とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

聖書の外典と偽典 3

2006年12月07日 09時45分04秒 | 宗教・哲学・イズム
【聖書の外典と偽典】
[旧約外典・偽典]
 〈外典 (アポクリファ) 〉の原語apokrypha (アポクリュファ) は〈隠されたもの〉を意味するギリシア語である。この言葉は,〈秘義的な教えを記しているゆえに特定の集団の外部に対して隠されるべき書物〉という意味でも用いられたが,やがて〈異端的内容のゆえに排除され隠されるべき書物〉という意味をもつに至った。古代教会においては apokrypha は後者の意味で〈旧約偽典〉および〈新約外典〉を指すことが多く, 〈旧約外典〉は〈教会の書物 libri ecclesiastici〉などと呼ばれた。ルターが旧約外典を,〈Apokrypha,すなわち聖書と同様に扱うべきではないが,読んで有益な書物〉という標題とともにそのドイツ語訳聖書に収録して以来,これがプロテスタントの標準的な語法となった。これに対してカトリックは,1546 年トリエント公会議において,ルターの外典を正典 (正確には第 2 正典) とみなす立場を再確認した。その際,《第 1・第 4 エズラ書》と《マナセの祈り》は, 《ウルガタ》の〈補遺〉として巻末に別置され,正典から除かれた。
 旧約外典は,ほぼ《七十人訳聖書》にあってヘブライ語旧約聖書に含まれなかった文書と一致する。それらは,(1) 歴史・伝説――《第 1・第 2 マカベア書》《第 1 エズラ書》《ユディト書》《ダニエル書への付加》《エステル記への付加》, (2) 教訓的説話文学――《トビト書》, (3) 知恵と教え――《ソロモンの知恵》《ベン・シラの知恵》《バルク書》《エレミヤの手紙》, (4) 祈り――《マナセの祈り》,以上である。 《七十人訳》に含まれる《第 3・第 4 マカベア書》と《ソロモンの詩篇》は,普通偽典に数えられる。 〈パレスティナをも含むヘレニズム世界において,前 2 世紀ごろから後 1 世紀ごろにかけて成立したユダヤ教文書で,ユダヤ教の正典 (ヘブライ語旧約聖書) からは排除されたが,キリスト教会によって受け入れられ愛好されてきた文書〉というのが,旧約外典のおおまかな定義といえるであろう。
 これに対して旧約偽典は〈正典にも外典にも属さない,ヘレニズム時代のユダヤ教文書〉 (いわゆるラビ文献は除く) を指す。偽典は外典と,成立年代,地域,原語,いずれも区別はない。いずれもその大部分の原語はヘブライ語ないしアラム語,一部がギリシア語である。しかし外典がすべてギリシア語 (一部ヘブライ語) で伝えられてきたのに対して,偽典はその一部のみがギリシア語で,他はエチオピア語,シリア語,古代教会スラブ語,ラテン語などの訳で伝えられており,偽典が特定の地域や集団においてのみ受け入れられていたことがうかがわれる。 〈偽典〉の原語であるpseudepigrapha (プセウデピグラファ) は,古代教会においては,〈偽名の書〉つまり,古代イスラエルの著名人の名を著者名に用いた後代の偽書,それゆえ内容上も偽りの誤った教えを含む書物を意味した。近代以降,正典外の古代ユダヤ教文書を外典と偽典に分けるようになり,上述のごとき語法が一般化した。
 旧約偽典のおもなものとして,(1) 歴史・伝説――《第 3 マカベア書》《エレミヤ余録》《預言者の生涯》, (2) 教訓的説話――《アリステアスの手紙》《アダムとイブの生涯》《ヨセフとアセナテ》《ヨベル書》《イザヤの殉教》, (3) 知恵と教え――《 12 族長の遺訓》《アブラハムの遺訓》《ヨブの遺訓》《第 4 マカベア書》, (4) 詩歌――《ソロモンの詩篇》,(5) 黙示文学――《シビュラの託宣》《エチオピア語エノク書》《スラブ語エノク書》《第 4 エズラ書》《モーセの遺訓 (昇天) 》《シリア語・ギリシア語バルク書》などが挙げられる。旧約外典・偽典は,キリスト教の発生の歴史的な理解と解明のために,不可欠の資料である。
