(舛添 要一:国際政治学者)

 12月10日の新型コロナウイルス感染者は東京都で602人、全国で2972人と、いずれも過去最多を記録した。旭川市では医療崩壊状況になり、自衛隊の看護官が派遣された。専門家たちが「勝負の3週間」と警告してから2週間が経過するが、感染が収束する兆しは見えていない。

 それに加えて、西日本では鳥インフルエンザが蔓延し、大量の鶏を殺処分する羽目になっている。渡り鳥のシーズンで、これからも被害が拡大する危険性がある。自衛隊は、災害派遣という形で、新型コロナウイルス対策のみならず、鳥インフル処理にも駆り出されている。何もかも、自衛隊頼みというのでは、政府の無能さが批判される。

養鶏業者からの資金提供、「桜を見る会」前夜祭費用の記載漏れ

 しかも、養鶏業絡みで、鶏卵業界大手「アキタフーズ」との間で、政治スキャンダルが浮上してきている。河井克行・案里議員の公職選挙法違反事件の捜査の過程で、吉川貴盛元農相に業者から現金500万円が渡っていたことが明らかになったのである。さらに、西川公也元農相も数百万円を受け取っていたとされ、西川は、内閣官房参与を8日付けで辞任している。業者のクルーザーで接待も受けていたという。

 両者とも、安倍内閣の農林水産大臣であり、吉川議員は総裁選に菅義偉官房長官を擁立した中心人物、また西川前議員は安倍内閣に引き続いて菅内閣でも参与を務めていた。それだけに、菅首相に対する打撃は大きい。

 しかも、他にも農林関係の複数の議員に金銭が渡っていると言われており、今後の検察の捜査が進めば、菅政権にとっては逆風となる。

 そもそも、自民党岸田派の現職の溝手顕正議員がいながら、参議院選挙で広島選挙区に河井案里を立てたのは、安倍晋三嫌いの溝手を落とすための官邸の意向であり、溝手に対する安倍官邸の意趣返しと言ってもよい。もちろん官房長官として菅も関与している。皮肉なことに、河井→吉川→西川→と、菅首相にとっては負の連鎖が続いているのである。

「桜を見る会」の前夜祭における安倍事務所の経理ミスも明るみに出た。5年間で900万円以上を事務所側が補填していたが、政治資金収支報告書に記載されていなかった。そして、国会における安倍首相や菅官房長官の国会答弁も虚偽であったことが判明した。国会が閉幕したからといって、この問題が鎮静化するわけではない。

目を覆うばかりの「霞が関の茶坊主化」

 安倍、菅、溝手、河井、吉川、西川と名前を挙げた政治家は、いずれも私の国会、そして自民党時代の同僚、友人たちである。私は、彼らとの交遊を通じて表も裏もよく知っている立場から論評を加えているが、安倍長期政権の負の遺産が菅首相の両肩に重くのしかかってきているようだ。しかも、官房長官時代から培ってきた人脈、政治手法、マスコミ操作術なども必ずしもプラスになってはいない。

 第一は、長期政権の弊害である。官僚による忖度行政が常態化してしまった。官僚たちが、官邸に対して心地よいことしか言わなくなっている。国家全体のことを考えて諫言するような勇ましいことをすれば、左遷である。多くの省庁でトップになるべき優秀な幹部官僚が、官邸に疎んじられ、都落ちしている。それを見てきた役人たちが、安倍や菅に胡麻をするのは当然である。

 秘書官や補佐官といった官邸の側近官僚も、茶坊主で固め、しかも彼らが閣僚以上の権勢を振るう。経産省から出向した側近の補佐官が采配した安倍政治は、経産省の政策が主軸となってしまった。菅が重用するのが国土交通省出身の補佐官であり、観光政策の推進などを展開してきたが、今回のGoToTravelキャンペーンもその路線の延長である。

 もし感染防止対策を重視する優秀な厚労官僚が側近にいたら、感染防止と経済とのバランスがもっとうまくとれていたのではないか。複数の側近を競わせて、複数の提案を出させ、最後は自分で決断するという政治本来の機能が働いていない。平穏なときにはそのマイナスが表に出なかったが、今回のようなパンデミックの危機が起こると、惨憺たる結果をもたらす。

 政府が集めた感染症の専門家と称する人々は、所詮は御用学者の集団であり、政府に人事と予算を握られ、「飴と鞭」で利用されているにすぎない。何の権威もなく、政府の愚行を止めさせる能力もない人々であり、大衆迎合のマスコミの消費の対象となっているだけである。ダイヤモンドプリンセス号の内部の感染症対策の不備を暴いた神戸大学の岩田健太郎教授などは、政府から声がかかるはずもないのである。

