うしくの辺り:魅力度最下位? 茨城県の南部

茨城県の牛久市を中心に、散歩やドライブで見つけた素敵な場所や不思議に思ったことをつづった。魅力度最下位茨城の地味な魅力。

カルビーのポテトチップスの素

2022-02-27 18:00:00 | なんだこれ

近くのホームセンター、ホーマックに行った。

ジャガイモの種芋が並んでいたが、目立つところに赤い大きな袋。

 

カルビーのポテトチップならぬポテトバッグ

パッケージもそっくり。

大きなバッグには用土と肥料が入っていて種芋をうえるとこのまま栽培できるそう。

となりにポテトチップ用の種芋「ぽろしり」が置いてある。

2個入り198円は相当高いと思うが、遊び心と思えばこんなもんだろう。

 

このパッケージは生分解性とあり、そのまま燃えるゴミにできる。

よく考えられている。

 

 

子供と一緒に楽しめるよい企画だとおもう。

手間がかかるが、収穫したポテトでチップスをつくると大満足だろう。

 

ではまた、ぶらり。

 

 

 

 

 

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ワクチン接種と古墳

2022-02-20 12:00:00 | なんだこれ

市役所からコロナワクチン3回目接種券が届いた。

場所も日時もワクチンの種類も指定されているが、当日はすでに用事が入っている。

市役所に電話していったんキャンセル。

改めてネットで予約したのが「つくばセントラル病院」

車で10分、歩いて30分。

つくば、と名乗っているが、牛久市。(このあたりではよくあること)

 

総合病院なので名は知っていたが初めての訪問。

駐車場もすぐにわかった。

比較的すいている(今は外来受付や見舞い面会を制限しているためか)

 

 

グーグルで検索したとき、駐車場のはずれ、玄関前に「花見塚1号古墳」というマークがあった。

たしかに玄関の正面にまるで意図的に作った築山のように小山があった。

看板も何もないがたぶんこれだろう。

病院にとっては邪魔な存在だと思う。

 

古墳というにはちょっと貧弱だ。

周りが駐車場で痛々しい感じもする。

 

検索すると市教育委員会の報告が検索された。縄文のものらしい?

有限会社日考研茨城 2008 『牛久市花見塚古墳群発掘調査報告書』牛久市教育委員会

 

二号古墳も第二駐車場の脇にあるそうだ。

せっかく残してあるのなら看板くらいあってもよいとおもうが、病院と古墳とはいえお墓のセットははしゃれにならないのかも知れない。

 

ではまた、ぶらり。

 

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大角豆天満宮:つくば市ささぎ地区

2022-02-12 19:00:00 | 神社仏閣

茨城県南部、つくば市の並木地区。

産業総合研究所(産総研)や公務員宿舎として開発された区画。

この辺りは昔から大角豆(ささぎ)と呼ばれている。

そこに筑波研究学園都市開発エリアに「並木」という町名を大角豆の一部にかぶせた。

「並木」という陳腐な名前はいかにもデベロッパーがつかいそう。

そのため、並木○○丁目〇-〇の周辺を大角豆○○〇番地が囲っている。

 

 

大角豆天満宮は大きな農家がたち並ぶ集落の一角にある。

正月にはお灯明も点けられ大事にされているもよう。

 

しかし、この地には昔、西光院という寺があったそう。

でもご多分にもれず歴史にもまれ、最後には廃仏毀釈で荒れたという。

平成になって、散逸した墓標を集め、黒御影の立派な石碑と墓標供養が作られた。

 

 

 

先週の日待塔もそうであるが、新しい住民には伝わってこない集落の人々の強い絆がうかがわれる。

(これを作る費用は相当と思われ、この出費も絆になるのだろう)

 

そんな集落にも最近数戸単位の新しい分譲地が切り売りされ、雰囲気の違う家が建ってモザイクになりつつある。

新しい人たちとはお互いあまり干渉しないらしい。

歴史や住民のつながりはこの辺りでふたたび途切れてしまうのだろうか。

そして数百年後、誰かがこの石碑を発掘する日が来るのだろうか。

 

ではまた、ぶらり。

 

 

 

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日待塔:イオンの近くにひっそりと

2022-02-06 20:00:00 | 神社仏閣

茨城県南部、つくばイオンの近くに石碑があった。

イオンに行く時にときどき使う旧道。

ふつうは車で通過するだけなので気づかなかった。

 

散歩をかねて歩いてイオンに向かったとき道沿いの神社で見つけた。

古くて字のかすれた石碑。その横に御影石の立派な解説つき。

両者が御影石のステージに乗っている。

このステージができる前は、頭がかけた石碑が道端で傾いていたのだろう。

 

碑文によると西暦1595年(文禄4年)のもの。

日待は決められた日の夜、地域の仲摩がお堂や家に集まって、豊作祈願や人々の幸運を祈って神仏に礼拝し、翌日の日の出を拝む太陽崇拝にもとづくもので、ここでは9人の施主が3年間の日待供養を成就した記念に碑が建てられた。

 

ネットで調べると、日待は少なく、月待がたくさんヒットする。

県内の月待の碑を集めたブログを見た記憶がある。

日待、月待は江戸時代に流行った風習らしいが今はすたれて詳細はわからないという。

 

 

メソポタミアの石碑とは比べものにならないかもしれないが、酔狂な9人衆の作った石碑は地元にとって十分価値のある存在だ。

そして、たまには歩いてイオンに行くのもよいものだ。

 

ではまた、ぶらり。

 

 

 

 

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