レオ・レオーニの作品は、『あおくん と きいろちゃん』という絵本しか知りません。
裏表紙より引用。《すでに古典といわれているこの絵本はレオ・レオーニが孫たちにお話をせがまれた時、ぐうぜん生まれたものです。手短の紙に色をつけて次つぎに登場人物を創りだしながら、孫たちもレオーニ自身も夢中だったといいます。
アメリカでは、この絵本の、青と黄色が重なってまったく違った緑になるというテーマが、人と人の心の融和を暗示するものとして、おとなたちの間でも好評を博しています。》
表表紙裏の訳者の言葉:(要約と引用)《偶然に気楽に生まれたこの絵本には、無理もなければ作意もない。朝と共に太陽が昇り、夕陽と共に星が輝きはじめるような、実にこだわりのない楽しさがそこにある。子どもと語るにはファンタジーが必要だが、そのファンタジーというものの、ほんとうの姿を、こんなに純粋に示してくれた本をわたしは知らない。》訳者は、このおはなしをつくってくれるようにせがんだ孫たちが目をかがやかせた喜びを、日本の子どもたちにも伝えることができるうれしさでわくわくしているという、と書いている。
わたしは、たんなる色の点である登場人物でしかでてこない、この絵本を前に、油汗を流している。なんとか、感想文を書こうと、この絵本のエッセンスを言葉にしたいと転げまわる。しかし、だめなのだ。できないのだ。とても悲しいことだ。いつの日か、自分の言葉で語ってみたい絵本。だから、本当は、まだ書くべきでないかもしれないが、夢中になって、宿題印として、この絵本の「訳ぶん」を書き付ける。
いつの日か、自分の言葉で感想を書きたいという願いをこめて。
........................................................................
『あおくん と きいろちゃん」
あおくんです
(あおい ちぎったまる一つ)
あおくんの おうち ぱぱと ままと いっしょ
(つちいろのなか「いえ」に 大小の ちぎった あおい まる 3つ)
おともだちが たくさん
(あか、茶、だいだい、あお 朱のちぎったまる)
でも いちばんの なかよしは きいろちゃん
(あお と きいろの ちぎったまる)
きいろちゃんの おうちは とおりのむこう
(つちいろのなかに、大小の ちぎった きいろのまる3つ)
みんな かくれんぼが だいすき
(くろいえだのかげに あか 朱 きいろ 茶 あおの丸がくっついている)
ひらいた ひらいた なんのはな ひらいた
(いろんないろのちぎりまるが 輪になっている)
きょうしつでは みんな きちんと ならんでるけれど
かえりみちでは とんだり はねたり
あるひ あおくんの ままは おかいもの 「おるすばん たのんだわ あおくん」
だのに あおくんは きいろちゃんと あそびたくなりました
おやおや きいろちゃんの おうちは からっぽです
どこだろう
ここかしら
あちこち さがして.....とうとう まちかどで
ばったり あ きいろちゃん
良かったねあおくんと きいろちゃんは うれしくて
(あおと きいろが少し 重なって、その部分が みどり に なる)
もう うれしくて うれしくて
(重なり部分がふえて みどり がふえる)
とうとう みどりに なりました
(かんぜんに ひとつの みどりのまるに なる)
あおくん と きいろちゃんは こうえんへ あそびに いきました
(ひとつの みどりのまる が おおきな いくつかのしぶいみどりのちかくにある)
とんねるくぐりをしたり
(くろいとんねるの中に みどりの まる一つ)
おれんじちゃんと おっかけっこ
(みどりのまる一つと おれんじの まる一つ)
おやまにも のぼったり
(くろいやまのとちゅうに みどりの まる一つ)
ああくたびれた
(みどりのまる 一つ)
おうちにかえって いきました
(みどりのまる 一つ)
ところが
「おや この みどりのこ うちの あおくんじゃないよ」
あおくんの ぱぱと ままは いいました
こっちでも
「おや この みどりのこ うちのきいろちゃんじゃないよ」
きいろちゃんの ぱぱと ままも いいました
あおくんと きいろちゃんは かなしくなって なきました
おおつぶの あおいなみだと きいろい なみだが こぼれました
(一つの みどりのまるから こまかい あおと きいろ なみだが 出ている)
ないて ないて なきました
ふたりは ぜんぶ なみだに なってしまいました
(こまかい あおと きいろ の 点でできた山二つ)
あおの なみだは あおくんに きいろのなみだは きいろちゃんになりました
「これなら ぱぱや まま きっと まちがいっこないね」
(なみだが固まって あおと きいろのまるになったもの二つ)
ぱぱも ままも あおくんを みて おおよろこび
しっかりとだきあげました....おやおや ごらん みどりになるよ
(あおいパパのおおきなまると あおくんのちいさな まるが重なった部分がみどりになる)
こんどは きいろちゃんを だきあげました....おやおや ごらん みどりになるよ
ぱぱにも ままにも やっと わけが わかりました
そこで とおりのむこうの
きいろちゃんの おうちへに わくわくしながら わけを はなしに いきました
おやたちも うれしくて やっぱり みどりに なりました
(あお と きいろの おおきなまるの 重なった部分が みどりになる)
こどもたちは ばんごはんまで たのしく あそびました
(さまざまな いろの ちいさなまるが あつまって いる。なかにはあおくんと きいろちゃんの 大きくかさなった部分がみどりになっているように あかとだいだいが ちょっと重なって、重なり部分が朱になっている まるもある)
おわり
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完全 脱帽。すべての文章に まるの絵がついているが いちいちの説明はうるさいので 途中説明省略しました。
