とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

『犀』   ウジェーヌ・イヨネスコ  加藤新吉氏訳

2007年11月21日 16時49分25秒 | ことば・こころ・文学・演劇
ウジェーヌ・イヨネスコ(Eugène Ionesco)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

生涯

ルーマニア人の父親とフランス人の母親との間に、1909年、ルーマニアのスラチナで生まれた。3歳のときに両親とともにパリに渡る。その後、13歳までほとんどの期間をパリで過ごす。その後ルーマニアに戻り、ブカレスト大学に入学し、そこで1928年、エミール・シオラン、ミルチャ・エリアーデと出会い、3人は終生の友人となった。1936年に結婚し、同じ時期にフランス語教師の資格を取得している。1938年に博士論文を完成させるためにフランスに戻るが、1939年に勃発した第二次世界大戦のために、フランスに残ることになる。そして2度目の結婚を経た後、著述の分野で才能を発揮し始めた。

1950年に『禿の女歌手』を、1951年に『授業』を、1952年には『椅子』を発表。古典劇の規則を無視した「不条理」な作風が、発表当時は受け入れられなかった。しかし、50年代後半より脚光を浴び始め、現代演劇史に大きな足跡を残すことになった。パリのセーヌ左岸にある小劇場、ユシェット座では1957年以来、現在に至るまで継続的に『禿の女歌手』と『授業』の上演を行っている。

1970年には、その功績により、アカデミー・フランセーズ会員に選出された。

1994年に死去。パリのモンパルナス墓地に埋葬された。


作品論
平凡な日常を滑稽に描きつつ、人間の孤独性や存在の無意味さを鮮やかに描き出した。

作品

戯曲
『禿の女歌手』 - 1950年
『授業』 - 1951年
『椅子』 - 1952年
『新しい借家人』 - 1957年
『犀』 - 1960年
『瀕死の王』 - 1962年
『渇きと飢え』 - 1966年
『殺戮ゲーム』 - 1970年
『マクベット』 - 1972年
『この素敵な女館よ!』 - 1973年

演劇論・その他
『ノートと反ノート』 - 1962年




関連項目
フランス文学
フランス関係記事の一覧
中村伸郎  (私注:渋谷のジャンジャンにおいて『授業』のロングランを続けていた方ですね)

最終更新 2007年10月7日 (日) 11:13。(少しカットさせていただきました)

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『犀』 ウジェーヌ・イヨネスコ  加藤新吉氏訳 出典:『イヨネスコ戯曲全集2』(全4巻)白水社 (所持している本は、1969年発行のもの)

 文学座による初演は、1960年10月15日~21日 於文学座アトリエ

巻末の「解説」by 加藤新吉氏の個人的な要約・引用

1961年、ニューヨークにおける『犀』の上演直前に渡米したイヨネスコへのインタビューに対するイヨネスコ自身の答え

「”反演劇とおっしゃるのは、どういう意味でしょう?”」
「”反演劇が演劇なのです。いわゆる演劇的なものが実は演劇に反するものなのです。そういうものはにせ物で、ごまかしだらけで、こぎれいすぎます。言葉もあまりに文学的で、あまりに美しすぎます。わたしが求めているものは、もっと裸のもの、本質的なものです。(小田島雄志訳)”」と言った。”イヨネスコの《裸のもの》《本質的なもの》”とは、”演劇のより原始的な形への回帰の志があるのだろうか。””それははるか時代性を超えたところにあったようである。”

 イヨネスコにとって”リアリズムは真理を解明するものではない。””それはただあるがままのものすぎない。”
 ”イヨネスコは子供のころ、母親といっしょにリュクサンブール公演で見た人形芝居に魅せられたときの記憶を語っている。”

「人形芝居は、人形がしゃべったり動いたり棒でたたき合ったりするというヴィジョンによって、わたしを呆然とさせ、わたしをとらえて放さなかったのだ”」

 (私注:断腸のおもいで、中飛びし、『犀』の話へ移ります)

『犀』とは、政治参加・社会参加ではないのか、というインタビューに対するイヨネスコの答え

――「”自分は政治劇を書いた覚えはなく、全体主義の滑稽さと恐怖を描いた”」

「”『犀』は台頭する政治イデオロギーに対する個人の苦闘を扱ったものですか?”」という問いに答えて

――「”もう少し広いものでしょう。あの劇が描いているのは、あらゆる専制独断の体制、洋の東西を問わず偶像崇拝にまでいくあらゆるイデオロギーに対する苦闘です。ブレヒト信者は憤慨するでしょうがね。わたしは教訓的演劇には興味がないのです。演劇は自立した表現体系です。イデオロギーの解説であるはずはないのです。それに、断定することは、なんだって愚かなことですよ。2流の知性、Bクラスのインテリだけが激しい断定をするのです”」
(私注:日本語に変換すると角が立つというか、強く感じますでしょう?ところが、仏語で表現すると感情的にならずにこういう事を言えるのですよ。仏語って、日本語でいえば、関西弁に近いのでしょうか?関西弁って、何をいっても、角がたちませんよね!いや、ちょっと違いますか?)

