日刊スポーツ新聞社 2025/1/29
ステージ4の膵臓(すいぞう)がんで闘病中だった経済アナリスト森永卓郎(もりなが・たくろう)さんが28日午後1時33分、原発不明がんのため、自宅で亡くなった。67歳だった。この日、所属事務所が発表した。葬儀は近親者のみの家族葬で執り行うという。
森永さんは1980年(昭55)に東大経済学部を卒業後、日本専売公社に入社。“モリタク”の愛称で、ラジオやテレビで経済を分かりや説明して人気者となった。森永さんの人柄から、数多くの著名人がSNSや番組で追悼した。
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▽高須克弥氏(高須クリニック院長) 「死んでたまるかバカヤロー」って森永卓郎さんと合唱するのが僕の望みでした。南無阿弥陀仏。(Xで)
▽田原総一朗氏(ジャーナリスト) 森永卓郎さんと最後にお会いしたのは8月29日ニッポン放送だった。僕が出演した番組の次の番組に出演の森永さんが「田原さんとは長い付き合いだけどサインもらった事ないから、ここにサインして」とおにぎりの入ったお弁当箱を持ってこられた。「俵むすび弁当にサインする田原さん」とおっしゃって皆を笑わせてくれた。よく意見はぶつかったが、ぶつかる事で色々教えられた。非常に存在感のある人だった。(Xで)
▽山本太郎氏(れいわ新選組代表)突き抜けたかっこいい大人だった。知らないことを 沢山学ばせていただきました。ありがとうございました。(Xで)
▽泉房穂氏(弁護士で元明石市長) 「泉さんは長距離ランナー、私は短距離ランナー。ただただ全速力で走り抜ける。実は目指しているゴールはまったく同じ」。森永卓郎さんは私との共著でそう言っておられた。本当に全速力で走り抜けられてしまった。残された者として、ゴールまでしっかりと走り切ることを誓う。(Xで)
▽乙武洋匡氏(作家) 高校の先輩でした。気にかけていただいていたこと、心より感謝しております。どうか安らかにお眠りください。(Xで)
▽岸博幸氏(慶大大学院教授) 森永卓郎さんが亡くなられた。。。1/11に一緒に講演した時は元気そうだったのに。。。主義主張は正反対だったけど、憎めないし議論したら楽しいし、何より同じ癌を患う仲間として大好きだったのに。。。僕は人生の残り8年、森永さんの分も頑張らないと。。。(Xで)
▽倉田真由美氏(漫画家) 森永卓郎さんが亡くなりました。少し前にメールで知らせがきて知りました。体調が悪いという情報をみてLINEを送っていたけど、既読がつかないので心配していた矢先のことでした。森永さんとは仕事で何度もご縁があり、20年近くの間、折に触れてお会いすることがありました。なんだか不思議に相性がよくて、25年は二人で漫才をやりたいねと話したりもしていました。末期がんでも、ずっとお元気だったから。とても悲しいです。
がんが発覚し余命宣告後も1日18時間働いていた森永卓郎さん。昨年夏頃、どうしてそんなに働くのか聞きました。美味しいものを食べたり、ゆっくり旅行したりしないの?とも。
「そんなことより、世間に真実を伝えて、日本を独立国にすることのほうが、ずっと大切だと考えているからです」
原文ママです。本当に日本のこと、未来のことを考えている人でした。命懸けで私たちにたくさんのことを伝え、遺してくれました。(Xで連投)
▽阿佐ヶ谷姉妹・渡辺江里子(お笑いコンビ) 悲しいご報告を知ってしまいました。信じたくない、でも。月曜、あんなに気丈に一緒に歌ってくださっていたのに。パワフルでひたむきで揺るがぬ視点、どんな時も明るく前向きな生き様を見せてくださいました。森永卓郎さん、本当にありがとうございました。少しゆっくりお休みになってくださいね。(Xで)
▽ラサール石井(お笑いタレント) 森永卓郎さんが亡くなった。本当に最後の最後、ぎりぎりまで命の灯を燃やして、文字通り命懸けで財務省と闘い、新自由主義に抗い、大企業だけが潤い弱者が損をする経済のカラクリを訴え続けた。その道を閉ざすことなく、伝道の光を道標に我々もあとに続きます。合掌。(Xで)
森永卓郎氏;画像はネットから借用)
森永卓郎さん死去。命を賭して残した最期のメッセージに涙が止まらない。#森永卓郎
2025/01/29
森永卓郎さん、命をかけた戦い本当にありがとうございました。
がんで闘病中だった経済アナリストの森永卓郎さんが1月28日、原発不明がんのため午後1時33分に亡くなりました。享年67歳でした。 心よりご冥福をお祈りいたします。
