安倍首相「マクロ経済スライド」連呼で墓穴? 年金を減らす仕組みの実情
<このネーミングに問題の本質を見えにくくする効果があったのは間違いない。マクロ経済スライドと聞くと、景気の動向に合せて年金の額を調整するようなイメージだが、「マクロ経済スライド」とは、将来の年金を減額するための仕組みである>
年金2000万円問題をめぐり、安倍首相が「マクロ経済スライド」という言葉を連呼したことが話題となっている。蓮舫議員の執拗な追求に、年金制度に問題はないという文脈で用いたキーワードだが、これにはどういう意味があるのだろうか。
ズバリ、年金を減らすための仕組み
老後に2000万円が必要と記述した金融庁の報告書が大問題となったことを受け、立憲民主党の蓮舫議員が、参議院決算委員会において30分にわたって安倍氏らに質問を行った。いつものことではあるが、蓮舫氏のあまりのしつこさに、安倍氏は10回近くも「マクロ経済スライド」というキーワードを連呼して、年金制度の確実性について力説した。
国会での論戦のあり方には様々な意見が出ているが、ここではその話題には触れない。ただ、安倍氏が何度も口にした「マクロ経済スライド」という制度は、公的年金の維持に極めて重要な役割を果たすものであり、その内容については、よく理解しておいた方がよいだろう。
「マクロ経済スライド」というのは、ストレートに言ってしまうと、将来の年金を減額するための仕組みである。
日本の公的年金は賦課方式と呼ばれており、自身が積み立てた保険料を将来受け取るものではない。現役世代から徴収した保険料を高齢者に配分する仕組みなので、高齢化が進むと制度の維持が難しくなる。このままでは公的年金を維持できなくなるので、現役世代の減少に合わせて、年金の額を減らすために作られたのがマクロ経済スライドである。
マクロ経済スライドと聞くと、景気の動向に合せて年金の額を調整するようなイメージを持つ人が多いと思うが、実態は異なる。制度の導入が議論された際、名称が誤解を生む可能性があり、不適切だという批判の声が一部から出ていたものの、結局は、この名前が採用された。
厚労省側に姑息な意図があったのかは何とも言えないが、このネーミングに問題の本質を見えにくくする効果があったのは間違いないだろう。同制度は2004年に導入され、すでに年金減額もこっそり実施されているが、この制度が年金減額のために作られたことを知らなかった人も多かったはずだ。
年金を減らすと増えるもの
②
年金を減らすと、確実に生活保護費が増加する
安倍氏がどういうつもりで、このキーワードを連呼したのか、何とも分かりかねる部分があるのだが、マクロ経済スライドを強調する安倍氏の答弁を整理すると「これから年金はどんどん減らしていくので制度自体が破綻することはない」と説明していると解釈せざるを得ない。
実際にその通りであり、政府としては、今後、段階的に年金の給付額を減らしていき、それによって財政のバランスを取るという算段だった。マクロ経済スライドは、多くの人に気付かれにくい形で、粛々と年金を減らせる仕組みなので、官僚組織にとってはもちろんのこと、有権者への説明義務に追われる政治家にとっても好都合であり、国民に対しては、あまりおおぴっらには説明してこなかったのが実状だ。<iframe class="teads-resize" style="margin: 0px !important; padding: 0px !important; border: currentColor !important; width: 100% !important; height: 0px !important; display: block !important; min-height: 0px !important; border-image: none;"></iframe>
ところが今回の一件で、安倍氏がこの制度を力説する結果となり、状況は大きく変わってしまった。
年金2000万円問題に対する世の中の反応は真っ二つである。「政府に騙された」「政府は年金に責任を持つべきだ」といった意見がある一方で、「そもそも維持できない制度は意味がない」「高齢者の給付を減らすのは当然」といった意見も根強い。前者は高齢者に多く、後者は現役世代に多いという印象なので、一種の世代間論争の様相を呈している。
主観を交えず、状況を冷静に分析した場合、現役世代から極めて高額な保険料を徴収するか、大増税(あるいは国債の永続的な大量発行)を実施しない限り、現在の年金水準を維持することは不可能である。年金制度を維持可能なものにするためには、将来の年金減額はほぼ必至といってよいだろう。
だが、年金を減らしてしまえば、それで問題は解決するのかというとそうはいかない。現時点における年金受給者の6割近くが年間150万円以下の金額しか年金をもらっていない。この状況で受給者への給付を削減すると、生活に困窮する人が続出してしまい、生活保護費の増大を招くことはほぼ確実である。
どこかで抜本的な対策が必要となる
2019年3月時点で生活保護を受けている人は約210万人だが、このうち55%が高齢者世帯となっている。つまり病気やケガなど不幸にして働けなくなった人を除くと、生活保護は限りなく高齢者ケアの制度に近い。
国民年金のみに加入している自営業者(フリーランス)の場合、支払う保険料は少ないが、受け取る年金の額も少なく、現時点では毎月6万5000円しか給付されない。この金額だけで生活するのは難しいので、現実には、労働を継続するか、貯蓄を取り崩す必要がある。だが体が思うように動かなくなったり、貯蓄が尽きてしまうと、一部の人はたちまち生活が困窮してしまう。今後、年金の減額が継続的に行われた場合、高齢者による生活保護の申請は確実に増加するだろう。
この問題が顕在化するまでには、多少の時間的猶予があるため、政府としては、徐々に年金の減額を進め、その間に貧困問題について手を打つという算段だった。だが今回の一件で、この目算は狂った可能性が高く、政府は早晩、貧困対策について何らかの方向性を打ち出す必要に迫られるだろう。
一方で、年金の減額を遅らせる、あるいはストップするという、大判振る舞いの方向に世論が流れる可能性もある。だが、現時点においても年金財政は大幅な赤字であり、不足分は税金から補填している。もし年金の減額を実施しない場合、税金からの補填を増やさない限り、財政は一気に悪化してしまう。
③
安倍政権は今年10月に予定されている消費増税を予定通り実施する方針を固めたが、国内では増税に反対する声の方が圧倒的に大きい。だが、年金財政を考えた場合、消費税は10%でも最低水準であり、ましてや減額を実施しないという場合には、それ以上の増税が求められてしまう。
最終的には国債の大量発行という手段が残されているが、当然のことながら、金利の急騰リスクという爆弾を抱えることになる。今回の年金2000万円問題というのは、実は日本の財政問題そのものであり、まさにパンドラの箱が開いてしまったという表現がふさわしいだろう。
八方塞がりに近い状況だが、それでも筆者は議論のきっかけが出来たのはよいことだと思っている。大きな痛みを伴うことになるが、今、抜本的な対策を講じることができれば、最悪の事態は回避できるはずだ。
加谷珪一
経済評論家。東北大学工学部卒業後、日経BP社に記者として入社。野村證券グループの投資ファンド運用会社に転じ、企業評価や投資業務を担当する。独立後は、中央省庁や政府系金融機関などに対するコンサルティング業務に従事。現在は金融、経済、ビジネス、ITなどの分野で執筆活動を行う。億単位の資産を運用する個人投資家でもある。 『お金持ちの教科書』 『大金持ちの教科書』(いずれもCCCメディアハウス)、『感じる経済学』(SBクリエイティブ)など著書多数。