とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

聖書 1

2006年12月07日 09時43分21秒 | 宗教・哲学・イズム
聖書 せいしょ
ユダヤ教,キリスト教の聖典。英語のバイブルBibleなど,西欧語での聖書の呼称はギリシア語のビブリア biblia に始まる。この語は紙の原料となるパピルスの茎の内皮を指すビブロス biblos の指小辞ビブリオン biblion (ビブリアは複数形) に由来し,小冊子や書物の一部という普通名詞であったが,キリスト教会において固有名詞化し, 5 世紀ごろから聖書全体がビブリアと呼ばれるようになった。 聖書はイスラムの聖典コーランのような一人物を通しての天啓の書物とは異なって,古代イスラエル民族と原始キリスト教の長い歴史の流れの中で多くの人々の手になった多様な文書を収めている。 聖書は旧約聖書Old Testament と新約聖書New Testament から構成されているが,この区別と名称は 2 世紀になって初期の教会が福音書や書簡などを,イエス・キリストによる〈新しい契約〉を啓示する書物の意味で新約聖書と呼び,ユダヤ教から継承した聖典をこれと区別して〈古い契約〉 (《コリント人への第 2 の手紙》3 : 14) の意味で旧約聖書と呼ぶようになったことに由来する。イエスをメシア (救世主) とは認めないユダヤ教では,キリスト教会によって旧約聖書と名づけられた文書が唯一の聖典である。
【聖書の区分と内容】
[旧約聖書]
 旧約聖書はユダヤ教で成立したヘブライ原典では, 〈律法 (トーラー) 〉〈預言者 (ネビーイーム) 〉〈諸書 (ケスービーム) 〉に区分され,この順に置かれている。ユダヤ教徒は日常的にはこの聖典を,その 3 区分の頭文字をとって〈タナハ Tanakh〉,または読誦を意味する〈ミクラー Miqra ’〉と呼んでいる。原典の構成を邦訳聖書での書名で示せば次のようである。
  (1)〈律法〉は《創世記》《出エジプト記》《レビ記》《民数記》《申命記》の 5 巻, (2)〈預言者〉はさらに〈前の預言者〉と〈後の預言者〉に区分されて,前者は《ヨシュア記》《士師記》《サムエル記》《列王紀》の 4 巻,後者は《イザヤ書》《エレミヤ書》《エゼキエル書》〈小預言者〉の 4 巻で, 〈小預言者〉には《ホセア書》《ヨエル書》《アモス書》《オバデヤ書》《ヨナ書》《ミカ書》《ナホム書》《ハバクク書》《ゼパニヤ書》《ハガイ書》《ゼカリヤ書》《マラキ書》の 12 の小預言書が一括して収められている。 (3)〈諸書〉には〈真理 (エメス) 〉の表題の下に, 《詩篇》《箴言》《ヨブ記》が,また〈巻物 (メギロース) 〉の表題の下に, 《雅歌》《ルツ記》《哀歌》《伝道の書》《エステル記》が置かれ,さらに表題なしに《ダニエル書》《エズラ・ネヘミヤ記》《歴代志》が置かれる。以上ヘブライ原典は合計 24 巻より成る。
 ギリシア語訳 (《七十人訳聖書》) はヘブライ原典と同じく律法書の優位を認めてこれを冒頭に置いているが,それ以外の部分に原典にはない文書 (アポクリファ,後述) を含み,また原典にある書物についても,その配列と区分の仕方が原典とは異なっている。 〈諸書〉は分解されて《ルツ記》や《歴代志》などの書物が〈前の預言者〉に加えられた。それによって《ヨシュア記》以下の一群の書物は預言書ではなく,歴史書として編成された。 《哀歌》はエレミヤと関係させられ, 《ダニエル書》が預言書の仲間入りをし,小預言書は 12 の書物として独立している。もっとも《七十人訳》の書物の配列は写本によってかなり相違しているが, 4 世紀の有力な写本 (〈バチカン写本〉) では,全体が律法書,歴史書,文学書,預言書の順に 4 区分されている。
