作家で医師の久坂部羊さん(67)が、「死」を正面から見据えて書き下ろした2冊の新書『人はどう死ぬのか』(講談社)と、『寿命が尽きる2年前』(幻冬舎)が話題だ。巷にあふれる健康長寿に関する本とは一線を画し、医師として数々の死をみとってきた経験から、「上手な死に方」を勧め、その心得や準備について説いている。
豊富な経験から警鐘
麻酔科、外科、在宅医療など豊富な経験を持つ久坂部さんは、回復の望めない末期患者が延命治療で無理に生かされ、苦しみながら死んでいく悲惨な例を少なからず見てきたという。「医学の進歩で人々の期待値が高まるあまり、〝医療は死をも止められる〟という幻想が過度な期待を生み、たった一度きりの死を下手に迎える人を増やしてしまっている」と警鐘を鳴らす。
『人はどう死ぬのか』では、「望ましい死に方とそうでない死に方がある」と提言。人がどのように死んでいくのかを、さまざまに解説している。
回復の見込みがないまま延命治療で生かされ、医療用麻酔や鎮静剤が効かないほどの苦痛に襲われた末の最期。一方、死を淡々と受け入れ、効果が見込めない延命治療を選択しない自然な死に方がある。
後者の例として、麻酔科の医師だった自身の父親の最期を紹介している。85歳で前立腺がんと診断され、86歳で腰椎を圧迫骨折。だが、本人の希望で治療はせず、在宅のまま自然に任せた。十分に話せるうちから家族に感謝の言葉を述べ、最期はあまり苦しむことなく87歳で旅立った。本人をはじめ家族も死を受け入れ、心の準備ができていたので穏やかにみとれたという。
「命を延ばすことばかり考えていると準備がおろそかになる。死は1回限りでやり直しがきかない。数々の先例を参考に、穏やかで上手な最期を迎えることを考えてみてほしい」と話す。
あらかじめ心づもり
久坂部羊さんの『寿命が尽きる2年前』(幻冬舎新書)と『人はどう死ぬのか』(講談社現代新書)
そのためには死を受け入れることが大事だが、それがなかなか難しい。どうすれば楽に死を受け入れられるのか-。そんな反響に応える形で上梓したのが、2冊目の『寿命が尽きる2年前』だ。残された時間の過ごし方や寿命が尽きる前の兆候などを紹介している。
そして、あらかじめ、ある年齢を超えたら、もう十分に生きたと満足する心づもりをしておくことを提案する。「コツはできるだけ設定する年齢を低くすること。そうすることで真剣に生きられるし、死ぬときに悔いが残らないように思う」
久坂部さんはその年齢を60歳と設定して生きてきた。67歳の今、「7年間も生かされていて本当にありがたい」という心持ちで過ごしているという。
死から目を背け続けていたら、高齢期に入り、直前になって慌てたり、うろたえたりすることになる。また、老化がベースにある病気は治療しても簡単には治らない上、見込みのない延命治療で苦しい死に際を迎えるよりも、死を見据えた方が、悔いなく生きられる。
「死を捉えることは、不吉でも縁起でもないことではない。死ぬことを一生懸命考えることは、今を充実させ生きている喜びを深めてくれる」と話している。
医療現場の矛盾問う
「都合よく名医が現れてハッピーエンド、みたいなきれいごとは書けない」-。久坂部さんは小説の中でも、医療の限界や過剰な医療による弊害を描いてきた。末期がん患者と緩和ケアを勧める医師との溝を描き、日本医療小説大賞を受賞した『悪医』。安楽死をテーマにした『神の手』。延命治療をめぐって殺人罪に問われた医師の実話をもとにした『善医の罪』などの話題作だ。
3月刊行予定の『砂の宮殿』(KADOKAWA)では、海外セレブ御用達の医療ツーリズムのクリニックを舞台に、地域再生の一方で、医療資源の流出なども懸念される医療ツーリズムの光と影を追う。
現役の医師として常にアンテナをはり、小説、またノンフィクションの手法で、医療現場をとりまく現状や矛盾に斬り込んでいる。(横山由紀子)
(画像はネットから借用)