《良寛・貞心尼 唱和歌 》
良寛禅師はいつも手鞠を持ち歩かれ、子供たちと遊ばれるとお聞きして、手鞠
に歌を添えてさしあげるといって。
これぞこの 仏(ほとけ)の道(みち)に 遊びつつ
つくや尽(つ)きせぬ 御法(みのり)なるらむ
「これがあの例の仏道に遊びながらつく手鞠、ついてもついても尽きることがな
いのが仏の教えなのでしょうね」 貞
(貞心は、手鞠をもって、初めて木村家におとずれるが、良寛は留守。そこで手
鞠にこの歌を添えて帰った)
御(お)返し(かへ)し
つきて見よ 一二三四五六七八(ひふみよいむなや) 九十(ここのとを)
十(とを)と納(をさ)めて また始まるを
「手鞠をついてみなさい。一二三四五六七八九十と。十で終わると、また一から
始まるように、仏の教えも同じように限りのないものだよ」 師
初めてお目にかかって
君に斯(か)く 相見(あひみ)ることの 嬉(うれ)しさも
まだ覚(さ)めやらぬ 夢(ゆめ)かとぞ思(おも)ふ
「あなたにこのようにお会いできて本当に嬉しく、まだ夢からさめていないのか
と思います」 貞
御返し
夢の世に かつ微睡(まどろ)みて 夢をまた
語るも夢も それが随(まにま)に
「夢のように果敢(はか)ないこの世で、うとうとして見た夢を語るのも、また
夢のままであっても、それは成り行きにまかせたらよいのですよ」 師
いと懇(ねも)ごろなる道(みち)の物語(ものがたり)に
夜(よる)も更(ふ)けぬれば 師
「たいへん丁寧に仏道のお話をされて夜も更けたので」
白妙(しろたえ)の 衣手(ころもで)寒し 秋の夜の
月中空(つきなかぞら)に 澄みわたるかも
「秋の夜も更け、今夜は袖口が寒い。きっと空には月が澄みわたっていることよ」
師
然(さ)れど 猶(なほ) 飽(あ)かぬ心地(ここち)して
「けれどもなお十分満足した気がしないので」 貞
向(む)かひ居(い)て 千代(ちよ)も八千代(やちよ)も 見てしがな
空行(ゆ)く月の 言(こと)問(と)わずとも
「このまま向かい合ってお話したいのです。何も空を行く月のことをお話なさら
なくともいいじゃありませんか」 貞
御かへし
心さえ 変はらざりせば 這(は)う蔦(つた)の
絶えず向かはむ 千代も八千代も
「もし、仏道を求める心さえ変わらないでいたら、いつでも向かい合って話しま
しょう。千年でも八千年でも」 師
いざ帰(かへ)りなむとて 貞
「さあ、おいとましましょうと申し上げて」
立ち返(かへ)り またも訪(と)ひ来(こ)む 玉桙(たまぼこ)の
道の芝草(しばくさ) 辿り辿りに
「一旦帰り、また道端の草を辿りながらお訪ねしましょう」 貞
御かへし
またも来(こ)よ 柴の庵(いほり)を 厭(いと)はずば
薄(すすき)尾花(をばな)の 露を分け分け
「粗末な庵が厭でなかったら、また、薄や尾花の露をかき分けながら尋ねていら
っしゃい」 師
程(ほど)えて 御消息(みせうそこ)給(たま)はりけるかる中に 師
「しばらくしてお手紙を戴いた中に」
君や忘(わす)る 道や隠(かく)るる この頃(ごろ)は
待てど 暮らせど 音信(おとずれ)のなき
「あなたはこの庵を忘れたのだろうか、路が隠れてしまって来られないのか、あ
なたの訪問を待っているのに一向にいらっしゃらない。どうしたのですか」 師
御かへし奉(たてまつ)るとて
「御返歌を差し上げようと思って」 貞
此(こ)は人(ひと)の庵(いほり)に有りし時なり
「これは柏崎の閣王寺の庵に住んでいる時である」
事(こと)繁(しげき) 葎(むぐら)の庵(いほ)に 閉じられて
身をば心に 任せざりけり
「用事に忙殺されて草庵に閉じ込められています。禅師のことを思い、心は急ぐ
のですが、体は心に思うようになりません」 貞
山の端(は)の 月は分明(さやか)に 照らせども
まだ晴れやらぬ 峰の薄雲
「山の端の月は明るく照らしているけれども、峰にかかっている薄雲は晴れてい
ません。仏の教えははっきりしているのですが、私の心の底にまだもやもやした
ものがあり、まだ晴れないのです。 貞
御かへし
身を捨てて 世を救ふ人も(ひと)も 座(ざ)すものを
草の庵(いほり)に 暇(ひま)求むとは
「自分の身を犠牲にしてまで世の中の人を救おうとしているのに人もいらっしゃ
るのに、仏道に入ったあなたが草庵に暇をもてあましているとは」 師
久方(ひさかた)の 月の光の 清(きよ)ければ
照らしぬきけり 唐(から)も大和(やまと)も
昔も今も 嘘も誠も