 この区分と書物の編成はラテン語訳聖書 (《ウルガタ》) に対応しており,これを経由して近代語訳聖書に受け継がれている。したがって今日の旧約聖書の配列は, (1)〈律法書〉5 ――《創世記》《出エジプト記》《レビ記》《民数記》《申命記》, (2)〈歴史書〉12 ――《ヨシュア記》《士師記》《ルツ記》《サムエル記》上・下, 《列王紀》上・下,《歴代志》上・下, 《エズラ記》《ネヘミヤ記》《エステル記》, (3)〈文学書〉5 ――《ヨブ記》《詩篇》《箴言》《伝道の書》《雅歌》, (4)〈預言書〉17 ――《イザヤ書》《エレミヤ書》《哀歌》《エゼキエル書》《ダニエル書》《ホセア書》《ヨエル書》《アモス書》《オバデヤ書》《ヨナ書》《ミカ書》《ナホム書》《ハバクク書》《ゼパニヤ書》《ハガイ書》《ゼカリヤ書》《マラキ書》,合計 39 巻編成である。
 旧約聖書はイスラエル民族の歴史と歴史把握を根本に据えている。律法書の中心部分に置かれた〈モーセの律法〉の長い記述を別とすれば, 《創世記》から《列王紀》下に及ぶ〈律法書〉および〈歴史書〉の内容は,天地創造と人類の展開,アブラハムに始まるイスラエル民族の前史からエジプト下りと脱出,荒野放浪,カナンでの定着,王国の形成と南北の王国への分裂,アッシリアとバビロニアによる両王国の滅亡と捕囚までを扱う大きな歴史叙述である。しかしこの歴史叙述は一般にいう歴史記述ではなく,救済史的な叙述であって,神に反抗する人類とこの民族の歴史の提示である。ことに執筆者たちはこの民族に対する神の選びと契約,この神の導きに対する民族の応答の失敗と再生の道を見つめている。このような歴史叙述を可能にする批判的な人間理解や歴史理解は,国家時代の問題状況や危機の中でヤハウェ主義的知識人たちのうちに形成されて,歴史叙述の諸資料が準備され,執筆された。また捕囚の現実の中で,民族史の反省的回顧が行われて, 《申命記》から《列王紀》に至るまでの書物が編集・執筆された。他方,捕囚からの帰還後のユダヤ教団を指導した祭司階級は,生活秩序を儀礼的に確立する律法を整備し, 〈律法書〉を完成させた。
 〈預言書〉は,主として国家時代の中ごろから捕囚時代,神殿再建期にかけて個々に活動した預言者たちの発言を個別的に編集したものである。総じてアモスからエレミヤに至るまでの国家時代の預言者たちは,民族の伝統に立って,国家・社会・宗教を批判し主として神の審判を通告した。それに対して第 2 イザヤ (《イザヤ書》40 ~ 55) からゼカリヤに至る捕囚以後の預言者たちは,主として民族に対する終末論的救済を告げた。預言者は総じてイスラエルに独自な神義論を提起し発展させた。ユダヤ教時代には文筆活動が一段と活発化して,預言書への加筆や最終的な編集が行われたばかりでなく, 《歴代志》そのほかの〈歴史書〉が執筆された。また信仰者としての個の確立と文芸意識の芽生えに伴って,多様な〈文学書〉が出現した。 《詩篇》や《哀歌》などの神賛美や嘆きの歌集,男女の愛を美しく歌う《雅歌》,預言者的神義論を個人の苦難について展開した《ヨブ記》, 黙示文学の嚆矢 (こうし) となった《ダニエル書》など,それぞれが際だって個性的である。 《ダニエル書》は前 2 世紀中葉のマカベア戦争を前提しており,旧約聖書の中で最も成立の遅い書物である。旧約聖書に収められた書物の多くは民族や個人の危機に際会して書かれている。ユダヤ教団の人々はこれらを会堂 (シナゴーグ) で熱心に学び,また一部を礼拝で朗読したり歌うことを通して,困難な状況を生き抜く信仰とともに,民族としてのアイデンティティを確認したのであった。
[新約聖書]
