(よしログ 1)いるよ、こういうクズ日本人。民度が低いとよく言うけど、日本の文明度が低いんだと思う。一部の異常な人という問題じゃなくて、日本のどこを切ってもこういうのが出てくるんだから。 声を上げたこの人は立派だ
久しぶりに我慢できずにキレてしまった。今朝ほぼ満員状態のBTSに乗って時の話。
トンローから乗ってきた50歳前後日本人夫婦の旅行者がドア付近に先に乗っていたタイ人の若いカップルに対して酷い言葉を浴びせていた。
彼らはスーツケースを持っていたので恐らくスワンナプーム空港に行く途中だと思うが、その彼に日本人のクソババアが 「あー邪魔、スーツケース持って電車なんか乗らんでほしいわ」 そして旦那が 「猿どもは気が使えないからな。ホンマ頭悪いわ」 と日本語がわからないと思って酷い言葉をかけていました。
私はそれを聞いて舌打ちをしてしまい、 「うわっ、サングラスのデブに舌打ちされたわ。ほんま最近タイ人民度低いわ。」 と言われました。
私はタイ人だと勘違いされました。もう我慢できなくなって 「おい、次の駅で降りろ。何様なん?謝れ」と日本語で言うと2人とも無言になってアソーク駅で降りて行きました。
関西弁だったので関西人だと思います。明らかに旅行者の装いでした。ほんと気分悪い。2度とタイに来るな。日本にずっといろ。
(よしログ 2)『あたらしい憲法のはなし』文部省、1947。
「みなさんの中には、こんどの戦争に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。
また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戦争はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。
こんな戦争をして、日本の国はどんな利益があったでしょうか。何もありません。ただ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。
戦争は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戦争をしかけた国には、大きな責任があるといわなければなりません。」
1947年5月3日、日本国憲法の施行が始まった。日本政府はこのあたらしい憲法の普及に真剣に取り組んだ。 同日中に、日本人にはまだ馴染みのない主権在民・民主主義・平和主義を説明するべく、『新しい憲法、明るい生活』という冊子2,000万部が全国の家庭に配布された。当時の日本の人口は7800万人。1世帯に一冊は届いただろう。
同年8月2日、文部省は日本人の新しい世代のために『あたらしい憲法のはなし』を新制中学1年の社会教科書として発行した。 日本は、その2年前の9月2日に降伏文書に署名し、ポツダム宣言を公式に受諾した。
東久邇宮稔彦内閣総理大臣が日本再建のための施策の実行計画を各省において作成し、9月末までに報告するように通達したのは、そのわずか9日後の9月11日。 そしてたった1週間後の9月18日の日付の入った「終戦と憲法」と題する法制局書記官兼参事官であった井手成三が所蔵していた文書には、憲法改正の議論、つまり大日本帝国憲法を改正し日本国憲法を作る議論が始まっていた。
GHQが1週間で作った憲法という妄説を好む人口が増えたことにもそれなりの理由があると思うが、現実の憲法制定過程はそんな柔な話でなかったのは、あらゆる文書に記録された攻防を見れば分かる話だ。
そこに真剣に日本の未来を考える人たちがいたことは否定できない。 それを今、反故にしようとする勢力が国会議員の3分の2以上を占める国になった。浅はかな国だ。
私を含む外国人に「出て行け」「帰れ」「黙れ」などと言ってくる人がいますが、それは無意味です。 なぜなら、私たちはその程度の「いじめ」では心が折れることはありません。
合法的に日本に滞在している私は、日本の法律に守られており、発言の自由も保証されています。
さらに、私たちは外国人として仕事をし、納税を通じてこの国の発展に貢献しています。あなたたちに迷惑をかけることはなく、また無関係です。違反した外国人に関しては、日本の法令に基づいて処分されるべきであり、それは私たちとあなたたちには関係がありません。あなたたちは個人として、私たちにそのような命令を出す資格はありません。
こちらは生前の岸井成格さんの証言。安倍、言ってること違うじゃん。
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これ、宮澤喜一の遺言「権力の行使には慎重であるべきだ。これが保守の本流」を岸井さんが伝えた時に受けた反論。