」という思いが強い本人と、「そうでもしないとあなたは自立しようとしなかった。だから自分は正しい」と、つい支配的に振る舞ってしまう母親。加藤さんには、両者は表裏一体に見える。二人には、「しばらく、直接会わない/話さない」ことを提案しているところだ。

■ 「施設なくせ」では解決しない

中井町議の加藤久美さんは、個人的にワンステの元生徒の支援を続けている

結局、ワンステが受け止めきれなかった事案を、町の個人が引き取っている。加藤さんは、個人的に支援を続ける理由をこう話す。

「現実的な問題として、ワンステに連れてこられる人は、家に居場所がない状態の人なんですよね。ならばせめて、自分の意志で生活を切り替えたり、行き場所を見つけたりできればいいんですが、何人の生徒に聞いても、どうやらそんな支援ではない。私が彼らの『ワンステ後』に寄り添うのは、単に、『施設をなくせばいい』とか、『引き出し屋を町から追い出せ』という単純な話で、済まないことだからなんです」

地元の中井町も、法的規制がないことから見守るしかない立場だ。湘南校から徒歩圏内にある町役場は、被害を認識する生徒たちが助けを求める先の一つでもある。こうした経緯から、役場はワンステの問題はある程度は把握している。

ある職員は、こうため息をつく。

「手続きなどで、まれに、役所の方から親御さんに連絡を入れることがあるのですが、『子どものことで電話をしてこないでください』などと、拒絶されることも多いんです。まるで、『姥捨て山』ならぬ『子捨て山』といったらいいでしょうか。それが、お医者さんや学校の先生などの、地域で尊敬されたり偉い立場の方だったりすることも多くて、本当に驚きます」

家庭の中で弱い立場の本人が居場所を奪われてしまう背景には、親子関係のもつれと、人権を軽んじる社会の価値観があると、加藤さんは言う。引き出し屋が、こうした構造に加担する時、新たな被害が生み出されてしまうことがあるのだ。

「やっぱり、一方的に押しかけて、追い込んで自立を迫るあのやり方は、ダメ」

加藤さんはそう言って、自ら何度もうなづいた。

筆者は本稿掲載にあたり、広岡氏に対し、支援等に関する質問を送ったが、期限の22日までに回答はなかった。本人の意に反する「ピック」を続ける理由については翌23日深夜、代理人弁護士から、「支援対象予定者の背景事情は千差万別で、マニュアルに沿って画一的に対応できものではございません。その時々の個々の対応は一般論としてご回答できるものではございません」との回答があった。その他の質問に関するやり取りも順次紹介していく。ちなみに、広岡氏は、筆者の過去の取材や自著、これまでの各社報道では、意に反する引き出し行為そのものを否定している。

 

加藤順子

ライター、フォトグラファー、気象予報士

学校安全、防災、対話、科学コミュニケーション、ソーシャルデザインが主なテーマ。災害が起きても現場に足を運ぶことのなかった気象キャスター時代を省みて、取材者に。主な共著は、『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』(青志社)、『石巻市立大川小学校「事故検証委員会」を検証する』(ポプラ社)、『下流中年』(SB新書)等。

https://news.yahoo.co.jp/byline/katoyoriko/

問われる引き出し屋の自立支援(3) 監視カメラの死角で、脱走計画を立てた

問われる引き出し屋の自立支援(4) 沖縄の若者たちはなぜ狙われたのか


 冬に向かってまっしぐら! そんな感じのこの頃。地面に落ちている葉っぱも日々多くなっています。この2,3日少し風邪気味。のどが痛くなったり頭痛がしたり。臭覚に異常はないので、あちらではないと思うのですが・・・。季節の変わり目です。皆様もどうぞご自愛を!


内田樹の研究室 公共と時間について

2020年10月28日 | 社会・経済

2020-10-27 mardi

大阪市を廃止することの可否を問う住民投票が近づいてきた。議論のほとんどが「コスト」をめぐっている。しかし、行政システムの改変に際して経済合理性だけを基準にしてものを決めるのはとても危険なことである。それについて考察した部分を『日本習合論』から引用する。

 

 今の日本と、僕が育った頃の日本を比較して、最も違ったのは、ものごとの価値や、あるいは言動の適否を考量するときの時間の長さだと思います。ある行き方を選択をした場合、それが適切だったかどうかを「いつ」の時点で判断できるか。その適否判断までのタイムラグは歴史的環境によってずいぶん変化します。でも、これほど時間意識が伸縮するものだと知りませんでした。

 今はものごとの理非や適否を判定するまでのタイムラグが非常に短くなっています。せいぜい一年あるいは四半期、場合によってはもっと短い。そこで決着がついてしまう。ある政策決定を下した場合に、それが適切だったか否かが、数週間くらいでわかるはずがありません。結果が出るまでに数か月、数年、場合によっては数十年かかることだってある。でも、みんなそんな先のことについてはもう考えるのを止めてしまった。五年先というような未来において、どう評価されるかなんていうことは誰も気にしない。五年前に選択した政策が、適切だったのかどうかも、誰も吟味しない。

 いまの日本社会は「誰も責任をとらない」仕組みになりつつありますけれど、これは人間の質が変ったということではなくて、過去においてなされた選択の適否について論じる習慣そのものを失ったからではないかと思います。「済んだこと」を蒸し返してもしょうがない。それより「これから」のことを考えようという言い方があらゆる場面で口にされる。一週間前に「プランAしかない」と言った人が、一月後に「プランAなんてありない」と言い放っても、誰も食言を咎めない。いまはそういう時代です。そもそも、「食言」という単語そのものがもう死語になった。

「言葉を守る」を英語ではkeep one's word と言います。「キープ」というのは「ある程度の時間」持続することです。あくまで「ある程度の時間」であって、数値的に明示してあるわけではありません。それでも「だいたいこれくらい」という暗黙の了解があった。一月や二月後に覆されるようでは「言葉を守った」とは言われなかった。でも、いまは「言葉を守る」ということ自体に人々は特段の価値を置かなくなった。だから「あなた、一月前にこう言ったじゃないか」といきり立っても、「そんな昔のことは忘れたよ」と鼻先で笑われておしまいです。

 たしかに、それが現実なんです。一月前なんて「大昔」なんです。いま株の取引きは人間ではなくて、機械がやっています。アルゴリズムが1000分の1秒単位で金融商品の売り買いをしています。「一月前の株価」なんて情報としてまったく無価値です。ゼロです。企業だって、明日はどうなるか誰にもわからない。AppleだってGoogleだってAmazonだってFacebookだって、果たして10年後に存在するかどうかわかりません。株式会社の平均寿命は5年なんですから。それ以上先のことを考えてもしかたがない。そんな平均寿命の短い組織体が「百年後の会社のかたち」や「百年後の従業員の幸福」なんか考えるはずがない。考えても無意味だからです。今期の売り上げが落ちて、株価が下がったら、それで会社は「はい、おしまい」です。十年後どころか来年もない。だから、今期の利害損得に一○○パーセント集中するしかない。それが「当期利益最優先」という株式会社的な時間意識です。そして、現代人はもうほとんどがこの株式会社的発想に骨の髄まで冒されてしまっている。

 でも、そういう短いタイムスパンで判断をしてはいけない領域があります。

 それなしには人間が集団的に生きてゆけない資源のことを経済学の用語では「社会的共通資本」といいます。これには三種類のものがあります。自然環境、社会的インフラ、そして社会的な制度です。

 自然環境というのは山河のことです。大気、海洋、河川、湖沼、森林・・・そういうものです。その豊かな恵みの上に僕たちの社会制度は存立している。社会的インフラというのは、上下水道、交通網、通信網、電気ガス水道のようなライフラインのことです。制度資本というのは、行政、司法、医療、教育などの制度のことです。

 社会的共通資本は集団が存続するために絶対に必要なものです。だから、安定的に、継続的に、専門家によって、専門的な知見と技術に基づいて管理維持されなければならない。とにかく急激に変えてはならない。だから、社会的共通資本の管理運営に政治とマーケットは関与してはならない。

 それは別に政治家や市場が下す判断がつねに間違っているからではありません(そんなはずがない)。そうではなくて、政治過程も経済活動も複雑過ぎて、次に何が起きるか予測不能だからです。そういう予測不能なシステムのことを「複雑系」と呼びます。わずかな入力差が劇的な出力差をもたらすからです。「ブラジルの一羽の蝶の羽ばたきがテキサスに竜巻を起こすことはありうるか?」というのは予測可能性についての有名なフレーズですが、複雑系ではそういうことが起こる。だからこそ人々は政治や経済に熱中するわけです。

 でも、空気がなくなるとか、海が干上がるとか、森が消滅するとか、ライフラインが止まるとか、学校がなくなるとか、病院がなくなるということがあってはならない。当然ですね。それでは人間が生きてゆけないから。だから、社会的共通資本を複雑系とはリンクさせてはならないということになります。

 政治は「よりよき世界」をめざした活動です。経済は「より豊かな世界」をめざした活動です。たぶん主観的にはそうだと思います。初発の動機は、いずれも向上心や善意や冒険心です。悪くない。ぜんぜん悪くない。でも、歴史が教えるように、めざした目標がどれほど立派でも、複雑系においては、予測もしない結果が出て来る。必ず予測もしなかった結果が出てきてしまう。よりよき世界をめざした政治活動が戦争やテロや民族浄化をもたらしたことも、より豊かな世界をめざした経済活動が恐慌や階層分化や環境破壊をもたらしたことも、ともに歴史上枚挙に暇がありません。

 それでもいい、何か劇的な変化が欲しい。それがないと退屈で死んでしまう・・・というのがたぶん人間の「業」なのでしょう。僕にだって、その気持ちはわかります。だから「止めろ」とは言いません。でも、お願いだから、社会的共通資本にだけはできるだけ手を付けないで欲しい。

 政権交代したら電気が止まったとか、株価が下がったので医療機関がなくなったとかいうことでは困る。そういうものはとにかく定常的に維持されなければならない。だから、政治とも市場ともリンクさせない。