 私は、2009年の新型インフルエンザに厚労相として対応したが、官邸の専門家会議(当時も尾身座長であった)とは別に、大臣直属の私的諮問会議を作り、そこに岩田教授ら若手で優秀な、しかも実際に患者の治療に当たっている専門家を入れたのである。最終的に、私の責任で若手の案を採用し、感染を早期に収束させることができた。

 今の政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身会長は、患者の治療に当たっているわけでも、優れた研究論文を発表しているわけでもない。9日の衆議院厚労委員会で、彼は「ステージ3相当の地域では、GoToを含めて人の動きや接触を控えるべきだ」と述べたが、何を今更という感じである。

 諫言をする者を周囲に配するのはリーダーの責務である。それを安倍前首相も菅首相も行っていない。つまり、「お友達政治」、「茶坊主政治」であり、その弊害がコロナ感染と言う危機の時代に露呈したのである。とくに安倍首相は、「王よりも王党的」と言えるような応援団の囃子太鼓に煽られて、内政も外交も、均衡の取れないイデオロギー過剰の政治を遂行することになってしまった。

 政治色の少ない菅首相は、その轍は踏まないと見ていたが、日本学術会議の任命拒否問題で大きく躓いてしまった。このような問題でイデオロギー性を付与されるのは愚の骨頂である。

擦り寄ってくる者に影響されやすい菅首相

 第二に、とくに菅首相の場合、利権などを求めてすり寄ってくる人々に影響されやすいということである。GoToEatキャンペーンなども、自らの利益のために強力に働きかけている人たちがいる。携帯電話料金の値下げ、デジタル庁の創設、不妊治療の保険適用、地銀の再編なども、それを提案する人々が周りにいる。国民のためになり評価できる点もあるが、逆にそれらの政策の問題点もまた同時に公平な視点から検討せねばならないであろう。

 提案者と菅との距離で政策が決まるようでは、国民には首相の本来の考え方が見えてこない。様々な書を読み、相反する複数の提案に耳を傾けなければ、バランスのとれた政策を立案することが不可能となる。

 第三は、世論に鈍感なことである。菅は、官房長官時代には、世論調査の動向に最大限の注意を払ってきたし、選挙の前など党や官邸主導で独自の世論調査を行い、戦略を立てるのを常としていた。政治家であれば、世論の動向に気を配るのは当然であるが、政権中枢に座ってから、その傾向はさらに強まった。

 どうすれば世論受けするかを知り尽くし、また支持率が下がったり、スキャンダルが発覚したりしたときなどどうするかというダメージ・コントロールに長けた人物を周囲に侍らせている。また、マスコミにも多くのシンパ記者を養成してきた。それが「マスコミ操縦が上手い」とされる状況を生み出したのである。加計・森友問題の抑え込み方を見ればそのことはよく分かる。

 ところが首相になってからは、GoToキャンペーンに固執するあまり、柔軟に対応することができなくなっている。世論対策を任せられている菅側近たちは何をしているのか。

 菅首相の頑固さが災いしているのではないか。土砂降りの雨に打たれて、菅首相も側近もまともな判断ができなくなっているのではないか。

一つの考えに固執する危うさ

 新型コロナウイルス対策の決め手となるワクチンの接種がイギリスで始まった。日本では、来年の3〜4月頃に接種可能となるかもしれない。先行して接種する国々での経過を見た上で、副反応など慎重に見極める必要がある。

『東京終了―現職都知事に消された政策ぜんぶ書く』(舛添要一著、ワニブックスPLUS新書)© JBpress 提供 『東京終了―現職都知事に消された政策ぜんぶ書く』(舛添要一著、ワニブックスPLUS新書)

 さらには、世界中にワクチンが潤沢に供給され、接種されるのがいつになるのか、まだ分からない。貧しい発展途上国にまで届くには、相当の時間が必要であろう。そうなると、ワクチンのみに依存した五輪は不可能となる。来年の夏に延期された東京五輪が順調に開催されるかどうかは、現時点でも未知数と言ってもよい。

 しかし、菅首相の発想は、「初めに五輪ありき」であり、中止という可能性は皆無である。これは危機管理という点では好ましくない。各種のGoToキャンペーンに固執する姿勢と同じである。菅政権の行方はますます定かではなくなっている。(文中、敬称略)