任命拒否で支持率急落、菅首相は「実務型」に徹せよ
(舛添 要一:国際政治学者)
就任直後は、地方出身の苦労人、そして「令和おじさん」のイメージで人気を博した菅義偉首相であるが、そのご祝儀相場による高支持率も、日本学術会議の任命拒否問題をきっかけに急低下している。
10月9〜11日に行われたNHK世論調査によると、内閣支持率は就任直後の62%から7%下がって55%になり、不支持率は7%上がって20%になった。日本学術会議問題以外の理由は考えられないし、任命拒否についての首相の説明に「納得している」が38%なのに対して、「納得していない」が47%と多い。
まず、この問題についての私の見解を簡単に述べておく。
新会員候補105人のうち6人の任命権者は菅首相であり、法的には誰を任命しようが、それは首相の自由である。しかし、これまでは学術会議の推薦に基づいて、そのまま任命する慣例であった。
今回は拒否したが、その理由を明示しないことが批判されている。ただ、普通は政府の人事については、その理由を述べないことになっている。
しかし、拒否された6人は、すべて文化系の学者であり、政府の安全保障政策などに反対する立場を明らかにしてきた人たちである。そこで、思想統制という批判の合唱が起こっているのである。
時に政権を批判せねばならない学者は権力者に任命される組織に名を連ねるべきではない
年間10億円の予算、メンバーは特別国家公務員という点も議論の対象になっており、自民党はプロジェクトチームを作って、これらの点について検討を始めている。
日本学術会議は、1949年に設立され、総理府の機関となり、2001年には総務省の管轄下に置かれたが、2005年からまた内閣総理大臣の所轄となっている。
日本学術会議法の第2条は、その目的を「科学の向上発達を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させること」としている。
そして、科学政策などについて、政府は学術会議に諮問することができるし、会議は政府に勧告することができると規定されている。
第3条には、「独立して」職務を行うと規定され、学術会議によって推薦された候補者を内閣総理大臣が任命することになっている(17条、7条)。そこで、学術会議会員も同じで、首相が政治的判断を下して、会議の「推薦」を拒否すべきではないという意見もある。
私は、東大で政治学を講じていた助教授時代には、この組織とは一切関係がなかったし、学外のこのような組織の活動に時間をとられるのを好まなかった。そもそも、政治学などという学問に携わる者は、自民党であれ、その他の政党であれ、政権に関する研究を行い、場合によっては批判することはありうる。従って、ときの最高権力者に任命されるような組織に参加すべきではないのである。
理科系はともかく、社会科学系の学者は、今回の任命拒否された6人もそうであるが、政治的見解を述べるのは仕事の一環でもある。だから、学術会議に文化系の枠を設けていること自体がおかしいのである。
さらに言えば、理科系の学者を取り上げても、たとえば今回の新型コロナウイルス対策について、学者によって意見が異なっている。したがって、日本学術会議が組織として一つの見解を述べることが間違っている。個々の学者が自由に見解を述べればよいだけの話である。
ところが、この組織は、1954年には核兵器研究拒否の声明を出しているし、2017年には軍事研究に関する政府の助成制度を「問題が多い」と批判している。組織としてのこのような活動は問題が多い。多様な意見が尊重されるべきなのが民主主義であり、それに反するような日本学術会議は不要だというのが私の見解である。
なぜ世論の反発を予想できなかったのか
この問題は、まだ後を引きそうである。前例踏襲をやめて行政改革を断行しようという菅首相にとっては打撃である。下手をすれば、安倍首相にとっての森友・加計問題のような展開になるかもしれない。
実質的に判断を下したのは、事務方のトップである杉田和博官房副長官であるとされているが、彼にしても、ここまで世論の反発を招くとは思わなかったのではあるまいか。
なぜ、このような戦略ミスを犯してしまったのか。
少々乱暴だが、政治家のパターンを二分すると、「イデオロギー型」と「実務型」に分類できる。右派の旗を高く掲げて、極右陣営にまで支持を拡大したのが安倍首相であり、これが典型的なイデオロギー型である。これに対して、思想信条を前面に出さずに、コツコツと実績を積み上げていくのが実務型で、これこそが菅首相の真骨頂である。
次々と提案する携帯電話料金の引き下げ、不妊治療の保険適用、オンライン診療の恒久化、地銀の再編、デジタル庁の創設、縦割り行政の打破などの政策を見れば、そのことがよく分かる。これは、左翼であれ、右翼であれ、政治信条とは無関係に行いうる実務なのである。
携帯電話料金が安くなったり、不妊治療に保険が適用されたりするのに反対する国民はあまりいない。だからこそ、国民は菅内閣を高く評価したのである。任期はわずか1年である。その間に成果を上げようと思えば、国民が成果を実感できるように実務的に仕事をこなしていくしかない。単なるリリーフから本格政権になれるかどうかは、小さな仕事の積み上げの結果次第である。
ところが、いきなりイデオロギー型政治手法が突出してしまった。学術会議問題は、右派による左翼学者の切り捨てとイメージされたのである。地味で、裏方に徹し、政治色がないことが菅のセールスポイントである。それが、就任1カ月にして、学問の自由を弾圧する右寄りの強権政権という烙印を押されることになったのである。
中曽根元首相への「弔意表明要請」も判断ミス
17日に実施される故中曽根康弘元首相の、内閣と自民党による合同葬儀について、文科省が国立大学に弔意表明を求める通知を出したことも、同じ文脈で受け取られている。歴代首相のうち、小渕恵三(2000年)、鈴木善幸(2004年)、橋本龍太郎(2006年)の葬儀の際にも、同様な通知を出しているそうだが、今回はタイミングが悪すぎる。日本学術会議の問題が争点になっているときに、火に油を注ぐようなことをするのは政治的に賢くない。そういうことを判断できる側近が、菅首相の周辺にはいないのか。
古き良き自民党が守ってきた保守政治は、寛容という姿勢である。多様な意見を認め、少数派の存在を許すということである。かつての中選挙区制の下で、三角大福中という五大派閥が競争していたときには、自民党は右から左まで様々な思想信条の政治家を包含する国民政党、総花政党であった。それが、自民党の強みであり、主流派と反主流派の戦いは、野党との対立よりも激しいくらいだったのである。
それが、小選挙区制に代わり、首相官邸に権力が集中するようになると、寛容も多様さも失われるようになってしまった。とくに、8年近く続いた安倍長期政権でその傾向がさらに強まった。
私が菅首相に期待するのは、自民党に寛容や多様さを回復し、反主流派も、そして野党の意見も包含する懐の大きさである。
過去の首相を振り返ってみると、安倍首相の他に、「戦後政治の総決算」をうたった中曽根康弘首相がイデオロギー型首相であった。
逆に、実務型と言えば、たとえば、鈴木善幸首相や福田康夫首相があげられる。前者は大平正芳首相の急死に、後者は安倍首相の病気による辞任に伴い、首相の座に就いた。いずれも、予期せぬ出来事に対応したリリーフ登板であった。
前者は、1980年7月17日から1981年11月30日まで約1年4カ月、後者は2007年9月26日から2008年8月2日まで約10カ月続いた内閣で、いずれも短命に終わっている。そして、両者とも、「人心一新」を掲げて、自らの意志で身を引いているが、酷評する者は政権の投げ出しとしている。
菅首相の置かれている状況は、鈴木、福田両首相とは異なるが、実務型政治に固執したほうが、党内外の軋轢を生まないで済む。無用な波風を立たせることは、長期政権への道を塞ぐと心得たほうがよい。