【近代各国語訳】当時ヨーロッパ各国教会で公認のラテン語訳聖書《ウルガタ》にもとづき,これを逐語訳ないし意訳・翻案することがおもに《詩篇》や福音書などについて行わ近代各国語訳】
中世においてもれていたが,近代各国語による聖書完訳が本格化するのは宗教改革を待たねばならなかった。ただし,ドイツにおいては最初のドイツ語完訳聖書《メンテル聖書》が 1466 年に出版され,イギリスにおいても 14 世紀末ウィクリフの提唱のもとに一門の人々が完成した全訳《ウィクリフ派英訳聖書》(1385 ころ,改訳 1395 ころ) が見られるが,その完成後直ちに教会当局の厳しい弾圧を受けたこと,またなお印刷期以前であったため,この英訳聖書は広く流布するに至らなかった。
中世における聖書翻訳がいずれもラテン語訳聖書からの重訳であり,おもに写本の形で限られた範囲内の流布にとどまったのに対して,原典であるヘブライ語旧約聖書,ギリシア語新約聖書からの直接訳を試み,印刷本として広く流布される近代語聖書翻訳は, 《ルター訳聖書》(新約 1522,完訳 1534) を嚆矢とする。これに踵 (くびす) を接してイギリスの《ティンダル訳新約聖書》(1624) をはじめ,オランダ,デンマーク,スウェーデン,フィンランドなどで近代語訳聖書翻訳の気運が滔々 (とうとう) として起こった。とくにイギリスでは,16 世紀の間に約 10 種に及ぶ英訳聖書が相次いで出版された。おもなものは,プロテスタント系の《カバデル訳聖書》(1535), 《大聖書》(1539),《ジュネーブ聖書》(1560), 《主教聖書》(1568) であり,また唯一のカトリック系訳として《リームズ・ドゥエー聖書》(新約 1582,完訳 1610) がある。
そして,これらの英訳聖書の頂点に立つのが 1611 年刊行の《欽定訳聖書》である。これはジェームズ 1 世の命を受けて,当代を代表する五十数名の聖職者・学者が周到な計画のもとに, 《ティンダル訳》以来の既刊の英訳聖書の長を採り短を補って訳出したもので,シェークスピアの英語と並んで近代英語の性格を決定したと評される名訳であり,英米人の精神・思想・感情生活に大きな影響を与えた。その簡素で古典的な魅力ある文体は, 3 世紀半をこえた今日においても英米人の愛誦してやまないところだが,この間の英語の少なからぬ変化と聖書本文批評の進歩は,時代に即応した新訳を要求することになった。とくに 19 世紀末,《欽定訳》の〈改訳〉が公刊されて後は,新訳・改訂訳が相次いで試みられ,20 世紀の間に 50 種類に及ぶ英訳聖書が英米で刊行されている。その中でとくに注目すべきは,《欽定訳》の伝統を可能なかぎり尊重しつつ,これに必要最少限の現代化を試みたアメリカの《改訂標準訳聖書》(新約 1946,完訳 1952‐57) と,これに対して《欽定訳》の伝統をあえて絶ち現代イギリス英語で訳出した格調ある《新英語聖書》(新約 1961,完訳 1970),およびアメリカ聖書協会版のアメリカ口語訳《現代英訳聖書》(新約 1966,完訳 1976) である。 《改訂標準訳》はアメリカ・プロテスタントの公認訳として計画されたが,イギリス・カトリック教会はまもなくこれにわずかな変更を加えてその公認訳とした。また《現代英訳》に範をとったものが,ドイツ語版 (新約 1967,完訳 1982),フランス語版 (新約 1971),オランダ語版 (新約 1972) として出版されている。
英米以外に目を転じると,ドイツでは《ルター訳》の現代改訂版のほか,スイス改革派の《チューリヒ聖書》(1954) やカトリック系の《グリューネワルト聖書》(1924‐26), 《ヘルダー聖書》(1965) などが注目をひく。フランスでは,近代初期に新・旧両派の対立がとくにはげしく, 聖書翻訳が当局の強い圧迫を受けたため,イギリスにおける《欽定訳》,ドイツにおける《ルター訳》のような古典的標準訳は育たなかったが,現代フランス語訳としては《スゴン訳聖書》(1880) などのほか,正確で名訳と評される《エルサレム聖書》が出色であり,これを範として英語版とドイツ語版が 1966 年に刊行されている。フランス語訳では,新・旧両派の協力になる《共同訳》(新約 1972) も注目される。
