米朝首脳会談を前にシンガポールで想う
歴史的な米著首脳会談を前に、筆者はシンガポールで言いようのない感情を覚えている。高揚感半分、覚悟半分といったところだろうか。一人の記者として、会談を前に気持ちを整理してみた。
思わず涙が
筆者は昨日10日、シンガポールに入った。そして今、北朝鮮の金正恩委員長が宿泊するセント・レジスホテルの隣の小さな階段に腰掛け、このコラムを書いている。ホテルの正面玄関前で立ち止まることを許さない警戒体制や、金正恩氏の姿を捉えようと数十人の記者が炎天下の中、汗だくになりながらカメラを構え続ける姿を見て、やっと「米朝首脳が会うのだな」という実感が湧いてきた。
思えば、筆者が1999年に韓国に来てから(途中3年大阪に住む間も)北朝鮮のことを考えない日は一日たりとも無かった。
群馬県の朝鮮学校出身の筆者は、2000年に韓国の大学に入ると同時に、なかなか学生生活になじめない脱北者たちをボランティアで手伝いながら酒を酌み交わし、北朝鮮社会を少しずつ知っていった。
さらに大学4年の時には中国に売られた脱北女性を東北三省の農村に100人以上訪ね歩き聞き取り調査をした。それが高じて北朝鮮の人権と経済復興を考えるNGOを立ち上げ、北朝鮮の人権運動、人道支援運動をしている韓国人はじめ世界の人々と会う機会を得た。
その後記者となってからは、朝中国境に出向き北朝鮮の人々に話を聞き、北朝鮮国内の朝鮮人記者が命がけで撮影してきた映像を第三国で受け取ったこともあった。それぞれの瞬間に、涙を流し、笑い、共に歌った北朝鮮の人々が存在した。
出てくる気配もない金正恩氏を待ちあぐね、セント・レジスホテルを一周する中で、そんな人々の顔が思い出され、思わず涙ぐんだ。「やっとここまで来た」という高揚感は、記者としてのそれではなく、朝鮮半島にルーツを持ち、そして今なお住む者としての高揚感なのかもしれない。
朝鮮半島の新たな第一歩
筆者は今回の米朝首脳会談を、日本による強制占領から南北分断、朝鮮戦争そして分断の固定化という苦難の100年を過ごしてきた朝鮮半島が、文字通り新たな第一歩を踏み出せるかどうかが決まる、正念場だと思っている。
同時に、そのカギを南北両国の市民ではなく、北朝鮮の三代目となる独裁者が握っていることに歴史の皮肉を感じずにはいられない。
とはいえ、今回の米朝首脳会談は「奇跡」に近い出来事だ。
(後略)