「月の光は清く美しいので、照らしきっていることよ。仏は昔も今も、遠い中国
も日本も、嘘も誠も見抜いていらっしゃって。その慈悲は遍く世の中すべてに行
きわたっていることよ」 師
晴れやらぬ 峰の薄雲(うすぐも) 立ち去りて
後(のち)の光と 思(おも)はずや君
「なかなか晴れなかった峰の薄雲(迷い)が消え去った後に見えた山頂に照り輝
く月の光は、これぞ誠の仏の教えだとあなたは思いませんか」 師
春の初め頃、禅師にお手紙を差し上げて
自(おのず)から 冬の日数(ひかず)の 暮れ行(ゆ)けば
待つともなきに 春は来(き)にけり
「冬の日は自然に過ぎていきます。そして待つこともなく春がやってきます。私
の迷いも解けたようです」 貞
我(われ)の人(ひと)も 嘘も誠も 隔(へだ)てなく
照らしぬきける 月のさやけさ
「私も他の人も、嘘も誠も月はやさしくて隔てなく清く照らしてくれるのですね」
貞
さめぬれば 闇(やみ)も光(ひかり)も なかりけり
夢路(ゆめぢ)を照らす 有り明けの月
「迷いからさめてみると、闇もひかりもないのですね。有明の月が私の夢路(迷
い)をずっと照らしていたのですね」 貞
(注:有り明けの月;夜が明けても、まだ空に残っている月。陰暦十六日以降の
月。残月)
御かへし
天(あま)が下に 満(み)つる玉より 黄金(こがね)より
春の初めの 君が音信(おとづれ)
「この世でどんなにかすばらしい宝石や黄金より、春になってあなたから頂いた、
この度のお便りが一番嬉しい」 師
手に触(さは)る ものこそなかれ 法(のり)の道
それがさながら それにありせば
「仏の道は手に触ってわかるものではないが、それがわかったのであれば、それ
でよいことだ」 師
御かへし
春風に 御山(みやま)の雪は 融(と)けぬれど
岩間(いはま)に淀(よど)む 谷川(たにがは)の水
「春風が吹いて山の雪は融けたけれど、谷川の水は岩の間に淀んでいます。私の
心の中にもまだ少しすっきりしないものがあります」 貞
御かへし
御山辺(みやべ)の 御雪(みゆき)融けなば 谷川に
淀める水は あらじとぞ思ふ
「山の雪が融けて流れてしまえば、いずれ淀んでいる水(悩み)もなくなると思
うよ」 師
御かへし
何処(いづこ)より 春は来(き)しぞと 尋(たづ)ぬれば
答へぬ花に 鶯(うぐいす)の鳴く
「咲いている花に、どこから春が来たのですかと尋ねますと、花は何も答えない
のですが、そばに鶯の鳴く声がしました」 貞
君なくば 千度(ちたび)百度(ももたび) 数(かぞ)ふとも
十(とを)づつ十(とを)を 百(もも)と知らじを
「あなたにお会いしなかったら百回も千回も数えても、十を十回あわせると百に
なることを知りませんでした。仏の道だからといって特別に考えず、ごく自然に
考えたほうがいいのですね」 貞
御かへし
いざさらば 我(われ)も止(や)みなむ 九(ここの)まり
十(とを)づつ十(とを)を 百(もも)と知りなば
「さあ、それではこの話は終わりにしましょう。十が十集まって百だとわかれば」
師
さあ、これでおいとましますと言うときに
霊山(りやふざむ)の 釈迦の御前(みまえ)に 契(ちぎ)りてし
ことな忘れそ 世(よ)は隔(へだ)つとも
「霊山のお釈迦様の前で誓ったことは決して忘れないで下さい。たとえ現世と来
世の隔てがあろうとも」 師
御かへし
霊山の 釈迦の御前に 契りてし
ことは忘れじ 世は隔つとも
「霊山のお釈迦様の前で再会を誓った約束は、いつまでも忘れません。もし二人
が現世と来世と別れてしまっても」 貞
言葉の母音と子音の事を話されて
仮初(かりそめ)の事(こと)とな思(も)ひそ この言葉(ことば)
言(こと)の葉(は)のみと 思(おも)ほすな君
「お話ているこの言葉を意味がわかればいいなどと、軽々しく思わないでくださ
い。聲(しやう)と韻とのきちんとした決まりがあるのですよ」 師
(注:聲韻;声とひびき、聲は子音、韻は母音)
おいとまを申し上げて
いざさらば 幸(さき)くてませよ 時鳥(ほととぎす)
屡(しぼ)鳴く頃は 又(また)も来(き)て見む
「さあ、それではご無事でいらっしゃるように、時鳥(ほととぎす)がしきりに
鳴く頃にまたお伺いしてお目にかかりたいものです。」 貞
浮(う)き雲(ぐも)の 身(み)にありせば 時鳥(ほととぎす)
屡(しぼ)鳴く頃は 何処(いづこ)に待(ま)たむ
「浮雲のような放浪の身であれば、どこにいるかもわかりません。時鳥のしきり
に鳴く頃は、どこで待っていましょうか」 師