裏表紙より引用。《すでに古典といわれているこの絵本はレオ・レオーニが孫たちにお話をせがまれた時、ぐうぜん生まれたものです。手短の紙に色をつけて次つぎに登場人物を創りだしながら、孫たちもレオーニ自身も夢中だったといいます。
アメリカでは、この絵本の、青と黄色が重なってまったく違った緑になるというテーマが、人と人の心の融和を暗示するものとして、おとなたちの間でも好評を博しています。》
表表紙裏の訳者の言葉:(要約と引用)《偶然に気楽に生まれたこの絵本には、無理もなければ作意もない。朝と共に太陽が昇り、夕陽と共に星が輝きはじめるような、実にこだわりのない楽しさがそこにある。子どもと語るにはファンタジーが必要だが、そのファンタジーというものの、ほんとうの姿を、こんなに純粋に示してくれた本をわたしは知らない。》訳者は、このおはなしをつくってくれるようにせがんだ孫たちが目をかがやかせた喜びを、日本の子どもたちにも伝えることができるうれしさでわくわくしているという、と書いている。
わたしは、たんなる色の点である登場人物でしかでてこない、この絵本を前に、油汗を流している。なんとか、感想文を書こうと、この絵本のエッセンスを言葉にしたいと転げまわる。しかし、だめなのだ。できないのだ。とても悲しいことだ。いつの日か、自分の言葉で語ってみたい絵本。だから、本当は、まだ書くべきでないかもしれないが、夢中になって、宿題印として、この絵本の「訳ぶん」を書き付ける。
いつの日か、自分の言葉で感想を書きたいという願いをこめて。
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『あおくん と きいろちゃん」
あおくんです
(あおい ちぎったまる一つ)
あおくんの おうち ぱぱと ままと いっしょ
(つちいろのなか「いえ」に 大小の ちぎった あおい まる 3つ)
おともだちが たくさん
(あか、茶、だいだい、あお 朱のちぎったまる)
でも いちばんの なかよしは きいろちゃん
(あお と きいろの ちぎったまる)
きいろちゃんの おうちは とおりのむこう
(つちいろのなかに、大小の ちぎった きいろのまる3つ)
みんな かくれんぼが だいすき
(くろいえだのかげに あか 朱 きいろ 茶 あおの丸がくっついている)
ひらいた ひらいた なんのはな ひらいた
(いろんないろのちぎりまるが 輪になっている)
きょうしつでは みんな きちんと ならんでるけれど
かえりみちでは とんだり はねたり
あるひ あおくんの ままは おかいもの 「おるすばん たのんだわ あおくん」
だのに あおくんは きいろちゃんと あそびたくなりました
おやおや きいろちゃんの おうちは からっぽです
どこだろう
ここかしら
あちこち さがして.....とうとう まちかどで
ばったり あ きいろちゃん
良かったねあおくんと きいろちゃんは うれしくて
(あおと きいろが少し 重なって、その部分が みどり に なる)
もう うれしくて うれしくて
(重なり部分がふえて みどり がふえる)
とうとう みどりに なりました
(かんぜんに ひとつの みどりのまるに なる)
あおくん と きいろちゃんは こうえんへ あそびに いきました
(ひとつの みどりのまる が おおきな いくつかのしぶいみどりのちかくにある)
とんねるくぐりをしたり
(くろいとんねるの中に みどりの まる一つ)
おれんじちゃんと おっかけっこ
(みどりのまる一つと おれんじの まる一つ)
おやまにも のぼったり
(くろいやまのとちゅうに みどりの まる一つ)
ああくたびれた
(みどりのまる 一つ)
おうちにかえって いきました
(みどりのまる 一つ)
ところが
「おや この みどりのこ うちの あおくんじゃないよ」
あおくんの ぱぱと ままは いいました
こっちでも
「おや この みどりのこ うちのきいろちゃんじゃないよ」
きいろちゃんの ぱぱと ままも いいました
あおくんと きいろちゃんは かなしくなって なきました
おおつぶの あおいなみだと きいろい なみだが こぼれました
(一つの みどりのまるから こまかい あおと きいろ なみだが 出ている)
ないて ないて なきました
ふたりは ぜんぶ なみだに なってしまいました
(こまかい あおと きいろ の 点でできた山二つ)
あおの なみだは あおくんに きいろのなみだは きいろちゃんになりました
「これなら ぱぱや まま きっと まちがいっこないね」
(なみだが固まって あおと きいろのまるになったもの二つ)
ぱぱも ままも あおくんを みて おおよろこび
しっかりとだきあげました....おやおや ごらん みどりになるよ
(あおいパパのおおきなまると あおくんのちいさな まるが重なった部分がみどりになる)
こんどは きいろちゃんを だきあげました....おやおや ごらん みどりになるよ
ぱぱにも ままにも やっと わけが わかりました
そこで とおりのむこうの
きいろちゃんの おうちへに わくわくしながら わけを はなしに いきました
おやたちも うれしくて やっぱり みどりに なりました
(あお と きいろの おおきなまるの 重なった部分が みどりになる)
こどもたちは ばんごはんまで たのしく あそびました
(さまざまな いろの ちいさなまるが あつまって いる。なかにはあおくんと きいろちゃんの 大きくかさなった部分がみどりになっているように あかとだいだいが ちょっと重なって、重なり部分が朱になっている まるもある)
おわり
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完全 脱帽。すべての文章に まるの絵がついているが いちいちの説明はうるさいので 途中説明省略しました。