 私人は変化を求めるが、公共的なものは安定を求める。そういう命題に言い換えてもよいかも知れません。政治活動も経済活動も、それを駆動しているのは「私念」です。「私の考える政治的に正しい社会」や「私の考える豊かな社会」を実現しようとして、人は政治や経済にかかわる。でも、その人の頭の中に描かれた「正しさ」や「豊かさ」はあくまで私念に過ぎません。だって、人を激しく衝き動かすものは他の人と違うアイディアに決まっているからです。他の人も自分と同じことを考えているだろうと思ったら、「お願いだからオレの話を聞いてくれ」と懇願したりはしません。道行く人に向かって大音量で「オレね、結局、世の中って、色と欲だと思うんですよ!」と叫んでみても、誰も足を止めてくれない。何の新味もないから。「こんなことを考えているのはオレだけじゃないか」と思うから人は熱くなるし、「はじめて聞く話だな」と思うから人は足を止める。そういうものです。私念だけが「ブラジルの蝶の一撃」的なインパクトを持つ。それだけが複雑系に予測不能の変化をもたらす。

 複雑系を駆動するのは私念です。でも、社会的共通資本を動かすのは私念ではあってはなりません。社会的共通資本を動かすのはたった一つだけで、それは「公共的なものへの配慮」です。そこにはオリジナルな要素がまったくありません。当然ですよね。「空気はあった方がいい」とか「水道の水はきれいな方がいい」とか「法体系は合理的な方がいい」とかいうことに対して異を唱える人はふつういないからです。

 社会的共通資本は専門家が専門的知見に基づいて管理配慮すべきであるというのは「そういうこと」です。そこに私念をまじえてはいけない。「海とかなくてもいいよ、オレ海嫌いだから」とか「学校いらねえよ、オレ勉強嫌いだから」というような私的な見解は、それが主観的にはどれほど切実なものであっても、社会的共通資本の管理運営には決して持ち込んではならない。

 だから、そこでは「政治的正しさ」も「経済合理性」も配慮してはならないのです。だって、何が「ほんとうに政治的に正しい」のか、何が「ほんとうに経済的に合理的なのか」についてのわれわれの間には意見の一致がないからです。

 社会的共通資本というのは「それがなくなると、集団としての人間が生き延びられないリスクがある資源」のことです。だから、それはとりあえずわきにのけておく。人間たちが日々熱心に売ったり買ったり、作ったり壊したり、手に入れたり失ったりする領域からは隔離しておく。

(2020-10-27 09:05)


室内に取り込んだスエーデンアイビーが花をつけています。

少し園内を散歩しましょうか!

沼を回る道を整備しているところです。

のぶどう

クマゲラがつついた穴です。アリの巣があったのです。

 


「ホームレス農園」 野菜と人を育てる農業で命をつなぐ

2020年10月27日 | 本と雑誌

 今朝、ラジオ体操の後の「三宅民夫のマイアサ」で「ホームレス農園」の小島希世子社長へのインタビューがあった。わたしがやりたかったことで興味を持ったので調べてみました。


えと菜園・小島希世子社長インタビュー

顧客リピート率9割の「ホームレス農園」 野菜と人を育てる農業で命をつなぐ

https://wotopi.jp/archives/33829

今一生 2016/01/27

神奈川県藤沢市に、「ホームレス農園」と呼ばれているユニークな農園がある。

株式会社えと菜園の女性社長・小島希世子(おじま・きよこ)さんが、「ホームレスを農家に」を合言葉に貧困問題と農業の人出不足を同時解決しようとしている場所だ。

小島さんは、熊本県生まれ。牛と暮らしている近所の農家を見て育ったが、実家は農家ではなかった。農家に憧れていた彼女は、産直の会社で働いた後、熊本県で無肥料・農薬不使用栽培・オーガニック栽培に取り組む農家と契約。2006年に熊本産の農産品を売るオンラインショップ(現・えと菜園)を運営し始め、その利益を元手に2009年に法人化した。

えと菜園より

オンラインショップでは、オーガニック小麦を使用し、防腐剤・牛乳・卵・バターは使わないで作ったベーグル、オーガニック雑穀、化学添加物が無添加のハム・ベーコンなど安全性にこだわり抜いたものが並び、「お客さんのリピート率は9割」という。

それらや自身で栽培した野菜は藤沢に設けた直売所「くまもと湘南館」でも販売し、スーパーにも卸しているが、農協には卸していない。食卓と生産現場との距離があまりに遠くなってしまった今日、自分たちがどんな場所で誰がどのように食べ物を作っているかを伝え、生産者と消費者をダイレクトにつなげたいという思いがあるからだ。

「私たちの農家直送の通販や直売所以外では、お客さんが歩いて来られる範囲のスーパーにしか、うちの商品は置いてないんです。生産者と消費者を近づけることにこだわり、絆を育てたいので。よのなかには製品にするまで捨てられる野菜があるけど、うちでは『規格外』も関係なしに無駄なくお客さんに選んでもらいます。根っこも葉っぱもついたままの姿を見てほしいので、なるべく落とさずに出荷してます。二股に育った人参でも売れますし、スーパーの方も理解してくれています」(小島さん)

消費者と生産者を近づける意味でも、消費者が生産現場の実情を知ったり、自分の手で野菜を作れる機会が必要になる。そこで、えと菜園では湘南藤沢と横浜片倉の2箇所で「体験農園コトモファーム」を運営している。

小島さん自身も野菜をそこで作っているが、毎週日曜は一般市民向けに野菜作り体験教室を開催。収穫まで技術指導をするが、「肥料や農薬を一切使わず、土と水と空気と太陽だけ」で作物を育てているという。

横浜の小さな市民農園を借りて始めた家庭菜園塾を始めた2008年当初、小島さんは平日に畑の世話をしてくれる人員の不足に悩んでいた。そこで、ホームレス支援団体に声をかけると、働く意欲が高く体力もある人材が路上にたくさん埋もれていることを知らされた。

小島さん自身が書いた本『ホームレス農園 命をつなぐ「農」を作る! 若き女性起業家の挑戦』(河出書房新社)に、こう書かれている。

「ホームレスにはもともと工事現場などで働いていた経験を持つ人が多く、肉体労働向きの体をしている人が多い。体の使い方が上手で、農作業も難なくこなす。また、畑の草や小径木を刈る刈払機など機械の使い方にも詳しくて、即戦力になる」(小島さん)

こうしてホームレスと一緒に農作業を経験した小島さんは、人出不足の農業に働きたくても職がない人をつなげられるという思いを強くした。そして、2013年にNPO法人 農スクールを創設し、生活保護の受給者や障がい者、ニートなどに就労・就農の機会を作り出す試みを始めた。

「農業したい方でも、『パートから』という人もいるので、それぞれの意向に合った農家につないでいます。農家にはムラ社会的なところが残っていて、人材派遣会社からの紹介には抵抗を感じている方も多いのですが、私の紹介なら受け入れてくれます」(小島さん)

農スクールでは、3ヶ月を1ターンとして約1年間の農作業に週1回携わる。1回のプログラムには6~12名ほど参加するが、これまでに60名ほどが参加した。そのうち20名が就職し、農業にも5名が働けるようになった。就労支援としては短期間でかなり良い成果を出しているが、農作業にある固有の魅力がその一因のようだ。

「畑って開放感もあるし、居心地いいんです。半年も一緒にいれば、お互いに性格がわかってきます。最初は農作業が終わるとすぐに帰っていたのが、だんだん話すようになる。最後はみんなで育てた野菜を使ってバーベキューをやるんですが、みんな楽しそう。笑うようになるし、全然しゃべらなかった子が穴掘りを『すごいね』とほめたら自ら質問するようにもなりました。化ける人は化けるんです。20~30代の離職者も来るんですが、ホームレスと話してるうちに『自分だけが世界で一番苦しい人と思ってた。でも、自分より苦しい状況の人が頑張っていることを知って、俺もまだ頑張れる』と思えたとか。

高学歴の子も畑に来るんですが、ホームレスがこう言ったんです。『東大生が俺に野菜作りについて聞いてくるんですよ。東大生も分からないことは分からないんだって思った』って(笑)。農業に職歴や学歴は関係ありませんからね。それと、何人かに言われたのは、『小島さんを見てると適当でいいんだなと安心する』って。確かに私は段取りが悪かったり、天気が良いからと予定を平気で変更しますから(笑)」(小島さん)

自分が世話しないと美味しくなれない野菜が、目の前にある。働く意味がそこにある。農業がもつこのシンプルな魅力に気づくことは、きっと誰にでもできることなのだ。

*     ⋆     *

ホームレス農園―命をつなぐ「農」を作る! 若き女性起業家の挑戦

https://kuramaetrack.com/2015/11/17/post-9345/

2015.11.17

「格差」や「貧困」など労働や生活における悪い話題が絶えない。しかしその話題に風穴を開けるがごとく「ホームレスをファーマーに!」のもとで貧困問題を農業でもって解決していこうとする方が存在している。本書はそれを行っている団体がどのような形で設立し、活動していったのか、そのことについて取り上げている。

第1章「藤沢市にはホームレスが輝く農園がある」

どのような団体なのかというと「農スクール」という所にあり、本部は神奈川県藤沢市の田園地帯にある。著者も団体の長の仕事をしながら毎日農作業に勤しんでいる。またそこにはホームレスの方はもちろんのこと、ニートなど現代社会にて働くことが難しい、あるいはできない方々に対して農業を通じて職業支援を行っている。またなぜそういう方々に対して就農を支援しているのか、その理由についても統計とともに取り上げている。

第2章「私が「農」を始めたワケ」

元々著者も農村の出身だったのだが、著者は農家ではなかった。両親共々教師だったという。そのこともあって農家への思いが募ってきたが、他にもある映像がきっかけで思いが強くなった。しかし本当に農業に携わるまで紆余曲折があった。

第3章「農業界とホームレスをつなげる」

また、ホームレスに対する接し方にもショックを受けたことにより、「農業」と「ホームレス」をどのように結びつけるのかを考え続けた。そうして小さな市民農園を借りて塾をスタートした。その中でホームレスを雇うことにしたのだが、周囲の反対意見も相次いだ。しかしその反対意見を押しのけつつ、ホームレスを支援するボランティア団体と掛け合ってホームレスを雇うことができた。またその中で、あまりにも厳し過ぎるホームレスの現状を知ることとなった。

第4章「生活保護のほうが“マシ”?農業研修に新たな壁」

しかも厳しい現実を突きつけられたのはホームレスだけではない。現場でも生活保護受給者を雇うことになったのだが、本章のタイトルにある「壁」に遭遇することとなったという。またニートの現状にしても「働きたくない」というよりも「働き方が分からない」というほど、内面的な事情があったという。