秋萩(あきはぎ)の 花咲く頃は 来(き)て見(み)ませ
命(いのち)全(また)くば 共(とも)に挿頭(かざ)さむ
「秋萩の花の咲く頃にまたいらっしゃい。私が元気でいるなら一緒に萩の花を頭
に刺して共にかざりましょう」 師
しかし、秋萩の咲く頃まで待てず、また、お訪ねして
秋萩の 花咲く頃を 待ちとほみ
夏草わけて またも来(き)にけり
「秋萩の花咲く頃が待ちどうしくて、夏草をかきわけながらお訪ねしてしまった」
貞
御かへし
秋萩の 咲くを遠(とほ)みと 夏草の
露をわけわけ 訪(と)ひし君はも
「「秋萩の花咲く頃が待ち遠しいからと、夏草の露をかきわけながら訪ねてくだ
さったのですねえ。あなたは。」 師
ある夏の日に禅師の庵をお尋ねしましたが、禅師はどこかへ出かけられたらし
く、ただ部屋の片隅に飾ってあった蓮(はちす)の花のかぐわしい匂いがしてい
たので。
来(き)て見(み)れば 人こそ見えぬ 庵(いほ)守り
匂ふ蓮(はちす)の 花の尊さ
「禅師の庵にお伺いしたところ、どなたもいらっしゃらないようで、禅師の庵を
守っている、かぐわしく匂う蓮(はちす)の花が尊く思えました」 貞
御かへし
御饗(みあへ)する 物こそなかれ 小瓶(こがめ)なる
蓮(はちす)の花を 見つつ忍(しの)ばせ
「おもてなしするものは何もありませんが、せめて花瓶の美しい蓮(はちす)の
花をご覧になってこらえてください」 師
(注)良寛が出雲崎に泊まった夜、由之が贈った座布団に添えられていた歌。
ご兄弟である由之翁のもとから座布団が贈られるというので
極楽(ごくらく)の 蓮(はちす)の花の 花びらに
寄(よ)そひて見ませ 麻布小衾(あさでこぶすま)
「極楽にあるという蓮(はちす)の花の花びらと比べてみてください。すばらし
い布団でしょう」 貞
御かへし
極楽(ごくらく)の 蓮(はちす)の花の 花びらを
我(われ)に供養(くやう)す 君が神通(じむつう)
「極楽にあるという蓮(はちす)の花の花びらを贈ってくださったあなたは、きっ
と神通力を持っていらっしゃるのでしょう」 師
いざさらば 蓮(はちす)の上に 打(う)ち乗(の)らむ
縦(よ)しや蛙(かはず)と 人(ひと)は見(み)るとも
「さあ、それでは蓮(はちす)の花びらのような布団の上に乗りましょう。たと
え世間の人が蛙が蓮(はちす)の上に乗っていると見ようとも」 師
五韻を(五つの母音から)
種種(くさぐさ)の 綾織(お)りいだす 四十(よそ)八文字(やもじ)
声と韻(ひび)きを 経緯(たてぬき)にして
「「さまざまな模様をつくり出す織物の縦糸と横糸のように、言葉や歌も聲(子
音)と韻き(母音)から作り出されているのだ」 師
禅師が亡き父の書かれたものをご覧になって
水茎(みづぐき)の 跡(あと)も涙(なみだ)に 霞(かすみ)けり
在(あ)りし昔(むかし)の 事(こと)を思(おも)へば
「父上の書かれたものを見ていると、自然に涙で目が霞んでくる。ありし昔のこ
とが思い出されて」 師
民家の子供が鉄刀木で上手に作った彫刻を禅師にお見せしたら
鉄刀木(たがやさむ) 色も肌も 妙(たえ)なれど
鉄刀木(たがやさむ)より 耕(たがや)さむには
「鉄刀木は色も飾りも立派だけれど、それより大事なことは額に汗して畑を
耕すことだよ」 師
ある時、禅師が与板の里へいらっしゃるという知らせが友達からあったので、急
いでそこへ行きましたが、明日はもう別のほうへおいでになるとのこと。周りの
人々と名残を惜しんで会話を交わしていらしゃった。打ち解けて冗談を言いあっ
ている中に、禅師は色も黒く衣も黒いので「あなたは烏と申しましょう」と言っ
たところ「ほんとに私に相応しい名前ですね」とお笑いになりながら
何処(いづこ)へも 立ちても行(ゆ)かむ 明日(あす)よりは
烏てふ名を 人のつくれば
「どこへでも飛び立っていこう。みなさんが烏という名前を付けてくれたからに
は」 師
とおしゃったので
山がらす 里(さと)にい行(ゆ)かば 子がらすも
誘(いざな)ひて行け 羽(はね)弱くとも
「山烏が里へ行けば、子烏もいっしょに連れていってください。羽は弱いのです
が」 貞
御かへし
誘(いざな)ひて 行(ゆ)かば行(ゆ)かめど 人(ひと)の見(み)て
怪し眼(あやしめ)見らば 如何(いか)にしてまし
「連れて行けといえば連れて行く事はできますが、もし世間の人が二人の関係を
疑わしい目でみたらどうしますか」 師
御かへし
鳶(とび)は鳶(とび) 雀は雀 鷺(さぎ)は鷺(さぎ)