なお日本では,ドイツ生れの宣教師ギュツラフによるヨハネ伝《約川福音之伝》(1837) が最初の日本語訳といわれる。本文はかたかなで,神をゴクラク,ロゴスをカシコイモノ,聖霊をカミと訳している。キリシタン禁令解除後の最初の完訳聖書は《合同訳》 (新約 1880,旧約 1888) で,明治期の日本文化・思想の形成に大きな影響を与えた。これを改訂した流麗な《文語訳聖書》(1917) は今なお愛誦する人が少なくない。その後時代の要請に応じ,日本聖書協会による《口語訳聖書》(新約 1954,完訳 1955) のほか,聖書学者とくに無教会派の人々によるすぐれた個人訳が公刊されており,またカトリック系ではバルバロ=デル・コル訳《口語聖書》 (新約 1953,完訳 1964) などがあり,さらに新・旧両派合同による《新約聖書共同訳》(1978) が新しい聖書翻訳の試みとして注目を受けている。
寺沢 芳雄
【聖書解釈史】
聖書は解釈不要の神託書ではない。語られ伝えられた記録 (伝承) を特定の時代の宗団に意味あらしめる行為がつねになされた。 聖書解釈はすでに旧約聖書の中でも預言者などによって行われた。ユダヤ教の解釈の中心は生活への教示であったが,黙示論的解釈もあり,アレクサンドリアなどでは比喩的解釈も行われた。新約聖書では予型論的解釈が行われ,イエスの救済を原型 (アンティテュポス) とし,旧約にその予型 (テュポス) が見られるとして,旧・新約聖書の約束―成就の関係を明瞭にした。後 2 世紀,マルキオンなどの字義的解釈に対抗し,旧・新約聖書の統体性を維持しえたのはこの解釈による。
3 ~ 5 世紀の解釈論争の中心は,アレクサンドリア学派対アンティオキア学派の対立である。前者の中心オリゲネスは,聖書が非道徳的,反理性的だとの非難を反駁 (はんばく) するため,プラトン哲学を援用し,体・魂・霊に対応する字義的・信仰的・秘義的 (比喩的) 解釈を主張した。これに対して,アンティオキア学派は,アリストテレス哲学に拠り,ユダヤ教学者の影響も受けて, 聖書の啓示の歴史的事実性を強調した。アウグスティヌスをはじめ,古代末期から中世の西方教会は,一方において,この比喩的解釈を発展・体系化した。 聖書の 4 重の意味,(1) 字義的・歴史的, (2) 比喩的,(3) 転義的・倫理的,(4) 象徴的・隠喩的・天的啓示的意味が聖書の全章節に適用された。これに対し,ドミニコ会などを中心として聖書の字義的意味の重要性の主張も並行した。中世末期に至ると,ユダヤ人学者,人文主義者の影響で聖書の文法的・字義的解釈が盛んとなった。
16 世紀の宗教改革者の解釈は聖書を文法的解釈によってとらえ,その福音の真理を教権および教会伝承の上位に置いた。その後,それは教理として固定化され,プロテスタント正統主義となった。この教理,信条の固定化に対して起こったのが,会衆派教会や敬虔主義を背景とする反信条的な聖書主義である。他方,17 世紀の合理主義,18 世紀の啓蒙主義の影響の下に聖書の批判的研究が成立し,文法的・歴史的解釈がそれまでの教理神学から独立した。その代表者がガーブラーJohann Philipp Gabler (1753‐1826) である。とくに 19 世紀末以来第 1 次世界大戦まで,時代思潮の影響の下に進歩史観にもとづく聖書宗教思想の解釈が風靡 (ふうび) した。この近代主義に反発したのが,ファンダメンタリズムといわれるアメリカに始まった運動であり, 聖書の霊感と無呈(むびゆう) 性,キリストの神性と処女降誕,代理的贖罪 (しよくざい),体のよみがえり,再臨の五つの根本教理を堅持し,他を自由主義者と呼んで区別した。第 1 次大戦後の進歩主義への幻滅と人間の問題性の深い認識は, 聖書の歴史的解釈の限界を自覚させ,実存主義的・神学的解釈を生み出した。最近では,このほか構造主義的解釈,文芸学的・共時的解釈などが行われ,新しい解釈への展開が見られる。 ⇒キリスト教∥聖書学∥ユダヤ教