 新約聖書の構成は《七十人訳》にならっており,書物の配列は次のようである。 (1)〈福音書〉4 ――《マタイによる福音書》《マルコによる福音書》《ルカによる福音書》《ヨハネによる福音書》, (2)〈歴史書〉1 ――《使徒行伝》,(3)〈手紙〉―― (a)〈パウロの手紙〉13 通――《ローマ人への手紙》《コリント人への第 1・第 2 の手紙》《ガラテヤ人への手紙》《エペソ人への手紙》《ピリピ人への手紙》《コロサイ人への手紙》《テサロニケ人への第 1・第 2 の手紙》《テモテへの第 1・第 2 の手紙》《テトスへの手紙》《ピレモンへの手紙》, (b)《ヘブル人への手紙》,(c)《公同書簡》7 通――《ヤコブの手紙》《ペテロの第 1・第 2 の手紙》《ヨハネの第 1・第 2・第 3 の手紙》《ユダの手紙》, (4)〈黙示文学〉1 ――《ヨハネの黙示録》,合計 27 巻である。なお〈パウロの手紙〉とは,パウロの名が冠せられている手紙の呼称であって,パウロの実際の手紙であることを意味せず,そのうち 6 通はパウロの弟子たちが書いたと思われる。パウロの手紙であることが疑われないのは, 《ローマ人》《コリント人第 1・第 2 》《ガラテヤ人》《ピリピ人》《テサロニケ人第 1 》《ピレモン》の 7 通である。そのうち《テサロニケ人第 1 》の成立が新約文書では最も早く,後 50 年ころの執筆と推定され,最も遅いのが《ペテロ第 2 》で, 2 世紀中葉に書かれたと思われる。旧約聖書が最古の伝承の段階から最終的な成立まで約 1000 年を要したのに対して,新約文書は約 100 年の間に地中海東部の沿岸諸地域で執筆された。
 新約聖書の出発点はイエスである。イエスは後 30 年前後の数年間に,義と愛による神の支配について人々に語り,正統的ユダヤ教の律法主義を批判した。イエスの死後弟子たちは,かなりの間記憶と想起によってイエスの言葉と業 (わざ) とを語りつつ伝道した。やがて信頼できる口伝が記述されるようになり,イエスの召命から死と復活にいたるまでの言行を叙述する福音書が 60 年代から 90 年代の終りまでの間に書かれた。福音書はイエスの教えや活動の客観的で伝記的な叙述を意図してはいない。むしろイエスの言行の文書化の過程は,イエス解釈の過程であった。 〈イエス・キリスト〉という語り方自体が,メシア (キリスト) としてのイエス理解を示している。福音書や《使徒行伝》を成立させた初期の信徒たちにおいては,地上のイエスと復活して天に挙げられたキリストは同一視されている。彼らは権威のあった旧約聖書を活用しつつ,イエスの誕生,伝道,受難,死,復活,弟子たちへの顕現,教会の出現,教会の主なるキリストの来臨と審判などの一連の事柄を意義づけた。
 〈パウロの手紙〉もその焦点をイエスの十字架での死と復活および来臨に合わせている。パウロは律法主義者と対決し,キリストの死を人類の罪のゆるしとみなし,信仰による義を強調した。 〈パウロの手紙〉は公開を目的として書かれたものではなかったが,内容の重要さのゆえに教会の間で交換され,写しが作られてしだいにまとめられた。 〈パウロの手紙〉の圧倒的な影響の下に,彼の弟子たちの手紙や《ヘブル人への手紙》,そして《公同書簡》がいわば手紙形式のエッセーとして書かれたが,パウロの弟子たちの手紙は信仰の先達を手本とする生活の堅持を通しての教会形成を目ざしており, 《ヘブル人への手紙》は大祭司キリスト論を展開する説教を試みるなど,それぞれ強調点がパウロとは違っている。 《ヨハネの黙示録》は差し迫った終末のできごとについて,イエスを通しての黙示を伝える形で,信徒を圧迫する悪魔的なローマ帝国が滅びることを象徴的な筆致で述べ,信徒に道を開くキリストの死と勝利の意義を諸教会に説いて励ましを与えている。このように新約聖書の諸文書は,初期のキリスト教会においてさまざまに形成された伝承に基づいて,それぞれのイエス理解と福音の喜びとを人々に伝えようとする信仰の証言であった。
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