とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

インド 4

2006年12月10日 07時09分54秒 | 宗教・哲学・イズム
【インド】
[部派仏教]
 仏教の教団は釈梼の入滅後 100 年ほどは統一を保っていたが,その後,保守的な上層部と,進歩的改革派の大衆との間で対立を生じて分裂し,それぞれ上座部(じようざぶ) と大衆部(だいしゆぶ) となった。その原因について,北伝仏教では修行完成者 (阿羅漢) のあり方をめぐる見解の相違とし (大天の五事),南伝仏教では塩や金銭の保有などをめぐる戒律条項の争い (十事非法) に帰している。分裂はその後さらに両部派内部に及び,以後 200 ~ 300 年の間に 18 の部派に分かれ,根本 2 部と合わせて 20 部派となったという。このような分裂の年代については,基準となる釈梼の年代に異論が多いので確定できない。しかし,教団の分裂は仏教の発展の結果と考えれば,前 3 世紀アショーカ王治下のマウリヤ朝時代がそれにふさわしい。たとえば,スリランカの上座部はアショーカの王子マヒンダによる伝道と伝えるが,その根拠地は西インドの教団であったと考えられる (ただし,アショーカの碑文には分裂を戒める記事はあるが,部派名などはまったくあげられていない)。
 仏教史では,上座,大衆二部への根本分裂以後を部派仏教の時代と呼ぶ。また,部派ごとに教理の研究 (アビダルマ) を競ったのでアビダルマ仏教ともいう。これに対し,分裂以前を初期仏教あるいは原始仏教と呼んでいる。おもな部派としては,上座部の系統で北インドに勢力のあった説一切有部 (略称有部),化地部 (けじぶ),法蔵部など,西インドに勢力をもった犢子部 (とくしぶ) などがあり,有部からさらに経量部(きようりようぶ) が分出した。犢子部からも正量部 (しようりようぶ) その他が分出したが,正量部は後世 (玄奘 (げんじよう) の滞在した 7 世紀ころ) 中インドに進出して大きな勢力をもっていた。他に雪山部 (せつせんぶ) があり,根本上座部を自称している。大衆部もまた多くの部派に分かれたが,北インドにあった説出世部 (せつしゆつせぶ) は仏伝《大事 (マハーバストゥ) 》を残している。南インドは大衆部系が多いが,地域的にアーンドラ派と呼ばれることもある。
 スリランカにわたった上座部は分別説部とも呼ばれるが,パーリ語による聖典を完備して今日に伝えている。有部もまた,漢訳などに多くの資料を残していて,その教義もよく知られるが,そのほかの部派は有部やスリランカの上座部の伝承から知られる以外には,あまり多くの資料はない。有部はまた,大乗仏教から部派仏教の代表のごとくみなされ,批判の矢面に立たされているが,事実,北インドで最有力な部派であった。有部は後 2 世紀にクシャーナ朝の王カニシカのもとで拡張し,また,その学説は《大毘婆沙論 (だいびばしやろん) 》に集大成された。有部の名は三世にわたって一切法が実有であるとするその学説に基づくが, 《大毘婆沙論》を所依とする点で,毘婆沙師 (びばしやし)とも呼ばれる。これに対し,経典を所依とすることを主張したのが経量部で,この派は現在の法だけを実有とみた。 5 世紀に出たバスバンドゥ (世親) の《阿毘達磨抑舎論》 (略称《抑舎論》) は有部学説の綱要書であるが,その立場は経量部に従っている。犢子部の系統では,身心を構成する五蘊とつかず離れず存在する自我 (非即非離蘊の我) の存在を認め,そのため他派から,仏説違反とみなされた。大衆部の系統はブッダを超越的存在とみるところに特色があるが,これと大乗仏教とのつながりは定かではない。
[大乗仏教]
 前 1 世紀ころ,仏塔を中心に集まった信者たちの間から,仏を賛仰する新しい仏教運動が起こった。この運動は仏教を限られた出家修行者中心のものから,より広範な在家も含めた者たちのものに変えようとするもので,多数を悟りの世界に運ぶものという意味で,自ら大乗と称し,在来の修行者中心の仏教を小乗と呼んで批難した。この運動は急速に広まり後 2 世紀ころまでには,その新しい主張を盛る数多くの聖典,すなわち大乗経典を制作した。それには,修行者の一部も参加した模様である。彼らは法師として新しい経典の普及に努め,経典を遺骨の代りに崇拝し,まつることを勧めている。大乗経典は歴史的には仏説とはいえないが,そこには釈梼が弟子たちに対して,言うべくして説かなかった真意が開顕されていると自負する。それらのうち般若経は般若 (はんにや) によって空性の理を悟ることを説いて大乗の教理的立場を明らかにした。 