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とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

人間とは何か?永遠の問いにダーウィンの「知」で挑む

2008年04月07日 09時36分24秒 | 猫・動物・生物
『進化と人間行動』長谷川寿一・長谷川眞理子(東京大学出版会)

p3
「進化によって作られた人の本性

 人間の本性を考察するにあたって、本書を貫くもっとも基本的な前提となるの
は、「人は生物である」という事実です。このことが本書のすべての原点になり、
これが「人の本性」に関する他の哲学・思想書との違いを際だたせる点だと言え
るでしょう。先程も述べたように、ヒトが生物だということはあまりにも当たり
前のことなので、この事実を疑うヒトはいないとおもます。ヒトという生物が霊
長類の一員であることや、ヒトが進化の産物であることに異議をはさむ人も、今
日ではほとんどいないに違いありません。しかし、では生物はどのように進化し
てきたのか、生物がどのように環境に適応しているのかということの説明になる
と、残念ながら、まだまだ世間一般の常識になっていません。
 本書は1)ヒトは生物である、という基本的事実から出発し、だとすれば、2)
ヒトは進化の産物である、となると、3)ヒトは、他の生物と同様に、おもに適
応的な進化の過程によって形作られてきた、であれば、4)生物に共通の進化と
適応の原理を考慮することは人間理解に大きく貢献するだろう、という一連の命
題を前提にしています。心と行動も生物学的性質の例外ではありません。ゆえに
5)ヒトの心や行動の成り立ちを説明する上で、進化理論が不可欠な基本原理だ
というのが、本書の中心的なメッセージになります。
 上に述べたように、1)と2)は広く認められているので、本書の主題は、お
もに3)から5)をめぐって書かれています。とはいうものの、1)の大前提が
人々の脳裏から忘れ去られてしまうことがしばしばあります。このことは「人と
動物」という言い回しに端的に表れています。「人も動物」であるはずなのに、
人は動物と違った存在だという、強固な考えが私たちを支配しているようです。


p17~p19
「彼らは、人間の行動に生物学的・遺伝的基盤があるという説明は、人間の現状
が何故こうなっているのかを説明することによって、現状を肯定するものだと批
判しました。人間社会の現状は、差別、不平等、搾取などの不幸と悲惨に満ちて
います。人間の行動を遺伝で説明するのは、こういう状態が生まれることに生物
学的根拠があるとすることであり、それは、現状の差別や不幸を改革していこう
とする努力を無にする保守反動的な行為であると彼らは論じました。
 このように見ていくと、遺伝と環境をめぐる論争、人間の本性を生物学的に検
討しようとする試みにかかわる論争が何であるのかが、だんだんわかってきます。
それは、基本的には、遺伝というものの捉え方、理解の仕方にかかわるものです。

(中略)

生物学的・遺伝的な基盤があるということは、変えようのない運命なのだとい
うのは、先に述べたように「遺伝決定論」の誤りです。
      (中略)
 社会学者、文化人類学者たちの反論にも、「決定論」的に受け取ることの誤り
が含まれていますが、彼らの主張のはそのほかに、「遺伝」対「文化」、「本能」
対「学習」、「からだ」対「心」といった完全二分法が成り立つという誤った仮
定が含まれています。この二分法は、これらが完全に分けられるとは思っていな
いにせよ、一般人にも強く染みついているものです。日常的に、私たちのからだ
の作りは生物学的なものであっても、思考や意志や自分が選択した上での行動は、
生物学的なものとは関係がないという暗黙の思いが強くあるのではないでしょう
か。これは、デカルト以来の心身二元論に根ざすものかもしれません。この考え
を、仮に「反・生物論」と呼んでおきましょう。
 社会学者であろうとなかろうと、このような暗黙の「反・生物論」的前提の上
に立って話をする人は本当にたくさんいます。筆者らが読む学生の答案や感想文
の中にも、「人間は高度な文明と知能を持っているので.......」という言いま
わしは、繰り返して出てきます。でも、私たちはそんなに立派な生き物なのでし
ょうか?私たちの日常生活は、それほど、高度な知能によって運営されているの
でしょうか?学生たちの答案を見ていると、このナイーブな理性至上主義をどこ
でこれほどまでに教え込まれてくるのか、と考えさせられてしまいます。
 もちろん、人間が動物にはない高度な文明を持っていることにも、文化や学習
の力が非常に大きいことにも、疑問の余地はありません。人間が、他の動物たち
とは非常に異なる存在であることも確かです。しかし、文明や文化や合理的知能
や学習があるからといって、遺伝や生物学的制約がなくなってしまったわけでは
ないでしょう。
 それに対して、「反・生物論者」は、「本能」と「それ以上の高度な知能」と
いう二分法を使うようです。そして、動物は本能で動いているが、人間の「本能」
で残っているのは、反射や食欲などの基本的な欲求だけであり、その他の行動は
みな、「それ以上の高度な知能」の部分で行われていると主張します。
これが「遺伝」と「環境」、「本能」と「学習」という二分法が生まれる土壌に
なったのです。
(中略)
 本書で改めて問い直したいのは、このような「反・生物論」の持っている前提
は正しいのだろうかということです。「文化」、「本能」、「学習」、「知能」、
「環境」といった言葉は、正確に何を指しているのでしょう?」

★帯は、「人間とは何か?永遠の問いにダーウィンの「知」で挑む」
目次は以下のようになっています。

1章 人間の本性の探求
2章 進化の概念
3章 遺伝子と行動
4章 「利己的遺伝子」と「種の保存」
5章 ヒトの進化
6章 血縁淘汰と家族の絆
7章 血縁関係間の葛藤
8章 協力行動の進化
9章 雄と雌の葛藤(性淘汰の理論と証拠)
10章 ヒトの繁殖と配偶システム
11章 ヒトの配偶者選択・配偶者防衛
12章 再び遺伝と環境、学習、文化
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