第5章「就農第1号誕生!そして見えてきた次の課題」

元ホームレスが農業研修を通じて、ついに農家への道を歩むこととなった。その中でもう一つの課題があった。そもそも今ある日本の「農家」としての現状がある。もっと言うと新しく農家になる人と従来の農家との大きな「溝」が浮き彫りとなったことにある。本章の所を見るに当たり、農業衰退の本質が映し出しているような気がしてならなかった。

第6章「「ホームレス農園」は今、さらなるステージへ」

ホームレス(・ニート・生活保護受給者)から農業研修へ、そして農家へのプロセスは現在著者が運営している「農スクール」で行われている。もちろん農家を育成するだけではなく、新たな農家を育てるための講師として活動する、農スクールの中で収穫した農作物を販売するなどの仕組みを本章にて紹介している。

農業にしても労働にしても、日本には様々な問題を抱えている。それを打開すべく著者は「農スクール」を設立し、農業・労働双方の観点から支援を行い、新しい農家を育成している。日本が抱えている問題をこれで解決するかどうかと聞かれると一筋縄ではないか無いのだが、解決する一つの「解」が本書にて出ていると言える。


わたしなら「こもりびと農園」かな?
「ボッチ老人」や「家出少年少女」の緊急避難所、ウツの社会復帰などいろんなことができる「居場所」を作りたかった。
でも、もう体力無いなぁ・・・
こもりびと出身の若い力を貸してくれる人がいたらなぁ・・・

以前紹介したキノコ、どうやらヤナギタケのようです。

というわけで今晩のおかずに食べました。


相次ぐ引き出し屋の被害(上)ひきこもり自立支援施設の手法は拉致・監禁、元生徒7人が初の集団提訴へ

2020年10月26日 | うつ・ひきこもり

加藤順子:フォトジャーナリスト、気象予報士

 News&Analysis   2020.10.25 

    ひきこもりや無職等の状態にある人の自立支援施設を運営する団体とそのスタッフに対し、今月28日、関東在住の元生徒7人が集団で提訴する。7人は、ある日突然、自室に現れたスタッフらに、ひきこもりや無職等の状態であることを理由に、施設で自立支援を受けるよう迫られ、「強引に連れ出され、抑圧された生活を強いられた」などと主張している。(ジャーナリスト 加藤順子)

 

ひきこもりや無職等の状態を理由に

寮に連れ出された7人が集団提訴

 ひきこもりや無職等の状態にある人の自立支援施設として知られる「ワンステップスクール(以下、ワンステ)」を運営する、一般社団法人若者教育支援センター(東京都港区、広岡政幸代表理事)とそのスタッフに対し、今月28日、関東在住の元生徒7人が集団で提訴する。

 広岡代表の著書によれば、同校は2008年設立で、神奈川県中井町や静岡県御殿場市に主な拠点を構える。元生徒7人は、ある日突然、自室に現れたスタッフらに、ひきこもりや無職等の状態であることを理由に、同社の施設で自立支援を受けるよう迫られ、「強引に連れ出され、抑圧された生活を強いられた」などと主張している。

 集団提訴に踏み切る元生徒7人は、関東在住の20〜40代の男性。入寮は17〜19年とバラつきがあり、サポート期間も、最短で3週間あまり、最長で2年2カ月と幅がある。

 同センターは「ピック」と称し、家族の依頼を受けた数名の男性スタッフが支援対象者本人を予告なしにいきなり訪れ、そのまま寮に連れ出す手法を用いる。このため、俗に「引き出し屋」などとも呼ばれている。

 元生徒7人のピック場所は、東北地方から沖縄本土にわたり、同センターの活動範囲の広さを物語る。そのうち5人は、17年11月から19年12月までに中井町の湘南校からそれぞれ脱走し、福祉施設に保護された経緯がある。また、サポート期間中に、湘南校から神奈川県内の精神科病院に医療保護入院をさせられた30代男性もいる。

筆者は広岡代表に対し、意に反して連れ出すピックや、自由を奪って生活を強いる支援に関する違法性の認識について問い合わせたが、23日(金)17時の期限までに回答を得られなかった。同代表はこれまでも、本人の意に沿わない引き出し行為について、自著やメディア各社取材で繰り返し否定しており、訴訟の争点の1つになるとみられる。

 同様の支援手法を用いる業者は各地に存在するが、なかでもワンステは、突出して被害を訴える元生徒の数が多い。ある日突然のピックのみならず、主な拠点である湘南校や、職業訓練校である御殿場校での寮生活やプログラムについても、元生徒たちから批判の声が上がっている。

 代理人の一人である徳田暁弁護士(神奈川県弁護士会)は、「声を上げられずにいる被害者が他にもたくさんいるはず」とみて、提訴翌日の29日には、専用ダイヤルを設置し、被害情報を集める予定だ。

代表のカリスマ化と市議選出馬に

危機感を募らせる被害者たち

 広岡代表は今年2月、拠点のある御殿場市の市議会議員選挙に無所属で出馬した。当選には至らなかったが、わずか7票差の次点という結果に、ワンステに対する強い被害感情を持つ元生徒たちの間では大きな衝撃が広がっている。

「選挙の結果に、恐怖を覚えました。彼が、表向きの支援の良い部分だけを語って市民の代表に選ばれてしまうことは、とても危険なことです。ワンステで実際に何が行われてきたのか、その違法性を知ってもらうためにも、やっぱり訴訟をしなければと思ったんです」(30代被害者)

 広岡代表は、17年春に自著を出版したほか、インターネット上でも法人サイトとは別に、個人サイトの運営や動画チャンネルの開設、SNSの個人ページ開設などセルフプロデュースに余念がない。

 そんな発信力のある同代表の、若く、熱意のある支援者としての姿は、メディア各社がこぞって好意的に取り上げ、「ひきこもり」に関する凄腕の解決人のように扱ってきた。

 しかし、ここ数年は同センターの支援手法に対し、広く疑問の目が向けられるようにもなってきた。きっかけは、16年3月21日に「ビートたけしのTVタックル」(テレビ朝日系列)で放送された激しいピックの様子だった。

広岡氏が、長年ひきこもり続ける40代当事者の部屋のドアを素手で叩き壊し、「降りてこい!」などと怒号を浴びせた上、抵抗を続ける本人を7時間にわたる「説得」で追い込む。こうしたシーンが放送されると、Twitter等で「暴力的だ」などと炎上したのだ。

 翌4月には、『社会的ひきこもり』等の著作のある精神科医の斎藤環氏が、ひきこもり経験者や研究者、ジャーナリストと共に会見。「『支援という名の暴力』を好意的に報道するのは人権意識が欠けている」などと、放送内容を批判する事態にまで発展した。

 批判を受けた広岡氏は、粗暴な振る舞いがあったとして、謝罪の意を公表したものの、TVタックル問題のほとぼりが冷めた翌年の17年7月頃から、再び、テレビメディアに取り上げられるようになった。いずれの番組も、ひきこもる当事者を「家庭に迷惑を及ぼす存在」として批判的に見せる一方で、同センターや広岡代表の活動を好意的に扱った。そして、ひきこもる人々を無理やり引き出すかたちでの支援のリスクに触れることはなかった。

 19年に立て続けに起きた「川崎市登戸通り魔事件」や元農水省事務次官が長男を殺害した「練馬事件」では、メディアの報道が「ひきこもり」を巡って過熱。その際も、ワンステの特集を組み、広岡氏をスタジオゲストに呼んで「ひきこもり」にまつわる社会的課題について解説させた情報番組もあった。

 こうしたメディアの風潮や広岡代表の政治活動に、訴訟に参加する被害者の一人はこう危機感を募らせる。

「テレビで報道されるワンステと、施設内で行われていることは印象が全く異なります。ワンステは広岡さんの出世の装置で、僕たちは、そのための道具にされているだけな気がする」

引き出し業者の介入で

決定的に悪化した家族関係

 広岡代表は自著の中で、ピックした人々を施設で集団生活させる目的について、「親子関係の修復」と述べている。ところが皮肉なことに、全く逆の結果に至る例も少なくない。

今回、集団提訴を決意した7人のうち、2人が過剰な介入を止めるために親に対して調停を申し立てた。調停に至らなくても、親子関係が断絶したり、やりとりはできても非難の応酬になり、対話の端緒がつかめなくなったりするなど、ピック以前に比べて、関係性がさらにこじれた親子が複数組いる。

「つい最近の調停では、母親が『戻ってきて』と言ったのに、過度な干渉を嫌った子の側が受け入れず、『手紙だけは受け取るが、返事も連絡もしない』という結果になってしまいました」(20代男性の調停代理人)

 いわゆる引き出し業者による被害を訴える人たちは、時に「拉致」「誘拐」「だまし討ち」「収容所」「人権侵害」といった表現を使う。突然の連れ出しや、監禁・軟禁・監視下での生活がトラウマとなり、施設脱出後もフラッシュバックや悪夢に苦しんだり、PTSD(心的外傷後ストレス障害)で働けなくなったりした人も少なくない。

 広岡氏は自著の中で、予告なく本人を訪れ、同センターの支援を受け入れるまで「説得」することを「訪問支援」と称し、その日のうちに寮に入れることを、「保護」だと主張する。

 契約した親たちも、「自分は悪くない」といった思いを抱きがちで、ワンステの介入によってわが子との関係がたとえ深刻化したとしても、なぜか広岡氏を「恩人」と捉える向きがある。

 一方で、ワンステの一連の強引な支援を「被害」と認識する生徒たちは多く、その間には認識の深い溝が存在する。

 多数のワンステの元生徒や複数の元スタッフの話によると、提訴する7人が暮らした湘南校には、施設の内部に監視カメラやセンサー付き警報機が多数取り付けられているという。一切の金銭や身分証、通信手段を取り上げられたまま寮生活が始まり、働く先の選定や自立のタイミングまで、スタッフの指示や親の意向に従わなければならない。スタッフに逆らったり脱走が見つかったりしたら、「考査部屋」での内省生活という「罰」を受けることや、精神科病院に医療保護入院させられることもあるという。

 生徒たちの中に強い被害感情が生まれるのは、このような、非自律的で、一人一人の尊厳が守られているとは言い難い手法を、ワンステが「支援」として用いているからだ。その支援がうまく当てはまり、精神的・経済的の両面で自立を果たしていく人もいるが、「被害」の声が出続ける現実を見逃すわけにはいかない。


なめこ?