《華厳経 (けごんきよう) 》は仏の宇宙にあまねき絶対性と,菩醍の実践の相即を説き,十地の階梯を確立した。 《法華経 (ほけきよう) 》は大乗は声聞,独覚の二乗をも包括する仏一乗であるゆえんを明かし,仏の真実の姿は永遠の実在 (久遠実成) で,入滅は方便と教える。また,《阿弥陀経》などは,仏を光明無量,寿命無量とし,それを名とする仏 (阿弥陀仏) の本願に基づく極楽浄土への往生を説く。 《維摩経 (ゆいまきよう) 》は大乗の菩醍の理想像を,市井にある在家の維摩居士の姿に反映させている。これらの種々な経典の成立した後をうけて,ナーガールジュナ (竜樹 (りゆうじゆ) )は,大乗の空観の教義を《中論》などによって祖述し,縁起,空性,仮 (概念的存在) の同義語性を明らかにし,それは有無を離れ,去来,断常,一異を離れて中道であると教えている。ナーガールジュナの後継者たちは,後世《中論》にちなんで中観派 (ちゆうがんは) と呼ばれた。
 大乗経典の作成はナーガールジュナ以後もなお続き,その中で《如来蔵経 (によらいぞうきよう) 》《勝鬘経 (しようまんぎよう) 》《涅槃経 (ねはんぎよう) 》などの如来蔵説や, 《解深密経 (げじんみつきよう) 》《瑜伽師地論 (ゆがしじろん) 》などに伝承された唯識説が新しい主張として説かれた。前者は《法華経》の一乗思想をうけて,すべての衆生に成仏の可能性 (如来蔵,仏性) のあること (一切衆生悉有仏性) を主張するもので,後に《宝性論 (ほうしようろん) 》や《大乗起信論 (だいじようきしんろん) 》によって祖述された。後者は有部あるいは経量部と近い関係にある瑜伽師 (ゆがし) (ヨーガーチャーラYog´c´ra) の一派から生まれた学説で,われわれの認識するいっさいの存在はすべて識 (すなわち心) にほかならないと主張する。 4 世紀末から 5 世紀初めにかけて,アサンガ (無著 (むぢやく) ),バスバンドゥの兄弟によって組織,大成された。派祖にマイトレーヤ (弥勒) を仰ぎ,《大乗荘厳経論 (だいじようしようごんきようろん) 》や《中辺分別論 (ちゆうへんふんべつろん) 》などを彼の著として尊重する。アサンガはこれらの経論をうけてその学説を《摂大乗論 (しようだいじようろん) 》にまとめた。弟のバスバンドゥははじめ経量部にあって《抑舎論》を書いたが,後に大乗に転向し,《唯識三十頌 (ゆいしきさんじゆうじゆ) 》などを著し,また多くの大乗経典の注釈書を残した。バスバンドゥ以後,瑜伽行派 (唯識派) は中観派と論争を生じ,また,ヒンドゥー教の諸哲学とも論争を交えるが,その過程でしだいに知識論と論理学 (因明) が発達した。その最初の確立者が 5 ~ 6 世紀のディグナーガ (陳那) で,その後,7 世紀のダルマキールティ (法称) によって継承,大成された。前者に《集量論》,後者に《量評釈》の大著がある (〈量〉とは知覚や推理などの知識根拠をいう)。中観派と瑜伽行派の論争はなお続き,互いに影響し合ったが,最終的には中観派が優位に立って,瑜伽行派を吸収したようにみえる。これは後にチベットに伝えられた仏教から判ぜられる。
[密教の形成]
 哲学的論争と精密な理論の確立は,他面,大乗仏教から宗教運動としての迫力を薄くしたようで,民衆の新しい要求は新宗教運動として密教を生み出した。密教は仏の絶対性が超越的なものというより,人間に内在的に働くことを強調し,これを如来の三密 (身・口・意による 3 種の秘密業) による加持 (仏が絶対的慈悲から,衆生のために身・口・意のさまざまな形を示し,その形の中に住すること) と説明する。その由来するところは,ベーダ以来のインド的な,言葉のもつ呪力に対する崇拝にあり,大乗経典でも陀羅尼の形で多く説かれている (密教でいう真言,すなわちマントラとは,元来,ベーダの文句のもつ呪力を指す。したがって,ブラフマンと同義的関係にある)。しかし,その主張の純化されたものとして, 《大日経》が 7 世紀初めに作られ,次いで同世紀の後半, 《金剛頂経》の出現によって確立した。密教の隆盛はしかし,仏教をヒンドゥー教とあまり差異のないものとした。 13 世紀初め,東ベンガルの教団根拠地であったビクラマシラー寺院がイスラムの軍隊に蹂躙 (じゆうりん) されたのを最後に,教団は壊滅し,頭を失った仏教はヒンドゥー教の中に溶けこみ,吸収されてしまった。しかし,後期インド仏教の主張するところは,関係経論のチベット訳とともに,チベットの教団によって正しく継承されて,今日に至っている。
高崎 直道
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