烏と烏 何(なに)か怪(あや)しき
「鳶(とび)は鳶と、雀は雀と、鷺(さぎ)は鷺とみんな仲良く飛んでいます。
それなのに烏と烏が一緒に旅をして、なぜ怪しい者どもと疑われるのですか」
貞
「日も暮れたので宿所にかえり、
また明日に訪ねましょうとおっしゃって」 師
「さあ、それでは私は帰るとしよう。あなたはここに泊まって安らかに眠ってく
ださい。もうこの話は明日にしましょう」 師
翌日、朝早く訪ねていらしゃったので
歌を詠まむ 手鞠やつかん 野にや出む
君が随(まにま)に 為(な)して遊ばむ
「歌を詠みましょうか、手鞠をつきましょうか、それとも野原に出て花を摘みま
しょうか、あなたがなさりたいように一緒に遊びましょう」 貞
御かへし
歌も詠(よ)まむ 手鞠もつかむ 野にも出(で)む
心(こころ)ひとつを 定(さだ)めかねつも
「歌も詠みたいし、手鞠もつきたいし、また野原に出て花を摘みたいし、どれに
しようか決めることができないなあ」 師
禅師は秋には必ず私の庵を訪ねてくださる約束をされたのですが、禅師の体調が
すぐれず、「暫く静養してから伺います」などとお手紙をいただいた中に
秋萩(あきはぎ)の 花の盛りも 過ぎにけり
契(ちぎり)りしことも まだ遂(と)げなくに
「もうすでに秋萩の花の盛りも過ぎてしまいました。あなたの庵を訪問する約束
も果たしていないのに」 師
その後、禅師のご病気はまったく回復されず、冬になってからは、ただ庵に臥せ
っておられ、人との対面を難しくなり、内側から鍵をかけておられると、周りの
人達が話をしていたので、お手紙を差し上げて
そのままに なほ堪(た)え忍(しの)べ 今更(いまさら)に
暫(しば)しの夢を 厭(いと)ふなよ君
「そのまましばらく我慢なさってください。今となっては、ちょっとの間の夢と
思って厭に思わず。養生なさってください。あなた」 貞
と詠んで差し上げたけれど、その後暫く、戴いたお歌はなくて
梓弓(あづさゆみ) 春になりなば 草(くさ)の庵(いほ)を
疾(と)く出て来(き)ませ 逢(あ)ひたきものを
「春になったら、早速、草庵を出て来てください。早く逢いたいなあ」 師
こうして十二月の末頃、急に病状が悪化されたという知らせが木村家よりあった
ので、大変驚き急いでお見舞いに伺ったところ、それほど苦しいご様子にも見え
ず、布団の上に座って居られた。私が伺ったのがよほど嬉しくお思いになられた
のでしょうか。
何時(いつ)いつと 待ちにし人は 来(き)たりけり
今(いま)は相見(あひみ)て 何(なに)か思(おも)はむ
「毎日毎日待っていた方がついにきたことだなあ。いろいろ話したいと思ってい
たが、今、会ってみるともう何もお話することはない」 師
武蔵野(むさしの)の 草葉(くさば)の露(つゆ)の 存(ながら)へて
存(ながら)へ果(は)つる 身にしあらねば
「いつまでも長生きして、生き永らえる身ではなく、いずれは武蔵野の草の葉の
ように消えてしまうのだから」 師
このようなので、一日中、禅師のお傍にいてご様子を拝見していましたが、日に
日にお体が弱っていかれてどうすることもできず、いずれは近いうちに亡くなら
れるのだろうと思うと大変悲しくて。
生(い)き死(し)の 境(さかひ)放(はな)れて 住む身にも
避(さ)らぬ別れの あるぞ悲しき
「出家して修行で生死の境は超越している筈の身でも、避けられぬ悲しい別れは
あるのですね」 貞
御かへし
「裏(うら)を見せ、表(おもて)を見せて、散る紅葉」
「紅葉が散るときは、ひらひらと裏を見せたり表をみせたりしながら散っていく。
私も生きた人生の表も裏もさらけ出して死んでいくことよ」 師
この句は禅師のお作りになった句ではないけれど、口ずさまれたその折にかなっ
て大変ありがたいものである。
禅師がよく口ずまされた発句で、記憶している第一句をここに。
「落ち着けば ここも廬山の 夜の雨」
「この草庵に落ち着いてみれば、廬山に住んでいるようで、夜に雨が降ったりす
ると心が洗われるようである」
「来ては打ち 行きてはたたく 夜もすがら」
「来るに似て 返るに似たり 沖つ波」
「寄せては返す沖の波のように人の一生にはたくさんの出会いと別れがあるので
すね」 貞
このように申し上げたところ、すぐに
「明らかりけり 君が言(こと)の葉(は)」
「あなたのおっしゃる通り、それがこの世の定めなのだから」 師
天保二年(1831年)一月六日 遷化 年齢 七十四歳
(注:これは良寛が亡くなった日と年齢ですな)
