とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

文章への恋

2006年03月20日 07時48分47秒 | ことば・こころ・文学・演劇
どこかで、以下のような記事を読んだことがある。

★ 文章への恋
文章に恋をするということがある。文体に惹かれるとか、
レトリックに酔わされるといったものではない。その人
の文章の向こうから伝わってくる心の息吹のようなもの
に魅せられ、文字どおり恋をしてしまうのだ。
恋だから、相手は異性の場合が多い。同性だと、伝わって
くる心の息吹に官能の甘さを感じない。不思議だと思う。
たまさか同性の文章に恋をすることがあっても、それは
どこか質が違っている。官能よりもむしろ観念を刺激され
る。プラトン的な恋、つまり、プラトニックラブにすぎな
いわけだ。★


こんなことってあるだろうか?

白状すると、文章に恋するというのも、これかなって思い
あたるふしがないわけではない。
滅多にあることではないが、ある詩人の書く詩が好きで好き
でたまらない。ある小説家の書く散文に衝撃をうける。ひど
く幸福な気分になる。その感情には確かに甘さがある。甘さ
を感じるから好きだとも言える。しかし、官能と結びつけて
考えたことはない。
この人たちの名は、決してあかしたくない。

 女性で好きな作家もいる。これは、フランス人だ。この人
も、わたしにとって特別な人だ。あんまり好きなので、小説
1冊だけで幸福で、それは10年間続いた。異例のことだ。が、
その感情に、確かに甘さはない。
あんまり好きだと、かえって本を読めないものだ。この人の
作品は、やっとの思いで15年かけてわずか3冊読んだだけだ。
こっちは、種をあかそう。マルグレット・ジュラスのラ・マ
ン(愛人)だ。

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