核兵器禁止条約の発効が確定 !!!

2020年10月25日 | 社会・経済

ICAN・川崎哲氏「核兵器の存在理由なくなる」 

2020年10月25日 13時41分

 核兵器禁止条約の発効に向け取り組んできた非政府組織(NGO)「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)の川崎哲あきら国際運営委員(51)が25日、オンラインで記者会見し、発効確定について「核兵器が違法化され存在理由がなくなるということ。うれしいし、興奮している」と述べる一方、条約に参加していない日本政府を批判した。

 過去にできた対人地雷やクラスター(集束)弾を禁じる条約と同様、核禁止条約に加わっていない核保有国に対しても、核兵器を使えなくする効果があると指摘。「核兵器を許さないという包囲網が生まれている。冷静で、まともな指導者は(核保有を)やめようという選択をするしかない」と強調した。

 米国の「核の傘」の下にある日本は条約に参加しておらず、川崎さんは「一番の障害は日本が動かないことだ」と政府の姿勢を非難。「半分無関心、半分思考停止。冷戦時代のような核抑止論が検証されていない」と問題視した。

 会見に参加した日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の木戸季市すえいち事務局長(80)=岐阜市=は「(原爆が投下された)あの日を思い出した。街が真っ黒で、死体がごろごろあったことがよみがえった」と振り返り、条約に関し「(核兵器の)終わりの始まり。最後の力を振り絞ろうと思った」と決意を語った。

(共同)

*     *     *

サーロー節子さん、核禁条約発効確定に「夢見た瞬間やってきた」 日本政府の姿勢には「ぶざま」と憤り

2020年10月25日 11時15分

    核兵器禁止条約の発効が確定したことを受け、非政府組織(NGO)「ピースボート」(東京)は25日、オンラインイベントを開催した。電話で出演したカナダ在住の被爆者サーロー節子さんは「やっと夢見た瞬間がやって来た」と喜び、核兵器廃絶に向け「道のりは長いが一歩ずつ前進していきたい」と力強く語った。

 知人からの連絡で知ったというサーローさんは「体が震え、喜びや驚きで胸がいっぱいになり、言葉にならなかった」と興奮気味だったが「次の行程を考えると、責任を強く感じる」と冷静に見通した。

 条約に批准しないとしている日本政府の姿勢に「長年のぶざまな姿だ」と憤り「菅義偉首相は前首相と同じ事をやらずに、フレキシブルに実情を見てほしい」と強調した。

(共同)


1日中ほとんど☂。ハウスの中でミニトマトの株をちょん切って整理を始める。

バラの花も春・夏と咲いてくれたがこの秋は無理か?

アカゲラがたくさん来ている。

今日の収穫。(ヒラタケ)


菅政権の目的は「国民統制」!?聞こえのいい政策が続く危険性とは

2020年10月24日 | 社会・経済

  上久保誠人:立命館大学政策科学部教授

     2020.10.20 4:45

    菅政権が発足し、1カ月で続々と政策を打ち出している。しかし、政権の目的は「政策実現」ではない。国民にとって「いい政策」が聞こえてくるが、菅政権の最終的な目的は「国民統制」ではないかということが、既に見えてきている。(立命館大学政策科学部教授 上久保誠人)

 

安倍前政権は目的=政策実現、手段=権力集中

菅政権は逆になった!?

 菅義偉政権が「安倍政治の継承」を掲げて発足してから1カ月がたった。だが、安倍晋三前政権とのはっきりとした違いが見えてきた。それは、菅政権では、政権が「目的」とすることと、その実現のための「手段」が、安倍前政権時代と入れ替わっていることだ。

 安倍前政権では、首相の「やりたい政策」というものが前面に掲げられていた。まず、首相の悲願であった「憲法改正」(本連載第169回)だ。次に、「特定秘密保護法」(第72回)、「安保法制」(第115回)、「テロ等準備罪(共謀罪)法」(第160回)などの安全保障関連の法律の整備であった。

 また、それら「やりたい政策」を実現するために、内閣支持率を維持する経済政策「アベノミクス」(第163回)、「一億総活躍」(第138回)、「働き方改革」「女性の社会進出」(第177回)、「教育無償化」(第169回・p3)などの国内政策も次々と並べられた。これらの政策を実現が、安倍前政権の「目的」だった。

 そして、その「目的」を実現するための「手段」が、菅官房長官(当時)を中心とする首相官邸への権力集中だった。在任期間が歴代最長だった菅官房長官は、毎年約10億~15億円計上される官房機密費や報償費を扱い、内閣人事局を通じて審議官級以上の幹部約500人の人事権を使い、官邸記者クラブを抑えてメディアをコントロールし、官邸に集まるありとあらゆる情報を管理した(第253回・p5)。

 官邸に集まるヒト、カネ、情報を一手に握った菅官房長官が行ったことは、「森友学園問題」(第178回)、「加計学園問題」(第158回)、「桜を見る会」(第233回)、「南スーダンの国連平和維持活動(PKO)の“日報隠し”問題」(第179回)、「裁量労働制に関する厚労省の不適切な調査データの問題」(第177回)などの公文書の改ざん、隠蔽、破棄、そして「前法相夫妻の逮捕」などのスキャンダルの悪影響が広がることを抑え込むことだった。

 要は、政策の実現という安倍政権の「目的」を妨げるものを排除していく「手段」として、菅官房長官は、絶大な権力を掌握して、それを行使したといえる。

 一方、菅政権では、官僚、メディアを掌握し、国民を統制すること自体が政権の「目的」のようだ。そして、政策はその目的達成のための「手段」として打ち出されているように見える。

政策そのものではなく、やり方が問題

「ハンコ廃止」は大臣がやることなのか

 菅首相は、就任と同時に、行政の縦割り打破や規制改革に取り組むことを打ち出した。これ自体はなにも問題はない。日本政治・行政の長年の課題であり、この解決を図ろうとするのは、新政権として当然のことである。

 問題は、行革・規制緩和を進める菅政権のやり方だ。菅首相は、河野太郎行革担当相に対して、国民から電話や電子メールで「縦割り」の弊害の具体的な事例を通報してもらう窓口「縦割り110番」を設置し、行政の目詰まりを全部明らかにし、1カ月ごとに報告をするように指示した(第255回)。

 河野行革相が「行政の無駄」として目を付けたのが、「ハンコ」だった。行革相は、全府省庁に対し、民間から行政機関への申請手続きなどで求める押印手続きなど、「ハンコ」を原則廃止するよう文書で要請した。「ハンコ」を存続させる場合は9月末までに理由を示すようにも求めた。

 その後、河野行革相は、全府省庁での検討結果を公表し、押印を求めていた約800種類の申請書や添付書類を全廃する考えを示した。一方、法律や政省令、告示で押印を要求していて変えられないと回答があったものが35種類あったが、「(押印を)やめられると思う」と、全府省庁に再検討させたことを明らかにした。

 中央省庁では、ハンコを必要とする手続きはおよそ1万1000件あるといわれる。その中には、「偉い人スタンプラリー」と呼ばれる、1枚の書類に10以上の承認印を必要とするものがあふれ返っている。すべての役職者の承認印を得るのに、担当者が何日も役所内を回り続けなければならない。要するに、「無駄な押印」は、「お役所仕事」と呼ばれる行政の非効率の象徴であることは間違いない。

 「ハンコ廃止」は、この「お役所仕事」の改善につながる。コロナ禍における定額給付金10万円の支給がもたついたことなどで批判されたことなど、行政手続きの煩雑さは長年の日本の課題である。それを改善するための有効な策であることは間違いない。

 また、やりがいのない煩雑な業務に忙殺されて残業が多いことで、若手官僚の多くが転職を考えているという。「ハンコ廃止」で無駄な業務を減らすことで、霞が関の「働き方改革」につなげて、優秀な人材の民間への流出を防ごうという狙いもあるだろう。

 しかし、そもそも「ハンコ廃止」は、首相が音頭を取って、大臣が陣頭指揮してやるべきことなのだろうか。役所であれば、部長あたりが音頭を取れば、できることではないのかということだ。

 実際、筆者が勤務する大学を例にすれば、既に「ハンコ」を押す機会は激減している。留学生が増えたからだ。留学生は印鑑を持っていないから、書類にサインすればいいということになる。指導教員もサインでいいとなり、次第に日本人学生の他の書類もサインで十分というのが増えていったのだ。

 要は、別に大臣に陣頭指揮などしてもらわなくても、業務の効率化を現場レベルで考えればできることだ。特に、国際的な競争にさらされる現場だと、有無をいわさず変化を求められる。既に変えている民間企業も多数ある。

 確かに、霞が関は特に外部との競争と無縁で、変化が起こりにくいところではある。だが、コロナ後はデジタル化・IT化が徹底的に進む「スーパー・グローバリゼーション」の世界になる(第249回)。時間は少しかかるかもしれないが、いや応なしに変化は起きていく。それを、大臣が陣頭指揮をして、行革の中心課題のように扱うというのには、強い違和感があるのだ。

政権の陣頭指揮で「ハンコ廃止」を進める理由

官僚バッシングにうってつけ

 それでも、菅政権が陣頭指揮で「ハンコ廃止」に突き進むのには、行革の推進以外に理由があるからだ。それは、この政策が庶民を「感情的」にして官僚をバッシングさせるには格好だからである。

 子どものころから頭のいい優等生で、東京大学など優秀な大学を出て、霞が関に入ったエリート官僚が、実は自分たち以上に、非効率的で無駄な仕事をしてきたことが明らかになる。頭でっかちなガリ勉で、実はたいしたことないじゃないかと思う。これは、エリート官僚にコンプレックスを持ってきた庶民にとって、実に気持ちがいいことだ。

 既に「ハンコ廃止」にもさまざまな異論が出始めているが、今後、行革・規制緩和が本格化して、霞が関の本格的な抵抗が起こり始めたら、感情的になって官僚をバッシングするようになる。その「気持ちのよさ」を知った庶民が、次々と「炎上」を起こすことになる。

 菅首相は、政権に反対する官僚を「異動させる」と明言している。省庁幹部人事を一元管理する内閣人事局で「官僚支配」を続ける方針だ。安倍前政権時、内閣人事局を使った官邸主導の強化による官僚の「忖度」には強い批判があった(第183回)。