貞心尼
良寛禅師はいつも手鞠を持ち歩かれ、子供たちと遊ばれるとお聞きして、手鞠
に歌を添えてさしあげるといって。
これぞこの 仏(ほとけ)の道(みち)に 遊びつつ
つくや尽(つ)きせぬ 御法(みのり)なるらむ
「これがあの例の仏道に遊びながらつく手鞠、ついてもついても尽きることがな
いのが仏の教えなのでしょうね」 貞
(貞心は、手鞠をもって、初めて木村家におとずれるが、良寛は留守。そこで手
鞠にこの歌を添えて帰った)
御(お)返し(かへ)し
つきて見よ 一二三四五六七八(ひふみよいむなや) 九十(ここのとを)
十(とを)と納(をさ)めて また始まるを
「手鞠をついてみなさい。一二三四五六七八九十と。十で終わると、また一から
始まるように、仏の教えも同じように限りのないものだよ」 師
初めてお目にかかって
君に斯(か)く 相見(あひみ)ることの 嬉(うれ)しさも
まだ覚(さ)めやらぬ 夢(ゆめ)かとぞ思(おも)ふ
「あなたにこのようにお会いできて本当に嬉しく、まだ夢からさめていないのか
と思います」 貞
御返し
夢の世に かつ微睡(まどろ)みて 夢をまた
語るも夢も それが随(まにま)に
「夢のように果敢(はか)ないこの世で、うとうとして見た夢を語るのも、また
夢のままであっても、それは成り行きにまかせたらよいのですよ」 師
いと懇(ねも)ごろなる道(みち)の物語(ものがたり)に
夜(よる)も更(ふ)けぬれば 師
「たいへん丁寧に仏道のお話をされて夜も更けたので」
白妙(しろたえ)の 衣手(ころもで)寒し 秋の夜の
月中空(つきなかぞら)に 澄みわたるかも
「秋の夜も更け、今夜は袖口が寒い。きっと空には月が澄みわたっていることよ」
師
然(さ)れど 猶(なほ) 飽(あ)かぬ心地(ここち)して
「けれどもなお十分満足した気がしないので」 貞
向(む)かひ居(い)て 千代(ちよ)も八千代(やちよ)も 見てしがな
空行(ゆ)く月の 言(こと)問(と)わずとも
「このまま向かい合ってお話したいのです。何も空を行く月のことをお話なさら
なくともいいじゃありませんか」 貞
御かへし
心さえ 変はらざりせば 這(は)う蔦(つた)の
絶えず向かはむ 千代も八千代も
「もし、仏道を求める心さえ変わらないでいたら、いつでも向かい合って話しま
しょう。千年でも八千年でも」 師
いざ帰(かへ)りなむとて 貞
「さあ、おいとましましょうと申し上げて」
立ち返(かへ)り またも訪(と)ひ来(こ)む 玉桙(たまぼこ)の
道の芝草(しばくさ) 辿り辿りに
「一旦帰り、また道端の草を辿りながらお訪ねしましょう」 貞
御かへし
またも来(こ)よ 柴の庵(いほり)を 厭(いと)はずば
薄(すすき)尾花(をばな)の 露を分け分け
「粗末な庵が厭でなかったら、また、薄や尾花の露をかき分けながら尋ねていら
っしゃい」 師
程(ほど)えて 御消息(みせうそこ)給(たま)はりけるかる中に 師
「しばらくしてお手紙を戴いた中に」
君や忘(わす)る 道や隠(かく)るる この頃(ごろ)は
待てど 暮らせど 音信(おとずれ)のなき
「あなたはこの庵を忘れたのだろうか、路が隠れてしまって来られないのか、あ
なたの訪問を待っているのに一向にいらっしゃらない。どうしたのですか」 師
御かへし奉(たてまつ)るとて
「御返歌を差し上げようと思って」 貞
此(こ)は人(ひと)の庵(いほり)に有りし時なり
「これは柏崎の閣王寺の庵に住んでいる時である」
事(こと)繁(しげき) 葎(むぐら)の庵(いほ)に 閉じられて
身をば心に 任せざりけり
「用事に忙殺されて草庵に閉じ込められています。禅師のことを思い、心は急ぐ
のですが、体は心に思うようになりません」 貞
山の端(は)の 月は分明(さやか)に 照らせども
まだ晴れやらぬ 峰の薄雲
「山の端の月は明るく照らしているけれども、峰にかかっている薄雲は晴れてい
ません。仏の教えははっきりしているのですが、私の心の底にまだもやもやした
ものがあり、まだ晴れないのです。 貞
御かへし
身を捨てて 世を救ふ人も(ひと)も 座(ざ)すものを
草の庵(いほり)に 暇(ひま)求むとは
「自分の身を犠牲にしてまで世の中の人を救おうとしているのに人もいらっしゃ
るのに、仏道に入ったあなたが草庵に暇をもてあましているとは」 師
久方(ひさかた)の 月の光の 清(きよ)ければ
照らしぬきけり 唐(から)も大和(やまと)も
昔も今も 嘘も誠も
「月の光は清く美しいので、照らしきっていることよ。仏は昔も今も、遠い中国
