うしくの辺り:魅力度最下位? 茨城県の南部

茨城県の牛久市を中心に、散歩やドライブで見つけた素敵な場所や不思議に思ったことをつづった。魅力度最下位茨城の地味な魅力。

大和田踏切:常磐線ひたち野うしく駅の東京より

2020-01-25 08:00:00 | 鉄道

 

常磐線ひたち野うしく駅から東京寄りの車が通れる踏切。

大和田踏切という。

狭いので大型車は通行不可だが,そこそこ車通りはある。

突き当たりは国道6号の幹線道路に出る。

感応式の信号機もあって、待ち時間は多少長いが朝夕混雑時も出やすい。

 

この踏切には線路に平行な道と線路を横断する道が4本交わる。

両方に見えるように、警報器の赤い点滅信号が4個付いている。

 

 

 

 水戸方面を見ると,

遠方にひたち野うしく駅の曲線の屋根が見える。

その手前は,人だけが通れる踏切。

 

 

東京方面を見ると,小野川に向けて線路は少し下っている。周囲は田んぼだ。

その上を成田への高速道路が跨がっている。

牛久駅へは再び上りになって、まっすぐに進む。

 

 

夕方,のんびりと静かな踏切を渡るひととき。

とはいえ,5分から8分おきにカンカンと鳴る。思った以上の頻度だ。

茨城の田舎とはいえ,常磐線の上りと下りの普通と特急をあわせると,結構な本数走っているようだ。時折、貨物列車も通る。

踏切で列車を待って、目の前を疾走していくのを見ていると、なぜか少年にかえった気分になる。

 

ではまた,ぶらり。 

 

踏切

36.001756, 140.155002

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日立市かみね動物園:茨城県唯一の総合動物園

2020-01-18 07:00:00 | ドライブ

茨城県牛久から常磐道を1時間くらい北上すると,日立市に「かみね動物園」がある。

かみねは神峰と書く。

 

日立市は山が海岸に迫る海岸沿いのウナギの寝床のような街だ。

日立製作所のルーツ。日立銅山を中心に発展した街。

昔は山腹に精錬の時に出る亜硫酸ガスを飛ばす高い煙突がそびえていた。

 

このあたり,常磐道は山の中の長いトンネルを行く。

トンネルとトンネルの間のわずかなすきまに日立中央インターがあり,高速をでる。

めざすかみね動物園も山の中腹にあって,周囲は遊園地や公園になっている。

「海が見える動物園」というのがキャッチフレーズ。

1957年開園という。入園料520円。子供100円。

 

園内はそれほど広くないが,一通りの定番動物はそろっている。

ライオン,象,キリン,カバ,トラ,シカ,サル,ゴリラ,チンパンジー

なんとなく温かい手作り感のある動物園だ。

ウサギを膝にのせて餌やりもできる。

 

 

ライオンが大きな声で吠えて,園内に響き渡っていたのが印象的。

他の動物園ではライオンはふつう寝ている。

ここの1頭は動き回って,ワオ~ワオ~と吠える。

 

トラも凜々しい顔をしている。しっかり生きている感じ。

 

キリンは木の葉を食べていた。

 

サルの展示に力を入れているそう。

テナガザル?が器用に空中散歩をしていた。あやつり人形みたい。

 

 

子供の時の興奮はないが,たまに動物園に来るのもいいものだ。

この頃の多くの動物園は行動展示に力を入れる。

昔と違って動物がいきいきしている。

かねみ動物園も元気なやつらが多くて楽しい。

 

ただ,山の中腹なので,園内上り下りが多い。

乳母車はお父さんのがんばりが必要かも。

また,駐車場が混んでいると山の上の方に停めることになる。

行きはよいよい,帰りはつらい。

でも,途中に展望台があり,太平洋がきれいに見えた。

 

ではまた,ぶらり。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四国遍路へつづく畑の祠:だいりうの・・・

2020-01-13 15:00:00 | 散歩

茨城県牛久市のはずれを散歩していたら、畑の脇に小さな祠があった。

(県道土浦稲敷線、荒川沖へ向かう途中の「珈琲8代葵カフェ ひたち野うしく店」裏の旧道沿い。ここはすでに阿見町でした)

この程度の祠は、あちこちにあるが、立ち寄ってみた。

 

入り口の扉の上に看板があり、ひらがなで

第二十一番、だいりうの つねにすむぞや げにいわや・・・とある。

21番があるなら、近くに20番や22番があるのだろうか。

お供えもちも飾られて手入れはゆきとどいている。

 

 

家にかえってからグーグルに「だいりうの・・」いれて検索すると、1件それらしきものがヒット。

開けてみると、「四国偏礼道指南増補大成」を文字おこしした解説サイトだった。

四国88カ所のお遍路みたい。

21番はまさに阿波徳島の二十一番札所「大龍寺」であった。だいりうの・・は大龍の

空海が少年時代に修行したというずいぶんと古い寺だ。

 

この大龍寺、険しい山中にある。昔は行くのが大変だったろう。

今ではロープウェイがついている。

 

 

何のいわれかわからないが、四国遍路につながる秘密の通路を茨城県南部の畑の中に見つけた。

この祠の扉をあけると、不思議の国のアリスのように、阿波の国に行けるのかもしれない。

 

ではまた、ぶらり。

 

 

追伸:

ちなみに、この本「四国偏礼道指南増補大成」は、江戸時代のお遍路のガイドブックだ。

図書館蔵書や古本にヒットする。

著 者 [宥弁(真念)/著]
出版者 柏原屋清左衛門[ほか]
出版年 1767
ページ数 58丁

(たくさん出回ったようで古本2,3千円程度と安い)

 

検索でヒットした上記のサイトは、以下を参照してください。

(どなたが作ったかわからない匿名サイト。だが、資料としてすばらしい。いいね!いいね!)

