とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

聖書を学ぶ危険性

2006年05月02日 15時54分53秒 | 宗教・哲学・イズム
キリスト教が今昔関係なく土台となっている国の本を読むと、聖書の知識が
必要になってくる時がある。何をいいたいのか、意味がわからないからだ。

ところが、聖書も、解釈がさまざまあるのだそうだ。
そのためにも神学というのがあるのだろうか?

きちんとした聖書の解釈を知りたかったら、
神学を修めた人が講義するところへいけばいい。
つまり、てっとりばやくは、きちんとした教会へ行くことだ。

一昔の話になるが、ある知人は、カトリックの教会へ通った。
むろん、聖書のきちんとした解釈を聞きたくて。

ところが、聖書を読んでいるうちに、ついにキリスト教に魂を奪われてしまった。

彼女は、ついに洗礼を受けた。洗礼名を聞いたが、キリストが大事なお話をしている時に聞かず、うろうろと雑事に気をまわして動きまわる女の名前がつけられた.......

よくもまあ、そんな名を.........私は、とてもここでは言えない。

以後、わたしは、聖書を仕方なく調べる時も気をつけている。
うっかりすると、聖書の文章が頭に残る。まあ、そう影響ないが。

クルスチャンになりたくない。
この思いは、宗教というものが、まだよく」わからないからだが、救済はそんなに安直になされるものかという疑惑がある。
あとは、じつは私はもと理科系だったので、自然科学の偏見なしのゆるぎない灯りが好きだ。
あとは、中学・高校をとおして悩んだ大問題と関係がある。歴史を習っていて、「どうして、紀元後と紀元前との間にキリストって人の誕生が真ん中にあるの?世界をまっぷたつにできる人がこの世にいるの?不思議だ」
こうして、うんうん考え抜いた結果、ある日、パラリと謎がとけた。苦しんだあげくの解答のあまりのあっけなさに......キリストがうらめしくなった。
 
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