美空ひばりさんの唄を年代順に並べて聴いてみると、戦後の日本人が歯をくいしばってがんばっている時にいかに元気づけられていたか、今しみじみ感じています。母がつくっていた家庭菜園の思い出がおぼろですが、くっきりと浮かんできます。食べるための必死の工夫でした。
世界情勢に変化が生じてきた今、どうしても作品を、まとめてみたかった。それは、未来に立ち向かうために、庶民の心情の目線から戦後昭和史の流れを残しておきたかったからです。これで、個人的に少しすっきりしました。入門編をマスターしたかしら?わたしは演歌は苦手なほうなのですが、美空ひばりさんは気になる存在でした。
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美空ひばり:基本情報
出生名 加藤和枝
出生 1937年5月29日
学歴 精華学園高等部卒業
出身地 日本横浜市磯子区滝頭
死没 1989年6月24日(満52歳没)
ジャンル 演歌
職業 歌手、女優
担当楽器 歌
活動期間 1949年 - 1989年
公式サイト http://www.misorahibari.com/
美空 ひばり(みそら ひばり、1937年(昭和12年)5月29日 - 1989年(平成元年)6月24日)
は、数々のヒット曲を歌い銀幕スターとして多数の映画に出演した昭和の歌謡界を代表する日本の歌手、女優である。
女性として初の国民栄誉賞を受賞した。横浜市磯子区滝頭出身。 愛称は御嬢(おじょう)。横浜市立滝頭小学校卒業。精華学園高等部卒業。本名は加藤 和枝(かとう かずえ)。(ウイッキィペディアより)
幼少期
神奈川県横浜市磯子区滝頭の魚屋「魚増」を営む父・加藤増吉、母・喜美枝の長女として生まれた。家にはレコードがあり、幼い頃より歌の好きな両親の影響を受けひばりは歌謡曲・流行歌を唄うことの楽しさを知る。
1943年6月、第二次世界大戦の戦時中に父・増吉が出征となり壮行会が開かれ、ひばりは父のために『九段の母』を唄った。壮行会に集まった者達がひばりの歌に感銘し、涙する姿を目の当たりとした母・喜美枝はひばりの歌唱力に人を引き付ける可能性を見出して、地元の横浜近郊からひばりの唄による慰問活動を始める。
デビュー
終戦間もない1945年、喜美枝がひばりを引き続き唄わせるために八方手を尽くし、私財を投じて自前の「青空楽団」を設立。近所の公民館・銭湯に舞台を作り、ひばり8歳のときに「美空」和枝(母提案)の名で初舞台を踏む。
1946年、NHK「素人のど自慢」に出場し、予選で『リンゴの唄』を歌いひばり母子は合格を確信したが鐘が鳴らない。審査員は「上手いが子供らしくない。」「非教育的だ」「真っ赤なドレスもよくない」という理由で悩んだ挙句、合格にできないとつげた。1946年9月、横浜市磯子のアテネ劇場で初舞台を踏む。翌年の春、横浜で行われたのど自慢大会終了後、審査員をしていた古賀政男のもとにひばり母子は駆けつけ、「どうか娘の唄を聴いてください!」と懇願する。ひばりはアカペラで古賀の「悲しき竹笛」を歌った。古賀はその子供とは思えない才能、度胸、理解力に感心し「きみはもうのど自慢の段階じゃない。もう立派にできあがっている」、
「歌手になるなら頑張りなさい」とエールをもらった。(ウイッキィペディアより)
1947年に、高知県に巡業中にバスが転落し、ひばりは仮死状態になるが奇跡的に回復した。それを見た父親は「歌わせるのはやめろ」とどなったが、ひばりは「歌をやめるなら死ぬ」と言い切った。
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主(おも)なシングル作品
リンゴの唄 1945年 (←追記5 特別挿入 戦後初の映画『そよかぜ』の主題歌。並木路子の唄で大ヒット。追記はこれでやめます)
http://www.youtube.com/watch?v=VDieNMkohEY&NR=1
○青い山脈(昭和24年)(←追記1 まちがったかな?)