 しかし、菅政権では、首相に抑え込まれる官僚の姿を見ることに「気持ちのよさ」を覚えた庶民によって、感情的な「官僚バッシング」が起こる。そして、首相の強気の姿勢が異様なほど称賛されることになりはしないか、強い懸念を覚える。

「携帯電話料金引き下げ」の進め方にも疑問

政策は「統制の手段」として実行される

 菅政権の打ち出した政策は、その他にも「統制の手段」として実行されることが疑われるものがある。例えば、菅政権の目玉政策のひとつである「携帯電話料金引き下げ」である。

 菅首相は就任直後に武田良太総務相を官邸に呼んで、トップダウンで値下げを急ぐよう指示した。武田総務相は「国民生活に直結する問題なので、できるだけ早く結論を出す」とし、「(値下げ幅は)1割程度では改革にならない。海外では健全な競争を導入して70%下げたところもある」と、大幅な値下げの実現に強い決意を表明した。

 確かに、携帯電話料金が下がることは、コロナ禍の経済停滞に苦しんできた庶民にとってはありがたいことだ。だが、これも首相が音頭を取って大臣が陣頭指揮でやることかという疑問がある。

 政府が経済についてやるべきことは、市場の公平な競争条件を整えて、多くの企業を参入させて、結果として適切な水準まで市場の価格が自然に下がっていくように促すことだろう。それ以上に強制的に値下げをさせるなど過剰な企業活動への介入は、「統制経済」につながってしまう危険があるのではないか。

 安倍前政権時にも、企業に対して「賃上げ」を再三再四にわたって求めるなど、「統制経済」的な側面があった。だが、それは「アベノミクス」という政権の看板政策を実現するためのものであった。また、あくまで企業側に対する「要請」であり、強制力を持つものでもなかった。

 一方、菅政権は、より強く産業を統制しようとする意図がにじんでいる。政権発足直後にロケットスタートで「携帯電話料金値下げ」を政府主導で決める。これは、庶民にとって一見いいことのように見えるので、携帯業界は抵抗しづらい。抵抗すれば、庶民からバッシングを受けることにもなりかねないので、黙って従うことになるだろう。それを見る他の業界も、菅政権の強い姿勢に震え上がり、黙ることになる。菅政権は、このように産業界全体の強い統制に成功することになるのではないか。

「いい政策」が続き批判できない空気が漂う

 さらにいえば、菅政権は「不妊治療の保険適用拡大」など、多くの国民が「いいことだ」と賛成できる政策も次々と打ち出している。これが、後述の「学問の自由」の侵害の問題などが起きても、「いいことをやっているんだから」と批判を控えさせる効果がある。

 端的な事例は、野田聖子・自民党幹事長代理が、「女性はいくらでもウソをつける」発言をした杉田水脈議員に辞職を求める13万6000筆の署名の受け取りを拒否したことだ。「議員辞職させる権限がないから受け取れない」という理由は意味不明である。

 一方、野田幹事長代理は、菅政権の1カ月について「国民に直接響く、生活感を大切にした政策の積み重ねが特徴で、24時間休むことなく突き進んできた1カ月だった。一緒にいる私たちもヘトヘトで、いい仕事をさせてもらったと感謝している」と高く評価した。要は、菅政権が女性の権利拡大の政策に取り組んでくれるので、批判的な行動はできないということだ。

度を越している学者の抑えつけ

梶田会長の行動は「子どもの使い」

 そして、菅政権の国民統制という目的のための「手段」の極めつけが、「日本学術会議任命拒否」だろう。筆者は、日本学術会議が「学問の自由」を守れていない側面があると批判した(第255回)。しかし、菅政権の学者を抑えつけようとする姿勢は、度を越しているように思う。

 菅首相と日本学術会議の梶田隆章会長(東京大学教授)が、首相官邸で15分間会談した。梶田会長は、学術会議が推薦した会員候補105人のうち、6人を任命しなかった理由の開示と任命を求める要望書を、首相に直接手渡した。しかし、梶田会長は菅首相の直接任免拒否の理由を問いかけることはなく、首相も説明しなかったという。

 会談で菅首相は、「学術会議が国の予算を投ずる機関として国民に理解をされる存在であるべきだ」と話し、「学術会議としてしっかり貢献できるようやってほしい」と梶田会長に要請した。梶田会長は、政府への政策提言が不十分といった批判が出ていることを念頭に「発信力が今まで弱かった。早い段階からしっかり改革していきたい」と応えた。そして、学術会議の在り方について、今後検討していくことで合意したという。

 一言でいえば、梶田会長の行動は、「子どもの使い」のような無様さだった。なぜ、菅首相に任免拒否の理由を直接聞かなかった。首相が答えなければ、テコでも動かない。答えるまで官邸に籠城するくらいのことはしてほしかった。命を懸けて首相と刺し違えるくらいの覚悟がなければ、「学問の自由」など守れるわけがないではないか。

 菅首相も、ノーベル賞受賞者の梶田会長をいい加減に扱うことはできなかったはずだ。乱暴に官邸から追い出せば、世論が黙ってはいないからだ。梶田会長は自らが持つ絶大な「権威」を使って「権力」と戦うべきだった。戦前、学問の自由を守るために逮捕されてもまったくひるまなかった河合栄治郎のように、信念を示してほしかった(第190回)。

 だが、梶田会長は、しょせん学者がけんかのやり方を知らないひ弱な優等生でしかないことをさらしてしまった。やはり、日本学術会議は「学問の自由」を守るために百害あって一利なし、無用の長物だと断ぜざるを得ない。今後、政治は遠慮なく「学問の自由」を奪うために学者を攻撃してくるだろう。

学者を最初に狙い撃ちした理由

政権の最重要の「目的」とは

 菅首相は、日本学術会議を攻撃する二の矢を既に放っている。自民党は、日本学術会議の在り方を検討するプロジェクトチームを発足させ、初会合を党本部で開いたのだ。下村博文・自民党政調会長は、政策提言など会議側の活動が不十分だとの認識を示し、「納税者の国民の立場から見て、学術会議の在り方を議論することは重要だ」と発言した。

 自民党は、年内をめどに提言をまとめ、政府に提出する方針だという。一見、自民党が言うことは「正論」に聞こえる。だが、要は政府に批判的な学術会議を、政府に黙って従うものに変えるという、自民党の学者に対する公然たる宣戦布告だと言っても過言ではない。

 前回も述べたが、古今東西、「権力」は国民を統制しようとする時、学者を最初に狙って攻撃してきたものだ(第255回・p4)。学者は「権威」があり、社会に圧倒的な影響力を持ちながら、優等生でけんかができないからだ。政治家からすれば、崩しやすい相手であり、いったん崩せば、国民は「権威」を崩した「権力」に対して、黙り込むことになる。

 菅政権が、政権発足後、まず学者を狙い撃ちにしたのは、政権の最重要の「目的」が国民の統制にあることを明確に示しているのだ。だが、何度でも繰り返すが、学者から「学問の自由」を奪うことを皮切りに、国民の「言論の自由」「思想信条の自由」を抑えつけて、「権力」への批判がない社会を実現した先に待っているのは、「亡国」しかないということは、古今東西の歴史が証明している。

 政策とは、国民を統制するための「手段」ではない。政策は、国民の自由と幸せな生活の実現という「目的」のためにあるはずだと、菅首相に強く主張しておきたい。


 長い文書で申し訳ない。引用する以上、全文をそのままに掲載することにしているので悪しからず。そんなわけで、わたしの思いと完全に一致しているわけではないということも申し添えておきます。

昨年植菌したヒラタケ。

 


マガ9対談  内田樹さん×鈴木耕さん:(その1)日本が主権を取り戻さない限り、沖縄の基地問題は解決しない

2020年10月23日 | 社会・経済

By マガジン9編集部 2020年10月21日

    憲政史上最長の7年8カ月続いた安倍前政権は、全国の米軍専用施設の約7割が集中する沖縄に対して、非常に冷淡な政権だったといえます。選挙や県民投票で何度民意が示されても、それを無視するようにして辺野古や高江の基地建設が進められてきました。菅新政権の成立から1カ月、「安倍後」の沖縄はここからどうなっていくのか、基地の問題を解決していくには何が必要なのか。連載コラム「言葉の海へ」でおなじみ鈴木耕さんが、思想家の内田樹さんと語り合いました。

 

裏切られた「祖国復帰」

鈴木 私は沖縄が好きで、毎年、1、2回は通っているのですが、沖縄に行くと必ずと言っていいほど訪れるのが、本島最北端の辺戸岬です。ここは日本本土に一番近いところで、「祖国復帰闘争碑」という碑が建っている。その碑文がとても熱いんですね。沖縄の苦しさ、悲しみが凝縮されているように感じます。

 ご存じのように沖縄は1952年のサンフランシスコ条約で本土から切り離され、その後、瀬長亀次郎さんらを先頭に祖国復帰運動が盛り上がり、72年に佐藤・ニクソン会談を経て祖国復帰が実現するわけです。

 しかしそれは、沖縄の人々が長い間求めていた形とはあまりにかけ離れていた。彼らが望んだ「祖国復帰」とは、アメリカの支配から脱却し「日本国憲法下に復帰したい」ということであったはずです。でも実際にはそうならなかった。復帰しても基地はそのまま、そこには日本国憲法は適用されない。その悔しさ、痛恨の思いがこの闘争碑に込められているように感じます。

内田 1952年から72年の間の沖縄は、「法の支配」が行われない、一種の無法状態だったと言えます。キューバのグアンタナモ米軍基地(※)は今も米軍の事実上の軍政下にあって、国際法もアメリカの国内法も適用されない。だから、テロリスト容疑者の監禁や拷問に「活用」されてきました。沖縄は返還までは「東アジアのグアンタナモ」のようなものだったと思います。ですからアメリカ支配下から脱して、「祖国」に復帰するというより、もっとリアルに「法治」体制のもとで暮らしたいというのが、沖縄の人々の願いだったのではないでしょうか。

 当時の沖縄の人々にとっての「祖国」というのは、一種のイリュージョン(幻影)であって、それほどのリアリティがなかったのではないかと思います。実際、戦前でも沖縄から本土に旅行した人はそれほど多くなかったでしょうし、アメリカ支配下の沖縄では出入りにはパスポートが必要だった。沖縄の一般市民が戦後日本社会の実相を見る機会はほとんどなかったと思います。沖縄の「祖国復帰」の思いを駆動していたのは、現実の日本社会に対するあこがれや祖国への帰属感などではなく、「法の支配が通用するまともな国で暮らしたい」というはるかにリアルで切実な願いだったのではないでしょうか。