[新約外典]
 新約外典は,最終的に正典に入れられなかった古代教会の文書で,内容上あるいは文学形式上正典諸文書に類似し,みずから正典的であることを要求したものを指す (ただし,いわゆる使徒教父文書は別個に取り扱う)。その年代はだいたい後 2 世紀から 5 世紀までである。外典は正典の記事を補足・拡充・発展させる傾向をもち,空想的・通俗的な大衆文学の装いをとる場合が多いが,その際異端的教説,特にグノーシス主義的なものが見いだされる場合も多い。新約外典のおもなものは,(1) 福音書――《ペテロ福音書》《ニコデモ福音書》《トマス福音書》《ヤコブ原福音書》《ヘブル人福音書》, (2) 使徒行伝――《ペテロ行伝》《パウロ行伝》《アンデレ行伝》《トマス行伝》, (3) 書簡――《ラオデキア人への手紙》《パウロとコリント人との往復書簡》《セネカとパウロの往復書簡》, (4) 黙示文学――《イザヤの昇天》《ペテロ黙示録》《パウロ黙示録》《シビュラの託宣》, (5) 詩歌――《ソロモンの頌歌》《ナハシュ派の詩篇》, (6) 教え――《ペテロの宣教》などである。外典には,比較的古いイエスの語録伝承が保存されている可能性もある。また新約外典は新約聖書の中に認められる様式類型を拡大する傾向にある。さらに初期キリスト教史研究にとって新約外典は不可欠の資料である。
 ところで,中世以降も多くの〈外典〉が〈発見〉され,あるいは生み出された (《偽マタイ福音書》《マリアの地獄めぐり》など)。これらはキリスト教徒大衆の心情を反映し,芸術などに与えた影響も大きい。外典という言葉はこのように拡大して用いられる場合もある。これらも含めて一般に経外文書の芸術・文学に対する影響は正典に優るとも劣らない。
土岐 健治
塢聖書の翻訳と解釈塋
【古代語訳】
 聖書の古代語訳とは,近代各国語訳に対して用いられる場合と,旧約の標準本文としてユダヤ教団で伝承されてきた〈マソラ本文〉以外の非マソラ系古代本を含む場合がある。 〈サマリア五経〉 (あるいは〈サマリア五書〉) は後者の例であり,ヘブライ語の一方言としてのサマリア語で書かれ,ユダヤ教団からサマリア派教団の分離 (前 2 世紀ころ) 後,サマリア派教団の権威的正典として伝達されてきたもので,内容としては〈モーセ五書〉に《ヨシュア記》以後の歴史の要約を付したものである。現存写本で最も古いものは後 11 世紀以後のものであるが,この本文の型が紀元前に由来することは〈死海写本〉断片で確かめられる。
 その他のセム語系の古代語訳としては,アラム語訳とシリア語訳とがあるが,前者は,バビロン捕囚以後ユダヤ教会堂 (シナゴーグ) においてヘブライ語聖書朗読後, 1 節ないし 3 節ごとに口頭でアラム語に翻訳される習慣に由来し,それを〈タルグムtargum〉 (複数形タルグミーム, 〈翻訳〉の意) と呼んだ。紀元前すでに書き記し始められ,逐語訳と敷衍 (ふえん) 訳とが並存した。 〈五書〉〈預言者〉〈諸書〉それぞれのタルグミームがあり,現存する最古のものは後 2 世紀のパレスティナに起源するものである。 〈タルグム・オンケロス〉は,敷衍的要素を排した〈五書〉の改訂訳である。 〈預言者〉の公認タルグムは〈タルグム・ヨナタン〉といわれる。シリア語訳は,後 1 ~ 2 世紀にパレスティナから東方に持ち込まれ,長期の改訂を経て,〈ペシッタ〉 (〈単純〉の意) といわれる公認旧・新約聖書シリア語訳が後 5 世紀に完成した。このほか,フィロクセヌス版は新約に《詩篇》を付したもの,シロ・パレスティナ聖書と西方アラム語訳は,パレスティナの西方アラム語の方言による訳。新約聖書としてはヘラクレア版 (後 7 世紀) がある。