http://www.youtube.com/watch?v=bAKmKJxtWZg
○かなしき口笛(くちぶえ)(昭和24年)1949年
(ひばりさんの実質的デビュー曲)
http://www.youtube.com/watch?v=GorIRRmeFkg&feature=related
○東京キッド 1950年(←追記 1’ かわりに入れておきました)
http://www.youtube.com/watch?v=vf3k2iVaIzE
○ひばりの花売り娘(昭和26年)1951年
https://www.youtube.com/watch?v=9dyzTZafue8
○わたしは街の子、 (昭和26年)1951年
https://www.youtube.com/watch?v=j2QqthW-yX0
○りんご追分(おいわけ)(昭和27年)1952年
http://www.youtube.com/watch?v=S0KLu6lZ5Yw&feature=related
○津軽(つがる)のふるさと (昭和27年)1952年
http://www.youtube.com/watch?v=gWC5VRPXoPc
○お祭りマンボ(昭和27年)1952年
https://www.youtube.com/watch?v=Tc02U9ODJrc
○角兵衛獅子の唄
https://www.youtube.com/watch?v=gVIXrI7ZI-E
○車屋(くるまや)さん 昭和32年 1957年
http://www.youtube.com/watch?v=YZNI3iNme7g
○港町十三番地 昭和32年 1957年
http://www.youtube.com/watch?v=rDMuUnz2dhw
○ひばりの佐渡情話(さど じょうわ) 1962年
https://www.youtube.com/watch?v=nWNqC6Ns2Nk
(1962年小林旭と結婚する。が、結婚生活は短く1964年に離婚する。ウイッキィによると、家でそばにいてほしい「未練たっぷり」の小林と、「歌を捨て、母を捨てられなかった」というひばり。だが、男女の仲は傍目には分からないので、あまり私はつっこみたくない。
離婚後、次々とヒット曲を放ち、健在ぶりを示す)
○柔(やわら) (昭和40年)1965年
http://www.youtube.com/watch?v=lKpfrv7cQb0
○悲しい酒(昭和41年)1966年
https://www.youtube.com/watch?v=zi1yedKi3FE
○真っ赤な太陽 (昭和42年)1967年
https://www.youtube.com/watch?v=rsl0yAktDbs&spfreload=10
○人生一路(じんせい いちろ)(昭和45年)1970年放送
http://www.youtube.com/watch?v=cMhayiSDEW8&feature=related
○芸道一代 1972年
https://www.youtube.com/watch?v=eQKyN8_86JA
3時のあなた 美空ひばり&母喜美江(昭和47年)
○一本の鉛筆 1974年(第1回広島平和音楽祭で歌われた唄です)
http://www.youtube.com/watch?v=2iennv9YhlA&feature=related
○さくらの唄(昭和51年)1976年
https://www.youtube.com/watch?v=xIBbX7SaQmM
(1980年代に入り、実母の喜美枝、2人の実弟だった哲也と香山武彦、親友であった江利チエミらが次々と死去という悲運が続く。悲しみ・寂しさを癒すために嗜んでいた酒とタバコの量は日に日に増し、徐々に体を蝕んでいった。)
○裏町酒場(うらまちさかば) 1982年 (←追記4’ かわりに入れておきました。俗に“赤ちょうちん”と言う)
http://www.youtube.com/watch?v=adV1YUopfhk
○残侠(ざんきょう=やくざなり)子守唄 1983年
http://www.youtube.com/watch?v=qbx0r0h68Bw
○しのぶ 1985年
http://www.youtube.com/watch?v=UqV2eC_Gs9o
○ 愛燦燦(あい さん さん) 1986年
http://www.youtube.com/watch?v=uMVQ5LpT5Ik
○みだれ髪 1987年
https://www.youtube.com/watch?v=nl8lnTPtZEI
他多数
○川の流れのように(最後の曲)1989年
http://www.youtube.com/watch?v=d_Ns_B23LT0
美空ひばり 死去のニュース 1/2 http://www.youtube.com/watch?v=nDoYWZecJBY
2/2 http://www.youtube.com/watch?v=rx6lSVoqyYY
(葬儀には4万2千人の人々がかけつけた。死因は間質性肺炎のための呼吸不全だとのこと。王貞治が弔辞を読み上げたby ウイッキィペディア)
美空ひばり黄金時代 結婚 離婚 決意の舞台
美空ひばりを語る1 立川談志&上岡龍太郎
http://www.youtube.com/watch?v=bsSU0_EHVjs
美空ひばりを語る2 立川談志&上岡龍太郎
http://www.youtube.com/watch?v=w3z-lQnga5o&feature=related