日朝首脳会談から17日で20年。拉致問題は今も解決にはいたらず、2002年当時のうねるような世論の盛り上がりもなくなったように見える。会談をきっかけに24年ぶりに故郷の土を踏んだ新潟県柏崎市の蓮池薫さん(64)は、こうした現状に危機感を抱く。帰国当初は講演する機会が多くなかったが、近年は壇上に立って強い口調で解決を訴えることが増えた。「拉致家族の再会が実現しなければ何も解決しない」。政治家や世論との拉致に対する温度差があるなか、蓮池さんは今も訴え続けている。
「日本に帰りたい」。北朝鮮に拉致された横田めぐみさん(行方不明時13歳)は、現地で蓮池さんに何度もそう訴えたという。めぐみさんは、北朝鮮の人がいる場所でも日本への望郷の念を隠そうとしなかった。「その話は内輪だけでしましょう」。危険を顧みずに自分の気持ちを言葉にするめぐみさんに、蓮池さんはそうなだめるしかなかった。蓮池さんがめぐみさんをめぐる思い出を語った。
蓮池さんによると、めぐみさんとは一時期、北朝鮮で同じ地域に暮らしていた。94年3月、めぐみさんが精神科病院に入院することになった。めぐみさんは病院での治療の効果に期待している様子だったという。中身は覚えていないが、見送りの言葉も交わした。送迎の車に乗り込んだめぐみさんに手を振ると、「かすかにうなずいたように見えた」と蓮池さんは振り返る。めぐみさんの姿を目撃したのはそれが最後だった。
北朝鮮は当初、めぐみさんについて「93年3月に死亡した」と説明していた。しかし、蓮池さんが94年まで姿を見ていたと帰国後に証言すると、北朝鮮は時期を訂正した。
北朝鮮はさらに、「めぐみさんの遺骨」として提供し、後に別人のものと判明した骨について「夫が保管していた」と主張した。それについても蓮池さんは「夫とは週5回会い、骨つぼを保管していたとされる場所にもたびたび行った。何かを隠せるような部屋ではなく、骨つぼなどを置いている様子はなかった」と反論する。
蓮池さんはめぐみさんについて、「双子の弟がいて、という家族の話もよく聞いた。帰りたい気持ちがよっぽど強かったんだと思う」と語った。【斎藤文太郎】
北朝鮮による日本人拉致問題 (きたちょうせんによるにほんじんらちもんだい)とは、 1970年代 から 1980年代 にかけて、 北朝鮮 の 工作員 や 土台人 、 よど号グループ などにより、17人(北朝鮮側によれば13人)の 日本人 が、 日本 、 欧州 から北朝鮮に 拉致 された問題である。 日本政府 が認定した拉致事案は12件、拉致被害者は17人 。 北朝鮮側は、このうち13人(男性6人、女性7人)について、日本人拉致を公式に認めており、5人が日本に帰国しているが、残り12人については「8人死亡、4人は入境せず」と主張している 。 日本政府は「全員が生存しているとの前提で対処する」との立場をとっている。