報知新聞社 1/29
タレントの大竹まことが29日、パーソナリティーを務める文化放送「大竹まことのゴールデンラジオ」(月~金曜・午後1時)の出演後に報道陣の取材に応じ、28日に原発不明がんのため亡くなった森永卓郎さん(享年67)を追悼した。
森永さんは、亡くなる前日の27日にもリモートで同番組に出演。画面越しに森永さんの様子を目にしていた大竹は「砂山圭大郎(アナウンサー)としゃべっている途中で目を見合わせて『これは相当やばいぞ』と思っていたけど、そんなこと番組の中で口に出すわけにはいかない。だから、『また来週ね』ってエールを送ったつもりなんだけどね」と明かした。
昨年11月には、番組のイベントで森永さんが歌唱姿を披露しており「『来年も歌うぞ。約束ですよ』という話をして、観客もその言葉に拍手を送ってね。勇気をもらった方はたくさんいらっしゃると思います」としみじみ。涙をぐっとこらえる様子も見せた。
印象深い思い出について、晩年に毎週欠かさず森永さんが育てた野菜をプレゼントしてくれたことを挙げ「サツマイモとかキュウリとかナスだとか。全部おいしいの。あんな体なのに重たい野菜を持ってきてくださる。思い出深いですね」と回想。森永さんの顔を思い浮かべながら「失礼な言い方だけど、若くていい生き方だったんじゃないかなと思いますね」としのんだ。
大竹はこの日、番組開始の約1時間前に神妙な面持ちで東京・港区の文化放送に姿を見せた。番組冒頭では「えー…、えー…、えー…」と声を詰まらせながら「この番組のリスナーとの約束を破り、私との約束も破り、見事にバットを振り切って森永卓郎が亡くなりました。ご冥福をお祈りいたします」と訃報を伝えた。
番組内では、森永さんについて「もうね、とにかくすごい男だった」とポツリ。27日の出演時について振り返り「想像ですが、かなりの激痛に堪えて、体をくの字に曲げて左に傾きながらあらん限りの力を振り絞ってメッセージをいただきました」と感謝を口にした。
森永さんは2008年から「ゴールデンラジオ」にレギュラーとして出演。23年末に余命宣告を受けた後も出演を続けていたため、大竹が度々「死ぬ死ぬ詐欺」と言い放っていたが、訃報を受けて「詐欺じゃなくなっちゃったよ…」と悲しみをにじませていた。
日刊スポーツ新聞社 1/29
元ニッポン放送のフリーアナ垣花正(53)が29日、同局系「垣花正 あなたとハッピー!」(月~木曜午前8時)に生出演。同番組のレギュラーを務めていた経済アナリスト森永卓郎(もりなが・たくろう)さんの訃報を受け、生放送で追悼した。
森永さんはステージ4の膵臓(すいぞう)がんで闘病中だった。28日午後1時33分、原発不明がんのため、自宅で亡くなった。67歳だった。この日、所属事務所が発表した。葬儀は近親者のみの家族葬で執り行うという。
続けて「ただ、先に言っておきますけど、今日はなるべく明るくお送りします。というのは、そういう人だったので。直前まで楽しく頑張って番組のために出演してくれた人だったから、明るく送らないと失礼だなと」と声を震わせた。
そして「見事なフルスイング。あっぱれでしたね。こんなあっぱれな人生は、なかなかないですよね。すごいなと思って。森永卓郎さんががんになって。その告知をこの番組でって選んでくださって。その時から見事1年以上、走り抜きましたからね。フルスイングして腰痛めるんじゃないかぐらいやってたから、これはすごいなと思って。だいぶ落ち着いてきました」と言うと、声の震えは収まっていた。
さらに「だからといってお別れではなく、僕の中では、森永卓郎さんと一緒に番組をやってるつもりなんですよ。それぞれの中に、森永卓郎さんがすっぽりと。嫌かもしれないけど。気が付けば、いつも心に森永卓郎を」と語った。
森永さんは昨日の同番組のリモート出演を欠席。垣花は森永さんと電話で話したといい、番組内で森永さんの病状の説明後に声を震わせ、泣いていた。
森永さんは1980年(昭55)に東大経済学部を卒業し、日本専売公社に入社。三菱UFJリサーチ&コンサルティングなどをへて、独協大教授に。03年に出版した著書「年収300万円時代を生き抜く経済学 給料半減が現実化する社会で『豊かな』ライフ・スタイルを確立する!」は200万部以上のベストセラーになり、“モリタク”の愛称で、ラジオやテレビで経済を分かりやすく説明して人気者となった。
垣花正(2024年撮影)© 日刊スポーツ新聞社
25/1/29 垣花正あなたとハッピー!