うしくの辺り:魅力度最下位? 茨城県の南部

茨城県の牛久市を中心に、散歩やドライブで見つけた素敵な場所や不思議に思ったことをつづった。魅力度最下位茨城の地味な魅力。

名作のつくりかた:茨城県近代美術館

2020-08-29 11:11:11 | ドライブ

茨城県の県庁所在地は水戸市。

千波湖のほとりに、茨城県近代美術館がある。

暑さをさけて、久しぶりに美術鑑賞。

 

 

ここにはいつも車で出かけるが、駐車場の料金を美術館の受け付けで返してくれる。

ちょっとうれしい。

 

コロナ自粛あけの今は企画展「名作のつくりかた」がはじまっている。

これを見たからって、うまく描けるわけではないと思いつつ、出かけた。

 

日本人の画家、横山大観や菱田春草、中村彝ら古い人から

現役の間島秀徳の砂を使った立体感ある水の流れのような作品、

中村義孝のブロンズ像のつくりかたなど興味深く見た。

 

日本の美術館は写真が撮れないが、1コーナー撮れることがあった

中村義孝氏の作品。

 

浦田正夫氏の下絵から作品までを追った展示もすばらしい。

何枚も下絵を描き、具象から抽象的に変化させる過程、

絵画の対象現場の写真と作品の絵との比較などをみると、

考えに考え抜いて何度も描いて、しだいに抽象的に仕上げている。

作品ができてくる過程がよくわかる。

 

愚直な創作過程、何度も繰り返す作業のしつこさ、執念。

オリジナルへの追求。

画家として独り立ちしている作家は素人の趣味の時間つぶしとは違う。

 

もちろん趣味という価値もあって

自分などはそれで満足しているが、立ち位置が違う。

絵の裏に潜む筆の力と時間の積み重ねに圧倒された一日であった。

 

 

ではまた、ぶらり。

 

 

 

 

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感染予防対策:うしくらしく

2020-08-23 10:00:00 | なんだこれ

茨城県南部、牛久市。

市役所から感染予防対策の冊子が届いた。

「うしくらしく」というのは市のゆるキャラマスコット。

 

うつらない、うつさない。新しい生活様式。

内容は、テレビや新聞で毎日のように報道されていることと同じだが、

わかりやすくビジュアルにまとめられている。

 

最後のページには、切り取って目に付くところに貼ってください、とポスターもついている。

 

毎日気を付けているが、感染経路不明者が多いので、どこでうつるかは神のみぞ知る。

このあたりは東京まで常磐線で約1時間。

通勤圏なので毎日多くの人が東京に通っている。

みなさん心配だと思う。なんとか無事帰れますように!

good luck!

 

ではまた、ぶらり。

(最近は、ぶらりしにくいが・・)

 

 

 

 

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日時計の公園:つくば市並木地区

2020-08-17 08:00:00 | つくば市

茨城県南部、つくば市並木地区にある小さな公園。

三角の石のいたの周りに石が並んでる。

近くの石版には日時計との解説。

 

太陽光が作る影にあわせて時刻がわかるよう石を配置している。

公園なので子供たちにもわかる、かもしれないが、子供は時を気にせず遊ぶはず。

 

 

40年以上前、つくばの都市開発の時に設計された公園と思う。

周りの木は大きくなって、今ではそんなに日が当たらない。

役目はおわって今はモニュメントである。

 

あちらこちらに石を配置してある。

これらの石は筑波山から来たかこう岩(御影石)だろう。

 

最近あまり外で遊ぶ子もみない。

どこの公園もひっそりとしている。

少子化でそもそも子供がいないのかもしれない。

公園で子供が遊んでいると、なんとなくうれしい変な時代だ。

 

 

ではまた、ぶらり。

 

日時計公園

 

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牛久助郷一揆:文化元年(1804年)

2020-08-08 09:00:00 | 名所

茨城県南部、牛久市で江戸時代末期に一揆があったことを知った。

一揆はあちらこちらで起こったようだが、身近であったとは興味深い。

 

 

牛久と名付けられいるが、今の阿見町にその碑がある。

一揆の指導者が阿見町の出身だという。

 

阿見一区南の交差点。

ちゃんとお花が活けられている。

 

ほとんど風化しても読めないが、となりに解説があった。

3人は江戸での厳しい取り調べで評決前に獄死したという。

その供養を兼ねた碑という。

そして、この碑をたてたのが、なんと一揆で打ち壊された家の方であるのも興味深い。

 

 

「牛久助郷一揆」はwikipediaにも記載されていた。

1804年(文化元年)10月、牛久宿近くの女化原に大勢の百姓共が徒党を組み牛久宿問屋の麻屋治左衛門他2人の居宅を打壊し、幕府老中青山忠裕から佐倉藩土浦藩に対して騒動鎮圧の公儀御達が出された。女化一揆とも呼ばれるこの騒動は、打壊しの後間もなく治まり、勘定奉行所の松平兵庫頭が掛りになって徒党共の吟味を行い、翌1805年(文化2年)8月に裁許状が村々に届けられた。

(wikipediaより)

阿見町のネット記事も見つかった。

pdfにはその顛末が要領よくまとめられている。

それによると、

江戸と水戸のちょうど間にある牛久宿は往来も多い重要な宿場だったらしい。

年貢の他、伝馬役や人足など多くを課せられ、天明の飢饉などもあり疲弊した中で、私利私欲を肥やす業者がいて、とうとう爆発したようだ。

牛久の女化稲荷に6000人もの農民が集まったという。

よく統率がとれて、打ち壊しをしたが、盗みや危害は与えることなく引き上げたとされる。

自由民権の先駆的なものと位置づけられている。

 

この場所、グーグルマップには何もでていない。

 

この場所 ↓ なので、興味のある方、訪れてみたらいかがでしょうか。

36.028595, 140.189608666

 

ではまた、ぶらり

 

 

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茨城空港再開:

2020-08-01 13:00:00 | 名所

茨城空港は県中央部の自衛隊の百里基地に並んで運用されている。

コロナウイルスの影響でしばらく閉鎖していた。

もともとスカイマークと中国便、韓国便くらいしかなかった。

国際線はまだだが、スカイマークの段階的な再開で動き出した。

 

急用で実家に帰るのに、羽田、成田の出発もあるが、茨城空港からの出発にした。

最近は安い成田発のLCCをもっぱら使っていたが、成田は今はコロナの入り口である。

羽田も東京が連日200-300人。

こんな時、茨城県内から出られるのはありがたい。

 

さて、用事をすませて翌日夕方、帰ってきた。

ローカル空港の極みともいえる地上を歩いて飛行機に乗り降りする。

こういう空港は少ないと思う。はじめての人は皆驚く。

 

小雨が降っていたので、多少の雨除けがあったが、

ブルーの電飾でスターウォーズのようなゲート。

ローカルなりに努力している感じ。

 

go to キャンペーンのせいか行きはほぼ満席だった。帰りは1/3くらいの客。

もちろんみなマスク着用。

途中、搭乗客にはマスクとキットカットが配られた。

物と人が動いている。

感染が広がっている。

政府はgo to、県はnot go to

that is a question

 

ではまた、ぶらり。

 

 

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