※キューバ国内にある米軍基地。1903年にアメリカが永久租借し、それが現在まで続いている。現在、その返還を巡り両国間の対立がある。

鈴木 その通りだと思います。日本国憲法下の祖国、つまり法治国家を望んでいたわけです。沖縄では悪名高いキャラウエイ琉球列島高等弁務官(1961〜64年在任)が「沖縄に自治があるなどというのは神話だ」と発言して強圧的政治を続け、それへの反発が復帰運動につながったとも思われます。

内田 沖縄戦では日本軍に、戦後は米軍に支配され、人権を蹂躙され続けてきた沖縄の人々にとっては、見たことはないけれど日本国憲法下の社会で暮らしたいと思うのは、当然のことだったと思います。

鈴木 最初にお話ししました辺戸岬の碑は、実は復帰から4年後の76年に立てられているんですね。期待していたのに裏切られたという4年間の失望感が碑文に込められている。だからめちゃくちゃ熱い。

内田 でもその闘争碑、今は県外からの観光客も、沖縄の若い人も見に行く人がいなくなったそうですね。碑文は歴史的文章ではあっても、もう実感として胸に響いてこない。今の政権の沖縄に対する冷遇を知っている人たちは、どうして施政権返還当時の沖縄人が「日本に復帰したい」と切望したのかがわからないんじゃないでしょうか。

 ぼくも沖縄には何度か行っていますが、那覇空港に降り立った瞬間から「日本はアメリカの軍事的属国だ」ということを実感します。空港を降りてから市内までずっと基地のフェンスの横を走り、基地の中に街があり、那覇から北へ向かう西側の海岸線はほとんど基地が占めている。日本がアメリカの属国であることが、沖縄ではダイレクトに可視化されている。

 沖縄に米軍基地を集中させているのは、戦略的な重要性があるからだけではなく、むしろそれ以上に、本土の日本人に「日本はアメリカの軍事的属国である」という真実を見せないようにするためだと思います。「日本は主権国家である」というファンタジーを信じ込ませるためには、米軍が日本の国家主権のさらに上位にあるという事実を隠蔽する必要がある。だから、逆に言えば、沖縄においてのみ日本人は日本の現実と直面することができる。

鈴木 沖縄は南国リゾートというイメージがありますが、離島は別にして、本島の海岸線はほとんどコンクリートで固められている。で、残された数少ない海岸が新基地建設工事の続く辺野古であり、最近問題になっている那覇軍港の浅瀬もそうなのですが、それらもどんどんつぶされています。

内田 ぼくも辺野古に行って、ボートに乗せてもらったんですが、ガードマンのゴムボートに追いかけられました。あんなきれいな海に土砂を放り込んで埋め立てるなんて。

鈴木 辺野古の側はかなり埋め立てられてしまいましたが、反対の大浦湾側は軟弱地盤で、もう工事は無理なのではないか、基地なんかできないのではと思っています。

内田 辺野古基地は最終的には完成しないと僕は思います。それでも、工事は続行され、莫大な予算が環境破壊のためだけに投じられる。それは辺野古基地に投じている国家予算が軍事目的ではないからです。沖縄に米軍基地を建設しているのが日本政府であり、基地建設は日本政府の主体的な政策実現であり、「日本の国家主権の発動」であるという壮大な「嘘」を維持するためです。 

「日本は主権国家ではない。だから、アメリカから国家主権と不法占拠されている国土を回復するのが日本人の最優先の国民的課題である」ということを絶対に国民に考えさせないように、歴代政権は必死でこの「嘘」を維持してきた。辺野古の基地機能のことなんか、実はどうでもいいのです。基地建設は、「辺野古に基地ができることを望んでいるのはアメリカではなく日本である。日本は自らの意志でアメリカに駐留してもらっているのだ」という国民的スケールの「ファンタジー」の維持経費なんです。

鈴木 内田さんは、辺野古と福島は相似形だとおっしゃっていますね。

内田 どちらもいったん始めた政策の失敗を政府は決して認めないという「無謬性への固執」において共通しています。政府が統御できない事態に遭遇したという事実を決して認めようとしない。「全てはアンダーコントロールである」という福島についての嘘と、「沖縄に米軍がいるのは日本政府の要請と意志に基づいている」という沖縄についての嘘は同じ構造です。

はたして日本は主権国家なのか!?

内田 沖縄の基地問題の最大の問題は、日本がアメリカの属国であるがゆえに強制されてやっていることを、あたかも国家の主体的意思でやっているかのように見せかけているというこの自己欺瞞です。「思いやり予算」という奇妙な言葉がありますけれど、あれは「無理なことをお願いして、骨を折ってもらっているのだから、多少の色をつけてあげないと」という「人を雇う側」が使う言葉です。

 日本人は戦後75年たっても、まだ自国がアメリカの属国であるという事実を認めようとしない。それは「主権国家ではない」という事実を認めると、「主権回復、国土回復、民族自決」という長く苦しい戦いをアメリカ相手にこれから戦わなければならなくなるからです。それだけの国家的事業を担うことができるような力量を具えた政治家も外交官も日本にはいません。国民にもその覚悟がない。だから、サンフランシスコ講和条約で主権は回復された、今や日本はアメリカのイーブンパートナーであり、日本にはもう対米外交上で「要求すること」や「達成すべき目標」は何もないという話に日本人全体がしがみついている。

 日本政府が日米地位協定を改定しようとしないのは、やる気がないというより「改定しなければならないような不利な条項は、そもそも地位協定には含まれていない」という嘘を前提に日米関係が構築されているからです。今の日本の統治機構はその全体が「日本とアメリカは対等である」という嘘の上に構築されている。そんな嘘が生きている限り、沖縄問題は未来永劫に解決しません。

鈴木 アジアの他の国をみると、韓国もフィリピンも米軍基地について、かなりはっきりモノを言っていますよね。そうやって自国としての立場を示しているのに、なぜ日本はできないのでしょう。

内田 日本が主権国家ではないからです。韓国もフィリピンも主権国家です。だからアメリカとの国力の差は圧倒的ですけれど、アメリカに一歩も引かず対峙して交渉を行なっている。

 韓国は国内の米軍基地の縮小を要求して、それを達成しました。戦時作戦統制権も在韓米軍司令官に与えて、韓国と北朝鮮が戦闘状態に入った時に、米軍が「国内問題なので関与しない」と言って逃げる道を塞いでいる。

 フィリピンは憲法を改定して、国内に外国軍が駐留すること禁止し、米海軍の海外最大の基地だったスービック基地と空軍のクラーク基地を撤退させました。でも、一度は「出て行け」と言っておきながら、中国の攻勢で南シナ海が危機的になると、今度は米軍に「戻ってこい」と言い出した。まことに身勝手な話ですけれども、「こういうこと」ができるのが主権国家なんです。自国益を最優先にして、他国と交渉する。譲るところは譲り、取るべきものは取る。それが主権国間の外交なんです。でも、日米関係ではそれができない。それは日本がアメリカの属国だからです。

 日本がアメリカの属国になったのは戦争に負けたからです。負けたものは仕方がない。それを所与の歴史的条件として受け入れて、それを踏まえて、次は「属国身分からの脱出」を国家目標にして、国民全体で努力するしかない。実際に、戦後しばらくの間は、日本人は国家主権の回復を国民的課題であると認識していました。60年安保闘争もベトナム反戦運動も新左翼の運動も、当時、アジア、アフリカ諸国で燃え盛っていた「民族解放闘争」と質的には同じものです。国家主権を返せ、国土を返せ、民族の独立を果たそうという声を上げていたのです。

 そういう「まっとうな」国家目標があった時代は、どれほどその戦いが困難であっても、国民は正気でいられた。でも、ある時期から、その困難な目標を放棄して、「われわれはとっくの昔から主権国家であり、回復すべき国土も、改善を求めるべき不平等条約もない」と言い出した。「夏休みの宿題はやったか?」と訊かれた子どもが「そもそも夏休みの宿題など出ていないから、やる必要もない」と言っているようなものです。

鈴木 なぜそこまでして噓をつき続けるんでしょう。

内田 かつてフィリピンはアメリカの、韓国は日本の植民地でした。それに比して大日本帝国は兎にも角にも世界の五大国の一角を占めていたわけです。敗戦によって、フィリピンや韓国よりも「格下」のアメリカの属国に転落したという事実をうまく受け入れられなかったのです。政治学者の白井聡さんが『永続敗戦論』で書かれている「敗戦の否認」です。日本は戦争に負けて、アメリカの属国になった、その状態がずっと続いている。どれほど痛苦でも、その事実を受け入れて、そこから「何をなすべきか」をみんなで考えるしかない。でも、日本人はその現実から目を背けてきた。

鈴木 なるほど、民族解放闘争しかないんですかねえ。でもほとんどの日本人は、日本は主権国家だと欺瞞的に思い込んでいますよね。

内田 それはそうでしょう。なにしろバブル期には、経済力でアメリカを追い越す勢いでしたから。高度成長期でもバブル期でも、日米の間に国益の対立があるという基礎的な事実を政財界の人々は認識しました。実際に、高度成長期には、「これはアメリカ相手の2度目の戦争だ。今度の経済戦争には日本が勝つ」と公言するビジネスマンたちがいて、ビジネスを牽引していたわけですから。それがある時期から、日米の利害は完全に一致しているというあり得ない物語を語りはじめた。

鈴木 たしかに日米貿易戦争の時代には、政治家も財界も日本の国益を第一に考えていたと思います。それが安倍政権になって、アメリカの言いなりになることが日本の国益につながると、いつの間にか発想が逆転してしまった。

内田 20世紀の終わりからですね、政官財の指導層が、主権の回復も民族独立も忘れて、対米従属一辺倒でいこうと決めたのは。今の日本のエスタブリッシュメントは生まれてからずっと対米従属システムの中で生きてきて、そこで立身出世した人ばかりですから。彼らを出世させて、彼らの自己利益を増大させてきたスキームを今さら変えようなんて思うわけもない。

