林官房長官は16日、北朝鮮による日本人拉致問題について、「我が国が主体的に動き、トップ同士の関係を構築することが極めて重要だ」と述べ、早期の日朝首脳会談実現を目指す考えを強調した。東京都内で開かれた拉致問題に関する政府主催のシンポジウムで語った。
林氏は、岸田首相が自身直轄の「ハイレベル協議」を北朝鮮側に呼びかけていることを踏まえ、「ハイレベル協議を行って首脳会談に向けた環境が整備されるよう、政府一丸で取り組む」と語った。拉致被害者家族会代表の横田拓也さんは「日本の政治力、外交力が試されている。政治の停滞は許されない」と訴えた。
林氏はこれに先立ち、大学生との車座対話を行い、拉致問題に関する啓発活動への協力を呼びかけた。
「政府がもっと行動してほしい」拉致被害者家族会代表が訴え(2023年12月16日)
【拉致被害者家族ら】“一刻も早い解決を”…政府主催シンポジウムで訴え
【参考】Wikipedia
1946年7月31日、北朝鮮の指導者金日成は南朝鮮からインテリを連れてくることを指示した[2]。これが、北朝鮮による韓国人拉致問題の始まりである。。韓国人の拉致被害者は500人近くにおよぶとみられる
北朝鮮による日本人拉致問題(きたちょうせんによるにほんじんらちもんだい)とは、1970年代から1980年代にかけて、北朝鮮の工作員や土台人、よど号グループなどが、国家主権や人権を無視して、数十人から数百人の日本人を日本や欧州から北朝鮮に拉致した問題である
(1) 工作員日本人化教育の教官とその配偶者にさせるために拉致されたケース
- 加藤久美子(1970年)
- 横田めぐみ(1977年)
- 田中実(1978年)
- 田口八重子(1978年)
- 地村保志・浜本富貴恵(1978年)
- 蓮池薫・奥土祐木子(1978年)
- 市川修一・増元るみ子(1978年)
(2) 拉致した日本人を工作員として使おうとしたケース
(3) 実行犯工作員が当人になりすますために拉致する、いわゆる「背乗り拉致」
(4) 北朝鮮の工作活動に遭遇したため連れ去られた「遭遇拉致」
(5) 以上にあてはまらない、もしくは拉致目的が不明なケース
拉致事件の背景
2002年(平成14年)9月、内閣総理大臣の小泉純一郎が北朝鮮を訪問したことで実現した日朝首脳会談において、北朝鮮の最高指導者である金正日は、1970年代から1980年代にかけての拉致事件の背景として、
の2点を挙げた。