うしくの辺り:魅力度最下位? 茨城県の南部

茨城県の牛久市を中心に、散歩やドライブで見つけた素敵な場所や不思議に思ったことをつづった。魅力度最下位茨城の地味な魅力。

千勝神社:猿田彦大神

2023-01-07 04:00:00 | 神社仏閣

牛久沼の突端はつくば市。

そこに千勝神社がある。

適度な大きさで地元の人たちがお詣りする。

 

 

けっこう古い神社だそうで武烈天皇(502年)に奉斎されたとある。

(神仏を謹んでお祀りすることを奉斎というそうだ)

以前は下妻市(20kmくらい北)にあったのを昭和39年に移転されたそうだ。

 

 

猿田彦大神が祀られている。

導きや道開きの神様だそうで、迷える私たちには御利益あるかも。

また、世界平和を願っていて、今のロシアーウクライナ戦争を思うと願わずにはいられない。

 

 

各種お守りやお札がテントの下に並んでいる。

好きなのをとって巫女さんのいる会計の窓口にもってお金をはらう。

勝手にもって行く人もいそうだが、神様の前で悪さはできないはずと信じているのだろう。

良い神社とおもう。

 

ではまた、ぶらり。

 

 

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筑波山神社のスギの御神木

2022-12-03 18:00:00 | 神社仏閣

筑波山神社のご神木の一つにスギの大木がある。

もちろんこの大きさなので、樹齢数百年。

外からはわからないが、まだ中身もしっかりしていそう。

筑波山神社の創建年は不明らしい。

奈良時代の万葉集にもつくばは歌われているというので、西暦3桁代だ。

相当古い神社なので、関東平野の山岳信仰として作られたものと思われる。

 

そのとなりに杉本屋さんというお食事処。

その名の通り、昔からここで営業されているのでしょう。

客は少ないようにみえるが、一等地にある食堂だ。

ご神木も、このお店もかなり年季が入っていそうですが、どちら様も末永く残ってください。

 

ではまた、ぶらり。

 

 

 

 

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出島の椎:かすみがうら市の古木

2022-09-11 13:00:00 | 神社仏閣

出島村。長崎ではない。茨城県。

今はかすみがうら市。

「出島の椎(しい)」と呼ばれるスダジイの老木がある。

すれ違い不可の狭い道を行くと、山門が立派な長福寺がある。

その横にこんもりとした樹がそれだ。

茨城県の天然記念物になっている。

入り口の山門は立派だが本堂はふつうの民家風。

それでも、シイは特別な存在のようで、この集落の大切にされているようだ。

この時期、ちょうど白いお札がペタペタ貼られていた。

このシイの周りを一回りすると、四国48箇所霊場を回ったことになるそうだ。

檀家さんの名前が入ったお札はそれにあやかったのだろうか?

 

ならんでいるお地蔵さんはかなり風化しているものもある。

江戸時代から並んでいるのだろう。

 

シイの木の横にある小屋をのぞいてみると、いらっしゃいました。

どなた様でしょう。

真言宗のお寺です。空海でしょうか。

 

さびれた山村風景であるが、かつては大きなお寺だったという。

市のHPには「万葉集の研究家で知られる恵岳(えがく)は、この寺の住職であったといわれています。」

「コトバンク」によると、

恵岳:1719-1789 江戸時代中期の僧。享保(きょうほう)4年生まれ。真言宗。江戸弥勒(みろく)寺の恵教に師事。常陸(ひたち)(茨城県)の長福寺をへて,宝暦4年常陸楽法寺の住職となり,同寺を再建。和歌や書道にすぐれ,「万葉集」の研究で知られる。

だそうです。

夏の終わりの霞ヶ浦周辺ドライブであった。

 

ではまた、ぶらり。

 

 

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さきたま古墳群:修復と大発見

2022-08-07 12:00:00 | 神社仏閣

先週の続きであるが、圏央道にのって埼玉古墳群に。

古墳はいまでこそ大事にされているが、受難の時代があったようで、土取場として削られた。

ここの稲荷山古墳も前方後円墳の片方は第二次大戦中1937年に完全になくなっている。

写真の下、三角の分は撤去された。

掘り返すと、層状に土(たぶん関東ローム)を固めてあったそうだ。

 

その後、1978年に円墓のてっぺんから埋葬された骨と剣が見つかる。

剣は国宝になるほど素晴らしいものだった。

ということで? 2004年に復元されたそうである。

この部分↓はレプリカです。

戦争中に前の部分も壊されなくてよかった。

しかし、よくも1500年近く掘り返されずに残っていたものである。

後円墳の山頂に様子が記されている。

 

この鉄剣は公園の博物館で見られるが、金の刻印がみごとである。

稲荷山古墳出土鉄剣(国宝)

埼玉県立さきたま史跡の博物館

全部で115文字も記されている。

発掘されたのは奇跡に近い。

 

にわか考古学ファンになって古墳にこうふんした一日であった。

 

ではまた、ぶらり。

 

 

 

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さきたま古墳群:古墳団地

2022-07-31 23:00:00 | 神社仏閣

牛久から圏央道にのって埼玉方面にいく

めざすは「埼玉(さきたま)古墳群」

古墳は茨城県にもあって、なんとなく訪ねてきたが、埼玉県には大きな古墳が林立していると聞いて、訪ねてみた。

圏央道は直線的に埼玉につながっていて便利。1時間半くらいでついた。

週末のせいか、夏休みが始まったせいか、かなり暑いのにそれなりの人出。

古墳群は整備された公園になっていた。

 

駐車場から近い丸墓山古墳という丸い大きな築山に。

直径105m、高さ18.9mとある。

石田三成がこの上に本陣を築いたなんて書いてある。

見晴らしいいものね。

天守閣もそうだが、武将と煙は高いところがお好き。

 

 

豊臣秀吉が関東を勢力圏に入れるための小田原の北条氏との戦いは、

こんなところにまでおよんで、石田三成がきていたのだね。

 

忍城の水攻めは有名な話とwikipediaで知る。

映画になった「のぼうの城」はこの話なのか。

たしかに物語のある戦いである。

 

 

 

水攻めしたというほどで、この辺りは湿地も多いなか、よくぞ土を集めて大きな小山をつくったものです。

時代とともに荒廃したとおもうが、今はきれいな古墳でした。

日傘を差しながら次々ひとがのぼってきます。

 

ではまた、ぶらり。

 

 

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