左近 淑
中世においてもれていたが,近代各国語による聖書完訳が本格化するのは宗教改革を待たねばならなかった。ただし,ドイツにおいては最初のドイツ語完訳聖書《メンテル聖書》が 1466 年に出版され,イギリスにおいても 14 世紀末ウィクリフの提唱のもとに一門の人々が完成した全訳《ウィクリフ派英訳聖書》(1385 ころ,改訳 1395 ころ) が見られるが,その完成後直ちに教会当局の厳しい弾圧を受けたこと,またなお印刷期以前であったため,この英訳聖書は広く流布するに至らなかった。
中世における聖書翻訳がいずれもラテン語訳聖書からの重訳であり,おもに写本の形で限られた範囲内の流布にとどまったのに対して,原典であるヘブライ語旧約聖書,ギリシア語新約聖書からの直接訳を試み,印刷本として広く流布される近代語聖書翻訳は, 《ルター訳聖書》(新約 1522,完訳 1534) を嚆矢とする。これに踵 (くびす) を接してイギリスの《ティンダル訳新約聖書》(1624) をはじめ,オランダ,デンマーク,スウェーデン,フィンランドなどで近代語訳聖書翻訳の気運が滔々 (とうとう) として起こった。とくにイギリスでは,16 世紀の間に約 10 種に及ぶ英訳聖書が相次いで出版された。おもなものは,プロテスタント系の《カバデル訳聖書》(1535), 《大聖書》(1539),《ジュネーブ聖書》(1560), 《主教聖書》(1568) であり,また唯一のカトリック系訳として《リームズ・ドゥエー聖書》(新約 1582,完訳 1610) がある。
そして,これらの英訳聖書の頂点に立つのが 1611 年刊行の《欽定訳聖書》である。これはジェームズ 1 世の命を受けて,当代を代表する五十数名の聖職者・学者が周到な計画のもとに, 《ティンダル訳》以来の既刊の英訳聖書の長を採り短を補って訳出したもので,シェークスピアの英語と並んで近代英語の性格を決定したと評される名訳であり,英米人の精神・思想・感情生活に大きな影響を与えた。その簡素で古典的な魅力ある文体は, 3 世紀半をこえた今日においても英米人の愛誦してやまないところだが,この間の英語の少なからぬ変化と聖書本文批評の進歩は,時代に即応した新訳を要求することになった。とくに 19 世紀末,《欽定訳》の〈改訳〉が公刊されて後は,新訳・改訂訳が相次いで試みられ,20 世紀の間に 50 種類に及ぶ英訳聖書が英米で刊行されている。その中でとくに注目すべきは,《欽定訳》の伝統を可能なかぎり尊重しつつ,これに必要最少限の現代化を試みたアメリカの《改訂標準訳聖書》(新約 1946,完訳 1952‐57) と,これに対して《欽定訳》の伝統をあえて絶ち現代イギリス英語で訳出した格調ある《新英語聖書》(新約 1961,完訳 1970),およびアメリカ聖書協会版のアメリカ口語訳《現代英訳聖書》(新約 1966,完訳 1976) である。 《改訂標準訳》はアメリカ・プロテスタントの公認訳として計画されたが,イギリス・カトリック教会はまもなくこれにわずかな変更を加えてその公認訳とした。また《現代英訳》に範をとったものが,ドイツ語版 (新約 1967,完訳 1982),フランス語版 (新約 1971),オランダ語版 (新約 1972) として出版されている。
英米以外に目を転じると,ドイツでは《ルター訳》の現代改訂版のほか,スイス改革派の《チューリヒ聖書》(1954) やカトリック系の《グリューネワルト聖書》(1924‐26), 《ヘルダー聖書》(1965) などが注目をひく。フランスでは,近代初期に新・旧両派の対立がとくにはげしく, 聖書翻訳が当局の強い圧迫を受けたため,イギリスにおける《欽定訳》,ドイツにおける《ルター訳》のような古典的標準訳は育たなかったが,現代フランス語訳としては《スゴン訳聖書》(1880) などのほか,正確で名訳と評される《エルサレム聖書》が出色であり,これを範として英語版とドイツ語版が 1966 年に刊行されている。フランス語訳では,新・旧両派の協力になる《共同訳》(新約 1972) も注目される。
