これは疑獄事件の一幕だ
河合 幹雄 桐蔭横浜大学教授・副学長 2020/5/21
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日本における「検察の役割」
今国会での成立が見送られた検察庁法改正案――その議論において、高等な法律論が繰り広げられている。法律論として、これは全く正しいが、そもそも法曹で、この法案に賛成する者は特別な人である。
むしろ根本は、日本国のなかでの検察の役割の問題である。
福田赳夫、芦田均、田中角栄と、検察に起訴された首相は幾人もいる。その長い歴史のなかに、この疑獄事件を位置付けたほうがわかりやすい。
堀田力が、この法案の「真の狙いは、与党の政治家の不正を追及させないため以外には考えられません」と述べているように、これは疑獄事件の一幕なのである。
現在の検察と自民党との関係が形成されたのは1948年の昭和電工事件である。このとき福田赳夫大蔵主計課長、西尾国務大臣、芦田均元首相(首相辞職後、則逮捕)など64名が検挙され44名が起訴された。
ところが、福田赳夫、芦田均ともに多額の現金を贈賄側から受領したことが事実認定されたにもかかわらず、無罪判決。理由は、賄賂だとの認識がなかった、職務権限がなかったなど、現在の制度では文句なしに有罪になる理由であった。贈賄側のみ有罪。
続く、1954年造船疑獄事件では、自由党幹事長佐藤栄作、池田勇人を逮捕しようとした検察に対して、犬養法務大臣が指揮権発動し検事総長に逮捕をやめるように促し、将来の首相候補たちは逮捕を免れた。贈賄側は厳罰であった。
これらの事件は、GHQがらみの複雑な事件であるが、その部分は脇に置きたい。そのうえで、一言でまとめると、表面上の無罪理由はともかく、政治家を見逃してもらうことと引き換えに現在の特捜部が検察に与えられたと理解されている。
これが、特捜の誕生秘話である。
NEXT なぜ首相クラスばかり?
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排除すべき政治家とそうでない政治家
それ以降、検察官は、巨悪と呼ぶかどうかはともかく、大物政治家の贈収賄事件を検挙することを熱望して活動してきた。
法改正して、収賄罪の構成要件(定義)を広げ、金品の受領を証明すれば有罪にできるようにし、法務大臣の指揮権をさけるために自由民主党の派閥争いを活用し、三木派の法務大臣の時に田中角栄を逮捕、宮澤首相、後藤田法務大臣の時に金丸逮捕と工夫した。
この他にも、検察人事と贈収賄事件をめぐる暗闘は継続されてきており、検察と自由民主党の間には、長期にわたる緊張関係があることを理解しておかなければならない。
たとえば、田中角栄の汚職を追究した立花隆は、堀田力が検事総長になれなかったのは、大物政治家を検挙しようとしたからだと解釈している。
ここまでは業界にとっては常識だと思うが、以下は、私の大胆な見方である。逮捕されたりされかかった政治家が、ことごとく首相クラスであることに注目すべきである。
明治維新以降、国会を作って西洋の真似事の法治国家だと言ってはいるが、昔からボスが密かに料亭で話し合うのが日本の意思決定の仕組みである。
そこでお世話になった人々は、お礼しなければおかしい。手ぶらで人に物を頼みに行くのは非常識も甚だしい。金品の受け渡しが政治権力者に対してあったことで逮捕していたのでは、日本の政治家は皆逮捕しなければならない。
そこで、検察側は、良い賄賂と悪い賄賂を区別するというよりも、国益という視点で排除すべき政治家と、そうでない政治家を判断してきた。
NEXT 田中角栄逮捕という唯一の例外
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私の知る限りでは、最高検察庁の会議室で、○○政治家を検挙するかどうか検事総長以下、東京地検特捜部に連なるラインの幹部で議論して決めていた。
その結果、多くの政治家の逮捕は、見送られてきたと推察している。実際、先ほど名前を挙げた政治家が政治生命を失っていれば、日本の歴史は異なったものになっていたであろう。
1950年代後半以降1980年代はじめまでは、世界の中での日本の発展は見事なもので、多くの政治家検挙を見送ったことは正しかったとの主張には一定の説得力がある。
唯一の例外が、田中角栄逮捕である。このときだけは、田中の大きな貢献と、大きな弊害をどう考えるか特別に吟味したと、私は伝え聞いている。
富士山麓のある宿泊施設で、検察幹部だけでない有識者も加えて、田中逮捕した場合と、見送った場合の、その後の日本社会がどうなるか1週間もかけて議論したと言われている。
検察の目があるから長期政権があった
以上のような歴史を踏まえれば、検察は、政府と距離を取って腐敗監視する役割をすることと引き換えに特捜という特別な権力を与えられている構造が理解できる。
検察は、日本のためにというより、何よりも検察のために必ず腐敗を追及しなければならない。検察庁法改正を強行すれば、特捜による厳しい追及を避けられない。
国民との関係で言えば、検察が見張ってくれているから自民党に投票してきた人が多いのではないか。
自民党がオゴリ過ぎてはいけないということが言われるが、国民サイドから見れば、検察によるチェックがあればこそ長期政権を認めてきたと私には見える。
政治学のほうから、派閥による疑似政権交代ということが、自民党の長期政権の説明に使われるが、検察の存在も大きいように思う。いずれも長期政権が陥りがちな腐敗を防ぐ歯止であった。これを失えばどうなるのか。
結論は簡単である。自民党の長期政権は続かない。たとえ一時的に栄華を誇ったとしてもである。自民党の幹部の誰かが安倍首相を諌めなければならない状況と私には見える。
NEXT 検察は安倍首相を逮捕しない
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日本政治の劣化はどこまで進むか
今後の予想を少ししておこう。
検察は、安倍首相は逮捕しない。「桜を見る会」の問題で逮捕は技術的には簡単であるが、これは逆の意味で行き過ぎである。
三権の長である首相逮捕は、日本の行く末を検察が決めることになり、三権分立の精神にも反する。田中角栄の例外はあるが、首相クラスの逮捕には謙抑的である。
他方、検察が忖度してくれると勘違いしている首相周辺の政治家は、次々に起訴していくであろう。検察庁法改正法が成立してもしなくても、ここは同じである。自民党本部へのガサ入れも十分あり得る。それを検察外部の許可なくできるのが特捜である。
最後に、もし仮に、政権側と検察側の力の均衡が破れ、検察が政権に手出しできなくなったらどうなるか述べておこう。
そのさいには、いつか安倍首相が退陣した後に安倍首相逮捕となるであろう。これはしばしば第三世界の国々で観察されるパターンである。日本政治の劣化がそこまでいかないことを希望する。