生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

2018-12-04 23:43:22 | 日々の暮らし
『子どもたちに、

新鮮な空気が入り、

明るく、陽当たりよく、

広々とした教室と、

涼しい寝室とを与え、

また戸外で

たっぷりと

運動をさせよう。


たとえ寒くて

風の強い日でも、

暖かく着込ませて

充分に運動させ、

あくまで自由に、

子供自身の


考えに任せて、


指図せずに、

たっぷりと

楽しませ

遊ばせよう。


もっと子供に

解放と自然を与え、


授業や詰めこみ勉強や、
強制や訓練は、

もっと減らそう。



もっと食べ物に

気をつかい、


薬に気をつかうのは


ほどほどにしよう。』


「ナイチンゲールの看護覚え書き」より。


イギリスの看護婦。

クリミア戦争の時、

多くの看護婦を率いて

傷病兵の看護に当たり、クリミアの天使と呼ばれた。


窓を開ける度に

ナイチンゲールの

言葉を思い出す。

少しでも新鮮な外気に

触れさせよう。

四季を肌で感じてもらいたい。

生きている実感を味わ
ってもらいたい。

いつまでも

ナイチンゲールの風
忘れずに。

今日は記録的な暖かさで、散歩したお年寄りは気持ち良さそうでした。

合掌


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夢のお告げ日本史

2018-12-04 12:38:38 | 日々の暮らし
NHKラジオで「夢のお告げ日本史」を放送していた。

秋山真之(あきやまさねゆき)日本の海軍中将。
日露戦争の日本海でバルチック艦隊を迎え撃つ参謀の1人。

映画ではモックンが演じていた。
バルチック艦隊は日本海から来るのか、太平洋から津軽海峡を通って来るのかを決めなくてはならなかった。

それは、日本の運命がかかっていたから。
彼は夢を見た。
 まぶたの裏が明るくなって、対馬海峡が見えた。
その夢を信じて待ち伏せしたのでした。

1905年5月27日
バルチック艦隊が津軽に現れた。
これが夢のお告げの日本史として紹介されていました。

もう一人は親鸞でした。
彼は若い時に女人に悩まされていた。
聖徳太子が、女人が欲しければ私を抱きなさいと夢に出た。
親鸞は女性をめとってもよいのだと結婚したといいます。
私も観音様を抱いた夢を見ました。
あまり何の意味もなかったけど。

ただ夢物語集ができるほどストーリーある夢をよく見ます。

夢のおかげで沢山の言葉も頂いています。
感謝

合掌

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天国に入るには

2018-12-04 01:14:08 | 日々の暮らし
マザー・テレサ(私の恩人の1人)は

敬愛していた、

リジューのテレーズに

ちなんだ修道名を

つけたといいます。

テレーズは1890年代に

24歳で亡くなり、

わずか数10年で聖人に

なった奇跡の人です。

その本

「空(から)の手」

「小さい道」の

聖テレーズの

メッセージを読んでいます。

「あなたたちが悔い改めて
子どものようにならないなら、

天の国には入れないだろう。」

(マタイ18.3)

聖書の言葉を引用して、

姉に向かって

「臨終のとき、ひどく

苦しんで心が平和だと

見えなくても、心配し

ないでください。

主も愛の犠牲として

お亡くなりになり、

あれほどお苦しみに

なったのですから。」

「ああ、私は主を愛します。

私の神様あなたを

愛します」

と言い息を引き取ったといいます。


聖書も彼女も残した

不思議な言葉が

幼子のように

ならなければ天の国に

入ることはできない


といっています。


何となく分かる気がします。


良寛さんも


手まりしたり


かくれんぼが大好き


でしたから。


いつまでも


子どものように


純でありたい。



合掌
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