毎日新聞2018年5月8日 東京朝刊
今なお、セクハラ問題の本質が理解できないのだろうか。常識外れの発言に改めてあぜんとする。
麻生太郎財務相が、辞任した福田淳一前財務事務次官のセクハラ問題について「セクハラ罪という罪はない」「殺人とか強制わいせつとは違う」などと発言し、依然として福田氏を擁護する姿勢を見せた。
遅きに失したとはいえ、財務省は福田氏の行為をセクハラと認定して処分した。ところが処分の最高責任者である麻生氏が、なぜこうした発言を続けるのだろうか。
被害を受けた女性社員が所属するテレビ朝日が調査継続を求めているにもかかわらず、財務省が調査を打ち切るというのも納得できない。
そもそも今回は、セクハラは犯罪に当たるかどうかが問われているわけではない。無論、セクハラ行為は場合によっては刑法の強要罪や自治体の条例違反に問われる可能性がある。一方では既にセクハラ罪を設けている国もある。しかし、それは今回の本質とは別の話だ。
しかも刑法だけが社会の規範ではない。倫理観やマナー等々もそれに含まれる。例えば文部科学相が「いじめ罪はない」と言って、いじめの加害者を擁護したら許されるだろうか。セクハラは重大な人権問題だ。いじめと同様、セクハラをなくそうとするのが政治家の務めのはずだ。
いずれにしても麻生氏の発言は根本的に間違っていると言っていい。
質問する記者を時に威圧しながら、こうした持論を繰り返す麻生氏に安倍晋三首相が何ら注意をしない点も見逃せない。
ここで麻生氏が辞任すれば、批判の矛先が首相に向かうことを恐れているのか。3選を目指す秋の自民党総裁選を控え、麻生氏の支持が得られなくなる事態を避けたいと考えているのか。政局的な思惑ばかりが優先している。
自民党内では「いつもの麻生氏の乱雑な発言だ」「いずれ麻生氏は森友学園問題での文書改ざんの責任を取って辞任するのではないか」といった反応が大勢で、事態を深刻に受け止める声はほとんど聞こえない。
このまま放置すれば、「女性の活躍をうたいながらセクハラに寛容な安倍首相と自民党」という見方が定着するだろう。