大阪市北区曽根崎新地の雑居ビル「堂島北ビル」には午前10時頃から府警の捜査員や大阪市消防局の消防職員、総務省消防庁の職員らが次々と入った。
ビルの入り口には規制線が張られ、出火現場の4階の窓は割れたまま。窓枠は黒く焼け焦げて外壁にもすすが付着し、炎や煙が激しく噴き出した痕跡が残る。犠牲者の冥福(めいふく)を祈るため、朝から手を合わせたり、献花したりする人々の姿が見られた。
午前11時頃、現場を訪れた大阪市淀川区の無職男性(26)は、窓枠が焼け焦げるなどビルに残る事件の痕跡を目にして涙を流した。
うつ病と発達障害で2年前から通院し、復職に向けたリハビリ「リワークプログラム」にも度々参加していた。17日も当初は午前10時頃にクリニックへ足を運ぶつもりだったが、家事に追われているうちにテレビで火災を知ったという。
「金曜日にいつもクリニックに来ていた臨床心理士の先生の安否がわからない。優しく就職に悩む自分を励ましてくれる先生で、力をもらっていた」と話した。
2021/12/18 13:00
大阪市北区の繁華街・北新地にある雑居ビル4階のクリニックから出火し、24人が死亡した火災で、被害現場となった「西梅田こころとからだのクリニック」の西澤弘太郎院長は、優しく親身になって診察してくれることで知られていた。通院していた患者たちは、院長の安否を気遣った。
《自分自身が患者様の立場になった時にこうであればいいなと思い診療してまいりました》。クリニックのホームページには、院長のあいさつの言葉がこうつづられている。
西澤院長は、その言葉を体現したような人だという。4年前からクリニックに通院している50代女性は「冷静ながら愛情のある人だった。社会復帰を果たせたのは先生のおかげ」と感謝の気持ちを表した。
クリニックは精神科や心療内科の診療が専門で、働く人の鬱病やパニック障害などをサポート。女性によると、患者は40~50代男性が多く、多いときには30人以上の患者が訪れていることもあった。それでも、「院内で人がもめたり、トラブルになったりしているのは見たことがない」。
女性が治療でパニックになった際は、院長が親身になって相談に乗り、丁寧に治療法を説明してくれた。「患者さん思いで、患者の状況に合わせて段階的に治療してくれる先生だった」と振り返る。
そうした中、女性の社会復帰にとりわけ寄与したのが、クリニックの集団治療「リワークプログラム」だ。日によって人数は異なるが、おおむね1回あたり十数人の患者が参加する。院長は患者一人一人の言葉に耳を傾けた上で、「こんな考え方もある」と提案してくれた。「先生はいつも『大丈夫』と声をかけてくれた。リワークで私は立ち直れた」と話した。
一方、令和元年8月から約8カ月間通院していたという40代男性も、リワークプログラムに参加したことがある。「リワークを通じて患者同士で仲良くしている人も結構いた。何年も継続して通院される人も多いと思う」と打ち明ける。西澤院長に対しては「穏やかで、少し早口だけど患者の状況に応じて客観的かつ的確に説明をしてくれた」と振り返った。
火災は17日午前10時20分ごろ、大阪市北区曽根崎新地の堂島北ビルで発生。クリニックの一部約25平方メートルが燃え、30分ほどで鎮圧された。クリニックにいた27人が心肺停止で搬送され、このうち24人の死亡が確認されている。
大阪市北区曽根崎新地で24人が死亡したビル火災で、大阪府警は60代の男が火元の心療内科クリニックに来院直後に放火したとみて、殺人と現住建造物等放火の容疑で捜査本部を設置した。(後略)