 ”イヨネスコの全体主義的なものに反対する姿勢は、ルーマニアにおける青年時代に友人たちがファシズム運動に走っていったのを目撃したときから、深く意識されていたという。それを20年後に、ようやくイヨネスコは表にだしたのである。” 
”イヨネスコは自ら『犀』を解説するにあたって――1938年後に、作家ドゥニ・ド・ルージェモンドはドイツのニュールンベルグで開かれたナチの大会に居合わせた。ヒトラーを歓迎する群衆の中にいたところ、ヒトラー総統の1行が近づくにつれて、その歓迎熱狂ぶりは高潮し、群集の中に1種のヒステリー症状が蔓延していったという。その作家は、なによりもまず、その精神の錯乱ぶりに驚いた。そのうちに、ヒトラー1行が眼前に姿を現したとき、その作家の心中にも、群集の熱気が侵入して、その錯乱状態に感電するのを覚えたという。しかし、その作家は、なにものかが彼の生命の中にわき、この集団的な嵐に抵抗したという――1人の作家の体験談を伝える。”
 
 ”この体験談を伝え聞いたイヨネスコは「ときに彼が抵抗するのは彼の思想ではない。その作家の心の中にもたげてきたものは、さまざまな論拠ではなく、すげなく拒絶する彼の存在、パーソナリティである”」

 そして『犀』は「”たしかに反ナチの戯曲であるが、なかでも、集団的ヒステリー、集団の流行病に反対するものである」と明言している”

 だから、ベランジェ(私注:『犀』の主人公)も”イデオロギー的なものの自覚から抵抗するものではない。”
 平凡な市民ベランジェは、”とっさにはなぜ自分が犀化に抵抗するのかわかっていない。”というより犀の出現に無関心ですらある。”だからこそ、作者が言うように、この抵抗は「根深いものであるという論拠」になるのである。”

 ”だが、ベランジェの「.....僕は最後まで人間でいる。負けないぞ、絶対に....」という最後の叫びは「英雄的な最後の抵抗どころか、ベランジェの挑戦は茶番めいて悲喜劇的であり、そこで、この戯曲の最終的意味はけっして何人かの批評家が明らかにしたごとく単純ではない」とマーチン・エスリンは言う。”

 ”人間にとどまろうとする決意の直前に、ベランジェにとっては犀が正常であり、人間は化け物に見えてくる。”

 そこで、『犀』を”「画一性や鈍感さを告発するパンフレットである(たぶんそうだろう)とすれば、” 『犀』はまた、感受性・芸術的存在として ”自己の優越性を主張することを美徳とする個人主義を嘲っているのである。”

 プロパガンダの単純性を超え、”運命の糸のもつれ、人間の条件の不可避性と不条理性についての有効なステートメントになっているのだ。ベランジェの最後のアンビヴァレンスを表現しなければ、上演は戯曲を十分にこなしているとは言えない」と結んでいる。”

 イヨネスコは”『犀』を中に『無給の殺し屋』『瀕死の王さま』と”ベランジェを主人公にした戯曲を書いたが、「”イヨネスコがさまざまなタイプのベランジェの姿をかりて、なんべんも提出したものは、主人公の概念そのもの” であり、それまで”世界全体またはそこに住みつく操り人形全体に不信を投げつけていた”が、”それ以後のイヨネスコはただ1人の例外とし、真のヒューマニズムを提起する任務をベランジェ的人物に負わせることになった」””ミシェル・コルバン『フランスの前衛劇』石沢秀二・利光哲夫訳 白水社刊”
(私注:私は、白水社とはなんら関係のない、ただの1読者にすぎません)

 最後にイヨネスコの言葉「”わたしの創った人物を判断するのはわたしではありません.....もし、神話的人物があるとしたら、それはベランジェでなく犀でしょう。”百年、二百年後、『犀』という作品が不可解となることはありうるでしょうね。――わたしはそれを望んでいます――すべての人たちが思想の自律性を持っている世界では不可解となるのですから」と。”

                  (引用だらけになってしまい、言葉なし)
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