元々は飛鳥の藤原京に建てられた大官大寺が移り移ってこの地へ。
最近は大分整備されて綺麗になっています。
本堂、本尊は十一面観音立像。
当時は南都七大寺のなかでも広大な敷地を有し、七重塔が建ち「南大寺」とも呼ばれていました。
日本一の仏教総合大学だった様で、
空海を始め沢山の青年僧が山門を潜った事でしょう。
大師もこのような中で、
道慈が持ち帰った「求聞持法」に出会い、
師と慕う勤操から、
大日経や高野山への導きなど多くの事を学び、
道慈~勤操~空海のリレーが、
遂に、日本の密教を誕生させる事に!
最近では癌封じの寺として、
こんなキレイな竹林も造られていました。
近くの元石清水八幡社。
推古天皇社。
甥の聖徳太子を支えた美人の女帝だったらしいですね。
金比羅さんがありました!
〇金!
かねたろうです、(笑)
弘法大師腰かけ石。
座り心地は抜群でしたが、
こんな格好で座って・バチ当たれへんかなぁ~。
赤青黄緑五紫 まだ未体験の皆様にはコチからどうぞ。↓