も日本も、嘘も誠も見抜いていらっしゃって。その慈悲は遍く世の中すべてに行
きわたっていることよ」 師
晴れやらぬ 峰の薄雲(うすぐも) 立ち去りて
後(のち)の光と 思(おも)はずや君
「なかなか晴れなかった峰の薄雲(迷い)が消え去った後に見えた山頂に照り輝
く月の光は、これぞ誠の仏の教えだとあなたは思いませんか」 師
春の初め頃、禅師にお手紙を差し上げて
自(おのず)から 冬の日数(ひかず)の 暮れ行(ゆ)けば
待つともなきに 春は来(き)にけり
「冬の日は自然に過ぎていきます。そして待つこともなく春がやってきます。私
の迷いも解けたようです」 貞
我(われ)の人(ひと)も 嘘も誠も 隔(へだ)てなく
照らしぬきける 月のさやけさ
「私も他の人も、嘘も誠も月はやさしくて隔てなく清く照らしてくれるのですね」
貞
さめぬれば 闇(やみ)も光(ひかり)も なかりけり
夢路(ゆめぢ)を照らす 有り明けの月
「迷いからさめてみると、闇もひかりもないのですね。有明の月が私の夢路(迷
い)をずっと照らしていたのですね」 貞
(注:有り明けの月;夜が明けても、まだ空に残っている月。陰暦十六日以降の
月。残月)
御かへし
天(あま)が下に 満(み)つる玉より 黄金(こがね)より
春の初めの 君が音信(おとづれ)
「この世でどんなにかすばらしい宝石や黄金より、春になってあなたから頂いた、
この度のお便りが一番嬉しい」 師
手に触(さは)る ものこそなかれ 法(のり)の道
それがさながら それにありせば
「仏の道は手に触ってわかるものではないが、それがわかったのであれば、それ
でよいことだ」 師
御かへし
春風に 御山(みやま)の雪は 融(と)けぬれど
岩間(いはま)に淀(よど)む 谷川(たにがは)の水
「春風が吹いて山の雪は融けたけれど、谷川の水は岩の間に淀んでいます。私の
心の中にもまだ少しすっきりしないものがあります」 貞
御かへし
御山辺(みやべ)の 御雪(みゆき)融けなば 谷川に
淀める水は あらじとぞ思ふ
「山の雪が融けて流れてしまえば、いずれ淀んでいる水(悩み)もなくなると思
うよ」 師
御かへし
何処(いづこ)より 春は来(き)しぞと 尋(たづ)ぬれば
答へぬ花に 鶯(うぐいす)の鳴く
「咲いている花に、どこから春が来たのですかと尋ねますと、花は何も答えない
のですが、そばに鶯の鳴く声がしました」 貞
君なくば 千度(ちたび)百度(ももたび) 数(かぞ)ふとも
十(とを)づつ十(とを)を 百(もも)と知らじを
「あなたにお会いしなかったら百回も千回も数えても、十を十回あわせると百に
なることを知りませんでした。仏の道だからといって特別に考えず、ごく自然に
考えたほうがいいのですね」 貞
御かへし
いざさらば 我(われ)も止(や)みなむ 九(ここの)まり
十(とを)づつ十(とを)を 百(もも)と知りなば
「さあ、それではこの話は終わりにしましょう。十が十集まって百だとわかれば」
師
さあ、これでおいとましますと言うときに
霊山(りやふざむ)の 釈迦の御前(みまえ)に 契(ちぎ)りてし
ことな忘れそ 世(よ)は隔(へだ)つとも
「霊山のお釈迦様の前で誓ったことは決して忘れないで下さい。たとえ現世と来
世の隔てがあろうとも」 師
御かへし
霊山の 釈迦の御前に 契りてし
ことは忘れじ 世は隔つとも
「霊山のお釈迦様の前で再会を誓った約束は、いつまでも忘れません。もし二人
が現世と来世と別れてしまっても」 貞
言葉の母音と子音の事を話されて
仮初(かりそめ)の事(こと)とな思(も)ひそ この言葉(ことば)
言(こと)の葉(は)のみと 思(おも)ほすな君
「お話ているこの言葉を意味がわかればいいなどと、軽々しく思わないでくださ
い。聲(しやう)と韻とのきちんとした決まりがあるのですよ」 師
(注:聲韻;声とひびき、聲は子音、韻は母音)
おいとまを申し上げて
いざさらば 幸(さき)くてませよ 時鳥(ほととぎす)
屡(しぼ)鳴く頃は 又(また)も来(き)て見む
「さあ、それではご無事でいらっしゃるように、時鳥(ほととぎす)がしきりに
鳴く頃にまたお伺いしてお目にかかりたいものです。」 貞
浮(う)き雲(ぐも)の 身(み)にありせば 時鳥(ほととぎす)
屡(しぼ)鳴く頃は 何処(いづこ)に待(ま)たむ
「浮雲のような放浪の身であれば、どこにいるかもわかりません。時鳥のしきり
に鳴く頃は、どこで待っていましょうか」 師