歴史修正主義への沖縄の怒り

鈴木 沖縄と本土の人々の意識の落差を痛感した出来事があります。

 2007年、文科省は、高校の日本史教科書の「沖縄戦における集団自決(強制集団死)」の記述から日本軍の「強制」や「関与」の表現の削除、修正を求める検定意見を出しました。それに対して沖縄の人はめちゃくちゃ怒ったんですね。で、教科書検定撤回を求める県民大会には、なんと12万人近くが集まった。1995年に起きた少女暴行事件抗議集会の参加者9万人を大きく上回る人たちが集まったのですが、本土メディアはさほど大きくは取り上げませんでした。

 沖縄戦の真実を隠そうとする日本政府への沖縄の怒りがどれほどのものなのか。私も取材に行っていたのですが、正直、何でこんなに怒っているのか深くは理解できなかったし、本土メディアも感じ取ることが出来なかった。深い溝を感じました。

内田 2007年というと、第一次安倍政権の終盤で、歴史修正主義が広がり始めたころですね。歴史修正主義は自民党が2012年に出した改憲草案にも共通する世界認識です。つまり「日本は、国際社会でつねに重要な地位を占めてきており、世界中から尊敬され、憧憬の対象である」というファンタジーを滋養にして育ってきた。過去も今もつねに国際社会で枢要な地位を占めていたわけですから、日本には反省すべき過去も、全力で達成すべき未来も、どちらもない。「日本スゴイ」と自分のことをほめていれば、それでいいというのが歴史修正主義の実態です。

 日本国憲法の前文は「国際社会において名誉ある地位を占めたいと思う」という願望型で書かれているのに、自民党改憲草案では、「今や国際社会において重要な地位を占めており」と完了形で書かれている。「クールジャパン」とか「日本スゴイ」とかいうのはそれと同型的なファンタジーです。日本は過去においても未来においても、あらゆる時代において無欠であるから、歴史のうちに反省すべき点はかけらもないと堂々と言い出す人間が出てきた。それが歴史修正主義者です。歴史修正主義というのは「歴史的事実よりもファンタジーを優先させる」という態度のことです。

鈴木 産経新聞が「歴史戦」という言葉を使っています。つまり歴史修正主義をひとつの正当な歴史観にしてしまおうという企みですね。

 最近は落ち着いてきているようですが、沖縄でヘイトスピーチが聞かれるようになっていることも気になります。

内田 沖縄でヘイトスピーチ? 沖縄に対するヘイトということですか?

鈴木 「沖縄は日本を売り渡そうとしている。中国が基地反対運動にお金を出している。このままでは沖縄は中国に占領されてしまう」といった主張のようです。

内田 そうですか。すごいですね。「歴史戦」というのは、目の前の現実を自分の手持ちのファンタジーに合わせて切り刻んだり、膨らませたりすることです。「自分が見たいものだけを見る」人たちがそれだけ増えている。目の前の現実がそれだけ「見たくないもの」になってきているということだと思います。現実逃避のためにファンタジーに逃げ込む。

鈴木 本土政府の沖縄に対するいじめもひどい。たとえば8月に沖縄で新型コロナウイルスの感染が広がり始めたとき、当時官房長官だった菅義偉さんは、沖縄で軽症者・無症状者向け療養ホテルの確保が進んでいなかったことに対して「政府からは何度も確保を促している、県の取り組みが不十分だからだ」と切り捨てました。ホテルの確保が困難になっていたのは、国が「Go To キャンペーン」を強行したことも一因であったにもかかわらず、です。

 自民党にも昔は野中広務とか小渕恵三、橋本龍太郎など、沖縄に対してある種の負い目を持って、それなりに何とかしようという政治家がいましたよね。ところが安倍さんにも菅さんにもそういう気配は全くない。

内田 彼らは歴史を知らないんだと思います。沖縄戦のことも知らないし、ポツダム宣言も読んでいないし、日本国憲法もろくに読んでいないし、その制定過程のことも知らない。それで改憲しようというのですから。

 菅さんも、能力より忠誠心で政治家や官僚を格付けして、「安倍一強体制」を完成させた人ですからもっぱら国内の統制にしか関心がない。日本はこれから国際社会の中でどういう位置を占めるべきかというようなスケールの大きな国家戦略は持っていない。もちろん「対米従属」スキームからの脱却というようなことは全く考えていない。沖縄に対する日本政府の冷たい態度はこれまでと変わらないと思います。(構成/マガジン9編集部)

*2020年10月28公開予定,その2につづきます

うちだ・たつる 1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。東京都立大学大学院博士課程中退。神戸女学院大学を2011年3月に退官、同大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。著書に、『街場の現代思想』(文春文庫)、『サル化する世界』(文藝春秋)、『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書・第6回小林秀雄賞受賞)、『日本辺境論』(新潮新書・2010年新書大賞受賞)、『街場の戦争論』(ミシマ社)など多数。現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。

すずき・こう 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長を務める。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9で「言葉の海へ」を連載中。


  朝、まだ雨は降ってなかった。これから降ってくるのは確実なので、早々散歩に出た。紅葉がさらに進んでいる。

 


予算10億円「あまりに安い」ノーベル賞受賞者の本庶佑氏 学術会議問題「理由なく拒否は危険」

2020年10月22日 | 社会・経済

「東京新聞」2020年10月20日 

 政府による日本学術会議の任命拒否問題について、同会議の元会員で2018年にノーベル医学生理学賞を受賞した本庶佑・京都大特別教授(78)が本紙の電話インタビューで、「理由なく拒否することが行われれば危険だ」と話し、任命権者である菅義偉首相の説明が必要との認識を示した。(勝間田秀樹)

◆理由なき拒否、拡大解釈の恐れ

 ―任命拒否をどう感じたか。

 理由を説明しないのは大きな問題。任命権者である菅義偉首相が自ら、明確な説明をするのが基本ではないか。理由なく拒否することが行われれば、例えば文部科学大臣による国立大の大学長の任命などにも拒否権が拡大解釈されていきかねず、危険だ。

 科学は国民のためのもので、自由に研究をやってもらうことが大切だ。今年のノーベル化学賞を受賞したゲノム編集技術の女性科学者も、予想もしないことから、そこにたどり着いている。僕らが発見した物質も同じ。一つの方向へ、国が命令するということでは新しい発見は出てこない。任命拒否のように政府が頭から、これはダメあれはダメと言うのは問題だ。

 ―学術会議のあり方について検証が始まった。

 「国から学術会議に10億円も予算が出ている」と、いかにも大金のように言うが、10億円ほどで国の将来を見据えた科学技術の提言を出してもらうのは乱暴ですらある。あまりに安い。もっと優遇されてしかるべきだ。会員らに支払われるのは交通費、宿泊費と、わずかな手当だ。組織、資金を、今以上に切り詰めることはできないはずだ。そうなれば、解体になりかねない。

◆政府が科学者の助言受ける仕組みを

 行革の理由に「過去10年、学術会議から勧告が出ていない」と挙げた人がいたが、諮問されなければ勧告もできない。10年も勧告がなかったのは、政府が科学者の助言を求めなかったということだ。むしろ、その方が大きな問題だ。

 ―議論はどうあるべきか。

 米国や英国には政府への科学アドバイザーがおり、科学者が国に科学的見解、知識を発信するチャンネルは明確になっている。これが日本にはない。だから新型コロナウイルス対策もふらふらしている。

 私も学術会議の会員を務めたが、会議で提言をしたとしても、ほとんど政府に受け止められた実感はなかった。今回の問題の本質は、政府が科学者の集団から、アドバイスをきちんと受ける仕組みをつくれるかどうかだ。

 

本庶佑氏(ほんじょ・たすく) 1942年生まれ。京都大医学部を卒業し、84年に同大医学部教授、2017年から特別教授。免疫の働きに関与するタンパク質を発見してがん治療薬オプジーボを開発し、がんの新しい治療を切り開いたとして18年にノーベル医学生理学賞を受賞した。


 今日は札幌の友人2人が1年ぶりに遊びに来てくれた。庭、圃場を散策後BBQ。
天気が心配でしたが。風はやや強かったですが気温は17℃位あって晴れ間も続き、久しぶりに楽しい時を過ごさせていただきました。手前のボールに入っているのは鹿の肉。

小麦粉を使わないお好み焼き。
コナフブキという品種のジャガイモです。すりおろしても変色しません。

ジャガイモのほのかな甘みが感じられます。子どもたちも大好きで、。よく食べたのですが、子供たちがいなくなってからは全然やっていませんでした。すりおろすのが大変なのですゎ。
コーヒータイム。

風が強く、枯れ葉が大挙して舞い降りてきます。
沼に積もった枯れ葉。


内田樹「日本学術会議問題は『大学人』=『学者』の認識違いに始まる」

2020年10月21日 | 社会・経済

内田樹2020.10.21 07:00AERA#内田樹

  ※AERA 2020年10月26日号

 哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。

*  *  *

 日本学術会議の会員任命拒否に対して多くの学会が一斉に抗議の声を上げた。この事案は、そもそも日本学術会議法違反であること、従来の政府の法解釈と齟齬していること、任命拒否の理由を開示しないこと、誰が任命拒否の責任者であるかを明らかにしないこと、ネットを使って論点ずらしと学術会議への攻撃を始めたことなど、政府対応の知的・倫理的な低劣さは眼を覆わんばかりである。

 たしかに安倍政権は久しく政権との親疎(というより忠誠度)に基づいて政治家、官僚、ジャーナリストを格付けしてきた。権力者におもねる者は累進を遂げ、苦言諫言をなす者は左遷された。国民はもうそれに慣れ切ってしまった。「能力ではなく忠誠度で人を格付けすることができるほどの権力者には服従する他ない」という無力感と諦念のうちに日本国民は浸っていた。だから、官邸は今度は学者を相手に同じことをしようとした。日本学術会議は若干の抵抗はするだろうが、最終的には任命拒否を受け入れる。官邸はそう予測していた。過去に成功体験があったからである。

 2014年の学校教育法の改正で大学教授会はその権限のほとんどを奪われた。「教授会自治」というものはもう日本には存在しない。いま大学は限りなく株式会社に近い組織に改変された。でも、その事実を多くの国民は知らない。大学人たちが組織的に抵抗しなかったからである。法改正に反対して職を賭して戦った大学人のあることを私は知らない。みな黙って権利剥奪を受け入れた。そのとき、官邸は「学者というのは存外腰の弱いものだ」と知った。

