まるぞう備忘録

無題のドキュメント

なぜ最悪の想定が難しいのか。

2016-04-28 10:30:40 | まるぞう経営学

また今日もうちの会社のお話をちょこっとしたいと思います。先日うちのwebシステムをある会社さんのサーバに導入する仕事がありました。作業するのは新人の見習いくんです。開発のマネージャーさん立会いのもと仕事をします。
しかし残念ながら接続はうまくいかず、作業は日延べになってしまいました。うまくいかなかったのはあちらのサーバの問題です。そう見習いくんは言います。

わかったからログのデータ頂戴。と私は見習いくんに言いました。
ログとはプログラムの実行した履歴が詳細に残っているデータのことです。不具合があってもそのログを解析すれば大体のことがわかるのです。私たちIT業者からするとログとはお宝の山であるといえます。

ログはとって来ませんでした。見習いくんはいいます。

ふうむ。なぜ?

なぜってあちらの問題だからうちのログは必要ないと思いました。

ではなぜうちの問題じゃないと思ったの?

それはちゃんとこちらが設定したのに動かないからです。あちらが問題であるに決まっています。

ふうむ。と私はマネージャーさんにも聞きました。
なんでログを取らなかったんでしょうか?開通しなかった時は必ずログを取るルールですよね?

すみません。私もうちの問題じゃないと思ったので。必要ないと思ったのです。

ふうむ。あなたたち二人は随分楽観的ですね。自分たちの強運を信じて疑わないのですね。一番幸運な想定は、全てあちらの問題でうちは問題ない。ということです。あちらが直してくれればWebは開通するのですね。
では最悪の想定はどうでしょう。うちのプログラムにバグがあって、相手の問題じゃないことですね。場合によっては相手のシステムを壊すことも最悪想定ですね。
しかしもしログがあればうちのプログラムに本当に問題がないかは確認できます。問題があれば直す方法もわかります。しかしログがなければ何もわかりません。
あなたたちは最悪の想定をせず、自分たちの最良の幸運だけを期待して仕事の途中で帰ってきたのです。
ふうむ。



私はなぜ多くの人が(私を含め)最悪想定が苦手なのかをずっと疑問に思っていました。そしてその答えの一つは、人は手間をかけるのが面倒くさいと思う生き物だったからなのでした。だから多くの人は一方的に自分の強運を信じて人生の用意の手を抜きたがる傾向があるのでした。

見習いくんにとってログを取る作業は少々手間であります。できればやりたくありません。きっと相手のサーバの問題だよな。相手に原因があって欲しい。前も相手が原因で繋がらないことがあったし。きっとそうだよ。あっちが原因だからログを取る必要はないよ。もうこのまま帰っていいはずだよ。終わらせて帰りたいよ。そういう彼の心の声が聴こえてくるようです。


最悪の想定は面倒な手間です。たとえば直下型地震の想定も準備は手間です。お金もかかります。だから多くの人は、そこまで備えなくてもいいよな。今までなくても問題なかったし、これからも大丈夫だよ。手を抜きたいがために、根拠なく自分の強運を信じるのでした。


ギャンブルにハマった人が、根拠なく自分の強運を勝手に信じ負けを重ねるのと似ているように思います。自分の強運に頼る判断は、実は自分の幸運貯金を食い潰しているのでした。
しかし逆に用心深く備えを積み重ねる行為は、幸運貯金を積み立てているのでした。備えの行為の積み重ねが、自分の幸運貯金を貯めている因子であったとは。



おひさま、ありがとうございます。
(本日は中潮で、過ぎ越しの祭りですね)



本ブログは引用元をあきらかにしていただければ、ブログやSNSでの拡散は許可いたします。
下記は静止衛星軌道上で観測される太陽からの電子密度グラフです。急な変動がある場合は地震や事故に備えて防災意識を心掛けましょう。特に注意が必要な期間は、メールやTwitterで防災意識リマインダーを受け取ることができます。詳しくはこちら