(東京焼け野原の写真:by US army)
わたしは1947年生まれです。つまり敗戦後2年後に生まれました。
そのころ東京にいて第2次世界大戦を日本兵として戦った父は、東京焼野原に立っていたことでしょう。
私は新潟へ疎開した父母から生まれました。
父のその後の生きざまをみつめつつ育ちました。
印象に残っているのは、父が必ず東京は復興する、日本は必ず復興すると信じ、黙々と働いていたことです。
そう、決して「希望」をうしなわなかったのです。
今回の東日本大震災、必死に被爆の恐怖に耐えて福島原発事故と闘っている人々を思うと涙が流れます。
けれど、いついかなる時も「希望」を失わないでください。「希望」は体験的に一番大事なものだと信じています。
すぐには無理だと思いますが。
が、放射能の問題は深刻すぎて呆然としています。
福島原発で闘っている人には若い人も多くいると思うと胸が痛みます。せめて「唄」を聴いてください。
「悲しみは雪のように」というタイトルは、私の敗戦後の生活の悲しみともかさなるものです。と同時に、なにくそと「生きる力」も湧いてくるものです。
浜田省吾 『悲しみは雪のように