 だが、彼らは「大学人」と「学者」は別ものだということを知らなかった。大学人は大過なく定年まで勤めることを切望している「サラリーマン」である。学者は違う。学術共同体という「ギルド」で修業を積んできた「職人」である。どれほどの「腕前」であるかがギルド内の唯一の査定基準である。そのものさしを棄てたらもうギルドは存在理由を失う。政府は「サラリーマン」を支配したのと同じ手で「職人」を支配しようとした。そして思わぬ抵抗に遭遇した。私はそう見立てる。

 

内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数


初霜(初氷にはおよばなかった)

江部乙のハウス内の温度。

湧き水汲みに行ってきた。

昨年はどんぐりがたくさん落ちていたがことしはあまりない。


何が「未来志向」だ! 学術会議が菅政権に下す反撃の一手

2020年10月19日 | 社会・経済

 日刊ゲンダイDIGITAL 2020/10/19 

 

「安倍政権が史上最悪と思っていたが、もっと悪くなっている」

「任命しなかった理由を説明してもらいたい」

 

 18日、東京・渋谷ハチ公前で行われた「日本学術会議会員候補の任命拒否に対する抗議街宣」。駆け付けた野党議員からは、こんな怒りの声が飛んだ。菅政権は任命拒否の理由をウヤムヤにしたまま幕引きを図ろうと躍起だが、国民の怒りはまだまだ収まらない。

 ハチ公前広場のステージ前に集まった聴衆は、約200人。DJブースから流れる爆音をBGMに、国会議員や大学教授らが抗議の声をあげると、聴衆は拍手喝采だった。

 怒りの矛先はもちろん、任命拒否をした菅首相だ。先週16日に行われた学術会議の梶田隆章会長とのわずか15分間の面会は、いわゆる“シャンシャン会談”で終了。菅首相は「学術会議のあり方を『未来志向』で考えることで合意」したとして、自身の説明責任を棚に上げ、問題の沈静化と国民の忘却を図っているが、そうは問屋が卸さない。学術会議には、法に基づいた正攻法の「奥の手」があるからだ。

そのヒントが、7日の衆院内閣委員会での学術会議事務局長(内閣府)の答弁に隠されている。立憲民主党の川内博史議員が、学術会議メンバーが6人欠けている現状について認識を問うと、福井仁史事務局長は「210人が早くそろうのは好ましい」と答弁。

■「必要な手続きはいとわない」

 さらに、6人の任命について「そのようにしていただけるのであれば、必要な手続きはいとわないと考えております」と踏み込んだのだ。

 実際、学術会議は日本学術会議法にのっとって、任命拒否された6人を再び推薦することができる。菅首相は「推薦に基づいて任命」しなければならず、再び拒否しようものなら、いつまでも問題が蒸し返される。つまり、菅政権がいくら問題をやり過ごそうとしても、「再推薦」という“反撃”の一手があるのだ。抗議街宣を主催した高千穂大教授の五野井郁夫氏(国際政治学)がこう言う。

「政府の言う『未来志向』は、過去のことをウヤムヤにするということ。安倍政権と同じです。政権は観測気球を上げて、国民がどこまで抵抗するか、あるいは、黙るかということを見ている。だから、ちゃんと民意があって、怒っていることを伝えていく必要があります。まず、法治国家に戻せという当たり前の要求を突きつけていかなければなりません」

 安倍・菅と続く脱法政権をこれ以上、図に乗らせてはいけない。


 天気に恵まれ、残っているジャガイモ堀。今日で終わらせたかったがあと2列残ってしまった。明日も天気の崩れはなさそうなので、明日で終わらせよう。

変な芋が出てきた。亀の甲羅みたい。

 


「自分だったら怖くて打ちたくない」国産ワクチン開発に挑む研究者の“意外な本音”――文藝春秋特選記事

2020年10月18日 | 健康・病気

河合 香織

 現在長谷川氏らのグループが塩野義製薬と共に開発する昆虫の遺伝子組み換えウイルスを使った組み換えタンパクワクチンは、2020年内に臨床試験開始、21年末までに3000万人以上の生産を掲げている。さらに長谷川氏らは並行して、河岡義裕教授率いる東京大学医科学研究所やKMバイオロジクスと共同で、不活化ワクチンの研究開発を行っている。これは今年11月から臨床試験を開始する予定だ。

 だが長谷川氏はこの両方とも、「主に重症化予防の効果を見込んでいて、感染防御ができるかどうかは不明」だと話す。さらに、「再感染する可能性も念頭に置かねばならない」として、インフルエンザのように定期的にワクチン接種しなければならないことも考えられるという。

「今はとにかく開発を急げと言われて早くできるワクチン開発を優先させていますが、次に見据えているのは感染防御し、流行をコントロールできることが期待できる経鼻ワクチンです」

ワクチン開発者「自分だったら怖くて打ちたくない」

 新型コロナワクチンの大きな特徴のひとつは、その種類の多さだ。不活化や生ワクチン、組み換えタンパクワクチンに加え、DNAやメッセンジャーRNAなど核酸を使った遺伝子ワクチンや、アデノウイルスなどほかのウイルスを運び屋にするウイルスベクターワクチンもある。ひとつの感染症に対してたくさんの種類のワクチンがあるという事態に、私たち人類は初めて直面することになる。もしも選べるとしたら、どのような視点でワクチンを選べばいいのだろうか。

 一方、ワクチンを打たないという選択肢もあると語るのは大阪大学微生物病研究所教授の松浦善治氏である。松浦氏はワクチン開発に携わっているが、「自分だったら今の状況では怖くてとても打ちたいと思いません」と語る。なぜワクチン開発者が「ワクチンを打ちたくない」と言うのか。

 最前線の研究者たちの話を聞くうちに、ワクチンさえできれば流行が収束に向かうといった見通しの甘さに気づかされた。

◆◆◆

 国産ワクチンの展望から日本ならではの問題点までの詳細については「文藝春秋」10月号および「文藝春秋digital」掲載の河合香織氏のレポート「『国産ワクチン』はできるのか」をご覧下さい。


冬の準備
まだ、紅葉まで・・・

カモさんたちも少しは慣れて来たか?


核のごみ処分 自主・民主・公開原則で

2020年10月17日 | 社会・経済

「東京新聞」社説2020年10月16日

 核のごみ処分場の立地調査受け入れを相次いで表明した、北海道の寿都(すっつ)町と神恵内(かもえない)村。どちらも大地震の恐れが、否定しきれていない。本当に「適地」かどうか。綿密な調査と情報公開が必要だ。 

 寿都町に続いて高レベル放射性廃棄物(核のごみ)最終処分場の調査受け入れを表明した神恵内村は、ニシン漁で栄えた漁業の村だ。資源の減少などにより主要産業が衰退していく中、財政への不安が募る。

 人口約八百二十人。国立社会保障・人口問題研究所の推計では、二十五年後には四百人を割り込むことになる。文献調査を受け入れるだけで、最大二十億円の交付金が手に入る。一般会計予算の六割に近い額。のどから手が出るほどほしい気持ちはよくわかる。

 立地されることが決まれば、当初は近くに二十秒間いるだけで人を死に至らしめるという危険なごみを、無害化するまで数万年にわたって厳重に管理することになる。だが、村の持続可能性のためだと説かれれば、「いやだ」とは言えない村民も多いに違いない。

 「ほおを札束でたたくよう」(北海道知事)にして、多くの原発が過疎地に立地されてきたのと同様の構図である。

 国は三年前、核のごみを“安全”に埋設、管理できそうな地域を示す、「科学的特性マップ」を作成し、自治体の立候補を促した。火山や活断層、未来の人類が誤って掘り返す恐れがある鉱物資源の存在などが確認されたエリアは不適地とされ、適地は「緑」、不適地は「オレンジ」に塗り分けた。神恵内の村域はほとんどがオレンジ色だ。

 神恵内村の沖合には、延長約七十キロの活断層が走っており、マグニチュード(M)7・5クラスの大地震を引き起こす恐れがあるという専門家の指摘がある。

 神恵内村から南へ約四十キロの寿都町は大半が「緑」だが、「黒松内低地断層帯」を抱えており、大地震発生の恐れはやはり、否定しきれないという。

 自主・民主・公開−。日本学術会議が提唱し、原子力基本法にも明記された原子力平和利用の三原則。核のごみ処分に関してもこれを堅持すべきである。

 調査の情報は速やかに公開しなければならない。

 国内には既に英仏から返還された核のごみが大量に“仮置き”されている。処分場は必要だ。だからといって、過疎地に押しつけるようなことになってはならない。

 


 今の時点では必要であるが、これ以上増やさないという前提が必要だ。「トイレのないマンション」を作ってはいけないのだ。

沼を周回できる通路を作っている。ここで何とかつながった。

栗の大木、いたるところ巻き付く太いフジのツル。3年越しの仕事だった。


「介護保険料」滞納で差し押さえ最多。65歳以上の2万人

2020年10月16日 | 社会・経済

65歳以上の保険料が介護保険制度が始まった2000年度から約2倍に上昇している

朝日新聞2020年10月11日

             朝日新聞社差し押さえ件数と保険料の推移

 

介護保険料滞納、差し押さえ最多 65歳以上、約2万人

 介護保険料を滞納して、預貯金や不動産といった資産の差し押さえ処分を受けた65歳以上の高齢者が増えている。2018年度は過去最多の1万9221人にのぼったことが、厚生労働省の調査でわかった。65歳以上の保険料が介護保険制度が始まった00年度から約2倍に上昇していることも影響したとみられる。

 調査は全国1741市区町村が対象。差し押さえ処分を受けた人は14年度に初めて1万人を超え、前年の17年度は1万5998人だった。

 介護保険に加入している65歳以上の人は、18年度末で3525万人いる。このうち9割は年金から介護保険料を天引きされているが、残り1割は年金額が年18万円未満で、保険料を納付書や口座振替で支払っている。生活保護を受ける人は、生活保護費に介護保険料が加算されて支給される。差し押さえを受ける人は、生活保護は受けていないが、受け取る年金がわずかで保険料を払えなくなった人が多いとみられる。保険料は40歳から支払うが、未収の保険料は65歳以上の分だけで約236億円(18年度)にのぼる。

 65歳以上の介護保険料は3年に1度見直されるが、高齢化で介護保険の利用者が増えるのに伴って保険料の上昇が続く。00年度は全国平均で月額2911円だったのが、15年度には5514円、18年度からは5869円になった。団塊の世代がすべて75歳以上になる25年度には7200円程度になると見込まれている。


この年になっての差し押さえはきつい。「公助」は?