秋萩(あきはぎ)の 花咲く頃は 来(き)て見(み)ませ
命(いのち)全(また)くば 共(とも)に挿頭(かざ)さむ
「秋萩の花の咲く頃にまたいらっしゃい。私が元気でいるなら一緒に萩の花を頭
に刺して共にかざりましょう」 師
しかし、秋萩の咲く頃まで待てず、また、お訪ねして
秋萩の 花咲く頃を 待ちとほみ
夏草わけて またも来(き)にけり
「秋萩の花咲く頃が待ちどうしくて、夏草をかきわけながらお訪ねしてしまった」
貞
御かへし
秋萩の 咲くを遠(とほ)みと 夏草の
露をわけわけ 訪(と)ひし君はも
「「秋萩の花咲く頃が待ち遠しいからと、夏草の露をかきわけながら訪ねてくだ
さったのですねえ。あなたは。」 師
ある夏の日に禅師の庵をお尋ねしましたが、禅師はどこかへ出かけられたらし
く、ただ部屋の片隅に飾ってあった蓮(はちす)の花のかぐわしい匂いがしてい
たので。
来(き)て見(み)れば 人こそ見えぬ 庵(いほ)守り
匂ふ蓮(はちす)の 花の尊さ
「禅師の庵にお伺いしたところ、どなたもいらっしゃらないようで、禅師の庵を
守っている、かぐわしく匂う蓮(はちす)の花が尊く思えました」 貞
御かへし
御饗(みあへ)する 物こそなかれ 小瓶(こがめ)なる
蓮(はちす)の花を 見つつ忍(しの)ばせ
「おもてなしするものは何もありませんが、せめて花瓶の美しい蓮(はちす)の
花をご覧になってこらえてください」 師
(注)良寛が出雲崎に泊まった夜、由之が贈った座布団に添えられていた歌。
ご兄弟である由之翁のもとから座布団が贈られるというので
極楽(ごくらく)の 蓮(はちす)の花の 花びらに
寄(よ)そひて見ませ 麻布小衾(あさでこぶすま)
「極楽にあるという蓮(はちす)の花の花びらと比べてみてください。すばらし
い布団でしょう」 貞
御かへし
極楽(ごくらく)の 蓮(はちす)の花の 花びらを
我(われ)に供養(くやう)す 君が神通(じむつう)
「極楽にあるという蓮(はちす)の花の花びらを贈ってくださったあなたは、きっ
と神通力を持っていらっしゃるのでしょう」 師
いざさらば 蓮(はちす)の上に 打(う)ち乗(の)らむ
縦(よ)しや蛙(かはず)と 人(ひと)は見(み)るとも
「さあ、それでは蓮(はちす)の花びらのような布団の上に乗りましょう。たと
え世間の人が蛙が蓮(はちす)の上に乗っていると見ようとも」 師
五韻を(五つの母音から)
種種(くさぐさ)の 綾織(お)りいだす 四十(よそ)八文字(やもじ)
声と韻(ひび)きを 経緯(たてぬき)にして
「「さまざまな模様をつくり出す織物の縦糸と横糸のように、言葉や歌も聲(子
音)と韻き(母音)から作り出されているのだ」 師
禅師が亡き父の書かれたものをご覧になって
水茎(みづぐき)の 跡(あと)も涙(なみだ)に 霞(かすみ)けり
在(あ)りし昔(むかし)の 事(こと)を思(おも)へば
「父上の書かれたものを見ていると、自然に涙で目が霞んでくる。ありし昔のこ
とが思い出されて」 師
民家の子供が鉄刀木で上手に作った彫刻を禅師にお見せしたら
鉄刀木(たがやさむ) 色も肌も 妙(たえ)なれど
鉄刀木(たがやさむ)より 耕(たがや)さむには
「鉄刀木は色も飾りも立派だけれど、それより大事なことは額に汗して畑を
耕すことだよ」 師
ある時、禅師が与板の里へいらっしゃるという知らせが友達からあったので、急
いでそこへ行きましたが、明日はもう別のほうへおいでになるとのこと。周りの
人々と名残を惜しんで会話を交わしていらしゃった。打ち解けて冗談を言いあっ
ている中に、禅師は色も黒く衣も黒いので「あなたは烏と申しましょう」と言っ
たところ「ほんとに私に相応しい名前ですね」とお笑いになりながら
何処(いづこ)へも 立ちても行(ゆ)かむ 明日(あす)よりは
烏てふ名を 人のつくれば
「どこへでも飛び立っていこう。みなさんが烏という名前を付けてくれたからに
は」 師
とおしゃったので
山がらす 里(さと)にい行(ゆ)かば 子がらすも
誘(いざな)ひて行け 羽(はね)弱くとも
「山烏が里へ行けば、子烏もいっしょに連れていってください。羽は弱いのです
が」 貞
御かへし
誘(いざな)ひて 行(ゆ)かば行(ゆ)かめど 人(ひと)の見(み)て
怪し眼(あやしめ)見らば 如何(いか)にしてまし
「連れて行けといえば連れて行く事はできますが、もし世間の人が二人の関係を
疑わしい目でみたらどうしますか」 師
御かへし
鳶(とび)は鳶(とび) 雀は雀 鷺(さぎ)は鷺(さぎ)
