ぱぷあ日記(日本変)

海外生活はもう引退。これからは、日本に腰を落ち着けようと思います。第二の人生を切り開く様を書いていこうかと

魚の写真が私の写真のルーツ

2024-01-28 19:01:26 | 写真

こちらの写真は、初めて雑誌に載った私の写真。フィッシュマガジン(以下FM)1977年5月号、私が、14歳で中学生、47年も前の話。
当時、八王子ペットフィッシュ愛好会と言うのがあって会長の厳島さんに撮った写真を見て頂いた時、これFMの愛魚写真コンクール出してみたら?
と勧められ応募して載せてもらった。当時は、マクロレンズは一般的でなく、中間リングなんて機材が一般的で、そんなものは買えなかったので
安いクローズアップレンズを父のカメラにつけて撮った。あの頃は、カメラも今の機能に比べれば、オモチャみたいな感じで、ストロボを使ったマクロ撮影は、撮れるだけで凄かったのである。オートなんて使えないので、露出は、撮ったごとにメモして、出来た写真を見て適正露出を探っていた。
フイルム一本真っ黒なんて良くあった。今考えるととんでもない撮影だった。当時の私は、将来、電話で魚の写真が撮れる時代がくるとは、微塵も考えていなかった。この当時のFMでアマチュアの投稿魔が、故筒井氏だった。私は中学生、筒井氏は、年上で高校生だった。よく投稿を拝読させていただいていたので、めだか館が開店した時、すぐ訪問し、何も買わず、筒井氏と話し込んだことを思い出す。私と筒井氏は、熱帯魚店テリトリーが一緒だったので、あの時、あの店にいたこの魚覚えてる??と言うとあ~あれね、と言う感じの話だったので、初対面だったけど多いにに盛り上がった。70年代のFMは思い出がいっぱいある。
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久しぶりにブログ投稿

2024-01-28 16:38:51 | ポートレイト
久しぶりにブログを投稿。灯油や燃料も価格が上がり思うように暖房が使えず寒い。
そんな時は、熱帯魚の温室へ行き仕事をするに限る
それでも、仕事ばかりしていると憂鬱になるので、ポートレートでも撮る事にした。
モデルさんにお願いして、巣鴨のスタジオでの撮影、そのスタジオは、北欧音楽のスタジオで、楽器もレンタルしてくれるので、
前から一度弾いてみたかった、ハーディングフェーレという楽器を弾いてみる事にした。
楽器弾いたり、写真撮ったり忙しく、どちらも上手くいかない。
昔から、二兎を追うもの一兎を得ずという、上手い事を言ったものだと思う。
次は、どちらか一方をやった方がよい。
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