なお日本では,ドイツ生れの宣教師ギュツラフによるヨハネ伝《約川福音之伝》(1837) が最初の日本語訳といわれる。本文はかたかなで,神をゴクラク,ロゴスをカシコイモノ,聖霊をカミと訳している。キリシタン禁令解除後の最初の完訳聖書は《合同訳》 (新約 1880,旧約 1888) で,明治期の日本文化・思想の形成に大きな影響を与えた。これを改訂した流麗な《文語訳聖書》(1917) は今なお愛誦する人が少なくない。その後時代の要請に応じ,日本聖書協会による《口語訳聖書》(新約 1954,完訳 1955) のほか,聖書学者とくに無教会派の人々によるすぐれた個人訳が公刊されており,またカトリック系ではバルバロ=デル・コル訳《口語聖書》 (新約 1953,完訳 1964) などがあり,さらに新・旧両派合同による《新約聖書共同訳》(1978) が新しい聖書翻訳の試みとして注目を受けている。
寺沢 芳雄
【聖書解釈史】
聖書は解釈不要の神託書ではない。語られ伝えられた記録 (伝承) を特定の時代の宗団に意味あらしめる行為がつねになされた。 聖書解釈はすでに旧約聖書の中でも預言者などによって行われた。ユダヤ教の解釈の中心は生活への教示であったが,黙示論的解釈もあり,アレクサンドリアなどでは比喩的解釈も行われた。新約聖書では予型論的解釈が行われ,イエスの救済を原型 (アンティテュポス) とし,旧約にその予型 (テュポス) が見られるとして,旧・新約聖書の約束―成就の関係を明瞭にした。後 2 世紀,マルキオンなどの字義的解釈に対抗し,旧・新約聖書の統体性を維持しえたのはこの解釈による。
3 ~ 5 世紀の解釈論争の中心は,アレクサンドリア学派対アンティオキア学派の対立である。前者の中心オリゲネスは,聖書が非道徳的,反理性的だとの非難を反駁 (はんばく) するため,プラトン哲学を援用し,体・魂・霊に対応する字義的・信仰的・秘義的 (比喩的) 解釈を主張した。これに対して,アンティオキア学派は,アリストテレス哲学に拠り,ユダヤ教学者の影響も受けて, 聖書の啓示の歴史的事実性を強調した。アウグスティヌスをはじめ,古代末期から中世の西方教会は,一方において,この比喩的解釈を発展・体系化した。 聖書の 4 重の意味,(1) 字義的・歴史的, (2) 比喩的,(3) 転義的・倫理的,(4) 象徴的・隠喩的・天的啓示的意味が聖書の全章節に適用された。これに対し,ドミニコ会などを中心として聖書の字義的意味の重要性の主張も並行した。中世末期に至ると,ユダヤ人学者,人文主義者の影響で聖書の文法的・字義的解釈が盛んとなった。
16 世紀の宗教改革者の解釈は聖書を文法的解釈によってとらえ,その福音の真理を教権および教会伝承の上位に置いた。その後,それは教理として固定化され,プロテスタント正統主義となった。この教理,信条の固定化に対して起こったのが,会衆派教会や敬虔主義を背景とする反信条的な聖書主義である。他方,17 世紀の合理主義,18 世紀の啓蒙主義の影響の下に聖書の批判的研究が成立し,文法的・歴史的解釈がそれまでの教理神学から独立した。その代表者がガーブラーJohann Philipp Gabler (1753‐1826) である。とくに 19 世紀末以来第 1 次世界大戦まで,時代思潮の影響の下に進歩史観にもとづく聖書宗教思想の解釈が風靡 (ふうび) した。この近代主義に反発したのが,ファンダメンタリズムといわれるアメリカに始まった運動であり, 聖書の霊感と無呈(むびゆう) 性,キリストの神性と処女降誕,代理的贖罪 (しよくざい),体のよみがえり,再臨の五つの根本教理を堅持し,他を自由主義者と呼んで区別した。第 1 次大戦後の進歩主義への幻滅と人間の問題性の深い認識は, 聖書の歴史的解釈の限界を自覚させ,実存主義的・神学的解釈を生み出した。最近では,このほか構造主義的解釈,文芸学的・共時的解釈などが行われ,新しい解釈への展開が見られる。 ⇒キリスト教∥聖書学∥ユダヤ教
左近 淑