 インド・ヨーロッパ語系の古代語訳としては,ギリシア語訳とラテン語訳とがある。最古のギリシア語訳である《七十人訳聖書》のほか,前 1 世紀および後 1 世紀にそれぞれ《七十人訳》の改訂版が存在したことが〈死海写本〉によって知られ,後 1 世紀の改訂版が従来のテオドティオン訳と同定されつつある。後 2 世紀のユダヤ教徒訳としてはアクイラ訳,シュンマコス訳がある。これらとその他のギリシア語訳などを集大成したのがオリゲネスの《ヘクサプラ (六欄聖書) 》である (後 3 世紀)。これらはその後諸地方本によって流布され,後 4 ~ 5 世紀の〈大文字写本〉に結実した。ラテン語訳は,《ウルガタ》に先立って,後 2 世紀より,ローマ帝国統治下の北アフリカ,イタリア,ガリア,スペインなどに《古ラテン語訳聖書 (ウェトゥス・ラティナ) 》が広まった。 キプリアヌスの著作に最古の引用が残されており,その他の断片とともに現在校訂中である。このほか,コプト語訳は,旧・新約とも後 3 世紀にさかのぼる。エチオピア語訳は,後 4 世紀のキリスト教伝道に由来し,旧約は 5 ~ 8 世紀に徐々に,新約は 6 世紀に翻訳された。
左近 淑
【東方の諸訳】
 アルメニア語訳は正確さと写本の多いことで知られている。 5 世紀前半に修道士メスロプ・マシトツがメソポタミアで神学を学び,そのかたわらアルメニア語の新しい文字体系を考案した。 聖書の翻訳は,410 年ころからシリア語訳にもとづいて進められ,メスロプ・マシトツとその弟子がこの事業にたずさわった。新約についてはいったん翻訳が完成したのち,正確を期すためにローマにギリシア語写本を求めて改訳したと伝えられる (433 ころ)。なお一説によれば,当時のアルメニア教会の首長カトリコスのサハクSahak (イサアク Isaak) がこの事業を後援しただけでなく,みずから翻訳に手をくだしたともいわれる。アルメニア語訳は新・旧約のほか,多数の外典を含む。新約は 8 世紀までに改訂が行われたが,その原本がシリア語かギリシア語かをめぐって,今なお論争が続いている。アルメニアの隣国で,やはり早くからキリスト教を受け入れ,独自の文字体系を有したグルジアでも,古くから聖書の翻訳が行われたが,その間の経緯は伝わっていない。だがグルジア語訳聖書の最古の写本は 9 世紀末にさかのぼる。
 スラブ語訳は,マケドニア,ブルガリア,セルビアなど南スラブ,ロシア,ウクライナなど東スラブの民族の文化形成に大きな役割を果たした。現在なお各国の正教会では,中世の翻訳を多少改訂した教会スラブ語の聖書を典礼で用いている。最初の翻訳は〈スラブ人の使徒〉と呼ばれるテッサロニキ出身のギリシア人キュリロスとメトディオスの手になる。二人は 9 世紀後半,モラビアのスラブ人への布教の目的で,まずスラブ語を表記する文字 (グラゴール文字と呼ばれる。しばしば誤ってキリル文字と混同される) を考案し,次いで典礼書と聖書の一部をスラブ語に翻訳した。定本としたのは,当時のビザンティン教会で使用されたギリシア語の日誦用福音書であったと考えられる。このようにして成立したスラブ人のための翻訳言語を古代教会スラブ語と呼ぶが,これは成立の事情からして南のスラブ人の言語の特徴を有するので,古代ブルガリア語または古代マケドニア語の名称も用いられる。新約全体の翻訳はモラビアで完成し,旧約はのちメトディオスによって完訳されたが,同時代の写本は現存しない。キュリロスとメトディオス兄弟の翻訳はその後弟子たちによって手が加えられた。だが 11 世紀以降の写本で判断するかぎり,翻訳の質は高かったといえよう。
森安 達也
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 聖書の正典化 2 | トップ | 近代各国語訳&聖書解釈史 4 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

宗教・哲学・イズム」カテゴリの最新記事