梅雨入りしたばかりだというのに、梅雨が明けたような猛暑となった。
昨日出稿したゲラが印刷所からFAXされてきた。さっと目を通すと手直しするような箇所が見当たらず、本社校正担当へ送るように印刷所へ連絡を入れた。
腱鞘炎で痛めた指と肩、首筋のツボに低周波をあてながら20年前の日記を紐解いて見た。
妻が東京の実家へ、母の介護から帰ってきた日のことが綴られていた。
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「待望の雨である。ここのところ連日猛暑が続き、ベランダは鉄板を敷き詰めたような熱さで、鉢植えの観葉植物たちも悲鳴をあげていた。水やりは欠かさず怠らずであったから枯れずにすんでいた。地方に居た頃は、庭も広くテラスなどもあったことから、盆栽や歌壇などもつくり楽しんでいた。盆栽は小品盆栽で50鉢近く世話をしていたが、東京に住まうようになり、しかもマンションがあてがわれたことから、引越しの前に、部下や世話になった方々に皆、お礼代わりにお配りした。一つだけ大鉢(火鉢大)に大雪石楠花を植えて可愛がっていたのを、某自動車関係の社長にプレゼントしたのだけは惜しまれた。それから東北の福島に再び転勤したが、以来、盆栽からは手を引いた。
「忘れずに、水をお願いしますね」、と念を押して上京した妻が大切にしている鉢を枯らすことはできず、毎日、丹念に水をさした。
妻は実の母が転んで骨折し入院をしたことからの上京であった。85歳になろうとしている母は、痴呆も進行しはじめ同時に乳がんも患って、このたびの骨折。苦労をしてきた母が、悠悠自適の生活に入ったのは30年も前になるが、長男と同居し、嫁、姑の関係で必ずしも自由の身とはならなかった。
次男は若くして2児を残し交通事故でこの世を去った。夫も50半ばで病死。母は嫁に来た時から、舅、姑で泣かされ生活も楽ではなかったようなのだ。そんな母が哀れで、妻にはできるだけ上京し親孝行するようにと言ってある。
自分は単身赴任や独身時代が長かったこともあって、独り暮らしには慣れており、「なんてことないよ、心配しないでいいからね」と、言ったものの、2週間も経つといささかだらけてしまう。炊事、掃除、洗濯、何ともないよとは言ったもののやはり面倒。次第にコンビにやスーパーで出来合いのおかずを買ってきたり、洗濯も3日に1回のペースになったり、掃除も日を置くようになった。
3週間が経った今夜、妻が帰ってきた。特別な会話もなかったが、居るだけでいつもの環境が整ったということか、ホッとするのである。疲れて帰ってきた妻は、居間で座布団を枕に、両足を座卓の上に乗せて、高いびきで眠っている。母の看病と兄嫁に気を使って、さぞかし疲れたことだろう、そっと寝かせておこうか。」
・・・・これが7年も続いた----。