烏と烏 何(なに)か怪(あや)しき
「鳶(とび)は鳶と、雀は雀と、鷺(さぎ)は鷺とみんな仲良く飛んでいます。
それなのに烏と烏が一緒に旅をして、なぜ怪しい者どもと疑われるのですか」
貞
「日も暮れたので宿所にかえり、
また明日に訪ねましょうとおっしゃって」 師
「さあ、それでは私は帰るとしよう。あなたはここに泊まって安らかに眠ってく
ださい。もうこの話は明日にしましょう」 師
翌日、朝早く訪ねていらしゃったので
歌を詠まむ 手鞠やつかん 野にや出む
君が随(まにま)に 為(な)して遊ばむ
「歌を詠みましょうか、手鞠をつきましょうか、それとも野原に出て花を摘みま
しょうか、あなたがなさりたいように一緒に遊びましょう」 貞
御かへし
歌も詠(よ)まむ 手鞠もつかむ 野にも出(で)む
心(こころ)ひとつを 定(さだ)めかねつも
「歌も詠みたいし、手鞠もつきたいし、また野原に出て花を摘みたいし、どれに
しようか決めることができないなあ」 師
禅師は秋には必ず私の庵を訪ねてくださる約束をされたのですが、禅師の体調が
すぐれず、「暫く静養してから伺います」などとお手紙をいただいた中に
秋萩(あきはぎ)の 花の盛りも 過ぎにけり
契(ちぎり)りしことも まだ遂(と)げなくに
「もうすでに秋萩の花の盛りも過ぎてしまいました。あなたの庵を訪問する約束
も果たしていないのに」 師
その後、禅師のご病気はまったく回復されず、冬になってからは、ただ庵に臥せ
っておられ、人との対面を難しくなり、内側から鍵をかけておられると、周りの
人達が話をしていたので、お手紙を差し上げて
そのままに なほ堪(た)え忍(しの)べ 今更(いまさら)に
暫(しば)しの夢を 厭(いと)ふなよ君
「そのまましばらく我慢なさってください。今となっては、ちょっとの間の夢と
思って厭に思わず。養生なさってください。あなた」 貞
と詠んで差し上げたけれど、その後暫く、戴いたお歌はなくて
梓弓(あづさゆみ) 春になりなば 草(くさ)の庵(いほ)を
疾(と)く出て来(き)ませ 逢(あ)ひたきものを
「春になったら、早速、草庵を出て来てください。早く逢いたいなあ」 師
こうして十二月の末頃、急に病状が悪化されたという知らせが木村家よりあった
ので、大変驚き急いでお見舞いに伺ったところ、それほど苦しいご様子にも見え
ず、布団の上に座って居られた。私が伺ったのがよほど嬉しくお思いになられた
のでしょうか。
何時(いつ)いつと 待ちにし人は 来(き)たりけり
今(いま)は相見(あひみ)て 何(なに)か思(おも)はむ
「毎日毎日待っていた方がついにきたことだなあ。いろいろ話したいと思ってい
たが、今、会ってみるともう何もお話することはない」 師
武蔵野(むさしの)の 草葉(くさば)の露(つゆ)の 存(ながら)へて
存(ながら)へ果(は)つる 身にしあらねば
「いつまでも長生きして、生き永らえる身ではなく、いずれは武蔵野の草の葉の
ように消えてしまうのだから」 師
このようなので、一日中、禅師のお傍にいてご様子を拝見していましたが、日に
日にお体が弱っていかれてどうすることもできず、いずれは近いうちに亡くなら
れるのだろうと思うと大変悲しくて。
生(い)き死(し)の 境(さかひ)放(はな)れて 住む身にも
避(さ)らぬ別れの あるぞ悲しき
「出家して修行で生死の境は超越している筈の身でも、避けられぬ悲しい別れは
あるのですね」 貞
御かへし
「裏(うら)を見せ、表(おもて)を見せて、散る紅葉」
「紅葉が散るときは、ひらひらと裏を見せたり表をみせたりしながら散っていく。
私も生きた人生の表も裏もさらけ出して死んでいくことよ」 師
この句は禅師のお作りになった句ではないけれど、口ずさまれたその折にかなっ
て大変ありがたいものである。
禅師がよく口ずまされた発句で、記憶している第一句をここに。
「落ち着けば ここも廬山の 夜の雨」
「この草庵に落ち着いてみれば、廬山に住んでいるようで、夜に雨が降ったりす
ると心が洗われるようである」
「来ては打ち 行きてはたたく 夜もすがら」
「来るに似て 返るに似たり 沖つ波」
「寄せては返す沖の波のように人の一生にはたくさんの出会いと別れがあるので
すね」 貞
このように申し上げたところ、すぐに
「明らかりけり 君が言(こと)の葉(は)」
「あなたのおっしゃる通り、それがこの世の定めなのだから」 師
天保二年(1831年)一月六日 遷化 年齢 七十四歳
(注:これは良寛が亡くなった日と年齢ですな)
貞心尼