大阪市北区の繁華街で17日に発生し、27人が心肺停止になった火災。現場に駆けつけた大阪府内の病院に所属するDMAT(災害派遣医療チーム)の男性隊員(59)が当時の様子を語った。 【写真】黒くすすけた顔で、火災があった雑居ビルから出てきた消防隊員 「火災発生。逃げ遅れが多数」。午前10時30分ごろ、男性が働く病院に、火災の一報が入った。約20分後、大阪府からDMATの出動要請があった。 普段は技師として働き、DMATの現場では情報収集や連絡調整役を担当している。医師1人と看護師1人とともにドクターカーで出発した。 出発前、ツイッターで火災の情報を確認した。投稿された火災現場の動画を見ると、「炎は少しで、ほぼ煙」のように見えた。「煙を大量に吸って一酸化炭素中毒になり、心肺停止になる可能性がある。医療チームとしてあまりできることがないかもしれない」。そう覚悟しながら現場に向かった。 1時間ほど車を走らせて、午後0時10分ごろ、火災現場に到着した。他の病院からもDMATの医師らが来ていた。先に着いていた医師に状況を聞いた。 救命が困難な「黒タグ」は、26人。軽症の「緑」は2人。中等症や重症を意味する黄色や赤のタグはいないという。 救急治療の対象となる負傷者がおらず、現場に着いて30分ほどで撤収せざるを得ないと判断した。他の病院から来たDMATも同様に撤収していった。 隊員は「医療が、介入する余地がなかった。医療を必要とするレベルを超えていました」と無念さを口にした。
毎日新聞 2021/12/18 21:12(最終更新 12/18 21:12) 104文字
大阪市北区曽根崎新地1の雑居ビルにある心療内科クリニックで起きた放火殺人事件で、大阪府警は18日夜、亡くなった男女24人のうち6人の身元が特定されたと発表した。犠牲者の身元が判明するのは初めて。【澤俊太郎】
大阪市北区曽根崎新地1の雑居ビルにあるクリニックで24人が死亡した放火殺人事件では、多くの患者のほか、男性院長も安否が分からなくなっている。クリニックには、精神的な不調で休職し、職場復帰を目指す人や悩みを抱える人たちが多く通っていた。支えとなっていた場所を失った患者らは「心に穴が開いた」「これからどうすればいいのか」と動揺を隠せないでいる。
「先生には本当に助けてもらい、自分の人生で大きな存在だったのに」。18日に現場を訪れた自営業男性(55)は、そう言って涙を流した。
男性は発達障害で、約3年前からこのクリニックに通っていた。虐待を受けて育った経験があり、院長は「50年以上、本当にしんどかったですね」と言ってくれたという。男性は「先生は自分の人生を変えてくれたし、他にも助けられた人はたくさんいる」と語った。
クリニックはJR大阪駅周辺のオフィス街近くにあり、平日は午後10時まで診察し、勤務後に受診する会社員らも多かった。
事件のあった金曜日午前は毎週、「リワークプログラム」と呼ばれる講座が開かれていた。休職中の人らの職場復帰に向け、テーマごとに意見交換をしたり、病気や復職に向けた知識を学んだりする場だった。職場に近い環境に慣れるためのグループワークもあり、多い時は約20人が参加していたという。
院長と交流のあった、障害者雇用支援会社の鈴木慶太さん(44)によると、院長は元々、内科の診療をしていたが、精神的に不調になる会社員らを多く診察し、心療内科の診療も始めたという。
鈴木さんは「午後10時まで診察しているクリニックは少なく、すごく人気があった。先生は復職に向けたサポートに問題意識を持っていて、多くの患者が通っていた」と振り返る。
プログラムを受けていた女性(22)は「私には先生だけが頼りで、心に穴が開いてしまったようです」と話す。4年前から診察を受け、不眠症などに悩む女性に院長は「気にしなくていいよ。困っているのは全部病気のせいだから」と優しく声をかけてくれたという。女性は「先生に診てもらって薬を処方してもらえば楽になった。薬もなくなり、明日からどうしたらいいのか」と困惑した。
うつ病で休職し、受診していた男性(56)は「先生の『苦しんで働かなくていい。休んでくださいね』という温かい言葉が耳に残っている。同じ境遇にある人たちとグループワークを通じて仲良くなれたので、あんな場所が増えてほしかった」と話した。
就労に向けた支援を受けていた20代の女性も「心療内科に通う人たちはみんな過去に嫌な思いをしているのに、なぜ事件でさらに苦しめられなければいけないのか」とうなだれた。
クリニックには約600人が通院していたといい、大阪府は大阪精神科病院協会などを通じ、他の病院に患者を受け入れるよう要請している。【山本康介、芝村侑美、森口沙織、清水晃平】