酷いなあこりゃ。田は米国債630億ドルを債権放棄した。売ったとか言ってた人がいたが違うよ。債権放棄。🏺田の売国奴は続く。
参考;管理人「金利上昇が長期化するという見通しに市場が適応してきたことから、投資家は 米国債を投げ売り するようになった。 2023年10月初旬に始まった米国債売却は、 史上最悪レベルの暴落 となっており、10月20日には10年物の利回りが2007年以来初めて5%に達した。」???
日本社会はほんとうに「下品」になりましたね。60~70年代はずいぶん野蛮でワイルドな時代でしたけれど「下品」ではなかった。人間の弱さや卑しさや暴力性を直視することと、それを利用して金を儲けたり権力を手にすることはまったく別のことです。
少し前までは権力・財貨と文化資本はいちおう「ワンセット」でした。でも、ある時期から(割と最近)、権力と財貨を持つ人間が文化資本をゴミ扱いするようになった。無教養で反知性主義的であることが強者富者になるための「条件」とは言わぬまでも「捷径」だと信じられるようになった。
「これほど下品なのに金がある」「これほど無教養なのに権力がある」ことが際立った成功例として語られるようになった。ろくでもない社会ですけれど、考えようによっては「権力者が文化資本を独占する気がない」という事態はそれほど悪い話ではありません。
文化資本には実際には強い現実変成力があるからです。世界の成り立ちと人間のありようについて理解が深いこと、感情が豊かなこと、美的感受性が鋭いこと、どれも世界を変える力の淵源になります。今の日本の富者強者たちは「そんなものには価値がない」と思っている。
「文化資本で武装する」チャンスだけは多くの人の前に開かれている。「邦に道なき時に富みかつ貴きは恥なり」です。今の日本は「道なき邦」ですから、ことの筋目を通そうとする人は権力と財貨とは無縁にならざるを得ない。でも、文化資本を享受し「品位を保って生きる」機会には豊かに恵まれている。
憲法は、権力を規制する為の国家権力への法なのだが、憲法第12条は、珍しく明確に国民の義務を示している。 第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。 又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。 日本国が急速に滅亡へと向かっているの、まさに国民がこの憲法第12条の前半部分を蔑ろにしてきたためですよ。