
春めいてきたので先々週母の所へいってきた。いつものように1泊どまりだ。
トンネルをぬけた新潟の山間部は雪景色だった。
冬で一番きびしいのは2月だから、これでも山場はぬけたのだ。
これは湯沢のスキー場。
山間部をぬけて平野に行けば、もう多くの土は乾いている。雪解け時期なのだ。
すでに母の調子はよくない。私の名前も誰かもわからなくなってしまった。老人ホームといっても個人を特に面倒みてくれるわけではない。介護士が3対1だというが、それよりも少ない。
最低のめんどうはみてくれるが、あとは放置されておかれる。周りは他人ばかりのなかで孤独な生活を送っている。これがもう少し自分で車椅子を押して移動をできたり頭がはっきりしていれば、友人を作ったりしてそれなりにもう少し楽しめるのだろうに。
けれど、母は自力では全くうごけない。認知力もだんだんなくなってきている。自分がどこにいるのか分からないのだ。
最近はついに何もしゃべられなくなった。
1日目はぼんやりしているが、ずっとそばについていると、だれだか分からないが肉親がいると感じるのだろう。安心した顔になってくる。そして食欲もでてきて生きる力がわいてくるように思える。
2に目にはすっかり安心した顔になった母を泣く泣くおいて帰ってくる。
もっと何かしてあげられないのだろうか?とにかく肉親がたずねていくのが一番いいようだ。そして、介護の仕事や食事、病気を心から心配して見守っていてあげる。欠点がみつかったら本人の代弁者として「こうしてください」と言う必要がある。細かいところまでどうしても目が行き届かないからだ。
そして、じっとそばについていてあげる。
歳をとるというのは、1年ごとにがくんがくんと能力がおちてきている。寂しいが現実だ。
それは私の将来の姿でもある。
母は自分自身の姿ををもって、人間の最後を教えてくれているように思える。