17日に母猫が死んだ。
老衰(18歳)による体力の衰えにより奥歯に菌がはいり化膿し、ほっぺたに開いた穴から膿みを排出しつつ徐々に衰弱し、死んだ。
化膿をおさえられなかったので、敗血症になったのかもしれない。
この1年半は100回以上獣医さんに注射につれていった。毎日抗生物質を飲ませた。が、だめだった。
最後は、頬の骨が腐って落ちた。介護はつらかった。看取るのもつらかった。父の急死の後始末と残された母の見舞いと重なったのできつかった。
かわいそうで、息をひきとったときに思わず声をあげて泣いてしまった。
ただし、徐々に衰弱していった(体重が段階的に落ちていった)ために、最期がそう苦しまなかったのが、せめてもの救いだ。
この母猫は思い出深い。長男の受験の最中に日比谷公園から拾ってきた猫だ。おとなしくひとなつこかった。
ところが妊娠していていることにきがつかず、長男が国立2次試験から帰ってきたときに、お産をしはじめて、6匹子猫を生んだ。
子猫は全部自宅で買うことにしたが、大変な時に、大変なことが重なり、しっちゃかめっちゃかになり私はホント、ノイローゼになった。
あれから月日が流れた。子猫は2匹死んだが、あと4匹生きている。兄弟なのでみんな17歳。みんなどこかしら故障(病気もち)。
しかし、それにしても、そのころに比べて息子が大きくなったこと。
下宿している長男が猫にお別れにきてくれた。
「覚えている?あなたの最後の受験の日にお産をしたのよ。
あれから、もう18年経ったのよ」
「18年経ったのか!」
3男は例によって裏庭にさっさと墓穴をほってくれた。さらにたくましくなった。
遺体を花にくるんで土葬にした。
それにしても、息子たちは本当に大きくなったのには驚く。見上げるようだ。
特に三男。小学低学年のころ、私とお兄ちゃんたちが猫の墓をほっているのを見ていられずわーっと泣き声をあげて走り去った。
そんな幼少のころと比べると隔世の感がある。
いま、私は疲れてふらふらするので、ここまで書くのがやっと。
気を張って介護してきたとみえ、どーっと疲れが出て、目がぼーとして遠くへ目線が行く。3日ほど寝込んだ。
最期、もう、だめだというときに、顔を近づけはげました。猫はすーっとひとしずくの涙を流した。その涙が忘れられない。
(ああ、書かなきゃよかったかな。へたに書いたらおしまいだ。そっとしまっておきたいニュアンスが消えてしまう)
いま、わたしは深い喪失感にとらわれている。それは、息子たちの子供時代とのお別れも含むからだ。
(三男がつくった猫の墓)