 

第二十一番
舎心山   常住院      太龍寺

案内の現代語訳もある。

「空海がまだ出家していないとき、この嶽の霊威を見て攀じ登り、勤操僧正に教わった求聞持法を行った。・・・」などの寺のいわれやと道順、案内図等がわかる。

 

その阿波の部分 原文

「廿一番大龍(りう)寺【指南に「たつミむき」】 那賀郡 舎心(しやしん)山常住(しやうぢう)院と云 本尊虚空蔵(こくうそう)大師御作也【指南に「秘仏」】此所大師少年の時 霊を感(かん)じ求聞持(くもんち)を修(しゆ)し給へり霊験(れいけん)大師 ミつから三教指帰等にのべ給ふ名区なり 【本尊図】大龍(りう)のつねにすむぞやけに岩屋      しやしん聞持(もんぢ)ハしゆごのためなり 是より【異体字】平等(ひやうとう)寺迄二里。三十【異体字】町程(ほと)深山(しんざん)。本道ハ山口村に かヽる三里也【指南に「今の道はすぐなり」】。あせび村。おヽね坂。あらたの村。」

 

現代語訳 「{南東に向いて建つ。}那賀郡。舎心山常住院と号する。本尊は虚空蔵菩薩像で、空海の作。{秘仏。}空海が少年の頃に霊威を感じて求聞持を修めた。空海本人が霊験のほどを三教指帰で書いている。  詠歌「大龍の常に棲むぞや げに岩屋 舎心聞持は守護のためなり」  平等寺まで二里。三十町ほどは深山を行く。大きな道は、山口村を通る。三里の道程だ。{現在の道は、真っ直ぐ。}阿瀬比村、おおね坂を通って荒野村に着く。」

 

なお、このサイトには、「四国遍礼霊場記目次」もあり、現代語訳がついている。

以上

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ひたち野うしく,愛宕神社は古墳?

2020-01-11 08:00:00 | 神社仏閣

関東の正月はたいてい快晴の日が続く。

正月休みの腹ごなし,酔い覚ましに,茨城県の牛久警察署の近くを散歩した。

樹木がこんもりと茂った小山があった。

ここだけ常緑樹の大木があるので,たぶん神社か何か歴史のある場所だろうと思い近づいた。

 

 

愛宕神社であった。

愛宕神社という名前はあちこちにあるが,こんなところにも。

あたらしい立派な鳥居が迎えてくれた。

 

Wikipediaで愛宕神社調べると,京都右京区の愛宕山山頂(標高924m)に総本社があるという。

(京都の愛宕神社,昔はロープウェイやスキー場まであるレジャーランド先駆けだったという)

愛宕神社は火伏せ・防火に御利益があるらしい。

 

 

 

階段をのぼると小さな社殿。

 

 

お供えもちが並んでいる。

新しいしめ縄とヒサカキ。

大事にされているのだろう。

  

 

google mapの書き込みでは,この小山は古墳だという。

愛宕脇古墳というらしい。

直径18.5メートル,高さ2メートルとの記述。

周りに家が立ちはじめているが,ここだけなんとなく趣がある。

このような鎮守の森は,ぜひ今後も残してほしい。

 

ではまた,ぶらり。

 

愛宕神社

36.000780, 140.161958

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初詣:女化神社、牛久市に囲まれた龍ケ崎市飛び地。

2020-01-03 12:00:00 | 神社仏閣

みなさん初詣はどちらに?

我が家はこの辺りでは由緒のある女化(おなばけ)神社にいった。

(ちょっとかわった名前である)

牛久市内にあるが、行政上、この土地は龍ケ崎の飛び地になっている。

 

 

前回紹介したが、牛久沼も龍ケ崎の土地だった

昔はこの辺りの中心的な街は龍ケ崎であったから,今でも税務署や裁判所は龍ケ崎にある。

牛久観光協会のホームページによれば(龍ケ崎ではない)、

明治2年まで女化稲荷神社とよばれてていたが改名し、保食(うけもち)神社と呼ばれ、その後、女化神社となったという。

この神社,創建には諸説あるという。名前から想像に難くなく、いろいろ民話もある。

 

元旦、ちょっと遅く家を出たので、お詣り前に日が傾いてきた。

神社周辺は車が渋滞気味。お社近くの駐車場はいっぱいだったが、参道の入り口辺り余裕で駐車できた。

遅い時間なので参拝客も少ないだろうと思っていたが、長い行列ができていた。

最後尾に並んだ。列は100m以上はある。(参道はもっと長く300m近くある)

ゆっくりとゆっくりと進む。

 

 

東京の大きな神社と違い,この辺の神社はどこも一回に一組2,3人ずつしか参拝しないので、社殿に着くには意外に時間がかかる。

参拝までに1時間半もかかった。

 

社務所では横笛の練習をしていた。

テープを流す大きな神社もあるが、心がこもっていそうだ。

参拝を終わる時には日は落ちて御神燈に灯がともっていた。

 

 

寒い中長く待ったせいか、芯まで冷えた。おなかがへってきた。屋台のたこ焼きもうまそう。

列は短くなったが、まだまだ人は途切れない。

いよいよ女化があらわれそうなころになってきた。

 

ではまた,ぶらり。

 

 35.945515, 140.173095

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする